騒動の予感
人間界の王都「アルテア」。そこには、人間界中の――そして九世界で最も優れた科学や産業の全てが集まっている。科学、魔法といった人類の叡智が込められたそれらが一堂に立ち並ぶショッピングモールは、地球で見慣れている詩織や大貴から見ても、圧巻の一言だった
「うわぁ……広い」
見渡す限りに広がった売り場を見て、詩織が思わず声を上げる
「この王都では、人間界に存在する物がおおよそ全て手に入ると言われています。このくらいのショッピングモールになれば、その内の大半は手に入るでしょう」
ロンディーネの言葉に、周囲を見回す詩織は目を輝かせる
「ほら、大貴! これだけ広いんだもん。急がないと一日じゃ回り切れないよ?」
「……一日で回る気かよ? 絶対に無理だろ」
その宣言に呆れている大貴を完全に無視し、詩織はショッピングモールの端末を見ながら、何階に何の店があるのかを確認する
フロアの大きな柱に備え付けられた端末からは、ショッピングモール全体の間取りや店の情報などが閲覧できいるようになっている
装霊機による自動翻訳で、人間界の文字を読むことができるようなっており、詩織はこのショッピングモールに入っている膨大な店舗に輝くような視線を送っていた
「あ、見て見て大貴。フードコートに武器屋っていうのもあるよ!? くぅ~っ、買い物マスターの血が騒ぐわ」
(いつの間にそんな変な称号を手に入れたんだ?)
嬉しそうに言う詩織の言葉に、内心で呆れつつ大貴は詩織の後に続く
逸る感情を抑えられない様子の詩織を見て、侍女らしく大貴の後ろに控えているロンディーネが口元を綻ばせる
「元気ですね、詩織さん」
「……そうか?」
大貴から返って来た予想外の答えに、ロンディーネは怪訝そうに訊ねる
「どういう意味でしょう?」
「なんか……無理して明るく振舞ってるようにしか見えないんだけどな」
嬉しそうにしている詩織の後ろ姿を見て、大貴は目を細める
詩織は元々明るい性格ではあるが、今の明るさは普段のそれと違うように大貴には見える。まるで悲しい事を考えないように、懸命に明るく振舞っている……そんな印象を覚える明るさだ。――その原因がなんなのかは、考えるまでもないが。
「よく、お分かりですね」
「生まれた瞬間から、ずっと一緒にいるんだ。……まあ、何となくだけどな」
「……なるほど」
大貴は小さく呟いた大貴の言葉に、ロンディーネは小さく頷いた。
『さあ、みなさんお待ちかね!! 今夜の舞戦祭の予告だ!!』
その時、壁に設置されていたモニターから、軽快な声が響いてくる
「……舞戦祭?」
「舞戦祭に興味が御有りですか?」
「いや、そもそも舞戦祭なんて知らないからな」
微笑んだロンディーネにそう返すと、
「舞戦祭は、人間界で最も人気がある興行です。人と人が実戦形式で戦い、その勝敗を予想してお金をかけるという、いわゆる賭博競技です」
「……実戦形式でって事は、命がけって意味か?」
やや嫌悪感を滲ませた口調で大貴が言う。
ロンディーネの説明によると、舞戦祭とは、闘牛や闘鶏の人間版と言ったところになるらしい。人と人と戦わせて、それにお金を賭けるというのは、大貴の感覚としてあまりいい印象を抱けない。
「基本的に殺すのは御法度です。ですが、武器は本物を使用しますので、結果的に命を落とす者が極稀にいる程度です」
「同じじゃないのか? ……要は人間同士で殺し合いをさせて、それで賭博してるって事だろ?」
大貴の言葉に、ロンディーネは小さく苦笑する
人間界は、産業、科学に伴って医学も九世界の最高峰に位置している。よほどでなければ死なないという医術のレベルもあって、戦闘で命を落とすのは数万分の一程度の確率だ。
格闘技やスポーツでも、物によっては年に数十人以上の死者を出すのだから大差ないのかもしれないが、大貴が問題にしているのは、死亡率では無く、それに伴う倫理観や道徳観、価値観の方だ。
「そういう仰られ方をすると身も蓋もございませんが、そこまで殺伐としたものではありませんよ」
そう言ったロンディーネは、やや腑に落ちないような表情をしている大貴の隣にさりげなく立ち、周囲の人間に聞こえないように気を使って言葉を紡ぐ。
「こう……いえ、今は大貴さんとお呼びするのがいいでしょうね。大貴さんは、人間界の貴族がどうやって選ばれるかご存知ですか?」
「……いや?」
小さな声で話しているとはいえ、ここには人が多い。万が一の可能性を考えて「光魔神」ではなく「大貴」と呼んだロンディーネの言葉に、大貴は首を横に振る。
「くどいようですが、人間界の『貴族』とは、個人が冠する事の出来る称号です。例え身内だろうと、実力のない者に貴族姓を名乗らせる事はありません。
そして貴族になる実力とは、原則として『個人の戦闘力』あるいは、『突出した技能』の保有者に限られます。いずれにしろ、王族をはじめとする実力者に実力を認められて、初めて貴族姓を得る事が出来るのです」
「ああ、ヒナもそんな風に言ってたな……」
貴族や王族を意味する姓が、実力によって与えられる事は、先日城を案内してもらった際にヒナに聞いている。
「そして、実力を認められるためには、当然実力を示す場が必要になります。この舞戦祭は、その実力を査定する手段の一つでもあるのです」
「……ああ、なるほど」
淡々と説明するロンディーネの言葉に、大貴は小さく頷いて空間に画面だけを映し出しているテレビに視線を戻す
実力によって認められるという事は、逆に言えば実力を示さない限り認められないという事だ。舞戦祭が実戦形式なのも、その人物の純粋な戦闘能力を測るためのものだと考えれば合点がいく。
「一般的に実力のある者は人間界軍に所属するのですが、軍が雇える人数も、給金として使える予算にも限りがあります。
ですが、それを理由に実力のある方の才能を潰してしまっては元も子もありません。それを避け、かつ実力ある者を発掘し、その力に応じた正統な評価と、それに伴う生活をしていただくための資金集めの場として……そして、自らの実力だけで栄華を手にするという人々の憧れとして、同時に、賭け事という娯楽として舞戦祭が開催されているのです」
ロンディーネは、大貴にそう説明する。
必要がないと判断してロンディーネは語っていないが、それ以外の理由もある。それは、強力な界能を持った人間は、それに比例した長大な寿命と若さを持っている。
そのため王族と呼ばれる者には、数億年とまで言われるほどの寿命がある。つまり、人間界の人間は優秀であればあるほど老いにく、死ににくい。それは同時に、上位の力を持つ者の数が増えやすいという意味も孕んでいる。
上位の力を持つ者が増えれば、その力に対する評価――収入に必要になる資金も増える。しかし、税金や資金も無限ではない。その中で実力がある者を正しく評価するために、「賭博」という形を用いて資金源とし、力ある者の収入源などにもしているのだ。
さらに、その身体を構成する要素である「物質」の肉体を生かし維持するために、霊的なエネルギーとは別に、物理的なエネルギーが必要不可欠になる人間は、全霊命のように、「食事も睡眠も娯楽。その気になれば何もしなくても生きていられる」という訳にはいかない。
人手が足りているからという理由で人材を埋もれさせないために、実力次第でいくらでも収入を得る事ができる賭博で、実力者を評価している
「納得していただけましたか?」
「……ま、何となくは」
小さく呟いた大貴の様子を見て、ロンディーネは小さく微笑む
「そうですか。今はそれで十分です」
「二人共、何話してるの?早く!」
そうしていると、先を歩いていた詩織が二人が一向に来ない事に業を煮やしたのか、不満そうな表情で歩み寄ってくる
「参りましょうか」
「……ああ」
それを見て顔を見合わせた大貴とロンディーネは、それぞれに笑いをかみ殺して詩織の後に続いた
意外な事に九世界は、「ロカ」という共通の通貨を用いている。
いくら全霊命の世界に産業がないからとはいえ、「世界」という集団を動かす中で、実力よりも資本を基本として行った方がいい事も多い。
それに加えて、人間界の科学技術の原材料として人間界にない素材を他世界が供給する際の目安であったり、人間界の優れた科学技術を九世界が仕入れるための指標として、世界統一通貨が用いられている。
この九世界通貨「ロカ」は、「ロカ・ヴェルカ商会」という組織が発行している。九世界のどこにも味方しないかわりに、どの世界とも敵対しない完全な中立組織である「商会」は、通貨の発行だけでなくあらゆる品目の相場なども決めている――いわば、九世界の基準を定めている組織ともいえる。
「ロカ・ヴェルカ商会を司っているのは、光魔神様と同じ円卓の神座に属する異端神、№12『調停神・バランス』様です」
遥か彼方まで並んだ数え切れない種類の服を見て目を輝かせている詩織を横目に、ロンディーネがふと人間界のお金に関して質問した大貴に答えを返していた。
人間界の衣服というのは、展示されている場所に仮想データが同時に置かれており、立体映像で自分がその服を着た状態で試着できるようになっている。
いちいちサイズを探さなくてもよく、着がえる手間もかからないため、まるで着せ替え人形のように試着できるそのシステムが気に入ったのか、詩織は次々に服を変えて楽しんでいる
「円卓の神座ね……」
その説明を聞いた大貴は、喜んで次々と試着している詩織とは他人のフリをしつつ、ロンディーネの言葉に小さく息をつく
「円卓の神座をはじめとする『異端の神』や異端の存在は、この調停神様のように、九世界で大きな役割を果たしておられる方も見えるのですよ。もちろん害をなしたり、不干渉を貫く神も多いのですが」
「……俺はどうだったんだ?」
「光魔神様……ですか?」
ふと、思いついたように言った大貴の言葉に、ロンディーネが首を傾げる。
「ああ、俺は光魔神だった記憶がない。まあ、それで困る事なんてないけど、光魔神がどんな神だったのか、知っておくのも悪くないなって思ってな」
大貴にとって、光魔神とは全く意図しないところでいつの間にか得ていた力だ。
今までは自分と自分の守りたいものを守るのに必死で、考えた事もなかったが、「光魔神」という力、光魔神としての自分に、これまでどういう風に向き合ってきたかと考えると、ただなし崩しにあるがままを受け入れてきたようにしか思えない。
この力を持っていた事で、平凡な中学生に過ぎなかった大貴の日常は、天使や悪魔達に囲まれた非日常へと変わってしまった。力を狙われ、力を振るい、戦いに身を置く日々の中で、力を使う事ばかりを考え、その力がどんなものかなど、考える余裕もなかった。
しかし、非日常を日常として受け入れられるようになってきた今だからこそ、今まで見る暇もなかった自分の力――光魔神に向き合う事が必要なのだという考えが、漠然とだが生まれていた。
「……光魔神様は人間の神。そして円卓の神座の長でもあったとされています。先代の光魔神様は女神だったそうですが、真の神が消え去ったこの世界で『九世界の王』とまで呼ばれるほどには、慕われていたそうです」
そんな大貴の考えを知ってか知らずか、ロンディーネは大貴に求められるままに応じる
「九世界の王……ね」
「一応申し上げておきますが、我々はあなたに以前の光魔神様のようであってほしいと思っている訳ではありません。あなたはあなたらしくあって下さればそれでいいのです」
「……別にそんなこと思ってないさ。ただ俺は、人の上に立つタイプじゃないからな……同じ光魔神でも随分違うもんだな、って思っただけだ」
大貴は、自分と以前の光魔神を比べようとは思っていない。そのようになろうとも思った事は無い。しかし、もしヒナをはじめとした人間界の者達が、その「かつての光魔神」を自分に求めているのだとしたら少し面倒だと思ったのも事実だった。
そんな自分の考えを見透かされたようで、若干渋い表情を浮かべる大貴にロンディーネはさらりとした口調で微笑みかける
「きっとそれが、あなたらしさというものなのでしょう?」
「……そうかもな」
自分と以前の光魔神の違いなど気にした風もなく言うロンディーネの言葉に、大貴は一瞬の沈黙の後に小さく呟く。
自分に宿ったのは、九世界でも最強の異端神の力。その力によって変わった日常と、手に入れる事が出来た絆がある。
今までの自分、かつての光魔神、そして何よりもこれからの自分。それらを踏まえた上で、これからは、光魔神の力を何のために、どう使うのかを考えていかなければならない。
そんな事を考えながら、明るく店内を照らす電灯を見上げた大貴は、ふと小さく呟く。
「……にしても長いな」
「はい?」
その言葉にロンディーネは、首を傾げる
「姉貴だよ」
「ああ……まあ、女性と言うのは身だしなみに気を使うものですからね」
大貴の視線が、嬉しそうに仮想データの服を着まわしている詩織を見ているのを理解したロンディーネは、苦笑交じりに微笑む
「待っているのが苦痛なら、選んで差し上げてはいかがですか?」
「俺が?」
「ええ、ヒナ様もきっと御喜びになられると思いますよ?」
「……何で今ここでヒナの名前が出てくるんだ?」
てっきり姉の服を選ぶのだと思っていた大貴は、口元を手で隠しながら苦笑をかみ殺すロンディーネから、照れくさそうに視線を逸らす
先日ヒナと婚約者候補としての関係を成立させた大貴にとって、その相手であるヒナの話題を出されるのは気恥ずかしいらいく、その初々しい反応にロンディーネは表情を綻ばせる
「候補とはいえ、婚約者なのですから、そういう事もあると思いまして」
「まあ、そうかもな……ただ俺はセンスないぞ?」
姉の姿を一瞥して、大貴は表情に渋いものを浮かべる。
詩織が一人で服を選んでいるのは、昔大貴が服を選んだ際に、そのセンスの無さに落胆したからだ。大貴もその時に言われた「センスない」の一言を今でも若干引きずっているため、普段から可能な限り無地で落ち着いた色合いの服を着るようにしている。
「仰りたい事も分からなくはないのですが、こういう場合大切なのは、何を選んでもらったかではなく、誰に選んでもらったかですよ?」
「……そういうもんか?」
「そういうものです。もっとも、あまりにも個性的なものは考えものでしょうが」
そんな大貴の事情など知る由もないロンディーネの言葉に、女心の機微を知るにはまだまだ幼いらしい大貴は、若干怪訝そうな表情を浮かべて軽く頭を掻く。
「それはそれとして、お前は選ばないのか?」
「はい?」
難しい表情で何かを考え込んでいた大貴がふと思いついたように言った言葉に、、ロンディーネは思わず目を丸くしてしまう。
その言葉の意味が理解できない訳ではなかったが、大貴のその言葉があまりにも意外すぎたために、さすがのロンディーネもやや情報の処理に戸惑っているように見える。
「いや、護衛だからって買い物しちゃいけない訳じゃないんだろ?」
「そうですね。ですが、今は私お仕事中ですから、そういう事はプライベートの時間にいたします」
大貴の気遣いに感謝しつつ、ロンディーネは目を伏せて微笑む。
ロンディーネは、人間によって作られた魔道人形。魔道人形は、生物と機械の中間に位置する存在であり、機械でも生物でもない。
身体的な意味で人間よりも融通がきき、精神的な面で機械よりも気が利く魔道人形には、それ相応の権利が与えられており、給金も休暇も貰う事が出来る。
「……お固いんだな」
「仕事熱心と仰って下さい。こう見えても、王族の方々にお仕えする事に誇りを持っているのですよ」
生真面目に仕事をするロンディーネに素直に感心する大貴は、一瞬思案するような表情を浮かべる
「……なあ、ロンディーネ。お前は俺と姉貴の護衛なんだよな?」
「はい。光魔神様は言わずもがなですが、詩織さんはゆりかごの人間ですからね。装霊機のツールで、今はある程度の知覚妨害をかけておりますが、気付く者は気付くでしょうから」
大貴は光魔神。人間界の最上級待遇で迎えるべき人間の神。詩織は九世界で忌み嫌われる「ゆりかごの住人」。ゆりかごの人間だからと言って実力行使に出てくる者がそう多い訳ではないが、全く想定されていない訳でもない。
ロンディーネが大貴と詩織の護衛としてついてきたのは、実力的に限りなく人間最強に近い大貴よりも、むしろゆりかごの人間である詩織を守るという役割の方が強い。
九世界で忌み嫌われる存在であるからといって、無闇に攻撃されるような事は無いのだが、念のために詩織の装霊機には、人間の知覚を誤魔化すジャミングが搭載されている。
しかし、そのジャミングも気休め程度でしかなく、本気で知覚されればばれてしまう。万が一の事態の発生を防ぐためにロンディーネには詩織の身の安全の確保の命が下されている。
「なら、姉貴の事見ててくれるか?」
「どこかへ行かれるのですか?」
その言葉を聞いた大貴は、もたれかけていた壁から身体を離して、ロンディーネに視線を向ける。
「ちょっと喉が渇いた。向こうに自販機があったから買ってくる」
「かしこまりました。何かございましたら、連絡してください」
「ああ、分かった」
軽くロンディーネに返した大貴は店を出て、先ほど店内案内で見つけた休憩所に入る。そこは、大勢の人間が座れるように椅子が並べられた大きな個室。大貴のように、買い物が長い人を待つためなのか、自動販売機の数々やテレビが置かれている。
「こっちの世界にも、炭酸飲料とかあるんだな……まあ、ここはコーヒーか」
部屋の壁一面に並んだ自動販売機の前に立った大貴が、どれを買おうか考え込んでいると、休憩室の扉が開き、男女が二人何かを言い争いながら部屋に入ってきた。
亜麻色の髪をボブカットにして、羽のような髪飾りをつけた少女は、金髪の男の言葉にあからさまに迷惑そうな表情を浮かべている
「なあ、いいじゃないか。俺と組もうぜ。俺がいれば優勝だって夢じゃない」
女性に一方的に言いよっている金髪の男は、人形のように整った造形の美青年。同性である大貴から見ても優れた容姿をしているように見えるが、あからさまに嫌悪の表情を浮かべる少女の様子を見ると、あまり好かれていないらしい。
容姿が整っているのに、女性に嫌われるという事は余ほど性格に難があるのか、単に少女の方が好みではないだけか。――そんな事を考えながら二人の様子を見ていた大貴に気付いた少女は、その満面の笑みを浮かべて金髪の美青年を振り払う
「あ、待った?」
「……は?」
まるで親しい友人であるかのように歩み寄って来た少女に、大貴は思わず目を丸くする。
「ちょっ、どういう事だい、『ルカ』君!?」
「ごめんなさい。私、この人と先に約束しているから」
大貴と同様に目を丸くする金髪の美青年に、「ルカ」と呼ばれた少女は満面の笑みで答えると、まるで恋人のように腕を絡めてくる
「ちょっ……」
大貴が声を上げるよりも早く耳元にそっと顔を寄せた少女は、吐息と聞き間違う様な声で囁きかける
「しつこくからまれて困ってるの。お願い、今だけ話を合わせて」
「…………」
その言葉に、ルカの思惑を察した大貴は、ルカのお願いを無下にする事も出来ず、内心でため息をつきながら可能な限り平静を装う。
「な、何だ貴様は!! いったいどこの馬の骨だ!?」
当然の事だが、全く初対面の大貴を見て金髪の男が困惑の声を上げる。
(いったいどこの馬の骨だ……って言われても、何て答えるんだ?)
金髪の美青年の言葉に、まさか「俺は光魔神だ」と名乗る訳にもいかない大貴が内心で渋い表情を浮かべていると、大貴の腕に腕を絡めるルカは、得意気に胸を張る
「この人は私のパートナーよ」
「なっ……!」
ルカの言葉にさすがに金髪の青年は、絶句する。
おそらくルカに対して、特別な想いを抱いているのであろう青年は、衝撃から立ち直ると、敵意をむき出しにした鋭い視線で大貴を射抜く。
「……おい」
限界まで感情を抑え込んだ静かな声で、美青年はルカに腕を組まれている大貴を睨みつける。その声には嫉妬や敵意以上に、それが嘘であって欲しいという美青年の願望が込められているように感じられる。
「……それは、本当か?」
「え……?」
美青年の視線に射抜かれた大貴は、ルカの縋るような視線に抗う事が出来ず、この場を乗り切るためだと割り切って、小さく頷く
「……ああ」
その言葉を聞いた美青年は、まるで自分の内側の激情を抑えつけようとするかのように、力の限り拳を握りしめる。
「なるほど、つまり君がルカのパートナーとして参加するという訳だな?」
「……参加?」
「そうよ」
歯を軋らせる美青年の言葉に首を傾げた大貴が何かを答えるよりも早く、大貴と腕を組んでいるルカが得意気に言い放つ。
まるで挑発するような声に、わずかに身を震わせた美青年は、大貴とルカに交互に視線を送ると、不意に口元に笑みを浮かべる
「フフ……俺の誘いを断わっていたのは、そういう理由だったのか……」
「分かったでしょ!? だから……」
どうやら自分を追うのを諦めてくれたであろう事を察したルカの言葉を遮った美青年は、大貴をまっすぐに見据える。
「おいお前、名前は?」
「……大貴」
名を尋ねられて反射的に名乗った大貴を見て、美青年は口元に笑みを浮かべる
「大貴か……覚えた。俺の名は、『レスター』! お前に決闘を申し込む!!」
「……は?」
「え?」
「レスター」と名乗った美青年の予想外の宣言に、大貴のみならず、ルカも目を丸くする
大貴に指先を向けていたレスターは、大貴とルカが反論する前に、その拳を握りしめて自身の胸へと押し当てる。
「ルカのパートナーの座をかけて、俺と勝負だ!! もしお前達が俺よりも優秀な成績を収められたら、俺はルカを諦める。だが、もし俺が勝ったら、パートナーを解消してもらうぞ!!」
「ちょっ、レスター君!!」
その言葉に我に返ったルカが抗議の声を上げるが、レスターはルカを一瞥して微笑みかける
「心配するな、ルカ。別に俺とパートナーを組めと言っているんじゃない。ただ、パ-トナーを解消してくれればいいんだ」
「ちょっ、そんな事……」
あまりに一方的な言い分に反論しようとしたルカの反論など意にも介していないかのように、レスターは大貴を真正面から見据える
「分かったな!?」
「…………」
(この場合、何て答えればいいんだ?)
言い放ったレスターの言葉に、大貴はどう答えるべきか逡巡する。
ここでルカとの関係を否定するのは容易いが、それでは自分に救いを求めてきたルカが困る事になるだろう
所詮は他人事なのだが、少なくとも目の前で救いを求められて拒絶することなどできない大貴は、なんとかこの場を収めようと思考を巡らせる
何とかレスターの矛を収めようと懸命に思案していた大貴の沈黙を肯定と受け取り、レスターは小さく笑みを浮かべる。
「反論もなし……。なるほど、口よりも実力で示すという事だな!? ……交渉は成立だ!! 男の誇りにかけて、正々堂々戦場で決着をつけよう!!」
高らかに宣言したレスターは身を翻して、休憩室を出ていく。
「……おい、なんかややこしい事になったぞ?」
その後ろ姿を見送った大貴は、未だに腕を絡めているルカの手を軽く振り払って非難の視線を向ける。
「こんなはずじゃなかったんだけど……ごめんなさい」
「ったく、どうすんだ? 思いっきり喧嘩売られたぞ?」
自分にまとわりついてくる男を袖にするつもりだったであろうルカは、予想外の展開に驚きつつも、どこか開き直った様子で答えて煩わしそうに眉間にしわを寄せる大貴に向き合う
「そうだね。こうなったら仕方ない。私も覚悟を決めたわ!!」
軽く拳を握りしめたルカは、その両手で大貴の手を包み込むように握りしめる。
「大貴君……だったよね?」
「……ああ」
真剣な眼差しで大貴を見つめたルカは
「私と一緒に、舞戦祭に参加しましょう!!」
「……は?」
ルカが告げたその言葉に、大貴の口からは呆けたような声が漏れた。
※
どこまでも澄み渡った空に、小気味のいい電子音が響く。
「……あ゛~電話か」
空間に表示された画面に示された「呼び出し中」の文字に気だるそうな口調で呟いた男は、そのまま回線をつなぐ。
「もしもし」
装霊機に搭載された通信機能を開いた男が呟くと、繋がった通信回線を介して相手の声が直接耳の中に伝わってくる
人間界の電話は、回線を開く事で自動で音声を耳に届け、言葉を拾って相手に送る事ができ――まるでインカムのように手放しで会話する事が出来るようになっている。
そのため電話を受けた男は、その場に仰向けに寝転がったままで会話しており、その様子を知らない者が見ればまるで独り言を呟いているようにも見えるだろう
「何してるって……久しぶりに王都に帰って来たから、行きつけの店と姉ちゃんの所をはしごして、二日酔いになってる所だな」
電話の向こうの相手に、「今何してる」と聞かれたのであろう男は、平然とそう言って、電話の向こうの相手を小馬鹿にしたようなうすら笑いを浮かべる
「っ!! ……デカイ声出すなよ、馬鹿野郎。ただでさえ、お前の甲高い声は頭に響くんだから」
その言い方が気に障ったらしい通話相手が声を張り上げたらしく、耳をふさいだ男は、男いわく「頭に響く甲高い声」を遮って二日酔いの気分の悪さをやり過ごそうとする。
「見つけたぁ!!!」
その時、やや高いソプラノボイスと共に、上空から疾風と共に一つの影が男が横になっているビルの屋上に降り立つ。
男の目の前に降り立ったのは、足元にまで届くほどの長い鮮やかなピンク色の髪を二つに結った少女。
はっきりとした顔立ちに、ぱっちりと見開かれた吸い込まれそうな大きな瞳。容姿と体型にやや幼さを残した少女は、横になった男を覗き込む
「なんだ。直接来たんなら電話する事ねぇだろ?」
先程まで通話していた相手を見て、ため息交じりに画面を消した男を、少女は怒りの表情で睨みつける
「うるさい!! 私があんたを見つけるのにどんだけ苦労したと思ってるの!? 『ストラド』に頼んで大体の場所を見つけて、街中を飛び回ってたんだから!!」
「いいじゃねぇか。どうせお前、『いい風……』とか言って楽しんでたんだろ?」
「……っ!」
丁寧にものまねまで加えて嘲るように言った男に、少女は身体を強張らせて顔を赤らめる
「なんだ、図星か?」
「うるさい!! あんたこそ、六帝将としての自覚があるの!? 王都に来ても、城に顔を出さずにお酒と女の人を侍らせて!! まったく、情けないったらないわ!!」
からかうように言った男に、少女はまるで噴火した火山のごとき烈火の怒気を向ける
「何言ってんだ? いい男ってのは、野心を胸に、いい女を腕に抱くって相場が決まってんだよ。ま、お前みたいなちんちくりんにはまだ早いか……ククッ」
しかし、そんな少女の怒気も、その可愛らしい顔立ちでは迫力など皆無に等しく、むくれた子供のような愛くるしさすら漂っている。
「そんな生意気なこと言ってると、昨日の思い出、吐瀉物と一緒に全部吐き出させるわよ?」
男が少女の怒りなど意にも介する事無く鼻で笑ってみせると、もはや怒りの臨界点に達している少女は、怒気を通り越した殺気を男に向ける。
「やれるもんならやってみやがれ、六人の中で一番のひよっこの分際で」
「上等よ!! ミレイユ様に言いつけてやるから!!」
少女が放つ殺気は、その可愛らしい容姿とはかけ離れた代物。百戦錬磨の武人すら怯えるほどの殺気を放つ人間界最強レベルの殺気も、男を微塵も震え上がらせるような事は出来ない。
しかし、その名を出しただけで男の表情は恐怖に歪み、これまで飄々と少女を交わしてきた男が目に見えた動揺を見せる。
「ちょっ、姐御にチクるのはないだろ!?」
「ぷぷ……やっぱりミレイユ様には頭が上がらないんだぁ……」
少女の意地の悪い笑みを見てからかわれたと気付いた男は、不機嫌そうな表情を浮かべて、拗ねたようにそっぽを向く。
「……るせぇな」
その様子に苦笑を浮かべた少女は、まるでスイッチが入ったようにそれまでのあどけない表情を一変させる
「それと、軍の警備部からの話なんだけどね。ここのところこの王都で、何か変な動きがあるらしいのよね」
目の前の少女が、通常状態から仕事の状態へ切り替えた事に気付いた男は、神妙な面持ちで語る少女の言葉に、これまでとは違った真剣な表情で耳を傾ける
「十世界か? それとも、他の勢力か?」
「そこまでは、まだわかんないみたい。……でね。とんでもない面倒事が起きるとしたら、一番人が集まるここ数日中の舞戦祭あたりが危ないんじゃないかって」
少女の言葉を受けた男は、普段と変わらず流れる空の雲を見上げて、野獣のように鋭いその切れ長の目をわずかに細める。
「舞戦祭か……厄介な事にならなきゃいいがな」