神の居る場所
「……ふぅ」
装霊機での通信を終了し、大きく息をついたヒナに今まで無言でそれを見守っていたリッヒが含むところのある笑みを向ける
「楽しそうでしたね。……ですが、婚約者同士の会話としては少々色気がなかったかのように感じましたが?」
その言葉に顔を赤らめ、ヒナはやや拗ねたように唇を尖らせる
「し、仕方ないではありませんか。こういう事は初めてなのですし……」
婚約者と言う立場での異性との会話など、生まれてこの方縁のなかったヒナとしては、いくら画面越しとはいえ大貴との会話は緊張を強いられるものだった。
胸の高鳴りと緊張に嬉しい疲れを覚えながら、先ほどの大貴との会話を噛みしめるように胸の前で手を祈るように組む
そんな姉の様子に「やれやれ」と肩を竦めたリッヒは、すぐに意識を切り替えて真剣な表情を見せる
「ところで先ほどお姉様が話されていた事なのですが、本当にそんな事が可能なのですか?私にはちょっと信じられないのですが……」
「確証はありません。あくまでも可能性の話です……いえ、単なる思い付きと言った方が適切かもしれませんね」
この国の次期王の座を任される者の顔になったヒナの答えに、リッヒは目を伏せて引き締めていた表情を綻ばせる
「ですが、もしお姉様の言う通りになったら一大事ですね。世界中が大パニックになりますよ」
「そうでしょうね。……ですが、もし今日の舞戦祭で何かが起きるのであれば、あらゆる可能性を考慮して、多岐にわたる手段を用意しておいた方がいいのは間違いないでしょう」
リッヒが訊ねた「先ほどの話」とは、ヒナが大貴にした「アドバイス」の事だ。
神能のように力任せに行使できない界能は、その制御、行使に経験と知識、工夫を要求される。いくら世界最強の気を持っている大貴であっても使い方が未熟ではその真の力を発揮できない。
最初のただ力任せに気を振りまわしていたころと比べれば確実に上達してきてはいるが、生まれた時から気を使い続けている人間界の人間と比べればその使い方はまだまだ拙いと言わざるを得ない
長く国の中枢にかかわり、世界の運営に関わってきたシェリッヒであっても耳を疑う様な姉の進言――否、可能性の領域を出ない空論を今の段階でヒナが話したのは、自身の強大な界能を未だに制御しきれていない大貴がこの舞戦祭の中でそれを手に入れる可能性を見越してのものだ
「今更……という気もいたしますが?」
「何かを始めるのに遅すぎるという事はありませんよ。それに大貴さんに伝えたのはあくまでも保険です。本当の切り札はこちらで用意してありますから」
リッヒの言葉に静かに応じ、ヒナは穏やかな笑みを浮かべる
「っ、まさか……」
ヒナの笑みの含むところの意味する事に感づいたリッヒは、目を見開く
「ええ、そのまさかです」
多くの言葉を交わさずともリッヒの考えを読み取ったヒナは、その考えを証明するように何かを企む清楚な笑みを浮かべた
※
その頃、舞戦祭の会場内にある通路を、二つの影が歩いていた。一人は革製のような光沢を持つコートを身に纏った背の高い無愛想な顔立ちの男。そしてもう一人は、その男よりも頭一つ分ほど背が低い灰色の髪の青年。
そうは言っても、この青年の背が低いのではなく、隣を歩く無愛想な男が普通の人間よりも背が高いというだけに過ぎないのだが、身に纏っている雰囲気の違いからなのか子供と大人が連れ立っているような印象を強く受ける
「……なんかすごい事になってるね、『アーロン』」
「第三ブロックの事か?」
下からのぞきこむように言う小柄な青年の言葉に、アーロンと呼ばれた無愛想な男は視線を合わせる事無く応じる。
小柄な青年の言葉で何を言おうとしていたのかが分かるのは、本人もそれを考えていたからなのか、二人がそれだけ分かり合っている関係からなのかは当人たちだけが知る事だ
「うん。何でも気の強さだけなら、王族級かそれ以上だって」
「……そうか」
そっけなく答えた男の言葉に、青年は呆れたように肩を落とす
「そうかって……アーロンは興味無いの?」
「そうは言っていない。だが俺が興味があるのは強さじゃない。大貴……とか言ったか? あいつの気の強さと戦闘経験は全く比例していない。まるで最近戦い始めたみたいだ」
抑揚のない口調で言うアーロンに、小柄な青年は小さく首肯する
「そうだね、気の扱いに慣れてないって感じは僕も感じたよ」
「だから確かめに行くのさ」
「……え?」
アーロンの口から出た予想外の言葉に、青年は思わず目を丸くする
「そいつに会いに行くって言ってるんだ」
「えぇ!?」
思わず素っ頓狂な声を漏らした青年を一瞥し、アーロンは今まで無表情と言っても過言ではなかった表情を微かに緩める
「この時間なら、食堂をしらみつぶしにすれば見つけられるだろう」
舞戦祭の会場は、最大収容人数が億の位にも上るほどに広い。その中には舞戦祭の開催中、観客や選手のためにいくつかの食堂や飲食店が点在している。
「まずは無難に第三ブロックの会場からだな」
そう呟いたアーロンは、自分より一回り小柄な相棒を引き連れて、目的の人物が最も食事を摂っているであろう確率が高い場所へと歩を進めた。
※
昼休みに入った舞戦祭の会場内にある食堂――そこでは、ある意味で舞戦祭本戦よりも見ごたえのある戦いが始まろうとしていた
「ごめんなさいね、お邪魔してしまって。次の対戦相手として挨拶をしておきたかったの」
注文した紅茶を優雅にすすりながら、当然のように大貴の隣に座ったエクレールは、同じく大貴の反対側に座らせたミリティアの困惑気味の視線を感じながらも、全く意に介さずに話を進める
(エクレールさんって、意外と大胆なんだ……)
ミリティアが困惑するのも無理は無い。自分達の正面、先程まで大貴と並んで座っていた詩織の隣から来る殺気にも似た敵意の込められた視線によるものだ
(な、何でエクレール様とミリティア様が大貴君の隣に? そもそも何で詩織さんも席を譲っちゃうの!?)
席割の時に照れて大貴の隣に座らなかった自分と、大人数が座れるようになっているこの机の構造に後悔と八つ当たりをしつつ、ルカは突如現れた舞戦祭屈指の美女を笑顔で睨みつける。
一方でルカの隣に移動した詩織は、大貴の両脇を固めている二人の美女に思わず感動を覚えていた。
(うわぁ、本当に綺麗な人達……)
美しさのタイプこそ違えど、エクレールもミリティアもいずれ劣らぬ美女。桜やマリアのような神格すら感じさせる全霊命には劣るが、神聖な美しさのあまり近寄り難いという印象を受ける全霊命よりも、より親しみやすい美人といった印象がある。
(そういえば、人間界の人たちも綺麗な人ばっかりだったかも……)
そんな二人を見ながら詩織はふとそんな事を考える
人間界に来てからであった人々や、街中で見かけたいわゆる一般の人々。いずれを取ってもかなりレベルの高い美女が多かったというのが詩織の印象だ
そんな美人の中でも目の前にいるエクレールとミリティアは群を抜いており、ヒナやリッヒにも勝るとも劣らない美貌を誇っている
(九世界の人って、美人しかいないの?)
内心で肩を落とす詩織と対面している大貴は、自分の両側を挟むように座るエクレールとミリティアの気配に居心地が悪そうにしている
「……で、なにが目的なんだ?」
「あら、別に他意は無いわ。言ったでしょう? 挨拶に来ただけだって」
「……嘘つけ」
自分にだけ聞こえるように意図して小声で話しかけてくる大貴に、エクレールはわずかにその目を細める
「あら、もしかして知っているの?」
「さっきまで医務室にいたからな」
大貴のその言葉に合点が言ったように微笑んだエクレールは、小さく肩をすくめながら微笑を浮かべる
「そう……檀さんに聞いたのね。私もパーティに呼ばれているのよ。ミリティアも別の形で参加する事になっているわ。だから、今はまだあなたの正体は知らないわ――まあ、時間の問題だけれどね」
端的にそう述べてエクレールは、思わず息をつくほどに美しい色香に満ちた視線を向ける
大貴は先ほど医務室にいた時に、その主である天宗檀から、明後日の王家主催のパーティにエクレールも呼ばれている事を聞いて知っている。
「俺が光魔神だってことに気付いているのはどの位いるんですか?」と訊ねた大貴に檀が教えてくれた事だが、全員と面識がある訳でもない大貴に一人一人名前を言う意味もない。
そこで大貴が認識しているであろう人物で言うなら、という注釈で「エクレール・トリステーゼ、ジェイド・グランヴィア」の名を聞いている。
同じ七大貴族でも「シグロ・虹彩」が呼ばれていなかったが、そういう経緯もあって、大貴はエクレールが自分の正体に気付いて接触してきているとあたりを付けていた。
(大貴君、エクレール様と何を小声で話してるの? 私に聞かれると困るような事でもあるってわけ?)
しかしそんな大貴の思惑など知る由も無く、大貴の向かいに座っているルカは小声でやり取りしている二人を不機嫌そうな視線で見つめている。
その視線に気付いているはずなのに完全に無視するエクレールと、気付いていない大貴。その重苦しい空気と視線にいたたまれなくなったミリティアは、その場を和ませるようにふと話しかける
「大貴さん、でしたよね」
「……ああ」
「何でそんなに強大な力を持っているんですか? もしかして王族の隠し子とか?」
その言葉に一瞬ルカの肩がピクリと反応したが、それ以外の人間は全く動じた様子もなくミリティアの話に耳を傾ける
「そんな事は無いつもりなんだけどな」
「えぇ~、誤魔化さないで下さいよぉ」
当の大貴本人も、困ったように苦笑しつつ肩を竦めるだけで、誤魔化したり嘘を言っている様子は無い
エクレールと違って大貴が光魔神である事を知らないミリティアにとって、大貴の強さはこれまでの自分の常識を否定する得体のしれない脅威に他ならない。しかし脅威を感じても恐怖を覚える事無く、ミリティアの純粋な視線は大貴という一人の人間を常に冷静に見極めている
「あら? とんでもない先客がいたものね」
不意にかけられた声に視線を向けると、妖艶な声と共にワインレッドの髪をなびかせた美女が、一回り小さな青年を傍らに連れて立っていた
「……ミスリーさん、トランバルトさん」
その二人の姿を見たルカから、驚きを隠せない声が漏れる
二回戦で対戦した対戦相手の来訪に呆けているルカに「はぁい」とお気楽に手を振ったミスリーは、エクレールとミリティアの間に挟まれている大貴に視線を向ける
「よかったら食事でも一緒にって思ったのだけれど、両手に花とは隅に置けないわね。お好きなら、もう一輪いかがかしら?」
「からかうのはやめてくれ」
背後から首に腕を回し、艶やかな声を耳にかけてくるミスリーに大貴が辟易した様子で言うと、ミスリーは一瞬だけ目を丸めてから笑みを浮かべる
「フフ、別にそんなつもりは無いわよ。お世辞は言えないタイプだから」
「なっ……!?」
そのやり取りにルカが抗議の声を上げようとするのと同時に、それをかき消すように野太い声が響く
「お、いたいた」
(次から次へと……)
次々にやってくる人にうんざりする大貴の正面で、詩織は新たに現れた人物を見る
「あ、確か……お酒飲む人」
「……間違っちゃいないが、俺にはバルガスって名前があるんだ」
詩織の言葉に、バルガスは悪戯小僧のような笑みを浮かべる
「あ、すみません」
「気にすんな。まあ、概ね事実だからな。約束を破っちまったお詫びに飯でも奢りつつ、再戦の約束でもしようかと思ってたんだが、ちょっと遅かったか」
詩織に気さくに応じたバルガスは、大貴とその周りを囲んでいる訪問客達を見回す
「あら、残念。あなたがもう少し早く来てくれていれば、奢ってもらえたのね」
「おいおい、猫女。俺が驕るって言ってるのは大貴だけだ」
大貴の首に腕を絡め、妖艶に唇を歪めたミスリーにバルガスはわずかに目を細める
「あら、そうなの? てっきり私達全員に奢ってくれると思ってたのに」
必ずという訳ではないが、人間界の食堂は注文と同時に装霊機から料金が落とされる仕組みになっている事が多い。この食堂も例に漏れず注文と同時に料金が落とされているため、後で一括で払うという事が難しいのだ
わざとらしく肩を竦めたミスリーに背後から頭を抱きしめられている大貴に視線を移し、バルガスは「任せろ」とばかりに軽く自分の胸を叩く
「おし、なら俺が酒おごってやるよ。一押しのがあるんだ」
「いや、酒はちょっと……」
人間界ではどうか知らないが、日本での飲酒は二十歳を過ぎてから。この世界でなら飲んでも咎められることは無いだろうが、あまり気が進まずに断わりを入れた大貴に、バルガスは驚愕と戦慄の感情をこめて目を見開く
「お前酒呑めねーのか? じゃあ、戦ってない時に一体何を楽しみに生きてるんだ……!?」
「いや、お酒以外にも人生の楽しみはありますよ?」
戦慄して身体をわななかせるバルガスに、苦笑しながらミリティアが言う。その背後でバルガスのパートナーである棘は、ミリティアの言葉にしみじみと頷いている
事あるごとに酒を飲みに連れ歩かれて内心で辟易している姿が目に浮かぶような感慨のこもった棘に、バルガスが気付く事はないだろう
「……困った人ね」
「女帝」
その空気を切り裂く静かな声の主――エクレールは、大貴の横に座ったまま視線だけを動かしてバルガスを射抜く
「私達が先客としてご一緒しているのよ? 殿方ならば、場を察して気を利かせるものでしょう?」
「固ぇ事言うなよ。なあ、姫」
「ノーコメントです」
暗に「失せろ」と抑揚の利いた口調で言うエクレールにも動じずに応じたバルガスのに視線を向けられたミリティアは、優しく花のように微笑んでその言葉をバッサリと切り捨てる
「あらら……」
「お!? 随分の大所帯だな、ルカ」
ミリティアの言葉に、全く困った様子も無く頭をかくバルガスの背後から新たに声がかけられる
「レスター君」
「どうもですです」
新たにやって来た金髪の美青年――レスターの言葉に続いて、その背後に隠れていたメリルがひょっこりと姿を見せる。
(次から次へと……)
「……っていうか、そろそろ離れてくれないか?」
「あら、お気に召さないかしら? この中では一番大きい自信があるのだけど」
そう言って、ミスリーは大貴の後頭部に柔らかな豊かな膨らみを意図的に、これでもかと押しつける
「だから、それが困るって……」
「あら、意外に初心なのね?」
その感触に動揺を隠せない大貴を見てクスクスと笑うミスリーを、反対側の席から殺気に満ちたルカの視線が射抜く。
「くっ……」
しかし、確かに一見するとミスリーはここにいる女性陣の中で最も豊かな膨らみを持っているように見える。
ミスリーのそれと自分のそれを見比べて言い知れぬ敗北感に若干悔しさを滲ませるルカの意識を、バルガスの声が現実に引き戻す
「おいおい、胸ってのはでかけりゃいいってもんじゃないんだぜ?」
「なら、目を逸らしたら?」
その言葉とは対照的に、大貴の後頭部にこれでもかと押し当てられて形を変える柔らかな膨らみに、鼻息も荒く釘づけになっているバルガスの説得力の無い行動にミスリーが呆れたように言う
「馬鹿野郎! それとこれとは話が別だ」
しかし、そんなミスリーの言葉にバルガスは胸を張って力強く言い放つ
「あっ、そ」
ミスリーのみならず、その場の女性陣大半から冷ややかな視線を向けられながら、バルガスはその女性陣に囲まれている大貴を見る
「両手に花どころか、身の回りに花か。羨ましいな、こんちくしょう!」
「男冥利につきるねぇ。……死ねばいいのに」
それに続くようにその後ろから、棘のにこやかな笑顔と清々しい殺意が向けられる
大貴はその言葉に内心で「そんな事は無い」と反論するが、口に出すと余計面倒な事になりそうな予感を覚え、喉まで出かかっていたその言葉を呑み込む
「おおーーっ! こんなところにいたのか!?」
その時さらなる喧騒を引き連れて、見慣れた顔が大貴に詰め寄るように歩み寄ってくる
「ずっと待っていたというのに、何故食事に誘ってくれんのだ、戦友よ!」
「誰が戦友だ」
食堂に入って来た騒がしい金髪の美青年――レスターの戦友という非道い言いがかりを、大貴は一刀両断に切り捨てる
「愚か者! 一人の女を巡って戦った我等を、戦友と呼ばず何と呼ぶのだ!?」
「……っ」
大貴の抗議をさらに切り返したレスターの言葉に、ルカの顔が一瞬で真っ赤に火照る
「確かに間違っては無いかもしれないが、その言い方には大いに語弊があるだろ」
まるでルカを取り合ったようなレスターの言いように、大貴は訂正の意味も込めて言い返す。
確かにレスターだけは、ルカのパートナーの座を巡って戦ったと思っているが、大貴自身はそんな戦いを受けた覚えは無い
言うなれば、その戦いはレスターが自分の中で勝手に戦っていたに過ぎないのだから
「それは、愛憎劇ですね?」
その時、レスターの言葉に反応して近場の席から一人の女性が立ちあがる
「あれ?」
(この人たち、確か……)
詩織が見覚えのあるその女性を記憶から呼び起こしていると、その女性は自身の胸に手を当てる
「こうしてお話するのは初めてですね。シャーリーです。で、こっちがザッハ・ウィンザートね」
自ら名乗ったシャーリーは、対面に座っていた美青年を指差す
「……どうも」
シャーリーの視線と言葉が自分に向けられている事を理解している大貴は、内心で「いい加減にしてくれ」とげんなりしながらも、それを表情に出さないように努めて応じる
「それよりも、さっきの話だけど……何々? 話題の謎の新人君は、パートナーの彼女と恋人同士なの!?」
目を煌めかせて詰め寄ってくるシャーリーに、顔を真っ赤にしたルカが動揺を隠せない様子で言う
「ちっ、違いますよ!! だって大貴君には婚約者がいるって……」
「……それが?」
慌てふためくルカに、シャーリーは首を傾げる
多夫多妻制を導入している人間界で婚約者がいるかいないかなど、さほど重要な問題ではない
この世界の人間にとって重要なのは、「互いの想い」だけであって仮に既に家庭を持っていてもこの世界の人間にとっては二番目になるのではなく、二人目になるという認識しかない
「それは……その、えっと……」
シャーリーの当然の切り返しに戸惑うルカに、シャーリーはさらに目を輝かせる
「あら!? もしかして照れてるの!? 可愛い~っ!!」
「ち、違……っ」
大貴とシャーリーを交互に見比べて慌てふためくルカを見て、さすがにこれ以上は気の毒だと思ったのか、シャーリーのパートナーであるザッハが軽く相棒をたしなめる
「その辺にしておけ」
「……はぁい。ごめんね」
その言葉に、仕方なくといった様子で応じたシャーリーが席に腰を下ろす
「とりあえず、今日のお昼はレスター君の驕りって事でいいですね? です」
それによってひと段落ついたと判断したのか、メリルが満面の笑みを浮かべながらレスターを見る
「……手心を加えて下さい」
その言葉に、レスターは若干顔を青ざめさせながら深々と頭を下げる。
「仕方ありませんですね。とりあえず十品目くらいで勘弁してあげるですです」
「え!?」
この中で最も小柄なメリルから放たれた予想外の一言に、その場にいた全員が目を丸くする。
食事が娯楽に過ぎない全霊命の食事は、あくまでも味を楽しむもの。食べた物が瞬時に体内で分解されてしまうために、満腹感は感覚でしか無いのだが、半霊命の食事は、物理的に身体を維持するための栄養摂取。当然、一度に食べられる量にも限界はあるのだ
にも関わらず、小柄なメリルがその体格に似つかわしく無いほどの食欲を発揮して見せるのだから、その場にいる全員が目を丸くしたのも当然の事だ。
「いや、おまえら別の席に行けよ」
当然のように同席しようとするメリルとレスターに、大貴は呆れたように言う。
既にこの席にはかなりの人数がいるにも関わらず、人が増えるたびに、どういう理屈か机の中に折りたたまれていたらしい机が伸び、自動人形が椅子を運んで来てくれる。
「そんな細かいこと気にしちゃ駄目ですですよ」
その優れた機能と技術力を、今ばかりは内心で憎々しく思っている大貴の言葉など意に介さずにメリルは、レスターにお金を払わせつつ次々に注文を始める
「……ったく」
呆れたように大貴が息をついたのと同時に、食堂がざわめきそれが波紋のように広がっていく。
「どうしたんでしょう……?」
首を傾げた詩織が周囲を見回すと、そのざわめきの正体らしい二人の男が人だかりの中に立っているのが目に入る
一人は革のような光沢のあるコートを身に纏った背の高い男。そしてもう一人はその男よりも頭一つ分背の低い灰色の髪の青年。その二人に周囲の視線が注がれ、耳をそばだてれば「本物だ」「すげぇ」などという声も聞こえてくる
「あれは……」
大貴の首に背後から腕を絡ませるミスリーもその人物達を見止めて、思わず目を瞠る
「驚いたわね。二人揃ってやってくるなんて」
「はい」
エクレールの言葉にミリティアが応じ、その様子からざわめきの中に立つ二人の男がただ者では無い事は大貴と詩織にもはっきりと分かる
(……あの背の高い方、かなりできるな)
その二人が何者かは大貴には分からないが、気の知覚を行う事が出来る分、詩織よりもその二人の情報うは多く取得できる。
光魔神の姿の時ほど知覚は働かないが、それでも二人の男がかなりの実力者である事、特に背の高い男の方はエクレールやミリティアにも引けを取らないような実力者である事を見抜く事は容易だ
「……誰ですか?」
一方、二人の姿以外何も分からない詩織は、いつものように隣にいるロンディーネに小声で訊ねる
「『テオ・ラインヴェーゼ』様と『アーロン・グランヴィア』様。……この大会の優勝予想でエクレール様、ミリティア様を抑えて優勝の第一候補と目されているペアです
特に、小柄の方――テオ・ラインヴェーゼ様のタッグバトルでの戦績は連戦連勝。現在まで無敗を誇るタッグバトルの頂点ですよ」
「……!」
ロンディーネの言葉に詩織は驚愕に目を見開く
「なるほど、おまえが噂の新人か」
周囲の喧騒など気にかけた様子も無く机の前に移動した背の高い無愛想な男――アーロンは、大貴に視線を向けながら目を細める
「ああ、すみません。アーロンは目つきが悪いだけなんです。気にしないでください」
まるで一触触発という様な雰囲気に包まれた食卓に、背後からアーロンを制しながらテオと呼ばれた背の低い青年が、申し訳なさそうに深々と頭を下げる
(この人が最強……? 気は弱そうだし、腰は低いし、そもそも弱そう……)
その様子を見ながらタッグバトル最強の戦士という少年を上から下までマジマジと観察して、詩織は怪訝そうに眉を寄せる。
詩織には知覚によって相手の強さを把握するような能力は無いが、目の前の少年がそれほど強そうに見えない
一緒にいる「アーロン・グランヴィア」に比べて小柄で、気も弱そうな少年を思わせるやや幼い顔立ち。どう見ても常勝無敗、百戦錬磨の戦士には見えなかった
(まあ、見た目と強さが必ずしも関係あるってわけじゃないと思うけど……)
見た目での偏見はよく無いと、自分に言い聞かせている詩織の向かいで、エクレールから同じ事を聞いた大貴は、テオを見て難しそうな表情を見せる
「……そんなに強くは見えないんだけどな」
大貴の言葉は決して間違いではない。大貴の知覚でも確かに常人と比べれば気の力は強いが、飛び抜けて強いという事も無い
気の強さだけなら、今ここにいる中で一番弱いトランバルトといい勝負といったところだろう。そんな人物が「最強」などと言われても、にわかには信じがたいものあった
「何だ、お前この二人……というか、『テオ』の事を知らないのか?」
大貴の口から洩れた言葉に、驚きを禁じ得ない様子のバルガスが目を丸くする
「……?」
「確かに一対一なら、私も簡単に負ける気はしません。でも、二人で戦うとしたら正直勝てる気がしないんですよ」
その言葉に怪訝そうな顔をした大貴に、隣に座っていたミリティアが何時に無く固い声で応じる。
タッグバトルに参加する時点で、全ての選手の前にタッグバトル最強のこの二人――試合を盛り上げるために時折パートナーが変わるため、正確には「テオ」と戦うという事実が立ちはだかる。
当然エクレールとミリティアもその例外ではなく、今大会でも優勝最有力と目されている最強のタッグを目の前にして、緊張するのも当然の事だった。
ミリティアは貴族の中でも七大貴族に近い実力の持ち主。だからこそ、いかに七大貴族であっても容易には負けないという自負と自信がある。
しかし、自分と同様に貴族姓を与えらえた目の前の青年――「テオ・ラインヴェーゼ」と戦う事を考えると、その自信も大いに揺らいでしまう
「彼は、あなたのパートナーと同じように感覚共化を得意としてるの。しかも彼は、特異な性質の気を持っていて、彼と共化した者は、その特性によって力が大幅に強化されるのよ」
「……へぇ」
ミリティアの言葉に続くように、すかさず反対側からエクレールが付け加える
人間界の人間の界能――「気」には、極稀に得意な形質を現すものがある。
その中で最もよく知られているのは、エクレールのように「属性」に特化したもの。それから分かるように、人間の気が現す特性は、本来の気の性質が特異な形で顕在化したものがほとんどを占める。
エクレールの気が「属性」という「特性」を強く顕在化し、自然界の水に気を通して行使する事ができるように、感覚共化によって、感覚が共化して強化されるように、共化した相手の能力を高める事が出来るテオの能力は人間界でも極めて希有なものだ。
その極めて希有な能力が高く評価され、気の力による戦闘力そのものは一般人に毛が生えた程度に過ぎないテオに貴族姓が与えられている。
「なるほど……」
その説明に机の反対側で納得しつつ頷いた詩織の視線に、アーロンが両側と背後に二人の美女を侍らせている大貴を見る
「……にしても、女帝に舞戦姫まで侍らせているとは、随分な事だ」
アーロンの心外な言葉に、大貴は不満の色を隠さずに視線を返す
「別にそういうんじゃねぇよ。なんなら何人か連れて行ってく、ゲフッ」
大貴が言い終わるよりも速く、まるで計ったかのようなタイミングでミスリーのヘッドロック、エクレールとミリティアの肘鉄、ルカの蹴りを同時に受けて大貴から似つかわしく無い苦悶の声が漏れる
(……アホ)
その様子に呆れながらため息をつく詩織の傍らで、アーロンとテオは顔を見合わせる
「……用事が済んだなら帰ってもらえるかしら? 今私達は彼と食事中なの」
その場の全員の言葉を代弁するように言ったミスリーの言葉に、アーロンは無言のままで一瞬テオと視線を交わす
「そうだな」
大貴からすれば、此処にいるメンバーの大半に同じ事を言ってやりたい気分だったが、先ほどの一撃の事もあり、あえて沈黙を以ってアーロンとテオに視線を向ける。
「……本戦で待つ」
その視線の先で身をひるがえしたアーロンは、背を向けたまま、抑制の利いた静かな口調でで言い放つ。
まだ対戦が残っており、かつブロック制覇の筆頭と目されているエクレールとミリティアを差し置いての指名をしたアーロンに、先に大貴と戦う事になっている女帝と舞戦姫が一瞬剣呑な視線を浮かべる
だが、それを口に出す事をしなかったのは、大貴という存在と戦ってみたいという好奇心を少なからず理解し、共感しているからなのだろう。
意外な事に、タッグバトルの頂点であっても、アーロンとテオの二人は光魔神を披露するパーティに呼ばれていない。
その理由はいくつかあるが、七大貴族を集めたパーティに七大貴族ではないテオが呼ばれる事は無い。アーロンは七大貴族の姓を授かっているが、今回集められる七大貴族は世界に対して大きな影響力を持つ者に限られる。
七大貴族の筆頭格を中心に、人々から多くの支持を得るエクレールなどがいい例であり、自由と孤独を好むアーロンにその条件に当てはまらない事が最大の理由だ。
そんな二人が、大貴が光魔神であると想像し、結論付けるのは九世界の常識的に考えて不可能だろう。
「どうも、すみませんでした」
申し訳なさそうに頭を下げてから、テオはアーロンと共に食堂を後にする
「念のために言っておくけれど、わざと負けたりはしないわよ」
「当然だ」
確認のために囁くような小さな声で言うエクレールに、大貴も静かに応じる。
「あれれ? すっごい人だね」
「シグロ様! それに細小さんも……!」
アーロン達と入れ替わるように声をかけてきた雪色の髪の少年――シグロ・虹彩と、招霊細小に、ルカが目を瞠る。
(……お前らもか)
間髪いれずにやってくる知人達に頭を抱える大貴とその周囲を囲む美女達を一瞥し、細小は当然のようにテーブルに混ざろうとしているシグロに視線を向ける
「隊長、これは私達お邪魔なのではありませんか?」
「やだなぁ、細小。だから面白いんじゃない?」
ケラケラと笑いながら、確信犯的笑みを浮かべるシグロの答えに、大貴を囲む美女達の眉が一瞬ひそめられる
その視線に一瞬身の危険すら覚えた細小だったが、大貴を囲む美女達はそれ以上何かを発する事無くシグロから視線を逸らす
(もう勘弁してくれ……)
沈黙を同席の許可と認識して、申し訳なさそうな細小と、平然と料理の注文を始めたシグロ。そして最初の四人からいつの間にか大所帯に膨れ上がったテーブルの中心で大貴はがっくりと肩を落とす。
「どうしたんですか? ロンディーネさん」
その様子を見て、ふと小さな笑みをこぼしたロンディーネに、詩織が首を傾げる
エクレールやミリティアのように人を惹きつけるのではない。ヒナ達王族のように統治するのでもない。ただそこにいるだけで当たり前のようにその周りに人が集まり、輪となって和が生まれている
「……いえ、これが今の光魔神様なのですね」
詩織の言葉に一瞬の沈黙を挟んだロンディーネは、まるで子供を見守る母親のような慈愛に満ちた微笑みを大勢の人に囲まれている大貴へと向けた。
※
「なぁ、マリア……やっぱりおかしいと思わないか?」
「……何が?」
まるで独り言を言うように漏れたクロスの言葉に、マリアは、窓の外に見える宙に浮かぶ人工の星――舞戦祭の会場からクロスに視線を移す
「最初に人間界王の話を聞いた時から、おかしいとは思っていたんだ。……あの場で変な疑いを持たせる必要はないと黙ってたが、人間と全霊命の混濁者を軍事力として利用するっていうのは、少し無理があるだろ」
人間界の人間の神――光魔神である大貴に、人間界、引いては九世界に対する疑念などを抱かせる必要は無いという判断からあえて質問もせずに沈黙を通したが、クロスにはこの人間界に来てからずっと抱き続けている疑念があった。
「そうだね。……そもそも、存在として全く違う全霊命と半霊命が愛し合うっていう異質な絶対条件を満たす必要があるんだから」
クロスの言葉に同意を示し、神妙な面持ちでマリアが頷く
存在そのものが神格の「霊」の力――神能によって構築されている全霊命の身体は、心に等しく、その心はり性と本能に等しい。それはつまり、互いに愛情が無ければ、肉体関係を持てないという事を意味している。
心から愛した者としか愛し合う事ができず、また、自らの意志で生殖機能の有無を決定できる全霊命は、その意志を明確に持っていない限り、子供が出来る事もない
そのため、いかなる手段を用いても、愛情が無い限り、全霊命は子供を作る事が出来ない
また、霊である魂と物理である肉体を同時に持つ半霊命も、霊的な力の格が高く、力が強い者ほど限りなくこれに近い現象が起きる
そのため九世界には、地球にみられるような肉体関係を持つ店は無く、人間界に綺麗な女性か、素敵な男性がお酌の相手をしてくれるような店があるだけだ。
常に男女の関係を「愛情」を必要とする九世界には総じて「強姦」という概念そのものがなく、互いの合意なしに肉体関係を持つという事はありえない
とはいえ、半霊命である人間は全霊命ほど頑なでは無い。薬物や、医学的干渉によって生殖機能を操る事は可能だ。
つまり、全霊命と半霊命の混濁者を戦力として手に入れるには、最低限全霊命の愛情が必要という事になる。
「おそらく人間界も半信半疑ってところなんだろうな。事が起こる前に手を打とうとしてるって所か」
ある程度の予測を込めて、クロスは考え込むようにしながら言う。
全霊命に恋愛感情を抱かせない限り、半霊命との間に混濁者を生みだす事は出来ない。――そんな事は、人間界王たちも言われるまでも無く分かっているはずだ。
つまり人間界は、全霊命と半霊命の混濁者を生みだすという理論が限りなく不可能に近いという事を分かっていても、その主張を上げる者達を意図的に無視していないという事になる
「それもあると思うけど、多分その勢力は人間界が作り上げたものだと思う」
「……どういう事だ?」
クロスの呟きに応じるように続けたマリアの言葉に、その疑問をこぼした本人であるクロスは怪訝そうな視線を向ける
「九世界で、十世界の理想に共感する人は少なからずいる。でもその中で十世界を利用しようとする人がいるのも事実だと思うの。だから人間界は、あえて名と力のある人物をその代表として置いて、そこにそういう人たちが集まるように仕向けたんじゃないかな?」
クロスの疑問に答えるように、マリアは考えを巡らせながら一言一言を紡いでいく
「光、闇全ての世界を統一し、この世界に争いの無い恒久的な平和をもたらす」という十世界の理念に共感し、十世界に組する九世界の人物は決して多く無い。
ましてや十世界を利用し、全霊命と半霊命の混濁者を生態兵器として利用するという考えを持つ者など、十世界に共感する者の一割もいないだろう。
しかしその手段に人間界が最も懸念したのは、人間が全霊命への劣等感と恐怖から亜人を生み出し、争乱と混乱を招いた「黒き千年」という歴史の過ち。
もし人間界が意図的にこの状況を作り出しているとすれば、再び同じ過ちを繰り返さないためだ。
禁を踏み越えないためのストッパー兼監視役としてリーダー格――力と統率力がある者を用意し、引率させる事で組織として形態化させ、監視や把握が難しい少人数単位での活動を制限する
同時に、九世界、十世界、十世界利用の三つの体勢を作り出して、いわゆる三竦みへと持ち込んで均衡状態を保つ事で、解決までの時間を稼ぎ、無用な争いを避けているとも取れる
「……なるほど。集団心理を利用して一ヶ所に集める事で、監視してるって訳か……けど仮にそうだとしても、その手段はかなり危ない橋だと思うぞ?」
その説明に納得しつつも、しかしその手段の危険性を把握してクロスは目を細める。
確かにマリアの仮定が事実だとすれば、人間界は意図的に自分達と十世界に敵対する第三勢力を作り出したという事になる。
確かにメリットもあるが、大勢集まった事で逆に増長して危険な行為に及んだり、最悪人間界の体勢が彼らの言い分に偏る事で世界の秩序に大きな影響を与えることにもなりかねない。
「うん。そうですね……でも、そのリーダー格として用意した人が、反乱分子を統率して、彼らに納得のいく答えを提示できれば、一度に反乱を鎮静化できると思うよ」
「……その鎮静化に、光魔神を使うって事か」
クロスの疑念と懸念を正確に理解しつつ答えたマリアは、神妙な面持ちで大貴達がいる人工の星へと視線を向ける
「それで済めばいいんだけど……」
言い知れぬ不安に胸を締め付けられるような感覚を覚えながらいうマリアは、自分の予感が不安のままでは終わらないであろう事を、心のどこかで認識し、理解していた