破壊神
「別れの挨拶は済んだのか?」
虚無すらもない暗黒の世界で破壊神として神化した神魔を出迎えた創世の絶対神「破壊神・カオス」は、挑発や嘲笑などとは違う抑制のきいた事務的な声音で訊ねる
一人でありながら二人として存在する二柱の破壊神が本来あるべき一柱となるため、生き残る方を定める戦いを前にした破壊神の姿勢は、闇の絶対神に相応しく落ち着いた厳格なものだった
「はい」
自神から生まれたとはいえ、下に見ることはもちろん、元が自分だから自分こそが破壊神として残るべきだという考えすら見せない破壊神の敬意すら感じさせる態度に、神魔もまた自然と畏敬の念を以って応じる
「改めて名を聞こう」
「神魔です」
全てを識る全知全能の力を持っている破壊神にとって、神魔のことなどわざわざ改めて聞く必要などないこと
だがあえてそれを確認することで、破壊神は神魔自身から語られる神魔という存在を己に焼き付けようという意志を伝える
「神魔。お前には、俺のために迷惑をかけたな。その償いのためにお前に破壊神を譲りたいところだが、生憎それはできない」
「はい」
創界神争の折に自分が自分を二人にしたことで世界に歪みをもたらしたことへの責任を噛みしめながら、破壊神としてあり続ける決意を語る破壊神に、神魔も真摯な姿勢で応じる
破壊神となり、自分として戻る決意をして戦いに赴いた神魔と同様に、破壊神にもこの戦いに勝利し、明日以降も破壊神として在り続ける意思がある
「だから、お前が愛しい者達の許へと帰りたいのならば、俺を倒すしかない」
「はい」
互いに譲り合うことなく、全霊で戦わなければならない理由を確かめ合い共有しあったところで、破壊神は神魔と金色の双眸を交錯させる
「そこで一つ提案がある」
真っ直ぐに金色の瞳で見つめ合い、その心の内に語りかけるように破壊神は口を開く
「この世界は、外界とは異なる時間が流れているが、俺達が普通に戦うだけでは決着がつくまでにどれだけの時間が必要になるか分からない
お前が破壊神となった以上、外の世界ではこれまでとは比較にならない速度で世界が滅びに向かって歪み始めていくだろう」
創造神との戦いで生まれた原初の渾沌――ロードこと、「絶対神・カオスロード」によって作り出された暗黒の世界へ視線を巡らせた破壊神は、厳かな声で語りかける
今の神魔と破壊神の神格は全くの互角。かつて創界神争の折に創造神と戦った時もそうだったが、全知全能にして絶対の力を持つ同格の絶対神が戦っても、決着は容易につかない可能性がある
しかし、神魔が破壊神となり、二柱の破壊神が存在する以上、長引けば外の実世界における世界の歪みが拡大し、滅びてしまうことは避けられない
「……はい」
絶対にして全知全能たる神位第一位の神力「混沌」となった神魔も、破壊神の言葉がもっともなことであることは分かっている
その事情を言葉にして確かめ合ったところで、破壊神は「そこで」と前置きをしてこの提案の趣旨を改めて切り出す
「俺達は互いに相手の攻撃を防ぐことも躱すこともしない。全ての攻撃を受け、自らの存在を削り合って勝敗を決めたいと思うのだが、どうだ?」
同格の神格を持つ存在の戦いが長引く理由はいくつもあるが、各々の事象を相殺させる力による防御や回避がその理由の一つであることに疑う余地はない
故に破壊神は、互いに力を受け止め合い、どちらが先に力尽きるのかという形で短時間における決着を図る提案をしたのだ
「分かりました」
そして破壊神の提案を受けた神魔は、それを受け入れる決断を下す
「感謝する。最後まで俺の都合に合わせてもらってしまって申し訳ないな」
「いえ」
神魔の答えを聞いた破壊神は、もう一人の破壊神としての運命に翻弄されて来た自らが生み出した自分自身へ謝罪と感謝を述べると共に、敬意を込めた眼差しを向ける
戦う決意を固めた神魔と破壊神の目は白目が純黒に染まり、その中で金色の瞳を爛々と輝かせていた
「――では、時間も押していることだ。早々に始めるとしよう」
「はい」
戦いに意志を注ぎ、これまでとは比較にならない威圧感と神々しさに満ちた神気を迸らせる破壊神につられるように、神魔もその力を研ぎ澄ませる
次の瞬間、破壊神となった神魔と破壊神カオスの持つ「混沌」の神力が世界に顕現し、それぞれの戦うための形となって具現する
『混沌神!』
破壊神の持つもう一つの神名を冠して顕現した混沌の武器が、神魔と破壊神二人の手に握られる
共に身の丈ほどの長さを持つ黒く分厚い刀身を備えた大槍刀。全体が黒く、所々にある金色の装飾がそれを引き立て、畏怖を呼び起こす神々しさをもたらしていた
「いくぞ」
混沌が戦う形を成した大槍刀を構えた神魔に、ほとんど同じ形状をいた武器を握り締めた破壊神は、低い声で戦闘開始を宣言する
二柱の破壊神の神然たる戦意に応え、混沌がその力を発揮し、虚無すら存在しない世界を黒よりも黒い黒によって塗り潰す
「オオオオオオオッ!」
時間も空間も、事象も概念も、すべてを超越した神位第一位たる神の絶対神速で肉薄した神魔と破壊神は、互いに全霊の力を以ってその刃を振るう
事前に決めた通り防御も回避も行わない二人の刃は、何人にも傷つけることのできない混沌の顕現たる身体を傷つけ、黒い刃が斬り裂いた場所から赤い血炎が吹き上がる
だが、それで二人の動きが止まることはない。傷ついた身体もいとわず、神魔と破壊神は混沌の力を注ぎ込んだ大槍刀を振るい、相手を先に滅ぼさんとする
絶対神すらをも滅ぼす力を持つ混沌が神の血炎をかき消して世界を呑み込み、天地創造と世界滅亡を無限に繰り返しても足りることのない原初にして根源たる闇の力が無すらない世界を満たす
それは、なにものの介在する余地も許さないただ純粋な心と力の激突。運命も、可能性も、奇跡も、あらゆるものを超越した混沌
「……ッ!」
相殺していても存在の髄まで響いてくる必滅の事象に苦悶の呻き声を漏らしながら、ひたすらに大槍刀を振るう神魔の中にあるのは、自分が帰りたいと願う日常。そして自分を待ってくれているであろう桜と瑞希――最愛の二人の伴侶の姿だった
(凄い。今は同じ破壊神なのに、全く勝てる気がしない。これが、本当の絶対神――)
神格は等しく、神力も同じ。勝率は五分で同じように刃を撃ち込んでいるというのに、破壊神が自分よりも強大に感じられ、あとどれだけ力を撃ち込んでも勝利することが出来るイメージが湧かない
それは、最初から絶対神として生まれてきた破壊神と悪魔という存在が偶然にもその半身を宿し、その領域に至った自分との差なのかもしれない
「――っ」
(でも、負けられない! 負けたくない! 僕は、勝って帰るんだ)
しかし、絶対なる混沌の力を受けながら、神魔は自らを奮い立たせて、想いのままに力と刃を振るい、破壊神へと撃ち込んでいく
本来は絶対不滅。何人にも害することも侵すこともできない完全な不老不死の存在である破壊神としての存在が、全く同じ神格と神力によって脅かされ、死と滅びが絶対なる存在に確かに近づいて来る
(――く、が……)
悪魔として生きてきた自分が絶対神として生まれた破壊神に勝っているものがあるとすれば、この執着しかないと神魔は考えていた
力が足りず、大切なものを守れずに失った痛み。だからこそ強く重いことが出来る大切なものを守りたいと思う気持ち。そして自分の帰りを待ってくれている愛する者達
弱いからこそ――弱かったからこそ持つことができた、生と勝利への執念。それが、絶対なる存在として最初からあった破壊神になく、自分にだけあるものだと神魔は信じる
「僕が……」
滅神の混沌によって損壊し、血炎に塗れながらもただ刃を振るう神魔は、噛みしめていた口を開いて声を絞り出す
「……!」
その声に小さく目を瞠った破壊神は、相殺される混沌の中から自分を射抜くように見据えてくる神魔の金色の双眸と視線を交錯させる
その瞳にはわずかな迷いもなく、生きるため、愛するもののために眼前の神に勝利しようとする意思で燃え上がっていた
「僕が破壊神だ!」
魂から放たれたような咆哮にも似た声を上げた神魔が混沌を解放し、全霊の力込めた大槍刀を最上段から叩き付けるように斬り付ける
「俺だ!」
破壊神はなりふり構わずに力を振るう神魔に全く怯むことなく、大槍刀を振るう
瞬間、渦巻いた混沌が虚構の世界を呑み込んで荒れ狂い、事象と概念を滅ぼす絶対なる神の闇が創造と滅亡を繰り返す
「――っ」
その混沌の闇が晴れた時、神魔の斬撃を肩口から受けて胴の仲間で刃を撃ち込まれた破壊神と、破壊神の刺突によって胸の中心を穿たれた神魔が、おびただしい血炎を上げながら睨み合っていた
全霊命はおろか、完全存在であっても滅んでいるほどの傷を受けながらも、二柱の破壊神は、まだその戦いを止めない
相手を貫く大槍刀の黒い刀身から混沌を解放し、自分でありながら、異なる人格を持ったもう一人の破壊神を自神へと取り込まんとする
神魔の混沌が破壊神を呑み込み、破壊神の混沌が神魔を取り込まんと渦を巻く。遠い創生の時代に二つになった一つ混沌が再び一つへ還るべくその威を顕現させる
それは、互いの意思と魂をかけた神魔と破壊神の最後の戦い。
混沌によって互いを喰らい合い、相手を呑み込んだ方が唯一の破壊神として残る存在の神略
自らの存在を賭け、心と意志と願いと力の全てを賭して自らが唯一の破壊神となることを証明する一つにして二つの混沌の神創生だった
神魔の混沌に破壊神の存在が喰われ、しかし自らの存在を確信する破壊神の意思によって失われた部分が瞬時に復元する
同様に破壊神の混沌が神魔を喰滅させ、世界に自らを繋ぎとめる意思がその部分を元通りにする
混沌が混沌と入り混じり一つの混沌へと還っていく
世界を呑み込んで渦を巻く混沌のせめぎ合いは、やがて片方を呑み込み、二柱に分かたれていた破壊神が本来あるべき一柱となることで終わりを告げる
そして、混沌の中に残ったのは――
※
「――……」
一秒が永遠にも感じられるほどの静寂だけが支配する世界の中、瞑想しているかのように伏せていた瞼をゆっくりと開いた創造神・コスモスはその澄んだ瞳に世界を映す
「……!」
淡い金白色の燐光を放つ金色の髪をかすかに揺らめかせ、異世界へと続く門を挟む位置にいる「絶対神・カオスロード」こと、ロードと撫子へと創造神が一瞥を向ける
これまで誰も言葉を発することができないほどに神妙な静寂に包まれていたところに、創造神が見せたそのわずかな動きは、全ての者達の意識を引く大きな意味を持っていた
(まさか)
(終わった――いや、決まったのか)
詩織、光魔神、正義神、慈愛神、九世界の王達、天界の姫、神魔の母に加え光と闇の神々に神臣とその眷属達
この場にいる全員の視線を一身に受ける創造神は、それが意味するところを見通して厳かな声音で言の葉を紡ぐ
「ええ、終わったようですよ」
「――ッ!」
創造神の口から告げられたその言葉に、誰もがその意味を正しく理解して息を呑む
ロードによって作られた異世界の中で行われていた唯一の破壊神を決める「破壊神・カオス」ともう一人の破壊神である「神魔」の戦い
それが終わったということは、どちらかがこの世から消え、一柱の闇の絶対神「破壊神・カオス」が定められたということだった
(どっちだ!? どっちが勝ったんだ)
(神魔さん……っ)
創造神のその言葉を受け、真っ先に詩織や大貴が視線を向けたのは、桜と瑞希――神魔と契りを交わし、命を共有した神の寵愛者達だった
互いの神能を交換しているが故に、世界を隔てていてもその存在を感じ取ることが出来る二人の伴侶の様子をうかがうことで勝敗を予見しようとした大貴や詩織達だったが、異世界へと続く門を見つめる二人の横顔からは正しく答えを見極めることはできなかった
「――……っ」
桜と瑞希の様子から勝敗を知ることを諦め、大貴達は創造神と絶対神の間にある異世界への門へ視線を戻す
ある者は戦いの結末を見届けるべく冷静に、またある者は勝利を願って祈るように。――誰もが固唾を呑んで見守る中、異世界へと続く空間の扉が波紋のように波打ち、そこから破壊神が姿を現す
そこから現れたのは、腰まで届くほどに長い漆黒の髪に金縁の羽織とコートを合わせたような漆黒の霊衣を纏う頭部に五本の角を持つ青年だった
「神魔様……っ」
世界を結ぶ扉から姿を現した破壊神・カオスをその双眸に映した桜は、安心と喜びと祝福とが入り混じり、溢れ出す想いにその美貌を綻ばせながら押し殺した声で最愛の人の名を呼ぶ
「桜、瑞希」
たまらずに向かってきた桜と瑞希の姿を見て微笑んだ神魔は、愛する二人の女性をその手で抱きしめて二人の温もりを噛みしめる
腕に抱いた桜と瑞希の存在が、神魔に改めて勝利と生存を実感として知らしめ、帰るべき場所へ帰ってきたという安心感をもたらす
「神魔さん」
「神魔」
その様子を遠巻きに見ていた詩織と大貴、クロスとマリアは、神魔の勝利に安堵の息をつく
「おかえりなさいませ」
「おかえりなさい」
神魔の腕に抱かれ、唯一の破壊神となっても変わることのない温もりと優しさに包まれる桜と瑞希は、遅ればせながら、最も大切な人の帰還を妻として迎える言葉を贈る
「ただいま」
嗚咽を堪えているような桜と瑞希の静かな息遣いに目を細める神魔は、二人の言葉に対して万感の思いを込めた言葉で応じる
「あなたが残りましたか」
神魔と桜、瑞希が互いを確かめ合っていたその時、創造神が一柱と二人の許へゆっくりと歩み寄り、透明に澄んだ神声で厳かに告げる
「……はい」
静かで抑制がきいた中に一抹の寂寥を感じさせる創造神の声に、神魔は桜と瑞希を腕に抱いたまま視線を向けて応じる
二人の会話の邪魔になってはならないと、その抱擁から外れた桜と瑞希は神魔から一歩分ほどの距離を取って、二人のやり取りを見守る
「まずは、祝福と労いの言葉を遅らせてもらいます」
「ありがとうございます」
その目を細め、慈しみに満ちた眼差しを向けてくる創造神の柔らかな声音に、身体を向けた神魔が感謝の意を示す
先のわずかな寂寥は、共に生まれた最愛の破壊神を悼むもの。同等の神格を持つ破壊神しか愛することのできない創造神にとって、仕方がないこととはいえ、二柱にわかれていた伴侶が一人へ戻り、片方の人格が失われたことには深い悲しみを禁じ得ない
そして今神魔に穏やかな表情を向けられているのは、破壊神の伴侶たる創造神として、偽りのない唯一の愛慕の情によるものであることは明白だった
見る者によっては不実な姿勢に思えるかもしれないが、二柱の破壊神どちらをも等しく愛している創造神だからこそ抱くその結一にして絶対不変の愛情の意味と重みを本当の意味で理解できているのは、対となり対極をなして等しく並び立つ存在となった神魔だけだろう
「破壊神。あなたはもはや、わたくしと対等の存在なのですから、あなたが話し易い言葉遣いで話して下さい」
「うん。分かった」
創造神の言葉に一瞬だけ躊躇うような表情を見せた神魔だったが、そんな押し問答をしても意味がないと素直にそれを受け入れる
その言葉に一度鷹揚に頷いて微笑んだ創造神は、慈しむような深い心を表しているような瞳に怜悧な光を宿して口を開く
「今より、貴方が唯一の破壊神です。破壊神となったあなたは、これから多くの苦悩を背負うことになるでしょう。何でもできるが故に何もしない――何もしてはならないのです」
「……そう、だね」
かつて、創界神争が終わった後にこの世界を離れた理由を込めて言う創造神の言葉に、神魔はその重みを理解して神妙な面持ちで応じる
破壊神となった神魔が望むならば、この世はその望むままになる。全てを生み出した創造主として、光の存在も闇の存在も、全霊命も半霊命も――なにものにも力を添えず、全てを平等に見守ることこそが神のなすべきこと
現に硬質で冷たい響きを帯びた創造神の声は、もし神魔がそれを拒否するならばそれを諌めるため、必要とあれば自分が刃を取って再び創界神争をはじめても構わないというほどの覚悟と意志を感じさせるものだった
「あなたは、神として生きられますか?」
あらゆる意思を実現できるが故に何をもしない絶対神としての覚悟を問う創造神の言葉に、神魔の中で今日までの出来事が巡っていく
護れなかった大切な人。取り戻したいもの。やり直したい過去。自らの願いを叶えるために世界に抗った者達
過ちを犯すからこそ正しさを考え、求めることが出来る。だが、そんな正論で当事者の思いが癒されることはない
それを見てきたからこそ、自分が何をなすべきなのか、そして何を成してはならないのか、神魔は自分の心へ言い聞かせる
力及ばず、自分のために命を散らせてしまった風花の笑顔、自らの手で命を奪ってしまった死紅魔、そしてこの世界に生きるもの全ての幸福と平和を望んだ愛梨
それぞれに望みがあった多くの人々の生き様とそこに込められた想いを自分の中の気持ちと語り合わせた神魔は、ゆっくりと一言一言を噛みしめて言葉を紡ぐ
「――そんな覚悟、とっくにできてるよ。僕がもう一人の僕から受け継いだのは、それも含めての破壊神なんだから」
破壊神もまた、創造神と同様に全霊命をはじめ、全ての被造物を愛する神位第一位だった
破壊神との戦いの中、混沌を介して伝わってきた破壊神の想いを知っている神魔は、それを受け止めてここにあることを望んだ
「聞くまでもないことでしたね」
破壊神となり、破壊神としてあることを決意した神魔の強い意志が込められた視線を、微笑を以って受け止めた創造神は、柔らかな声音で囁く
そうして自身が今すべき話を終えた創造神が一瞥を向けると、神魔もそれにつられるように視線を向ける
そこにいるのは、暗黒神・ダークネス、終焉神・エンドを筆頭とする闇の神々達。
創造神との対話が終わるのを待っていた闇の絶対神に列なる神々は、神魔の前に次々と跪いていく
「おめでとうございます〝破壊神様〟。我々一同、破壊神様に絶対にして永遠の忠誠を誓います」
片膝をつき、頭を差し出すように深々と首を垂れた闇の神々を代表し、終焉神・エンドが恭しく言葉を紡ぐ
その姿からは、自分達の命を破壊神となった神魔へ奉じる意思が強く伝わってくる
封じられた破壊神の復活を目論んだ自分達に対し、破壊神となった神魔が死を望むならばそれを受け入れる覚悟が無言のままに伝わって来る
確かに、ここにいる闇の神々は封じられた破壊神を復活させるために神魔を還すことを目的として一度は敵として立ちふさがった経緯がある
だが、創造神に答えたように、破壊神から全てを受け継ぎ、新にして真なる破壊神となった神魔がそれに対して返す言葉は決まっていた
「こちらこそ。よろしくお願いします」
その忠誠を受け止めた神魔が答えると、暗黒神と終焉神をはじめとする闇の神々は一層深く頭を下げてその言葉を受け止める
「破壊神は一柱に戻りました。すでに刻まれた歪みの結果が変わることはありませんが、世界の歪みもすぐに失われることでしょう
あなた方には、わたくし達神の不敵際で多くの迷惑をかけてしまいました。そんなあなた達に対して何もして差し上げることはできませんが、今後もこの世界を頼みましたよ」
そのやり取りを見ていた創造神は、事の成り行きを見守っていた九世界の王達に視線を巡らせて、創生以来に言葉をかける
破壊神が一柱に戻ったことで世界の歪みは正された。光と闇の全霊命である愛梨や示門存在や他の種族を愛してしまった者達の想いが今から変わることはないが、そういったものは今後生まれなくなるだろう
「はッ」
謝罪の意思を込めたその言葉に九世界の王達が頭を下げて応じるのを見届けた創造神は、一つ鷹揚に頷いて神魔へと身体を向ける
「では、まいりましょうか破壊神」
「え?」
創造神から告げられた言葉が、神がいる厳粛な静寂の中に響くと、今までと変わらないはずのその声音が、詩織には一際大きく聞こえていた
突然の言葉に頭を殴打されたような衝撃を受けて、眩暈にも似た感覚に見舞われる詩織に、リリーナが小さな声で囁きかける
「神となった者がいつまでもこの世界にとどまっていることはありません。神魔さんとクロスさん、マリアちゃんは、神界へ行くのですよ」
(そんな)
憂いと寂しさを滲ませる声音で告げられたリリーナの言葉に目を瞠った詩織は、破壊神となった神魔、正義神となったクロス、慈愛神となったマリアを見る
(もしかして、みんなそれを分かってて……)
言われてみれば至極当然のことだった。神が世界に干渉しない「不可神条約」がある以上、神となった者がこの世界に長く留まることはない
当人たちはもちろんのこと、詩織を除く全員がそのことを理解していた。だからこそ、神を宿した存在だったマリアは、たった一度しか使えない神器として天界も慎重に扱っていたのだから
詩織がそんな絶望に暮れている間もなく、創造神によって神界へと続く扉が開かれると、神々がその身を各々の神力で包み込んでそこへ向かってゆっくりと浮上していく
「……」
空中でありながら、水上へ浮上していくように昇っていく神々の姿は神々しく、さながら一枚の絵画のよう
そこには、神ならざるものが入り込む余地を許さない厳粛な雰囲気があり、桜は創造神と共に神の世界へ昇っていく神魔を前に足を止めてしまっていた
「何してるの? いくよ桜」
「!」
神という選ばれた存在だけが向かうことのできる世界を前に立ち止まっていた桜に、神魔が見かねたように声をかけて手を差し出す
「はい」
その手の誘いにその美貌を花のように綻ばせた桜は、その身を空中へ踊らせて自分のいるべき場所――神魔の隣へと寄り添う
「瑞希も」
「ええ」
桜と同様に神々の帰還を立ちすくんだまま見ていた瑞希も、神魔の声に誘われてその中に合流する
「よろしいのですか?」
「破壊神はもうわたくしと神界における権利を二分するものです。彼があの二人を連れていくことを拒む理由はありません」
神と神臣だけが入ることを許された神界に二人の悪魔がやってくるのを見て訊ねた天照神に、創造神はこともなげな口調で応じる
天照神に返した言葉は真実だ。だが、桜と瑞希は破壊神となった神魔にとって伴侶でもある。神となろうとも伴侶と共に添い遂げたいと願う二人の女心に、同じ人を愛する創造神が共感するのは必然だった
そしてそれは、天照神も理解していることであり、かすかに微笑を浮かべたその面差しは、先程の問いかけがあくまで建前のための形式的なものだったことを物語っている
「さて――ッ!?」
神々が帰還する幻想的な光景を瞳に映していたロードがこの場を立ち去ろうと背を向けた瞬間、その行く手を阻むように創造の金色と混沌の黒色で形作られた矛がその行く手を阻む
それに目を瞠り、背後を振り返ったロードに、この二本の槍を作り出した張本人である二柱の神々が静かな声で告げる
「あなたも一緒に来るのですよ、絶対神。この世界にあなたのような存在がいてはなりません」
「そうですよ、ロードさん。撫子さんがいてくれた方が桜も心強いだろうし、何よりこれまでの借りも返さないといけませんしね」
創造と混沌から生まれた、原初よりも古い「渾沌」の化身にして、神位第一位の神々と比肩する力を持つ存在をこの世に残しておくことなどできるはずもない
創造神に「絶対神」と名付けられたとはいえ、神ではないロードがその言葉に従う必要はないが、創造神と破壊神からは、拒否を許さない意思が伝わってくる
「だそうです。参りましょう?」
そして、そんなロードに追い打ちをかけるように、傍らに控えていた撫子が淑やかに微笑を零し、促すように微笑みかけてくる
「――仕方がないな」
創造神と破壊神はともかく、妻には弱いロードはその提案に渋々ながらも応じて、神界へと帰還する神々の中に加わる
ロードと撫子が加わり、神界へと帰行するメンバーが揃ったところで、神魔は自分達を見送っている九世界の面々へと視線を向け、大貴と視線を交錯させる
「元気でね」
「あぁ。またな」
最強の異端神――円卓の神座の№1「光魔神・エンドレス」として完全に覚醒した大貴と破壊神となった神魔は、短くともその想いが通じ合った様子で言葉を交わす
大貴にとって神魔との出会いは全ての始まりだった。神魔達と出会ったことで自分の中にあった光魔神として目覚め、多くの戦いを経て今がある
そして今の自分があるのは神魔達のお陰だと感謝している大貴は、神魔だけではなく今日まで共に世界を巡って来た桜、瑞希、クロス、マリアにも視線を向けて別れと感謝を伝える
そして大貴がそうであったように、神魔達にとってもそれは大きなきっかけだった。あの出会いがあったからこそ今の自分達がある
出会いがあれば別れがあるように、神となり、異端神となり、神界と九世界それぞれで生きていく神魔達と大貴は、もはや会うことはできずとも、互いを忘れずにいることを約束する
「詩織さん」
そして大貴との別れを告げた神魔は、ゆっくりと視線を動かして自分を見上げている詩織に声をかける
「神魔さん。私……」
もう手が届かない場所に行ってしまう神魔の声に声を上げた詩織は、あふれ出す想いのままに言葉を発しようとして、それを寸前で留める
あふれ出す想いと共に詩織の脳裏を巡るのは、今日まで見てきた九世界や十世界の人々の生き方やその想い。そして神魔と過ごした日々の思い出だった
「……っ――」
今まさに口から出ようとしていた告白の言葉を届け、噛みしめた唇の中で自分の想いと攪拌した詩織は、意を決して口を開く
「私、神魔さんに会えてよかった……っ!」
今にも泣き出しそうな顔を無理矢理笑う形に変えて告げた詩織に、神魔は優しく微笑む
「…………」
詩織が今日まで秘めてきた想いを伝えても構わないと思っていた桜は、その口から出た言葉にわずかに驚きを覚えながらも、その一言を選んだ想いを察して少し寂しげな笑みを浮かべる
光魔神となったことで永遠の命を得た大貴と違い、詩織はあと数十年で老いて尽きる命。もう会えない可能性の方が高い想い人との別れに、その気持ちを抑えて絞り出した一言の重みは桜には痛いほどに理解できた
「元気でね」
人生をかけた詩織の決断の言葉に、神魔は優しく微笑みかける
その言葉を最後に、神魔と創造神をはじめとする光と闇の神々と桜、瑞希、撫子、ロードの姿は神界の門の中へと吸い込まれていく
光の門が閉じ、世界に溶けて失われて天頂で輝く神臓へと還っていくのを見届けた詩織は、空を見上げたままで佇んでいた
「姉貴、これでよかったのか?」
そんな詩織の許へ歩み寄った大貴は、心残りがあることが傍目にも分かる双子の姉の様子を窺いながら、ためらいがちに声をかける
「うん」
そんな大貴の声に空を見上げ、神に等しい異端神となった双子の弟の気遣いに答えた詩織は、一筋の涙を流す
「大貴。私、いい女になる」
その涙に気付き小さく息を呑んだ大貴から視線を逸らしたまま、詩織はその想いに震える言葉で言う
「桜さんや瑞希さんにも負けないくらい綺麗で素敵な女性になって、私を選ばなかったことを後悔させてみせる
それで、神魔さんが私を迎えに来ずにはいられないようにしてみせるの。だから――だから……っ」
心にしまっておけない感情を誰かに聞いてもらうことで和らげようとしているとも、その決意を自分に言い聞かせようとしているとも取れる言葉を涙で震える声で言う詩織は、やがて耐えきれなくなったのか肩を震わせてすすり泣くように嗚咽を零す
「そうか」
そんな姉の方に手を添えた大貴は、傷ついたその心を労わるように優しい声で応じる
大貴の優しさに、強がっていた心が折れた詩織は、その場に膝をついてうずくまり、両手で口元を抑えながら感情のままに涙を流す
神が正しい形に戻り、あるべき理を取り戻した世界の天の中心では、これまでと変わらずに輝く光源が輝いていた
九世界。それは空間を隔てて存在する数多の世界の中心たる九つの世界。そして世界全ての総称。
運命の糸に操られるかのように人間、悪魔、天使が出会った日から動き始めた世界は、再び平穏を取り戻し、これまでと違う、そしてこれまでと同じ日々を刻んでいく
これまでも。
これからも。
この世界が存在する限り永遠に――。
魔界闘神伝編―了―