光魔神覚醒
「――ぅ」
闇に閉ざされていた視界が徐々に光を取り戻すと、大貴は自分が見たこともない世界に佇んでいることに気付く
どこまでも広がる平坦な景色。天は黒を凝縮したような闇色、大地は枯死したかのような白灰色。神臓の光さえ存在しないというのに、この空間は不思議と明瞭な視界を確保できていた
「ここは……」
「暗黒神様による世界創造です。闇の力で、神域を作り出されたのでしょう」
小さく漏れたその呻き声に視線を向けた大貴は、そこに横たわっている十世界盟主――「奏姫・愛梨」を見止めて慌てて駆け寄る
「しっかりしろ」
ほとんど反射的にその傍らに駆け寄り、貫通された腹部の傷から血炎を立ち昇らせている愛梨を抱き起した大貴は、その弱々しい面差しに言葉をかける
仲間と信じた者に裏切られ、仲間達を壊滅させられ、十世界盟主ではなくなった愛梨は、大貴の腕に抱きすくめられると、その温もりに安堵したように頬を綻ばせる
「こういうこともあると覚悟はしていました。ただ、信じるだけで人は信頼を向けてはくださらない――ただ、信じなければ……信じようとしなければ、きっと誰も私を信じてくれないと思っていました」
大貴の腕に抱きあげられた愛梨が苦しそうな表情で声を絞り出すと、口端から漂っていた血炎がその息に混じって揺らぐ
「その結果がこれです。私一人ならまだしも、私に力を貸してくださった多くの方々まで巻き込んでしまって……」
沈痛な面持ちで言う愛梨は、腹部に大きな穴を穿たれた身体を大貴に委ね、まるで最期の思いを託さんとするかのように、後悔と謝罪の言葉を述べる
「そんな事言ってるよりも、傷を治せ。神器ならできるだろ」
それが遺言のように感じられた大貴は、胸を締め付けられるような感情のままに愛梨に言う
十世界という組織と理念を利用していたゼノンに傷つけられたが、大貴はただ懸命に人を信じようとしただけ愛梨の姿勢を愚かしいとは全く思っていない
むしろ、信じたのにも信じてもらえなかったことへの憐れみと同情が先に立ち、このまま死んでも構わないなどとは思えなかった
「無理です。神につけられた傷を神器で治すことはできません」
しかしそんな大貴の言葉に、愛梨は諦めたような声音で言う
「それに、ゼノンさんが得たのは、あらゆるものを破壊する裂砕神様のお力。かの神の御力は、私の神格を砕き、能力を破壊し、私の持っていた神器も全て破壊してしまいました――ですから、私はもう神器を使うことはできません」
「!」
愛梨の口から紡がれた自身の死を確信した言葉に、大貴は思わず息を呑む
神の攻撃は全て不可逆。全霊命の神能でもそうだが、神格を持つ攻撃は、同等以上の神格を持たない限り、永続的に回復を不可能とする特性を持っている
故に、神位第六位の神格を持っている神の力による破壊は、神位に至っていない愛梨、そして神威級ではない神器の力で回復させることは不可能
神威級神器を発動した上で神器を使えば生存の道はあっただろうが、ゼノンが神化した「裂砕神・ブレイク」の神力は、愛梨の神格を砕き、全ての神器を使えるという能力を失わせたばかりか、保有していた神器の全ても破壊している――それはつまり、愛梨に成す術はないということだった
「ですから、私はもう助かりません」
「諦めるな。なら俺が――」
その時、大貴の言葉を遮って自身を抱え上げている腕にそっと手を添えた愛梨の身体に亀裂が奔り、光の粒子を立ち昇らせていく
それは、全霊命の命が潰えた証。自らの存在を維持できなくなり、神能となって世界に還っていく死の表れだった
「光魔神様。――私は、間違っていたのでしょうか?」
それを見て左右非対称色の双眸を揺らす大貴に、愛梨は訴えるような眼差しを向けて震える声で問いかける
信じようとした者の手で死に臨し、気付き上げてきたものを失い、叶えようとした理想を否定された愛梨の嗚咽にも似た声音が、大貴の胸を打つ
「争いのない世界を作りたい。誰もが幸せに笑って暮らせる世界にしたい――光も闇も、全霊命も半霊命も……誰もが皆、手を取り合える平和な世界は……」
涙をこらえているかのように声を震わせる愛梨は、そこで一旦言葉を切ると、一瞬の間を置いて次の一言を発する
「理想の中にしか存在しない幻だったのでしょうか?」
それは、おそらくずっと愛梨の中にあったであろう思い。そんなはずはないと自分に言い聞かせ、それを口にすることを避けて凛と振る舞ってきた愛梨が、この死の間際に見せた弱気だった
沈痛な面持ちで言う愛梨に、その身を抱きすくめる腕に込める力をわずかに強めた大貴は、深く息を吐いて口を開く
「あんたらしくないな」
そう言って声をかけた大貴は、その傷ついた心を慰めるように、努めて優しい声音で語りかける
「――あんたは、あんたがやりたいことをやっただけだろ?」
その言葉に、愛梨はかすかに瞳を収縮させると、苦笑めいた笑みを零す
「そうですね。……そうでした」
死の抱擁の中にあるとは思えないほどに和やかな笑みを浮かべた愛梨は、今まで大貴が見たことがないほどに穏やかな雰囲気を纏っている
それは、十世界盟主という立場や世界を憂いる思いの柵から解放された、一人の女性としての愛梨のありのままの姿のように大貴には感じられた
「分かり合えていないことも分かり合っていること。弱い者がいるように強い者もこの世界で生きている――それは分かっていました
でも私はそれが嫌だったんです。仕方がないから、世の中はこういうものだからで納得したくなかった」
「ああ」
これが最期だと分かっているからか、理想という険しい道を歩く中で少なからず背負ってきた思いの重いを零しているような愛梨に、大貴は優しく応じる
自分で選んだ道とはいえ、愛梨が選んだ理念の道がいかに厳しいのか大貴にも漠然とだが理解できる。その中で自分を見失わず、その思いを貫き続けた愛梨に、大貴は心からの敬意を抱いていた
「ですが、きっとあなたは、それすらも認めているのですよね」
その時、腕の中にいる愛梨が慈しむように目を細めて大貴を見つめてくる
大貴はこの世の万物万象の全てを司る」「光魔神」。対して愛梨は、この世の全てのものを慈しみながら、そこから不和や争い、悲しみといったものだけを取り除こうとしている
人と人が分かり合えないことをも受け入れる大貴とは違い、人と人は分かり合えるのだと信じる愛梨――二人の理念とあり方は似ているようで決定的に違う。だが同時に互いの理念と信念を認めてもいた
「九世界を回って、あんた達と出会って、色んなもんを見て、色んな人に触れて、なんとなくわかったんだよ
結局、誰に言われるでもなく、みんな誰かのために生きてるんだなって。それが大きいか小さいか、一人かたくさんかの違いなんだ」
これまでの出会いと別れと戦いの日々を思い返しながら、大貴は腕の中の愛梨と視線を交わす
今まで出会ってきた全霊命達は、一様に自らの戦いを〝自分のため〟だと言い張っていた
だが、それは「誰かのために自分がしたいこと」でもあった。それは大貴も愛梨も同じ。それは思い描く世界の形が――その人にとって大切なものが、今この世界になかったということだ
「私はその思いが、同じところへたどり着くようにしたかったのです」
大貴の言葉に鷹揚に頷いて同意を示した愛梨は、自分が掴み取れなかった理念を幻視しているかのように、軽く手を握り締める
「ただ、ゼノンさんが仰ったことも、一つ正しかったと思います」
手の平から零れ落ちた夢を見送るように物悲しげな表情で独白した愛梨は、その笑みを自嘲めいたものに変えて目を伏せる
「私は怖かったのかもしれません。――誰かに恋をして、愛を知り、一人の女になってしまうのが。だってきっと、そんなことになったら、私はきっと世界のために生きられなくなってしまいますから」
冗談めかした笑みを浮かべて言う愛梨だったが、それは自分の境遇について、不満に思っているというわけではない
ただ、誰かの幸せのために尽くすばかりで、普通の十世界盟主たる姫としてではない。どこにでもいる一人の女性として、自分だけの幸せに、小さくない憧れを抱いているようだった
「――っ」
その時、まるで時間が来たとばかりに、愛梨の身体が崩壊し、立ち昇っている光の粒子が強さを増していく
自身の身体を構築していた力が失われていくのを寂しげな眼差しで見つめた愛梨は、自身を抱きしめている大貴に顔を上げて微笑む
「ですから、実はこんな風に男の方に抱きしめていただくのも初めてで……少し浮かれてしまっているのかもしれません」
「……それは光栄だな」
自らの最期を覚悟した愛梨の微笑に彩られた言葉に、大貴は込み上げる感情を押し殺して応じる
「一つ、お願いを聞いてもらえませんか?」
そんな大貴を見つめて目元を綻ばせた愛梨は、しばし逡巡するそぶりを見せ、迷いに迷ったような様子で問いかけてくる
「なんだ?」
最期ということもその背を押したのだろう、意を決した様子で言う愛梨に、大貴はそのお願いに快く応じる意思を示す
「みんな、私の事を〝姫〟って呼ぶんですよ。私は、それが少し照れくさくて、少しだけ不満でした。形式上組織という形を取っていましたが、私は十世界を強い人も弱い人も関係なく、皆が等しくいられる場所にしたかったんです
私は世界を変える特別な誰かではなく、皆さんと一緒に考える一人でありたかった。だから――」
そんな大貴に、感謝の意味を込めた目礼した愛梨は、ゆっくりと言葉を紡いでいく
「私のこと、名前で呼んでくれませんか?」
それは、恒久的世界平和という壮大な理念を掲げた人物が告げたとは思えないほどに些末で――しかし、おそらく愛梨が自分だけのために願った最初で最後のかけがえのない思いだった
「愛梨」
その願いに応えるように、大貴はその名を噛みしめるように呼ぶ
今この腕の中で眠りにつこうとしている、理想を実現させるべく誰よりも優しくあり続けた一人の女性への敬意を込めたその声に、愛梨は愛おしげに目を細める
「はい……大貴さん」
幸せそうに微笑んだ愛梨は、大貴の呼びかけに応えるように呼び返す
存在が神能へと還っていく光に紛れて分からなかったが、大貴はその時愛梨の目尻になにか光るものを見たような気がした
それと同時に、十世界盟主〝姫〟ではなく、一人の女性としての満足感に包まれながら、おそらく九世界の歴史上最も優しく、最も理想に近い場所に手をかけた神の巫女は光の雫となって世界に溶けていく
だが、それを見送る大貴には、それが愛梨の想いを宿した心の欠片が世界に染み渡り、全ての人々を寿いでいるかのように感じられていた
「……俺の名前覚えてたのか」
光となって消滅した愛梨の最後の粒子が世界に溶けていくのを見送りながら、大貴は感慨に耽りながら静かに独白する
「あんたとは、違う形で出会いたかったよ」
支える者がなくなった腕を下ろし、拳を握り締めながら言う大貴は、先程自分の名を呼んで逝った愛梨の声が残響しているかのような胸の温もりに目を細める
「大貴さん」
その時、そんな大貴を労わるように愛梨とは別の声がその名を呼ぶ
「ヒナ」
振り返るまでもなくその声の主が誰なのかを知っている大貴は、ゆっくりと立ち上がってそこに佇んでいる人間界王「ヒナ・アルテア・ハーヴィン」を見る
「お前もここに閉じ込められていたんだな」
場所が離れていたことと、愛梨に気を取られていたために気付かなかった大貴の言葉に、ヒナは微笑を浮かべて応じる
「はい。少々移動するのに時間がかかってしまいましたが……遠巻きではありますが、彼女の最期を看取ることができました」
「そうか」
大貴に答えると共に、ヒナは愛梨に礼を尽くすかのように胸に手を当てて恭しく目礼する
決して相容れることはなかったが、最後までその理想を貫いた愛梨の姿に一定の敬意を示すヒナに、大貴は視線を送る
「姫は逝ったか」
「――やっぱり、俺の相手はお前なのか」
その時、おもむろに耳に届いてきた声に視線を向けた大貴は、左右非対称色の瞳に映るその存在を見止めて小さく独白する
そこに佇んでいるのは、真紅の衣を翻した悪意の化身。この世で唯一絶対の神の敵対者たる円卓の神座に属する異端神の一柱――「反逆神・アークエネミー」だった
この世界は、暗黒神によって作り出された世界。その中でかの神の意思によって戦うべき相手を定められ隔離されていることを、大貴はこの時に理解していた
そして光魔神たる大貴が戦う相手として示されたのが反逆神。同じ円卓の神座の頂点に属し、この世で唯一全く同じ神格を持つ神敵が選ばれるのは、ある意味必然と言えるだろう
「極神二柱を筆頭に闇の神々が集結していた。創造神はそれに介入することもできたというのに、それをせず姫――奏姫を生かすことをしなかった
かの神ならば、この未来と結末も見えていただろうにな。姫の理念は神に届かなかった――いや、違うか。神は姫の理念を肯定も否定もしない。ただ、人々の思惑がそれをさせなかったということか」
愛梨の死を悟り、淡々と言葉を告げる反逆神からヒナを庇いながら、大貴はその姿と左右非対称色の双眸で睨み付ける
神の知覚を以ってすれば、未来を予期することは難しくない。恐らく、こうなることを知っていて創造神達や、終焉神達は、愛梨のために動くことをしなかった
愛梨が掲げた恒久的世界平和の理念を神は守ることをしなかった。だがそれは、愛梨の理念を否定したのではなく、ただ見届けたに過ぎない
この世界は、愛梨が掲げた夢物語のような理念が存在することも認め、許している。――ただ、それ以外の多くの者達の理念がその実現を阻んだだけだ
「姫には期待していたんだが……残念だ」
本音なのか皮肉なのか、その本心を図りかねる白々しい口調で言う反逆神に対し、大貴は警戒心に満ちた視線を向けながら話を切り出す
「そうか――それで?」
「そんなに警戒するな。暗黒神が作り出したこの世界から脱出するのは、俺達の神格ではどうあがいても無理なんだ。ただただ途方に暮れているだけだよ」
そんな大貴の冷たい声に喉を鳴らした反逆神は、闇色の空と枯骨色の大地だけが広がるこの空間を見回して肩を竦めてみせる
「どうやっても無理なのか?」
神位第五位と神位第四位の中間ともいえる神格を持ち、神に対する敵意の結晶たる化生でもある反逆神がただ立ち呆けるその姿に、大貴は確認の意味を込めて言う
この世界を作り出した暗黒神の神格を考えればそれは想像がつく。だが、神敵たる反逆神ならば、という考えは、大貴の中にあった
「姫の仇討ちでもする気になったか?」
その問いかけの声音に秘めた何かを感じ取ったのか、不意にその眼光を鋭くして問いかけてくると、大貴はそれに真摯な面差しで答える
「――愛梨がそんなこと望まないのはお前も良く知ってるだろ。俺は、神魔を助けに行くんだよ」
「なるほど」
大貴のもっともなその言葉に小さく笑って応じた反逆神は、先の試すような物言いに対する返礼とばかりに真剣な表情で応じる
「だが、悪いが本当に手はない。俺達はここでこうしてただ戦いが終わるのを待つしかない訳だ――光魔神になれないお前を殺しても意味はないしな」
わざとらしい身振り手振りを交えながら、感情の籠っていない声で嘆いているような言葉を並べた反逆神は、最後に嘲るかのような視線を大貴へと向ける
この場はおそらく暗黒神によって用意された光魔神と反逆神の戦場。だが、肝心の大貴が光魔神として十分な力を持っていないのならば、それには何の意味もない
「いや、神の目は大したもんだよ」
だが、それに対して答えた大貴の声に、反逆神はその顔に浮かべていた嘲笑めいた笑みを全て消し去る
暗黒神がその事実に気付いていたのかは定かではない。だが「神敵」たる反逆神に対し、あえてそう告げて見せた大貴は、自らその真実を告げる
「俺は、もう光魔神になれる」
そんな反逆神の反応に小さな優越感を覚える大貴は、背後からそれに似た視線を向けてきているヒナを振り返って視線を交錯させる
「――!」
そしてヒナに対して一度頷いて見せた大貴が抑制された声でその一言を告げると、今度こそ反逆神は目を見開いていた
「大貴さん……」
そんな反逆神と同等以上の驚愕に息を呑むヒナと視線を交錯させながら、大貴は決意を込めた表情で告げる
「見ててくれ、ヒナ。俺が神になるところを」
その言葉に表情を引締めたヒナが信頼と敬意に満ちた面差しで頷くのを見届けた大貴は、ゆっくりと深く息を吐いて意識を沈めていく
瞬間、その身体を構築する太極の力が躍動をはじめ、半覚醒状態だった光魔神としての大貴のが身体が黒白の力に満たされていく
「――!」
「これは……」
まるで、眠っていた巨大なものが目を覚まし鎌首をもたげるように――一切の荒々しさもなく静かに高まっていく太極の力を見ていたヒナと反逆神は、それをその目で見届ける
(自分の存在を、太極に取り込んでいる、だと!?)
黒と白、光と闇が等しく混在し、あらゆる力と共鳴して己のものとすることができる太極の力が大貴自身をも取り込んでいく様に、反逆神は目を見開く
一方のヒナは、大貴の身になにが起きているのかをおおよそ察しながら、わずかにも不安の色を見せない凛とした表情のままそれを見つめる
それは、光魔神になれると断言した大貴への信頼。そして大貴ならば光魔神になれると信じる自分への信頼――〝見届ける〟と誓った二人の信頼から来るものだった
ヒナに見守られる中、大貴の身体が太極に取り込まれ、その形を失っていくと共に、混じり合うことなく混在する黒白光闇の力が渦を巻き、世界へと広がっていく
「……!」
(太極の神格が上がっていく……!)
大貴の形を失い、ただ渦を巻く太極の力となってそれに相対していた反逆神は、自身の肌を刺すような神格を知覚して息を呑む
形を失ったというのにその力が失われることはなく、むしろ高まったその神格がまるで誕生の鼓動のように脈打っていた
「まさか、本当に――」
目の前の光景を前にした反逆神の口からその声が漏れると同時、天を衝く黒白の力が一点に凝縮し、一旦は全なる太極に呑み込まれて失われていた形を取り戻す
「……大貴さん」
その力が収束された一点を見ていたヒナはその双眸に映る人物の姿を見て、声を漏らす
ヒナの目に映るのは、無数のこの空間の中で自ら発した力の余波によって翻るコートと陣羽織の中間にあるような黒白の衣。
金色の縁取りがされたその衣装は、黒と白が互いの色を引き立て合いながら混然一体となっていた。着物と洋装の中間にあるような衣が翻るその両手両足には、金色の縁取りと装飾が施された装甲が嵌められている
右手は白地に黒、左手は黒地に白。それとは対照的に、右足は黒地に白、左足は白地に黒となっており、光と闇を一身に宿す光魔神の性質を表しているかのようだった
そんな霊衣を纏う大貴は、先端に行くほど白くなる黒髪を揺らしている。
光に抱かれる闇、闇から生まれ出づる光ともみえる白縁の黒髪を揺らす大貴がゆっくりと瞼を開くと、その下から現れたのは、純白の瞳孔に漆黒の虹彩を持つ双眸。
まるで闇の中に灯る一つの星導のようなその瞳は、目の前にあるというのに、天より高い場所から俯瞰しているような超然とした印象を見る者に与える
「これが、真の光魔神様……大貴さんの御姿」
先ほどまでの姿と比べると、翼などがなくなっている分姿形が人間に近づいているが、その存在が纏う神然とした厳かな雰囲気は一層荘厳さを増しており、それを見るヒナの口から畏敬と愛敬に満ちた吐息が無意識に零れてしまうほどだった
真の神格と本当の太極の力を手に入れ、新しく生まれ変わった大貴は、自分の姿を確認し、軽く手を握ったり閉じたりして身体の調子を確認する
「確かに、お前からすでに俺の力は消えていた。悪意の力が原因で覚醒できなかったのなら、とうに完全に復活していてもおかしくなかったが――なぜだ?」
覚醒し、真の姿となった今の己を懐かしんでいるようにも見える大貴の姿を見つめていた反逆神は、自身と同等の神格へと至った完全なる光魔神に素朴な疑問を向ける
当初大貴が光魔神として覚醒できなかったのは、地球――ゆりかご――の人間として育ってきたため、その身に蓄積された悪意の力が邪魔をしているからだと思われていた
だが、それから時間を重ねて、身体に溜まっていたゆりかごの悪意を浄化しきった後でも、大貴は完全な光魔神として覚醒することはなかった
その理由は不明だが、こうして完全な光魔神として覚醒できたのは、大貴がその理由を正しく理解し、克服したからだというのは、これまでの会話から明らかだった
「――簡単なことだったよ。俺が覚醒できなかったのは、俺自身が望んだからだった」
そんな反逆神の問いかけに対し、大貴は背後にいるヒナにも聞こえるように答える
そう言って自らが覚醒に至ることが出来ない理由を述べた大貴は、一度瞼を閉じるとゆっくりと言の葉を紡ぐ
「俺は人間でいたいと思っていたんだ。……でも、俺は俺だ。この中にある太極も俺自身なんだ。――それに紅蓮が気付かせてくれた」
自らの心を告白した大貴が今日までの自分を思い返して噛みしめるように言うと、それを聞いたヒナと反逆神はその意味を理解する
古くは光魔神として覚醒した自分が、地球人ではなく光魔神に列なる人間になったのだと知ってしまった時――これまで光魔神として覚醒していく中で、その感覚や認識が地球にいた頃の自分のものから無意識に離れていくことを自覚していた大貴は、心の中で人間のままでいたいと願っていた
それは、九世界の者から見ればゆりかごの毒から解放され、光魔神として完成されていく過程だったのだが、大貴にとってはそうではなかった
まるで、今日まで積み上げてきた自分という人間の要素が失われていくようで、それを失いたくないと願っていたのだ
(なるほど。人でありたいという奴の願いを太極が実現し続けていた結果、奴は自らで封をしていたということか)
大貴の告白を受け、その理由を理解した反逆神はその双眸で覚醒した光魔神の姿を見て、納得する
異端神、全霊命の力である神能は、想いを実現する力。
その無意識の想いを太極の力が実現していたために、大貴は本当の光魔神としてではなく、光魔神の力を持つ人間としてこの世界にあり続けていたのだ
(そして、それを克服したから大貴さんは本当の光魔神として覚醒なさった。――ですが、おそらくそれだけではないでしょう
神能を持たず、知らない世界で育ってこられた大貴さんは、おそらく気付いておられなかった。自分の身に宿った力が、自分自身そのものだということに)
そして覚醒した大貴の姿を背後から仰ぐヒナは、同時にその覚醒の理由とそこに隠された本当の意味に気付いていた
それは、先程の覚醒の際にみせた太極の力の中に大貴自身が取り込まれるという光景から来る限りなく核心に近い推察だ
(おそらく、神能に関する基本的な知識や、それを使った使い方は神魔さんやクロスさん達から習ったのでしょう。
ですが、もっと根本的なところを大貴さんは理解しておられなかった――力を使うのでもなく、力そのものが自分であり、自分そのものが力なのだということの「本当の意味」を)
完全存在たる神や全霊命は、その身体、武器、防具の全てが、自身御存在である神能そのもの
その理屈は、神魔はクロス達から聞いて知ってはいただろう。だが、知っていることと、理解していることは決して同義ではない
大貴はその理屈を理解していながら、本当の意味で理解していなかった。「自分の意思」と「力を使うこと」を分けて考えていたのだろう――そのことを、全霊命ならざる身であるヒナには理解できた
(生まれつき神能を持っている全霊命にとっては、当たり前のことすぎて逆に見落としていたのでしょう――盲点でしたね)
外から知覚する分には、大貴は太極の神能を使えていた。そして、全霊命達にとって、神能を使えているということは、力と自分が同じものであるということと同義。
だからこそ、最後まで誰も気づかなかった。大貴が「人」としての意思で全霊命の力を使っていたという、あまりにも簡単なことに
その二つの要因が、大貴を完全な光魔神とすることを阻んでいた。そして、それを理解し、自らに宿る太極に自分の心と体の全てを委ねたが故に、大貴は完全な光魔神として覚醒することが出来たのだ
「一つ聞いてもいいか。いつでも光魔神になれたなら、なぜ姫を助けなかった?」
完全光魔神となった大貴を見据えた反逆神は、その姿を見ておもむろに口を開く
大貴がいつでもこの力を使えたなら、愛梨を救うこともできたはずだ。いくら神格が破壊されていたとはいえ、それはあくまで神位第六位の神の力によるもの。それを上回る神格を持つ光魔神ならば、その状態からでも救えたはずだ
つまり、大貴は意図して愛梨を看取った。決してそれを望んでいたわけでもなく、抗う術もあったというのに、その死に胸を痛めていたのだ
「助けたら、きっとあいつはしばらく落ち込んで、歩き出すだろ? 自分の理想のために、どんなに傷ついても――多分、俺はそんな姿を見たくなかったんだ」
自分の核心を衝くような反逆神の指摘に、大貴は自嘲めいた笑みを零して言う
愛梨はこの程度のことで、その理想を諦めるような人物ではないことは、大貴も反逆神も分かっている。仮にあのまま命が助かっていれば、愛梨は深く傷つきながら、それでもまた理想の実現のために歩き出しただろう
だが、あの最期の時、十世界盟主でなくなった愛梨は重荷から解放されたような晴れやかな表情をしていたように思えた
理想を求めることが幸福とは限らない。その時の愛梨は自分では諦めることも捨てることもできない理念に立ち止まれなくなっていた足を止める機会を受け入れているようにさえ思えたのだ――それがたとえ、愛梨の本当の願いとはかけ離れた大貴の勝手な思い込みだったとしても。
「……絆されたか?」
「かもな」
まるで愛梨に感化されたように言う大貴は、反逆神からのからかうような口調に応じると、その双眸を向けて応じる
「でも、それはお前も同じなんじゃないのか?」
「――それは見当違いだな」
大貴の指摘に一瞬だけ虚を衝かれたように目を丸くした反逆神だったが、すぐに肩を竦めてそれを否定する
「神敵にとって、姫は〝面白いやつ〟以外のなにものでもないさ――惜しいとは思うが、それ以上のものでもない」
「それは、お前にとって同じことなんじゃないのか?」
喉を鳴らしながら、わざとらしい手ぶりで言ってみせる反逆神に、大貴は静かな声音で問いかける
覚醒した自分に愛梨が救えたかもしれないように、同等の神格を持つ反逆神にもそれができた可能性はある
だが反逆神はそれをせず、愛梨が安らかに終わりを迎えるのを見届けていた。ならば、それは大貴が愛梨に抱いたものと同じような感傷に基づくものだとしてもなんら不思議はない
「知ったようなことを言うじゃないか。――だが、今はそんなことはどうでもいいんだ」
そんな大貴の言葉に、口端を吊り上げて愉快そうな笑みを浮かべて応じた反逆神は、その声音をゆっくりと低くしていく
「あァ、今お前と戦うことになんて意味がないのは分かっているんだが……」
細められたその瞳に覚醒した大貴を映す反逆神は、肌を刺す自身と同等の神格を前に、疼くような感覚に身震いする
「神々の思惑に乗ってやるのも一興かもしれないなァ」
粘着質な陰惨さを感じさせる声でそう絞り出した反逆神は、大貴を上から下まで舐めるように見回すと、まるで玩具を前にした子供のように目を輝かせる
瞬間、その身体から形を持たない黒い力が吹き上がっていく
「……っ」
生理的な悍ましさを強く感じさせる反逆神の言葉と力の脈動に、引き攣った声を零すヒナを背後に庇いながら、大貴はそれを見据える
反逆神から発せられるそれは、何の理由もない本能。円卓の神座に於いて、最強の力を持つ三柱の異端神は、№3から№12までの他の神々を凌駕する神格を有している
神位第五位相当の円卓の異端神達に対し、№1「光魔神・エンドレス」と№2「反逆神・アークエネミー」は神位第四位と神位第五位の中間という極めて微妙な立ち位置に当たる神格を持つ神
それはいいかえれば、〝自分達以外に同等の存在がいない〟ということ。神位第一位の創造神と破壊神がそうであったように、この世で唯一同等の神格を持つ相手は、自分にとって、どれほどかけがえのない好敵手たりえるのか大貴には理解できた
反逆神は敵対し、反逆する悪意の神。だがその神格ゆえに、基本的に間接的な形でしかその悪意を知らしめることが出来ない
だが、今目の前にいる光魔神は、反逆神の持つ悪意の神格と直接、しかも同等に対峙できる唯一の存在。そんな絶好の機会を前に、普段は見せない悪意が昂るのは必然とさえいえるだろう
「どうだ? どうせここからは出られないんだ。なら、久しぶりに殺し合ってみないか?」
その存在と同じように、決められた形を持たない反逆の神能で構築された武器を、手の中で大槍刀の形状として固定した反逆神の言葉に、大貴は険しい眼差しで応じる
「断っても、どうせやるんだろ?」
その力と悪意に等しい戦意の昂ぶりを見れば、この戦いが不可避のものであることは明白
「ヒナ、下がっててくれ」
口端を吊り上げて悍ましい笑みを浮かべる反逆神に答えるように、大貴が声をかけると黒白の太極が結界となってヒナを包み込み、そのままはるか後方へと移動させる
「……!」
完全な覚醒を経て、完成された神格を得たことで、大貴の太極は、無意識化でも永続的な効果を発動できるようになっている
故に、ヒナを守っている結界は、大貴の力に影響を及ぼさず、その意思によって解除されるか破壊されるまで効果を発揮し続けることが出来るのだ
ヒナがある程度まで離れるのを見届けたところで反逆神へと向かい直った大貴の背から、黒と白が一体となった翼が広がる
根元に金色の装甲を纏った翼は、光と闇が入り混じったエネルギー状。質量を持ち、実体を得た光闇の翼が羽ばたくのと同時に、大貴の頭部には金色の角冠が顕現していた
光闇の翼に角のような装飾を持つ王冠のような兜を持つ戦闘形態となった大貴が、軽く腕を振るうと、収束された太極の力が一振りの太刀となって顕現する
「――〝太極神〟」
改めて告げられた神としてのもう一つの名を持つ光魔神の真の武器は、身の丈にも迫る長い刀身を持つ太刀の形をしていた
鍔と柄は黒白。刀身は金色の刃紋が浮かぶ極彩色の輝きを宿す銀刃。まるでそこに存在するだけで世界を裂いているような研ぎ澄まされた存在感を持つ太刀を携えた大貴は、その刃の切っ先を反逆神へと向ける
「――いくぞ」
「!?」
低く抑制された声で宣言された次の瞬間、大貴の姿が掻き消え――反逆神の身体を、袈裟懸けにその刃が斬り裂いていた