表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔界闘神伝  作者: 和和和和
魔界闘神伝編
295/305

MALICIOUS CRADLE:持つ者と持たざる者





「オオオオオッ!」


 両手で握り締めた身の丈にも及ぶ大剣を力の限りに振るうのは、聖人の原在(アンセスター)――「天支七柱」の頂点たる「マキシム」。

 九世界を総べる八種の全霊命(ファースト)の中で最も高潔で、巨大な体躯を持つ聖人の頂点たるマキシムは、神威級神器――「不変箴言(ヴァルドゼグナ)」によって獲得した神格を込めた全霊の一撃を放つ


 その斬閃の放たれた先にいるのは、聖人と同等の体躯を持つ鎧の巨人――黒の縁取りと金の装飾が施された白い鎧そのものの形をした悪意――「自らを委ねるものセルフェンスト・ルスト」だった

 甲冑そのものが動いているに等しい姿をした悪意の化身は、その鋼のごとき光沢を持つ金属質の身体で

マキシムの斬撃を受け止める


「――っ」

(手応えが弱い……! これが、〝無思考〟の悪意の力か)

 ハンマーのような巨大な腕で斬撃を受け止めた「自らを委ねるものセルフェンスト・ルスト」に斬撃を防がれたマキシムは、その手応えに精悍な顔をしかめる

 同等の神格を持つマキシムの斬撃をその腕で受け止めた無思考(ルスト)は、それに対して苦悶や煩悶を覚えた様子も見せず、無感情にその拳を振り抜き、槌のような拳撃を最強の聖人へと見舞う

「ぐ……ッ」

 拳を握り締めることで、ハンマーのようになる無思考(ルスト)の拳を受けたマキシムは、神器の力を貫通して伝わってくる衝撃に歯噛みし、その勢いのままに後方へと吹き飛ばされる


 神に最も近い七人の聖人の頂点に立つマキシムの持つ神威級神器――「不変箴言(ヴァルドゼグナ)」は、絶対なる護りの力の神器

 この世の理と真理――決して変わることなく、ゆるがせにしてはならないものを司る神器の力を発動したマキシムは、不可侵の存在となる

 そうして、あらゆる力の影響を受けないほどの存在となったマキシムは、その力を貫いて響いて来る無思考(ルスト)の攻撃によって身体の奥に残る鈍痛を噛みしめながら、口端から血炎を立ち昇らせる


「自ら思考せず、誰かに言われるまま無責任に事を成す悪意。――全ての責任を他者に押し付け、自分だけを守る力そのものの姿だな」

 知性はあるのだろうが、マキシムの言葉に無反応のまま佇む無思考(ルスト)は、言葉を発することをしないまま、その身に悪意の力を迸らせる


 無思考の悪意――「自らを委ねるものセルフェンスト・ルスト」は、無思考と無責任の悪意。自身で考えることを放棄し、誰かの言いなりになることで全ての責任を擦り付ける

 そんな自分以外に関して無関心な無思考の悪意を体現した存在である無思考(ルスト)には、知性や自我はあってもそれを表に出すことはない

 そして、その反逆(リベリオン)の力は〝自己保身の悪意〟。自らを守らんとする意思が甲冑のような出で立ちを成しているといえるのかもしれない


「…………」

 マキシムの言葉に、無思考(ルスト)は答えることなく地を蹴り、神速を以って肉薄すると同時にその鉄槌の如き拳を叩きつける

 強大な悪意が注ぎ込まれた鎧拳はそれ自体が武器として機能し、それを受け止めたマキシムの大剣と力の火花を散らして大地を蜘蛛の巣状に粉砕する

「――ッ!」

 それを受け止め、刃越しに伝わってくる破壊の衝撃に歯噛みして耐えるマキシムに、巨大な腕が悪意の火を噴き、その威力を更に加速させて破壊の力の追撃を見舞う

(――〝人〟が作り出す意思のない殺戮兵器と同じ力。心無いが故に、容易く命を屠る凶気の力か)

 自身の刃が力の火花を上げるのを見据えるマキシムは、自身の魂そのものである武器を介して伝わってくる無思考(ルスト)の悪意の力に心中で吐き捨てるように言う

 自身と同等の体躯から繰り出される圧倒的な膂力による拳を渾身の力を込めた斬撃で切り上げて弾いたマキシムは、そのまま鎧の胸部に蹴撃を見舞う


 全霊命(ファースト)はもちろん、神の力である神能(ゴットクロア)もその当人の意思によって力を発揮する

 神能(ゴットクロア)はその気になれば、神格の及ばない者を何億、何兆と殺すことができるどころか、世界だろうと何だろうと滅ぼし尽くせる力を持っているが、その意思によって破壊するもの、殺すものを選ぶことで必要以上のものを破壊しないことができる


 世界最強の力である神能(ゴットクロア)は、常に自分の意志で殺すものと壊すものを定めている


 だが、神や全霊命(ファースト)とは異なり、半霊命(ネクスト)の中にはそうではない力がある。

 文明を発達させ、文化を発展させた者達は、いかに自分達から犠牲を出さずに戦うかを考え始める。そして人々は作り出すのだ――ボタン一つではるか遠くにいる敵を殺す武器を。あるいは自ら判断して攻撃する兵器を

 自らが命を奪う覚悟と責任を限りなく放棄する戦い。神能(ゴットクロア)のような力がなく、弱ければ弱いほど工夫を凝らし、そういった武器を作り出す

 だが、それ自体が悪意ではない。それを行使する者の心にこそ悪意が――自らの思考と責任を手放す悪意が宿る

 無思考の悪意は、それを自覚しない――あるいは軽んじるが故の悪意。自らの意思ではなく、命じられたままに、ただ破壊と殺戮をもたらす全霊命(ファースト)の兵器でもある


「チッ」

 直撃したはずだが、あまりにも反応がないために、効いているのかいないのかいないのかさえ判然としない無思考(ルスト)が即座に態勢を立て直すのを見て、マキシムは苦々しげに歯噛みする

 動く鎧のごとき無思考の悪意の巨人は、表情もなにもない面をマキシムへと向けると、言われたとおりにその相手をするべく、その身に力を巡らせる

(――おそらく、あの中には何もない。あの鎧そのものが奴であり、そしてあの鎧は身体ではなく霊衣と同質のもの)

 空間を軋ませ、世界を震わせる神の神格を帯びた無思考の悪意の奔流に肌を焼かれるような感覚と圧を受けるマキシムは、あらゆる力を退ける光理となった身体に力を巡らせる


 これまでの激突でマキシムは、無思考の悪意の本質を掴んでいた

 今目の前にいる神敵の神片(フラグメント)――「自らを委ねるものセルフェンスト・ルスト」は、いわば霊衣が動いている(・・・・・・・・)ようなもの


 完全存在(オリジン)たる神も全霊命(ファースト)も、その存在の全てを神格を持つ神能(ゴットクロア)によって構築されている

 〝力〟、〝身体〟、〝武器〟、〝霊衣〟――本来この四つの姿を持っているが、自らを委ねるものセルフェンスト・ルストには、この内の身体と武器が(・・・・・・)存在しない(・・・・・)


 その鎧ような巨躯はあくまでも霊衣。身体が傷つけば血炎が零れ、武器が砕かれれば魂が傷つく――そんな完全存在(オリジン)全霊命(ファースト)にとって当たり前の現象が、その身には起こらない

 それぞれの神能(ゴットクロア)が自らを守る形として具現化した霊衣は、たとえ破壊されようとも神能()がある限り何度でも無限に再生する

 それと同じである無思考(ルスト)の身体は、いかなる攻撃を受けても身体も魂も傷つくことがないために、ほとんどダメージが通らないのだ


「そして、迎合するが故にその志を挫く力か」

 同等の神格、同等の力を持ちながら、全くその心が感じられない無思考(ルスト)へ視線を向けるマキシムは、自身へと向かってくる自らを持たない悪意を光を帯びた大剣で迎え撃つ

 鎧でしかないその身体はマキシムの斬撃を受け止め、力の火花を散らしんがら、そこに込められた純然たる意思を無にしていく

(心がないが故に、私の力に込められた戦う意志を無にしてしまう)

「……なんという度し難い愚かしさだ」


 無思考の悪意は、文字通りに自らの意思を持たず、ただ命じられたままに行動するだけの悪意である無思考の悪意は、中身のない空虚な意志

 いかに志を高く持っているもの者が命じようとも、それを受け取る者までがその志に賛同しているとは限らない。否、むしろそうではない者の心をこそが無思考の悪意といえるだろう

 故に、無思考の悪意は受け取った意思を無にする力を持っている。それは、意思によってその力を定める神能(ゴットクロア)に込められたそれを無にし、その力を貶めるのだ


「ぐっ」

 両の剛腕から繰り出される連続の剣撃を斬撃で阻むマキシムに、無思考(ルスト)は悪意を収束させた砲撃を見舞う

 それが直撃する寸前で結界を展開して防いだマキシムは、空中に収束した無数の光球から砲撃を放って応戦する


 剣と拳がぶつかり合い、砲撃が飛び交い、互いを滅ぼさんとする破壊の嵐が巻き起こるその中心で、二人の巨人はその力の限りをぶつけ合う

 時空が歪み、力の奔流が天を衝く。黒空と白地だけの世界に最も正義を重んじる存在の光と、神敵の眷族たる悪意の力がせめぎ合い、その優劣を定めんとする


「ムゥンッ!」

 神器によって不可侵の存在となった自身を傷つけ圧倒する無思考(ルスト)に怯むことなくその武器と力を振るうマキシムは、無思考の悪意たる巨人鎧に渾身の一撃を撃ち込んでその身体に罅を入れる

 その一撃を受けた無思考(ルスト)は数歩よろめいて後退るが、何事もなかったのように態勢を立て直して、悪意の力を噴する拳をマキシムへと撃ち込む

「言葉は分かるだろう? 悪意の化身よ」

 あらゆる侵略を許さない光の力を高めて強化した腕でその一撃を受け止めたマキシムは、表情もなく感情も伝わってこない鎧巨人を視線で射抜き、低く抑制された声で言う

 無思考の悪意はその声に答えることはない。だがマキシムは、そんなことには構うことなく、自分の声が届いていると確信して話を続ける

「誰かの言いなりになり、思考を止めているだけのものは、所詮何かを成すことができない。自らの意思、自らの覚悟。それらこそが、自らの道を切り開く力となるのだ」

 振り抜かれた刃が剛腕から繰り出される剣撃を弾き、その身体に斬撃を叩きつけて小さな傷をつける

 反応がないために、効いているのかいないのか判然としない無思考(ルスト)の反応を前にしながらも、マキシムは動じることなく斬撃と共に自らの力を撃ち込んでいく


 だが、無思考(ルスト)もただ圧倒されたままでいるわけではない。斬撃を受けながらも怯むことなくその両腕を振るい、マキシムに拳を叩きつける

 神器によって不可侵の存在となっているマキシムの堅固な護りを打ち崩す悪意の暴力が唸り、相殺された力が神威級神器によって神の領域に踏みこんでいる最強の聖人の身体を傷つけ、血炎を上げさせる


「――ッ!」

 その一撃の威力によろめいたマキシムだったが、地面が砕けるほどに強く踏ん張った足で態勢を留め、そこから攻撃を撃ち込む

「難しいな。自らの意志で立って生きるというのは……だが、だからこそ私はお前に負けるわけにはいかない」

 自身へと迫る神速の滅拳を紙一重で回避し、力の限り振るった斬撃をその首に見舞ったマキシムは、そこからさらに渾身の拳を無思考(ルスト)の腹部に打ち込む

 その威力に無思考の悪意そのものでもある保身の鎧が砕け、数歩よろめいて渾身の拳をマキシムへと叩き付ける


 絶対なる護りのマキシムと、傷つく身体を持たない自らを委ねるものセルフェンスト・ルスト。――二人の斬撃と拳が互いに激しく応酬され、衝撃と血炎と鎧片が舞い上がる

 純然たる意思によって必滅の一撃とかした攻撃が時間と空間を超越し、その神格によって神滅の神撃となってそれぞれを捉えて炸裂する


無思考の悪意(こいつ)は、どことなく聖人(我ら)に似ているのかもしれん。〝誰か〟に己の全てを委ねて、責任を放棄した無思考(こいつ)と、正義に固執する聖人(我々)

 いや、――戦う理由をなにかに求めた時点で、誰もがそうなるのかもしれない)

 自身へを繰り出される神速の拳を受け、その衝撃に耐えながら大剣を振るうマキシムは、保身の鎧で自らの姿と心を隠し守る巨人を見て心の中で思う


 マキシムの所属する種族である「聖人」は、九世界を総べる八種の全霊命(ファースト)の中で最も正義を重んじ、唯一民主制度を取る種族

 だが、正義に頑なであまりに潔癖する過ぎるその性質は、他の種族との軋轢を生みだす原因ともなってしまっている

 誰かに依存して思考を放棄する無思考の悪意と、正義によって全ての行動を成す聖人――そこには、紙一重の違いしかないのかもしれない


「――だが!」

聖人(我々)とこいつは違う)

 顔面に叩き付けられた拳の衝撃に身を仰け反らせ、血炎を零したマキシムは即座に態勢を立て直すと同時に斬撃を撃ち込み、その鎧の身体に小さな破壊を与える


(我々は、常に正義を執行する責任を戒め、誇りを持っている。選ぶことも、選ばないことを選ぶこともしなかったお前とは違い、自らの意志で何を選ぶのかを決めたのだ)


 自身が与えた傷で無思考(ルスト)の身体がさらに破損するのを見るマキシムは、横から飛来した鎧拳の一撃によろめき、血炎を零しながらも更に斬閃を撃ち込む


自らを殺すものセルフェンスト・ルストは、誰のためにも戦っていない。反逆神のためでもなければ、自分自身のためですらない

 こいつには、通すべき自分がない。ただ自分の全てを放棄し、全てから逃げ、全てに背を向けているに過ぎない)


 正義を寄る辺とする聖人の在り方を思い返し、拳撃の嵐を避けることなく受けながら斬撃を放つマキシムは、信念のない力を振るう無思考(ルスト)をその鋭い眼差しで射抜く


 誰かを理由に己の成すこと全ての責任を放棄している無思考の悪意を打ち据えながら、法と正義を理由に全ての行動を決めている聖人(自分達)を比べながら、それでもマキシムは自分達の正しさを信じる

 なぜなら、聖人は法を重んじ、それに準ずる正義を貫くことを選んだから。たとえそれが他の世界と違っていても、そうしたいと願い、そうありたいと思い続けてきたからだ


(我々は正義を信じ、我々の正しさとして貫くと決めた。法と正義を戦う理由にするのではなく、法と正義のために戦う自分であることを選んだ)


 何かや誰かを導とする(・・・・)のではなく、何かや誰かを導とすることを望んだ(・・・・・・・・・・)。――それは、一見似ているようで決定的な違いを持っている

 それは、神敵たる悪意と神理を隔てるごく薄く、しかく決定的な差。そして自分達の勝敗を分けるものがあるとすれば、それだと――そうでなければならないと、マキシムは魂の根髄で確信すらしていた


(困難も、不安も、我らの生きていく先にはいくらでもある。だが、自らがなにかを成さんとする意思を失ってはならないのだ

 身も知らぬ誰かやなんの根拠もないものに期待するのではなく、自分に何できるのかを考え、何がしたいのかを見つめる。無思考の悪意(お前)は、苦悩から解放される代わりに、大切なものを手に入れられない)

 自らを委ねるものセルフェンスト・ルストと戦うことで、悪意と向き合うマキシムは、その純然たる意思を微塵も揺らがせることなく、剣と拳を応酬させる

 力が火花として飛び鳥、衝撃が身体に叩き付けられ、捌き切れなかった力が身体を傷つけようとも、後ろに下がりそうになる足で前へ前へと進んでいく


(自分を救うのも、自分を愛することが出来るようになるのも、自らが自らのために何かをなそうとしたからばこそ)


 悪意と神の光の力の嵐の中剣を振るうをマキシムは、傷ついた自身同様にその鎧身に無数の罅と亀裂を奔らせている巨人を見据えてその目に憐れみの色を浮かべる


「そういう意味では、お前は憐れな存在なのかもしれないな」


 思考を手放すことで痛みや苦しみ、責任を放棄した代わりに自らが幸福になることも救われることもなくなった悪意を見据えたマキシムに、無思考(ルスト)は竜巻のように渦巻く悪を纏わせた巨腕を振り下ろす


(考えることを止めるな。生き残るために、勝つためになにが必要なのかを思考するのだ)

 自身へと迫る拳を見据え、相対する悪意へと抗う心の在り様を噛みしめたマキシムは、渾身の力を注ぎ込んだ大剣の刃を振るう

 その刃が拳をぶつかり合い、相殺しせめぎ合う力が弾けて極大の力の爆発となるよりも早く、マキシムは剣の柄から手を離して無思考(ルスト)の懐へと潜り込む


「オオオオオオッ!」


 渾身の力を以って振り抜かれたマキシムの拳は、これまでの斬撃と攻撃で傷ついていた無思考(ルスト)の亀裂を割り砕いて、その鎧身に突き刺さる

 それに一瞬身を震わせた無思考(ルスト)は、即座に悪意の力を収束させ、自身に拳を突き立てているマキシムに破壊の砲撃を見舞う


 無思考(ルスト)の砲撃を直接浴びたマキシムだったが、それに構うことなく拳を通じて滅敵の力を鎧の中に直接注ぎ込む

 不変の理を体現した身体で悪意の力を耐え凌ぎ、その渾身の力を直接その体内――身体のない空の世界へと放ち、自らを委ねるものセルフェンスト・ルストという存在を構築する神能()そのものを破壊せんとする


 互いの存在の存亡をかけた零距離の攻防。光と悪意が相殺し、拮抗し、せめぎ合う力の爆発が収まる――それは二人の戦いの決着を意味していた

 拳を突き立てられた自らを委ねるものセルフェンスト・ルストと血炎を立ち昇らせるマキシム。互いに睨み合うように向かい合って佇んでいた二つの巨影がゆっくりと崩れ落ちる


 全身に亀裂を奔らせ、今にも崩壊してしまいそうなほどになっている自らを委ねるものセルフェンスト・ルストは、その場で仰向けに崩れ落ち、微動だにしない

 その寸前で踏みとどまり、片膝をついたマキシムは、動かなくなった自らを委ねるものセルフェンスト・ルストを睥睨する


「――……ッ」

(仕留めきれなかったか……)

 だが、全霊命(ファースト)である自らを委ねるものセルフェンスト・ルストの身体がそこに存在しているということは、まだその命が健在であるという証

 気絶することがない以上、無思考(ルスト)もまた自身を見ているという確信を持っているマキシムだが、膝をついたまま立ち上がることはできない


「――っ!?」

 しかしその時、自らの傷が回復していくのを待ち、止めを刺さんとするマキシムの前で横たわっていた無思考(ルスト)の身体が膨張をはじめる

(なんだ、これは……!?)

 自身の眼前で、倒れた無思考(ルスト)が増大していく様を見たマキシムが驚愕に目を見開いた瞬間、膨張した無思考(ルスト)の身体が破壊の力へと変わり、極大の爆発となって炸裂する

 天を衝き、地を震わせ、空を裂いた破滅の悪意の力が収まった時、反射的に展開した光の結界で身を守ったマキシムは、粉塵の残るその後を見て苦々しげに眉を顰める

「これは、自爆というやつか?」

 存在の力そのものを用いているために、自分を殺せない全霊命(ファースト)がその戦術を行うなど、いかに王であるマキシムであっても予想だにできないものだった 

(なるほど……神能(ゴットクロア)で構築された自分の身体そのものを破壊の力へと転化したのか)

 自身を呑み込んだ無思考(ルスト)の破壊の力の原因を理解したマキシムは、周囲を見回して小さく舌打ちをする

「……逃げられたか。迂闊だった。神能()と霊衣でしか構成されていないのなら、こういうことができる可能性にも気付くべきだった」

 爆発の瞬間、無思考(ルスト)の首が胴から離れて離脱していくのを知覚と共に見ていたマキシムは、自らの失態に歯噛みする


 その身体が霊衣と同質のものである無思考(ルスト)は、自身の存在の核ともいえる魂を頭部だけ残して切り離すことで、この場を離脱した

 頭部のみを核として、分離したことで残った身体を力の塊――爆弾のようにして使うことができたのだと理解したマキシムは、周囲に無思考(ルスト)の存在を知覚できないことを確認して目を伏せる


 神の力の欠片に過ぎない不変箴言(ヴァルドゼグナ)には、神が有しているような因果を辿るような力はない。そして今から追うには傷を負いすぎている

 もはや自らを委ねるものセルフェンスト・ルストを追うことはできないと判断したマキシムは、勝利とはいえない苦い感情を噛みしめるしかなかった





「こんな戦いに何の意味があるのでしょうねぇ?」

 悪意を体現したかのような禍々しい形状の短剣を手にし、まるで玩具のように弄びながら言うのは、仮面で顔を隠した道化師を思わせる出で立ちをした人物――反逆神の神片(フラグメント)の一角「理想に縋るものアンク・リント・ロンギン」だった


 道化師を思わせるその姿に相応しく、仮面をつけた悪意がその手に携えた短剣を投擲すると、それはまるで意志を持っているかのように天空を奔り、その標的へと向かっていく

 その先にいるのは、身の丈にも及ぶ大槍刀を携えた男――妖界を総べ、その世界に生きる闇の全霊命(ファースト)――妖怪の王「虚空」だった


 最強の妖怪にして、神から生まれた唯一の原在(アンセスター)である虚空は、自身へと迫る悪意の短剣を大槍刀の一薙ぎで迎撃し、力の火花を散らす

 神威級神器「廃理提唱者(ベレスヴェイド)」によって神に等しい神格を得た妖界王の斬撃によって、理想に縋るものアンク・リント・ロンギンの武器たる短剣は粉砕され、力の欠片となって世界に溶けていく


「おお、罪業神の力に列なる力。自らを咎とし、攻撃したものを傷つけるばかりか、神の理の及ばない領域に自らを置くあなたに、私が勝つことなどできるのでしょうか?」

 虚空が行使する廃理提唱者(神威級神器)の力を正しく読み解いている悪理想(アンク)は、まるで劇を演じているかのようにわざとらしい口調で言う


 廃理提唱者(ベレスヴェイド)を発動した虚空は自らを神の咎としている。神の咎とは、神の理に反する力。神能(ゴットクロア)を含め、あらゆる事象と理の影響を受けず、それらを蹂躙することをこそがその力だ

 そんな〝神罪〟の欠片の力を発現した今の虚空に触れれば、神能(ゴットクロア)で構築された身体であっても傷ついてしまう

 加えて理を拒絶するその罪業の力は、神の神能(ゴットクロア)が創造した事象の干渉すら妨げることが出来るのだ


「よく言う。お前の力も似た様なものだろ?」

 自身の力を見透かし、仰々しく言う道化のごとき悪意に対し、虚空は険しい表情を向けたまま嘲笑めいた口調で言う

 それが、白々しいほどの演技にあるのか、先程の言葉に対してのものかは分からないが、仮面をつけた道化師を思わせる悪意は、それに口端を吊り上げて嗤う

「仰る通り、私の悪意は〝悪意の理想〟。自らは何もせず救われること、成功すること、幸福になること、特別であることを望み、世界が己の思うままにしたいと願う悪意

 虚飾した事実、捏造した情報――できもしないこと、ありもしないことを事実と信じ、(こいねが)うそれを司る悪意である私は、いわば〝現実逃避〟――思うままに世界を改竄することが出来るわけです」

 自ら、まるで知ら締めるように己の力を明かし、その力までをも得意気に説明した悪理想(アンク)は、大げさなほどの動きを以って空中で回転しながら虚空へと視線を流す


 「理想に縋るものアンク・リント・ロンギン」は、その名の通り理想を妄信する悪意。努力するわけでもなく、行動するわけでもなくなく、できる自分を想像することこそすれど、それが現実であればいいと願うだけの空虚な悪意

 なにもない。ただ、叶えばいいと願い、現実がそうであればいいという虚像を現実に重ねるだけの心を体現した存在だ


「ですが、私の悪意は現実に虚妄を願うだけ。世界の真理を改変するようなことはできないのです。ですが、百万の嘘は一つの真実を覆い隠し、知りえない人の意識と認識を捻じ曲げることが出来るのです」

「……難しい話と言い回しは疲れるんだが?」

 劇的な言い回しをする悪理想(アンク)に虚空が辟易した口調で言うと、それを聞いていた仮面の道化師は、小さく喉を鳴らして姿勢を正す

 しかしそれは、自身の言を理解していない虚空に対する嘲笑ではない。悪意(自分)の言葉を正しく意に介さないその姿勢に対する純粋な賞賛だ

 悪意は人に感染し、人を堕落せしめる。その言葉を聞きながら、強く己を保ち、正しくあらんとする高潔なありかたこそが、悪意と相対するうえで重要なことなのだ

「フフ……失礼。要は、事象の認識を捻じ曲げることができるということです。例えば、自身の存在を、自分とは別のものとして固定化させる、などでしょうか?」

 基本的に自らの力で作り出した繭の中にこもっている妖怪の王の言葉に、悪理想(アンク)は芝居がかった所作を交えて応じる


 かつて、理想に縋るものアンク・リント・ロンギンは、十世界に所属していた人間――「ジェイド・グランヴィア」を別の身体へと移し替え、同一でありながら別の人間として存在を確立させている

 それは、悪意の力によって自らの存在を、それとは異なるものとして世界の断りを捻じ曲げたが故に可能だったこと。別の存在を、対象(ジェイド)の身体として定義したからこその結果だ


「そうか。なら、否定できないほどに絶対的な事実をぶつければいいってことだな」

 二重螺旋が絡みついたような柄をした大槍刀を振るい、切っ先を向けた虚空が厳格な声で言うと、それを聞いた悪理想(アンク)は、仮面越しに見える目を細めて剣呑な光を灯す

「やはり、あなた方王は厄介な存在です。私達悪意は、心の中にある弱さに目を背けることによって生じる卑屈で姑息で、卑しく浅ましい弱さ。

 故に神の敵対者の眷族である我々悪意の本質は、常に〝敗者〟なのです。ですが、あなた達は悪意へと堕ちる前の弱さを受け入れ、前を向こうとなさる。その心の在り様は、我々悪意にとって天敵と呼ぶべきものです」

悪意(お前達)に褒められてもどうかとは思うが……ま、悪い気はしないな」

 悪理想(アンク)の言葉に目を伏せて独白した虚空は、その言葉に不敵な笑みを浮かべて応じる

 神の敵対者であるが故に、神に最も近い全霊命(自分達)への敬意と友愛に満ちた敵対意識を告げる悪意に、虚空は静かな声で応じる


 全霊命(ファースト)であろうと、心の弱さはある。故に全霊命(ファースト)であってもそれに負けることはある

 そのため、弱さへの逃避と歪んだ正当化である悪意が、勝利することもあるが、悪意の本質は心の弱さから目を背けることで生じるもの

 故に、同格の存在同士で戦えば、神格も力も等しいはずなのに、悪意は敗北する。それが、〝敵対者〟というものだからだ。ましてや、それが神に最も近く、神に最も似ている存在(もの)を相手にすれば不利になることは否めない


「しかし! こうなってくると、あなたに勝利するという理想を叶えたくなりますね」


 一部では勝てても、全体で勝利できない敵対者という敗者である身でありながら、神に最も近い己の存在に勝利をもたらさんと欲する悪理想(アンク)は、自身の周囲に無数の凶短剣を顕現させる

 道化のようなその言葉に秘められた純然たる悪意と敵意を感じ取った虚空は、口端を吊り上げて笑みを浮かべる


「恐れ多いぞ。……やってみろ」

 笑うようなその表情とは裏腹に、射抜くような険しい鋭さを帯びた視線を向けた虚空はその言葉と共に、神の力の欠片を得た大槍刀を振るって悪理想(アンク)へと向かっていく

 神速で肉薄し、虚空の大槍刀の斬撃と、踊るように宙を舞う悪理想(アンク)の無数の短剣が炸裂し、神罪と虚妄の悪意がその力を爆発させる


「……くっ」

 身体に生じる傷――神罪による罰科の衝撃に苦悶の声を漏らした仮面の悪意は、自らの身体を構築する神能()の理が引きちぎられる痛みに身を退く

 仮面をつけたその視線の先に、無傷のまま追撃の斬撃を見舞わんとする虚空の姿を捉えた悪理想(アンク)は、しかしそれに怯むことなく不敵な笑みを浮かべる

「――私の刃が、あなたに突き刺さっていれば(・・・・・・・・・)いいのに(・・・・)

「っ!」

 悪理想(アンク)の口からありもしない妄想のごとき願望が告げられた瞬間、虚空の身体に、すでに突き刺さった(・・・・・・・・・)状態の(・・・)短剣が生じる

 世界の認識を捻じ曲げ、すでに突き刺さったものとして事象化された短剣を突き立てられたことで追撃は止まるが、その刃は神罪と化した虚空を攻撃した罪によって自壊し、消滅する

「……無傷ですか」

 先程まで短剣が突き刺さっていたにも関わらず、一切目に見える傷を負っていない虚空に、悪理想(アンク)は肩を竦める

 一見傷はなくとも、同等の神格を持つものによる攻撃は、確実に神威級神器を発動させた虚空にダメージを蓄積していることを知っている悪理想(アンク)は、叛意と同等の戦意を以って、無数の短剣を従える


 数えることが馬鹿らしくなるほどの数の短剣を顕現させ、大河か嵐のように渦巻くそれを従える理想に縋るものアンク・リント・ロンギンは、反逆(リベリオン)の力で輝く剣群を妖界王・虚空へと向けて放つ


 荒ぶる龍のようにも、押し寄せる波濤のようにも見える剣群が神速を以って迫ってくると、虚空は神の域に達した自らの力を注ぎ込んだ大槍刀を振るって、一つ一つが実現しない理想を求める悪意によって染まった力の集合体を迎撃する


 犯すことが出来ないが所以、触れるもの全てを根源から破壊する神罪と、神を殺すことを望む悪理想の力がせめぎ合い、砕け散ると同時にそこに込められた力が無軌道に放出される

 純然たる意思が世界に破滅がもたらし、渦を巻いて天を衝く力が虚空と理想に縋るものアンク・リント・ロンギンを呑み込んで世界を塗り潰していった





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ