カーニバル・ダンス(前篇)
人間界城の一角にある豪華な部屋――人間界王の執務室では、一連の報告を受けた人間界王「ゼル・アルテア・ハーヴィン」が悲痛な表情を浮かべていた
「ルドルフが死んだか……」
「あなた……」
感情を噛み殺すように言うゼルに、その妻である「フェイア・ハーヴィン」が夫を案じて声をかける。
気が遠くなるような年月を伴侶として添い遂げてきたフェイアには、目の前の夫が王として、一人の男として失われた命と己の無力を嘆いているのが手に取るように分かる
「あいつをはじめ、何人かの貴族達がこの世界のために自ら泥をかぶってくれたというのに……」
そう言って、ゼルは死を悼む思いと罪悪感が混ざり合った沈痛な面持ちで目を伏せる
「光と闇の世界を統一し、恒久的平和を実現する」という理念を掲げて九世界に接触してきた十世界に対し、頑なに拒否の態度を貫いていたある日、不意に全霊命と半霊命の混濁者を生物兵器として利用するという勢力が現れた
そう言った思考を持つ者が現れる事を、人間界も全く考慮していなかった訳ではない。むしろ多少は出てくるだろうと考えていた。しかしそれは到底実現可能とは思えない机上の空論に過ぎない。無視していても、やがては縮小し、自然消滅するはずだった
しかし予想に反してその勢力は拡大を続けた。一般の民から、貴族、そして七大貴族へと広がり、ついには「ハーヴィン」を冠する王名十三家にすら少なからずその影響を及ぼし始めていた
それを解決するために名乗りを上げたのが、ルドルフ・アークハートを筆頭とする貴族達。彼らはその勢力に接触し、瞬く間に掌握。その権力を手中に収めると同時に、自らが率先して人間界と敵対する事で予想以上の速さで予想外の規模となった勢力を抑え込む事に成功した。
そしてその勢力も明後日に催されるパーティで光魔神――大貴の存在を披露し、知らしめることによって無力化する事が出来るはずだった。
しかし、あと一歩の所でその計画は、ルドルフ達の死という最悪の形で潰える事になる。これによってルドルフ達が統括していた勢力がどうなるのか予想もつかなくなってしまった。
「光魔神様のお力添えで、もう少しで、この重荷から解放してやれるところだったのだ……全てはわしの浅はかさ故か」
「……あなた」
悔やんでも悔やみきれないといった様子のゼルを慰めたい自身の想いを押し殺し、フェイアはゼルに王として、一人の男として、この世界を統べる王として、命を賭してこの世界の溜めに生き、散っていった者達へあるべき姿を求める。
「今の私どもに出来る事は、彼らが命がけで成し遂げようとしてくれていた事を終わらせない事だけです」
「……ああ」
フェイアの意志を汲み取り、ゼルは小さく頷いて顔を上げる。
いつも通りの王の顔に戻ったゼルの肩にそっと手を置き、優しく微笑みかけたフェイアは、一度だけ頷いてから言葉を続ける
「ルドルフ達の報告では、彼らの勢力の大半が、何者かの扇動を受けていたという情報が来ています」
「……ああ。つまり、その何者かが本格的に動き出した、という事だろう」
※
『さあ、いよいよこの時がやってきました!舞戦祭タッグバトル午後の部は、予選ブロックの決勝からのスタートです』
シャオメイの高らかな声に、会場の観客達が割れんばかりの歓声を以って応じる
『中でもこの第三ブロックは、現在注目の的! 突如現れた謎の新人と、舞戦祭屈指の美女達の競演が繰り広げられます!!!』
小さく頷いた解説のディエゴと視線を交わし、シャオメイは宙に浮く台座の上から入場口へと手を差し伸べる
『それでは選手入場です!!』
その言葉を合図に、会場の入り口から白煙が噴き上がり大貴とルカ、エクレールとミリティアのペアが互いに向かい合いがら会場の中心に向かって歩み寄る。
「二人とも本気だよ……」
対面から現れたエクレールとミリティアを見ながら、ルカが固い口調で大貴に話しかける
エクレールは、腰までの黒髪を揺らしながら、いつも通りの高貴で凛々しい雰囲気を携えて優美に歩を進める
その隣を歩くミリティアは、白を基調とした花のような優雅で美しいドレスを纏っている。その左右の背から足元まで垂れた純白の羽衣が、ミリティアの歩みに合わせて優美に揺れる様は、戦場に赴く戦乙女を彷彿とさせる
エクレールはともかく、これまでは会場からの声援に手を振って応えていたミリティアですら今回はそれをせず、張りつめた緊張感と研ぎ澄まされた戦意を隠していない
「ああ、二人とも戦る気満々って顔だ」
正面に立つ二人の美女から絶え間なく放たれる肌を刺すような戦意を感じつつ、大貴はルカに視線を向ける事無く、その言葉を肯定する
これまでも決して油断していた訳ではない。ただ、試合開始の合図まで二人が臨戦態勢に入る事がなかったというだけの事だ
しかし今回は、入場する時点で二人の美女は戦闘態勢を整えている。それを見るだけでも、二人がこれまでの試合とは全く異なる意志でこの会場に立っているのが分かるというものだ
互いに会場の中央まで歩み寄り、一定の距離を置いて立ち止まった二組のペアの視線が交錯し、張りつめた空気がその場を覆い尽くす
「お互い全力を尽くしましょう」
「ああ」
「はい」
エクレールの静かな言葉に戦意を静かに燃え上がらせ、臨戦態勢になった四人を見回し、シャオメイが試合開始の時刻と共にこのブロック最後にして最大の戦いの火蓋を切って落とす
『試合開始っ!!』
「いくよ、二人とも」
開戦の合図と共にミリティアが手を払うように横に薙ぐ
その動きに合わせて、空間から出現した十本を超える両刃の細刃が地に突き刺さり、まるで墓標の群れのような光景を作り出す
純白の柄に鍔のない質素なデザインの剣には、柄に穴が一つあけられた剣が無数に立ち並ぶ中で静謐に佇むミリティアの花のような出で立ちが絶妙なコントラストを作り出し、一つの芸術画のような世界を演出していた
『こ、これは、剣嵐舞闘……!』
『いきなりあれを出すとは……驚きですな』
「……剣嵐舞闘?」
「ミリティア様のあの戦闘スタイルにつけられた名前ですよ。一見の価値はある戦闘スタイルです。――もっとも、見えるならですが」
その様子を詩織に説明をしたロンディーネは、大観衆に埋め尽くされた客席から会場に視線を向ける
「行きます」
静かな宣言と共に、細剣の一本を引き抜いたミリティアがその一薙ぎで地面に突き刺さった墓標の全てを中空に舞いあがらせる
同時にミリティアの姿がその場から消失し、その美しい衣装の残滓がまるでミリティアが花弁となって消えてしまったかのような光景を作り出した
「――っ!」
しかし、実際にミリティアが消失したのではない。その姿が消えるのとほぼ同時に、ミリティアはまるで空間そのものを跳躍したのではないかと錯覚するような目にも止まらぬ速さで大貴に肉迫していた
並の人間では反応する事すらできないほどの圧倒的な速さ。しかし大貴には、その動きを見切る事は難しくない。邂逅の刹那、大貴は自身の気を纏わせた刀の一薙ぎでミリティアを迎撃する
「……さすが」
大貴に迎撃されてもミリティアは笑みを崩さない。この程度の対処は最初から予想通りであり、この程度の事は大貴でなくとも、貴族の名を冠していれば大体の人間がやってのける事だからだ
(なるほど……これはとんでもないね)
一方でミリティアは刀に纏わされた大貴の気の威力に、微笑の裏で冷や汗をかく
最初から迎撃させる事を目的に攻撃していたため、斬撃に合わせてその威力を受け流したが、真正面から力任せに斬り結んでいれば、一太刀の元に自分の気の込もった剣など両断されてしまうであろうことを、ミリティアはこれまでの戦闘経験から既定の事実として感じ取っていた
しかし、そんな危機感と焦燥を微塵も表情に出す事無く、ミリティアは意図的に受け流した剣を視点にして大貴の上空を弧を描きながら鮮やかに飛び越える
「……!」
まるで花弁が空を舞っているかのような美しく、幻想的な光景。惜しむらくはこの一連の動きが並の人間の視界には軌跡か残滓としてしか映らない事だろう
上空を飛び越えるミリティアの動きを追って振り向いた大貴に、ミリティアは清楚な笑みを向けながら、軽く右の手を招くように引く
《大貴君、後ろっ!!》
その瞬間、大貴の脳裏に感覚共化したルカの鋭い警告が響く
「……なっ!?」
その声に背後を振り向くと、大貴の首筋、皮一枚の距離にミリティアが召喚した剣の刃が迫っていた
刹那、甲高い金属音と、深紅の鮮血が宙に踊る
「……まさか、あの位置から反応できるなんて、驚いたよ」
華やかだが、決して派手すぎない衣装を身に纏い、その美しさと相まって妖精のような出で立ちをしたミリティアが目を細めた先では、首筋から一筋の血を流した大貴が、わずかに呼吸を乱してミリティアに視線を向けていた
ほとんど当たっていると言っても過言ではない距離で死角からの攻撃に完全に反応し、最小限のダメージでやり過ごした事は、ミリティアからすれば驚嘆と感嘆しかない。
「……〝糸〟か」
そんなミリティアに視線を向ける大貴は、かろうじて薄皮一枚切られた程度で住んだ首筋の傷に手を当てる
「ご明察」
大貴の言葉に目を伏せて軽く手を振ったミリティアの両の手から、会場のライトに反射する煌めく何かが無数に踊る
「あれ、一体どういう事なんですか?」
目には見えないほどに超高速のやりとりの中で、いつの間にか大貴が傷を負っている事に息を呑む詩織に、ロンディーネが静かに応じる
「ミリティア様の『剣嵐舞闘』は、言ってしまえば、目に見えない極細の糸であの無数の剣を操り、自身の攻撃と変則的に組み合わせる事で変幻自在な攻撃を繰り出しているだけです。
彼女の両手から伸びる無数の極細の糸は、操作系武装として機能しますが、あの無数の剣は言葉通りただの剣にすぎません。……ですが、この戦術は操作系武装最大の弱点を補う理想的な戦術でもあります』
「……どういう事ですか?」
ロンディーネの言葉に詩織が首を傾げる
「あの剣のように、身体から離れた状態で使う操作系武装には、その移動能力は武器として取りつけられた機能に依存するという欠点があります
ルカさんのペンデュラムや、彼女の糸のように身体の延長として操る操作系武装ならばその能力は使用者の気の力によって決まりますが、身体から完全に離して使う操作系武装は、『遠隔操作ができる』というだけで、移動速度や攻撃力そのものは、武器としての機能に依存するのです」
「……そういえば、トランバルトさんの銃もそんな感じでしたね」
ロンディーネの説明に、詩織はミスリー・サングライルのパートナーだったトランバルトの事を思い浮かべる
トランバルトに限らず、身体から完全に離して使う操作系武装は、遠隔操作を思念――気の力に依存しているため、その威力や移動速度、移動範囲などは元々その武器が持っている性能に限られてしまう
そのため、強大な気の持ち主がそれを使う場合、威力や反応速度、移動速度などの面において、使用者と武器の間に大きな能力の隔たりが生まれてしまう事になる
「ですが、剣嵐舞闘なら、糸をつなげば気を注ぎこんで強化できるため、能力が限定される事がありません。……あれこそが、操作系武装系能力の一つの完成系と言っても過言ではないのです」
「……っ!」
神妙な面持ちをして言ったロンディーネの言葉に、詩織は思わず息を呑んだ。
客席でそんな会話が行われている頃、大貴に剣嵐舞闘の特性を見抜かれたミリティアだが、それに全く動じた様子も無く静かに微笑む
「でも、一度防いだだけで勝った気にならないでね」
その言葉と同時に両手を軽く振ると、その動きに合わせてミリティアが召喚した細剣達が一斉に宙に踊る。
全ての剣の柄に空いた穴は、糸を結ぶための穴。そこに糸を通して宙に剣を舞い上げたミリティアは、背中から延びている羽衣のような純白の布で剣を持ち、両手と併せて四本の剣を同時に手にする
(っ、四刀流!?)
「……ここからが本番なんだから」
そう言って不敵な笑みを浮かべたミリティアが、再度亜光速にまで加速して大貴に肉迫する
「はあっ!!」
左右の手、背中の羽衣で同時に四本の剣を操り、大貴に斬撃を放つ。
それを大貴が刀で受け止めた瞬間、糸によって制御される剣が頭上から標的――大貴を狙って落下し紙一重で後方に飛び退いた大貴の影に突き刺さる
「っ」
地面に突き刺さった剣は、布の手が持つ剣の刃で弾かれてその場で宙に浮き上がり、そのままその柄を再度弾く事で、地に突き刺さった剣が斬り上げから突きまでの一連の攻撃を実現する
「まだまだっ!」
剣嵐舞闘の最大の特徴は、縦横無尽変幻自在の超速攻撃
ミリティアの速さによる斬撃。糸によって操られる剣の死角からの攻撃。時には剣を剣で弾き、投げた剣を再度糸で操り、まるで舞うように全方位からの斬撃を加える
限られた範囲を超速で移動するだけのため、亜光速の移動速度を持つミリティアが使えば、たちまちタイムラグが限りなく0に近い全方位からの斬撃へと変わる
あまりに速く、あまりに自在なその攻撃をかろうじて防ぎながらも、完全にかわしきれない攻撃が時折大貴の肌や衣を斬り裂いていく
横に薙ぎ、縦に斬り裂き、交わされれば軌道を変え、時に変則的に、それらの無数の斬撃が全方位から絶妙に組み合わされた上に、ミリティア単体の打撃攻撃までもが織り交ぜられた、まさに「剣嵐舞闘」と呼ぶにふさわしい亜光速の乱舞が大貴を巻き込む
『目にも止まらぬ斬撃の乱舞!!』
「――っ」
(ダメ……感覚共化してもらってるのに、ミリティア様の動きが速すぎて、フォローできない……!)
その様子を見ながら、ルカはとぐろを巻くように張り巡らせたペンデュラムと目の前の戦いに全神経を集中する
感覚共化は文字通り感覚の共化。知覚能力を大貴に引き上げてもらう事はできるが、ルカ自身の戦闘力が飛躍的に上昇する訳ではない。
単純な速度で獣化したミスリーを遥かに凌ぐ上、空間跳躍の如き変則的な位置移動を繰り返すミリティアを正確に捉えるのは、今のルカの能力の限界を遥かに超えていた。
(これが、人間界最強レベルの戦い……!)
何もできずにいる自分の無力さにルカが茫然と立ち尽くしている傍らで、その戦闘を様子を正確に観察していたエクレールは、その人形のように整った顔にわずかな微笑を浮かべる
「……さすがは、といったところね」
大貴の正体を知っているエクレールにとって、今目の前で行われている戦闘は必然ともいえる光景。人間界最強の気を持つ事が出来るであろう大貴が、貴族のルカにそうそう遅れを取るはずがない
(……明らかに今までよりも戦闘がスムーズになっているわね。これまでの戦闘で学習した、という事なのでしょうけど……)
最初の頃の、自身の強大すぎる気の力を持て余していた頃とは違い、大貴は一試合ごとにその制御と精度を高め、実力を高めている
(悪いけど、勝たせてもらうわよ、光魔神様。)
人間として最強の気を持つ光魔神人間体――大貴が気の制御を完全に会得すれば、その実力はおそらく人間界王と同等以上になる。そうなれば自分を含め、この世に大貴に太刀打ちできる半霊命は皆無となってしまうだろう。
この戦いが大貴と戦い、勝利できる可能性がある数少ない機会である事を、エクレールは正確に理解していた
「……!」
エクレールの周囲に、装霊機の別空間に収納されていた膨大な量の水が呼び出され、それが波涛の矢となって大貴に向かって放たれる
「っ!!」
エクレールの攻撃に反応したルカが、気を通したペンデュラムでその水滴の矢を迎撃、防御しようとするが、格が違うと思える程に気の強さが違うエクレールの水弾を防ぐ事が出来ず、ペンデュラムは水の弾丸に粉々に打ち砕かれる
「……そんな」
(威力を弱める事も出来ない……!)
ルカの妨害を貫いたエクレールの水弾は、ミリティアと亜光速で斬り結んでいる大貴が回避不能なタイミングで雨のように降り注ぐ
「……ぐっ」
ミリティアの攻撃の隙間を縫うように、絶妙のタイミングで打ちこまれる雨のような水弾が次々に大貴に命中し、その衝撃に大貴が顔をしかめる
「さすがね」
次いで大貴の耳に届いたのは、ミリティアにも劣らぬほどの速さで瞬時に肉迫したエクレールの涼やかな声
強大な気の力で身体を強化している大貴は、鋼鉄の壁すら軽々と貫通する程の威力を持つエクレールの水弾を受けても、ダメージらしいダメージを負っていない
ミスリーの斬撃を受けても同様に大きな傷を追っていない事も、大貴の異常なまでの防御力と耐久力を証明している
「……でも、これはどうかしら?」
静かに言ったエクレールの手に握られた剣の柄に、先程まで使役していた膨大な量の水が一斉に収束し、凝縮されて水の刃を形作る
剣の刃を形作っているその水には、自然が持つ界能である元素と、エクレールの界能である気が混在し、共鳴して強大な力を生みだしている
「……っ!」
その刃に宿った力に、背筋を撫でられるような冷たい感覚を覚えた大貴が身体を逸らすのと同時に、エクレールの水剣が閃く
刹那、大地が真っ二つに斬り裂かれる。
(地面が……あんなものを受けたら、いくら大貴君でも……)
それを見て、ルカに戦慄と恐怖が奔る
容積が増す事で強度が増し、速度が増す事で硬度が増す水の特性を気で強化し、さらに剣を形作る水を超速で流動させる事でその威力を大幅に強化、さらに水の力の派生である冷却によって、絶対零度の凍気を纏った斬撃を生みだす
エクレールの強大な気と卓越した技術によって、水と凍気を融合させた刃の威力は圧倒的。あらゆる物体の強度と硬度を無視するその斬撃は、あらゆるものを一刀の元に両断する破壊力を秘めている
大地を深々と斬り裂いた水剣を翻し、エクレールは初撃を回避した大貴を追うように斬撃を放つ
「……くっ!」
その斬撃を回避できないと察した大貴は、自身の気を纏わせた刀でその斬撃を受け止める
それと同時に大貴とエクレールの斬撃の持つ威力に大地が砕け散り、瞬時に凍結して形を失う。強大な気と凍気が入り混じりながら踊り狂い、天を貫いて会場にいる全員の知覚と意識を焼き尽くし、凍てつかせる
「……さすがね、普通なら剣ごと身体を真っ二つに出来るのだけれど」
その衝撃の中心、刀と剣の刃を合わせながら、エクレールは水の剣を受け止める大貴に視線を向ける
「そりゃ、どうもっ!!」
その言葉に応じつつ、大貴は刀の刀身に込めた気の力を波動として放出する。
「……!」
破壊の概念が込められた力の波動が、刃を合わせた隙を衝こうとしていたミリティアまでもを巻き込んで吹き荒れる
大貴が生み出した強大な破壊の力の暴風を、エクレールは剣として凝固させていた水を盾に変え、ミリティアは細剣を回転させて防御壁を展開して凌ぎながら振り切り、距離を取って降り立つ
「……まったく、とんでもない威力ね」
「ふぅ」
強大な破壊の力から逃れたエクレールの言葉に続くように、ミリティアが小さく息をつく
『こ、これは息もつかせぬ激戦!! 私も思わず実況を忘れてしまいました!』
『単にあまりに速すぎて、何が起こっているのかが分からなかっただけなんですな』
一時の小休止に、忘れていた時間を取り戻すかのようにシャオメイとディエゴが言葉を交わす。
人間界の頂点である七大貴族級の戦闘では、光速、亜光速での戦闘などもざらにあり、並みの人間ではその速さについていく事は出来ない
後で映像によってその戦闘を視覚化する事になるが、実際に目の当たりにする人間の大半は、何が起こっているのかほとんど分からないままにその圧倒的な力の激突に息を呑む事になる
先ほどのやり取りも時間にすれば一分にも満たないごく短時間のやり取り。それでも空間を満たす気の濃度と、そこに込められた純然たる戦意の重みは、見る者に数十分は戦っていたのではないかと思わせるほどの精神的、肉体的重圧を与えるには十分なものだ
「やはり、一筋縄ではいかないわね」
「……ですね」
普段通りの氷のような表情にどこか嬉しそうな色を纏わせて言ったエクレールは、自身の力に融合している装霊機に意識を流し、その機能を発動させる
激しい戦闘の合間に生まれた小休止御を破ったのは、エクレールによって召喚されたモノ。――異空間に収納されていたそれは、装霊機の機能によって世界にその姿を現す。
「……っ、あれは!!」
「何だ……?」
そこに現れたのは、水晶のように透き通った装甲に覆われた巨大な球体。人間よりも一回りほど大きなその球体は、まるで太陽か月のように上空に鎮座している
それが何なのか知らないのは、この会場で大貴と詩織のみ。その球体の意味を知っている会場の人間達は、その球体の出現に息を呑み、相対するルカは戦慄に身を強張らわせる。
『こ、これは……!』
シャオメイの域を呑む声と共に、エクレールは天空に鎮座する水晶球に軽く手をかざす
「……『水源壺』」
刹那、その球体の下部が開き、そこからおびただしい量の水が、まるで滝のように降り注ぐ
「っ、水が……!?」
まるでダムの一斉放流のような膨大な水が放出される光景に、大貴は驚愕を禁じえずに目を瞠る
水源壺。それは、人工的に水を精製する機能を持った装置。世界を構築する魔法によって組み込まれた永久機関によって、ほぼ際限なく一定量の水を生成する機能を持っている
飲料水、下水、野外での水分確保、水源の無い場所での大規模農業など幅広く応用されるこの技術に独自のオーダーメイドを加え、大量の水を作り出す機能を持たせることで、エクレールは水を操る事に長けた自身の力の源としている
水源壺から供給される膨大な量の水は、エクレールの気によって支配され、竜の如く渦を巻いて、その周囲を取り囲む
次の瞬間、その水とそれを纏うエクレールとの境界が曖昧にぼやけ、エクレールの身体に膨大な量の水が吸収されていく
「……なっ!?」
人体と水が完全に混じり合う光景に目を見開いた大貴は、膨大な量の水をその身体に吸収したエクレールが、水の剣の切っ先を大貴に向ける
「……これが私の最大戦闘形態よ」
「!」
「何ですか、あれ!?」
水と身体を融合させたエクレールの姿に目を丸くして言葉を詰まらせる詩織に、会場から目を離さずにロンディーネが口を開く
「気に限らず、界能は事象の強化と弱化をしてその能力を発揮するというのは説明しましたね? あれは、属性概念強化――即ち、『水』が持つ『溶媒』の概念を極限まで強化し、自身の肉体を水に溶かしているのです」
「なっ……!?」
エクレールの言葉に、詩織は目を見開く
水はただの「水」ではない。「流動」「冷却」「気化」をはじめとする無数の概念を内包した世界の構成要素だ。
人間が行使する際に、自分に優位な条件―攻撃力、防御力、速さ―などを強化し、自分に不利な条件―抵抗、反発、負荷―などを弱化しているように、エクレールはその界能の特性を以って、「水」の概念を強化する事で水と融合したのだ。
水が持つあらゆるものを溶かす「溶媒」の概念を強化し、自身の身体をそこに溶け込ませ、自身の身体として定着させる事で実現する事が出来るのは、身体はもちろん融合する水の界能をエクレールの気が染め上げているからこそ可能になる技術だ。
「エクレール様の水属性適合率は、人間界でも最大値です。あの力は、その適合率があってこその力――エクレール様にのみ許された特異技能と言えるでしょう」
人間の存在そのものの力である「気」は、「意志」、「血肉」、「血液」、「神経」、「熱量」の五つの媒介を介してその能力を顕現させている。
エクレールはその中でも、水属性と呼ばれる血液をはじめとする「液体」を媒介とした力の伝達が特化している。気の伝達配分は先天的な物であるため後天的に替える事は出来ず、極端に水属性に偏ったエクレールの力の性質は、紛れもない彼女だけの天賦の才だ。
「……とは言っても、完全に液化する訳ではありません。強いて言えばゲル状になるといったところでしょうが、あの状態になったエクレール様の恐ろしさは、その戦闘スタイルにあります」
「……どういう事ですか?」
続けて紡がれたロンディーネの声音に、詩織は声を失う
「……行くわよ」
水と自身を融合させたエクレールは、厳かな声音と共に手だけを伸ばして大貴に水刃剣の斬撃を放つ
「っ、手が、伸び……っ!?」
それを反射的に紙一重で回避した大貴は、エクレールの腕が伸びたという事実に驚愕を露にする
洗練されたしなやかなその攻撃は、まるで鞭のよう。常人では反応する事すらできないであろう速度で放たれた斬撃の主は、氷雪の視線で大貴を射抜く
「驚く事は無いでしょう? 私の肉体は今液化しているのだから! 水量の許す限りその形を自由に変え……そして!」
エクレールの言葉と同時に、剣を握るエクレールの腕が関節とは真逆に曲がり、大貴にその切っ先を向ける
「っ」
「流動体となった私の身体に関節や骨格は無い。この程度の事は造作もない事よ」
淡々と紡いだエクレールの視線の先で、軌道を変化させた剣が大貴を貫く。
「大貴君っ!!」
しかしその攻撃が命中するよりも速く、ルカの放ったペンデュラムが大貴の胴に巻きつけ、身体ごと引き抜いて無理矢理その攻撃を回避させる。
標的を見失った水の剣は会場の大地を貫き、絶対零度と流動の力によって底が見えない程に巨大で深い穴を穿つ。
「悪いなルカ、助かった」
「うぅん」
(ごめん……私じゃこんな事しか……)
大貴の言葉に応じながら、脳裏をよぎる自身の無力さを振り払ったルカは、眼前に達はだかる二人の美女に視線を向ける
(駄目、今は戦いに集中しないと……私には私にしかできない事があるんだから)
ルカによって大貴への攻撃がかわされたのを見ると同時に、ミリティアが地を蹴り、両手と羽衣併せて四本の剣を持って大貴に肉迫する。
さらにミリティアの周囲には糸によって操られる剣の群れが、いつでも大貴を攻撃できるように突き従っている。
「はああっ!!」
瞬間的に物理の限界を超え、そこに弱化させていた物理現象を回帰させる事でミリティアの刃は、自身の気に加え、光の壁を収束した超光炎を纏う。
覇光と呼ばれる力が物理限界を超越した光と熱を伴って炸裂し、斬撃を受け止めた大貴を焼き尽くす
「……っ!」
物理限界を超越する光炎を、気の波動で相殺して振り払って後退した大貴に、間髪いれずにエクレールの水剣が迫る。
圧倒的な攻撃力を持つ斬撃を、反射的に刀で受け止める事に成功した大貴だが液化したエクレールの身体は、剣撃の衝撃を利用してまるで波のように大貴の身体を覆い尽くす
「ぐっ……!」
液化したエクレールの打撃に弾き飛ばされた大貴は、苦痛に表情を歪めながらも、空間を斬り分けたかの如き威力を以つ斬撃を放ってエクレールの腕を吹き飛ばす。
液化しているとは言っても、攻撃が効かなくなる訳ではない。細胞――あるいは、それ以上に根源に近い部分で液体と同化しているエクレールの身体が、エクレールの気を遥かに凌ぐ大貴の気の力によって、確実にダメージを受ける。
「……っ、さすがね」
苦痛に端麗な表情をわずかに歪めつつ、エクレールは大量の水を圧縮した波涛の槍を放つ。
その槍を大貴が刀の一振りで粉砕するのと同時に、剣を構えたミリティアが閃光となってその一瞬の隙を衝くべく加速する
「させないっ!」
そのタイミングをあらかじめ予期していたルカは、大貴が攻撃を繰り出したのとほぼ同時にペンデュラムを放ち、格子状に織り合わせて結界を精製する
ルカの持てる力が全て注ぎ込まれた最高の結界もミリティアを阻むには至らない
その刃の一振りで易々と結界を切断した舞戦姫の称号を冠する美女は、無数の刀を下僕のように従えて大貴に肉迫する
しかし、ルカの結界が作り出したほんの一瞬の間は、大貴がミリティアに反応するに十分な足止めの時間を作り出していた
「オオオオオッ!」
ミリティアの覇光による攻撃を避けるために、大貴は膨大な気を注ぎこんだ斬撃で空間そのものを薙ぎ払う
「……っ!」
それを無数の剣によって展開した結界で凌ぎ、距離を取ったミリティアに替わって流体となったエクレールが押し寄せる波のように大貴に迫り、強大な力を宿した刃を斬り結ぶ
流動の関節と骨格によって、常識を逸脱した動きを見せるエクレールの斬撃と攻撃が大貴を容赦なく襲う
不自然な軌道を描く斬撃、身体に吸収した水を弾丸として放つ攻撃、流体となった身体による死角からの攻撃。不規則に織り混ぜられたそれらの攻撃を、大貴はことごとく刀と肉体に纏わせた気で防ぐ。
「……全く、厄介ね」
(私の攻撃に、完全に対応している。この短時間でここまで上達したのね……!)
切り結ぶごとに、戦闘能力を増大させていく大貴に、うすら寒い感覚を覚えながら、同時にエクレールの端麗な表情にはわずかな微笑が刻まれていた
戦うたびに無駄がそぎ落とされ、力の伝達がスムーズになり、最適化されていく
実戦の中でその桁外れの力を使いこなして徐々に強くなっていく大貴の底の見えない強さに、さしものエクレールも恐怖と戦慄、歓喜と好奇心を抑える事が出来なかった
「はあああっ!!」
その隙を逃さず、閃光の如き速さで肉迫したミリティアの剣が舞い踊る
それを迎え撃つ大貴の刀が閃き、三つの巨大な気が渦を巻く。そこでは剣と水、力と速さが競演し、戦いでありながら――否、戦いであるが故に生命の輝きを余すところなく宿した芸術のような戦場を織り上げられていく
「……っ」
亜光速、光速――時にはそれすら超える速さで繰り広げられる戦いを、余すところなく見る事が出来る者など、この会場でも指を追って数えられるほどしかいない
しかし、会場で吹き上がる知覚の限界を超えた力が、目に見えない速さが、人の認識と理解を超えた力の乱舞に人々は目を奪われ、言葉を失くし、固唾を呑んでその力の狂乱を見つめる
――強い!
戦いの中に身を置く、三人は刃と力を交えながら全く同じ事を考えて、口元に笑みを浮かべていた
大貴は、洗練された技巧を持つエクレールとミリティアに。エクレールとミリティアは、たった一人でこの超絶な戦いを繰り広げる大貴の戦闘力と、潜在的な強さに。
世界を置き去りにする超絶な力の渦の中で、三人の戦士達は互いに心からの称賛を贈り、尊敬と戦意を纏わせた力を容赦なく相手に放つ
「うおおおおおおおっ!!」
刹那、全てを破壊する意志を込められた大貴の気が吹き上がり、その力の波動で二人の乙女を力任せに吹き飛ばす
「……っ」
気の絶対量では大貴の足元にも及ばないエクレールとミリティアは、その力の暴風を絶え凌ぎながら距離を取り、超速戦闘の中で、徐々にダメージを蓄積させている大貴と向き合う
(いくら大貴君が強くても、あの二人の攻撃を防ぎきるのは難しい……でも)
エクレールとミリティア、二人の戦姫と斬り結ぶ旅に大貴の身体に刻まれていく傷と血は、大貴が完全には二人の攻撃を凌ぎきれていない事の証明。
自分では力になるどころか、足を引っ張る事しかできないレベルの戦い。自身の無力さと弱さを痛感しながらそれを見るルカは、胸の前で組んだ手に力を込める。
(……このままいけば、作戦通りに二人に勝てる!)
その超絶なる戦いを、会場に設けられた一室から見ている一人の男がいた。
煌びやかな装飾が施された長い紺色のコート。その胸ポケットに薔薇に似た一輪の青い花を挿し、腰までもある金色の髪を編み込んだその男は、顔を隠している緋色の仮面からのぞく目を不快そうに細める。
「……これは、いけませんね」
白い手袋をはめた指を絡め、激戦が繰り広げられている会場の中に佇む刀を持った青年――大貴を睥睨した男は、一拍の間を置いて絶対零度の冷ややかな言葉を紡いだ。
「――彼には消えて頂きましょう」