カーニバル・ダンス(後篇)
大貴の気の波動が噴き上がり、触れるもの全てを破壊する「力」が、空間そのものを薙ぎ払わんばかりに超広範囲を埋め尽くす
まるで破壊の力の噴水のように会場に吹き上がる力に会場と客席を隔てる結界が軋み、並みの人間の知覚など塗り潰してしまうほどの圧倒的な力が荒れ狂う
「……っ」
全霊命であれ半霊命であれ、その力が強大であるほど、例外なく広範囲殲滅攻撃を得意としている
単純に「破壊」の概念を込めた力を超広範囲に放出するだけの広域殲滅攻撃は、自分より力の弱い者を空間、領域単位で滅ぼす事が出来るため、九世界の戦闘――あるいは殲闘ではよく見られる光景でもある
「……はぁ、はぁ」
軽く肩で呼吸をしながら、大貴、エクレール、ミリティアの間に緊張と膠着状態が生まれる
「本当に厄介ね」
「はい」
呼吸を整えながら言うエクレールの言葉に、ミリティアが抑揚のない口調で応じる
エクレールはもちろんだが、特にミリティアの剣嵐舞闘は、空間を最大限立体的に利用した戦術だ
ミスリーが「対ミリティア・グレイサー」として用意していた戦術が証明しているように、三次元的な空間に剣を配置する事で、死角、全方位からの攻撃を可能とする「剣嵐舞闘」は、防御が難しい程の強大な気の力で空間を薙ぎ払う、障壁などで空間を遮り、その位置、運動を阻害する事で大きくその能力に制限をかける事が出来る
当然、自身の戦術の弱点くらいは把握しているミリティアにとって、領域攻撃や妨害は想定の範囲内の事だが、規模そのものが桁外れに違う大貴の力を前にすると、その弱点が顕著に表れる事になってしまう
「それに……」
ミリティアの声に応じるように、エクレールも大貴から意識と視線を離さないようにして、会場の客席の上の空間に表示されている画面に目を向ける。
そこに表示されているのは「戦闘時間」。刻々と過ぎていく時間に、表情には出さずとも、エクレールとミリティアは焦燥を抱く
舞戦祭の戦闘時間は、一試合につき三十分。滅多には無いが、万が一時間切れと言う事になれば、審査員による判定での決着となる
現在までの状況を考えると、その勝敗は半々といったところ。せめて一人倒せれば違うのだが、それを見越して大貴はルカをかばうようにして戦っている
そして何よりも、エクレールとミリティアには、速く決着をつけたい「理由」があった
「……持久戦、ですか?」
「ええ。大貴さんとルカさんは、エクレール様、ミリティア様との勝負に勝つために、持久戦を行っているのです」
「えっと……何で持久戦なんですか?」
ロンディーネの言葉の真意を掴みあぐね、詩織が首を傾げる
その質問を見越していたロンディーネは、普段通りの穏やかな口調でいつも通り何も知らない詩織に説明を加える
「気の力は、基本的にその行使、循環に対して百%のエネルギー効率で行われます。つまり、気を行使しても、その際にエネルギーロスが一切発生しないのです。――ですが、それにも例外があります。それが、気と気の激突です」
「!?」
ロンディーネの言葉に詩織が小さく首を傾げる
エネルギーとは精製されたエネルギーを百%使う事はできない。ガソリンであれ、電力であれ生み出したエネルギーの何割かは全く使用される事無く失われてしまう
そう言った意味で、物理法則の影響を受けない霊の力は一切のエネルギーロス、抵抗などを持たない完全型のエネルギーであり、その性質故にその特性を組み込まれた魔法科学では、半永久的にエネルギーをみ出す「永久機関」を実現させる事も容易であり、現に人間界のエネルギーには、そうして生み出される無限エネルギーが用いられている。
しかし、霊的なエネルギーが全く減らないという事ではない。霊の力が存在、魂と等しい以上、仮にその力が本当の意味で永遠なら、その力を持つ存在は不死にして不滅という事になってしまう。
だが、現実には人間をはじめとした半霊命はもちろん、霊そのもので存在が構成された全霊命も命を落とす。それこそが、霊の力が絶対無限では無い事の証明に他ならないのだ
「放出された気がぶつかった際、その気は相殺されて消滅します。つまり、気の絶対量からその分の気が失われてしまう事になるのです。当然、大きな力とぶつかるほど消耗が大きく、気が底をつけば戦闘力が失われてしまいます」
ロンディーネの言葉に、詩織は難しい表情を浮かべつつ、ゆっくりとその言葉の意味を咀嚼して解釈すると、恐る恐る口を開く
「……つまり、大貴の攻撃を防ぐたびに、エクレールさんとミリティアさんはエネルギーを使っちゃうって事ですよね?」
「その通りです」
詩織の言葉に、「よくできました」とばかりにロンディーネが称賛の声を向ける。
「半霊命の力である界能の力は、全霊命の神能のように無限でも無尽蔵でもないため、常に絶対値を維持し続ける事ができません。
そのために、気の力は一度消耗してしまうと、完全回復までに時間を要します。エクレール様とミリティア様にとって、こんな戦いが長引けば、仮にこの戦いで勝利しても次以降の戦いに差し障る事になりますし、時間をかければかけるほど、気の力の全てで圧倒的に上回る大貴さんが有利になっていきますからね」
舞戦祭のタッグバトルはトーナメント戦。一定の休息時間が設けられているとは言っても、その限られた時間の中で大きく消耗した気の力を完全回復させるのは容易な事ではない
予選決勝戦で消耗が大きくなりすぎれば、次以降に控える戦いに大いに差し障る事になるだろう
「……二人からしたら、凄く困りますね」
「ええ、そういう事です」
詩織の言葉に、ロンディーネが応じる
「じゃあ、このままいけば……」
「このまま二人が指をくわえて同じ事をしてくれれば、ですが……」
大貴とルカの勝利への希望に表情を明るくする詩織いに、ロンディーネは神妙な面持ちで会場に視線を戻した。
その言葉に含まれている暗く重い何かを感じ取り、詩織は思わず息を呑んだ
その頃、会場で暴虐極まりない大貴の気の波動に晒されていたエクレールは、乱れていた呼吸を整えるために小さく息をつく
「……ミリティア、下がっていなさい」
「エクレールさん!?」
一見すると、まるで絶体絶命の危機的状況に、自身の運命を天に委ねたかのような穏やかな一縷の希望に縋るとも、全てを諦めて達観したかのようにも感じられるエクレールの声に視線を向けたミリティアはその姿を見て目を見開く
ミリティアと並んで立つエクレールは、膨大にして強大な波涛の力を纏わせた剣を軽く振るい、その力をまるで燃え上がる炎のように解き放つ。
「ちょっ、それは……」
知覚を埋め尽くすほどの強大な気と共に、まるで炎のように燃え上がる水を見て、ミリティアが驚愕と恐怖に彩られた戦慄の声を漏らす
『こ、これはまさか……っ!!』
「あの二人――いえ、彼ならこの攻撃でも死ぬ事は無いでしょう」
実況のシャオメイとパートナーのミリティアが絶句する中、静かに佇むエクレールはそう言って眼前の敵――大貴を見据える
(何だ……!?)
解放されたエクレールの強大な力を警戒していた大貴は、自身の目に映った光景にわずかに細める
その視線の先では、水の炎が広がっていくのに合わせて、エクレールの周囲の空間がまるで蜃気楼のように霞んでいく
「あれは……まずいよ大貴君!!」
陽炎のように揺らぐ世界を見て、大貴の背後にいたルカが恐怖と戦慄に震える声で警戒の声を上げる
「……?」
『こ、これは、エクレール選手の最大殲滅攻撃!!』
ルカの言葉の意味を掴みあぐねた大貴に、実況のシャオメイが説明するように声を挟む
「しっかりと防ぎなさない。さもないと……」
燃え上がる水の刃を持った刀身を水平に構え、エクレールは抑制の利いた静かな声を大貴に向ける
「――死ぬわよ」
「……っ!」
誇張でも威嚇でもない事実を淡々と告げたエクレールの言葉と、その身から放たれる一点の曇りもない明鏡止水の殺気を宿したエクレールの言葉に、大貴は目を見開いた
「先ほども説明したように、水とは無数の概念を内包したものです。エクレール様のあの技は、自身の気によって強化した水の力を空間に『浸透』させ、空間そのものを崩壊させるのです」
「……空間を……!?」
その頃客席では、会場に視線を向けたままのロンディーネが隣の席に座る詩織に、いつもの様に解説をしていた。
思わず息を呑み、身体を強張らせた詩織に小さく首肯して見せたロンディーネは、揺らぐ空間の中に佇むエクレールの姿を見て目を細める。
「水にはあらゆるものに染み込み、浸透する特性があります。エクレール様の力によってその概念を強化されたあの力は、空間に浸透し、まるで水を吸った紙のように空間そのものの構造を弱化させ、崩壊させる事が出来るのです」
「……っ!」
ロンディーネの言葉に、詩織は目を見開く
水はあらゆるものに染み込む「浸透」の特性を持っている。エクレールの力によって強化された水の力は、金属のように本来液体が染み込みにくい性質のものにすらその力を浸透させる事が出来る。
そして水を過剰に吸い込んだ土が、ふとしたはずみで土石流となって崩れ落ちるように、許容を超えて浸透した水は構造そのものを軟化させ、強度を失わせる力を持っている。
エクレールの力によって強化された水の力は、「浸透」の力によって空間そのものに染み込み、その強度を失わせる事によって空間崩壊を招く
「……あれこそ、エクレール様だからこそ使う事が出来る界能による最大破壊攻撃の一つ、『天震』の派生技……」
ロンディーネの言葉を引き継ぐように、エクレールは水平に構えた水炎の剣を大貴に向かって振り抜く
「――『空間融崩』!!」
刹那、エクレールの斬撃に合わせて水の力によって強度が失われた空間そのものが崩壊し、その破壊の力が決壊したダムの瀑流の如く渦を巻いて大貴を呑みこむ。
『きゃあああっ!!』
『……やはり、圧倒的な破壊力なんですな……っ』
崩壊した空間の力は、まるで土砂を押し流す洪水のようにエクレールの水の力に巻き込まれて流され、さながら津波の如く渦を巻き、濁流のようになって荒れ狂う。
制御されていなければ、会場と客席を隔てる結界すら容易く粉砕する破壊力を持つ空間と波涛の渦潮に会場そのものが震えて軋み、大丈夫だと分かっていても、それを観戦する観客達は恐怖と戦慄に心身を凍てつかせる
エクレールの最大殲滅攻撃――「空間融崩」は、天震の派生技に分類される技だ
「天震」とは、深紅の巨竜艦「テスタロッサ」にも搭載されていた、世界と世界を繋ぐ人工の掛け橋――時空門の研究の過程で発見された、物理と霊の融合による物理限界を超越した破壊の力。
「空間の壁」と呼ばれる世界と世界を隔てる時空間には、常に一定を保ち、万が一崩壊しても元通りに戻ろうとする力がある。霊的な力、あるいは霊の力、あるいは物理限界を超越した科学――魔法によってこの空間の壁に無理矢理穴をあけて、異なる世界同士を繋ぐのが「時空移動」だ
そしてその時空を繋ぐ扉を開いた際、それを塞ぐために空間が膨大な規模のエネルギーを発生させる。――それが「天震」だ。
空間そのものから生み出される天震の破壊力は、界能によって引き起こされる現象としては最大級のそれに位置し、場合によっては世界を丸ごと消滅させる程のエネルギーを生み出す
触れるもの全てをその圧倒的な力で消滅させてしまう破滅の水撃に会場は静まり返り、空間の混じった水が渦巻き、荒れ狂っている音だけが、今この世界を支配していた
「っ、エクレールさ……」
一切の加減の無い完全殲滅攻撃を放ったエクレールに、ミリティアがさすがに非難交じりの視線を向ける。
天震と言えば、世界級災害とまで言われる世界規模の破壊を引き起こす力の代名詞。最強の半霊命種族として、王族と並び称されるほど名高い竜族すら、その力の前では成すすべもなく塵と化して消滅してしまう
そんな超破壊攻撃を、加減するどころか、気の力によって束ねてその破壊力の全てを大貴に叩きつけたエクレールに対して、ミリティアが非難の声を向けるのも無理からぬことだった
「……っ!!」
しかし、ミリティアの言葉がそれ以上紡がれる前に、花のように可憐なその唇は言葉を紡ぐ事ができなくなってしまった
自分達の正面、全てを崩壊させる空間の波涛が強大な気の力で切り裂かれるようにして分かたれ、その中から半身に傷を負った大貴が姿を現したのだ
「……言ったでしょう!? 大丈夫だって」
「そんな、まさか……」
平静に言うエクレールとは対照的に、ミリティアは驚愕を隠す事が出来なかった
エクレールの最大攻撃である空間融崩の破壊力は筆舌に尽くし難く、おそらく人間界で最も水属性との適合率が高いエクレールだからこそ可能なその技は、空間そのものを押し流すが故に空間上に存在する全てのものに対して絶対的に優位な破壊特性を持っている
天震は霊的概念をによって引き起こされる霊的現象。それを防ぎきるには同等以上の霊的な力が要求される
確かに王族と同等以上の力を持つ大貴ならばそれを防ぎきる事が出来ても何ら不思議はないが、空間そのものの崩壊の力を利用する天震は、一度空間を崩壊させればその威力は「世界」の力に比例するため、使用者の気の強さに左右されないという特徴を持つ
世界そのものの力を直接打ち込むに等しい天震は、威力だけでいえばハーヴィン級の気となんら遜色は無い上、空間自体を攻撃に利用しているためにいかなる速さも問題にしない
かつてエクレールと戦った際、この技の前に成す術もなく敗れた過去を持つミリティアからすれば、この暴虐極まりない力を差なる力でねじ伏せる大貴に、現実感を損なわされるのも当然の事だった
『た、立っています!! 立っております!! 目の前で見ていながら信じられません!! エクレール様の空間融崩の直撃を受けながらも、凌ぎきったーーーーっ!!』
『これは、驚いたんですな……』
しかし驚愕に打ちひしがれているミリティアに追い打ちをかけるように、シャオメイがその事実を衝撃を以って叫ぶように実況する
「なるほどな……これは、とんでもない破壊力だ」
「っ、大貴君……」
さすがの大貴ですら無傷で凌ぎきる事が出来ず、大量の血液を流して足元の大地に深紅の斑模様を描く大貴の背後でルカが息を呑む。
決して継承ではない傷にルカが怯んだのはほんの一瞬。すぐさま冷静さを取り戻したルカは、ペンデュラムを行使して大貴の傷の回復を始める。
「ルカ!」
「え!?」
大貴の鋭い声に我に返ったルカは、自身の眼前で大貴の刀が目に見えないほどの速さで閃き、何かを弾き飛ばしたのを目撃する。
「これ……っ」
そこに至って、ようやく空中に跳ね上げられたミリティアの細剣を目視したルカは、自分が狙われた事を理解する
戦闘において弱いところや弱点を突いて強敵を倒すのはな当然のことであり、決して卑怯などではない。大貴と自分とを比べた時に自分の方が直接的な戦闘力が低い分狙われやすい事を、ルカ自身も十分に理解している。
それ故、ルカが驚愕に言葉を失っているのは、エクレールとミリティアが明らかに弱い方である自分を狙った事ではなく、全く反応すらできなかった自分自身の圧倒的な弱さを決定的に突きつけられたからだった
《頭を下げろ!!》
その時大貴の強い意志が、思念通話を介してルカの心の直接届けられる。
ルカがその言葉に半ば反射的に頭を下げると、ルカの目には視認できないほどの速さで大貴が刀を横薙ぎに一閃させ、背後から津波のように吹き上がってきた水の爪を粉砕する
「……まったく」
完全に不意を突いたはずの水刃の攻撃を防がれたにも関わらず、エクレールはどこか嬉しそうな笑みを浮かべる
「あ、ありがとう……」
「ああ」
ルカの言葉に背中で応じ、大貴はいつの間にか自分達を挟むように立っている二人の美女に意識を集中させる。
これまで大貴は、挟み撃ちを防ぐために、二人を一度に攻撃するためにエクレールとミリティアが可能な限り近くにいるように波動のような広範囲攻撃を加えていた
いくら大貴でも、前後に等しく注意を向けながらルカを守りつつ戦うのは決して容易な事ではない。さらに、光速以上、あるいはそれに準じる速度で移動できるミリティアの特性を封じるためにも問答無用の広範囲攻撃は有用な手段でもあった。
だが、大貴に打つ手がない訳ではない。これまで前方に扇形に放っていた波動を円形に放ち、全方位への攻撃に変えればいいだけの事だ。しかし、全方位攻撃自体が不可能ではなくとも、攻撃範囲が広がれば、それに伴って消費する気の量も多くなる。
いかに大貴が人間界最大の気の総量を誇っていても、そんな広範囲に強力な波動を放ち続けていては早々に気が底をついてしまうだろう。――そうなってしまったら、もはや舞戦祭脱落は明白だ。
一方でエクレールとミリティアは、既に大貴の桁外れに強大な気の波動を防ぐために、かなりの力を消費してしまっている。
次以降の試合を考えてもこれ以上戦いを長引かせたくない二人は、軽く視線を交わすとその力を一気に解放する。
ミリティアから噴き上がった水が、大貴達を包み込むようにドーム状に展開し、その水の膜の内側――大貴達に向けて水の槍が狙いを定める。
さらにその外側ではミリティアが無数の剣を一つに束ね、身長の三倍近くはある煌めく光の刃を持った剣と成している。
「……これって……」
その光景を見て、ルカは言葉を失う。
エクレールの回避不能の全方位からの水槍は、是が非でも迎撃せねばならず、仮にそうしたとしてもエクレールの光剣が追い打ちをかけるように狙ってくる。仮にその攻撃すら防いでも、エクレールが次の手を打ってくるだろう。即ち――
「チェックメイトだよ」
『これは、大貴選手、ルカ選手、絶体絶命のピーーンチッ!!』
ミリティアが端的に語ったこの状況を、理解できない人物はここには一人もいない。
後は怒涛のような連続攻撃が全方位から炸裂して、遅かれ早かれ大貴とルカが敗北する――この場にいる者達も、テレビ越しに観戦している者達も大半の人間がそう思っていた。
「……さて、どうするのかしら?」
最終警告とばかりにエクレールが静かな声を向ける。
この状況を作り出した時点で、エクレールも勝利をほぼ確信している。この最後通告は少しでも自身の消耗を避けるために、大貴とルカに降参を薦めるためのものだ。
「……それは降参するのか、って意味か?」
「もちろんよ」
自身が向けた言葉の意味を正確に読み取った大貴に、エクレールは静かに言葉を返す。
「……っ」
エクレールの言葉に、大貴は自分の背後で唇を真一文字に引き結んでいるルカに一瞬だけ視線を向ける。
感覚共化によって、ある程度の共感覚を行っている大貴には、ルカの感情などがある程度伝わってくる。
しかし、他人の感情に決して聡い訳ではない大貴には、ルカの感情のごく一部しか汲み取る事が出来ない。それでもルカが今抱いている様々な感情――戦意、恐怖などの中で最も強く伝わってくるのは、「心配」。
決して軽傷ではない傷を負った自分に向けられる、パートナーを案じるルカの想い。本心ではもう負けてもいいと思っているのかもしれない。
勝利よりも、兄に見てもらうというルカの戦う目的よりも、大貴自身を案じる想いが強い事が、ルカという人物を簡潔に表しているように大貴には思えた
「生憎だな。これからが本番だろ?」
しかし、そんな想いをあえて振り切って大貴は揺るぎない戦意をエクレールに向ける
人間として、かつてない強敵との命をかけた戦いの中で研ぎ澄まされていく戦意と力が、勝利を求めて大貴を突き動かしていく
もはや大貴にとって、この戦いは、ただ勝つために戦い、戦うために戦うだけの戦いとなっていた
「……そう、残念ね」
大貴には降参という選択肢がないと悟ったエクレールは、大貴に引導を渡し、自身に勝利をもたらすべく、水のドームに意識を注ぎ込む
「大貴く……」
「……確か、こうだったな」
ルカが言葉を紡ぐよりも早く、大貴は水平に構えた刀から膨大な気を放出する
すると、大貴が持つ刀の刀身から放出された桁外れの気の力が力任せに空間を軋ませ、まるでとぐろを巻いた龍のように世界をねじ切っていく
「……なっ!?」
その光景に、その場にいた誰もが思わず目を瞠る
世界を、空間そのものを、気の力によってねじ込み、空間がその歪みを回復させる際の膨大なエネルギーを破壊エネルギーとして抽出する
空間そのものは、まるでメビウスの輪のように全ての世界と裏表でつながっている。世界に数多存在する空間を構築する空間のエネルギーそのものであるそれは、まさに世界最大の天変地異。――この技は、その世界災害を、たった一人の人の身で成す、人外の御業。
「……まさかこれは、天震!?」
(エクレールさんのを一度見ただけで覚えたの!?)
攻撃する事すら忘れ、エクレールとミリティアは、目の前で大貴が行っている技に目を見開く
「おおおおっ!!」
その空間に生じた世界そのもののエネルギーを、大貴は刀の一薙ぎと共に解放する
刹那、全てを破壊する暴虐なる力が炸裂し、水のドームを一瞬で消滅させて会場内に滅びの光球を生みだす
真の天震。派生技とはいえ、同質の攻撃であるエクレールの空間融崩と威力そのものは変わらない
しかし、大貴とエクレールでは元々の気の力が違う。つまりそれは、攻撃に用いる事が出来る空間の範囲が違うという事。天震の威力は、その力を生みだすために利用する空間の大きさと深さで決まる。結果的に、影響を及ぼせる空間の範囲が大きいほど破壊力は増す
大貴の桁外れの力よってねじ込まれた空間の破壊力は、エクレールのそれを遥かに凌ぐ。全てを滅ぼす圧倒的な世界の力が会場を焼き尽くし、殲滅し、消滅させる。
『――っ!!』
大貴の力が会場を蹂躙し、実況していたシャオメイは宙に浮く台座にしがみついてその膨大な力に、知覚を焼かれ、衝撃に耐える
天震は、物理現象ではなく霊的な世界干渉。その威力は大貴の気の力によって制御され、限定された空間内、特定対象の身に限定されているため、シャオメイにはその牙を剥く事はない
「……っ」
破壊された空間が震える中で、全霊の力を振り絞ってその攻撃を凌いだエクレールとミリティアは、体中を破壊の力で焼かれながら、その力の発生源を睨みつけるように目を細める
(私達を殺さないように加減した攻撃……制御も完璧という訳ね)
圧倒的な力に知覚能力を麻痺させられ、全てを焼き尽くす光に視界を奪われながらも、この破壊を引き起こした大貴の姿を光の中に睨みつけて、エクレールは内心で舌打ちをする
本来神能ほど世界に干渉できない界能だが、天震の奥義は、それをする事にある
なぜならば、世界そのものの力を破壊エネルギーとして用いる天震は、干渉する空間の大きさによっては、世界そのものを滅ぼすほどの破壊力を生み出してしまう。そのため、天震を使う際は、そのあまりに強大すぎる破壊力を懸命に抑えつけ、制御するのが何よりも優先されるのだ
(やはり、光魔神様は言葉で説明するよりも、実戦の中で感覚を掴む事の方がお得意なようですね)
会場とモニターを焼す尽くす光を見て、客席のロンディーネは目を細める
実は昨日の時点で、ロンディーネは大貴に天震の事を教えていた
天震はその性質上、空間を捩じるなり、破壊するなりすれば発生する現象。――とは言っても、本来は容易には行えないのだが、それも、強大な力を持つ大貴ならば引き起こせてしまう。
万が一制御の無い天震を放てば、会場を守る結界も、それに耐えることなどできないため、その被害は予想もつかない事になる。
それを防ぐ意味で、ロンディーネは大貴に天震の原理などを説明していたのだ
それを大貴が今まで使わなかったのは、制御面の不安から。
しかしそれも目の前で同質の攻撃――エクレールの空間融崩を見、直接受けた事でその制御を完全に手中に収めていた
ロンディーネが言葉でどれほど教えても形に出来なかったこの技だが、大貴は実戦の中でこそ優れた適応力と学習能力を発揮し、成長する大貴の才能がこの難度の高い技を会得させるだけの経験値を与えていた
それを理解しているロンディーネだが、やや非難交じりの視線を会場の中心にいるであろう大貴に向ける
(それにしても、それをいきなり使いますか? 万が一失敗したら……いえ、そういう事ではないのでしょうね)
万が一制御に失敗していれば、大きな被害を免れなかったであろう超大規模殲滅攻撃「天震」の使用。一瞬だけ浮かんだ非難混じりの感情を自分の中ですぐさま否定し、ロンディーネは会場に視線を向ける。
(あなたは、分かっていたのですね――)
その声に応えるように、会場を覆っていた閃光が消えていくとその光の中心だった所に静かに佇む大貴の姿が、会場に設置されたモニターに映し出される
そして、その姿を視認した会場中の誰もが思わず言葉を失い、恐怖と戦慄に身を凍てつかせる事になる
「……っ、嘘……」
『こ、これは……っ』
『そ、そんな馬鹿な……』
光が晴れたその場に刀の切っ先を地に向けて大貴の背後。そこにはまるで天から差し伸べられる光明のように、大きく引き裂かれた空間の裂け目
高さ数十メートルに及ぶであろうその空間の裂け目が意味する事を理解し、その場にいた誰もが絶句し、身を震わせた
『二発目の、天震……っ!?』
思わず声を漏らしたシャオメイの言葉を遮るように、大貴は再度その刃を一閃させる。
「――っ!!」
天空に刻みつけられた巨大な十字は、世界を切り裂いた傷痕
「……いくぞ」
重複された十字型の世界の崩壊を背に、大貴は厳かな口調でエクレールとミリティアに声を向ける
「っ、ミリティア!!」
巨大な十字の傷に背筋を凍らせたエクレールが声を上げる
その声に応じて背後に移動してきたミリティアを守るように、エクレールは渾身の力を込めて全ての水を防御の力へと変換し、同時にミリティアが全ての細剣を糸を介して操って円形に配置して防御結界を構築する
「オオオオオッ!!」
エクレールとミリティアがその力の全てで防御結界を展開したのと同時に、空間に刻みつけられた十字が光を放ち、そこに蓄積されていた世界の揺らぎの力の全てが大貴によって導かれ、世界を滅びの光の中に呑み込む
この場にいる誰もが見た事も無いほどに巨大な空間の亀裂を重複させて生み出された破壊の力は、もはや誰にも想像がつかないレベルに至っていた
世界すら容易く焼き尽くすであろう極光が会場を焼き尽くし、圧倒的なその力は、そこにいる全員の知覚と視角を塗り潰す
破滅の光が会場を埋め尽くしたのはわずか十数秒。にも関わらず、体感では何十秒も、何分も経過したかのように思える時間の後、その光の中から、全ての防御をはぎ取られたエクレールとミリティアがその姿を現す
全身全霊の力で防御に用いられた全ての水は、その圧倒的な力によって全て消滅させられ、通常の姿に戻ったエクレールと、全ての細剣を焼滅させられたミリティアだけが取り残される
「……っ」
世界を滅ぼす光を凌ぎきった二人の美女は、その代償に全ての力を使い果たし、その場に崩れ落ちて膝をつく
身体を焼かれ、全ての力を使いはたして肩で荒く息を繰り返すエクレールは、不意に小さく笑みを浮かべて顔を上げる
「……まったく、無茶をするわね。もし防ぎきれなかったら死んでいた所よ。それとも、それをも覚悟の上だったのかしら……?」
やや皮肉交じりの言葉と共に顔を上げたエクレールの前には、刀を手にした大貴が静かに佇んでいた
いくら賭博興行とはいえ、舞戦祭で行われているのは、命がけの実戦。極稀にだが命を落とす者もおり、エクレールもミリティアもそういう現場を幾度となく見てきた
ここで行われているのは、決して娯楽や遊興ではない戦い。当然エクレールもミリティアも戦いの中で命を落とす覚悟はしている
戦いに身を置く者である以上、大貴が相手を殺す攻撃を繰り出すのは、決して不思議な事ではない
ただエクレールにとって意外だったのは、一瞬死を覚悟してしまう程の攻撃を大貴が放ったという事実に対してだった
「――そんな訳ないだろ」
しかしそんなエクレールの言葉に、大貴はさも当然のように軽い口調で応じる。
「……?」
その口調と言葉に怪訝そうに目を細めたエクレールに、大貴は小さく笑みを浮かべてミリティア、エクレールと視線を移す
「俺は信じてただけだ。あんたたちなら、絶対死なない、ってな」
その言葉に一瞬目を瞠ったエクレールとミリティアだが、肩の力を落として笑みを浮かべる
「……そう」
やや自嘲気味に笑みを浮かべたエクレールは、まるで慈母のような穏やかで優しい笑顔を浮かべて大貴に視線を向ける
「敵であるはずのあなたが、誰よりも私達を信じてくれていたのね……」
優しい声音でそう言ったエクレールは、背後で同じような表情を浮かべているミリティアと視線を交わすと、二人で宙空に浮かんでいるシャオメイに視線を向ける
「審判さん、降参するわ」
「降参します」
まるで、親しい友人と久しぶりに再会したかのような清々しい表情と穏やかな声で敗北を宣言したエクレールとミリティアに、さすがのシャオメイも一瞬我を失ってしまう
舞戦祭での降参は珍しい事ではない。むしろ死力を尽くして戦った結果、力及ばず命尽きる前に敗北を宣言する者の方が多い位だ
しかし、そうして敗北した者達は、全てを出しつくした結果だとしても敗北の悔しさをわずかながらにでも滲ませているものだ
しかし、今それをしたエクレールとミリティアにはそれがない。決して短くない時間、ここで実況をしてきたシャオメイですら初めて見る一点の曇りもない敗北宣言が受け入れられるのには、しばらくの時間を要する事となった
『っ、ギブアップです! ただ今、エクレール、ミリティア両選手から降参宣言が出ました!!』
たっぷり一呼吸分の時間呆けていたシャオメイは、ようやくその言葉の意味を把握して、慌てて宣言を上げる
『勝者、ルカ、大貴ペアっ!!!』
その言葉と同時に、会場が喧騒に包まれる。
この戦いの結果に不満を感じる者は、少なくともこの会場にはいない。しかしエクレールとミリティアが優勝候補の一角と目されていたのも純然たる事実。
この場にいるほとんどの人間が二人の勝利に賭けており、この試合結果は観客達の明暗をはっきりと分けることになった
『このブロックの試合が始まった時、誰がこの結末を予測できたでしょうか!? 舞戦祭最強ペアの一角が、まさかの予選敗退!!』
「……私達の完敗よ」
シャオメイの言葉と観客の歓喜と悲嘆の声で満たされる会場の中で、小さく微笑んだエクレールが手を差し出すと、装霊機に刀を収納した大貴はその手を取って、固い握手を交わす
「俺達が勝てたのは、あんた達が優しすぎた事からだよ……万が一俺があの攻撃を防ぎきれなかった時、ルカに危険が及ぶのを恐れて、あの技を連発しなかった。……そうしてれば勝ててたはずだろ?」
大貴の言う「あの技」と言うのが、空間融崩の事を意味しているというのはエクレールにもミリティアにも明白な事であり、仮にエクレールが空間融崩を連発して放っていれば、この結果が違っていただろうというのが実際に戦った大貴の感想だ。
「フフ……一つ、覚えておくといいわ」
しかし、その言葉に応えたのはエクレールのため息交じりの声。
「天震であれ、空間融崩であれ、その技はあなたみたいにホイホイ連発できるような業じゃないのよ……それこそ、王族の中でも最強レベルの人たちがやるような事なんだから」
「……そうなのか?」
エクレールの言葉に、大貴は思わず目を見開く。
確かに空間融崩を使うに当たって、エクレールが自分達よりも明らかに弱いルカを殺さないように配慮したのは間違いない。
しかし、そもそも空間そのものを無理矢理捻じ曲げ、全ての世界と繋がる空間から生まれる絶大な力を制御して放つという天震系統の技には膨大な負荷がかかるために連発はできないというのが一般的な常識なのだ。
それを大貴ができるのは、単純にその馬鹿げた気の総量があっての事。エクレールにとっては、連発したくてもできないものなのだ。
「呆れた人ね、そんな事も知らずにあの技を使っていたの?」
「……すみません」
嗜めるようなエクレールの冷ややかな口調に、大貴は思わず敬語で応じる。
意図しての事ではないとはいえ、嫌味のような言い方になってしまった事を反省しての事だったが、エクレールはそんな事は意に介した様子も無く、一度だけ優しく微笑むと大貴の耳元にそっとその顔を寄せる。
「……!」
「また、会いましょう」
大貴の耳元でささやかれたエクレールの小さな囁きに、喧騒に包まれていた会場が一瞬にして静寂に包まれる。
この会場は常に地上百八十度全ての方向から映像に撮られており、ある一定以上の音量を持つ声も自動でマイクが拾ってしまう。エクレールの言葉はそれを配慮しての事だったが、耳元に唇を寄せたその姿は、本人達以外にはエクレールが大貴の頬に口づけをしたようにしか見えなかった。
「エ、エクレールさん……!?」
当然同様の誤解をしているミリティアは、エクレールのその行動に目を丸くする。
エクレールは人間界でも指折りの美人だが、浮ついた噂がない事でも有名な人物だった。男を寄せ付けないそう言ったところも「女帝」と呼ばれる由来になっている。――当のエクレールからすれば、男を寄せ付けないなど、身に覚えのない言いがかりなのだが。
いずれにしても、この日を境にエクレールと大貴の関係がほんの一時世間を賑わせる事になるのだが、それはまた別の話。
「……大貴君、モテモテだね」
そのまま身を翻し、去っていくエクレールとミリティアを見送る大貴の背後で情念の炎が燃え上がり、地の底から響いてくるような声に視線を向けた大貴は、完全に目が座っているルカを見て思わず半歩後ずさる
「どうしたルカ? 目が怖いぞ……?」
「んふふ、気のせいだよ、気のせい」
微笑を浮かべているにも関わらず、ルカの目は笑っていない。
その無機質で冷淡な笑みに、身を凍えさせている大貴の様子を肩越しに見て、エクレールとミリティアは会場を後にする。
「……ふぅ、心臓が止まるかと思いました……」
背もたれに体重を預けて、大きく息をついた詩織の様子に微笑み、ロンディーネは会場にいる大貴に視線を向ける
「そうですね」
静かな声で応じたロンディーネの視線の先で、大貴とルカは入場してきた通用口にその姿を消していった
※
「いやぁ、お見事な勝利でした」
会場を退場した大貴とルカは、乾いた一人分の拍手の音と抑揚のない静かな声で迎えられる
わざとらしい演技で二人を出迎えたのは、赤い仮面で顔を隠した長い髪の男だった。
タキシードとコートを合わせたような衣装を身に纏ったその人物の佇まいは、非常に洗練されており、見る者に高貴な人物という印象を与える
「……っ」
「誰だ、あの変な奴?」
その姿を見て息を呑むルカの隣で、初めて見る不審な人物に大貴は警戒感を露にする
人間界の常識がどうなっているのかは分からないが、少なくとも仮面で顔を隠し、わざとらしい拍手で出迎えるような絵に描いた胡散臭い人物がまともな人間だと大貴には到底思えなかった
「ちょっ、大貴君知らないの!? あの人が舞戦祭主催者にしてエクレール様の実のお兄さん――『ギルフォード・アークハート』様だよ!?」
「……!」
しかし、警戒感を露にした大貴に対して、ルカは驚いた様子で応じる
人間界の貴族は、力を持つ者の証。人間界王から授けられる「貴族姓」は、実力がなければ親族であろうと名乗る事は許されず、同時に例え親族で貴族に選ばれようと拝命する貴族姓が必ずしも同じになるとは限らない。
ギルフォード・アークハートは、舞戦祭の女帝、エクレール・トリステーゼの実の兄であり、人間界王から舞戦祭の責任者を任せられている人物。
究極レベルにまで科学を発展させた人間界では、舞戦祭のように王族が管理者を指定しているごく限られた一部の例外を除いて、ほぼすべての世界運営を機械が代行している。
もはや人間など必要ない程に高められた文明を持つ人間界に「企業」などという概念は無く、全ての機関、業務、施設が界営――人間界の公共機関となっており、賭博興行である舞戦祭でさえもその例外に無い。
補足をするならば、舞戦祭は王都でのみ行われている訳ではない。無限にすら等しい広大な人間界に、いくつかそのための会場が設置されており、王都にあるこの会場はその中心的施設とも呼べる場所になっている。
世界に無数に存在する会場には、それぞれに管理責任者がおり、その全員を統べる立場にあるのがギルフォードという事になる。
人間界王によって、世界施設の管理を任せられているギルフォードは、右腕を円を描くように回して胸に添えつつ、深々と頭を下げる。
「大貴さん、是非ともお話をさせて頂きたいので、私の私室へお越しいただけませんか?」
(逐一わざとらしい奴だな……本当にあのエクレールの兄弟か?)
ルカに言われても、未だに目の前にいる仮面の男への警戒心を拭いきれずにいる大貴は、ほとんど無意識にギルフォードの言葉に身構える
「あの、大貴君は怪我してるんです。だから……」
「心配には及びませんよ」
ルカの言葉を見越していたかのように言ったギルフォードが軽く指を鳴らすと、装霊機の通信回線が開き、そこに艶やかな長い黒髪を揺らす淑やかな美女――天宗檀の姿が映し出される
「私の私室で治療しながらお話を聞いていただくだけですから」
「……っ!」
舞戦祭の医務室を預かる七大貴族を引き合いに出されては、ルカも沈黙するしかない
何も言い返す事が出来ずに言葉を呑みこんだルカの様子を一瞥した大貴は、その華奢な肩に軽く手を載せて視線を向ける
「大丈夫だ、ルカ。少し待っててくれ」
「うん」
その様子に話がついたと判断したギルフォードは、静かに言葉を続ける
「――では参りましょうか」
ギルフォードの私室は、舞戦祭が行われている会場ではなく、その会場が設置されているこの場所――人間界の宙に浮かんでいる人工星の中心部にある。
特定の空間同士を直接繋いでいる移動装置である転移装置によって一瞬でギルフォードの部屋の前に移動したため、時間的なロスは皆無に等しい。
この部屋の主であるギルフォードを認識して自動で開いた扉の中では、楚々とした佇まいで檀が待っており、部屋に入った大貴に対してソファを軽く手で示す。
「どうぞ、おかけください」
檀に軽く礼を述べてソファに腰掛けると、背後に回った檀の掌から治癒のための温かな気の力が注ぎ込まれる
檀に治療を施されている大貴を仮面越しに一瞥したギルフォードは、ソファに腰掛ける事無く立ったままその姿を睥睨する
「あなたというお方には、困ったものですね。光魔神様?」
「やっぱり、知ってたのか」
その言葉に目を細めた大貴に、ギルフォードは軽く肩を竦めてからやや砕けた声音絵で言葉を続ける
「何しろ、舞戦祭の主催者ですから」
明後日開かられる予定の光魔神お披露目のパーティには、人間界に対して特に強い影響力を持った貴族達が集められる事になっている
人間界の重要施設の一つである舞戦祭を任せられているギルフォードも、当然その影響力を見込んで呼ばれている
大貴の質問に簡潔に応じたギルフォードは、「そんな事よりも」と前置きをして本題を切り出す
「今、王族の方々も困り果てていらっしゃると思いますよ? 何しろ王の姓を持たないあなたが、それと同等以上の力を見せつけ、我が妹エクレールとミリティア姫のペアをほぼ単身で退けたのですからね」
そのギルフォードの言葉に、大貴はやや不機嫌そうに目を細める
「これはタッグバトルだろ? なら、この勝利は俺とルカの結果だ」
「あの戦いを見て、そんな呑気な事を言う様なおめでたい人間はここにはいませんよ」
大貴の言葉を軽く切り捨てたギルフォードに、大貴の表情に険しいものが浮かぶ
先ほど行われた一戦では、実質的に大貴が一人でエクレールとミリティアを退けて勝利している。
確かに大貴の言う通り、タッグバトルである以上勝利は二人のもの。しかし、その結果を導くに至った過程が共闘によるものではない事を、ギルフォードは問題にしているのだ
「……まあ、いいでしょう。私が言いたいのはそんな事ではありませんから」
一瞬生じた沈黙を破るように、ギルフォードは言葉を続ける
「あなたは強すぎます。何と言っても我等の神なのですから当然ですが。とはいえ、あなたのように圧倒的に強いお方に出場されては、今後の舞戦祭運営に支障をきたします。……故に」
ギルフォードが問題にしているのは、先ほどの勝利に関しての事ではなく、その勝利をもたらした大貴の圧倒的戦闘力の方だ
言うまでも無く大貴の戦闘力は王族すら凌ぎ、このまま成長すれば、やがて最強の人間になるだろう
そして賭博興行である舞戦祭で、圧倒的最強など営業妨害以外の何物でもない。大貴に賭ければ絶対に勝ててしまうのだから、賭けも何もあったものではなくなってしまう
大貴の存在は、すでに舞戦祭の意義すら揺るがしてしまうほど強大なものとなってしまった。故に舞戦祭を運営する立場にあるギルフォードは、大貴に対して宣告を下す必要があったのだ
「光魔神様……いえ、大貴さん。舞戦祭主催者『ギルフォード・アークハート』の名において、今後あらゆる大会への出場を禁止します」
大貴へ下されたのは、今後あらゆる舞戦祭への出場を禁止する宣告
既に参加している今回の戦いはともかく、今後舞戦祭全てへの参加を一切認めないという主催者にして総責任者からの通告だった
「……分かった」
有無を言わさぬギルフォードの口調に、大貴は静かに応じる
その頃、舞戦祭の会場に取り残されたルカは、人気のないバルコニーの柵にもたれかかり、そこから広がっている景色を眺めていた。
ルカの脳裏によぎるのは今日の戦い。人間界最高峰の戦いの中で、圧倒的な力を見せつけた大貴とエクレール、ミリティア。その前で何もできなかった自分に、歯がゆさと苛立ちを募らせる
「大貴君凄かったな……私なんて」
「足手まといだったな」
唇を噛み締めたルカの言葉に、静かな声が応じる。
「……っ!!」
その声にルカは目を見開く
自分の独り言を効かれたからではない。その人物の接近に気付かなかったからでもない。
その声が、何よりも知覚に伝わってくる気の波長が、ルカの記憶の中にあるものと全く同じものだったからだ
「久しぶりだな、ルカ」
顔を上げたルカの目に映るのは、ずっと探し続けた人物。その人に会うためにルカは今この場所に立っている。
「……エスト、お兄ちゃん……?」
あまりの出来事に理解が追い付かず、かろうじて言葉を絞り出したルカの視線の先に静かに佇む赤みの強い赤銅のような短い髪の青年は、その切れ長の鋭い視線でルカを射抜く
「ああ」
――そしてこの兄妹の再会こそが、波乱ながらも平穏だった舞戦祭の崩壊と終焉の始まりだった。