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魔界闘神伝  作者: 和和和和
ゆりかごの世界編
31/305

そして、新たなるはじまりへの予兆






 時空の狭間。――世界と世界の境界に存在する疑似世界の一角で、漆黒の長髪を持った男がどこまでも広がる森の一角で腰かけていた。

 腰にまで届く漆黒の髪に、知性と野性味が同居する整った顔立ち。額と側頭部から伸びた漆黒の角と神々しいほどの金色の瞳。

 黒を基調としたコートと陣羽織を合わせたような衣を纏ったその姿は、その男の威厳と風格をこれ以上ないほどに引き立てている。

「――」

「いかがなさいましたか? 『ロード』様」

 「ロード」と呼ばれた男が、ほんの少しだけ目を細めると、その腕に抱きしめられた純白の着物を纏った黒髪の美女がわずかに視線を上げる

 ロードの腕に抱かれるままにその身を委ねる女性の頬はわずかに上気し、薄い紅に彩られた唇から甘い吐息をこぼす女性は、愛しい人に抱きしめられているという幸福に艶やかな熱を帯びた瞳で、ロードに自身の全てを委ねていた

「ああ、どうやら――予定通り(・・・・)に終わったようだ」

「そうですか……それはようございました」

 ロードの言葉に、その腕に抱かれる絶世の美女は、清楚な色香を纏い、おしとやかに深い慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。

 正座をわずかに崩してロードにしなだれかかっている女性は、今の体勢以上に身体をロードに委ねる事は出来ない。しかし女性は今以上に――まるでロードの中に取り込まれようとするかのように、その華奢な身体を、まるで甘えるように優しくロードにすりよせる。

「随分と素っ気ないな」

「そのような事はございません……ただ、ロード様の計画が失敗するはずがないと、わたくしが勝手に妄信していただけの事です」

「そうか」

 うっとりとした表情を見せる美女は、ロードの肩口にその顔を埋めるようにして、その腕にそっと自身の手を添える

「……さて、俺たちもそろそろ行くか」

「――ぁ」

 気を取り直したように言ったロードが腰を上げると、その場に置き去りにされる形になった美女が名残惜しそうな声を漏らす。

 先程まで感じていた愛しい人の温もりが遠ざかった事に、切なさと名残惜しさを感じてその美貌をわずかに翳らせる絶世の美女に、ロードは優しい視線を向ける

「どうした?」

「……なんでもございません」

 わざと意地の悪い笑みを向けたロードに、美女は頬を赤らめて拗ねたような声を漏らす。


 愛しい人の腕の中から離れる時、その温もりが失われる喪失感は、美女にとっていつまでも慣れないものだ。

 ロードに倣って流れるような美しい所作で立ちあがった美女は、淑やかな佇まいで花のようにその傍らに寄り添う


「そんな顔するな。いつだって続きはできるんだからな」

「……はい」

 まるでその心の内を見透かしているかのように苦笑交じりに言ったロードが、そっとその手を美女の頬に添えると、その手の温もりに美女は頬を染めて幸せそうに眼を細める。

「行くぞ、『撫子(なでしこ)』」

 ロードのその言葉に、撫子が清楚でおしとやかな仕草で恭しく一礼する。

「御意に。……ロード様」

 癖の無い艶やかな漆黒の髪を揺らし、純白の羽織と着物を翻した絶世の美女――撫子は、目を奪われるほど清楚な笑みを浮かべ、淑やかな身のこなしでロードの後に続くのだった。






「あ~あ。結局、光魔神は覚醒しなかったかぁ」

 オペラグラスを手にした少年は、退屈そうに小さく嘆息する。

 果てしなく広がる青き天空に浮かんだ大きな石に腰かけ、振り子のように足を振っていた少年は、不意のその足の動きを止め、その目に狂気にも似た鋭い光を灯す。

「光魔神が覚醒したら、僕達の神・・・・がどんな顔をするのかっていうのには興味があったんだけど……お楽しみはまた今度って事か……」

 少年にあるのは、単なる好奇心にすぎない。

 しかしそれは、まるで子供のように無邪気で、しかしだからこそ純粋な悪意・・・・・に満ちた残酷なものだ。

「面白いなぁ――光魔神が現れて、世界は加速度的に動き始めてる。九世界、十世界……そして……フフフ……」

 堪え切れない笑みを浮かべた少年は、手にしたオペラグラスを手の中で弄ぶ。

「光魔神と、“悪意を振り撒くもの(僕達)”の神。……僕には関係ない・・・・・・・けど、因縁深いこの戦いを見届けないとね。

 ――反逆神アークエネミーに連なるフラグメントユニットの一人。『不干渉』と『観察』、『諦観』を司る『傍観者アノン・ルッカー』の名にかけて……!」







 紫怨たちとの激闘を終えた夜。界道家の食卓には、形容しがたい気まずい空気が流れていた。

「……っ」

(き、気まずい……)

 食事もままならないクロスは、複雑そうな表情を浮かべて視線を逸らす。

「クロス?」

「な、何でもねぇよ」

 その様子を、訝しそうに見つめるマリアから逃げるように赤くなった顔を背ける。

 クロスの脳裏によぎるのは、ハイゼルの戦いで自分自身が言った言葉。

 ハイゼルの言葉につられ、その場にマリア本人がいなかった事もあって、勢いで自分の感情をありのままに吐露してしまったのだが、その時の事を思い出すともはや後悔しかない。

(あ、あの時は勢いで言っちまったけど……今思い出すと気まず過ぎてどうすればいいのかわかんねぇよ)

 今にも頭を抱えて悶絶したくなる感情に、クロスは今にもこの場から逃げ出したいほどの感情にかられる。

 元々マリアを好きだという自覚はあったし、いつかは気持ちを伝えようと心に決めている。しかし、いざそれを言葉にしてしまうと、あまりにも恥ずかしすぎてマリアを直視することはおろか、いつものように接する事もできない。

「嘘。クロスの嘘なんてすぐに分かるんだから」

「な、何でそんな事わかるんだよ!?」

 詰め寄るように顔を近づけるマリアに、クロスは一層顔を赤らめて視線を逸らす。

「な、何でって……っ」

 クロスの言葉に、マリアの顔が赤く染まる。

「そ、それは……」

 俯いて顔を赤らめたマリアは、両手の人差し指を合わせながら言葉を曇らせる

「…………」

 一瞬の沈黙の後、互いに視線を交錯させたクロスとマリアは顔を赤らめて、慌てて明後日の方向を向く。

(青春ねぇ……)

 そんなクロスの様子を見ながら、薫はほほえましそうな表情でクロスとマリアを見つめる。


 クロスがマリアに特別な感情を抱いている事など一目瞭然。その気持ちに気付いていないのも、それを隠せていると思っているのも当人たちだけだ。

 見ている方が恥ずかしく、悶絶してしまいそうな甘くて雰囲気を漂わせている二人に、その場にいるほとんどの人間がいたたまれない気持ちになっている事にクロスとマリアが気付くことは、永遠に無いのかもしれない。


(……はぁ、羨ましいな……マリアさんとクロスさんは……)

 そんな二人の様子を見ながら、詩織は内心で大きなため息をつく。

 二人は気持ちが伝わっていないだけで、それを伝えさえすればいつだって恋人にも、それ以上の関係にもなれる。

 本当はそんな簡単な関係ではないのだが、そのように情報を与えられている詩織は、自分の想い人との間にある「存在」という越えられないほどに大きな溝に表情を曇らせる。

(っていうか、二人ともあれだけあからさまに両想いなのに気付いてないの!? ……いっそのこと、『二人は両想いですよ』って教えた方がいいんじゃ……?)

 報われない自分の愛情はそれとして、そんな自分だからこそ詩織は、クロスとマリアの二人には幸せになってもらいたいと思う。

 妬みと羨望の入り混じった視線で二人を見る詩織は、それは野暮であり、余計な事なのではないかと思い直してため息をつく。

(それに引き換え、あの二人は……)

 視線を向けた詩織は、当然のように寄り添っている神魔と桜――詩織の想い人とその最愛の人――詩織にとっての最強の恋敵に視線を向ける。

 神魔と桜は、歯軋りをしながら悶絶してしまいそうなほどにもどかしいクロスとマリアの様子などまったく意に介した様子も無く、二人だけの空間を作り出している。

 決してイチャつくわけでもなく、特にこれといった行動を取るわけでもない。しかし当然のように寄り添う二人が醸し出す空気は、一片の隙も感じさせない完全なる愛の鉄壁。幸福の絶頂にいる新婚の夫婦すら裸足で逃げ出すだろうと思われるほどだ。

「神魔様、どうぞ」

「ありがとう」

 桜がお茶を差出し、それを受け取った神魔が微笑み返す。まるで一つの現象のように寄り添う二人を見た詩織は、表情を翳らせる。

 忘れなければいけないと思っても、詩織の心に灯った恋の炎は消えない。愛し合ってはいけないと分かっていても、その想いを振り払う事は出来ない。忘れようと思うほどに詩織の中で大きくなり、抑えきれなくなる感情だけが二人を見る詩織に宿る。

(本当、私の気持ちも知らないで……)

 詩織は、抑えきれない感情を、自分の想いに全く気付いてくれない想い人に向ける。

(片や心の底から想い合い、つながっている二人。片や互いに想い合っているにも関わらず、一向にその距離が縮まらない二人。……同じ全霊命ファーストでも随分違うものだなぁ……)

 神魔と桜、クロスとマリア、相反する二つのカップルを見る界道一義は、当然の事をしんみりと感じながら、内心で「うんうん」と頷く。

「ごちそうさま……」

 そんな風に甘い食卓を囲んでいる中、一人だけ神妙な面持ちをしていた大貴は、そっと箸をおいてゆっくりと立ち上がる。

「大貴、もういいの?」

「悪い、食欲ないんだ」

「……そう」

 薫の言葉に応じた大貴は、そのままリビングを出ていく。

「……大貴……?」

 部屋を後にする大貴の背を見送った詩織は、滅多に見る事の無い双子の弟の様子に怪訝そうに眉をひそめる




 一方、リビングを出てそのまま自室へと移動した大貴は、まるで糸が切れたマリオネットのようにベッドに倒れこむと布団が乾いた音を立ててその体を受け止める

「……っ」

 布団に顔をうずめるようにして倒れ込んだ大貴は、布団にうずめた顔の目線の位置まで移動させた自分の左手に神妙な眼差しを注ぐ

(思ったほど何も感じないんだな……)

 自身の視界にはっきりと映し出されている自分の手を見つめ、今でも手に残っている感覚を思い出した大貴は、その手を強く握りしめて自嘲するように内心で独白する

 その手に残っているのは、命を奪った感覚。自分の手でその命を散らせた男の最期の姿。


 ――もっと罪の意識に苛まれると思っていた。決して命を奪った理由を正当化しようと思っているわけではない。自分が殺して命を終わらせたという自覚はある。「仕方がない」とも思わない。

 しかし心の中でただ戦って勝ち、その結果臥角が命を落としたという事実だけを、客観的かつ主観的に受け入れている自分がいる。


(本当に俺は……人間じゃなくなっちまったのか……?)

 戦う事を望んだのは自分自身。その力を求めたのも自分自身だ。

 しかし、大貴はずっと感じていた。光魔神としての力を使うたび――否、覚醒してからずっと、自分ではない自分になっていくような……自分の中から何かが抜けていく・・・・・・・・ような感覚。

「……くそ……っ」

 握った拳にさらに力を込め、今にも溢れ出しそうな感情を歯を食いしばって自分の中に押し込めた大貴は、小さく吐き捨てるように呟いてその顔を布団の中に埋めるのだった。






 そしてその夜。今日と明日の境界が近づき、町も人も静かに寝静まった頃、神魔と桜が共同で使っている屋根裏部屋では、神魔と桜がそろって窓越しに夜の空を見上げていた。

 整頓されて生活空間が確立されたその部屋の中で、神魔と桜は手を軽く伸ばせば届くほどの距離を取って肩を並べている。

 片膝をついた胡坐の姿勢で壁にもたれかかる神魔と、その隣で礼儀正しく正座した桜。二人は近くて遠いその距離を保ちながら、視線を交わす。

「神魔様、御怪我の具合はいかがですか?」

「大丈夫だよ、怪我自体は大した事無かったからね。僕の事より、桜こそ腕は大丈夫? 結構無理してたみたいだけど……」

「御心配をおかけして申し訳ございません。……ですが明日には完治いたしますので」

 神魔の言葉に、桜が穏やかに微笑む。

 レスカとの戦いで腕に負った傷は、完治とは言わないまでも既に大半が癒えており、日常生活には支障がない程度には回復している。

「そう、よかった。……どうしたの桜?」

 微笑んだ神魔は、自分に向けられる桜の一途な視線に首を傾げる。

「神魔様……一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「なに?」

「紫怨さんを殺さなかったのは、茉莉さんのためですか……?」

 桜の言葉に、神魔はわずかに目を細める。

 紫怨が十世界を滅ぼそうとする理由を、神魔は桜にだけ話している。それは、神魔には紫怨の事情を他人事だと思えなかったからだが、それは桜も同じだったようだ。

「まぁ、それもあるかな……あんな強い人に仇だって狙われるなんて御免だしね。でも、どっちかっていうと、僕が勝ったのにわざわざ殺す必要を感じなかっただけだよ」

 桜の疑問に、軽い口調で神魔が応じる。

 神魔は紫怨を殺すつもりで戦い、そして勝利した。最後の一撃で紫怨が死ななかったのは、単に紫怨が強かったから、運がよかったからにすぎない。

「わたくしの思いすごしならば良いのですが、もしや紫怨さんを御自身と重ね合わせておられたのではありませんか?」

「……かもね」

 桜の言葉に、神魔はどこか自嘲じみた笑みを浮かべる。

 確かに紫怨を殺しそこねたのは偶然だったかもしれない。しかし殺そうと思えば殺せた紫怨に止めを刺さなかったのは、その境遇に思うところがあったからなのではないかと問われれば、神魔にそれを否定しきることはできなかった


《羨ましい》


 そして、それと同時に、紫怨が言った言葉が神魔の脳裏に甦ってくる。


 いかに九世界が広くても、神魔と桜のように伴侶としての実力が限りなく拮抗するという事は、そう多い事ではない。大抵は紫怨と茉莉のようにどちらかが強いのが一般的だ。

「わたくしは、そのお話を伺った時、決して他人事とは思えませんでした。……もしかしたらわたくし達もそうだったかも知しれませんし……これからそうなってしまうかもしれません」

「……そうだね」

 桜の言葉に、神魔はわずかに目を細める。


 神魔と桜の力は現在限りなく等しい。互いの存在の力を契りによって交渉している神魔と桜は互いの「力」への理解も深くなっている。だからこそ、神魔も、桜も、その魔力がまだ十分に強くなる余地を残している事を互いに知っている。

 しかしどちらかが強くなれば、これまでのようには戦えなくなるかもしれない。そうして生じた差が大きくなればなるほど、二人は隣で戦う事が出来なくなってしまう。

 いつか、相手が自分よりも先へ行ってしまうかもしれない、その背を見つめながら、守られる続けるだけの関係になってしまうかもしれない。

 その可能性を知っているからこそ、二人にとって紫怨と茉莉の関係は決して他人事ではないものだった


「紫怨さんだけでなく神魔様もですが……殿方は、いつも女性を幸せにしようとしてくださいます。ですが、女性は――少なくともわたくしは、ただお傍に居させていただければ幸せなんですよ」

「桜……」

 その言葉に、神魔は桜へ視線を送る

「幸せにしていただきたくて、一緒に居させていただくのではありません。一緒に居させていただく事が幸せなのです」

 胸にそっと手を当て、噛み締めるように言った桜に神魔は一度目を伏せ、ため息をついて微笑む

「そうだね……」

 そう呟いた神魔は、そっと手を伸ばし、癖のない艶やかな桜色の髪をすくように、優しく桜を撫でる

「神魔様……」

 神魔に撫でられる桜は、慣れ親しんだ最愛の人の手の温もりに身を委ね、そこから生まれる今でも変わらぬ幸福に顔を赤らめる

「僕は、ずっと桜と一緒にいたいんだ」

「……はい、わたくしも同じ気持ちです」

 この世で最も愛する人に求められる女としての喜びに胸を焦がし、こみあげる切ないほど愛おしい想いに目を細めた桜は、神魔の優しい抱擁に身を委ねる

「っ、ぁ……」

 桜にとって神魔の行為は抵抗するものでも、拒絶するものでもない。神魔の腕に抱かれた桜は、最愛の人に抱きしめられる満ち足りた幸福に目を細める

 神魔の温もりと匂いに包まれる桜は、最愛の人に愛されているという一人の女性として何にも勝る幸愛に一瞬さえも惜しむように愛おしく噛みしめながらこの一時に心の底から浸る

「さてと、今日はどうする?」

 その白い頬を恥じらいと幸福で赤らめ、絶世の美貌に切なく胸を焦がす恋慕の情にその美貌を彩らせていた桜は、不意に解かれた抱擁に名残惜しさを覚えながらも自身に向けられる神魔の視線に恋色に染められた瞳で応じる

「……いつものようにお願いできますか?」

 今にも触れ合いそうな距離で神魔と視線を交わす桜は、その絶世の美貌に纏う清楚で淑やかな雰囲気を微塵も損なう事無く恥じらいに目を伏せる

 自身の背に回された神魔の手に包まれる桜は、その傾城傾国の美貌に慈愛に満ちた花のような微笑を浮かべて最愛の人の視線と声に応じる


 桜は基本的に自分の方から神魔に何かを望んだり、求める事はしない。訊ねられたり、必要に迫れればその限りではないが、桜は神魔に望まれ、求められる事を何よりも求めている。

 だからこそ桜は、絶対的信頼を以って常に神魔に主導権を任せる。――それは、「夫唱婦随」という古風な観念を持つ桜の矜持と生き方そのものであり、神魔にとっては否定する事も、否定する理由もない事だ。


「うん、分かった」

 女性としての幸福と自信に満ち溢れ、愛色に染まった表情でいつも通りに答える桜に、神魔は優しく微笑み返す

「お願いいたします……」

 心を通わせてから繰り返されている神魔の言葉に、慣れることのない全幅の信頼を以って応じた桜は、淑やかな恥じらいの言葉と共に最愛の人にその心と身体の全てを委ねる

「――ぁ」

 清楚な恥じらいを見せる桜の言葉を受けた神魔は、その癖のない桜色の髪にそっと指先をくぐらせる

 春風のように甘い香りを残しながら、抵抗なく指の間をすり抜けていく極上の絹さえ霞むほどに肌触りのよい桜の髪の感触を堪能した神魔は、自身の腕の中に抱きしめた美女に優しく触れる

「ぁ、っ……」

 自身の全てを捧げた最愛の人から寵愛を賜っているという事実に、その美貌を愛色に染め上げた桜は、幸福に満ちた淑やかな声を零す


 神魔に望まれ、求められることを何よりも幸福に覚える桜は、その色に染め上げられる事を望み、そして確かに今そうなることができている今の自分を誇らしく思っている

 神魔の伴侶であることを寵愛を賜ることで強く再認識し、言葉にできないほどの幸福に胸を焦がす桜は、一人の女性としての至上の幸福に心身を満たして自身の全てを委ねる


「桜」

 腕の中の桜に優しい声音で囁きかけた神魔は、再度その華奢な身体を抱き寄せて本日何度目かになる抱擁を交わす

「神魔様……」


 存在そのものが神能ゴットクロアで構成されている全霊命ファーストは、魂と肉体が同一のもの。――つまり、その魂が覚えた感情は、文字通りその肉体そのものに完全にフィードバックされる事になる。

 つまり最愛の人に抱きしめられれば、その幸福と悦びを存在そのもので感じられ、魂と身体の全てがその幸福に打ち震える。――「自分」という存在そのものが、愛と幸福に支配されるその感覚は「究極の幸福」と呼ばれる全霊命ファーストにしか感じる事の出来ないものだ。


(わたくしは、本当に幸せです……こんな素敵なお方に愛していただいて……)

 文字通り、髪の毛一本から、爪の先まで。その身体そのものを最愛の人に抱きしめられる歓喜と幸福で染め上げた桜は、形容しがたいその幸せな感覚に心身を溺れさせる。

 この世界で全霊命ファーストにしか感じる事ができない、自分という存在そのものが愛と恋に染まる究極の幸福に溺れる桜は、愛しい人の腕の中でそっとその眼を閉じるのだった――。







 それとほぼ同時刻。――「時空の狭間」などとも呼ばれる世界と世界の空間の狭間にある世界に浮かぶ巨大な大陸のような十世界の本拠地。

 その中央にそびえ立つ一際大きな城は十世界の中枢。十世界の本拠地に立ち並ぶ摩天楼の中でも一際巨大な城の中。――その頂上に近い一室には、一面に色とりどりの花が咲き誇る御伽の世界のような花畑が広がっている。

 城内に作られた石造りの庭園の中心で、金色の髪をなびかせる美女が、いくつかの影に囲まれていた。

「紫怨以下五名による光魔神様への攻撃は、紫怨以外が死亡。紫怨も逃亡するという結果に終わったようです」

 石造りの庭の中央に座す金色の髪の美女は、十世界盟主「姫」。そしてその周囲にいるのは十世界に所属する彼女の同胞たちだ。

「……そうですか」

 司祭のようなローブに身を包んだ中性的な顔立ちで、中性的な声音の人物の言葉を聞いた十世界盟主である姫――「愛梨」は、わずかに唇を引き結んで目を伏せる。

 それが、消えていった四つの命――裏切り者であったとしても十世界の同士であった者たちへの弔いと、自身の無力さを呪うものであるという事は姫をよく知る者なら容易に推測が出来る。

「生き残った紫怨に関してはいかがいたしましょう? 姫の許可さえいただければ、我々直属の追跡部隊を出しますが?」

 瞳の無い純白の目を持つ中性的な人物の言葉に、愛梨は小さく首を横に振る。

 瞳の無い白目をむいたような眼は、最強の異端神・円卓の神座№9「覇国神」の力に連なるユニット――「戦兵レギオン」の証。

 そして、目の前にいるこの中性的な人物は、覇国神の「フラグメントユニット」の一人「賢聖・コマンダー」。十世界の軍師を担う頭脳派だ。

「いえ、必要ありません」

「……かしこまりました」

 小さく首を横に振った愛梨の言葉に、賢聖は軽く頭を下げる。

「それと、ここ最近の事ですが、神器を手に入れようとする者たちと、九世界、英知の樹ブレインツリーとの衝突が頻繁に起きているようです」

「……全て、私の至らなさゆえですね……」

 賢聖の言葉に、愛梨はどこか悲しそうな表情で呟く。

「皆、姫のためと思っているのでしょうが、結果的に姫を傷つけている。……末端まで躾がいきわたらないのは、我々の力不足です。申し訳ありません」

「いえ、皆さんは十分にやってくださっています。十世界(私達)の目的を九世界の方々に持っていただくのが目的のはずなのに、十世界の中ですら満足にそれが出来ない。……全て私の責任です」

 賢聖の言葉に、愛梨は自分の無力を呪うかのように唇を引き結ぶ。握った拳が震えているのを見た賢聖は、一度目を伏せてから、その中性的な声を愛梨に向ける。

悪意をふりまくものマリシウス・スキャッターが力を貸してくれれば、幾分か楽になるのですが……反逆神に列なる十の『フラグメントユニット』は、一癖も二癖もある信用ならない者ばかり。

 さらにそのうちの一人、『傍観者アノン・ルッカー』に至っては、敵も味方も無く、ただ見ている・・・・だけの存在ですから」

「そうですね……反逆神アークエネミー様の系譜の方々は、皆さんと比べると個性的ですからね」

「笑いごとではありませんよ、姫。あなたの方から彼らに言っていただかないと。我々では聞く耳持たないでしょうから」

 表情を変える事無く言い放った賢聖の言葉には、落胆と諦めの入り混じった呆れたような色が宿っている。

「それが分かっていて、私は彼らを十世界に誘ったんです。」

「ですが、姫。今回の事で光魔神が我々に敵愾心を抱いては事です」

 その時、姫を取り囲むように立っている影の一つが、軽く手を挙げて口を開く

「……アーウィンさん」

 声を上げたのは、金色の髪に、純白の衣とそれ以上に白い五対十枚の翼を持つ天使。切れ長の目に整った顔立ちを持つ美青年の名は、「アーウィン」。十世界において「天界代表」を務める人物だ。

「悪魔の管理は君の仕事ではないのですか『死紅魔シグマ』!? それに、魔界代表の『ゼノン』はどうしたのです? この場にいないなんて……」

 腰にまで届く漆黒の挑発。金色の瞳。頭部から生えた二本の角。漆黒の衣に映える純白のマフラーをなびかせた精悍な顔立ちの悪魔は、アーウィンの金色の視線を受けても微動だにせず、煩わしそうに口を開く。

「気を立てるな。紫怨の事については、俺たちに全面的に非がある。ゼノンの事は知らん」

「そんな事がまかり通るとでも……」

「そこまでです」

 死紅魔の素っ気ない態度に、わずかに怒気をはらんだアーウィンを、愛梨の穏やかな声が諌める。

「姫……」

 その場の全員の視線を集めた金色の髪の盟主は、一度目を伏せてからその場にいる全員を見渡す。

「言い争いなどしても意味はありません。ですが、光魔神様と――いえ、私はこの世界の誰とも・・・・・・・・争いたくありません・・・・・・・・・。ですから……」

 そう言った愛梨は、ゆっくりとその眼を開き、決して揺るがぬ決意を宿した目で静かに言い放った。

「――私が、直接光魔神様の元へ伺います」





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