双輪の神嫁
(神魔様、瑞希さん、間に合ったのですね)
自らの魔力で作り出した隔離された空間の中から出てきた神魔と瑞希を知覚した桜は、天照神と共に暗黒神と刃を交えながら、安堵にその美貌を綻ばせる
(命を交換し終えましたか。なるほど、この点に限れば、彼の方が破壊神様よりも優れていると言わざるを得ないやもしれません)
神位第三位である自分に近い神格を持ち、混沌の力を行使する桜と同格の神である天照神と戦う「暗黒神・ダークネス」は、それを見てわずかにその双眸に険な色を灯す
全ての理を見通す闇の神には、神魔と瑞希の間に今まではなかった存在の結びつきがはっきりと見て取れた
闇の神々が復活を望む封じられた破壊神と、もう一人の破壊神である神魔の間に差があるとすれば、〝神である〟こと。
封じられた破壊神は神として生まれ、神として生きてきた。だが神魔は、破壊神となる資格を有するだけの悪魔であり、今もまだそうして存在している
全霊命とは神が作り出した眷族にして兵隊。そして神の意思を継承する子をなすための器としての存在意義も有している
しかし、神と全霊命の間に愛情が芽生えること自体が極めて稀であり、実際には闇の神位第二位「邪神」と十聖天の一人たる天使「ルシア」の一例のみ。そういう意味で神々の目論見は外れたといってもよい状況だった
だが、神魔は違う。悪魔として生まれ、悪魔として生き、悪魔をはじめとする人々と絆を結んできが故に桜と瑞希、二人と男女としての心を通わせ、「神の寵愛者」と成した
存在としては同じでも、桜と瑞希は復活した破壊神とは神の寵愛者にならない。そしてその存在は、未だ未覚醒であっても神魔が破壊神になるために優位に働くだろう
「けれど、神の力を使うための神器は、神自身にしか作れない。そこはどうするのでしょうか?」
暗黒の闇によって天照神の光を相殺した暗黒神は、抑揚のきいた声で独白すると混沌の力を束ねた桜の薙刀による斬閃を受け止める
「そんなことはありませんよ」
「!」
神格こそわずかに劣るものの、自分を傷つけるに十分な力を持つ絶対神のそれと同じ神力を受け止めた暗黒神にたおやかな声音で語りかけた桜は、その意識を神魔と瑞希へ注ぐ
「あなたは分かっておられるはずです、暗黒神様」
「ところで、神の力との共鳴というのはどうすればいいのかしら?」
慈愛神の結界に守られた中で、神々の戦場を見る瑞希は、神魔を一瞥して凛とした涼やかな声で訊ねる
「桜は神器を使ってるみたいだけど」
「そう、ね」
神魔の言葉に、軽く空を仰いだ瑞希は、自分の力では知覚できない神域で戦う桜を幻視して、切れ長の目を細める
以前、桜が魔力共鳴を行うことが出来なくなったように、悪魔の存在の中で破壊神としての神格が完成した今の神魔の力と、一介の全霊命では神能が干渉しなくなってしまう
神と契りを交わした全霊命は、その神格の違いゆえにアンシェルギアなしには神能の共鳴を行えなくなってしまうのだ
「あれ作れないの?」
「――……」
瑞希に訊ねられ神魔は、自身の手に視線を落として意識を集中させてみるが、アンシェルギアが生まれる気配は一向になかった
「瑞希」
「はい」
周囲の者達がその様子を不安そうに見守り、そして慈愛神となったマリアの結界が殲滅神の力によって軋み、悲鳴を上げる中、神魔は神妙な面持ちで瑞希に声をかける
「多分一瞬しかない。その間に、桜の指輪と同じ神の力を使うための神器の形を思い描いて――たとえ、僕に何があっても」
「!」
多くを語らず、しかし信頼を求める真っ直ぐな視線を向けて瑞希に問いかけた神魔は、神妙な面持ちで確認の言葉を紡ぐ
「できる?」
「たとえ自分になにがあっても動揺せずにできるか?」と深刻な表情で述べた神魔に、詩織や深雪をはじめとした多くの者が息を呑む
だが瑞希は、そんな神魔の視線に凛々しい麗貌を柔らかく綻ばせて応じる
「えぇ。もちろんよ」
伴侶になったものとしての信頼と誇り、そしてその願いに応える覚悟を以って応じた瑞希に、神魔は優しく微笑みかける
「じゃあ、いくよ」
その言葉を合図にするかのように、瑞希が自らの神器の形を想像するべく瞼を閉じるのを見届けた神魔は、厳かな声音で言うと共に伴侶となった黒髪の麗女の手を取って一つ深く息を吐く
「――桜」
「神魔様」
心に直接聞こえてくるかのような神魔の声に、その求めるものを受け取った桜は、神器によって自らの存在と化した力を以って応える
「神力共鳴!」
それは、神の神能たる神力同士の共鳴。本来神の寵愛者たる桜が一方的に伴侶の神力を借り受けるだけの権能を逆手にとって、神魔が混沌の神力を一時的に使うことができるようにするための業。
神としての存在を内包しながら、悪魔の存在によって封じられた神魔だからこそできる、神力の逆共鳴だった
「ぐッ!」
神格を共鳴させることで、桜から逆流してくる混沌の神力を受け止めきれず、悪魔としての存在が悲鳴を上げる苦痛に歯を食いしばりながら、神魔はほんの一瞬だけ得た「混沌」の力を握り締めた瑞希の手の中に送り込む
自身の神力とはいえ、魔力でできた存在に対して混沌の力は負荷が大きすぎ、神魔の身体にひび割れたような亀裂が奔っていく
「神魔さん!」
「桜ちゃんと共鳴して、無理矢理神の力を引き出したのね」
それを見ていた詩織が悲痛な声を上げる背後で、神魔が何をしているのかを理解した深雪が息を呑んで呟く
確かにこの方法を使えば神魔が破壊神としての力を使うことはできる。だが、いかに絶対神の神力とはいえ、神の寵愛者たる桜を介した力では、本来の神格に及ばない
そして今の神格では神位第三位の力を越えることはできず、かの神々に掌握された生殺与奪の理を覆すこともできず、神魔は死ぬこともできぬまま苦痛を得ることになる
そして、この神力共鳴は極神の力の影響によって抑え込まれ、即座にその力を失うだろう。だからこそ、神魔は「ほんの一瞬」と前置きをして、この裏の手を用いたのだ
(極神の力で混沌が封じられる前に、瑞希が神器を手にできるかどうか……それですべてが決まる)
身体に亀裂を奔らせ、苦悶の声を噛み殺している神魔を遠巻きに見るベルセリオスは、この一瞬こそが何よりも重要だと気付いていた
魔力で構築された神魔の身体が崩れかかっている負荷を考えれば、いかに神によって死を奪われていようともこの神力共鳴は何度もできるものではないことは明白
再び神力共鳴が行えるようになるまでの間に、おそらく殲滅神の力が慈愛神の結界を破壊し、神魔を奪われてしまうだろう――故に、この一度きりが最初で最後、そして絶好の機会であることは疑う余地のないことだった
「――」
(私が望む、神器の形――)
そして、魔力で構築された神格で、混沌を行使する負荷に苦しむ神魔の声を聞きながら、瑞希はその心を保ち、自らのための神器の形を想像する
自分と桜のためにその身を削っている神魔の信頼に応えるため、神魔を伴侶として信頼しているからこそ、唇を食んで今すぐ駆け付けたくなる気持ちを抑え込む瑞希は、一心に深く瞑想する
桜の左手薬指の指輪と同じように神魔と繋がり、その神の力を行使するための形を想像する瑞希の意思に応え、神魔から送り込まれる刹那の混沌が伴侶となり、命を交わした二人を繋ぐ形を形作る
「――これが、私の」
閉じていた瞼を開き、全身に亀裂を奔らせて混沌の残滓を立ち昇らせる神魔をその双眸に映した瑞希は、自身の手の中にある神の力の器――虹色の光を内包する丸い宝石に、花を思わせる金色の装飾が絡みついたブローチへと視線を落とす
「くっ」
「神魔」
アンシェルギアが完成したのを見届けた神魔が安堵と共に膝から崩れ落ちそうになると、瑞希はその身体を支えて柳眉を顰める
瑞希が神器を作るために費やした時間は、ほんのわずか。だがその短い時間で神魔の身体が混沌に深く侵食されてしまっていた
「大丈夫?」
「僕は大丈夫。それより」
瑞希に支えられていた身体を離し、自分の足で立って見せた神魔は、安心させるように優しく微笑んでみせる
混沌に存在を蝕まれる痛みに歪みそうになる顔を無理に笑みの形にしていることが明らかな神魔を見る瑞希は、胸を締め付けるような思いを胸の奥へと抑え込む
「えぇ、分かっているわ。任せて」
そう言って凛然とした麗貌を微笑に綻ばせた瑞希は、手の中にあるブローチの形をした神器を左胸に装着すると、艶やかな黒髪を翻して神々の戦場へと向かう
ここまでの一連の流れを見ていた神々の視線を一身に受ける瑞希は、結界越しにでも感じられるその神圧に息を呑みながらも、凛と咲く一輪の花のように佇んでその瞳に強い意志を抱く
そして一度大きく、深く息を吐いて呼吸を整えた瑞希は、先程神魔から託されたブローチにそっと指先で触れる
「アンシェル!」
瑞希の口から、涼やかに澄んだ声音で神器を起動させ言葉が紡がれた瞬間、もう一人破壊神たる神魔と繋がりあった命を介してその神力――「混沌」が発現し、顕現する
神器アンシェルギアの発動によって混沌の力を得た瑞希は、それに伴って自らの存在を変化させる
足元までの長さを持つ袖のない白い着物のような霊衣をコートのように羽織り、その下には膝丈ほどの裾長の黒い着物。
軽装と一体となった金刺繍の施された黒い長手袋とサイハイソックスを纏った細くしなやかな両腕と両足が美しく引き立っている
ティアラを思わせる装飾と一体となった金の双角の如き装甲が天を衝き、白と黒で統一された霊衣の随所に派手過ぎずに備えられた金糸の飾緒が荘厳さと華やかさを感じさせる
後頭部から背の中ほどまでは厚い布地のヴェールに覆われ、そこから一つに結い上げられた黒髪が自らの発した力の余韻に揺らめいていた
「――瑞希」
神魔の伴侶となり、闇の絶対神の神力たる混沌の力を得た瑞希の姿を遠巻きに知覚した闇の至高神の一柱――「罪業神・シン」は、感慨めいた声を漏らす
罪業神にとって瑞希は、多少の因縁と情を残す存在だ。かつての戦いで敗北した罪業神は、自らが完全に死滅する前に魂と人格を移し、破壊神を復活させるために行動していた
その宿主となったのが瑞希の実兄である「蘭」。その存在を喰い潰して再誕し、その命を盾に瑞希を利用した罪業神は、混沌の伴侶となった瑞希の姿に複雑な感情を抱かざるをえなかった
「雪月花」
厳かな声で瑞希が言葉を紡いだ瞬間、破壊神の神の寵愛者となったことで獲得した混沌の力が、戦うための姿となって形を成す
瑞希の左右両手の内に顕現したのは、艶を帯びた黒い刀身に鮮やかな白が映える二本の太刀。柄頭から伸びる刀身に倍する長さを持つ緒が揺らめく
「!」
二本の刀身に注がれる混沌の神力の気配に罪業神をはじめとした闇の神々が息を呑むが早いか、瑞希はその剣柄を握る手に力を込める
(これは……)
それ自体はなんの変哲もないただの動作に過ぎない。しかし、運命と因果を支配し総べる神々には、瑞希が神位第四位以下全ての闇の神全てに対して力を発揮せんとしていることを見て取ることができていた
(因果を辿って、全ての神を同時に滅掃するつもりか)
全ての闇の神の力を持つ混沌の力を以って、自身の神格が及ぶ全ての闇の神を標的に定めた瑞希を彼方から知覚した闇の神の一柱――「終焉神・エンド」は、その目を険にしてそれを阻まんと、自らの神力たる終焉の闇の力を解き放つ
神位第一位たる破壊神の神の寵愛者となった瑞希の神格は、神位第四位「至高神」のそれを越え、終焉神を含む神位第三位である「極神」にさえ迫るほどに高められている
その神格を以って全ての神を滅ぼさんとすれば、極神を除くすべての闇の神が滅ぼされてしまうのは明白だ
そしてそうなれば、闇の神側の数的な優位が一瞬で失われ、封じられた破壊神を復活させるために必要な神魔を手にいれることが困難を極めることになるのは考えるまでもない
「思い通りにさせると思うか」
混沌を注ぎ込んだ二刀を一閃させんとする瑞希に対し、終焉神は全てを終わらせる闇の力を以って対抗する
闇の極神の一柱である「終焉神・エンド」は、その名の通り全てを終わらせ、全てが失われた終末を司る神
必然、その神力である「終焉」は、命や形あるものの存在はもちろんのこと、あらゆる事象と現象に至るまで全てを終わらせ、終わったことにする力を有している
「その攻撃の全てを終わらせる」
瑞希の攻撃の威力を殺して無へと変え、さらに攻撃が終わったことにして、その効果を無力化する終焉の闇がその力を振るう
その終局の力は、抗うことを許さない絶対なる終わりの理。この世に存在する限り、決して逃れ得ることのできない終末の闇そのものだった
「させるか!」
しかし、その終末の闇が権能を振るうよりも早く、終焉神と相対していた光の極神――「摂理神・プロヴィデンス」が煌輝な光を帯びた極大の斬閃を放つ
数的に不利な戦いを強いられている光の神にとっても、神の寵愛者となった瑞希の力は戦況を大きく変える契機となりえるもの。そのため、これに協力するのは、当然の帰結だった
全てが滅びつく終焉と対極をなす「摂理」の神力は、世界を構築し、生きとし生けるもの、存在する全てのものを従える絶対にして不変なる柱理。
決して揺らぐことのない神理そのものたる光が摂理神の斬閃によって放たれ、瑞希を阻もうとする終焉神に炸裂し、極光の爆発を生み出す
「――くそッ」
「はっ!」
混沌の神圧に慈愛の結界を破壊しようとしていた殲滅神が歯噛みし、全速で後退しようとした瞬間、瑞希の二刀が因果を辿る斬撃を放つ
それは敵と定めた極神を除く全ての闇神を打ち滅ぼすべく迸り、混沌の力が天を衝いて炸裂する
暗黒神によって作り出された闇色の空が、それを遥かに上回る黒闇で覆いつくされ、混沌の力の奔流が世界を撫でるようにして広がっていく
「く――っ」
天地を軋ませる混沌の闇が収まっていく中、その身の至る所に傷を負った罪業神は、神々の頂点にして世界の起源たるその真黒の力の残滓を視界と知覚の中に捉えながら、瑞希へと視線を向ける
「あんな素っ気ない一撃で終わらせようとするなんて、薄情な奴だ」
少なからず因縁のある自分を、その他の敵とまとめて滅ぼさんとした瑞希の混沌の斬撃の傷による痛みを感じながら、罪業神は自嘲めいた言音で言う
因果を辿って放たれた防御、回避、迎撃不能の混沌の力の直撃を受けた罪業神は、一向に回復する兆しを見せない傷の痛みに眉を顰め、赤く縁取れたその目を鋭くする
(俺の力がここまで通じないとは……やはり混沌の力というべきか)
闇の至高神が一柱――「罪業神・シン」は、その名の通り、神罪と神罰を司る神。
その力は、神の理を犯すこと。しかもこの世を構築する理はもちろんのこと、神能が創造し、滅却する事象と現象にまで作用する
それぞれの意思によって神能が発現した破壊や護りといった理を蹂躙することで、その力を根源的に無力化するばかりか、力そのもので構築された完全存在や全霊命の存在そのものを破壊することができる
神能の外側から神の理を破却することで神能がもたらす事象創滅の理に直接干渉するその力は、敵の攻撃を無効化し、自分の存在によって相手を歪め滅ぼす凶悪な力だ
だが、罪業神のその力も、罪業を含めた他の全ての闇神の力を持つ混沌の力を防ぎきることはできず、決して無視できない深手を負ってしまった
(俺は神格が近かったから、かろうじて防ぐことはできたが――)
混沌の力によって受けた傷の痛みに眉をひそめながら、瑞希を睨み据えた罪業神は、心中で忌々しく毒づきながら視線を向ける
神の寵愛者としての力を発現した瑞希の今の神格は、限りなく神位第三位に近く、神位第四位である罪業神よりも上だ
神位が一つ違えば、それは全霊命と神の差に等しく、何をしても決して覆ることはない。――即ち、相手にならない
だが、破壊神の神の寵愛者たる瑞希の神格は神位第三位と神位第四位の中間にあるため、至高神の力も完全に沈黙せず対抗することができるため、先の一撃を防ぐことができたが、それ以下の神格を持つ神々の生存は絶望的だといってもよかった
「今のはさすがに死を覚悟したぞ」
混沌の闇が晴れると共に姿が露になった殲滅神・カタストロフは、その身に深手を負いながらもその存在をこの世界に維持し、三つの目で瑞希を見据えながら言う
「――……」
(防がれたわね。さすがは終焉神)
自身の攻撃で滅ぼせなかった神位第五位と六位の神々が混沌の残滓の中から姿を現すのを知覚し、瑞希はその麗悧な視線を鋭くする
神格的に確実に滅ぼすことができたはずの神々がこうして存在している理由は明らか。それははるかかなたから因果を辿って放たれた終焉神・エンドの終滅の力によるものだった
(けれど――)
相対する同格の神――「摂理神・プロヴィデンス」による相殺を受けながらも、神々を守った終焉神はさすがとしか言えないが、それでも全てを守ることは叶わない
純粋な畏敬の念を抱きながらもその視線を向けた瑞希の双眸には、頭頂部から身体を両断された闇の神の姿が映っていた
「滅亡神……!」
因果を辿り、神位第四位以下の闇神全てを捉えた混沌の滅確の一撃は、終焉神と暗黒神が守り切れなかった神々の存在を滅ぼしていた
滅びを司る闇の神の力が守るために使われ、創造を司る光の神の力が敵を滅ぼすためにせめぎ合う皮肉めいた力の衝突の結果、滅びを与えられたいく柱かの神の一柱――「滅亡神・ロスト」の存在が消失していくのを見て、神位第五位の闇の神達が目を瞠る
だが、瑞希の混沌が滅ぼしたのは、滅亡神だけではない。
「く……っ」
神位第六位の神々もまた同様に滅びを与えられ、「失世神・ラスト」、「混迷神・ディスオーダー」の二柱が落ち、他の神も少なくない損傷を受けているのを見て「裂砕神・ブレイク」――「ゼノン」は、この戦力の損失に忌々しげに歯噛みする
「ここまで来てこんな邪魔が入るとは……!」
封じられた破壊神の復活を本懐とし、闇の神の勢力を復活させてそれを達成する目前まで辿りついたというのにそれを阻む瑞希に憤りに満ちた視線を向けゼノンは、音がするほどに歯を噛みしめて目を剥く
(ようやくここまで――我が悲願が成就する寸前まできたというのに、こんなことでその苦労を無にされてたまるものか! 早々にもう一人の破壊神を手に入れる!)
神第五位が一柱、六位が二柱落ちたばかりか、神位第三位に迫る神格を発揮する神の寵愛者がもう一人増えたことで、優勢だったはずの戦力が崩れてしまっている
このままでは破壊神の復活が妨げられることを理解したゼノンは、慈愛神の結界の中で瑞希に守られる神魔を見て焦燥に駆られていた
「……ッ!?」
天を蹴り、神速を以って神魔の許へと向かわんとしたゼノンだっただが、その時滅亡神が消滅していくのを見届けていた瑞希がゆっくりと首を動かすと、その視線が自分を捉えているのに気付いたゼノンは思わず息を呑む
(まさ、か……)
その視線の意味に気づいたゼノンは、自らの身体が大きく抉り取られ、左腕から胸の中心までが完全に消滅している事実を理解する
その瞬間、まるでそれに気づくのを待っていたかのように、ゼノンの意思と身体は自らに与えられた滅びを受け入れ、その構成を失い始めていた
「そんな、まさか……」
(ここまで来て、こんなところで、終わるというのか!?)
指摘されるまで自らの存在に死が手をかけていたことに気付かず、穿たれた己の身体に信じた難いものを見る目で視線を落としていたゼノンの耳に、瑞希の凛と澄んだ声が涼やかに届く
「運がなかったわね」
「――!」
痛みも苦しみもなく意識も鮮明だというのに、不自然なほど自然に死の崩壊をはじめた自身に困惑を禁じえないまま、顔を向けたゼノンと瑞希の視線が交錯する
わざとらしく皮肉めいた口調で述べた瑞希は、神の神能となって崩壊していくゼノンを見据えると、静かな声音で告げる
瑞希の言う「運」とは〝神運〟――神々の戦いにおいて、運命と可能性の全てが失われた中で計られる神にとっての運
終焉神と暗黒神の護りから零れ、混沌によってその命を奪われた闇の神々は、いわば神運に恵まれなかったということだとも取れる
「別にそういう義理があるわけでもないけれど、姫の仇は取らせてもらったわ。あの人はそれを望まないでしょうし、こんな形で申し訳ないけれど」
「――!」
瑞希の口から紡がれた言葉に、それが意味するところを正しく理解したゼノンは驚愕を露にしながら小さく目を瞠る
先程の混沌の斬閃。全ての闇の神を標的とした瑞希だったが、その中でもゼノンだけは確実に仕留められるようにその意思を注いでいたのだ
十世界の創立に同席し、一時そこに身を置いてはいたが、瑞希にとって十世界も、姫――愛梨にも強い愛着などはない
それでも瑞希は、姫をその手にかけて十世界を崩壊させたゼノンを討ち、仇を取りたいと思ってしまった
――たとえ、人を許し分かり合うことを望んだ愛梨が、自分のために仇を討ってほしいなどとは思っていなくとも、正面から相対することもなく、こうしてただ神格を圧倒して終わらせるやり方だったとしても、瑞希はそうすることを選んだ
「私なりのけじめとでも思って頂戴」
かつて兄のために様々なものを裏切って来た過去を思い返しながら、憂いるように微笑を浮かべた瑞希は、これから自分が永遠をかけて尽くしていく愛しい人へと視線を向けて囁く
「あの頃は割と悪い時間ではなかったわ」
兄と共に十世界に所属して過ごした時間を懐かしむ瑞希の声が神力に乗って届けられると、ゼノンは自らの存在が崩壊し、死に至る運命を受け入れたゼノンはその脳裏に遠い日の記憶を思い返す
「破壊神様……せめて今一度そのお姿をこの目で――」
創界神争の頃、闇の存在を率いて戦っていた破壊神の後ろ姿――長い黒神と黒い衣を翻らせ、見る者に畏怖を与える混沌の化神
神々しいほどに美しく恐ろしいその絶対の存在に崇敬の念を抱くゼノンは、その下にあることを何よりも誇りに思い、そうあり続けることを望んでいた
だが現実には破壊神がは封じられ、神々はこの世界を去ってしまった。それは、ゼノンにとって生きる理由を失うに等しいこと。
神の許へと参じ、再び絶対神たる破壊神の下に傅くことだけを望んで今日まで生きてきたというのに、ここまで来てその望みは自分が憧れた混沌によって絶たれてしまったことに、無念の想いを噛みしめる
「破壊神様――」
焦がれ続けた偉大な神の姿を思い返し、生涯をかけて願い続けた神の復活をこの目で見れないことを悔やみながら、ゼノンの存在が完全に消滅していく
「それともう一つ。神魔が破壊神になった時に、あなたが列なっているのは看過できないわ」
ゼノンが力の粒子となって消滅するが早いか、瑞希は即座に意識を切り替えると一太刀で三柱もの神を葬った先の混沌の一閃を再び放つべく、その武器である双刀に混沌の力を注ぎ込む
(さっきのをまたやるつもりか! これ以上されてこちらの戦力が失われるのはまずい)
「――ッ!?」
それを知覚した罪業神がその力を振るわんとしたその時、寸前まで迫っていた神速の刃に気付いて、紙一重で後方へと下がる
神速で放たれたその斬閃を頬に薄い傷を一つつけるだけで回避した罪業神は、次いで放たれた二撃目の斬撃に向けて、神理を歪壊する罪過の闇を放つ
「……平等神」
純然たる戦意が込められた武器の刃同士がせめぎ合い激しい力の火花を散らすその刃の先――緋と白、二色の片刃剣を手にした男を双眸で射抜いた罪業神は、抑制した声で威嚇するようにその神の名を呼ぶ
その名の通り〝平等〟を司る神である光の至高神が一柱たる「平等神・イコール」は、全てのものがすべからく従う勝敗優劣を定める残酷なほど合理的であると共に、時に共和的な光を乗せた二振りの刃を神閃させる
「往生際が悪いぞ」
「ちィっ」
防いだとはいえ、先の混沌の斬撃で小さくない手生地を追っている罪業神は、勝利を獲得する厳粛な光を帯びた平等神の双剣を、罪過の闇を注いだ槍で受け止める
揺るぎない理の光と理を揺るがす罪の闇が激突し、せめぎ合う力が天を衝く極大の力の柱となって立ち昇る
それを知覚の端で捉えながら、瑞希は混沌の力を凝縮した双刀を一閃する
「――!?」
しかし因果を辿るその力が振るわれようとした次の瞬間、漆黒の力が瑞希を横薙ぎに打ち付けていた
(これは、攻撃を受けた!?)
「瑞希!?」
知覚することも反応することも出来ず、打ち込まれてはじめてそれを認識した瑞希は、神魔の声と共に天を裂くように刻みつけられた真黒の力の残滓に目を瞠る
(この力は、終焉神の……!)
攻撃を受け、いつの間にか眼前に佇んでいる終焉神を視界に映す瑞希は、苦悶に美貌を歪めながらようやく自らの身に起きた事実を理解していた
(攻撃を終えたのね……!)
終焉神・エンドはこの世に約束された終末という絶対なる理そのものたる神であり、その力は全てを終わらせることができる
命ある限り死があり、形ある限り崩壊があり、存在する限り滅亡があるように、一切の抵抗を許すことなく終わりを与えてこの世に存在する全てのものを滅ぼすことはもちろんのこと、敵の攻撃の威力を終わらせ、防御を終わらせて無力化し、移動を終えたことにして、神速や転移を越えてどこへでも顕在し、攻撃を終えたことにして攻撃が命中した事実のみを発現させる
その終焉の力を以って彼我の距離の存在を終わらせた終焉神は、すでに放ち終えた力によって瑞希に攻撃を与えたのだ
「……!」
だが、漆黒の閃撃を見舞った終焉神は、宙に浮いた瑞希に決定的なダメージが通っていないのを見て、その目を険に細める
(摂理神の絶対防御か)
暗黒神が桜にしているように、伴侶の死によって神魔が万一にも破壊神として復活しないように瀕死状態になるように終焉の力を撃ち込んだが、摂理神の力によって守られたために、瑞希に十分な終わりをもたらせなかった
(だが――)
「させん!」
それを見止めるなり、自神の武器である両刃の黒大剣に終滅の力を注いだ終焉神が再びその攻撃を放とうとするが、それは神移してきた摂理神によって受け止められる
終焉の闇と摂理の光が激突して相殺し、そこに込められた純然たる戦意が世界に現象として顕現し、滅びを振りまく
「神魔、少し辛いだろうけど耐えてちょうだい」
その一瞬の間を逃すことなく、終焉の一撃で存在の髄まで響く衝撃に柳眉を顰める瑞希は、凛と澄んだ声と共に混沌の力を解放する
「いくわよ、桜さん」
「はい、瑞希さん」
はるか離れた位置にいながら、まるで目の前にいるかのように瑞希の声に応じた桜は、淑やかな笑みを浮かべて応じる
「桜、瑞希」
命を交換した魂を介して伝わってくる二人の伴侶の想いに、神魔が全幅の信頼が込められた視線を向ける
「神魔が死なないように、しっかり守っていなさい極神!」
眼前で刃をせめぎ合わせる終焉神と摂理神だけではなく、暗黒神と天照神――この世界の生殺与奪の全てを支配する四柱の極神に向けて言い放った瑞希は、それを合図に再びその力を行使する
『神力共鳴!』