MALICIOUS CRADLE:光華と光輪
「まったく、男どもの戦いは野蛮でいけないわ。――そもそも、この戦いは破壊神が復活するためのものであって、私達の戦いなんてなんの意味もない」
果てのない暗黒世界の各所で行われている九世界の王達と悪意の戦いを知覚し、辟易したように肩を竦めた女性がその視線をゆっくりと戻す
緩やかに波打つライトブラウンの髪を持つその女性――反逆神の神片の一角「普遍を望むもの」は、艶めいた笑みを浮かべ、その手に携えていた茨の鞭を振るう
「だから、こんな戦い適当にやって、あっちが終わるのを待っていればいいのよ」
神速で空を迸り、さながら槍のような一閃となったその茨鞭の先端はその目標へと到達し、光の結界に阻まれて炸裂音と衝撃波をまき散らす
「そうは思わない?」
「思いません」
鞭の衝撃波に紛れて聞こえてきた普遍の悪意に満ちた誘惑の言葉に、光の結界でそれを阻んだ「天上界王・灯」が鋭い声で応じる
神威級神器「「輝煌天冠」によって神に等しい神格を得た最強の天上人は、聞く者の心を清めるような澄んだ声で戦意を告げる
「あら、残念だわ」
瞬間、鞭から注がれる悪意の力が、灯の展開する結界を錆び腐らせ、その強度と力を奪っていく
「っ」
その一撃が結界を破壊するよりも早く、その身に纏う羽衣の武器で茨のように無数の棘を生やした鞭を弾き飛ばした灯は、もう一つの武器である金色の剣を振るって光の斬撃を放つ
灯が放った極大の光の斬波動が神速で押し寄せてくるのを見て取った普遍は迫りくるそれを前にしても何ら動じることなく、その身で甘んじて攻撃を受ける
「いやだわ。怪我をしてしまうじゃない」
その身に灯が放った純然たる意思を持つ攻撃を受けながらも、無傷で佇む普遍は、身体にまとわりついているように感じられる浄光を煩わしげに払う
「やはり効きませんか」
(〝変化を拒む〟普遍の悪意の力――厄介ですね)
何度か目の攻撃にも関わらず、自身の攻撃を防ぎ続ける普遍の力に、灯はその視線に剣呑な光を灯す
神敵「反逆神・アークエネミー」の十の眷族の一人である「普遍を望むもの」は、変化を嫌い、永遠に変わらない安定を求める悪意
とはいえ、変化を拒み、変わらぬことを求めること自体はごく普通の考えであり、悪意ではない。普遍が悪意たる理由は、変化を拒むために、変化をもたらす他者を貶めるためだ。
何もしないことに理由を付けて正当化し、何かしないことを他者や世界や時代のせいにして自らの自尊心を守り、他人の挑戦、努力を嘲笑し、非難の眼差しを向ける。
その悪意を体現する「普遍を望むもの」の力は、自らの変化を拒むことで傷などを受けず、またなにかを変えようと誰かが飛び立とうと羽ばたかせる翼をもぎ取ろうとする意思のように、相手の力に毒のように堆積し、常態的にその力を殺いでいく
「ねぇ、あなたは世界が変わって――いえ、正常に戻ってほしいの?」
「……!」
神速によって世界の理を超越す、自身へと肉薄してきた灯の斬撃を茨鞭で受け止め、光と悪意の火花を散らす普遍は、悪意に色づいた不敵な笑みを浮かべて問いかける
「今、異なる種族同士に愛情が生まれるのは、世界が歪んでいるからでしょう? 破壊神が一柱に戻ってしまえば、それはもう生まれなくなってしまう
その世界では、その最大の被害者であるあなたは――本来生まれるはずのない光と闇の混濁者であるあなたは、とてもとても生きづらくなってしまうのではないかしら? 今以上に」
その甘い言葉は、戦意を挫き、諦めを生み、堕落をもたらす普遍の悪意の力を以って、灯の心に染み込んでいく
行動しないことに理由を付けて正当化する。するためではなく、しないために理由を付け、そしてその理由を自分の外に求めるその悪意の力が、言葉と共に灯の心に染み込んでくる
「そうですね」
反逆の悪意の力を帯びたその言葉は、全霊命の心に毒のように染み込んで、その力を維持するべき心を迷わせ、その力を殺ぐ力を持っている
だが、灯の揺るぎない意志は、その堕落の誘惑を受けても動じることなく、その力を十全に振るい、剣から放たれた光の波濤を普遍へと撃ち込む
「ですが、それはとても素晴らしいことです。私のように苦しむ人がもういなくなるのですから」
「――理想的な解答だわ。それはとても正しい」
神輝の力に吹き飛ばされた普遍は、同等の神格によって、変化を拒む自らの存在に傷と死を与えんとする力に身魂を軋ませながら抗いつつ言う
その攻撃を無傷のまま耐え凌いだ普遍が微笑と共に紡いだその言葉は、灯への嘲笑が入り混じった皮肉そのものだった
確かに、世界の歪みが正されれば、今後異なる全霊命達の間に愛情が芽生えることは無くなり、混濁者も生まれなくなるだろう
だが、すでにこの世界に生まれてしまった歪みが正されるということは決してなく、すでにこの世にある混濁者達、そして〝最も忌むべきもの〟として疎まれる灯は、正しくなった世界で死ぬまで異常な存在としてあり続け、羨望と憧憬を送ることになるだろう
「けれど、それがあなたの本心なのかしら?」
舐めるように紡がれたその心を試すような言葉と共に悪意の力を注ぎ込まれた鞭がまるで生きているようにしなり、灯へと向かって一直線に放たれる
自身へと迫る鞭の一閃を光の結界で迎撃した灯は、その表情に一瞬穏やかな表情を浮かべて応じる
「ええ、そうですよ。そして私は、それを妬ましく思い、羨ましく思います」
自らがこの世にあってはならない存在であることを正しく受け入れ、その上で他者の幸福のために道を切り開くために戦うことが出来る高潔な意思を持つ天上界の王が力を喚起する
灯の力に応え、普遍の周囲に無数の光輪が出現し、そこから一斉に極大の光の砲撃が撃ち込まれる
天上人の証である光輪を光冠へと変えた灯の力が収束した極撃が、全方位から普遍へと撃ち込まれ、滅輝の煌きを生み出す
「いかにあなたが、変化を拒む力を持っていようと、同等の神格を持つ今の私が連続で攻撃を撃ち込めば、その力を突破できるはず」
それでも気を緩めず、追い打ちをかけるように灯の周囲に出現した三つの光輪から放たれた光が縒り合わさって一つに結ばれ、更なる光撃となって普遍を捉えて炸裂する
それだけではなく、その身体から放たれた無数の光が流星群のように降り注ぎ、駄目押しとばかりに連続の爆発を巻き起こす
灯が放った一撃一撃が純然たる滅意を込められた神撃。刹那すら介在できないほどの時に打ち込まれた攻撃が暗黒の世界を光で塗り潰す
(これで効かないのなら……)
数の概念を超えて撃ち込んだ攻撃によって生じた眩い光の氾濫が徐々に収まり、そこに込められた純然たる意思の名残が、まるで世界の断末魔のように空間を揺るがせている
外的な力の影響による変化を拒むことで、あらゆる攻撃を無力化しようとも、同等の神格を持つ灯の攻撃を防ぐためには、普遍もそれに対して意識を研ぎ澄ませる必要がある
一撃ならそれで無傷で凌ぐことができたとしても、連続でその攻撃を受ければ、力の対抗は間に合わないと考えてのことだった
「……!」
しかし、そんな灯の期待を打ち砕くように、光塵の中から姿を現した普遍を望むものは、その身に傷一つ負っていなかった
「〝運命〟を支配する力。ふふ……今の攻撃は危なかったわ。もしかしたら、あれで殺されてしまっていたかもしれないわね」
瞠目する灯の反応を愉しむように、悪艶な微笑を浮かべた普遍は、嘲笑めいた口調で言う
天上界王・灯の持つ神威級神器「輝煌天冠」は、神としての存在と因果を与える力を持つ変化しえない運命を司る力を持っている
変化しえない運命とは、出自や存在。誰もが望んで自分として生まれてこないように、人には選ぶことができない運命というものがある。もし、それを操ることができたなら――「輝煌天冠」は、そのもしもを叶えて実現する力を持った神器だ
その力によって、神という存在として生まれ直した灯は、神位第六位の神格を有し、その存在を仮初の神として確立している
そして、その神威級神器の力を用いた攻撃は、変えることが出来ない運命を変える力とは対照的に、変えることのできない運命を変えられないものへと変える力。
即ち、回避や防御を運命的に無力化し、自身の攻撃を確実に命中させることが出来る。それによって、命中させた光撃の嵐も、その力の前に無効化されてしまった
しかし、自身の渾身の攻撃を無傷で凌がれた灯の表情には、悲壮や絶望の色はない。むしろ静かに落ちついた表情で普遍の姿を見据えていた
「ようやく理解しました。――ここにいるあなたは虚像なのですね」
「――! あら、気付いてしまったの?」
灯の口から紡がれた言葉に、普遍はわずかにその目を細めて剣呑な眼差しを聡明な天上人の王へと向ける
「おかしいと思っていたのです。同格の神格を持つはずの私の攻撃が、こうも一方的に効かないなんて……相殺しているにしては割合が変でしたから」
「なるほど。先ほどの攻撃は、それを確かめる目的もあったのね」
自身の力――その本質を見抜いた灯の抑制の越えた声での指摘に、普遍は感嘆と理解の入り混じった声で応じる
全く同等の神格を持つ存在が戦う時、いかに強力な能力を持っていようとそれは相殺されてしまうのがこの世の理
意識を集中することで自身の力の効果を優先させることはできるが、それも〝一撃〟や〝一時的〟といった限られた範囲でしかない
先ほど灯がおこなったような連続攻撃を攻撃を、無効化する力だけで耐えきることは絶対に不可能だ
「そうよ。私の〝普遍の悪意〟は、二つの側面を持つ悪意なの」
自身の力の本質が見抜かれたことなど意にも介さず――むしろ、それすらも愉しんでいるかのように、艶めかしい所作で言の葉を紡いだ普遍は、天を仰ぎながら視線だけで灯を睥睨する
「普遍を求めるもの――つまり、変化を拒むのはどんな人か分かるかしら?」
「力や権威を持つ者……あるいは、普通以上の方でしょうか?」
普遍の問いかけに、一瞬思案を巡らせた灯は、自分なりの答えを述べる
本来ならこのような問答に付き合ういわれなどないが、変化を拒み、能力を殺いでくる力に加えて別の力があるとすれば、それを知るいい機会であり、対処方を考える一助となるかもしれないという思いから灯〟はそれに応じることにする
「そうよ。大正解。さすがは天上界王ね。普遍を求めるということは、変化を拒絶するということ。そして、その心の根底にあるのは、〝自身が追い落とされ、下に落ちてしまうかもしれない〟という恐怖」
そんな灯の考えなど見通しているだろうが、普遍は構わず喜悦めいた悪意に染まった表情を浮かべて言う
「誰だって、力や地位を持っていれば失うことを恐れるもの。それは、あなた達であっても同じでしょう。けれど、私の悪意の本質は、自らが努力や対価を払うことなく地位を守り、自らの下にいる者達への優越感を守ること
〝普通が一番〟なんて言っておきながら、本当は経済的、能力的に下にいるはずの誰かが、自分を追い越していくことを阻む悪意なのよ」
普遍の悪意は、変化を拒むものであるのと同時に、自らが下に落ちないため、負けないために、勝とうと昇らんとするものの頭を踏みつけにして蹂躙するもの。
常に自分の下に誰かがいることを求め、自らが研鑽することなく他者の努力を貶めるという側面を持っている
故に、普遍の悪意は一つの力で二つの側面から力を発揮する特異にして悪辣な特性を持っている
「だから、私の力は、私の神格が及ぶ限り、〝私よりもその力を上にしない〟の」
「……弾圧の悪意」
得意満面な笑みで言う普遍の言葉に、それを理解した灯は、嫌悪感を滲ませた声で独白する
普遍の悪意――「普遍を望むもの」は、自らの変化を拒むと同時に、相手の力が自分を越えないように干渉している
その二つの力が作用する結果、同等の神格を手にした灯の攻撃に対し、極めて優位に戦いを進めることができているのだ
「悪意の中では、〝純悪〟が警戒されがちだけれど、あの二人は悪質で悪辣なだけで、別に最強というわけではないのよ。むしろ、この私の悪意の方が単純な戦闘力という意味では上かもしれないわね」
自らの身体とその武器である鞭に悍ましい色をした悪意を絡ませた普遍は、灯を見据えて不敵で悪辣な笑みを浮かべる
神敵たる悪意の中に於いて、突出して忌み嫌われ、恐れられるのは悪意の眷族しか持ちえない悪意を司る「純悪」――「自らを殺すもの」と「狂楽に享じるもの」の二人
だが、その二人はあくまで悪意にしかない嫌悪の対象でしかなく、凶悪な能力を持ってこそいるが、他の悪意よりも強いというわけではないのだ
「あなたの信念は、普遍の悪意を越えられるかしら?」
「――っ!」
その言葉と共に普遍が手にした鞭を振るうと、反逆の力を帯びた一条の黒閃が迸り灯を打ち据える
その身に纏う薄桃色の羽衣が自動でそれを防御し、金色の剣を構えた灯は神速の光となって普遍へと迫ると、横薙ぎにその胴を薙ぐ
運命を総べる神器の力によってその一撃を対処不能の神撃とした灯の斬撃が普遍を捉え、その刃に宿った純然たる意思を帯びた輝きが天に横一文字の軌跡を刻む
しかし、金色の斬閃を受けた普遍は、その口元に不適な笑みを浮かべると、悪意の力によって傷一つ負うことなく口を開く
「――無駄よ。変わることが正しいとは限らない。ただ、変化だけを求めるのならば、それもただの悪意に過ぎないのだから」
自身の身体に打ち付けられたまま沈黙した剣を携える灯を見据えて告げた普遍は、茨鞭を叩きつけて天上人の王を吹き飛ばす
羽衣による自動の護りと、反射的に展開した結界によって普遍の一撃を防いだ灯は、力を介して伝わってくる力にその美貌をわずかに歪める
「!」
しかし次の瞬間、攻撃を与えたはずの普遍の胴――先程灯の斬撃を受けた部分が裂け、そこから血炎が噴き出す
(これは……さっきの)
自身の悪意がその力を受け止めきれず、身体に傷として顕現したのを見て取った普遍は、小さく目を瞠ってこの攻撃を撃ちこんだ光輪を戴く王を見る
「あなた――」
同等の神格を持っている以上、その攻撃が自分に通ることは何ら疑問ではない
だが、この戦いが始まってから、おそらく初めてと言えるほど決定的な傷を受けた普遍の狼狽に、灯は厳かな面差しで応じる
「いかに変化を望まなかろうと、永遠の停滞はこの世界にありません。世界に目を背け、その場に居座り続けるだけでは、世界に置いて行かれるだけです
私はそのことを身に染みて知っています。蹲っているだけではなにも変わらない。変えようと、変えないようにと踏み出さない限り、あなたはただ世界を指を咥えて見ているだけしかできません」
いかに変わらないことを望み、変わることを阻もうとも、先へと進もうとする者達の意思は往々にしてそれを越えていく
普遍の悪意は、変わらないことを求めているが故に変わることが出来ない。ならば、人が、世界が、変わろうと歩み続ければ、その不変の理を越えることができるのは道理だ
「この戦いの中で、更に先へ進もうというの――!?」
灯が自分に攻撃を通すことができた理由を理解した普遍は、驚愕に目を見開いて声を漏らす
全霊命――まして、完全存在と呼ばれる神の力は完成しており、成長したりすることはない
それは、神威級神器を使っている灯であっても変わらない。だが、灯は自らの思うままに世界を創造し滅ぼす神能の力と、変えられない運命を変える神器の力によって、今よりも高見にいる自分を想像し、この世に具現化したのだ
「あなたの悪意は、世界の進みに追いつくことが出来ますか?」
ただ現実を非難して自らの安寧を守らんとする悪意の化身たる普遍に対して言い放った灯は、金色の剣に神光の輝きを宿す
「意地の悪い人ね。それをしないのが悪意でしょう?」
自身へと肉薄してくる灯に自身の矜持を嘲笑めいた笑みと共に述べた普遍は、金色の斬撃を茨鞭で受け止める
本来生まれるはずのない存在――〝最も忌まわしきもの〟として生まれながら、自らの存在を見失うことなく、天上界の王として信を集める天上人の王の、悪意とは無縁の輝くように清廉で高潔な意志を宿す光を受け止めた普遍は、そこから伝わってくる力の圧にその美貌を歪める
次の瞬間、どちらからともなく飛翔し、その間合いを無にした灯と普遍――運命を支配する輝きと変化を拒む悪意の力がせめぎ合い、暗黒の世界の空に強大な力の奔流を巻き起こした
※
乳白色の翅を広げ、虹のような極彩色の軌跡を描いて天を飛翔するのは、神威級神器「界上解杖」によって、神の領域にまで己の存在を高めた精霊――「妖精界王・アスティナ」
蝶のそれを思わせる乳白色の翅を広げ、自身の武器である長杖を携えたアスティナがその力を収束し、極光の砲撃として放つ
神速で世界を穿つ神撃の光の束が一直線に向かうのは、その周囲に影のように悍ましい悪意のカゲロウを従える小柄な少女――悪意の神片の一欠片「弱さを振り翳すもの」
だった
大きな帽子をかぶり、一見無害で天真爛漫にみえるあどけない少女は、不敵な笑みを浮かべるとその手に携えた大きなぬいぐるみを構える
「――おいで」
悪意を注ぎ込まれたツギハギだらけのぬいぐるみは、そのつなぎ目から悪意の塊を放出し、まるで巨大な手のように形作ってアスティナの砲撃を打ち払って消滅させる
打ち消された光の力に込められていた純然たる意思の残滓が嵐のような爆風を生み出し、悪弱のツインテールを揺らす
(やはり駄目ですか……あの厄介な武器を何とかしないことには、まともに私の攻撃も効きませんね)
空中に佇み、無邪気で悪意に満ちた笑みを浮かべている弱さを振り翳すものを見据えてアスティナは思案を巡らせる
(それにしても変わった武器ですね。特異型なのでしょうが……)
剣呑な光をその瞳に灯すアスティナの視線の先では、悪弱が手にしたぬいぐるみのツギハギからあふれ出した悪意の靄が、人型を形作っていく
悪弱が持つツギハギのぬいぐるみは、その力の媒介――いわば、武器のようなもの。そしてそこからは、悪意が形を持って現れる
陽炎のように揺らめき、汚泥のように堆積し、集まって形を自在に変える。――それによって生み出された人型は、直立せずに四つん這いになると、そのまま空を這うようにしてアスティナへと襲い掛かってくる
「――っ」
それを見たアスティナは、背筋に奔るおぞましさを振り払い、純然たる意思の下に統率された光の力の砲撃によってそれら浄滅させていく
煌めく光が天空に無数の星々を生み出し、闇色の空に溶け込むような色をした這いずるものがその中で消滅していく
「ふふ」
しかし、それを見ても悪弱は微動だにせず、手にしたぬいぐるみからさかなる数の人型を生み出していく
それらは折り重なり、一つに混じり合うと悪意の波となってアスティナへと襲い掛かる。天を覆いつくさんばかりに高く、逃げ場もないほどに広く広がったそれがアスティナに影を落とす
自身の武器である長杖を構え、その先端に収束した光を極大の砲撃として放ち、広げた乳白色の翅から舞い散った鱗粉のような光を流星群へと変え、上下左右から迫る悪意の波を迎撃する
しかし、圧倒的な速さと質量、同等の神格を有する悪意の波は、アスティナの攻撃でも相殺しきることは叶わず、神器によって神に等しい神格を得たことで小さな太陽のような輝きと存在感を持つ日輪の妖精王を呑み込んでしまう
「……!」
それを見ていた悪弱は悪意に彩られた微笑を浮かべるが、次の瞬間にはその表情は凍り付き、自身の眼前へと迫る日輪の翅を瞳に映していた
悪意の波渦に呑み込まれながらも、その中をまるで何事もなかったかのようにすり抜けて肉薄してきたアスティナが杖の先端に光を収束し、剣とも斧とも取れる刃の形状を形作るのを見止めた悪弱は、
ツギハギのぬいぐるみからあふれ出す悪意を腕のように押し固める
それが早いか、アスティナが最上段から袈裟懸けに振るった光刃の斬撃が閃き、悪弱を捉えて光を迸らせる
「っ、痛~い」
暗黒色の空に光源が出現したかのような輝きが閃き、極大の光爆として炸裂すると、そこから飛びずさった悪弱は、悪意の力が押し固められた腕から伝わってきた衝撃に、そのあどけない顔を歪める
その隙を逃すまいと、アスティナは自身の武器である杖、そして神威級神器たる杖の二本を束ねて極大の神光砲撃を放つが、それは蠢いていた悪意の波を束ねて作り出した壁に阻まれて相殺するにとどまる
「むう……世界を操る神器の力は厄介ね」
頬を膨らませ、不満を露にした悪弱は、煌めく光を従えるアスティナを見据えて独白する
アスティナの神威級神器である「界上解杖」は、自らと他の〝世界〟を操る力を持っている
自らの存在を神としての世界へと高めることで神の力を与えるその神器の力を使えば、今自分が存在している世界と、攻撃や能力が干渉する他者の力がある世界を隔てることで、あらゆる攻撃を届かないようにすることができる
その力を持たないものが他の世界を知ることさえできないように、自身を呑み込み程の攻撃も触れることはなく、相手の懐の世界へ移動することなど尚造作もない
「あなたの力も似たようなものですね?」
機を窺い、渾身の世界の力を使って仕掛けた攻撃を防がれたアスティナは、余裕めいた無邪気な笑みを浮かべる弱さを振り翳すものを見据えて淡泊な声で言う
「そうだよ。私の悪意は、弱者や少数派がそれを盾に、努力することなく強者の権利と財産を略取する力
私の力の本質は、弱さや守られるべきものという立場に甘えて強調して利用し、被害者の顔で大きな声をあげて誰かの努力と功績を当然のように手に入れ恩恵にあずかる――だから、悪意の弱者達は、勝敗も優劣も決めない。戦いの土俵にすら立たない」
そして、アスティナのその言葉に対し、悪弱は、なんら悪びれた様子もなく、むしろ得意満面な笑みで言葉を並べていく
弱者の悪意とは、〝弱さを振り翳すもの〟の名が表すように、弱さに甘んじ利用するもの。
故に、決して自ら勝ち取るために努力することはなく、誰かがなにかを成すのを待ち、被害者や犠牲者といった弱者の顔でその恩恵を当然のように自分のものとせんとする悪逆な意志
故に、悪意に満ちた弱者は戦場に立たない。努力することなく、競うことなく、勝敗優劣を決めることから逃げ、自分にはなにもできない、何もする力がないと言って何もしないことを正当化する
「弱者の悪意は、戦わない。だから、私はここにいても戦っていない。そんな私に、攻撃が届くことはないのよ」
そして、そんな弱者の悪意を体現した存在である弱さを振り翳すものは、自らが戦う場所には立たない存在であることを悪意に満ちた無邪気な笑みで告げる
「なんと悪辣な……」
それはつまり、弱さを振り翳すものという存在が、戦いという概念の及ばない場所、世界に存在していることを意味している
アスティナが純然たる意思を以って決死の戦いに挑もうとも、悪弱はその場に存在しない。アスティナが戦っているのは、弱者の悪意の化身の本質たるが故にそこに実在しないものだからだ
「ならば、あなたを私の力で戦場に引き摺り出すだけです」
唾棄するべき悪意の言葉に嫌悪感を滲ませたアスティナは、その表情を凛と引き締めて言う
弱さを振り翳すものがここ――戦いの世界線――に存在しないのなら、世界を司る神器の力によって、戦いの世界へと引き摺りだせばいい
「なら、私はただ外の戦いが終わるまで戦げ続けるだけよ」
その言葉を受けた悪弱は、これまでの戦いで受けたアスティナの神格で軋むような痛みを残している自身の身体を一瞥し、その大きくあどけなさを感じさせる目を細める
同等の神格を持ち、なおかつ〝世界〟を象徴する神威級神器を持つアスティナならば十分にそれができることを理解している弱さを振り翳すものは、不敵な笑みを浮かべて応じる
世界を越える神の力を持つアスティナと、その世界に身を置かない悪意を持つ弱さを振り翳すもの――同等の神格を持つ二人の力が己の世界を実現させんと互いに干渉し合い、暗黒の世界の空に不規則な亀裂と衝撃を生み出す
乳白色の翅を広げて光の閃光を放つアスティナと、ツギハギのぬいぐるみからあふれ出す悪意を束ねて自在に形を作る悪弱が激突し、暗黒色の空に覆われた世界を揺るがす
「――っ」
ぶつかり合う力と共に交差したところで、アスティナはその身に受けた傷の痛みに美貌を歪める
だが、それと同時にアスティナと力を交えた悪弱もまたその身に傷を刻み付けられ、血炎をくゆらさせていた
「届きましたね」
戦いの場に現れない弱者の悪意を世界を総べる神の力の欠片を以って手繰り寄せ、この世界線へと合流させることに成功したアスティナが厳かな声で言うと、それを聞いた悪弱は口端を吊り上げて嗤う
「……でも、まだまだだよ!」
その身から悪意の力を迸らせ、自らが何かを成すことなく他者の功績を手に入れんとする「弱さ」という悪辣な強さを滾らせた悪弱は、その身に纏った力を腕のようにしてアスティナへと叩き付ける
戦い、活路を開かんとする世界の光と戦わずして本懐を果たさんとする悪意――相反する戦意を宿す力を有す二人は、それぞれの神意を果たすためにその力を振るうのだった