カーニバル・ブレイク
「なんで、なんでお兄ちゃんがここに……?」
突然目の前に現れた兄――エストを前して、混乱するルカがようやく絞り出す事ができたのはそんなありきたりたな言葉だけだった
自分を置いて姿を消した理由、今まで何をしていたのか、など言いたい事が山ほどあったはずなのに、実際にその人物を前にすると何の言葉も浮かんでこない
「今すぐ舞戦祭を棄権しろ」
「……え?」
ようやく会えた兄を前に、溢れ出しそうになる涙を懸命に押しとどめていたルカは、兄の淡々とした予想外の言葉に、思わず身体を硬直させる
「もうすぐ、ここは落とされる。……俺達の手で、な」
「……っ!」
念願が叶って、ようやく再会できた兄――エストから突き付けられた衝撃の事実に、ルカの思考が真っ白に染まる
「な、何を言ってるの!? 一体どういう……」
エストの言葉を理解できず――否、理解はできている。しかし、兄の口から出た言葉が語る事実を信じられずにルカは震える声で言葉を絞り出す
「そのままの意味だ。今日、この星は破壊され瓦礫となって地に落ちる」
「な、なんでそんな……」
平然と言い放つエストの言葉に、動揺と困惑を隠せない様子でルカが目を見開く
この星というのは、今現在舞戦祭が開催されているこの場所――人間界王都の一角、その上空に浮かぶ人工の巨星の事を示しているというのは、考えるまでも無い
確かに貴族級以上の力を持つ人間や、人間界の科学、魔法の粋を集めて作られた兵器ならば、この人工の巨星を破壊して落とす事はさほど難しい事ではないだろう
しかし、今この星――舞戦祭の会場には、選手を含め数千万から数億に至る人々が集っている
この世界の人間は、気の力を用いて飛行する事が出来るとはいえ、この星が崩壊し、落下すれば数え切れないほどの死者が出る事は明白だ
「ここに、一体どれだけの人がいると思ってるの!? どうしてそんな事……」
ルカは、兄の言葉にやや語気を荒くする
「俺達は、父親夢の残骸だ」
「……っ」
激情に揺れるルカの言葉とは真逆の淡々とした声で、エストは目の前に立つ妹を、どこか遠くを見るような目で見つめる
その目は、目の前にいるルカを見ているはずなのに、ルカではない誰かをみているかのような遠い視線。そして、ルカにはエストが見ている人物が誰なのかはっきりと分かっていた。
「今でも目を閉じれば、思い出すよ。あの男の――父の言葉を……」
※
《エスト、ルカ。お前達は強くなれ。そして……》
人間界は、極限まで発達した科学によって、世界の運営の大半を自己判断能力を有した機械――自動人形や、「魔法知能」に委ねている
それによってこの世界では、貴族姓を持つ様な突出した戦闘能力を持つ人間か、様々な分野で機械よりも優れた能力を持つ限られた人間だけによって運営され、それ以外の一般人は文字通りただ生きているだけの存在になっている。
何故なら、世界の99%の人間は無職だが、限りなく発展した文明はそれを受け入れるだけの生産、精製を可能としているからだ。
都市や生活を維持するエネルギーは魔法によって無尽蔵に精製され、食料も自動人形や「魔法知能」の働きで十分すぎる量が生産されており、原子単位で物質を変換、生成する技術によって資源は完全に再利用されている。
これだけでもわかるように、この世界は人間が手を加えるまでも無く、「優れた技術」という永久ゼンマイによって、回り続ける事ができてしまうのだ
そんな世界で生きる人間には、貴族で無くとも能力に応じて個別の階級が設けられており、装霊機の個人認証によって、そのランクに応じて生活費として使える「ポイント」が一定期間ごとに支給される。
そして全ての都市には、数兆人を超える人間を収納できる巨大にして広大な居住区が設けられており、家族、あるいは個人単位でマンションに似た居住区の一室が貸し与えられるなど、ランクに応じた生活をしている限り、衣食住には困る事は無い
働かなくても生活できる世界――それは一見すると夢のような世界に思える。しかし、実際はそうはいかない。
この世界は働かなくてもいいのではなく、労働力として人間を必要としていない――つまり、この世界の人間のほぼすべては、ほんの一握りの才能がある者と機械に必要とされず、その生産性の無い存在意義は、もはや家畜ほどもないと言っても過言ではない。
例え働きたいと思っても、戦闘力、技術力、知能、発想力――様々な分野で残酷なまでの能力選別を行う人間界の社会体系の前では、全ての人間の前に、最初に機械の能力というとてつもなく高い壁が立ちはだかり、そしてその大半が、あまりに優れたその技術の前に敗れ去る事になる。
《――そして、この世界を動かすような人間になれ》
そしてエストとルカの両親も、そんな世界の絶対的な力の前に頭を垂れた人間だった。
特に父は、良くも悪くも向上心に満ち溢れた――ほとんどの人間が、力や才能の前に屈する中で、非才でありながら、頂きを望み続けた男だった。
だからこそそんな父は、自分の子供であるエストとルカに生かされる人生ではなく、自らの力で生きる人生を望んだ
そして、エストとルカはその期待に応えた。二人は各々に才能を伸ばし、そしていかんなくそれを発揮して確かに父を超えた。
――しかし、現実は甘くは無かった。
エストとルカの才能は、一般人の平均的な能力と比べれば確かに優れていた。しかしそれでも、貴族姓を与えられるような人間界の頂きには遠く及ばなかったのだ。
しかし、そんな事はこの世界では当然の事だ。何しろ世界人口の限りなく100%に近い人間がそうなのだから、仕方がない。――普通は、それで終わるのだ。
だが、二人の父はそれを許さなかった。――否、許せなかった。
そして、二人の才能の限界に失望した父は、エストとルカの前から姿を消した。
※
「――だが、最後は呆気ないものだったな」
ふと、嘲るようにエストは鼻で笑う
姿を消した父は、力を求めた。
そして、十世界の影でいつの間にか台頭してきていた一つの勢力――「十世界を利用し、全霊命と半霊命の混濁者を戦力として手に入れる」という理念を掲げる勢力の一員となっていた
ルカがそれを知ったのは、人間界のとある場所でその集団が人間界軍と戦って攻め滅ぼされ、父が命を落とした時だった
「それが……それがお兄ちゃんのしようとしている事に何の関係があるの!?」
父が死んだのは、エストが姿を消した後だ。にも関わらす、兄がその事実を知っている事に若干の驚きを覚えつつも、ルカはそれ以上に大切な事――エストがこの星を破壊しようとしている理由を問い詰めようと、揺れる言葉を向ける
そのルカの言葉に、エストは伏せた目をうっすらと開き、そこからのぞく悲しげで優しげな視線で目の前に立つ妹を見る
「……最期はそんな風だったが、俺は父の夢を叶えてやりたかった。……いや、違うな。何時の頃からか、俺は父の理想を理解しつつも、恨んでいた。
父が理想を掲げなくてもいいように、人間がただ優れた力によって生かされる存在ではなく、全霊命のように、全てを自らの力で選ぶ事が出来る何よりも優れた特別な存在にしたい……と」
ルカの問いかけに、エストは自分の心と記憶に向き合いながら、憎しみを噛みしめるように言葉を絞り出す
エストとルカは、父に力を求められた。
戦闘力、知力、科学力――中身は問われなかったが、父は……世界という力の理の中で、常に高みを求め続けた才無き弱者は、自分の子供に世界の頂きに立つ力を才能を幻視していた
そして、エストにとって父の理想は、憎むべきものであると同時に、確かに目標となっていた。ただしそれは、成し遂げるべき目標ではなく、自らの手で破壊すべき目標として
最大の問題は、人間が科学に――自らの被造物にその存在意義を揺るがされるほどに劣っているという事だ。ならば、人間がそれを超える何かになればいい。それが、エストの出した答えだった
「……父が姿を消して間もない頃、そんな事を考えていた時に俺はある男と出会った」
エストは、その時を思い出しているのかやや遠い目で語り始める。
二人の父が死んだのは、エストが姿を消した後だが、エストがルカの元を去ったのは、父が姿を消した後の事。そのため、父が姿を消してからしばらくの間は、エストとルカは一緒に暮らしていた
まだ、エストがルカと生活していた時、自らを縛る父の想いを壊したいと願っていた幼き日のエストは、偶然か必然か、あるいは運命のいたずらなのか、今の師にあたる男――「グリフィス」と出会った
「そして俺は、十世界に入ったんだ」
「……っ!!」
ルカには、エストの言う「ある男」が誰なのか知らない。しかし、十世界に入ったという兄の告白に驚愕と動揺を隠せずに茫然と立ち尽くす
あまりの衝撃に、膝を震わせ、今にもその場で崩れ落ちてしまいそうなルカの様子など気に掛けた様子も無く、エストは淡々と冷淡に事実と言葉を突き付けていく
「その男は俺と同じだが、俺よりも狂った人間だった。そいつは、人間――半霊命を全霊命を越えた存在にしようとしていた」
グリフィスの意志を目の当たりにしたエストも、最初は我が目と目の前にいる男の正気を疑った
グリフィスという男は、冗談でも何でもなく、真剣に自らの人生の全てをかけて半霊命が全霊命を超える――即ち、半霊命が全霊命を殺すための研究をしていたのだ
「そんな事、できる訳……」
愕然とした様子で言うルカに、さも当然のようにエストが応じる
「ああ、できる訳ない。だが、問題なのはできないと諦めてしまう事だ」
――それは、エストが初めてグリフィスに会った時。
元々技術方面にも長けていたエストは、涼しい顔で「全霊命を人の手で殺す」と言い放ったグリフィスに、今のルカと同じように答えた。
それは子供でも分かるような……真剣に取り組むなど馬鹿馬鹿しいとしか言えないような事。しかしグリフィスは、そう言ったエストにまるで子供にお伽噺を聞かせる親のような口調で語りかけた
《確かにそうですね。しかし私は、できない理由を探して、やらない事に言い訳するのは願い下げなのですよ。確かに、できない事を分かっている事は大切な事で、それを弁えているのは賢い事です。
しかしそれは、ただ失敗しないだけの賢い生き方に過ぎません。その生き方では、大きな失敗はしなくとも、大きな成功をする事も無く、またそれは、褒められるほどの価値がある行いですらありません》
グリフィスは言った。「失敗する事を、それを嘲笑われる事を、間違える事を恐れて何を成せるのか?」と。
その言葉は、自分の、そして人間の限界に絶望していたエストをどんな蜜よりも甘く浸食していった。
《……そう。賢いだけの人間は、何もできないのです。本当の意味で世界を変えられるのは、人が出来ないと思う事を心の底から信じて行える愚か者だけなのです》
「狂っていると思うだろう? できない事を成し遂げるなんて矛盾している。だが俺は、不可能な事を諦めるのはもう懲り懲りだったんだ」
「お兄ちゃ……」
エストの言葉に、ルカは言葉を詰まらせる。
この時、ルカは兄が父に呪われているのだと理解した。
世界に必要とされなくなり、ただ守られ生かされる、家畜にも劣る人生。それを変えようと世界に挑んでも、その高過ぎる力と才能の壁の前に自らの無力を思い知らされる。
血反吐を吐くような努力を嘲笑い、才能すらも灰燼と帰すかの如き絶対的な力の差。ただ父に期待に応えたかった少年は、その絶望の前に父の期待と、自らの無力を呪ったのだ
「――だからこそ俺は、あの男についた。例え何を犠牲にしても力を手に入れるために」
そう言って拳を握りしめたエストは、不意にその力を抜いて自嘲混じりに息をつく
「それにしても、この世はままならないな。お前を関わらせないようにお前の出場を妨害したというのにまさかこんな結果になるとは……やはり一昨日ではなく、昨日にすべきだったか……」
「っ、まさかセリエを襲ったのは……」
兄の言葉を聞いたルカは、まるで電撃が走ったかのように身体を震わせる。
まさかという思いと、信じたくない、信じられないという感情に身を震わせるルカに、エストはまるで意にも介していないかのように淡々と言葉を続ける
「こんな事になるなら、あの女はそのままにしておくべきだった。そうすればお前は、どんなに遅くとも決勝で負けてこの場を去っていたのだからな」
兄の口から出たそれは、もはや決定的な告白だった。
エストとしては安全策をとったつもりでいた。確かにルカの舞戦祭出場を妨害するなら、前日に襲うのが最も望ましい。しかし、作戦の決行前日ともなれば、最終調整や不測の事態などでグリフィスの目をかいくぐるのが難しくなる可能性があった。
ならば確実にルカの出場を妨害でき、尚且つ強硬に参加しようとしても碌な代役を建てられないであろう時期――即ち、舞戦祭の一週間前に行動したのだ
本来ならエストの目論見が外れる事は無かった。「大貴」というイレギュラーに出会わなければ。
今更自らの計画の過ちを省みた所でどうしようもないと思い直したエストは、意識を切り替えてルカに視線を向ける
「本戦の決勝が終わると同時に、ここは第三勢力――十世界を利用しようとした連中の強襲を受ける……」
「待って……」
「……そしてここは破壊され――」
「待ってって言ってるでしょ!!!」
本を読むのではなく、本に書かれた文字を読むように、感情の宿っていない淡々とした口調で言うエストは、自分に向けて飛来してきたペンデュラムを軽く頭を倒して回避し、その攻撃を仕掛けてきた張本人――ルカに視線を向ける。
「……何のつもりだ?」
エストの視線を受けたルカは、再会を待ち望んでいた頃とは全く異なる兄への感情に身体を震わせながら、怒りにまかせた戦意と気を解放する
「何のつもり? ……本当に分からないの!? 私は妹として、何よりこの世界に生きる人間の一人として、お兄ちゃんの暴挙を止める!」
実の兄に対して揺るぎない戦意を戦意を向け、ルカはその身にまるで龍の如きペンデュラムを纏う。
ルカがエストと戦うのは、兄が行おうとしている事を止めるため。そして同時にエストの「ルカを関わらせないために」という言葉が、ルカに親友に大怪我を負わせた事に対して責任を抱かせるに十分すぎるものだったからだ。
人として兄の道を正すため、兄が犯した過ちを償わせるため、何よりも今この場にいる数え切れない人々を守るために、ルカは兄にその刃を向ける
「……やれやれ、仕方のない奴だ」
一歩も引く気配を見せずに戦意を漲らせる妹を前に、エストは小さくため息をつくと装霊機から、まるで風車の羽を連想させる刃幅の広い一振りの剣を取り出した
※
一方その頃、本戦前の選手控室前では、大貴が一向に姿を見せないルカを案じて装霊機による通信を行っていた
「……どう?」
「いや、やっぱり駄目だ。さっきから何度かけても繋がらない」
一向に繋がらない通信に苛立ちにも似た焦燥を浮かべる大貴を見て、自分と同じかそれ以上に大貴がルカの事を心配しているのが手に取るように分かる詩織は、双子の弟を元気づける意味も込めてあえて明るい表情と、大袈裟な仕草で言う
「仕方ないわね。私がちょっと探してくるから、何かあったら連絡頂戴」
「私もお供いたします」
詩織の言葉に、近くに控えていたロンディーネが続く
「悪い」
姉が気遣ってくれている事くらいは分かる大貴に「大丈夫」と軽くウインクを残して、詩織はロンディーネと共に、ルカを捜して会場の中へと走りさっていく
その様子を大貴の傍らで見ていた白群色の髪の麗人――招霊細小が雪色の髪の少年に視線を向ける
「隊長」
「……あの生真面目なルカちゃんが、この状況で連絡つかないとなると……」
細小の視線を受けた雪色の髪の少年――シグロ・虹彩は、顎に手を当てて、思案を始める
ルカの人となりをよく知っているシグロと細小は不安と心配が等しく混じり合った表情を浮かべる
(どうも雲行きが怪しくなってきたかな……)
険しい表情で目を細めるシグロは、ルカの失踪と同時に、この会場を満たす不穏な空気を漠然と感じ取っていた
舞台裏で華やかな舞戦祭に暗い影が落ち始めているとはつゆ知らず、本戦会場では総合実況を務める女性――「ルイーサ」が宙に浮かぶ台座に乗って、満員の会場の視線を一身に集めていた。
『さあ、皆様お待たせいたしました!! 全ての予選が終了し、見事本戦出場資格を得た八組のペア。そしてこれよりその八組による本戦を開幕したします!!』
ルイーサの宣言と共に、会場を割れんばかりの歓声が包み込む
『舞戦祭ファンの皆様には分かり切っておられる事でしょうが、本戦も予選と同様のトーナメント方式。そして各ブロックがそのまま対戦枠となります。
第一回戦は、第一ブロック代表対第二ブロック代表、二回戦は第三ブロック代表対第四ブロック……といった具合ですね』
会場の大歓声の中であっても、特殊なマイクと拡声器によってルイーサの声は全く遮られる事無く会場に行き渡っていく
「大貴君は予選三ブロックだから、第二試合だね」
「……ああ」
その解説を聞きながらも、全く耳に入っていない様子の大貴を見ても構わずに、シグロは言葉を続ける
「ちなみに僕達は、最後の第四試合だから」
「……隊長」
全く空気を読まずに話を続けるシグロに、隣に立つ細小が辟易した様子でため息をつく
『さあ、それでは早速始めましょう。舞戦祭本戦の開始です!!!!』
そんな控室での一幕など知る由も無く、ルイーサの高らかな宣言と共に会場の扉が開く
『第一試合は、いきなりこの方々!! 第一ブロック代表、アーロン・グランヴィア、テオ・ラインヴェーゼペア!!!』
ルイーサの紹介が早いか、会場中から歓声が噴き上がる
『毎回パートナーを替えての参加になる王者、テオ・ラインヴェーゼを擁するこのペアは、今回も優勝候補筆頭!! 大穴狙いのギャンブラーでもない限りは、この方々の優勝に賭けておられるのではないでしょうか!?』
観客の想いを代弁するかのようなルイーサの言葉が、割れんばかりの歓声に包まれた会場内にこだまする
タッグバトルの頂点であるテオ・ラインヴェーゼは、そのあまりの強さに賭けが成立しないと主催側に危惧されたため、参加する際には毎回パートナーを変える決まりがあり、そのパートナーも主催側がくじ引きで決めているという徹底ぶりだ。
しかし、そうまでしてテオの勝率を下げようとしてきた運営側の目論見を嘲笑うかのようにテオは出場するたびに優勝をしてきている。一説には、貴族姓の持ち主とは組ませないようにしようという動きもある程の――ある意味、運営が何としても負けさせようとする程の絶対強者であり、「テオに賭けても勝てはするが、儲けは無い」とまで言われるほどだ
『今回も大人気ですね』
会場を埋め尽くす歓喜の声に、解説席のジェイド・グランヴィアは笑いを噛み殺しながら応じる
自身も舞戦祭最強と言われ、シングルバトルで似たような体験をしているジェイドから見れば、今のテオの姿はまるで自分を見ているような既視感を覚えるものなのだ
『続きまして、第二ブロック代表! ムルバード、ギグリオ・サングライルペア!!!』
ルイーサの言葉と共に、テオとアーロンが入場してきたのとは反対側の扉が開き、髪を短く刈りあげた少年と筋骨隆々とした大男が姿を現す
「始まりましたわね」
モニター越しに、入場してきた二組のペアを見ていた大貴に、気品に満ちた柔らかな声がかけられると同時に、肩を並べるように大貴より頭一つ分ほど背の低い女性が歩み出てくる
「……えっと」
その声に振り向いた大貴の視界に映ったのは、金色の髪を揺らし、修道服に似た漆黒の衣に似た衣装を纏った貴族の麗人を連想させる女性
見覚えのないその人物に怪訝そうな表情を浮かべた大貴が何か言うよりも早く、その女性はまるでダンスパーティで男性の誘いを受ける女性のような優美な所作で頭を下げる
「お初にお目にかかりますわ。第四ブロック代表『エカテリーナ・フォスキアル』と申します。あなたの一回戦の相手、という事になりますわね」
「……どうも」
エカテリーナが見せたような所作は人間界城で何度か見ている事もあって、大貴にとってはさほど物珍しいものではなくなっている
多少の耐性がついている事もあって、エカテリーナの言葉に軽く会釈する程度に応じた大貴の様子が不満だったのか、身体を起こした麗人はわざとらしく肩を竦めて言葉を続ける
「あら、随分とつれないのですわね。女帝と舞戦姫を垂らし込んだというから、もう少し手応えを期待していたのですけれど。……わたくしのようなタイプは守備範囲外ですの?」
「……別に垂らし込んだ覚えは無いんだけどな」
エカテリーナの口から出たあまりにも不本意な言葉に、大貴の表情も自然と渋いものになる
確かに昼食の時の光景を事情の知らない者が見ればそういった誤解を抱くかもしれないが、大貴にしてみるとそんなつもりは微塵も無いのだから、言いがかりをつけられているようなものだった。
もちろん、そんな大貴の考えを知れば、エクレールやミリティアのファンが「贅沢だ」と言って怒り狂うだろうが、大貴にはあずかり知らぬ事だ
「あら、そうなんですの?」
「……はぁ」
思わず目を丸くしたエカテリーナを見て、大貴は重々しいため息をつく
もちろん大貴も年頃の青少年。エクレールやミリティアに興味がない訳ではないし、どれほど魅力的な異性であるのかという事も認識している
ただ、二人とはまだそういう関係ではないという思いと、「垂らし込んだ」という不本意な自分への評価に辟易しているだけだ
(俺、そんな女たらしに見えてるのか……?)
今更ながらの自分への評価を聞いた大貴は、自己嫌悪と共にがっくりと肩を落とした
※
本戦の第一試合が開始された頃には、すでにルカはエストとの戦いはほぼ勝敗が決まっていた
「……っ」
荒く乱れた呼吸を繰り返すルカの足元には、その身体から滴った血液が赤い染みを作り、周囲には両断されたペンぢゅラムの結晶部とその破片が無残に転がっている
「……相変わらず弱いな、ルカ」
そんなルカとは対照的に、傷一つ負っていないエストは平然とした様子で満身創痍のルカを睥睨しつつ、手にした風車の羽を思わせる刃を持つ剣を軽く振る
(お兄ちゃん、やっぱり強い……でも、何? この変な感じ……)
後方からの援護や感覚共化を得意とするルカと違って、エストは直接的な戦闘能力に長けていた。貴族の名を冠するほどではないが、それでもその戦闘力は確実にルカよりも優れている
エストの強さに懐古の念を抱きつつも、ルカはそれ以上の違和感を覚えていた。確かに昔からエストはルカよりも強かった。しかし、ここまで圧倒的な差があったという印象はない
時間がそれだけの差を生んだと言われればそれまでだが、幼い頃からエストを知っているルカには、その強さが何か異質なものに思えてならなかった
「そろそろ気付いたか?」
兄の違和感に覚えているルカに、エストは淡白な口調で問いかける
「……?」
その言葉の意味を掴みあぐねたルカが、一瞬怪訝そうな表情を浮かべたのを見てエストはやれやれと言わんばかりに小さくため息をつく
「この場所で俺達が戦っていて、人も、警備の自動人形すらやってこない事を何とも思わないのか?」
「――っ!!」
そこまで言われて、ルカは兄の言わんとしている事を理解して思わず目を見開く
今ルカとエストが戦っているのは、舞戦祭会場の一角。こんなところで戦っていれば誰かが気付くだろうし、警報装置に引っ掛かり警備用の自動人形などがやってきていなければおかしい。
何より、これだけ戦い続けているというのに、周囲に人がいないどころか、周辺に気の反応すら感じ取る事が出来ない。
(しまっ……これ、空間隔離!? いつの間に……?)
エストの言葉でようやく事態を把握したルカは、兄との再会、その口から語られた事実の数々と兄への怒りと動揺で周囲へ意識を向ける事が出来ていなかった自分を内心で責める
人間が使う空間隔離は、全霊命が使うそれとは異なるものだ。
全霊命の空間隔離が、神能によって世界を複写するものだとすれば、半霊命の空間隔離は、装霊機の空間収納と同様の原理で、別の空間を作り出すもの
さらに全霊命の空間隔離のように一度作れば、世界同様に際限無く広がっているというものではなく、空間そのものがループしている
いずれにしても、自分が気付かない間に人工的に作られた異空間に閉じ込められ、救援も応援も期待できない事を理解したルカが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていると、エストが嘲笑う様な口調で話しかける
「後方支援型のお前が、周囲に気を配れなくてどうする? 感情と情に任せて俺を戦おうとせず、さっさとあのパートナーにでも助けを求めていればこんな事にはならなかったというのに」
「……っ」
容赦ないエストの指摘に、ルカは唇を引き結びながら拳を握りしめる。
後方支援を得手とするルカは、常に前線で戦う仲間を危険に晒さないために、広い視野と冷静で的確な判断が求められる。
確かにエストの言う通り、すぐにでも助けを呼んでいれば今のような状況には陥らなかったのは間違いない。しかし、兄への怒りや様々な感情何よりも人を呼べば、仮に兄を思いとどまらせても咎は免れなかったであろう事実――ほんの少しの妹としての情が、それを思いとどまらせ、結果として全てを後手に回らせてしまった。
「っ、私は……!」
感情を発露したかのような声に応じてルカの周囲の空間が揺らぎ、無数の巨大なペンデュラムが出現し、その水晶のような先端が時計の文字盤のように空中に並ぶ。
次の瞬間、ペンデュラムの結晶部が光り輝き、その光が円卓に並んだペンデュラムヘッドの間でやり取りされ、屈折し乱反射する光が円卓の中央で光の玉を作り出す。
「……ほう」
ルカの天空から放出された極大の気力砲。子供の頃にも見た事のないその技に乾いた声と共に張り付けたような笑みを浮かべたエストは、その手に持った剣の一薙ぎでルカの気力砲を粉砕して力の粒子に変える。
「……なっ!?」
まるで蝋燭の火を消すように渾身の一撃を破壊されたルカが目を見開く前で、エストの身体が魔法陣のような紋章が浮かび上がる暗黒の闇に包みこまれていく
「お前には特別に見せておいてやろう……俺が手に入れた人が人を超えるための力を」
「――っ!?」
「俺は今こそ、夢の残骸から夢になる」
※
時は少し遡り、本戦が開始される少し前。ルカを捜して会場内を走りまわっていた詩織は、不安を隠せない表情で周囲を見回す
本戦開始が近いという事もあって、溢れかえるような大勢の客の大半は客席へと移動し、詩織達が奔っている会場の通路には、まばらな人影と警備巡回用と、清掃用の自動人形の姿しか見えない
「ルカちゃん、どこ行っちゃったんだろ?」
選手であるルカが客席に移動しているはずはないと、会場の外を重点的に探している詩織の隣を並走するロンディーネは、不安の色を浮かべる詩織とは対照的にその表情に剣呑なものを宿していた
(妙ですね。いかにこの会場が広いとはいえ、私の装霊機を探知するレーダーに引っ掛かってこないなんて……)
人間界のほぼ全員が持っている装霊機には、個人認証と証明機能が搭載されている。この機能によって個人を識別し、進入制限の設けられた区域、区画への通行許可や鍵の認証などを人間側は何もせずに行う事が出来る
魔道人形であるロンディーネには、この個人認証を探知するレーダーが組み込まれており、個人の特定、ルカのように装霊機のコードさえ知っていれば、個人を探知する事もできる。
もちろんその探知範囲には限界があるが、数キロから数十キロならば圏内だ。そこにかからないほどルカが遠くにいるとは思えない。
その事実に、おぼろげながら今起きている事態の深刻さを感じ取りつつあったロンディーネの様子に疑問を覚えた詩織は、怪訝そうに問いかける
「ロンディーネさん?」
「あ、申し訳ありません。少々考え事をしていたものですから」
訝しんだ様子で訊ねてきた詩織に、ロンディーネは一瞬言い澱むが根拠のない不安を煽るのはよくないと判断し、胸中の不安を洗練された笑顔で仕舞い込む
「そうですか……」
さすがに王城で働いているだけの事はあって、気持ちと思考の切り替えが早く、腹芸にも長けているロンディーネの真意を、平凡な中学生に過ぎない詩織が看破する事など出来る筈もない
ロンディーネの言葉をすんなりと受け入れて、気を取り直した詩織は不意に正面の通路から姿を現した金髪の青年と視線を交錯させる
「おや、寄寓ですね」
「あ、グリフィスさん」
(確か、昨日の……)
本日二度目の再会に軽く挨拶を交わす詩織とグリフィスの傍らで、ロンディーネは詩織が話している金髪の青年が、先日街で詩織がぶつかった人物だとすぐに気付き、いつの間にか詩織が相手の名前を知っている事に若干の驚きを見せる
「こんなところでどうしたのですか?」
「それが、知り合いと連絡がとれなくなっちゃって……」
グリフィスの問いに、詩織は沈んだ表情で応じる
「そうでしたか。それは心配ですね」
※
暗黒の海の中、静寂だけが支配するその場所に、一人の少女が姿を現す。
レオタードのような衣装の上にコートを連想させる厚手の服を纏った少女の輪郭は淡い光に彩られ、少女をまるで幻想の世界の住人のように演出している
「さあ皆さま、お時間です。あの方のご期待に添えるように頑張って下さいませ」
静寂が支配する闇の中に、決して張り上げた訳でもないその声が大きく響き渡ると、落とされていた証明が次々に灯り、その場所とそこにいる大勢の人間が照らし出される
そこは、艦のブリッジ。とは言っても、人間界の船はほぼ完全に機械制御で動かせるため、ここにいるのは少女と、少女が下り立ったブリッジの中央に座す五人の人間だけ
「……任せておけ」
少女の言葉に、五人の人間の中央に立つ艦長と思しき初老の老人が、顔の下半分を隠す豊かな白ひげの下に笑みを浮かべる
「いくぞ!! 気を引き締めよ」
『はっ!!』
白いひげの男の声に、ブリッジの中に通信で繋がった戦艦内の兵士たちの勇ましい声が返ってくる
「突撃!!」
その声に応じるように、少女の姿が消失し、同時に戦艦の前方にまるで暗黒の世界に差し込む一筋の光明のように巨大な穴が開く
同時に男達を乗せた戦艦が加速し、その穴めがけて突っ込むと男達の前に広がっているのは舞戦祭本戦会場の屋根
男達を乗せた戦艦は、巨大な杭に似た形をした円錐形の艦。戦艦というよりは、まるで巨大なランスと表現した方が適当に感じられるその艦は、そのまま本戦会場の屋根に艦首から突っ込んだ
「きゃあああっ!?」
突如会場を揺るがした爆音と衝撃に、詩織は耳を抑えてその場にしゃがみ込む
まるで巨大な地震に見舞われたかのように建物全体が震える衝撃に、立ったままで耐えていたロンディーネの耳に、グリフィスの茫然としたような声が届いた
「馬鹿な……っ、まだ早い」
一方その頃、天井を突き破って会場に突き刺さった戦艦の艦首に、本戦会場は一時騒然とした空気に包まれる
「……何だ?」
当然の如く、戦艦の艦首による一撃を回避していた第一回戦の選手――「テオ・ラインヴェーゼ、アーロン・グランヴィア」と「ムルバード、ギグリオ・サングライル」のペアは、全く動じた様子も無く戦艦に視線を向ける
『レディース、ア~~ンドジェントルマ~~~ン!!!』
その時、その場にいる誰もが見つめる前で会場の地面に深々と突き刺さった戦艦の艦首が開き、そこからスポットライトを浴びながら一人の少女が姿を現す
人間界で年齢などと言う概念は通用しないが、外見だけで見れば十代半ばから後半と言ったところ。やや小柄な少女は、ボサボサに乱れた赤色の髪の間からのぞく獣のような目で会場にいる四人と客席を見回す
「……誰だ?」
「さあ?」
「存じませんわね」
その様子を画面越しに見ていた大貴の問いに、隣にいたシグロとエカテリーナが同時に応える。
普通なら慌てふためくであろうこの状況下で全く動じていないのはさすがと言うべきか、感覚が麻痺していると言うべきかは判断しかねるが、おかげで大貴は、今目の前にいる少女がさほど世間で名の通っている人物ではない事を知る事ができた
『こんな賭け事に興じるのも飽きただろ!? あたし達がもっと楽しい祭を演出してやるよ。――文字通り命をかけた殺戮ショーをねぇ!!』
そんなやり取りが舞台裏で行われているとは露知らず、船首の上に立つ少女は、血に飢えた獣のように血走った目を見開くと、その口を三日月形に歪める
その宣言を空間に浮かんだモニター越しに見ていた舞戦祭主催者――ギルフォード・アークハートは、机に置いた仮面を一瞥し、その口元をわずかに歪める
「――クス」
その小さな微笑に気付く者は、どこにもいなかった。