波乱の波紋
「……光魔神様、早速テレビの前で桁外れの力を披露してくださいましたね」
「…………」
テレビ越しに大貴の試合を観戦していたリッヒの言葉に、ヒナは難しそうな表情を浮かべて視線を伏せる
大貴の力はハーヴィンすらも越えている。それを人間界中に中継している舞戦祭の試合で披露してしまえば、誤魔化しなどは効かない
「キュ、キュウーーーッ!!!」
そんな二人の悩みなど我関せずと言った様子で、テレビに食い入るように見入っていたザイアは大貴の勝利に誇らしげに胸を張って勝利の雄叫びを上げる
「本当に困ったお方ですね……」
画面に映し出された大貴の姿を見つめる姉を一瞥したリッヒは、小さくため息をついてやや熱を帯びた瞳で画面に映し出された大貴を見つめる姉をたしなめる
「姉様、顔が緩んでいますよ。光魔神様の雄姿に見惚れるのは構いませんが、人前でそのような表情はしないでくださいね」
「えぇっ!?」
リッヒの言葉で我に返ったヒナは、慌てて両手でその小さな顔を包み隠そうとするが、その間からでもその白磁の様な純白の艶肌が真っ赤に火照っているのがはっきりと見て取れる
長く行動を共にしている自分ですら見た事がない姉の新しい一面と、初々しい反応を見てリッヒからは本人すらも自覚しない内に小さな笑みがこぼれていた
※
その頃、人間界中にその模様を中継している舞戦祭の会場では、次の試合までのハーフタイムに、総合司会であるルイーサと解説のジェイドグランヴィアによる解説が行われていた
舞戦祭はその特性上第一から第八まで全てのブロックの試合の開始時刻を揃えている
第一試合開始から一試合の制限時間である三十分後を経過した後、数分のインターバルを置いてそのまま第二試合が始まる事になる。
『……中でも注目すべきは舞戦祭予選第三ブロック第一試合です。まさかの王族級の実力者が現れるという波乱の幕開けとなりました。それにしてもジェイドさん。これほどの実力者が今まで無名でいたとは信じられませんね』
『ええ、そうですね。もしかしたら彼は、最近自分の強さに気付いて戦いを始めたのかもしれませんね』
『……はあ?』
ジェイドの言葉にルイーサは要領を得ない答えを返す。
ルイーサとしてはその言葉の意味が分からない訳ではない。しかしその内容があまりにも突拍子のないものであり、それを理解するのに思考が追い付かなかったという方が正しい。
何しろ人間界では、ある程度の年齢になれば教育課程で戦闘の基本を教わる事になっている。それがそれなりの年齢であるはずの大貴に戦闘経験がないというのは、人間界では常識として考えられない事なのだ
「――あの人、鋭いですね」
モニター越しに語られる二人の会話を聞いていた詩織は、推論で大貴の素性に限りなく肉迫しているジェイドの言葉に驚愕を禁じ得ない様子で息を呑む
「違いますよ、ジェイド様は大貴さんの正体に気付いておられます」
「そうなんですか?」
思わず目を瞠った詩織に小さく微笑みかけ、ロンディーネは画面に映っている眉目秀麗な美青年に視線を向ける
「ええ、ジェイド・グランヴィア様をはじめ、舞戦祭で名を馳せる七大貴族の実力者の方々にも明後日に行われる光魔神様のお披露目会への招待状を出しております。
直接の面識は無くとも、あの力を見れば大貴さんの正体に気付く事は難しい事ではないと思いますよ」
「なるほど……」
ロンディーネの説明に納得して頷く詩織の視線の先で、モニターに映ったジェイドがルイーサに「しかし」と前置きをして話かける
『確かに彼の力が突出したものですが、タッグとしては今一つと言ったところでしょうか。二対二でも一人が一人を相手にすれば、実質的に一対一と変わらないとはいえ、二人の力を合わせてその力を三や四、あるいはそれ以上に引き上げることこそがタッグバトルの醍醐味でもあります。
手元の資料によれば、両ペア共に急遽結成したペアです。まだコンビネーションが出来ていないというのも理由に挙げられるでしょうが、今後の成長に期待したいところですね』
『……なるほど』
ジェイドの説明に感嘆の息を漏らすルイーサは、そう言って次の第四ブロック対一試合の話を始めた
「さすがジェイド様。さりげない会話の誘導で、会話の論点を光魔神様の力の強さから逸らして下さいましたね」
「……でも、次の大貴の試合までの時間稼ぎくらいにしかならないんじゃないですか?」
首を傾げた詩織の言葉に、ロンディーネは穏やかに微笑む
「ですが、今の会話で大貴さんの気の強さと戦いでの強さが直結しない事を強調できました。これで観客の多くの認識が『途轍もない力を持った人物』から『途轍もない力を持っていているだけの人物』へと格下げ出来ました。これだけでも色々とやり易くなるものなのですよ」
「……そういうものですか?」
「そういうものです」
首を傾げた詩織に、ロンディーネは意味深な笑みを浮かべる。
ロンディーネの様子を見れば、その方が大貴が光魔神である事を世界に知られないための工作がしやすいという事なのだろうが、詩織にはそちら方面の事は難しくて別世界のような出来事だ。
専門的な事は専門の人に任せればいいという安易な決着を自分の中でつけた詩織は、腰を上げてロンディーネに視線を向ける
「じゃあ私は二回戦のチケット買ってきますね」
「あ、詩織さん!?」
大貴とルカのペアの勝利でそれなりに懐が潤っている詩織は、意気揚々とチケット売り場へと歩いていく
「もしかして意外と好きなんですか、賭け事……?」
まるでスキップでもし出しそうなその背を見送りながら、ロンディーネは思わず声を漏らしていた
※
同時刻、第七ブロックに続く廊下を白髪の髪を揺らしながら歩くシグロについて歩く細小は、その冷静な表情を崩す事無く前を歩く小柄な青年の背に声をかける
「あなたは彼の事を御存じだったのですか?」
「全然」
そういう細小は平静を装っているが、自分の目で見たものが未だに信じられないと言った様子がありありと浮かんでいる
王族と呼ばれるほどの力を持つ者は、基本的に王族からしか生まれない。一般人同士の間から生まれる才能では越えられない壁がそこにあると言われ、王族の血を受けずにハーヴィン級の力を持った子供が生まれた前例は無い。
つまり、人間界の常識ではハーヴィン級の力を持っている事は、王名十三家と呼ばれるハーヴィン一族と直系の血縁関係を持っている事を意味している。
九世界では多夫多妻制を採用しているため王族が民間の人間を見染め、子を成したという例は少なからず存在する。しかしその中でハーヴィンの名を冠する事が出来るほどの力を持った者は例外なく王族に招き入れられてきた。
ハーヴィンを関する事が出来るかできないかは、生まれたその瞬間から決まっているとされ後天的にハーヴィンに名を連ねた物は有史以来一人もいない。
つまり、大貴は本来なら生まれたその瞬間から「ハーヴィン」の名を背負っていなければならない。
そうでなければ、あの力の説明がつかないのだ。それほどに人間界の常識から外れた歪な存在である大貴に対して細小が驚きを隠せなかったのも当然だった
「……でも、タダものじゃない気はしてたよ。僕の勘がそう言ってたからね。まあ、さすがにあの馬鹿げた気の大きさは予想外だったけど」
しかし、細小と同様の意見を持ちながらもそのような事は特に気にした風もなくシグロは普段通りの無邪気な笑みを浮かべる
「ハーヴィン級の力を持っていて、ハーヴィンの名を冠していない人物など有史以来初の存在ですよ? それを馬鹿げた力の一言で括るのはいかがなものかと」
やや呆れたように言う細小の言葉に足を止めたシグロは、肩越しに視線を送って微笑む
「関係ないよ。初の事態が起きるのは初めてだからだしね……ただ」
大貴の出自に無関心を示したシグロだが、次いでやや落胆気味に肩を落とし視線を自分たちの背後――第三ブロックが行われている会場に向ける
「あれだけの力を持った相手と戦う機会なんてないからなぁ。できれば同じブロックで戦いたかったかな」
「彼らと私達がそれぞれのブロックで優勝すれば本戦で戦えますよ」
「第三ブロックで彼らが優勝するのはちょっと難しいんじゃない? 相手が悪いよ」
「……そうですね」
大貴の強さへの興味が湧き上がっている分、大貴と戦えないかもしれない事に落胆の色を隠せず言葉を曇らせるシグロに、その言葉の意味を正確に理解している細小が同意を示す
シグロや細小をはじめ、この会場に来ている大半の人間は、第三ブロックの勝敗に関して共通した一つの考えを持っている
例え大貴がハーヴィン級の力を持っているとしても、大貴とルカが出場する第三ブロックに限っては優勝するのは大貴達ではない。
そう考えているのは観客達も同様で、大貴の実力が明らかとなった現在でもほとんど変わらないブロック別優勝の賭け率がそれを証明していた
「……ま、信じるしかないかな。彼らの勝利を」
自分の中でそう結論付けたシグロは、小さく息をつくと同時にゆっくりと会場に向かって歩き出すのだった
※
それと時をほぼ同じくして、大貴とルカが参加している第三ブロックが行われている会場では、第一試合終了と同時に会場から姿を消していたシャオメイが浮遊する台座に乗って現れ、モニターにその姿を映し出す
『さあ、皆さまお待たせいたしました。間もなく第二回戦を開始いたします!!』
その声に触発されるように、会場からボルテージが上がっていく
「よォ、さっきの戦い見てたぜ。すげぇじゃねぇか」
次の試合を見るために、会場裏の選手控室に設置された巨大モニターの前に立った大貴とルカの元に一人の男がゆっくりと歩み寄ってくる
大貴よりも一回り背が高く、引き締まった細身の身体。精悍な顔立ちを飾る無精ひげと短く刈り上げた髪が印象的なその男に大貴は怪訝そうに目を細める
「……あんたは?」
「たっ……」
「ハハハッ!! さすがは大物新人。一応シングルバトルではそれなりに名が通ってるんだけどな。まあいいや。俺は、『バルガス』。次の第二試合に出る者だ」
思わず声を上げようとしたルカの声を豪快な笑い声でかき消し、バルガスと名乗った男は自身を指して笑みを浮かべる
「それはどうも」
ここで「それで?」や「何の用だ」などと返すほど大貴は慇懃無礼な性格はしていない。特に敵意や危険を感じなかった大貴は、一般常識の範囲でバルガスに軽く会釈を返す
その言葉に「ああ」とだけ頷いて応じたバルガスは、煩わしい前置きは無しとばかりに早速自分の用件に入る
「俺の用件は単純だ。さっきの試合を見て、俺はお前と戦り合いてぇのさ。だからまぁ、何つうか顔見せ……いや、宣戦布告か。そんなようなもんだ。この試合で俺達が勝ったら全力で戦り合おうぜってな」
好意的な闘争心をむき出しにして、バルガスはその目に獣のような光を宿す
舞戦祭はトーナメント制。この第二試合の勝利ペアが第一試合の勝者である大貴、ルカのペアの対戦相手になる。バルガスの発言はそれを踏まえた上での会話だ。
大貴としては試合の範疇で「戦いたい」と乞われて断わる理由は特にない。とはいえバルガスの発言はあくまでも「次の試合に勝てば」という仮定の上に成り立っているものだ
「……勝ったら、な」
「ああ、楽しみにしてろよ」
無難に応じた大貴の言葉に嬉しそうに笑みを浮かべたバルガスは、それだけ言い残すと踵を返して試合い会場へと向かっていく
(……なんか九世界ってああいう奴多いよな。いや、俺の周りに多いだけなのか?)
バルガスの背を見送りながら、漠然とそんな事を思案する大貴の複雑な表情を覗き込むようにしてルカが首を傾げる
「大貴君?」
「……いやなんでもない」
ルカの言葉に目を伏せた大貴は、漠然とわき上がっていた靄のような考えを振り払って試合時刻となった会場を映し出しているモニターに視線を移した
※
『さあ、第一回戦の熱気冷めやらぬ中、第二回戦の開始時刻と相成りました!!』
『どんな戦いが繰り広げられるか、今からドキドキですな』
シャオメイの澄んだソプラノボイスが響き渡り、それに呼応するように会場が熱気に震える
『では、選手入場です!!』
シャオメイの手が選手の入場口を示し、そこから二つの人影が姿を現す
『まずは、ミスリー・サングライル、トランバルトペア!!』
ワインレッドの髪をなびかせ、手、足、胸にだけ金属製の鎧を装備した軽装の騎士を思わせるの美女と、その美女よりも頭一つ分ほど背の低いあどけない少年が姿を見せる
『そして、バルガス、棘ペア!!』
ミスリー・トランバルトペアと向かい合う位置の扉から現れたのは、引き締まった武闘家の様な出で立ちの細身の男――バルガスと、バルガスよりも一回り身体の大きな筋骨隆々とした男だった
会場に現れた二組四人の選手が会場中央に歩み寄っている頃、客席でその様子を見ていたロンディーネの元に、詩織が息を切らせながら戻ってくる
「遅くなりました」
「いえ、丁度始まるところですよ。それよりもどちらに賭けられたのですか?」
息を乱しながら席に着いた詩織に視線を向けて、ロンディーネはわずかに微笑んで訊ねる。
その言葉に詩織が軽く手を振ると、その正面の空間に画面が開き、そこに先ほど詩織が購入してきたチケットの情報が映し出される。
「少し迷ったんですけど、手堅く勝率が高かった『ミスリー・トランバルトペア』に。だってサングライルって、七大貴族なんですよね?」
「ああ、そう言えば、説明しておりませんでしたね」
「?」
満面の笑みを浮かべた詩織の言葉に、一瞬面食らったような表情を見せたロンディーネは首を傾げている詩織にやや戸惑いがちに話しかける
「サングライルは確かに七大貴族の一角ですが、サングライルだけは亜人全員がその姓を名乗る事ができるのです。つまり、強くても弱くてもサングライルと名乗れるんです」
「……え」
ロンディーネのその言葉に、詩織が目を開いたまま身体を硬直させる
七大貴族に名を連ねられるほどの実力があると人間界王に認められた者は、「アークハート」、「グランヴィア」、「トリステーゼ」、「天宗」、「虹彩」の五つの貴族姓がランダムで割り当てられる
サングライルは確かに七大貴族の一角ではあるが、正確には「貴族姓」ではなく「種属姓」。亜人としての証明としての意味合いの方が大きい。
そのため亜人と呼ばれる人間たちは、その実力にかかわらず「サングライル」の姓を名乗っているのだ
サングライルに限れば、その名は実力の評価と決して等しくないという説明を失念していた事に申し訳ないと思いつつも、ロンディーネは気を取り直して詩織に語りかける
「もちろん、彼女が弱い訳ではありませんから御心配無く。……それよりも、この戦いで勝った方が大貴さん達の二回戦の対戦相手です。しっかり試合結果を見届けましょう?」
そう言って強引に話を打ち切ったロンディーネが視線を会場に戻すと、まるで図ったかのようにシャオメイが高らかに試合開始を宣言する
『では、試合開始っ!!』
「召喚!!」
試合開始の宣言と共に、バルガスのパートナー棘と呼ばれた男が高らかに手を掲げる
棘の声に応じ、その背後の空間が波紋のように揺らぎ、波打ったかと思うとそこから体長三メートルはあろうかという狼に似た獣がその姿を現した
細身ながらも引き締まった体躯。青に彩られた体毛をなびかせる巨大な狼は、その口から青白い炎のような吐息を吐きだす。
「ウオオオオオオオオオオッ!!!」
『棘選手、幻獣を召喚しました!!』
『フム、狼族の一種、「蒼狼」ですな。』
青い巨狼の咆哮が会場を揺らす中、シャオメイとディエゴが冷静な解説をする
「ちょっ、なんか怪獣が出てきましたよ!? あれは反則なんじゃ……」
会場に出現した明らかに人間よりも一回りは大きい狼に似た獣を見て絶句した詩織の言葉に、隣に座っていたロンディーネは事も無げに答える
「あれは怪獣ではなく、人間界に住む半霊命、『幻獣』です。彼は調教師と言って、幻獣を使役する職業です。
つまり、彼にとって幻獣は武器と同じ。よほど規格外の幻獣を連れてこない限り反則にはなりません」
「えぇ……」
ロンディーネの身も蓋もない答えに、詩織の口から年頃の乙女としては相応しくない声が漏れる
幻獣とは、人間界に住む人間を除いた半霊命の総称。地球で言えば「生物」と呼ばれる存在にあたる。
そして調教師とは、そんな幻獣と心を通わせ使役する者達を指す言葉であり、一つの職業でもある。
地球でも家畜として牛や山羊、羊、豚などを飼育しているように、人間界では幻獣と呼ばれる強大なモンスターや、それを家畜として改良した生き物を食用などとして利用している
強大な霊の力を有している幻獣が暴れ、危害を加えたりしないように御すために生まれたのが調教師という職業であり、技能だ
彼らの働きによって人間界の酪農が成立し、食料が滞りなく調達され、また農工業、移動などに幻獣を用いる事も出来る。それほど調教師の存在と技能は人間界にとって有益なものなのだ
その中で棘が召喚した狼族と呼ばれる幻獣の仲間にあたる「蒼狼」は、極めて高い知性と運動能力、戦闘能力を有している
そのため、肉食用などに用いられる幻獣の管理やそれを狙って襲ってくる幻獣の撃退だけでなく、野生の幻獣を狩る際にも用いられる人間と最もなじみ深い幻獣種の一つだ
「――って訳だよ」
「ほぉ……」
(犬とか牧羊犬みたいなもんか……)
モニターの前でルカの説明を聞いた大貴は、その説明に納得して小さく感嘆の声を漏らす
幻獣は戦闘にも用いられ、舞戦祭での使用も認められている。ただし幻獣を使用すると実質自分以外の戦力が増えるという事もあり、舞戦祭では定められた規格内の戦闘力の幻獣を試合中に一体のみ使用する事が許可されている
とはいえ、大会の規定に引っ掛かるような強力な幻獣を調教、使役できるような調教師は存在しないと言っても過言ではないため、その規定が用いられた事はないのも現状だ
「俺も一気に行くぜ!!」
棘が幻獣を召喚したのを見て、そのパートナーであるバルガスも戦意を剥き出しにして装霊機を起動し、空間に生じた波の中から巨大な徳利を取り出す。
『出たーーっ!! バルガス選手の伝家の宝刀!!』
『初戦から、彼の本領が見れそうですな』
バルガスの上半身ほどもある巨大な徳利を見たシャオメイが声を荒げ、ディエゴが冷静な解説をする
本人が大貴に言っていたように、バルガスはシングルバトルではその実力以上に、戦闘中に浴びるほど酒を呑む戦う酒豪として名が通った戦士でもある。
「んぐ、んぐ……プハーーッ」
取り出した巨大な徳利の中身をあっという間に飲み干し、酩酊成分で顔を赤らめたバルガスは目の前で佇む対戦相手――ミスリーとトランバルトに向かって声を上げる
「これが俺の力の源! アルコール度数百%の酒『火吹』だ!!」
「それは、単なるアルコールだろ」
「あ、大貴君突っ込んじゃうんだ」
画面越しにその台詞を聞いていた大貴が思わず漏らした言葉を隣で聞いていたルカは、クスクスと笑いながら嬉しそうに微笑む
「……っ」
そんなルカの言葉に気恥ずかしさを覚え、大貴はわずかに頬を染めて目を逸らす
「大貴君って少し気難しそうに見えるけど、意外とそうでもないよね」
「……それはどうも」
嬉しそうに言うルカの言葉に、大貴は照れ隠しの意味も込めてやや拗ねたような声音で応じた
「……あれ、ドーピングじゃないんですか?」
「戦闘の気分を高揚させるために酩酊成分を利用するのは悪い事ではありませんよ。まあ、戦闘中にあれだけ呑まれるのはあの方くらいですけどね」
人間同士の戦いにもかかわらず、巨大人型兵器にモンスターまで問題がないのだ。本心では「どうせこれも大丈夫なんだろうな」と思いつつ、半ば呆れたように言った詩織に、案の定ロンディーネが苦笑しながら肯定を示す。
「一体、何がルール違反になるんだろ?」
小さな声で思わず漏れた詩織の本音は、熱狂する観客の声にかき消されて誰の耳にも届く事は無かった。
そんな大貴や詩織達の舞台裏でのやり取りなど当然知る由もないワインレッドの髪の美女は、低い唸り声と共に青白い炎のような息を吐く身の丈を越える巨大な狼や、シングルバトルで名を馳せる猛者を前にしても全く動じることなく妖艶な口元に笑みを刻む
「狼族の幻獣か……種族的に敵対心が湧くわね」
軽く舌なめずりをして呟いたミスリーは、その身体に気を巡らせる。
「……獣化!!!」
ミスリーが妖艶な声音で静かに言葉を紡ぐと同時に、その身体が一瞬して気の波動に覆われ、全身がワインレッドの体毛に覆われた二足歩行の獣へと変化する
やや前屈の姿勢。獣のように曲がった後ろ足。その顔立ちは獅子のように勇ましく、眼光は矢のように鋭い。
身の丈とほぼ同じ長さの尻尾がゆらゆらと揺れ動く様は、獲物を前にした捕食者を彷彿とさせるものだった
「……あれは」
完全な人型から二足歩行の獣へとその出で立ちを変えたミスリーを見て軽く目を瞠る大貴に、並んでモニターを見ていたルカが応じる
「あれは『獣化』よ。サングライルの亜人には、人の姿から獣の姿に代わる『人獣』と、獣と人の混じった姿をしている『獣人』がいるの。獣化は人獣の特殊能力で、限りなく人型に近い獣になる事で突出した身体能力と戦闘能力を持っているの」
そのそも亜人と言う知識に乏しい大貴にとってサングライルの亜人は、人間界城で見た人魚の様な女性な街中で見かけた獣の耳や尾を持った人物という印象が強い。
まさか人型と獣の姿を使い分ける亜人種がいるとは思いもつかなかった大貴は、感嘆と畏怖の眼差しを以ってモニターに映し出された美しくも気高いワインレッドの獅子を見る
俗に言う獣耳などの特徴を持った「獣人」と呼ばれる亜人は、「人獣」のように完全な人間の姿を取れない代わりに総合的なバランス力が高い。
反面、完全な人型と獣が二足歩行した様な姿を使い分ける「人獣」は、変身前と後で身体能力が桁違いに違うため、要所要所で戦闘スタイルをがらりと変える事ができるという特性を持っているのだ
大貴がモニター越しに視線を送っているミスリーは、身体とほぼ同じ長さの尾を軽く揺らすと、その手に剣のように長い鋭い爪がついた手甲を装備して背後に立つ少年に視線を向ける
「さぁて。トランバルト、援護頼んだわよ!」
「は、はいっ!」
緊張しているのか、地なのかは分からないが、語りかけるような静かなミスリーの声にでも過剰に反応して背筋を伸ばしたトランバルトから視線を目の前の敵に移したミスリーは、獣の足で地を蹴りつける
「はあっ!!!」
「ッ」
まるで閃光の様な速さで蒼狼に肉迫したミスリーは、剣の様な爪のついた手甲を軽く一薙ぎする
「疾い、ですね……」
ほとんど軌跡すら残さないミスリーの速さに客席のロンディーネは目を細める
元々「気」で強化された戦いなど速すぎて視認出来ていない詩織はともかく、ミスリーの速さは、例え気を使えても並の人間には反応する事すらできないほどの速さである事はロンディーネには一目瞭然だった。
しかし、相手もさる者。蒼狼は持ち前の野生の勘と幻獣としての卓越した身体能力によってミスリーの攻撃を飛び退いて回避する
「グルルルル……」
「さすがね……」
一定の距離を置いてにらみ合うミスリーと蒼狼の間に酒気を帯びたバルガスの巨体が一瞬にして割り込む
「そっちばっかり見てんじゃねぇよ!!」
「っ!!」
言ったバルガスの拳を回避し、その動きに合わせてミスリーはカウンター気味に蹴りを返す。
しかしその蹴りが当たる寸前、バルガスの上半身が大きくブリッジをするように仰け反り、ミスリーの蹴りを回避する
それと同時に大きく体をのけぞらせたバルガスの身体すれすれを、いつの間にか肉迫していた棘の槍が奔り、一直線にミスリーに向かう
「……へぇ」
完璧に合わせられたタイミングの一撃。しかしミスリーが軽く口元を歪めた瞬間、閃光が煌めき棘の槍を弾き飛ばす
「なっ!?」
驚愕に目を見開く棘は、その手に二丁拳銃を構えたトランバルトの姿を見止め、咄嗟に体勢を整えて後方に飛び退く。
「まだまだぁ!!」
それと同時に、体を反らせていたバルガスが空中で回転しながらミスリーの頭部をめがけて研ぎ澄まされた蹴りを放つ
「残念」
しかしその鋭い銃弾の様な蹴りも、軽やかに体を捻って跳躍したミスリーのしなやかな身体を捉える事ができない
「……そっちはギロチン台だ」
「っ!!」
その言葉に軽く目を瞠ったミスリーの視界に、青白い炎の吐息を纏った牙を見せつけた蒼狼が、既に自分を射程に捉えているのを見る
「……あなた達の、ね」
しかし、それを見てもミスリーの笑みは崩れない。
刹那、蒼狼の口腔がミスリーの身体を呑み込み、牙と牙がぶつかり合う甲高い音と共に、炎の吐息が狼の口元で舞い踊る
「っ」
巨大な狼の口腔にミスリーが呑みこまれた様子を見て、声を引き攣らせる詩織の隣で、その様子を見ていたロンディーネが静かに応じる
「上です」
『おおっとぁ!! ミスリー選手、間一髪空中に跳躍して蒼狼の牙から逃れたぁ!!』
その言葉を証明するように、シャオメイの声が響き渡る
一瞬にして跳躍の高度を上げたミスリーは、客席から試合を見ている観客の視界に収まらないほどに高く跳び上がり、空にその身を投げ出していた
『障壁を足場にしての跳躍ですな』
「……ちいっ!!」
一回戦の大貴と同じく、仮想盾を足場に遥か高い位置に飛び上がったミスリーを見て舌打ちをしたバルガスは、遥か高い位置に浮かぶミスリーを迎撃するためにその手に気を収束していく
「っ!!」
しかし次の瞬間、バルガスの身体がまるで崩れ落ちたように下がると、それを合図にしたように先程までバルガスの頭があった場所を、一条の閃光が貫く
「……させません」
バルガスに砲身を向けたトランバルトが腕を交差させるように二丁拳銃を構えると、その背後の空間が一斉に波打ち、無数の砲身が出現する
「っ!!」
バルガスが目を見開くのと同時に無数の砲台が一斉に火を噴き、気とは違う物理的なエネルギーが凝縮された砲弾がまさに雨のように降り注ぐ
降り注ぐエネルギーの砲弾をバルガスと蒼狼は巧みにかわし、棘は槍で次々にはたき落していく
『凄まじい砲撃の嵐ーーー! しかし、バルガス・棘ペア。これを難なく凌いでいます』
「……違うわよ、凌がせてあげているの」
シャオメイの言葉に小声で呟いたミスリーは、それを見下ろせる遥か高い位置で自身の身体に気を集中させていく
「っ!!」
『これはぁっ!!』
『フム、トランバルト選手の砲撃は、ミスリー選手が大技を放つための隙を作るものだったんですな』
ミスリーの膨大な気を知覚したバルガス達が上空を見上げるのと、獅子を思わせるミスリーの口腔から咆哮が放たれたのはほぼ同時にだった。
「ガアアアアアアッ!!!!」
獅子の口腔から咆哮と共に放たれた気を凝縮した熱波動は、会場のほぼ全体を埋め尽くし、バルガス達に回避させる隙間を与えない。
「ちぃっ!!」
それに舌打ちしたバルガスが高らかに手を天に掲げ、収束した気を結界として展開するのと同時に会場全体がまるで火山の噴火の噴火を思わせる膨大な気の爆発と奔流に巻き込まれる
『きゃあーーーーっ!!』
会場全体を震わせる灼熱の爆発に、宙に浮く台座に乗ったシャオメイは振り落とされないように必死にしがみつき、衝撃波が収まるのを待って、粉塵に呑み込まれた会場を一瞥する
『な、何と言う威力でしょうか!! バルガス、棘選手は無事なのか!?』
圧倒的な破壊の衝撃によって空間そのものを軋らせている会場を覆う土煙が晴れると、その中で自身の気で結界を展開したバルガスと、その結界に守られている棘、蒼狼の姿が映し出される
「……ったく、肝を冷やしたぜ」
結界の中で息をついたバルガスの言葉に続くように、シャオメイの声が会場全体に響き渡る
『ああーーっとぉ!! 無事です!! バルガス選手、棘選手、共にミスリー選手の砲撃を結界で防ぎ切りましたぁ!!』
「あら。……まあ、上等ってところかしら」
しかしそれに素っ気なく答えたのは、中空で障壁を足場にしているミスリーだった
「っ」
時間としてはほんの一瞬。シャオメイの言葉が終わるのとほぼ同時に、地面の中から漆黒の球体が飛び上がった
そこはバルガスの展開した結界の内側。結界によって隔離された空間内に出現した漆黒の球体――遠隔操作式の機雷を見てバルガスは目を見開く
(しまっ……)
それに気付いたバルガスをはじめ、その場にいた誰もが反応する前にその機雷が結界内で炸裂し、強大な爆発を引き起こす
結界内という限定された小空間内が爆炎と衝撃に満たされるのを客席で見ていた詩織は、思わず声を詰まらせる
「……何で?」
「彼ですね」
「彼……?」
ロンディーネの言葉に視線を動かした詩織は、ミスリーの波動から逃れるために会場のほぼ端まで移動していた少年――トランバルトに視線を移す
「彼があの波動を放つ時間稼ぎのために放っていた弾幕……あの中に機雷を混ぜて地中に打ち込んでいたのでしょう
砲撃と時間稼ぎを兼ねて地雷原を設置した彼は、彼女が放った砲撃を防ぐために展開した結界内にある機雷を一斉に起動、爆発させたという訳です」
先ほどの戦いを的確に分析するロンディーネの言葉に、詩織は会場の「彼」と「彼女」――トランバルトとミスリー・サングライルを見る
その目に浮かぶ感嘆と驚嘆は、ミスリー・トランバルトのペアの戦術と、ロンディーネの正確な分析の両方に向けられている
「……彼女の一撃のために時間を作っていると見せかけて、彼女の方が囮だった――しかも知覚にかかりにくいように気ではなく、魔法と科学を併用した武器を選択するあたり用意周到と言うか……見事としか言いようがありませんね」
小さく呟いたロンディーネは、既にこの戦いの勝者を見極めている。そして同時に別の事を思考していた――「この二人を相手に大貴達が勝利するのは容易な事ではないだろう」と。
「……っくそ……」
会場の視線が集められる結界が消失し、その中から大きな傷を負ったバルガスと棘が姿を現す
完全に不意を衝かれたとはいえ、バルガスも棘も自らの身体を気で強化している。科学と魔法を併用した機雷の爆発も、知覚にかかりにくいというメリットを除けば強力な界能の力には及ばない。
現に、密閉空間内での爆発と言う一般人ならば確実に死んでいる様な攻撃を受けても、バルガス、棘、蒼狼はその身に秘めた強大な気によって致命傷は逃れている
だがそれも、ミスリーとトランバルトの戦略の内だった。
爆発から逃れるようにしてよろけたバルガスの首に獣化したミスリーが装備する手甲の剣爪が押し付けられ、いつの間にか地に組み伏せられた棘の眉間にトランバルトが持つマスケットに似た形状の銃の銃口が押し付けられる
「……っ!!」
「ふふ……信じていたわ。この程度であなた達が死なない事を」
首元に刃を押しつけられて歯軋りをするバルガスに、ミスリーは軽くウインクをして艶やかな声で微笑みかける
「やっぱり、こういう試合で人を殺すのは後味が悪いもの。これはお祭りなんだから、自分達は楽しんで、客は楽しませないとね」
獅子の顔でウインクしたミスリーの笑みに毒気を抜かれたのか、ミスリーが言ったように命がけの戦いでもないのに、これ以上戦いを続けるのは無粋だと判断したのかは分からないが、バルガスの身体に満ちていた戦意は急速に消え、その身体から力が抜ける
「……参った。俺達の負けだ」
『試合終了ーーーっ!!勝者、ミスリー・サングライル、トランバルトペア!!』
バルガスの降参の言葉にシャオメイが試合終了を告げる
「……俺達の次の相手はあの二人か」
「うん、凄いコンビネーションだったね」
その様子をモニター越しに見ていた大貴の言葉に、ルカがわずかに硬い声で応じる
「……あぁ」
(って、俺も人の事言えないな……)
自分達の戦いと比べてはるかに洗練されたコンビネーションと相手を降参させるまでの鮮やかな試合運びに感嘆と驚嘆を覚えながらも、次の試合であの二人と戦う事に抑えきれない昂揚を覚えている自分に気づいた大貴は軽く首を横に振る
(そういえば……)
ふと試合前にバルガスが言っていた事を思い出し、大貴はモニターに映し出された大男を一瞥する
「今回は縁がなかったみたいだな」
静かに声をかけた大貴の声など聞こえていないはずだが、バルガスは画面に視線を向けて少しバツが悪そうな表情を浮かべていた