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魔界闘神伝  作者: 和和和和
人間界編
66/305

宴の終わりに






 ――暗い暗い闇の中で光に出会った。


 閉ざされたその部屋にたった一人でいる少女は、ただそこで生きていた。

 自動人形(オートマタ)に言葉と最低限の知識を教えられ、自動人形(オートマタ)、どこからか捕らえてきた幻獣と戦って戦闘能力を研鑽する日々。時折創造主だという金髪の青年――「グリフィス」がやって来たが、その冷めきった無感情な瞳は、少女に自分が孤独である事を実感させていた。


《君は、世界を新たな時代に導くべくその命を捧げるために生まれてきたのですよ》


 毎日のように聞かされ、反芻し、刷り込まれた自身の存在理由。それに疑問を覚える事はなかった。

 なぜなら、閉ざされた研究所の中で誰とも接する事無く生きてきた少女にとって、グリフィスの言葉こそが、彼女にとってのこの世界の全てだったのだから。



 そんなある日、自分用にあてがわれている個室に、グリフィスが一人の少年を連れてやってきた。

「これが、竜人?」


 ――この人は違う


 その人物が誰なのか少女は全く知らない。しかしその少年の目を見た瞬間、少女はそう感じた。何が、と聞かれても、はっきりと答える事は出来ない。しかし、それでもこの人は違うのだと感じていた



 「憐れだ」――それが少年「エスト」が少女を見た瞬間に思ったただ一つの事。

 計画のために生みだされ、殺すために育てられ、殺されるために生かされている――そしてその事に何の疑問も抱いていない、小さな世界で生き続けているその少女の境遇に対して、エストが向けた唯一の感情は同情と哀れみでしかなかった。


 グリフィスに言わせれば、「生まれる意味を持たず、才能と成功を欲して足掻く自由な生よりも、役目を与えられ、それに必要な才能を持ってこの世界に生み出された少女は幸せ」らしい。


 自分のように、頂きを目指して努力し、それでも生まれ持った才能の前に敗北する生き方と、才能と役目を与えられ、それに殉じる生き方を強要される少女のどちらが幸せなのか、エストには分からない。

 しかし、類い稀な才能と血筋を持っていても、小さな部屋の中で無感情と無感動に生きている少女が幸せだとは、エストには到底思えなかった。


 だが、そんなエストが向けた憐れみと同情の視線すら、少女にとっては初めて触れるもの。それが何なのか――エストの目に込められた感情に、少女が興味を抱いたのも当然の事だった。



「ええ、今のところ唯一の成功作と呼べる個体ですよ。手っ取り早く『一号』と呼称していますがね」

 互いに視線を交わしているエストと竜人の最初の成功体――「一号」を見て、グリフィスが小さく微笑む

「随分、センスがないな」

「いずれ破棄するのです。名称などどうでもよいでしょう」

 呆れたように言い放ったエストに、グリフィスは嘲笑を込めて肩を竦める。

 その姿を見たエストは、グリフィスに対して言いようのない嫌悪感を覚える。いくら人類の未来のためだと言っても、自分で作り出した竜人の少女にグリフィスが向けている感情と視線をエストは心のどこかで許容できずにいた。

「で、俺にこいつの面倒を見ろ……と?」

 しかし、一瞬自身の中に芽生えたグリフィスへの嫌悪も、「自分も同じだ」という考えで振り払う。

 例え今はそうでなくとも、いつかはそうなる。――グリフィスと共に新たな時代を切り開くと決心した時に人倫と道徳を踏み躙る覚悟は出来ていた

「ええ。間もなく実用に足る竜人が何人かできそうなのでね。既にある程度成長しているこの子を母親代わりに、刷り込み(インプリンティング)をして、その動きを統制しようと考えています。そして君にはこの子の支配者になってもらいましょう」

 エストの言葉に応えたグリフィスが、室内の少女を見る


 この時、「一号」と呼ばれる竜人の少女と、能力が基準に満たず、実験体となった竜人の失敗作の研究によって、グリフィスは本格的に計画に使うための竜人の製造に入っている。

 グリフィスは、その竜人達を統率するために、一号を頂点としたコロニーを形成し、そしてその一号をエストが支配する事で竜人達の行動を掌握する事を考えているのだ

 もちろん、そんな手間をかけずとも洗脳して操る事も出来るが、この計画では、グリフィスやエストと竜人達の関係を疑われない事が何よりも重要視される。

 聡明な貴族達の目を逃れるためにも、可能な限り自然に、敵として竜人を配置するために、グリフィスは洗脳ではなく、幼少期からのインプリンティングを選択したのだと分かるが、エストはその役目を自分が負う事に、釈然としない様子を見せる


「自分でやればいいだろ?」

「私、そういうの向いていないんですよ。お願いしますね、エスト君」

 明らかに面倒くさがっているのが分かったが、これ以上の争いをしても不毛である事を十二分に承知しているエストは、渋々妥協する

「……分かった」

「そう言ってくれると思っていました」

 わざとらしく言ったグリフィスの傍らからゆっくりと歩き出したエストは、自分達を伺っている一号へとゆっくりと歩み寄り、そっと手を差し伸べる

「…………」

 左右非対称色の瞳で、エストとエストが差し出した手を交互に見て、怪訝そうに首を傾げる一号に、エストは、静かに、簡潔に、はっきりと声を懸ける

「いくぞ、ついてこい」

 その言葉に一瞬目を瞠った一号は、おっかなびっくりと言った様子で、エストが差し出した手に、まだ小さな自分の手を重ねる

「……はい」

「いいか? 今日からお前の名前は『リィン』だ」

「……リィン?」

「ああ、そうだ」

 エストの言葉に、一号――リィンは、与えられた自分の名前を小さな声で復唱する

「名前を付けるのですか? 情が移って殺せなくなりますよ?」

 背後から向けられたグリフィスの言葉に、エストは背を向けたまま抑揚のない口調で応じる

「見くびるな。それに、固有名称があった方が、計画の時に便利だ……そうだろう?」

「まあ、それはそうですが……計画の前に適当に与えるつもりでしたし」

 固有名称があるだけで、敵対した相手に確固たる意志を持つ存在としてる竜人を認識させやすくなる。という意図を以って発せられたエストの言葉を正確に受け取ったグリフィスが目を伏せる

「なら問題ないだろう? いざという時にボロがでないように、早い方がいいに決まっている」

「……分かりました。くれぐれも情に流されないようにしてくださいね」

 エストの言葉に、しばらく黙考した後にグリフィスは許諾の意志をみせる

 グリフィスとしては、一号(リィン)が計画に際して竜人の統率役として十分な働きをしてくれれば問題はない。名前を付ける事でエストがリィンへの情にほだされて計画が破たんに追い込まれるような事態に陥る可能性を危惧しているだけで、実際二人がどんな関係になろうと興味がないというのが本音だ

「ああ、心配するな」

 グリフィスに簡潔に応じたエストは、自分の手に重ねられたリィンの細い手をそっと握りしめる。

 エストがこの竜人の少女に向けるのは、同情と懐古の感情に過ぎない。――孤独を知りながら、自らの生を死と同義と捉えているその存在に、捨ててきたはずのルカ()の姿が重なって見える。

「リィン。お前には世界を見せてやる」

「……せ、かい」

 才能と力という残酷な壁によって平等に保たれたこの世界を見せてやる。そして、敗者と持たざる者の絶望を――。

 そんなエストの考えなど、禁忌を犯して生みだされ、鎖された世界の中で生きてきた竜人の少女には分かるはずもなかった。それでも、少女は自分の手を惹いてくれる目の前の青年に、考える事すらしなかった未知の世界を幻視し、重ね合わせていた

「そうだ。俺と一緒に来い」

「……はい」

 それは歪な関係。利用する者がほんの少し傾けた同情の域を出ない感情と、怨嗟の感情。そして利用される者が重ね合わせた、自分が知らなかった世界への光――



 そう、この日からリィンの世界は変わった。

 自分が知らなかった事を教えてくれた。感情を、情報ではない記憶――思い出を与えてくれたその人は、少女にとって、かけがえのない人生の光そのもの。



 ――そう。あなたが初めて私の手を引いてくれた人。そして世界へ連れ出してくれたあなたは、紛れもなく、私の世界の全て――




「エス、ト様……」

 地面に落ち、血の海の中から霞む目でエストを見つめるリィンの左右非対称色の目から、一筋の涙が流れる

「……大貴様」

 静かに声を向けてきたロンディーネに、大貴は軽く首を横に振って見せる

「よろしいのですか……?」

「今だけは、見逃してやってくれ」

 大貴の声に背後から視線を逸らしたロンディーネは、目を伏せて恭しく一礼する

「……御意」

「んっ……」

 その言葉を合図にしたように、地面に横たわっていたルカの瞼が、微かに震える。

 ロンディーネによって治療されたルカは、意識の闇の中から覚醒してうっすらを目を開き、その視界に映る大貴と詩織、ロンディーネを見る

「あ、気がついた?」

「詩織、さん……大貴君? お兄ちゃんは……!?」

 まどろみの中から抜け出せず、まだ靄がかかったままの思考で唯一考えられる兄の事をおぼろげな口調で訊ねるルカに、大貴は視線で背後を指示して見せる

「……っ」

 その視線を追って大貴の背後に視線を向けたルカは、そこにあった光景を見て小さく目を瞠る

 その目からこぼれ落ちる涙は、兄へ向けられたものか、大貴へ向けられたものか、あるいは自分に向けられたものか――大貴には分からないが、それでもルカは涙を流しながら目を細めて、震える声を大貴に向ける

「ありがとう、約束守ってくれたんだね……」

 ルカの視線の先では、満身創痍の身体を引きずって気を失っているエストに近寄ったリィンが、自身の手とエストのそれを重ね、眠るように意識を失っていた。


 野望と夢を挫かれたにも関わらず、二人の表情が何故か安堵したような笑みを浮かべていたのは、それを見た者の幻だったのか、二人の本心だったのか、それはきっと本人達にも分からないだろう――。





 その頃、無残に崩れ落ちた会場の地下にある通路を、血の跡を滴らせる金髪の青年がよろめきながら歩いていた。

「ごほっ……」

 吐血したグリフィスが、肩口に深く刻まれた傷を押さえながら壁に身体を委ねるようにして倒れ込む

「はぁ、はぁ……」

 壁にもたれかかって苦痛と消耗から粗い呼吸を繰り返すグリフィスの脳裏に、依頼人(・・・)の言葉が甦ってくる


《――魔装人(マギアレイス)!? 素晴らしい! こんな技術は禁書庫の中にすらなかった!!》


 初めて魔装人(マギアレイス)を見せた時に、あの人が言った言葉。その人が禁書庫の中から持ちだした技術によって、竜人の製造法などの技術を得ていたグリフィスは、禁書庫の中身を知らなかった。

 だからこそ、魔装人(マギアレイス)霊素物質化(クロアマテリア)という封じられた技術である事も知らなかった。

「……まったく、私はいい道化だったという訳ですか……」

 壁にもたれかかり、軽く天を仰いだグリフィスの目は、自分の愚かさに対する自嘲と裏切られた事実に対する絶望で微かに揺らいでいる


 人間など信じていないつもりでいた。グリフィスにとって、他人は利用するために存在するもの。その人に、協力したのも、禁書庫の技術を得られるからという理由に過ぎなかったはずだ。

 しかし蓋を開けてみれば、利用しているつもりでいたその人物を何時の間にか信用し、逆に利用されていたのだから、滑稽な話だ。

「クク……」

 思わず自嘲の笑みを浮かべたグリフィスの目の前に、蛍光色の光の塊が出現する

「マスター」

「……ネイド、ですか」

 姿を見せたネイドを見て、グリフィスの口から安堵の息が漏れる


 存在そのものが情報体である魔法生命た(サード・アストラル)は、核となる本体を破壊されない限り死ぬ事はない

 ネイドの本体は、グリフィスの研究所のメインコンピューターの中にあるため、今ここにいるネイドを殺す事など、いくら六帝将(ケーニッヒ)といえど、できはしないのだ


「生きていらしたのですね、マスター」

「えぇ、私の悲願を達成するまでは、死ねませんからね」

 ネイドの言葉に、グリフィスは小さく口元に笑みを浮かべて応じる。

 平静をよそって見せるグリフィスの心中では、自分を裏切ったあの人物と、悪意(セウ)への敵意と、こうなって尚衰える事を知らない高みへの渇望が渦巻いていた。

「念のために確認しに来てよかった。天宗檀も止めを刺し損ねるなんてがっかり――いえ、この場合、あなたのゴキブリ並みのしぶとさを褒めるべきなのかな?」

「……何を言って……?」

 しかし、静かに燃える炎のようなグリフィスの戦意は、まるで冷水のように冷ややかなネイドの言葉によって、一瞬でかき消される


 ネイドの言葉が分からない訳ではない。しかし、それを信じられずに、グリフィスは、彼女の創造主であるはずの自分へと向けられる、目の前の少女のあどけない侮蔑の感情が込められた冷酷な視線を受け止めていた


 そんなグリフィスの様子など、お構いなしと言った様子で、ネイドはやれやれとばかりに肩を竦めて自分の主であるはずの人物を睥睨する

「分かっているはずですよ? 魔法生命体(私達)には意志がある。だから、創造主(あなた)を裏切る事もあるって。……私は、あなたみたいなお馬鹿さんよりも、あの方についたんですよぉ?」

「……!」

 ネイドの口から語られる決定的な裏切りの言葉。


 そして同時にそれが当然だ(・・・・・・)と理解する。あの人物が、禁書庫から封じられた技術情報を盗み出すにあたって、グリフィスはその膨大な量に上る技術情報を魔法生命体(サード・アストラル)であるネイドに回収させていた

 もしネイドが自分を裏切っていなければ、あの人物がグリフィスを出し抜いて魔装人(マギアレイス)が実在し、かつ欠陥だらけの技術であると教えていたはずなのだから。


「いやぁ、実際大変だったんだよ? 欠陥品の霊素物質化(クロアマテリア)を『新世界への希望だ』、なんて得意気に言うあなたを見て笑いを堪えるのって。ププッ」

 腹と口に手を当てて、ネイドは嘲笑を堪える

「……っ!!」

 その嘲笑を聞きながら歯を食いしばっているグリフィスに、瞬時に表情を切り替えたネイドが冷酷な視線を向ける

「あの方がなぜ、計画を前倒しにされたか分かります?」

 その言葉に目を細めたグリフィスの答えを聞かず、ネイドは両手を広げて踊るようにその場で回転しながら言葉を続ける

「そう、その通り!! 用済みのあなたとエスト、竜人とロジオ達をみ~んなまとめて処分するため。――分かるかな? この計画の本当の目的は、あなた達の抹殺にあったってわけ」

 くるくると踊るように回転しながら言ったネイドは、明るい声音とは対照的な冷徹な視線を壁に寄り掛かっているグリフィスに向ける



(……最初に計画を早められた時は、計画を台無しにするつもりなのか、と内心で憤りを隠せませんでしたが、あの人の目的が、計画の失敗にあったのだとすれば、当然の事ですね)

 ネイドの言葉を聞くグリフィスは、砕けんばかりに歯を食いしばりながら、屈辱に怒り震える感情とは対照的に冷静な思考でその言葉を分析していた

「それで、今の気分はどう? 竜人を生贄に新時代を切り開く計画そのものが、実はあなた達を殺すための計画だったってどんな気持ち?」

「……っ」

 回転を止め、腰の後ろで両手を組みながら、わざとらしい口調で覗き込んでくるネイドの態度に、グリフィスは自身が作り出した存在でありながらも、明確な殺意を覚える

 身体さえ動けば、今にも掴みかからんばかりに視線を険しいものにしているグリフィスに、嗤いかけたネイドは、くるくると回りながら壁に寄り掛かる主から離れていく

「んふふ……もちろん、予定ではこんな早く殺す予定じゃなかったんだけどね? ちょっと事情が変わって、もう要らなくなったんだぁ。――だから、急遽こんな形で計画を前倒しにしたの」

「……っ」

 目を閉じながら回転するネイドは、そこまで言うと動きを止めて首を傾げるようにしてグリフィスへ冷蔑の視線を向ける

「理解した? あなたは、あの方に身体を用意した(・・・・・・・)時点で用済みなんだよ?」

「――っ!!」

 その言葉に目を見開いたグリフィスへ、ゆっくりと歩み寄っていくネイドは、まるで子守唄を聞かせるような穏やかな口調で、致命傷を負って壁に寄り掛かっている自身の創造主へと言葉を向ける

「本当は竜騎壱式(アウスロット)も貰っていく予定だったんだけど、六帝将(あの化け物共)が出てきたのはさすがに計算外だったから……まあ、仕方がないよね?」

 そう言ってグリフィスの少し前で足を止めたネイドが手を伸ばすと、その背後の空間が揺らめいてそこから仮想の刃を持った巨大な処刑剣がせり出してくる

「――別に、今のあなたを殺すくらい、簡単だし」

 無機質な言葉を紡いだネイドは、仮想の刃を持つ剣の切っ先を壁に寄り掛かるグリフィスへと向ける

「――っ!!」

「バイバイ、マスター……いえ、教授(プロフェッサー)

 その冷酷な宣告と共に軽く手を振り下ろしたネイドの動きに合わせて、宙に浮かんでいた刃がグリフィスに向かって飛来し、その身体の中心を容赦なく貫いて真っ赤な血を噴き出させる

「がっ……!」

「あの世っていうのがあるなら、そこでしっかり見ててよ。――私達の王位簒奪を」

 力なく床に落ちた元主――グリフィスが事切れたのを見届けたネイドは、言葉が通じる筈もない亡骸へと言葉を向けると、その姿を幻のように消失させた。





 暗黒が蠢く。――まるで這いつくばるように、這い寄るように、形の無い不定形な闇に似たドス黒い何かが沈殿しているその場所に、一人の少女が立っていた。

 ツギハギだらけのぬいぐるみを抱えている大きな帽子と足元まで届く二つに結った髪が印象的なあどけない少女は、その童顔に無邪気な悪意に満ちた笑みを浮かべる

「あ~あ。グリフィス君死んじゃったかぁ~。まあ、丁度飽きてきてたし、いいんだけどね」

 あくまでもその表情は無邪気なまま、しかしその顔や声音とは対照的な残虐な笑みは、まるで子供が虫の手足をもいで楽しんでいるかのような、純粋な悪意に満ちている

 その少女――悪意を振り撒くものマリシウス・スキャッターの一人、「セウ・イーク」にとって、グリフィスの信念も世界の正義も取るに足らない事。単にその快楽を満たすため、あるいはその存在意義を成すために、セウ自身は生きているのだから

「あぁ、そういえば、エストとリィンは死んでないんだっけ。……別に彼に肩を貸すいわれはないけど、面白くなりそうだから、ちょっと手を貸しておいて上げようかな」

 セウが小さく微笑んだ瞬間、その足元に溜まっていたコールタールのような暗黒が噴き上がり、形を成す。

 まるで人の影がそのまま立ちあがったような姿をしたそれは、その身体をゆらゆらと揺らしながら、その目だけを爛々と光らせている。

「――さぁ、第二幕の始まりだよ」





 王都の遥か彼方――もはや肉眼では視認できない程の距離に浮かんでいる空飛ぶ舟の上から、超長距離用の望遠レンズで純白のシスター服に似た衣装を纏った女性が、この事件の成り行きを見守っていた

「どうやら、騒動は問題なく鎮圧された模様です」

 女性がいるのは、天空に浮かぶ舟。城を基調としたその舟は決して大きなものではなく、精々五人程度が暮らせるほどの大きさしかない。

 現に、その舟に乗っているのは、望遠鏡を持った女性を含めて五人しかいない。

 望遠レンズから目を離した女性の言葉に、その後方に設置されたソファに悠然と座している男性が小さく口元を綻ばせる

「当然だ。地方の都市ならまだしも、王都をあの程度の戦力で脅かせるものか……しかも、今は六帝将(ケーニッヒ)が揃っているんだからな」

 腰まで届く流れるような金色の髪。理性と野性を共生させたような整った顔立ちの男の身体には、額、首元などに宝石のような石が埋め込まれている。

 司教服にも見える純白のコートを纏った男は、そういって目を伏せると机の上に置かれていたワイングラスを取って、その中身をのどに流し込む

 天空に浮かぶ舞戦祭(カーニバル)会場が漆黒の結界に覆われ、人工竜と襲撃者の軍隊が出現した中にあっても、人間界軍の勝利を確信して、余裕の表情で傍観に徹していた男に、望遠レンズを見ていた女性とはまた違う女性が言葉を向ける

「この騒動で、拝謁が伸びるような事はないでしょうか? ――『レイヴァー・ブレイゼル』様」

 女性の声を受けた金髪の男――人間界七大貴族「レイヴァー」の長、「レイヴァー・ブレイゼル」は、その言葉を鼻で笑い飛ばして不敵に微笑み返す

「そんな事するはずはないだろう? それよりも、一刻も早く我々人間の神に拝謁賜りたいものだ」

 そう言ったレイヴァー・ブレイゼルは、人間の神――光魔神との拝謁に胸を高鳴らせ、その言葉に応じるように、今まで天に浮かんだ状態で停止していた舟が王都(アルテア)に向かって空を切り裂いた





 天空に浮かんでいた敵軍の戦艦と人工竜が全て破壊され、神聖な舞戦祭(カーニバル)会場を漆黒の月へと変えていた妨害結界が砕け散った茜色の天空を人間界軍の戦艦と、飛空戦を行った騎士達だけが埋め尽くす

「――全敵軍、沈黙いたしました」

 軍からの連絡を受けたミネルヴァの言葉に、執務室内で事件の対応をしていた人間界次期王、ヒナ・アルテア・ハーヴィンとその妹、シェリッヒ・ハーヴィンが小さく胸を撫で下ろす

「――終わりましたね」

 窓の外に視線を向け、天空を飛行する軍艦の群れを一瞥したシェリッヒ――リッヒの言葉に、ヒナは小さく首を横に振って応じる

「いえ、まだ終わっていませんよ。むしろ、我々の仕事はここからが本番です」

「……はい」

 ヒナの言葉に、その言わんとしている事を察して、リッヒが恭しく一礼する

 しかし、その様子を見たヒナは表情を柔らかなものへと変えてリッヒに微笑みかけると、窓の外に浮かんでいる戦艦と舞戦祭(カーニバル)会場へ視線を向ける

「ですが、今日は軍の皆と、戦ってくれた選手達、そして生きる事を諦めなかった民衆――何よりも、あのお方の労を労って差し上げなければなりません」

「……そうですね」

 その目が舞戦祭(カーニバル)会場にいるであろう、その人(・・・)に向けられているのを見て、リッヒは表情を綻ばせる


 王族としてこの事態を見守っていたヒナも、本心では一刻も早く光魔神――大貴の身を案じ、叶う事なら元へと駆けつけたい一心だったはずだ。

 それを懸命に押さえつけ、その心労から解放されたヒナの胸中にあるのは、大貴の無事を確認し、その労を労う事なのだろう。


 世界と民を思い、守り抜こうとする王族としての責務に満ちた姿の中にたった一人の人を案じて想う、ただの女の姿が共生しているヒナの姿をリッヒが優しい目でみつめる

「キュ、キュウウウウッ!!」

 その言葉に応じるように、いつのまにか応接室に入り込んでいた子犬ほどの白竜――至宝竜・ザイアローグが歓喜の声を上げる

「ザイアも早く、大貴さんに会いたいですか?」

「キュウッ!」

 嬉しそうに空を飛びまわるザイアに優しく微笑みかけたヒナは、自分に向けられている妹の意味深な視線に気づいて思わず頬を赤らめる

「な、なんですか?」

「いえ、何でもありませんよ、お姉様」

 何を言おうとしているのか分かっているにも関わらず、あえて確認するように訊ねてきた姉に、リッヒは意味深な笑みと視線を返す

「…………」

「あ、そうだお姉様」

 下手な言葉を言えば墓穴を掘る事が分かっているため、わずかに頬を朱に染めながら無言を貫くヒナの姿に嗜虐心を刺激されたリッヒは、沈黙を破って意地の悪い笑みを向ける

「……今夜は光魔神様を癒して差し上げるために、寝所をご一緒されてはいかがですか?」

「なっ、何を突然……」

 その言葉に、ヒナの顔が瞬時に真っ赤に茹で上がる

 普段ならこんな言葉も軽く聞き流せる姉も、そこに光魔神(大貴)の存在を絡めると、途端に反応が初心なものになる。

 そんな反応が面白く、またそれと同じかそれ以上に、姉と大貴の関係がうまくいく事を願っているリッヒは、とりあえずからかうのはここまでとばかりに、口調を重いものに変える

「……この事件が、これで終わりだといいのですが」

「そうですね……」

 ふと呟いたリッヒの言葉に、ヒナが重々しい口調で応じる。

 楽観的な希望的観測を含んだ言葉の内容とは裏腹に、固い声音がその言葉の内容が裏切られるであろう事を予言している。――そう、ヒナとリッヒはこれが終わりではなく、始まりなのだと知っていた




 その頃、崩壊した舞戦祭(カーニバル)会場の一角では、ロンディーネによって拘束されているエストとリィンを一瞥したルカが、膝を抱え込むようにして座ったまま大貴に言葉を向ける

「お兄ちゃんは、夢になりたかったんだと思うの」

「……夢?」

「叶えられなかった夢。ほとんどの人間が諦めちゃうような、そんな夢……」

 ルカからエストとルカの関係と事情を一通り聞いた大貴と詩織は、その言葉の意味を漠然とだが理解していた。


 人間の力など必要としなくなった人間界で、ほとんどの人間がその力の前に挫折していく中、そうではない生き方を求めた。エストが禁忌を犯してでも成そうとしたのは、人間が諦めてしまう限界と才能と言う壁を取り去るという、暴挙にも等しい行為だった


「私には、少し分かるかな……」

 少し物悲しい声で、詩織が呟く


 ルカの話を聞いた詩織は、エストと自分が「似ている」と感じていた。

 エストは半霊命(ネクスト)である人間に限界を感じ、全霊命(ファースト)と同等の存在になるために足掻き苦しみ、そして自分は、神魔という全霊命(ファースト)に恋をし、しかし結ばれない運命に苦しみ続けている。

 才能と愛。それぞれ形は違えど、今の自分には手に入らないものを求めている。――少なくとも、禁忌を踏み越えれば、神魔(愛する人)と愛し合えると言われた時に、それを拒否しきる自信は詩織にはなかった。


「お兄ちゃんがした事は許される事じゃない。だから多分……うぅん、きっとお兄ちゃんとは、もうすぐ会えなくなる」

 抱えた膝に頭を埋めるようにして、ルカが嘆く


 人間界のあらゆる禁忌を犯し、ここまでの事態を引き起こした主犯格であるエストにはおそらく極刑が下される事になる。

 だからこそ、ルカはやっと会えた兄とはもうほとんど会えなくなり、そしてもうすぐ永遠に会えなくなる事を理解し、まだ見ぬ孤独を想像し、これまでの生き甲斐を全て失って、心にぽっかりと穴が空いてしまったかのような感情を覚えていた


「ねぇ、これから大貴君はどうするの?」

 唇を引き結び、ルカは意を決して大貴に視線を向ける

 その目は孤独に怯え、繋がりを失う事に恐怖し、これまでとは違う生きる意味を見い出すためにルカ自身も気づかない内に。まるで縋るように大貴を求めていた。


 ルカと大貴は今回のタッグバトルのためだけの暫定パートナー。舞戦祭(カーニバル)が終わった今となっては、もうその繋がりはない。

 ルカは目的を達成し、目標を失った。これからどうなるかは分からないが、大貴とは離れ離れになる事になることだけは間違いない

 だからこそ、ルカは今大貴に確かめておかなければならなかった。……自分と、大貴の想いを


「どうするって……?」

「だから……だから、その……」

 しかし、そんなルカの心情を理解しきっていない大貴は、怪訝そうに首を傾げる

 そんな問いに応えられずに、顔を赤らめながら言い澱むルカに、大貴は一瞬の沈黙の後に、優しく声を向ける

「俺は用事があるから、しばらく城にいるよ……待ってる奴がいるんだ」

 大貴が人間界に来た最大の目的は、九世界非干渉世界への干渉で魔界に囚われ、極刑に処される事になった神魔と桜の罪を、人間界の力で減刑してもらうためだ


 現段階で神魔と桜が極刑に処される確率は半々。仮に極刑を免れても長い労働奉仕になるらしいので、もう会えないだろう。

 しかし大貴は、もし神魔達が極刑を免れたら、せめて別れのあいさつをさせてもらおうと考えている。――そのためにも、その結末が分かるまでは人間界城に留まり続けるつもりでいた


「しばらくって、いつまで? ……その後は?」

 思わず声を震わせたルカに、大貴は目を閉じる

「……さぁな」

 その言葉は、大貴の本心だった。


 神魔と桜が極刑になるかならないかを見届け、最期の挨拶を交わせたなら、その後にどうするなどとは考えていなかった。

 地球に戻る事も考えてはいるが、光魔神となった大貴の身体は老化とは無縁になり、地球で暮らすには目立ちすぎる。――いつだったか、神魔やクロスに言われたように、いつまでも地球にいられなくなった自分がどうするかという考えも、大貴の中で漠然と浮かんでいた


「もう、会えないの……?」

 今にも泣き出しそうな声でルカが言う

 その大きな瞳一杯に涙を湛えているルカを見て、大貴は一瞬動揺する。しかし考えてみれば、ルカはようやく再開できた兄――エストとは別れなければならず、一時とはいえパートナーを組んで戦った自分ともこれで別れなければならない。

 そういった事情が重なったルカが、そんな表情を浮かべるのも当然だと思い直した大貴は、できるだけ優しく声をかける

「そんな事ない。いつでもって訳にはいかないだろうけど、いつだって会えるさ。俺達は一緒に舞戦祭(カーニバル)で戦ったパートナーだろ?」

 大貴のその言葉に、目を見開いたルカの表情が見る見るうちに明るいものに変わっていく

「……うん。そうだよね。私達はパートナーだよね」

 大輪の花を思わせる満面の笑みを浮かべたルカの目から、涙の欠片が朝露のようにこぼれ落ちる

「大貴君、お城にいるんだよね?」

「ああ」

「婚約者の人も一緒に?」

「……ああ」

 ルカの言葉に一瞬言葉を詰まらせた大貴だが、すぐに頷く

 そんな大貴の様子に、一瞬表情を曇らせたルカだが、唇を強く引き結び、数度深呼吸を繰り返して自信を落ち着けると、意を決して自分の想いをぶつける

「そっか……大貴君は、私のことどう思う?」

「どうって?」

 質問の意味を掴みあぐねているらしい大貴に、ルカは懸命に言葉を振り絞る

「好き? 嫌い?」

「……!」

 その質問に大貴はもちろん、詩織とロンディーネも小さく身体を反応させる

 言葉足らずだが、紛れもなく告白に準じる問いかけ。これまで、長くて短いような舞戦祭(カーニバル)を共に戦い抜いていく中で、大貴へ向ける感情が特別なものへと変化していたのは、本人が一番気付いている

 しかしそれが、どんな想いなのか、ルカ自身にも分からない。感覚共化(シェアリンク)した時に、今まで感じた事のない感覚を覚えたために気にかかっているのか、今まで見た事もない様な才能と力を持ち、無限とも思える可能性を秘めた大貴に憧れているのか――ルカは、その問いかけに大貴だけでなく自分の気持ちへの問いかけも含めていた

「好きだよ。友達だからな」

「……!」

 一瞬の黙考の後、大貴はいつものように答える

「……馬鹿、そういう意味じゃないでしょ」

 その答えを聞いて、詩織は場に水を差さないように小さな声で頭を抱える


 確かに大貴は「好きだ」と答えた。しかしそれは、ルカが求めた「好き」ではない。

 広い意味では同じかもしれないが、二人の間には決定的な齟齬が生じている事を、大貴以外の全員が理解していた


「……そっか」

 その言葉に、ルカは感情を吐き出すような吐息と共に悲しげな笑みを浮かべる


 大貴の中で自分は「好きな人」……決して自分が欲していた答えではない大貴の言葉は、それでも本当に自分が欲していたものだったのかもしれない――ルカの中に不思議とそんな感情が芽生える

 今の悲しみに沈み、未来への不安から逃れるために、大貴に縋ろうとしていた自分を戒めてくれているような、そんな言葉。

 ――お前の事は好きだ。でも、今のお前はそれ以上にはなれない。お前が望む関係になりたいなら、自分と肩を並べる存在になってからだ。……そんな戒めにも似た幻聴がルカの耳朶を叩く


(そっか、今の私には、まだあなたの特別になる権利はないよね……)

 決して大貴はそんな事を思っていない。それは確信を持って言える。

 大貴はそんな風に突き離せる人でも、異性の感情の機微に敏感な人でもない。そんな事は分かっているが、それでもルカには、大貴が自分の進むべき道を指し示してくれたように思えていた


(あなたの特別になるには、あなたの強さに頼っているようじゃ駄目。私が自分の力と意志で自分の道を選んで歩けるようになって、あなたと肩を並べても恥じない人間にならないと。

 そんな私になれたら――ううん、そんな私になってみせる。だから、その時にまたもう一度あなたの答えを聞きたい……)

 まるで憑き物が落ちたような明るい表情で、もう一度微笑んで目を伏せたルカは、これまでの泣き崩れそうなものとは違う――強い意志を宿して瞳で大貴をまっすぐに見つめる

「ねぇ、今すぐは無理だけど、いつか会いに行ってもいい?」

「ああ」

 何故かいきなり元気を取り戻したように見えるルカに、内心で驚きと疑問を覚えながらも、大貴はその言葉に頷く

「じゃあ、約束」

 大貴の言葉に満面の笑みを浮かべたルカは、小指を立てた腕をそっと大貴に差し伸べる

 それに一瞬戸惑った様子を浮かべた大貴だが、恐る恐るといった様子で自分の小指をルカの小指に絡ませる

「約束だよ。今度会うときには、また同じ質問をして、違う好きを言わせられるような私になってるから」

「……?」

 その言葉の意味が分からず、難しい顔をして首を傾げる大貴を見て、ルカは思わず「ぷっ」と吹きだしてそっと大貴の胸に飛び込む

「……だよね」

 指を絡めたままで動きを封じ、一瞬で大貴に肉迫したルカは、その勢いのままに自分の唇を大貴の頬にそっと触れさせる

「っ!!」

「なっ!?」

「……あら」

 さすがに目を見開いて言葉を失っている大貴と悪戯を成功させた子供のような無邪気な笑みを浮かべるルカを見比べて、詩織とロンディーネが目を丸くする

「っ、ルカ、お前……」

「えへへ……これは私を助けてくれた事への感謝の気持ち。……ありがとう大貴君。覚悟しててね、絶対に会いに行くから」

 頬をほんのりと朱に染め、軽く舌を出して感謝の言葉を述べたルカは、大貴に背を向けるようにして再会の約束を述べる

「……絶対に、会いに行くから」

 そう呟いたルカの頬に伝う一筋の涙が、夕日に照らされて宝石のように輝いていた。





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