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魔界闘神伝  作者: 和和和和
人間界編
47/305

カーニバル・イヴ






 薄明かりに照らされた室内。そこには、見渡す限りに機械が敷き詰められ、巨大な溶液の溜まったカプセルが陳列されている。

 その溶液の詰まったカプセルのいくつかには、まるで人間の胎児のようなものが入れられ、時折微かに動く「それ」が、確かに命を持ったモノだと見る者に理解させる。

「……しくじったか」

 そんな部屋の中に佇む一人の青年は、目の前の空間に浮かんでいる画面(ディスプレイ)に目を落として、事も無げに小さく呟く。

 赤味の強い、まるで赤銅のような短い茶髪。切れ長の目に、女性のようにも見える整った容姿を持つ青年は、見る者に美少年、あるいは美青年といった印象を与える。

 赤銅色の髪の青年の言葉と同時に、その背後に仮面とフード付きのマントで姿を隠した謎の人物が出現する。

「……らしくない失敗だったな、『リィン』。」

 抑揚のない口調で言った赤銅色の髪の青年の言葉に、仮面を外したフードの中から息を呑むほどに美しい少女が顔を出す。

 大人の色香と乙女の可憐さが絶妙に入り混じった顔立ち。レモン色の長い髪の間からのぞく紫紺の竜眼と、若葉色のオッドアイが一際目を引く美少女が、深々と頭を下げる。

「申し訳ありません。対象を護衛していた女が思った以上の実力者でして……次こそは、必ず」

「当然だ。……明日の事(・・・・)がある以上、あいつを舞戦祭(カーニバル)に参加させる訳にはいかない」

 感情の読み取れない赤銅色の髪の青年の言葉は、自分の背に向かって深々と頭を下げているリィンと呼んだ竜人の美少女に視線を向ける事無く、淡々と言葉を紡ぐ。

 その抑揚のない口調で言う青年の表情に、普通にしていては気付かないほどのわずかな焦燥と動揺が宿っているのを見て取ったリィンは、自分に視線を向けてくれない青年の背中に悲しげな視線を送りながら、拳と唇を引き結ぶ。

「……失礼します」

 頭を上げて身をひるがえしたリィンは、いつの間にか自分達の背後に立っていた金髪の男を見止め、足を止める。

「何をしているのですか? 『エスト』君?」

「……グリフィス」

教授(プロフェッサー)……!」

 何時の間にか室内に入ってきていた金髪の青年――「グリフィス」の声に、エストと呼ばれた青年は肩越しに視線を送り、リィンは、グリフィスの二つ名を呼んで息を呑む。

 十世界に所属し、十世界の技術顧問を務めるエストの師。「教授(プロフェッサー)」と呼ばれる男と向かい合ったエストは、目を伏せて静かに言葉を続ける。

「……竜人の最終調整ですよ。明日の舞戦祭(カーニバル)のための」

「そう言って、確か先日も何かをさせていましたね?」

 その言葉を聞いたグリフィスは、白々しい笑みを浮かべながら、エストを眼鏡越しに鋭い視線で射抜く。

 まるで全てを見透かすような目に身体を強張らせるリィンの横で、沈黙を以って佇むエストに、グリフィスは小さく肩を竦める。

「……まあ、いいでしょう。ですが、あまり目立つ様な事は避けて下さいね。我々の動きや正体を感づかれるのは、得策ではありません」

「ああ」

 エストは淡白な答えに、踵を返したグリフィスは、ふと足を止める。

「ああ、そうそう。そういえば、先日リィン(その子)がここを出た際に、不慮の事故(・・・・・)に巻き込まれて、参加する予定だった選手が舞戦祭(カーニバル)に出られなくなったそうですよ?」

「……単なる偶然じゃないのか?」

 まるで見透かしているかのように言うグリフィスに、エストは見抜かれていると分かっていながらも、何事もなかったかのように、わざととぼける。

 傍から見れば、狸の化かし合い、腹の探り合い。しかし、そんな気楽な言葉で済ます事のできない明確な緊張感が、重苦しい静寂を伴って二人の間に流れる。

 一瞬が永遠にすら感じられる視線と思惑の交錯と膠着。そんな均衡を破ったのは、グリフィスの方だった。

「そうですね。何時、何処で起きるか分からないから、事故(・・)なんですからね」

 小さく笑みを浮かべて、エストに背を向けたグリフィスはそう言い残してその場から姿を消す。

「……先ほどの話は中止だ。明日に備えて休んでおけ」

「はい」

 グリフィスが姿を消したのを見送ったエストは、視線を向ける事無くリィンに言う。

 自分の師であるグリフィスの事をよく知っているエストは、ここで強引に計画を遂行する事への危険性を十分に理解している。



 元の技術があるとはいえ、理論や技術だけで亜人種を生み出すの事は困難を極める。

 亜人を創るためには、人間と、それに組み合わされる他種の半霊命(ネクスト)を、遺伝、細胞はもちろん、霊的な存在レベルで存在の根源から融合させ、個種として確立させる事が必須になる。

 それは、単純に身体の一部分や能力の付け足すのではなく、創造と進化の中で組み込まれなかった特性を両立させる技術――即ち、「翼を持った魚」を創るのではなく、「鳥類に分類される魚類」を創り出すに等しい、遺伝子組み換えなど足元にも及ばない禁忌の技術。


 理論と技術は確立されていても、その中で成功と言える個体を得る事は極めて難しく、竜人と呼べるほど完成された個体は、リィンをはじめとして極少数しか存在しない。その希少な戦力を計画直前に安易に人前に晒すような事をグリフィスは是としない。

 今強引にリィンを出撃させようとすれば、グリフィスはあらゆる手段を以ってそれを妨害してくるだろう。エストはグリフィスの弟子であり、ここでは部下に当たる。技術などの運用、指揮権限に関してもグリフィスの方が高かった


 今ここでグリフィスと事を構えるのは、自身の目的にはマイナス要素しかない。そう判断したエストの真意を理解しているリィンは、悲しげに目を細めてその背に目を伏せる

「……怖気づいてくれる事を祈るのは、虫がよすぎるかな?」

 背後にいた竜人の気配が消えたのを背中越しに確認したエストは、自分一人だけが残された部屋の中で、切なさを孕んだ声で小さく独白した





 九世界の月――神臓(クオソメリス)は、常に天空の同じ位置に鎮座し、光の強さや質を変える事で世界に昼と夜を作り出している。


 その周囲に煌めく無数の星々は、ゆりかごの世界の星のように自らが発熱し、発光する恒星ではなく、世界と世界の狭間に存在する虚ろなる世界――「時空の狭間」が、神臓(クオソメリス)の月光によって、映し出されたものとされている。

 世界同士を隔てる空間を水に例えた時、そこに生じる水泡が「時空の狭間」。世界の概念を内包し、世界としての定義を持たないため、様々な世界の景観が混在した状態で存在する時空の狭間は、世界と空間の中間。

 世界ほど不干渉ではなく、空間ほどおぼろではない……そんな空間を、「世界を照らす」という概念の結晶体である神臓(クオソメリス)の柔らかな月光が照らした時にのみ、その世界でも空間でもない世界の輪郭が、煌めいて世界に投影されているのだ



「……今日もいい夜空だ」

 そんな眩い星に照らされる街中を、夜空を見上げながら一人の少女がゆっくりと歩いていた

 すらりと長い手足に、青みを帯びたショートヘア。男装の麗人を連想させる整った中性的な顔立ちは、一見異性よりも同性の人気を集めそうに見えるが、極自然に纏う高貴な気品と、初々しい色香が女性として異性の目を引き付けるのに十分な魅力を備えている。

「明後日は、舞戦祭(カーニバル)か……ルカの奴、張り切り過ぎて空回りしなけりゃいいけどね」

 ふと思いついたように独白した少女は、舞戦祭(カーニバル)で一緒にタッグを組んで戦う相棒の事を思い出して小さな笑みを浮かべる

 人間界を統べる王が住まう王都では、夜といえども街は眠らない。夜に語らい親交を深める人々が羽を休める酒場や、食事処、娯楽店の数々が軒を連ねる大通りは、活気と光に満ちている


 しかし時間は夜。多くの人間は眠りの中に一日の疲れを癒し、明日への活力を養う時間帯でもある。

 そのため、夜でも賑わいを見せる大通りに面する活気のある場所以外の宿や民家が密集する地域では、灯りは夜の安全を確保するための最小限のものに限られている

 少女が歩いているのも、そんな夜の賑わいから外れた限られた街灯だけが道を照らしている夜の道だ

 道を照らす最低限の灯りだけの道は、月光と星の光の幻想的な美しさを引き立て、夜の闇の持つ静謐な美しさを否応なく感じさせてくれた


 日が落ちて間もないとはいえ、少女が一人で歩くにはやや遅すぎる時間。しかし、王都は王の御膝元だけあって、人間界屈指の治安の良さを誇り、少女自身もそれなりに腕に覚えがあった

 それらの事実が、少女に大きな安心を与えており、同時に取り返しのつかない油断を生む事となる

 少女が通っていたのは、主に住居が立ち並ぶ居住区。当然、その一帯には多くの人が居を構えており、道の薄暗さとは裏腹に、日が落ちたばかりという時間帯もあって人通りそのものは決して少なくない

 歩道を歩く少女の視界に映ったのは、歩道と並行して設けかれた車道をこちらへ向かって走ってくる自動二輪。何の変哲もない普段生き違う寸前、数万のそれと何も変わらない自動二輪は、少女が視線を前方に戻した瞬間、突如鈍い音と共に、地面を転がりながら一直線に少女に向かってきた

「……なっ!?」

 それを意識の端……無意識に展開している知覚能力によって察知した少女は、驚愕と共に視線を自動二輪に向けて目を見開く

 何かにぶつかったのでもなく、交差点でもないのに、まるで真横から(・・・・)突き飛ばされたかのように、あまりにも不自然な軌道を描いて向かってくる自動二輪に驚愕しながらも、少女は、冷静に自身の界能(ヴェルトクロア)に融合させた装霊機(グリモア)に意識を向けた

(大丈夫、間に合う!)

 速度を緩めることなく向かってくる自動二輪。その速度はかなりの物だが、訓練によって卓越した反射能力で、冷静に対処した少女にとって、防御も、回避も、迎撃もいずれにしても間に合わない時間ではなかった

「……っ!!」

 しかし、対処できたはずの事故に、少女は対処できなかった。なぜなら、スピンしながら向かってくる自動二輪に行動を起こそうとした少女の細腕が、肘から上を残した一瞬にして消失したのだ

 視界を染める深紅の血潮。視界の端に腕から離れた自分の手が映るが、あまりの事態に少女の思考が一瞬停止する。その一瞬の間が致命的だった。痛みを感じる前に、自動二輪が少女の身体に激突し、その勢いのまま壁に激突する。

 周囲に響き渡る鈍い音。それが静寂に包まれた夜の闇にこだます中、背後にあったビルの壁と自分に直撃した自動二輪の間に挟まれていた少女が、そこから這い出して地面に倒れる

「……ぅ」

 一瞬の思考停止によって完全に防げなかった激突の衝撃と、腕を失った痛みが全身を駆け抜け、地面に倒れた少女の視界に紅い染みが広がっていく

 痛みと衝撃に意識が遠のく中、かすれた少女の瞳は、血だまりの先に現れた人影を捉える

(……誰?)

 視界に映るのは、足元まで届く漆黒のマントかローブのような服。自分に駆け寄ってくる訳でも、誰かを呼ぼうとする訳でもなく、ただ佇んでいる人影。

 それが誰か、何者かを確認する事は少女にはできなかった。視線を動かそうとした少女の意識は、出血と痛みによって闇の中に沈んでいく

「……悪く思わないでね。エスト様の命令だから」

 気を失って倒れた少女を一瞥し、わずかに仮面を外して聞こえるはずのない相手に言葉を贈った美少女の紫紺の竜眼と若葉色の瞳が、夜の闇の中で宵闇に瞬く星々よりも妖しく美しい輝きを放っていた





「じゃあ、『セリエ』。ちゃんと安静にしてなきゃ駄目だからね」

 その事故の翌日。王都アルテアの病院の病院の一室では、清潔感の漂う純白のシーツに覆われたベッドの上に座った少女が、空間に映しだされた画面に映っている亜麻色の髪の少女――ルカと言葉を交わしていた

「ああ、分かってる」

 画面越しにも拘らず、自分に触れようとするかのように顔を近づけて案じてくれる、元パートナーにセリエと呼ばれた少女は肩を竦めてみせる

「それよりも、私の心配よりも自分の心配をしな。……舞戦祭(カーニバル)は、人間界中で見る事が出来るんだ。行方不明のお兄さんにみっともない所を見せるんじゃないよ」

「……うん。私が舞戦祭(カーニバル)に出られるのは、セリエが運営さんに掛け合ってくれたからだよ、ありがとう」

 画面の向こうに映るルカが、嬉しさと申し訳なさに二分された表情でセリエに言う


 いくら不慮の事故とはいえ、舞戦祭(カーニバル)の参加選手の片方が、試合の前々日に大怪我を負えば、辞退は免れない

 当然、舞戦祭(カーニバル)の運営は、ルカとセリエを失格とし、間に合えば別の選手を代理として用意し、間に合わなければ不戦敗とする予定だった

 だが、セリエがとあるコネを使って運営に掛け合い、新しいパートナーを得る条件でルカの参加が認められたのだ


「気にしないで。今のルカの姿を、世界のどこかにいるお兄さんに見せつけてやりな」

「……うん」

 セリエの強い視線に、画面の向こうのルカも強く頷く



 ルカは幼い頃に兄と生き別れており、世界に巡らされた情報ネットワークなどを駆使しても兄を見つけられなかった

 そのため、今ではこの世界で唯一の肉親となった兄を捜し出すために、最も人と情報が多く集まる王都に藁にも縋るような思いでやって来たことをセリエはよく知っている

 舞戦祭(カーニバル)にこだわったのも、全世界に中継される舞戦祭(カーニバル)に出れば、世界のどこかにいる兄に見てもらえるかもしれないという考えがあっての事だ


 舞戦祭(カーニバル)は、一対一、二対二など、形式を変えながら年中行われている

 だが、ルカは一対一での戦いにはあまり向いていない。可能な限り目立ちたいと考えるならば、二人以上の戦いにエントリーするのがベスト

 そういう目的があったとしても、ルカが自分の意志で怪我をした自分を置いて別のパートナーと組んで参加する事はないと分かっていた

 これまで、二人で地方の予備戦に赴いて敗北し続け、ようやく掴んだチャンスを自分の所為で台無しにすること等セリエには到底許容できるものではなかった



「会場に行けないのは残念だけど、私は、ここでルカの活躍を応援してるから」

「うん。私は大丈夫だから、セリエは安心して見てて」

 セリエの言葉に、画面越しに映るルカが強い意志を宿した表情で頷いてみせる

 欠損した部位の復元は、早ければ早いほどよく、元の動きを取り戻すまでに時間がかからない。今セリエが病院にいるのも、その治療のためだ。

「……ああ」

 力強く言ったルカに笑みを向けたセリエは、画面の端に映し出されている時間を見る。

 時間はまだ日が落ちて間もないが、ルカには舞戦祭(カーニバル)の本番が控えている。このまま引き止めるのも悪いと考えたセリエは、軽い口調で話を打ち切る。

「さて、ルカを寝不足で負けさせるのは気が引けるから、これで通信は切るよ……お休み。」

「うん、お休み」

 セリエの軽い口調に苦笑をこぼすルカを見て、通信を切ろうとしていたセリエの口からは、その意志とは裏腹の言葉が紡がれる。

「……ルカ」

「何?」

 通信を終了しようとしていた意志とは裏腹に、思わずルカを引き止めてしまったセリエの脳裏には、自分が危惧し、無理に関係ないと思いこもうとしていた事柄が思い出される。

「……いや、なんでもない」

 喉元まで出かかった言葉を、言うべきが言わざるべきが逡巡したセリエは、あえて呑み込む。

「そう?」

「ああ、頑張って」

「うん」

 ルカとの通信が切断され、ブラックアウトした画面を見つめていたセリエは、扉を三度ノックする音でふと我に返る。

「……クー姉」

 視線を上げたセリエの目に映ったのは、病室の扉を内側から(・・・・)ノックしている人物。アルビノを思わせる流れるような白髪をなびかせた美女――「クーロン・ラインヴェーゼ」の姿だった。

「大変だったようね」

「……扉はノックしてから開ける物だよ? いくら実の妹の病室だからって」

 実妹の咎めるような視線も意に介する事無く、クーロンは、淡々と言葉を続ける


 人間界の貴族姓は、人間界王に認められた証。例え親兄弟だろうと貴族姓を名乗る事は許されない

 必然的にクーロンの持つ「ラインヴェーゼ」の姓も、未だ正式に貴族としては認められていない実妹のセリエには名乗る事が出来ないのだ


「一応名誉のために弁解させてもらうけど、ちゃんとしたわよ? ただ、あなたが考え事に夢中で気付かなかっただけ」

「…………」

 クーロンの言うように、自分が周囲の様子すら気にならないほど集中していた事も事実であるため、セリエはそれ以上の反論ができず、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる


 もちろん、姉の言っている事が真実かは分からない。何しろ、その時セリエは心ここにあらずの状態だったのだから。

 だからこそ、否定も反論もできない自分の未熟さに内心で舌打ちをしながら、セリエは姉に視線を向ける


「ルカちゃんには何も話さなかったの?」

 周囲の気配にも気がつかないほどに考え込んでいたことなど、お見通しとばかりにクーロンが言うと、セリエは、観念したのかそのまま言葉を続ける。

「ああ。大切な舞戦祭(カーニバル)の前に、余計な心配をかける訳にはいかなかったから」

 事故の調査と検証と、傷口の照合を行えば、その傷がいかにしてできたかを判断するのは容易な事だ


 セリエの証言と、事故の調査によって、セリエの傷が今回の事故でできた物ではなく、別の要因によって意図的に斬りおとされたという事がかなり早い段階で証明されている

 それをルカが事故と認識しているのは、セリエが事故と偽ったからであり、同時にマスコミにも軍がそのように発表しているからだ


 本来一般人に過ぎないセリエが情報の隠蔽を行う事は難しいが、具体的な要因は「不明」。セリエが見た人影も、今回の件と関係があるかは分からない。そんな曖昧な情報を流す事は出来ないため、現段階では、まだ「調査中」という事になっている。

 捜査情報や事故の詳細を、調査中の段階で情報媒体で広める事は皆無に等しい。セリエはその事実を利用して、ルカに「事故」と嘘を教えた

 その事故が伝えられたニュースでも、「事故に巻き込まれた学院生徒が腕を切断した。詳しい事故の原因は現在調査中」という程度しか伝えられていない事もあって、ルカに不安や疑念を抱かせるには至っていない


 時間稼ぎ程度の嘘でしかないが、ルカを舞戦祭(カーニバル)に向かわせるには、十分すぎる時間を確保できると判断し、事実セリエの思惑通りに事は運んでいる

「……一応調査は継続しているけど、犯人の特定は少し難しそうね。軍内部では、『王都で不審な動きをしている者がいる』程度の内容で伝わっているわ」

「……うん、ありがとう」

 クーロンから事故の調査状態を聞いたセリエは、不安の中に確実に明日の舞戦祭(カーニバル)までルカに真実が知られる事は無いという安堵に、表情をわずかに緩ませる


 セリエがいくら嘘をつこうと、事故の調査と検証をし、治安のために犯人を捜査、逮捕する軍の情報はごまかせない。貴族姓を持ち、軍に所属しているクーロンならば、その詳細を知る事は容易い。

 クーロンが確認した所、軍内部でも「王都で不審人物が潜伏している可能性がある」程度の情報にとどまっており、今回の事件の詳細は未だに判明していない。


「そういえば、あなたの代わりにルカちゃんと組む人は決まったの?」

 クーロンは、親友を騙し通せる事に安堵の表情を浮かべている妹の不謹慎な態度に呆れつつも、友人を思うセリエのその気持ちを十分に汲み取って、話題を変える

「ああ。『大貴』って人らしい。ルカも結構気に入ってたよ、今度紹介してくれるって」

「……大貴?」

 嬉しそうに言ったセリエが言った名前に、クーロンは口元を手で隠して、何事かを思案しながらわずかに目を細める

(偶然かしら……?)

 真紅の巨竜艦(テスタロッサ)の艦長として、ゆりかごの世界にいる人間の神「光魔神」を迎えに行ったクーロンは、光魔神がゆりかごの世界で用いていた名前「界道大貴」を、情報として知っている

 大貴を人間界城に送り届けてからの事はほとんど知らないが、その名が、脳裏にある光魔神を連想させたのも、当然の事だった

「……それよりも、クー姉の大切な仕事はもういいの?」

 そんな姉を怪訝な様子で見ていたセリエは、ふと思い出したように口を開く

 実は、クーロンは軍の重要な仕事でここ数日連絡が取れない状態にあり、セリエが事故に巻き込まれたのを知ったのも、セリエの病室を訪れるのも、これが初めてなのだ

「ええ。今は妹のあなたにも教えられないけど、一生誇りに出来る仕事をさせてもらったわ」

「……へぇ」

 誇らしげに語る姉を見て、セリエはまるで自分の事のように小さく微笑む


 クーロンは、軍でもかなりの重職についているため、身内にも教えられないような重要な案件に絡む事も少なくない

 自身は貴族に名を列ねられるほどの才覚がないことを知っているセリエにとって、姉は目標であり、憧れそのものだった


「さてと、セリエの元気そうな顔も見れたし……私は城に戻るわね。(テスタロッサ)を任せてきてるから。腕が治るまでは、お医者様の言う事を聞いて安静にしているのよ?」

「分かってるよ」

 まるで子供に言い聞かせるように言ったクーロンに、セリエは苦笑交じりに応じる

 その言葉に軽く手を振って答えたクーロンは、アルビノのような純白の髪が揺らめかせて病室を後にする

 クーロンが去り、自分一人が残された病室の中で静寂に身を委ねるセリエの脳裏には、薄れゆく意識の中で視界に映った漆黒の衣が何度もフラッシュバックしていた

「……何事もなければいいんだけど」

 小さく祈るように呟いたセリエの声は、静まり返った病室の中に重々しく響いた





 夜が深くなれば、この世界の中枢を担う人間界城からも灯りは消え、この城で暮らす王族、住み込みで働く従者や護衛の騎士、見回りの警備兵などのごく限られた一部の人間だけを残して、城内からは人がいなくなる

 静寂に包みこまれた城内にある貴賓室の一室で、流れるような金糸の髪と純白の四枚の翼を月光に浮かび上がらせるマリアは、部屋に備え付けられていたコンピュータに向かって、黙々と仮想端末のキーボードを操作していた


 各部屋に備え付けられたコンピューターは、人間界城のデータバンクと直結しており、閲覧禁止指定以外の情報を得る事が出来る

 人間界の中枢である人間界城に保存されたデータは、人間界の情報ならば全て手に入ると言われているほどに膨大な量に上る


 人間界のコンピューターには、専用のインカムを用いる事で使用者の思念と読み取り、考えるだけで動かしたり、音声で操作する機能も付いているが、全霊命(ファースト)の思念や、単純な「音」ではない「声」を読み取る事も難しい

 そのため、仮想キーボードが認識できる限界の速さまで落としてタイピングをしなければ、全霊命(ファースト)であるマリアには、コンピューターを使う事が難しかった


 キーボードが認識できないほど速く指を動かさないように気を配りながら、逸る感情を抑えきれずに仮想キーボードの上で踊っていたマリアの指がピタリと止まる。

「……っ」

 小さく目を見開いたマリアの視線の先には、画面に映し出される穏やかな笑みを浮かべた金髪の青年の姿

 整った顔立ちに、子供のような悪戯心に溢れた人懐っこい笑みを浮かべる金髪の青年を見て、マリアは身体を小刻みに震わせながら画面に映った青年に見入る


「やっと、会えた……」


 その青年の写真。その見出しには、一文が添えられていた。




 ――天使と交わった原罪の人間、『ルーク・ハーヴィン』。



「……お父さん」

 流れる筈のない涙を堪えるように、微かに震える瞼で潤んだ目を隠したマリアは、ようやく見る事が出来た父の姿にその身を小さく震わせる


 全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)混濁者(マドラス)として生まれたマリアは、両親の顔を知らない

 物心ついた頃には、天界の城の奥で軟禁状態だったマリアに知る事が出来たのは、天使の母「アリシア」。そして、人間の父「ルーク」という名前だけ


 全霊命(ファースト)と契りを交わした人間は、その際に無意識下で交換される『存在の根源』の力に耐えきれず、長くても5年程度の命になる

 ここに映っている父も、その例に漏れる事無く、かなり早い段階で禁断の愛に身を染めた代償を、その命と心で払っただろう



 父と母がどのように出会い、どのように想いを通わせ、禁を犯してまで愛し合うに至ったのか

 生まれて初めて見る父の姿を見つめながら、マリアは自分でも分からない感情に身を震わせて、今となっては知る術もない両親の想いに、娘として想いを馳せていた




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