カーニバル・フィナーレ
天空に浮かぶ漆黒の月の真上――そこに障壁の足場を浮かべ、その上に胡坐をかいて座す山伏風の男がいた
まるで僧侶が座禅を組んでいるかのように不動の姿勢で座している男の頭部には小さいがはっきりとその存在を主張する日本の角。そして身体の一部には甲殻と鱗の機能を併せ持つ竜鱗が浮かび上がっており、それがその男が竜と人の間に生まれた亜人――竜人である事を如実に物語っている
「お前が、結界を張っている奴だな」
質問する形をとってはいるが、ほぼ確認に近いその言葉に、山伏のような衣装に身を包んでいた竜人は閉ざしていた目をゆっくりと開く
瞼の裏に隠されていた爛々と光を放つ竜の目に、自身の視線の先およそ十数メートルといった位置に立つ男の姿が目に入る
雪のように白い髪、長いコートを纏ったその人物は、両刃の大剣を手に一人静かに、山伏のような衣装に身を包んだ竜人の男に視線を向けていた
「ガイハルト・ハーヴィンか……ディージョイはどうした?」
目の前の男――人間界軍、大元帥「ガイハルト・ハーヴィン」の声に顔を上げた竜人の男は、足止めに向かった陽気な性格の同胞が姿を見せない事に目を細める
「俺がここにいる。それで答えにはならないか?」
「そうか……」
ガイハルトの言葉に、「やはりな」という感情を滲ませながら息をついた竜人は、足場にしていた障壁から動く事無く、目の前に歩み寄って来た人間界軍最強の騎士に視線を送る
竜人の男は動けないのではない。直径百キロメートルに及ぶ巨大な人工惑星を近く妨害の結界で包み込んでいる男には、戦闘に回すだけの余力がないのだ。
ディージョイも、元々は結界を張る役目を担う男の護衛として結界の外にいた竜人。その護衛を失った今、ガイハルトに抗う術は存在しなかった
「しかし敵とはいえ、これだけの結界を構築できる技術は称賛に値する。――名を訊こう、竜人の男」
「……メルセデス」
障壁の上に座したまま無言で名乗った山伏風の竜人――メルセデスは、必要以上に多くを語らず、命乞いも、時間稼ぎすらもする様子を見せず、ただ沈黙を守ったままガイハルトを見つめている
「覚悟はいいな?」
「…………」
ガイハルトの言葉へのメルセデスの答えは沈黙。
しかしその沈黙を肯定と受け取り、ガイハルトは手にしていた剣に自身の気を宿らせるとせめてもの慈悲にと、一瞬で命を奪うために刃を振り上げた
しかしその瞬間、メルセデスが展開する巨大な漆黒の月が一瞬にして内側から切り裂かれ、その中から黒と白、闇と光の色と属性を宿した力が外へと突き抜ける
「なっ!?」
この戦場を蹂躙しても尚あまりあるほどの強大な力――界能でありながら、もはや界能の限界を超えた力を前に、ガイハルトとメルセデスは驚愕に目を見開く。
「何だ、この力は!?」
「これは……なるほど、そういう事か」
あまりにも次元の違う力を前に恐怖と戦慄に顔を歪めるメルセデスとは対照的に、この力を知っているガイハルトは、すぐさまこの力が誰のものなのかを理解する
漆黒の月が黒白の刃によって貫かれた光景を見ていたリッヒは、信じ難いものを見たという驚愕と、その力の持ち主の健在に胸を撫で下ろす
「お姉様!」
「……ええ、あの力は太極気ですね」
リッヒの声に、それ以上の安堵に目を細めるヒナが静かな口調で応じる
「まさか、お姉様の言っていた通りなるなんて……」
驚きと興奮を隠せない様子で言うリッヒは、その記憶を今日の昼食時――ヒナが大貴に通信をして会話をした時に遡らせる
※
大貴に通信をしたヒナは、アドバイスと称して舞戦祭が襲われた際の切り札となる力の可能性を提示していた。
《大貴さんは光魔神様ですから、人間になってもその力の本質には光魔神様の力が宿っていると思います。もしかしたら、今のまま力の精度を高めていけば、その力を呼び起こす事が出来るやもしれません》
《そんな事できるのか?》
《できます。現に私達は、神格化された界能を知っています。そしてその力は、光魔神様の加護によって生み出されるのです》
怪訝そうに訊ねた大貴に、ヒナは断言するように言い放った。
しかし、通信を終了した後にそれについて訊ねたリッヒに、ヒナは「確証はなく、思いつきに近い可能性」の話だと言いきっていた。
ヒナが大貴に言った神格化された気が、光魔神が人間に遺した半霊命が使いうる最強の力十二至宝、そしてその中枢である至宝冠の権能、太極気の事を言っているのは当然リッヒにも理解できた。
ヒナが大貴にその話をしたのはあくまでも保険であり、「もしかしたら」という希望的観測と、可能性に賭けた机上の空論であるというのがリッヒの考えだった。
※
だが、先ほど漆黒の月を貫いたのは間違いなく神格化された光と闇の気の力を同時に行使する、至宝冠の権能、「太極気」。光魔神の神能――太極の力に酷似したそれは間違いなく、神性を付与され、その上の領域に半分踏み込んだ界能だった。
「私も確証があった訳ではなかったのですがね……」
「……嬉しそうですね」
この力を使える者がいるとすれば、それは光魔神――大貴をおいて他にはない。それを見て無事を確認して胸を撫で下ろしていたヒナは、リッヒの言葉に表情を固くして軽く首を横に振る
「嬉しくはありませんよ。敵味方を問わず、この戦いで少なくない人が傷つき、命を落としたでしょう。そしてそのご家族は大切な身内を失った悲しみに暮れる事になります……ですから嬉しくはありません」
この戦いが双方にとってどれほどの犠牲を払ったのか、そしてそれに見合う価値があるものだったのかは今の段階では分からない。
しかし、既に敵にも味方にも決して少なくない犠牲が出ている事を知っているヒナは、自軍の兵士や巻き込まれたであろう民間人、その家族はもちろん、戦場に命を散らせる敵とその家族をも思いやって目を細める
「……そうですね」
味方はもちろん、敵やその身内までも案じ、しかし王族の一人としてその犠牲者を生みだすきっかけになった敵軍に憤りを滲ませている優しくも気高い姉の横顔を見ながら、リッヒは優しく目を細めた
吹き荒れた力の残滓が世界を軋らせる中、その身に纏った鎧の一部を欠損したエストは、地面と空間を真っ二つに切り裂いてつけられた巨大な斬撃を痕を一瞥して目を細める
「……っ、ただの一振りで結界をたたき斬るだと!?」
愕然とした様子でその視線の先、知覚妨害の結界を軽々と切り裂いた斬撃を放った人物――大貴へと視線を向ける
「なるほど、これは想像以上だな……」
その手に携えた黒白の気を纏う金色の槍に視線を落とした大貴は、たった一振りでリィンの屍兵達を軽々と屠って消滅させた槍――十二至宝の一つ至宝槍の力に、感嘆と驚愕覚えながらも、微塵もそれを感じさせない口調で言う
「気をつけないと、加減を間違えたら王都が消し飛ぶな」
「……っ!」
小さく独白した大貴に、エストとリィンは息を呑む
二人はそれが決して大仰な言葉ではない事をよく知っている。
十二至宝は神が人間に授けた神格武装。その能力特性は、科学や魔法、界能のそれよりも、神能に近い。
あまりに強大であるが故に、王族級と呼ばれるほどの力を持たない限りは使う事すらままならない至宝だが、一度その力を起こす事が出来たならそれ一つで世界を相手取って勝利できるほどの力を持っている。
つまり、十二至宝を持つ者がその気になってその力を振るえば、この会場ごと自分達をこの世から抹消する事すら容易なのだ。――もちろん、関係の無い人間をこれでもかと巻き込んでしまうため、大貴にはそんな事をするつもりは微塵もないが。
「まあ、いいさ……すぐに終わる」
まるで語りかけるようにラキスヴァインを見つめていた大貴は、エストとリィンに視線を戻して、その金色の槍の切っ先を向ける
「すぐに終わる……だと、舐めるなよ!!」
その言葉が決して誇張ではない事をエストは知っている。
それでもあえてそれを否定し、力強く、吠えるように言い放って歪んだ力に染まった剣鞭を大貴に向けて放つ。
空を引きちぎるようにして奔るエストの剣鞭を睥睨した大貴が至宝槍を一閃させるとその刃は軽々と切断され、制御を失った刃が地面に転がる
「くっ……!」
「エスト様!」
軽々と武器を破壊され、歯を噛み締めるエストをかばうようにリィンが声を上げる。
エストの武器には、王族に匹敵する歪められた力が宿っていた。その力を造作もなく切り裂いたという事は、至宝槍に宿っている力はこエストが禁忌の果てに手に入れた力を遥かに上回っているという事になる。
その能力を解放したリィンは、新たに召喚したおびただしい数の屍を竜の鬣を束ねた光の線によって使役し、竜に毒された屍兵達に大貴への全方位攻撃を仕掛けさせる
「っ、大貴!」
「……邪魔だ」
詩織が声を上げるのと同時に、大貴は太極気を通わせた至宝槍の刃を地面に突き立てる
まるで吸い込まれるように至宝槍の刃が地面に消えた瞬間、大貴を囲むように地面から無数の槍が出現して、竜に毒された屍達を次々に貫いていく。
「……なっ!?」
さながら槍の処刑台に串刺しにされたかのような光景が作り出され、リィンは思わず息を呑む
大貴が地面に突き立てていた至宝槍の刃を引き抜くと、屍達を貫いた槍が白と黒の力の粒子となって崩壊し、それに巻き込まれるように竜に毒された屍兵達も一瞬にしてその粒子に溶けて消滅する
「すごい……」
「当然です。半霊命が持ちうる最強の力と武器ですよ?今の大貴様は、この世界で最も全霊命に近い存在なのです」
その光景を障壁の中から見ていた詩織が思わずこぼした言葉に、同じように大貴へ視線を送っていたロンディーネが我がことのように胸を張って言う
「……十二至宝は、光魔神様によって作られた『神』の力を宿す至宝。故にその力には、光魔神様自身や、その神能――太極の特性が反映されているのです」
「光魔神の……特性?」
怪訝そうに問い返す詩織に、ロンディーネは小さく首肯して話を続ける
「はい。例えば至宝冠は『神意』――即ち、『神と人の繋がり』の象徴です。光魔神様と、そのお力によって生み出された人間との距離を限りなく縮める事によってえる事が出来る力こそが太極気です。
これは、この世界で唯一、自身のユニットと同じ存在に身をやつす事ができる光魔神様が故の能力とも言えるかもしれません」
大貴の一挙手一投足を見逃すまいとしているのか、一時も視線を詩織に向けずに説明したロンディーネが最後にそう締めくくる
世界を創造した光と闇の神、異端神の中で自身のユニットと同等の存在になる事が出来るのは光魔神だけだ。
神でありながら、神ならざる存在になる事ができる唯一の神である光魔神の特性が結晶化したものこそが、人と神を近づける「神意」の至宝、至宝冠だと言える。
「そして至宝槍は、光魔神様のお力――『光と闇の太極』を司る『神威』の十二至宝です。今の大貴様がこれを手にされれば、まさに無敵と言えるでしょう」
「……!」
もはや大貴の勝利を疑っていないロンディーネの言葉に、詩織は思わず息を呑んだ。
※
「……さあ、終わらせるぞ」
静かに言った大貴の言葉に応じるように、至宝槍から黒白の力が噴き上がる
まるで黒と白の両翼が広がったかと思われるような光景と、そこから発せられる強大な力を前に、エストとリィンが目を細めた
「終わらせませんよ」
リィンの言葉に応じるように、その背後が揺らめいたかと思った次の瞬間、そこから数十を超える巨大な竜がその姿を現す
「……なっ!?」
「何を驚いているのですか? 私の竜の祝福が、人間にしか使えないなどと、いつ言いました? 竜人、そして人工竜を作るために生み出された竜の屍もまた、私の力の礎なのです」
召喚された百に迫るほどの数の竜の屍を前に、動揺に目を見開く大貴に、リィンが澄ました声で言い放つ
リィンの能力竜の祝福は、屍をリィンの細胞の力で侵食して強化するもの。その力の融合を阻む霊の力――存在や魂がないものほどその影響を与える事が出来る。当然、それが屍であれば、人間だろうと竜だろうと、その力で意のままに操る事が出来るようになるのだ。
しかしこの力は、リィンにとってももろ刃の剣。竜の力で汚染する対象が大きいほど、自身の身体にかかる負担は計り知れないものとなる。
「リィン」
「っ、大丈夫ですエスト様……私達の命は今日ここで尽きる運命。――ですから、私の命をエスト様のために使わせて下さい」
力を限界ギリギリまで振り絞って、竜を竜の力で毒してたリィンは、その強大な力を使用した反動で軋むように痛む胸を押さえながらエストに微笑む
「…………」
その左右非対称色の目に、かつてない決意が宿っているのを見てとったエストは、無言でリィンに頷くと眼前に白と黒の力を纏って立つ大貴へと視線を向ける
「これなら……っ!!」
心臓の痛みに歯を食いしばって絶えるリィンは、解放した鬣の力を介して竜の屍を使役する。
あるものはその巨体を活かして突撃し、あるものはその口から全てを破壊する竜の息吹を吐き出す。それはまさに黙示録の光。――見渡す限り一面の大地を、命の欠片すらない世界に変えてしまえる力を持った竜軍の波動が大貴を呑みこむ。
「っ、大貴……!」
強大な破壊と震動を伴って荒れ狂う力の暴風を、障壁の中かから見る詩織は、不安を懸命に噛み殺してその爆発の中心へと視線を向ける
それと同時に、爆発の中心から黒白の力が噴き上がり、白と黒の球体を作り出すと、一瞬にして猛威をふるっていた竜の力をこの世界から消滅させる
「なっ……」
驚愕に目を見開くリィンの視線の先では、黒白の力を纏った金色の槍を携えた大貴が、これまでは着ていなかった白と黒の陣羽織を纏って佇んでいた
「あれ、大貴の服が変わってる……?」
「あれは……」
白と黒の陣羽織を纏って立つ大貴を見て、詩織が軽く目をこすって見間違いではない事を確認し、その傍らでロンディーネが目を細め、エストは鎧の下で恐慌に陥りそうになる自身の自我を懸命に繋ぎとめる
(あの姿……光魔神の時と似てる?)
「あれは、まさか……そんな馬鹿な! 奴は、十二至宝全ての権能を使えるというのか!?」
白と黒の陣羽織を纏って立つ大貴を前に、魔装人の鎧を纏ったエストが恐怖と戦慄にわずかに後ずさる
(あり得ない! ……もしそうなら、奴の実力は十二至宝全てを揃えた人間界王と同等以上だぞ!?)
エストの考えが正しければ、大貴の力は十二至宝全てと同等。つまり、現代では失われた二つ、六帝将に下賜した六つの至宝をも手にした、かつての人間界王と同等の力を持っているという事になる
(もしそうだとしたら、勝てるはずがない! 十二至宝全てを手にした人間界王など、もはや半霊命ではない!!)
もはや伝説に語られるだけとなった、人間界王の最大戦闘形態。十二の至宝を一度に発現させたのと同じ力を持って立つ大貴は、もはや人間であって人間ではない存在だった。
「……クク、ハハハッ」
「……?」
「エスト様……?」
突如、鎧の下で笑い声を上げたエストに、大貴は怪訝そうに目を細め、リィンも困惑した表情を見せる
「いや、悪いな。……あまりにも自分が滑稽でつい、な」
そんな二人の視線に気づいたエストは、鎧に覆われた頭を手で掴むようにして、自虐的な笑いを噛み殺す
「笑えるだろう? 全霊命を超えるために禁忌を踏み躙り、あらゆる命を踏み躙り、竜人を生贄に世界を改変しようとした俺達は、全霊命どころか、ただの人間にすら遠く及ばなかったのだからな」
そう言ってエストは鎧の上からでもわかる憎悪に満ちた視線を大貴に向ける
エストの目的は、多くの人間が存在意義を失い、ただ強者に生かされ、さらなる強者を生むかもしれないためだけに生きているこの世界で、全ての人間に存在意義を取り戻す事。
そのために人間を、科学や世界の法則を超越した本来あるべき、全霊命としての姿を取り戻させる事だった。
そのためにルカも家族も道徳も捨てて禁忌の道に足を踏み入れたにも関わらず、この世界に横たわる越えられない壁を前にして、自分の無力さを否が応でも思い知らされてしまう
(俺は、何のために……)
実際、初めて目にしたこの世界の――半霊命の頂点の力。その圧倒的という言葉ですら表現しきれないその力の前に、エストの心は既に折れていた
「エスト様、お逃げ下さい!」
「リィン!?」
しかしその瞬間、新たに竜の屍を召喚して支配下に置いたリィンが、エストをかばうように大貴との間にその身体を割って入れる
「あんな化け物に勝てるはずありません。生きてさえいれば、悲願を叶える機会は必ずやってきます。ですから、今回は……」
圧倒的な力の差に絶望していたエストに向けてリィンが声を張り上げる。
リィンも越えられな壁を自覚していた。しかしそれでも、リィンにとってはエストの掲げた目標が――否、エストのために生きることこそが、自身の存在理由だった
「……リィン」
しかし、その瞬間リィンが召喚した屍達が一瞬でこの世から消滅し、黒白の力を纏った金色の槍を携えた、神に最も近い力を持つ人間が二人の前に立ちはだかった
「言っただろ? お前達の夢はここで終わりだ!!」
「――っ!!」
目にも止まらぬ速さで二人に肉薄し、屍の竜を刹那の間に切り捨てた大貴の閃光のような斬撃が続けざまに閃き、エストとリィンを成す術もなく斬り伏せる。
いかに魔装人が王族と同等以上だと言っても、十二至宝はそのはるか上をいく。防御も抵抗も意に介さず、いつ斬られたのかすらわからぬまま吹き飛ばされたエストとリィンは成す術もなく地面にたたきつけられる
「っ……!」
その隙を逃さず、大貴は仰向けに横たわったエストの首筋に至宝槍の刀身を押し当てる
「エスト様!!」
腹部を切り裂かれ、動く事もままならないリィンが声を上げる視線の先で、エストの首筋に刃を押し当てた大貴は、抑制の利いた声で最後通告を兼ねた言葉を向ける
「全員を引き上げさせて、投降しろ。そうすれば命だけは助けてやる」
先ほどの大貴の動きと斬撃に反応出来なかった自分を殺す事など容易い。エストは、自分の首筋に刃を押し当てている大貴が命を奪わないように、意図的に加減した攻撃を放っていた事を理解した上でその言葉を嘲笑うように応じる
「どの道、投降しても死刑だろう? ……どっちでも同じ事だ」
「だとしても、だ。お前がした事が間違いだったと思い知らせてやるよ」
大貴の冷酷な言葉が自身の言葉を即座に否定すると同時に、エストはその意図を完全に理解する
エスト達がしようとしていた世界意識の改変は、もはや絶望的な状況。正当性を主張するための戦いに敗れたエスト達に残ったのは、禁忌を犯した大罪人というレッテルのみ、大貴はそれを世界に晒して、この世界の人間達に自分達の信念と成してきた事の全てを否定させるつもりなのだ
「……舐めるなよ、勝者」
それを理解した上で、エストは大貴の手に自身の命を握られていながら、それでも尚消えない信念と決意を宿した声で応じる
「……なるほど、確かにお前は強者で勝者の側だろう。勝者の権利はルールを作る権利、弱者の権利はそのルールに従う限り、強者の庇護をうける権利……だが、知っているか? 本当の意味で弱者に与えられた生き方は、逆らって死ぬか、従って生きるかの二択だけだ」
達観した言葉を当然のように紡ぎ、エストは自身の命に刃を突きつける大貴に視線を向ける
弱者は強者に守られるもの。それは間違っていない。しかし、弱者だから守ってもらえるのではない。強者にとって都合のよい――あるいは必要な弱者だからこそ守って貰えるのだ。
国を強者とすれば、弱者である国民は国の利益を生み出す大切な糧。一人きりの王など何の意味もない。王の下に付き、国という機関を運営するために国民と言う弱者が必要だからこそ守られる。逆説的に言えば、強者にとって有益でない弱者など、少なくとも守る価値も理由もありはしない
自分達は、強者が定めた世界のルールに牙をむき、反逆をした。弱者の権利とは元を辿ればエストの言うように「従って生きる」か「逆らって死ぬ」かの二択。その上に様々な恩恵が乗っているにすぎない。
力のままに世界の変革を望み、世界に挑んで敗れたエスト達は、強者になり損ねた弱者。――それは逆らって死ぬ権利を選びとったというだけの事にすぎない
「俺は強者になるべく勝者に牙をむき、そして敗れた。元より俺は信念に準じる覚悟はできているんだ……弱者を舐めるな!!」
「……お前は」
その言葉に不快そうに目を細めた大貴の背後で、巨大な翼が広がった。
「――っ!?」
それに反射的に振り向いた大貴の視界に、金色の翼を広げて舞うリィンの姿が映る。
リィンが竜人で、完全な人間の姿を取っている以上、リィンは人獣の亜人。即ち、人間と獣化した二つの姿を持っているという事になる。
その事実に思い至り、思わず目を見開いた大貴の眼前で、リィンの姿が一瞬にして三メートルほどの竜へと変わる。
それは天を舞う人工竜とは一線を画した姿。形こそ竜だが、その身体は丸みを帯びた流線型に近く、金色に煌めく羽毛のような体毛で覆われてた幻想的な美しさを放っている。
「はああああっ!!」
「オオオオッ!!」
それに合わせて、地面に倒れているエストの体から歪んだ力が噴き上がり、期せずして大貴を前後から挟み撃ちする形を作り出す
それと同時に、金色の竜と化したリィンがその口腔内から渾身の力を込めた力の波動を、エストが全霊の力を込めた波動をほぼ零距離で大貴に向かって放つ
「……!」
金と黒、竜と禁忌の力が大貴を挟み込み、世界を二色に塗り分けて炸裂する
自滅覚悟で放たれたエストとリィンの力が一切の抑制なく解放され、その威力によって生じた震動が障壁の中にいるロンディーネ、ルカ、詩織に容赦なく叩きつけられる
「大貴っ!」
障壁越しですら骨の髄まで揺さぶられるような衝撃を伝えてくるその威力に耐えながら、詩織は金と黒の力の中に消えた大貴へ視線を向けた
※
天空を貫く光が奔り、次いでその軌跡をなぞるように破壊の爆発が生まれる。
その爆発に宿る破壊力は王族のそれにすら匹敵するもの。今戦っている相手程度ならば触れただけで造作もなく焼き尽くす事が出来る――はずだった
しかし、その爆発を振り切って後方に飛ぶ羽衣を纏った天女――天宗檀は、歪んだ破壊の力の暴風の中を、端麗な表情を一切崩す事無くさながら風に舞う木の葉のように躱し、いなしていく
「さすが攻撃を右へ左へと受け流すのがお得意ですね、ではこれはどうですか!?」
楚々とした表情と佇まいを崩さない檀に感嘆の声を向ける魔装人――グリフィスは、その背にある翼のような装甲を分離させ、空中に八つの翼を浮かべる
「……天翔武装?」
それを見た檀が目を細めるのと同時、グリフィスから分離した八つの翼が閃光のような速さで縦横無尽に天を駆け、天女の羽衣を纏った美女へ全方位攻撃を仕掛ける
翼から放たれた歪んだ力の波動は、檀に回避の余地を与えない計算されつくした弾道を以って天女の如き和装の美女に向かって迸る
「……!」
それを見て瞬時に回避は不可能と判断した檀は、気を注ぎこんだ羽衣を回転させながら自身を包み込むと全方位から向かってくるグリフィスの波動の軌道を捻じ曲げる
(重い、ですね……!)
禁忌の技術によって宿ったグリフィスの歪んだ力は、王族のそれと同等。七大貴族の一人に数えられる檀の力と比べても数十倍以上の総量と密度を誇っている
その力の方向を力任せに捻じ曲げる負荷に苦悶の表情を浮かべている檀に、追い打ちをかけるようにグリフィスが収束した力の波動を掌から放つ
「……!」
グリフィスが放った視界を埋め尽くさんばかりの漆黒の波動を前に、檀は咄嗟に羽衣で自身の前に盾を作り出してその攻撃を受け止める
その圧倒的な力は、まるで瀑布のように盾を展開した檀を呑み込んで爆発し、その衝撃で天に浮かんだこの舞戦祭会場全体が地震に見舞われたように震えた
「……仕方がありませんが、今日の所は計画を断念して次の機会を待つ事にしましょう」
その爆発に背を向けたまま、グリフィスはそこから見える景色を見渡す
現在この会場の至る所で舞戦祭の選手や実力者たちと、ロジオ率いる人間と操動人形、自動人形で構成された軍隊と竜人、人工竜の軍勢の争いが繰り広げられている
数では圧倒的に勝っているはずのロジオと竜の軍勢だが、ジェイド・グランヴィア、ギルフォード・アークハート、天宗檀といった実力者たちによって劣勢を強いられており、もはや戦線を維持できないのは明白だった
「……それに、訊きたい事もありますしね」
内心でそう呟いたグリフィスは、魔装人の鎧の下で苦々しく唇を噛み締める
口調こそ平静を装っているグリフィスだが、その胸中では決勝戦終了後に襲撃をかけるはずだった計画を無理矢理前倒しして実行した依頼人への不満と憤りが渦巻いていた
「……逃がすと思うのですか?」
その瞬間、グリフィスの背後の力の波動の中にその姿を見せた檀は、全身に負った小さくない傷を羽衣の一撫でで治癒させていく
「さすが、と言っておきましょうか」
「こう見えても、医療従事者の端くれですので」
グリフィスの言葉に、檀は淑やかな笑みを浮かべて応じる
七大貴族の一人、天宗檀は、人間界屈指の治癒能力の持ち主であり、人間界最高位の界能制御精度を誇っている
「傷」という概念そのものを消去する事で、傷を受ける前の状態へ回帰させる霊的な治癒は、人間なら誰にでもできる事だが、その治癒能力は気の制御精度が高いほど優れた効果を表す
界能をはじめとした霊の力には「全盛状態を維持する」という特性があり、傷を受けた時点でその力によって治癒が始まっている。しかしそれを妨げるのは敵の攻撃に込められ、傷に刻み込まれた「破壊」の概念。それらが拮抗し、やがて時間とともに敵の攻撃による「破壊」の概念を「治癒」の概念が上書きする事で回復が促進される。
しかしそれでは致命傷を受けて気の力が弱まっている場合などに効果を発揮しにくい。そのため第三者による霊的な治癒は、「治癒対象」、「傷に残った攻撃の概念」という二重の妨害をくぐりぬけて「傷」という現象に直接作用する事が重要であり、戦闘に用いられるそれとは比べ物にならないほど繊細な制御を要求される。
優れた医療師である檀は、必然的にそれだけの気の制御能力を持っており、自分の傷を戦闘中に高速で治癒し、時には感覚共化のように敵の気に干渉し、軌道や爆発をいなす事が可能になる
「やはり、あなたは確実に命を奪う必要があるようですね」
その言葉に応じるように、天を待っていた八つの翼鎧――天翔武装がグリフィスの右腕に融合し、巨大な剣を形作る
「計画は先送りせざるを得なくなってしまいましたが、せめてあなただけは、今後魔装人を世界に見せつけるために殺していく事にします」
「そうですね……わたくしもそろそろ終わりの時だと思っておりました」
右腕と融合した翼の鎧による巨大な剣に、王族のそれに匹敵する強大な気の力を注ぎこむグリフィスに、淑やかに微笑んだ檀が羽衣を舞い踊らせる
「では、申し訳ございませんが死んでください。この世界の未来と、新たなる希望の導のために!」
天高く掲げられた右腕の剣から、天を貫くほど巨大な力の光剣が迸り、グリフィスはその刃を容赦なく檀に向けて一直線に振り下ろす
禁忌の力によって王族と同等以上の力を以って作られた光剣は、檀の力を遥かに上回っている。本来ならば成す術もないはずの檀は、しかし躊躇う事なく自身の力を込めた羽衣を槍のように束ね、その刃を真正面から迎え撃つ
「はぁっ!!」
鋭い気合いの声とともに放たれた羽衣の槍は、まるでドリルのように回転しながらグリフィスの歪んだ力の光剣と激突し、それを粉々に粉砕する
「なっ!?」
王族すら凌ぐはずの全霊を込めた光剣が、空中でガラス細工のように砕け散ったという事実にグリフィスは目を見開く
「……思い上がりましたね」
グリフィスが予想もしなかった光景に困惑して、心身を硬直させていたのはほんの一瞬。しかしその一瞬が命取りだった
茫然自失と言った様子でその光景を見ていたグリフィスに肉迫した檀が放った羽衣が、まるで荒れ狂う龍のように魔装人の鎧を粉砕し、その身体をさながら塵のように宙へと舞い上げる
「ぐあああああっ!!」
錐揉み上に身体を打ち上げられ、砕け散った鎧の破片を舞い散らしながらグリフィスの身体が地面にたたきつけられる
「ぐっ……!」
地面に叩きつけられたグリフィスの眼前に立った檀は、軋む身体に鞭を打って懸命に起き上がろうとするその姿を睥睨する
「な、なぜ……?」
気の力では遥かに上回っているはずの自分の力が造作もなく打ち砕かれた事に驚愕を禁じ得ないグリフィスが視線を上げると、檀は一度目を伏せて薄く紅で彩られた口を開く
「魔装人と言いましたね? あなたが得意気に語るその技術の正式名称は、『霊素物質化』といいます」
「……何を、言っているのですか? この技術は、禁書庫にすらない……」
まるで魔装人を知っているかのように言葉を紡ぐ檀に、驚きを隠せない様子でグリフィスが声を上げる。しかし、かすかに震えるその声は、檀の言葉が、グリフィスに確実に動揺を与えていることを証明していた
魔装人は、グリフィスが長い研究と犠牲と対価の上によう役たどり着いた歴史上これまで存在しなかったはずの未知の可能性。人間が全霊命になるための最後の光明だった。――グリフィスはそう信じていたからこそ、この力を極める事を求め、多くの犠牲を払ってきた
今、その根幹が檀の言葉によって揺らいでいるのだから、グリフィスの困惑と動揺も必然だろう
「ありますよ」
「っ!?」
しかし、そんなグリフィスを追い詰めるように、檀のしとやかで冷淡な言葉が向けられる
鎧でその表情を伺う事は出来ないが、驚愕と絶望に染まった顔をしている事が容易に想像できる、愕然としたグリフィスの姿を見る檀は、その様子に眉ひとつ動かす事無く言葉を続ける
「情報生命体に発想を得た、人工霊格を纏う事で半霊命の限界を超えるという手段は、遥か昔に研究された事があります。……もっとも、あなたのように実際に形にする前にこの技術は禁書庫に封じられてしまったのですが」
軽く苦笑する檀を見るグリフィスの脳裏に、かつて向けられた依頼人からの言葉が鮮明に甦ってくる
《――素晴らしい。こんな技術は禁書庫の中にもなかった》
「そ、そうです……! 私は、人間が全霊命と同等の存在となり、それを殺す力を形にしたのです」
脳裏によぎったその言葉と檀のそれに動揺しつつ、グリフィスは揺らいだ声で言い放つ
まるで、親に捨てられまいと縋りつく子供のようなその希望と信頼を絶望の底に落としてしまう寸前の覇気のない弱々しい声で言うグリフィスに、檀は容赦なく冷酷な言葉を向ける
「ああ、言葉が足りませんでしたね。……違いますよ」
「……?」
檀の冷酷な宣告にグリフィスは鎧越しに、その端麗な顔を見上げる
「超越者の霊格を作り、それを纏う霊素物質化――この技術が禁書庫に封じられたのは、確かに人道的、倫理的な理由もありますが、それ以上にそもそもこの技術には、実戦に投入できない致命的な欠陥があるからです」
「なっ!?」
鎧の下で目を見開くグリフィスに、檀は淡々と言葉を紡いでいく
「一つ、霊格を作るのにコストがかかりすぎる事。二つ、霊素物質化は、人工的に作り出した霊格であるが故に、力の供給が不安定になる事……あげつらっていけばきりがありませんが、主な所はこんなところでしょうか」
檀の言葉に、グリフィスは目を見開く。
「なぜ、その事を……!?」
その弱点は魔装人における致命的な欠陥として、完全運用までに改良を考えていた事だった。
人工霊格は、全くの無から霊格を作るのではなく、元となる霊格を改造して霊格を作り出している。魔装人も培養した王族の中から実用に足る個体を選別するだけで多大な手間暇と労力を消費する事になる。
しかも魔装人は一つにつき、素体を最低一人消費する。量産する事を考えれば、まだまだ実用には程遠い
加えて霊の力というのは、生きている限り無限に供給され続けるという特性を持っている。霊の力が存在そのものの力である事を考えれば当然なのだが、こと人工霊格に限ってはその例外に当たる。
人工的に作られた霊格は、自然に生まれた魂よりもはるかに不安定な代物で、本来なら常に一定量供給されるはずのその力の供給が不安定になってしまう。
つまり、戦闘で力を使った際に、普通の人間は徐々に霊の力が回復していくが、人工霊格はその回復が不安定かつ不定期になり易いため長期戦には不向きだ。
現段階における魔装人の欠点は、実用性と長期戦。――だからこそ、標的として王族ではなく、単純に力で圧倒できる貴族や七大貴族を選んだのだ。
「何故? 先ほど申し上げませんでしたか? この技術はすでに破棄された技術だと。……では最後に一つ付け加えておきますね」
「?」
残酷なほど冷酷に、檀は地面に這いつくばるグリフィスに言葉を向ける
「魔装人が破棄された最大の要因は、力の制御が曖昧になるからです」
「……なに?」
その言葉の意味を理解する事が出来ず、困惑した声を上げたグリフィスに、檀がさらに言葉を続ける
「確かにこの技術を用いれば、今のあなたのように大きな力を使う事が出来ます。ですが、霊と意志とが完全にコンタクトしていないせいで、人工霊格の力の行使は大きさだけで、中身が伴っていないのです……ただの張りぼてのように――だから、あんな簡単に砕かれる」
「……っ!」
冷酷な檀の宣告に、グリフィスは鎧の下で目を見開く
霊の力とは、意志が伴って初めてその真価を発揮する。――否、霊の力とは意志そのものにも等しい。しかし魔装人の技術では、力の素体となる人間はただ力を生みだすだけの動力炉に過ぎず、その制御を別の手段に委ねてしまっている。
確かに生み出される力は強大。今のグリフィスのように王族級の力に竜などの幻獣を筆頭として、強力な半霊命を融合させた力を使う事も出来る。――しかし、逆に言えば、その力は大きいだけ。
霊の力の強さは格と絶対量に比例する。霊の力が大きければ大きいほど強いというのは、霊の力を知る者の常識ではあるが、それはあくまでも「意志と力が等しい」という大前提が成立している上での話に過ぎない。
力を別の意志が操れば、確かに力は強いままだが、その制御に綻びを生み、介入する隙を許してしまう。檀のようにさほど感覚共化が得意でなくとも、力への干渉によって力の制御と統制を混乱させられてしまう程度に――霊の力に宿った事象を混乱させ、容易に破壊出来てしまうほどには。
「――理解しましたか? 作った霊格ではうわべだけしか取り繕えない。肝心な本質が欠如してしまうのです。そんな力が全霊命を超える筈がないでしょう?」
静かにそう紡いだ檀は、その身に纏った羽衣に気を通して、それを硬質化させる。
「あなた程度が思いつく事など、とうの昔に終わっていたのです。強い力を生みだす事ばかりに目がいって、肝心な事を見落としていましたね」
冷酷な死刑宣告と共に、檀が刃と化した羽衣を振り上げる
しかし、その光景を見ながらグリフィスは全く別の事を考えていた。
(――そう、その通りだ……何故、気付かなかった!?)
霊の力は引き金を引くだけで誰にでも使える銃とは違う。型を学び、扱いを極めていく武器や武術とも違う。霊の力は意志と伴ってこそ。だからこそ人間が手にした、最も神能に近い界能――原始霊素は、戦艦や機鎧武装用の武装でしかないというのに。
――そう、曲がりなりにも魔法と科学に精通し、霊と物理を知り尽くしたグリフィスがそんな事を失念するはずがない。
(なぜ……なぜこんな簡単な事を見落としていた!? まるで……)
絶体絶命の危機の中――あるいはそうであるが故に、グリフィスは逆に冷静に事態を判断し、まるで靄が晴れていくようにその脳内を様々な思考が駆け巡る。
強大な力を作り出し、奇跡への可能性を手に入れて浮足立っていた!? しかしそれでも気付く機会はいくらでもあったはずだ。実用化の実験の時、ヴォルガードとの戦闘による運用試験の時……にも関わらず、それに気付くどころか微塵も疑う事をしなかった。――
(――まるで、意図的に忘れさせられていたかのように)
「……っ!!」
その考えに至った瞬間、グリフィスは散り散りになっていた自分の意識がパズルのピースの様に繋ぎ合わさり、そして一つの答えを形作る
「断言しましょう。あなた程度の輩には全霊命を殺すなど夢のまた夢です」
天高く掲げられた檀の刃が自分に向けて振り下ろされるのを見ながら、グリフィスの視界には全く別の人物が映っていた
その腕にツギハギだらけの大きなぬいぐるみを抱えた、幼い可憐な少女の姿を。
(悪意……っ!!!)
その少女――悪意を振り撒くものの一人、「セウ・イーク」の姿をグリフィスが幻視した瞬間、檀の羽衣が容赦なく叩きつけられる
「……っ!!」
身体がへし折られるような衝撃に身体を軋ませ、グリフィスの身体を覆う魔装人の鎧が砕かれたのと同時に、制御を失った歪みの力が炸裂して天高く噴き上がる。
「……っ!?」
禁忌の力によって作られた歪んだ力の暴風を羽衣の繭で防いだ檀は、その衝撃と視界と知覚を塗り潰す強大な力の奔流が過ぎ去るのを待つ
時間にして十数秒から数十秒。炸裂した強大な力は破壊の趣向性を持っていないが故にただの力の発散に終わり、その歪んだ力は世界の中へ消失していった
「――鎧を囮にして逃げましたか……」
その力の奔流が収まった瞬間、おびただしい血の跡だけを残して影も形もなくなったグリフィスの影に、檀はその柳眉をひそめた
※
――心が躍る。
「オオオオオオオオオッ!!!」
一瞬でも意識を逸らせば命を落とししまう緊張感に満ちた斬撃の雨の中で、竜人の長「ヴォルガード」は無意識にその表情を歓喜に彩っていた。
眼前で自分と互角以上に切り結ぶのは、舞戦祭タッグバトルの頂点、テオ・ラインヴェーゼの援護を受けた男「アーロン・グランヴィア」。
元々七大貴族に名を連ねるほど強大な力を持っているアーロンが、テオの力によって強化されれば、その強さは最強の竜人であるヴォルガードと互角以上に斬り結ぶ事が出来るほど。
竜人の中でも群を抜く強さを持つヴォルガードは、魔装人の調整を手伝ってきたが、それはあくまでも「調整」の範囲内。今のように薄氷の上を渡り、生と死の限界を極めるような戦いは、文字通り生まれて初めての体験だった。
「……楽しそうだな」
「あぁ、何と言うか……妙な言い回しになるかもしれないが、今こそ俺は生を実感している」
アーロンの言葉に、その斬撃を受け流しながらヴォルガードは抑えきれない高揚に彩られた声を向ける
死ぬのが怖い、殺される――自分が死を認識させられる戦闘は、逆説的に生への執着をヴォルガードの中に生み出し、今生きている事を確かに実感させてくれる
「お前はこれで本望なのか? ……処分されるために生み出され、利用されるだけされて命を落とす、そんな生き方でいいのか?!」
「いや、そうは思わないな」
アーロンと刃をぶつけ合い、力と界能の火花を散らせながら、ヴォルガードは抑揚のない口調で応じると、その手に握った青龍刀から片方の手を離して自身の頭に指を向ける
「俺達の頭には、俺達を支配する道具が埋め込まれている」
「……!」
「普段は何ともないが、俺達の創造主の好きなタイミングで激痛を与えたり、身体の自由を奪う事が可能だ……まあ、反乱を鎮めたり、この計画の仕上げで俺達を殺しやすくするための仕掛けってところか」
軽く目を瞠ったアーロンに、ヴォルガードは自嘲交じりに言う
竜人の脳に埋め込まれた道具は、人体の細胞に完全に融合するタイプの生体機械。かつて人体を機械化して強化する事を目的として開発された技術でもあり、魔道人形の身体を構築している技術でもある
竜人の脳に完全に融合したこの道具は、彼らの創造主――グリフィスからの合図によって特殊な振動を発し、痛みや麻痺を体に引き起こして犯行の意志を奪い、最大出力にすれば脳そのものを破壊してしまう処刑器具でもある
「お前達は、それに脅されてこんな事をしているのか?」
「同情はするな」
アーロンの目にわずかな同情の色が宿ったのを見て、ヴォルガードは静かに抑制された言葉でそう言って、心からの笑みを浮かべて見せる
「……!」
その目には命を握られている事への怒りや憤り、恨みなどは一切なく、ヴォルガードと対面しているアーロンには、目の前の竜人の長が今まさに自分の意志でここに立っている事が明確に伝わってくる
「確かに、お前達には、俺達竜人が創造主にいいように使われて死ぬように見えるかもしれない……だがそうじゃない。俺達には俺達の意志があり、考えがある。――俺達は望んでこの戦場に立っている」
その言葉に、アーロンはわずかに目を細める
「……お前たちを作ったやつらのためか?」
「いや、俺達自身のためだ」
その言葉と同時に、ヴォルガードの刃がアーロンのそれを弾き飛ばし、次いでその口腔内に灼熱の光が生まれる
「ガアッ!!」
ヴォルガードの口腔から放たれた竜の息吹は、閃光のように宙を貫きアーロンを呑みこんで紅蓮の火柱を噴き上げる
「……俺達竜人の繋がりはなんだと思う? 個々に血の繋がりはなく、決して同じ竜種から生まれた訳でもない。――兄弟でもなければ、親子でもなく、強いていうなれば同じ種族、あるいは同じ運命を背負った者という繋がりしかない」
自身の視界を埋め尽くす劫火に目を向けながら、ヴォルガードは静かに言葉を紡ぐ。
その言葉を向ける相手――アーロン・グランヴィアがこの程度の攻撃では命を落とさない事を知っていて、あえて炎へ向けて語りかける
「それが、どうした?」
その信頼に応えるように竜の炎が両断され、その中に佇んでいたアーロンがヴォルガードに視線を向ける
「それでも……それでもたった一つ、確かな繋がりがあるんだ」
「……!」
穏やかな声音で言ったヴォルガードは、手にした剣に自身の力を注ぎこんでいく
竜人を破棄する事を目的としているならば、天空を飛び交う人工竜のように自我を芽生えさせる必要はない。ただ言いなりになる都合のいい生物兵器を作ればよかったのだ。
しかし現実に竜人達は単なる生物兵器ではなく、自我を持ち、個性を持っている。――それこそが幼い竜人達の記憶に刻まれた、確かな約束の証だった。
《あなたの名前は、――ですよ》
稀に生まれる竜人の成功体である幼児に優しく微笑むのは、竜人の長姉であるリィン。その隣に立つのは竜人の管理を創造主に任せられたエストの姿。
それは、今から十数年前の記憶。
彼らは生まれたての竜人の子供達一人一人に名前を付け、まるで家族のように接してくれた。自分たちにとっては兄姉であり、親でもあったその二人を幼い竜人達は心から慕い、この世に自分達が生まれた確かな繋がりを感じさせてくれていた
余談だが、エストとルカの年齢はかなり離れている。人間は気の強さによって寿命と若さが伸びるため、親の力が強ければ強いほど結果的に兄弟の年齢が大きく離れやすい。そのためこの当時、ルカが十歳にも満たない年齢でも、エストは既に成人していた。
《リィンお姉ちゃんは、エスト様のこと好きなの?》
《……えぇ、でも私はそれを伝えられないんですよ》
《なんで?》
幼い好奇心をむき出しにして竜人の子供たちが訊ると、リィンは少し照れたようなはにかんだ笑みを浮かべる。
誰よりも早くこの世に生を受けたリィンは、幼い竜人達の世話役をしていた。エストもその役目をおっていたのだが、魔装人の研究が多忙で、子供たちの事はもっぱらリィンに任せていた。
そのため、竜人達はリィンを姉のように慕い、母のように懐いていった。成長するとともに子供たちは、それがいわゆる刷り込みに近いものだと知る事になるが、それでも竜人達にとってリィンもエストもかけがえのない大切な家族で、失いたくない繋がりだったのだ。
《私達はいずれあの方たちのために死ぬからです。……でも、お姉ちゃんは幸せなんですよ。大好きな人のためにこの命を使う事が出来るんですから》
そう言って、好奇心に満ちた目を向けてくる竜人の子供たちにリィンは優しく微笑む
普段から無表情に近いリィンだが、だからと言って決して無感情ではなく、特に幼い子供達には感情豊かに接していた。
リィンが、人前で無機質な表情をするのは、いずれ自分を殺す人への愛情を懸命に押し殺していたからだというのを、子供たちは色恋の機微などまだ分からない幼い心で、それでも確かに理解していた
《きっと嘘だよ》
《うん、リィンお姉ちゃん泣いてた》
《俺達で、二人を幸せにしよう》
《それいいね》
《それで、内緒にしておめでとうって言うの》
リィンのいないところで話しあった子供たちの小さな約束。――それは、小さな命からの優しい恩返しだった
《――そうか、ならやってみせろ。お前達の力であいつの……いや、俺達の目論見を打ち破って見せろ》
その話を聞いたエストは、ただ静かにそう答えただけだった。
「――俺達は、俺達の約束のために戦う!」
「……!」
噴き上がる力を青龍刀に纏わせたヴォルガードは、アーロンにその切っ先を向ける
実験と研究のために薬剤の投与で成長速度を過剰に高められていた竜人の子供達は、その幼く強い決意を胸に抱いたまま、今日を迎えている。
たった一つの絆と約束。それを守るために、たった二人の大好きな人たちの絆を結ぶためだけに、今この場に自分達の人生の全てを懸けている。
「……そうか。なら、ここで死んでも悔いはないな?」
ヴォルガードに視線を向けて、アーロンは静かに問いかける
戦いに命を懸けた者ならば、戦場に散るのは覚悟の上。それが強要されての事ならばアーロンも動揺と躊躇いを拭いきれなかっただろうが、自身の信念と意志の下に戦うというのならば、そんな憂いなどなく戦う事が出来る
「無論」
その言葉に静かに応じ、渾身の力をその一太刀に込めるヴォルガードと対峙するアーロンは、目の前の竜人から目を離さずに背後にいるパートナーに意識を向ける
「テオ……頼む」
「……うん」
その言葉に頷いたテオが周囲へ配っていた意識や力を全てアーロンの強化へと傾ける。
とはいえ、ヴォルガードの力の強さに限りなく全ての力を注ぎこんでいるテオが残る力を振り絞ったとしても、アーロンの能力向上は、あってないような程度でしかない。それでもアーロンは、この一撃で勝負を決めるため、自分とテオの持てるすべての力を注ぎこむ。
アーロンとヴォルガード、高められた力が大気を震わせながらぶつかり合い、一瞬でも気を抜けば命を落としてしまうような状況の中、戦意と殺気を研ぎ澄ましながら互いに必殺の瞬間を伺う
一瞬が何分にも思えるような緊張感の中、まるで計ったかのように二人はほぼ同時に地を蹴る
「オオオオオオオオオッ!!!」
邂逅は一瞬。
瞬き一つほどもない時間で肉迫した二人は、全霊の力を込めた刃をぶつけ合って停止する
「っ、アーロン……!」
刹那の激突によって生じた力の波動が突風のように吹き抜け、それに煽られたテオをはじめ近くにいた誰もがその決着の瞬間に息を呑む
「ぐっ……!」
天空に舞い上げられていた折れた剣の刀身が地面に突き刺さり、次の瞬間、鮮血を噴き上げてアーロンがその場に崩れ落ちる
大剣をその真ん中辺りから真っ二つに斬りおとされ、致命傷なのではないかと思えるほどの血を傷口から流して自分の視界から崩れ落ちていくアーロンを、ヴォルガードが笑みを刻みながら見送る
「…………」
そして、そのまま視線を下に移動させたヴォルガードは自身の胸を深々と貫いている短剣を見る。
その剣はアーロンが隠し持っていたもう一つの刃。全霊の力が込められた一撃をぶつけ合い、ヴォルガードの攻撃に打ち勝てないと判断したアーロンが、勝つためではなくただ生き残るために出したもの。
「俺の、負けか……」
口から赤い血を流し、手にしていた青龍刀を落としたヴォルガードに、地面に膝をついたアーロンが視線を向ける
「いや、勝負はお前の勝ちだ……ただ、生き残ったのが俺の方だっていうだけだ」
「……そうか」
その言葉に、ヴォルガードは小さく笑みを浮かべる
ヴォルガードには、アーロンの言葉が間違いであることが分かっている。ここは命を懸けた戦場であり、生き残った方が勝者だ。
攻撃に押し負けると判断したアーロンが、紙一重で繰り出したもう一本の刃が自分の心臓を貫いた――ただそれだけの事にすぎない。
しかしそれでも、命が消えゆく瞬間にヴォルガードの胸中を満たすのは、敗北の悔しさでも、死の恐怖でもなく、命がけの戦いの中で自分を認め、自分が認めた強者との満ち足りた時間だけだった。
(こんな生き方だったが、悪くない最期だ……)
不思議と満足感を覚えたまま、ヴォルガードは目を閉じる。
竜人の長として、全ての敵を屠った後に創造主によって葬られるはずだったヴォルガードは、人生の最期に出会った強者との戦いに勝利し、そしてそのまま眠るように息を引き取る。その死に顔には満ち足りた表情を浮かべながら――
「まったく、冷や冷やさせてくれるわね」
その光景を見守っていたエクレールは、自身の背後で氷結して動かなくなっている銀の巨竜へと視線を向ける
エクレールの支配する水の形質――冷却によって凍てつき、その身体を氷柱によって串刺しにされた状態で命を落とした巨竜「ブランドル」へ追悼の視線を向けた舞戦祭の女帝は、天を仰ぎ見る
「それにしても、随分手を焼いているわね……?」
エクレールが視線を向けた先では、敵軍の長であるロジオ・虹彩と舞戦祭最強の男、ジェイド・グランヴィアが斬り結んでいた
ロジオの鍛え抜かれた隙のない剣閃が閃き、一太刀にしか見えない無数の斬撃が迸る。その斬撃をジェイドが全く同じ速さの剣撃で弾き飛ばす
「……竜人が」
「どうやら、ここまでのようだ」
ヴォルガード、ブランドルをはじめとした竜人が次々に命を散らしたのを感知し、さすがのロジオも動揺を隠しきれない様子で目を見開く
「……っ、どういう事だ!?」
「どういう事? ……聞くまでもないだろう?」
恐慌に彩られた声音を上げたロジオに、ジェイドが静かに言い放つ
「――っ!?」
「終わり、って事だ」
その瞬間、閃光が煌めきロジオの身体が両断される
「……な、ぜ?」
刹那に両断され、愕然とした声を漏らしたロジオの身体が地に向かって落下していくのを見送りながら、ジェイドはその手に持った剣を軽く払った
※
世界を二分していた黒と金の力の波動がそれを上回る白と黒の力にかき消される。
「――っ!!」
思わず目を見開いた詩織の眼前でまるで翼のように広がった黒白の力が砕け散り、世界に白と黒の蛍の残滓を残す。
その中に佇むのは、至宝槍を携えた大貴。その柄を伸ばした至宝槍の刃が金色の竜――リィンの胴体を貫き、同じように伸びた柄の反対側――石突と呼ばれる部分がエストの鎧を粉砕していた
「が、は……っ!!」
「申し訳あり、ません……エスト様」
決して脆くない魔装人の鎧を破壊されるほどの速さと威力で伸長した槍の一撃で胸部を叩き割られたエストが苦悶の表情と声を上げて吐血し、槍の刃で貫かれたリィンは、そのままの状態で人間の姿へと戻って脱力する
大貴が無言のまま至宝槍を元の長さに縮めると、刃を抜き取られたリィンの身体が落下して、そのまま地面に横たわる
「殺した……の?」
「いえ、ですが、もう彼らは動けないでしょう」
思わず引き攣った声を漏らした詩織に、普段と変わらない淡々とした口調でロンディーネが応じる
大貴は先日ヒナから竜人の捕縛を依頼されている。その時とは違って色々な背後関係は本人達の口から語られているが、その真偽は定かではない。
それを確かめるためにも、最低限の生き証人は必要になるだろうと判断しての事だ
「お疲れさまでした」
跪いて出迎えるロンディーネに、大貴は思わず渋面を作る。その背後で双子の姉が笑いを噛み殺しているのが見えるが、あえてそれを無視した大貴は、深々と頭を垂れているロンディーネに問いかける
「とりあえず、他に手間取っている所はあるか?さっさと終わらせて……」
他の場所へ応援に行こうと大貴がロンディーネに訊ねた瞬間、会場を覆っていた漆黒の妨害結界が砕け散る。
「っ!」
「結界が……」
「どうやら、終わったらしいな」
砕け散った空を見上げた詩織と、ロンディーネに続いて大貴は空を仰ぎ見る
漆黒の結界が砕け散り、その後に舞戦祭会場に差し込んできたのは、長い戦いの終わりを告げる赤い太陽の光だった。