世界の終わり
「神位第四位・至高神の四柱――」
破壊神の復活を求める終焉神と暗黒神の背後に現れたその存在を見た愛梨は、息を呑んで声を震わせる
二柱の極神の求めに応じて最初に現れたのは闇の力を持つ四柱の神。光と闇それぞれに四柱ずつしか存在しない神位第四位の神々だった
(深淵神・アビス様)
黒い紋様の入った白い着流しのような霊衣を纏い、側頭部から四本の白い角を生やした気だるそうな表情の黒髪の男神に喉を詰まらせる愛梨は、更にその横に視線を動かす
(災禍神・カルマ様)
深淵神の隣に並んで歩くのは、豊満な体型を持った美しい美女だった。腰の中ほどまである暗橙色の髪は先端が緩やかに巻いており、整った美貌にはどこかおっとりとした印象を感じさせる微笑が浮かんでいる
こめかみのあたりから黒い角が天を衝いて生え、特に後頭部から空間を挟んで伸びている蜻蛉の翅を思わせる四本の黒い線が特に目を引く災禍神の隣を歩くのは、漆黒の衣に身を包んだ男だった
(冥府神・デス様)
闇よりも黒いその衣装に生える包帯のような黒い布を髪留めのようにして整えた長い白髪。その額から一本、側頭部からは二本の黒い角が天を衝いて生えている
さらに額の黒角の付け根には白目の部分が漆黒色になった第三の目が開いており、そこに浮かぶ金色の瞳は、まるで無明の闇に浮かぶ月を思わせるものだった
「――っ」
そして、それら三柱の至高神と共に歩く四柱目の神を見た瑞希は、息を呑んでその姿を睨み付ける
(罪業神・シン……!)
わずかに逆立った金色の髪。側頭部から生える捩じれた黒い角。鋭い目元は血のような赤で縁どられ、そこに黒曜石のような双眸を抱いている
兄「蘭」の中にあり、その命を奪った仇にして、死にゆくはずだった自らの命を救ってくれた恩人でもある神は、瑞希に気付いて一瞥するも、すぐに素知らぬ顔で正面を向く
(そうか。あなたの目的も、もう一人の破壊神だったのね――)
かの神が兄の中に宿り、なにを成そうていたのか、今更ながらに理解した瑞希がその姿を見据える中、さらにその闇の中から何柱もの闇の神々が続く
(まだ出てくるのか……!)
(この力は主神)
至高神に続いて姿を見せたのは、「神位第五位・主神」に属する神々。
腰まで届く長い黒髪に、その攻撃性を表しているかのような黒い鎧と一体となったコートのような霊衣。白いファーのようなマフラーを首から下げ、こめかみと側頭部から計四本の角を生やした男
その背に片方だけ生えている堕天使のそれを思わせる黒い右翼を持つその神の名は「絶望神・ディスペア」
その傍らを艶めく暗紫色の長髪を揺らして歩くのは、赤い紅で飾られた唇が目を引く女神――「無窮神・イモータル」。
白い肩を露出させた霊衣は、まるでドレスの上に着物の上着を羽織っているかのよう
包容力を感じさせるその面差しは、不思議ほどの落ち着きに満ちており、優しく微笑みかけられれば瞬く間に心を許してしまいそうな安心感を感じさせる
それに続くのは、バンダナのように巻かれた黒い帯と、足元まで届くローブのような服とマントとマフラー――全身を黒色の服で統一した金髪の男
肩、足、胸部などには白色の装甲を纏っており、特に黒い服の隙間から見せる白いラインの入った胴当てはまるで肋骨のような印象を与える
側頭部から光沢のある黒い四本の角を生やしているその神――「黒影神・エクリプス」と肩を並べて歩くのは、三つの目を持ち、左目が映ろが闇になっている黒髪の青年の姿をした神「殲滅神・カタストロフ」。
巨大な二本の角を持ち、金色の縁取りがされた黒衣を翻らせて歩くその横に、オールバックにした暗茶色の髪とその身に纏う霊衣を翻して歩く褐色の肌の「滅亡神・ロスト」が並ぶ
そして、五柱に続いて現れたのは、神位第六位に位置する神々
先端が枝割れした巨大な角を持ち、爛々と暗い真紅の双眸を持つ大柄の男神「失世神・ラスト」
パンツスーツを彷彿とさせる黒の霊衣に身を包み、右目に眼帯をした女神「呪祟神・カース」
メッシュの入ったブロンドの髪を揺らし、人当たりの良さそうな笑みを浮かべた優男風の男神「狂哭神・テラー」
額に三番目の目を持つ長い銀髪の女神「混迷神・ディスオーダー」
天を衝く二対に、首の周りに牙のごとく絡みつく一対の六本のねじれた角を持つ男神「陰道神・ネガティヴ」
肩にかかるほどの長さの髪を切り揃え、肌を露出したドレスのような衣装を纏う怜悧な印象を持つ麗貌の女神「抹消神・イレイス」
黒の双眸に額と側頭部二対計五本の角で天を衝き、しめ縄のような帯を締める胴着と袴のような霊衣に身を包んだ「暴悪神・バイオレント」
背の中ほどまでの長さを持つウェーブのかかったダークブラウンの髪を揺らめかせる深窓の令嬢といった雰囲気を醸す清楚な印象の女神「不浄神・レイヴ」
額の中心からは水晶のような角、額の両側からは炎のような形をした実像のない闇色の角を生やし、礼を纏ったその身に闇で形作られた羽衣を思わせるものを纏った女神「虚構神・フォルス」
そして、最後に現れたのは、背に六枚の黒翼を持ち、側頭部からも、まるで角のように黒い翼を生やした女神だった
「――」
漆黒の翼からこぼれる黒羽が黒い粒子となって溶けていく闇の雫を纏うその姿を堕天使王「ロギア」は視線で追う
数多いる闇の神々の中で、ロギア同様に黒翼をもつ女神に視線を奪われる十世界堕天使総督である「タウラ」は、思わず喉を鳴らして拳を握りしめる
(堕神・フォール。堕天使の始母神……!)
闇の神の一柱である「堕神・フォール」は、かつて最強の天使だったロギアに黒い翼と闇の光を与え、天使を堕天使へと堕とす能力を与えた神
黒い翼から堕天使たちを解放し、白い翼を得ることを目的としているタウラからすれば、その願望を最もかなえてくれる可能性が高い神だ――だが、その姿を前にしたタウラの喉は、まるで言葉を忘れてしまったかのように言葉を発することができなかった
極神、至高神、主神の全柱。そして神位第六位の神々が十柱。闇の神が一堂に会し集結したその様は、創世の時代以来の壮観な光景だった
「――……」
(まさか、これだけの神々が集まっているなんて……)
それを見た愛梨は、かつて創界神争の中で神器に封印されていた神すらもが集まっている様子に息を呑む
神位第六位の神々はともかくそれより上位に位置する神が神位第一位、神位第二位を除いて全員揃っているというのはまさに驚愕に値する光景だった
「……ウ、覇国神……さん」
そして、それに伴って愛梨は自身の傍らを悠然と通り過ぎていく巨躯の持ち主を見上げて、声を絞り出す
「残念です、姫」
それに対して瞳のない目による一瞥をも向けることなく、抑揚のない声で一言だけ告げた覇国神は、自らに属する七人と神片と数えきれないほどの眷属達を引き攣れて闇の二極神を筆頭とする神々の軍勢の末席へと顔を並べる
(――やはり、そういうことか)
その光景を横目で見届けた反逆神は、自身ですら歩くことすら叶わないこの神圧に覆われた状況下で覇国神と眷属達が動けた理由を正しく理解していた
覇国神は破壊神の神臣。そして終焉神達の目的は破壊神の復活。忠義と忠誠に厚い覇国神がどちらに味方するかなど分かりきっている
(途中から裏切ったのか、あるいは最初からそうだったのかまでは分からないが……つまり、そういうことか)
いつ覇国神が終焉神達の思惑を知ったのか分からないが、仮に前者であっても覇国神の性格からすれば裏切ったのでなく、あくまで忠義を尽くすのが破壊神だったというだけのことに過ぎない
『いかがですか? 姫』
その時、全てを察した反逆神と解答を突き合わせるかのように空間に円形の画面が生じ、そこに一人の男が映し出される
「っ、ゼノンさん……」
空間い生じた画面に映るその人物――十世界魔界総督にして、闇の原在の一角である「ゼノン」は、不敵な笑みを浮かべていた
その背後に映っているのは、世界の狭間を漂う十世界の拠点の一室であることは愛梨達十世界のメンバーには一目瞭然だった
『今、そちらと同じ話をこちらでも終えたところです』
そう言って嗤うゼノンが視線を向けると共に画面が移動し、そこに拠点に残してきた十世界のメンバーが映し出される
『聡明なあなたならもう気付いておられると思いますが、終焉神達に真の神器を献上していたのは俺だ』
その言葉の後半、抑制を聞かせた低い声で告白したゼノンは、それと同時に愛梨に対する忠誠を捨てたようでもあった
『あなたのためだと囁けば、皆は喜んで協力してくれたよ。あなたでなければ、俺はこうも順調に真の神器を手に入れ、神々の戦力を確保できなかっただろう――いい部下たちに囲まれて幸せだな奏姫』
空間に生じた画面越しに愛梨に語りかけるゼノンの口調は、皮肉の混じっているがそれ以上に純粋な敬意と感謝から出たものだった
愛梨は全ての神器を使うことが出来る「奏姫」。だからこそ、愛梨を慕う十世界のメンバー達は、愛梨のために神器を集め、ゼノンはその中にあった真の神器を回収していた
だがそれが可能だったのは、愛梨が十世界の皆に慕われていたから。たとえ愛梨が望んでいなくとも、その身を第一に考え、そのその命を守りための神器を集めようとした者達がいたからだった
「……っ」
(神器を手に入れれば、あとはその器を破壊して中に封じれられていた神を復活させるだけ――封じられていた神は、絶対神たる破壊神様の下で新たな姿で復活することが出来る)
ゼノンのその言葉に、そこで何が行われていたのかを理解した愛梨は、小さく唇を噛みしめる
神は本当の意味では死なない。たとえ命を落としても、絶対神の力の一端にして写し身であるその存在は、名と力を継承して絶対神の下で再び生まれ出でる
終焉神と暗黒神を筆頭とする闇の神々は、ゼノンを使って神器に封じられていた神々を見つけ出し、そうやって同胞を復活させていたのだ。――今この時のために
『姫。あなたは神の巫女として選ばねばならない。破壊神様の復活に際し、どちらに与するのかを』
「――っ」
空間に浮かび上がる画面越しに語りかけてくるゼノンの言葉に、愛梨はその表情を険しくして瞳に思案の色を浮かべる
破壊神の復活と、その一柱への回帰は最早避けられない世界の流れ。その中で何を選び、何を選ばないのか、愛梨は決断を迫られていた
(あなたは、このことを知っていたのですね。死紅魔さん)
その脳裏に今は亡き人物の面差しを思い返した愛梨は、ほんの一瞬の長い思案を終え、決意を宿した眼差しで口を開く
「――私は、以前神魔さんを助けると約束しました。その気持ちは今でも変わっていません」
かつて、自らが誓ったことを思い返し、穏やかな声と強い眼差しで噛みしめるように告げた愛梨は、この場にいる全ての者達を見回す
「ですが、私はやはり、どちらかを選びたくはありません。神魔さんも破壊神様にも生きていていただきたいと思います」
それは画面に映し出されたゼノンへ向けたものであると同時に、闇の神々と創造神の使いとして来ている護法神へ向けたものだった
「終焉神様、暗黒神様、そして護法神様――どうか私に、機会と時間を頂けないでしょうか? 誰も犠牲にせずに済む方法を探すだけの時間と、そして皆様のお知恵をお貸しいただきたいのです」
一度神々から否定されていても諦めることなく、その心を変え、動かさんと欲する愛梨の懇願が静寂の場に響く
『この期に及んでというべきか……やはりあなたはそういう答えを出すのですね。神々さえ望まない選択を求めるその姿勢は実にあなたらしい』
その言葉を画面越しに聞いていたゼノンは、頑ななほどに己の在り方と願望を貫き、信じる愛梨に対して畏敬の念を込めて言う
この場にいる誰一人、愛梨の言葉を嘲る者はいない。十世界はもちろん、九世界の王達、そして神々でさえもあくまでもなにかを選ばず、全てを選ばんとする愛梨に一定の評価を送っている
『ならば俺は、あなたがかかげる信念を破壊しよう』
「――!」
画面越しに告げられたその言葉に、愛梨は息を呑む
それは明らかに宣戦布告の言葉。しかし、それを告げたゼノンの表情ははどこまでも凪いだように穏やかで、敵意や憤怒といった感情を宿しているようには見えなかった
『あなたが全てを選ぶことを選んだように、俺達は何かを選ぶことを選んだのです』
画面を介して愛梨に向き合うゼノンは、対話を望んで紡がれたその意思を静かに否定する
選ぶことは何かを諦めることに等しい。だが同時に選ばなければ失ってしまうものがこの世界には多すぎる。ゼノンは皇魔の一角として、そして創世の時代にその意思に従って戦った悪魔として、破壊神の復活を望み、選んだのだ
「それは――」
『確かに、この世界は理想的ではない。時に理不尽で残酷で、それに泣くものもいる』
対話を拒絶するゼノンを、更なる思いと言葉で思いとどまらせようとした愛梨だったが、それは淡々と続けられた言葉によって打ち消される
『だが、あなたは気づいておられるか? そんな世界だったからこそ、俺達はあなたという夢を見ることが出来た。この世界だったからこそ、十世界は生まれることができた』
「それは――」
静かな声音で向けられるゼノンの言葉を愛梨は否定することができなかった
何故なら、それを否定することは、今ここにある十世界を――彼らと共に歩み、悩み、過ごしてきた日々をその思いと共に否定する者だからだ
恒久的世界平和という理念は、それがなかったからこそ生まれることが出来た。この世界が理想から遠かった故に愛梨は立ち上がり、多くの人々と言葉を交わし、敵対し、時に分かり合うことが出来た
この世界には争いが溢れ、理不尽なものがたくさんある。だが、それと同じだけ希望があり、そして理想を抱くことが許されている
『この世界は理想的ではない。だが、だからこそ理想以上に美しいのだ』
拳を握り締め、噛みしめるように言の葉を織り成したゼノンは、愛梨に視線で訴えかける
誰もがそう思うことはできないだろう。割り切らざるを得ないだけで、特に弱者である者、失った者、悲しみに身を焦がした者は、たとえそうだと分かっていてもそうではない世界、そうならなかった世界を求めずにはいられない
それでも、確かなことが一つある。それは、〝理想と違っていることは、必ずしも不幸ではない〟ということ。
平和でなくとも、誰もが分かり合えなくとも、この世界には確かに幸せがあるのだ
『あなたは素晴らしい人だ。あなただったからこそ、世界の種族たちが垣根を越えて集まり、たとえ思惑があったとしても異端神、反逆神すらも味方にすることができた』
そうしてその思いを言葉にして、愛梨の理想を否定したゼノンは、愛梨へ敬意と決別の意思を込めた視線を向けて言う
十世界は愛梨だったからこそ生み出まれた。仮に別の誰かが同じような思いで同じような言葉を並べても今のような形にはできなかったはずだ
その思いを汲み取ってくれる者達に恵まれ、信念を諦めない強さを持ち、折れることなく理想を追い続けることが出来た愛梨は、今こうしてここにいる
『だが、それゆえにあなたは、あなたを失ってしまった。自らが幸せであることを怠ってしまった。――それが、できてしまった』
愛梨は現実に理想を見出し、そしてそれを叶えるために挫折しながらも諦めることなく歩き続けてくることができた
自分にそれができてしまったが故に、できないことを諦めることが出来なくなってしまった。世界とそこに生きる全ての者達を想うがあまり、世界が個でできていることを別っていながら本当の意味で理解していない
全ての者に心を砕き、皆が同じ幸せを共有できる世界を求めすぎたが故に、自分という最も身近なもののが手に入れるべき、人とは違う幸せすら手に入れることが出来ないほどに
『だから俺は、別れと終わりへの餞別として、あなたの掲げる信念の悉くを粉砕し、あなたから全てを剥ぎ取り、何も変わらぬ一つの存在へと戻して差し上げよう』
神の復活のために利用していただけとはいえ、ゼノンはずっと愛梨を傍らで見てきた。
その信念、心の在り様――たとえ失っても諦めず歩み続けんとするその姿勢は尊敬に値するものだ。だが、そのあまりに慈悲深く優しい性格が故に見えていないものが多い
故にゼノンは、十世界、その理念――掲げてきた理想と培ってきた現実の全てを破壊し、愛梨をただの愛梨へと戻そうとしていた
『随分と勝手な理屈だな』
だがその時、そんなゼノンの言葉に耐え兼ねたように、画面に映るその場所――十世界の拠点の中で、いくつもの影が立ち上がる
そこには、人間界、妖界、妖精界、冥界、地獄界、魔界、天界――今、天上界にいる天上人と堕天使達を除く十世界の総督が集結している
彼らは、これまでの世界を巡る旅の中で光魔神とも面識を持っている者達だ
『我々がお前の思い通りにさせると思うのか?』
『いくら皇魔でも、このメンバー全員を相手にして楽に勝利できると思わないことです』
真っ先に口火を切った妖界の総督である「双閣」に続き、妖精界総督「ニルベス」、冥界総督を継いだ「夜死」が続く
それだけではなく、天使達を束ねるアーウィン、鬼を束ねる黄の護鬼「桐架」を筆頭に、十世界の総督達、さらにはゼノンの意思に反発する悪魔達までもが武器を手に取ってゼノンを牽制していた
覇国神が寝返り、反逆神がいない今、悪魔の原在であるゼノンはこの中で間違いなく最強。
だが、ここにいるのもまた全霊命として頂点に迫る破格の神格と実力を持つ者達。いかに相手が皇魔の一人だとしても、簡単にその思い通りにさせるつもりはなかった
『――「破滅播種」』
『!?』
しかし、そんな十世界の同胞達に対してゼノンが紡いだのは、先程までの流れとはかけ離れた言葉
聞き慣れないその単語に怪訝な表情を浮かべる十世界の者達、そして画面越しにみえる愛梨に向けて、ゼノンはその言葉を続けていく
『通常、神は絶対神の下で復活するのに相応の年月を要する。だが、その神を即座に復活させる方法がある。――すでに固有の人格を持っている全霊命にその力を注ぎ込んで存在と一体化させることだ』
そんなゼノンの口から紡がれるのは、神の復活に関わる言葉だった
「――!」
(まさかそれは――!)
そして、画面越しに聞こえてきたその言葉を聞いた大貴の脳裏には、突如真の神器となり、神となって戦った紅蓮の姿が思い起こされていた
神は絶対神がある限り不滅だが、一度死ねば復活するまでに一定の時間を要する。だが、その力を全霊命に宿し、その人格を利用することで即座に復活することができる
それが、「破滅種子」。自身の神格を神――闇の神によって真の神器とする神の御業だ
『まさか、お前――』
『俺がいつから終焉神様達に仕えていると思っている? とうの昔に、この身にはその力によって神が宿っているのだ』
突然そんな話を切り出したゼノンの思惑を理解して瞠目する十世界の面々を不敵な笑みで見回したゼノンは、その推察を肯定する言葉を発する
「っ、ゼノンさ――」
『全員逃げろ!』
その言葉に、愛梨が悲痛な面持ちで声を上げ、十世界の誰かが叫ぶように言うよりも早く、ゼノンの身体か果てしなく黒い暗黒の力が吹き上がる
それは、ゼノンの神格がその内に宿していた神の力によって塗り潰され、魔力を失って悪魔としての存在を終えた証
そしてそれは同時に、ゼノンという存在の人格が表へと顕在化した神の力を統合して、その存在を悪魔から神へと書き換えることで生じるものだった
「オオオオオオオッ!」
魔力だった力がさらに黒く神の闇となって吹き上がり、その神格が全霊命としての限界を超えて神位へと到達する
「――ッ!」
世界を神闇が塗り潰すのと同時、妖精界総督たるニルベスは、自身の武器と身体が粉々に砕け散っているのを見て瞠目する
神位神格を持つものと全霊命の間には、天と地という表現ですら足りない力の差がある。その力を持つ者がその力を振るえば、この結果がもたらされるのも必然だった
周囲を見回せばニルベスと同様に、元天界総督を務めていた天使「アーウィン」の身体が破壊され、純白の光の欠片となって砕けていくのが目に止まる
そこに巻き起こされたのは破壊。巨大な大陸そのものでもある十世界の拠点が砕け、崩壊する光景をその瞳に焼き付けながら、ニルベスは自らの存在が潰えていくのを感じて目を伏せる
「――……」
(これは、攻撃でも何でもない。いわば、身じろぎ――ただ、奴がこの空間に存在することで引き起こされる事象……!)
徐々に身体が精霊力へと還元され、消滅していくのを感じながら視線を向けるニルベスの視界に映るのは、この破壊を引き起こした中心
内に宿していた神の力で神格を解放し、悪魔という存在を棄てることで神の器から真の神へと化したゼノンの姿だった
存在が神のものと変わったとはいえ、ゼノンの面差しは悪魔だった頃そのままであり、その身を包む黒を基調とした霊衣だけがその形を変えている
頭部、肩部生じた角を模した鎧がそのシルエットを凶々しく際立たせ、背中から伸びる二本のマントが、まるで黒い翼のように翻っていた
「――っ」
その口腔から吐き出した息が大気を震わせ、存在するだけで世界を破壊する神格が、ただこの場にいるだけで十世界の本拠地と、各世界の総督達を筆頭としたメンバーをことごとく屠り去る
「――裂砕神・ブレイク」
画面に映し出されたゼノンの神化した姿を見て、愛梨の口からその神名が呻くように紡がれる
それはまさに悪夢のような光景だった。ただその神がそこに存在するだけで巻き起こされた崩壊の渦が一瞬にして十世界を呑み込み、そこにいた命をことごとく屠っていく
しかもそれが、裂砕神の意思によって引き起こされたものではないという現実。もし、裂砕神がその気だったなら、すでに自分達がこの場所から消滅している
(――申し訳ありません、姫)
その名の通り、形あるものを破壊する闇の神の力の威に呑まれ、身体が消滅していくのを見ながら、ニルベスの意識は、崩壊する自身の神格と共に闇に呑まれていった――
「……ぁ、ぁ……っ」
その光景を目の当たりした愛梨は、何も映さなくなると同時に消失した画面のあった場所を見つめて立ち尽くす
これまで苦楽を共にしてきた十世界の仲間達が次々に命を落としたことを知らしめられた愛梨は、両手で口元を隠しながら身体を震わせる
「今、あなたの心を満たしている感情はなんだ姫?」
「――!」
その時、聞こえてきた声に視線を向けた愛梨は、そこに佇んでいる闇の神――「裂砕神・ブレイク」となったゼノンの姿を見据える
「俺への怒りか? 憎悪か? 嘆きか? 絶望か?」
「ゼノ、ンさん……」
自身へと向けられた愛梨の視線を受け止めたゼノンは、その瞳の中に宿っている感情を見て、小さく落胆の息を吐く
確かに悲しみや痛みにその瞳は揺れている。だが、胸中を満たす負の感情に歯を食いしばって耐え、自分を理解しようとする意思が残ったその目は、ゼノンが愛梨に求めたものには、はるかに及ばないものだった
「やはり、あなたは変わらないな」
今この場に聞こえているのは、自嘲めいた声で小さく独白したゼノンの言葉のみ。終焉神と暗黒神を筆頭とする闇の神々は、それをただ黙して見ているだけだった
「だが、あなたのその言葉と思いで俺の意思を変えられなかったというだけだ」
多くの者達の心を動かしてきた愛梨の言葉や思いも、必ず全ての者に共感されるわけではない。そしてその一人が自分なのだと告げたゼノンは、かつて姫とあがめた巫女に凪いだような眼差しを向けて口を開く
「奏姫愛梨。俺は最初から神々に忠誠を誓っていた。十世界へ入ったのも、もう一人の破壊神を探し、真の神器を集めるために過ぎない」
「姫!」
ゼノンの声音の違和感に気付いた者達の中で、声を上げることが出来たのは神敵たる反逆神一柱だけだった
大貴はもちろん、九世界の王達は極神を前にした威圧によって声すらも出すことができず、ただその次に起きた光景を双眸に焼き付けることしかできなかった
――全霊命の知覚を越えた速度で肉薄したゼノンの腕が、愛梨の腹部を貫くその様を。
「だが――あなたのことは嫌いではなかったよ」
全く反応することさえ出来なかった愛梨が呆然と目を見開く中、穏やかな声音で語りかけたゼノンは、その腕を引き抜く
「――っ」
瞬間、愛梨を穿った腹部の傷口からおびただしい量の血炎が噴き出す
「残念ながら、神はあなたを生かす運命を選ばなかったようだ」
間近でそれを見ていた大貴の耳に、血炎を吹き上げる愛梨を物憂げな眼差しで睥睨するゼノンの言葉が届く
「姫。こんな結末になってしまい残念に思う――せめて、夢の中ではあなたの理想が実現することを祈っている」
その死を惜しむように語りかけたゼノンは、その場に崩れ落ちていく愛梨から視線を逸らすと、ゆっくりと歩を進めていく
「お時間を頂き、ありがとうございました」
その足で闇の神々の許へと歩み寄ったゼノンは、終焉神と暗黒神に胸に手を当てて、深く一礼する
自らの手で十世界を滅ぼし、奏姫を手にかけたゼノンに一瞥を向けた終焉神は、何も言うことなく視線を神魔へと向ける
「もう一人の破壊神よ。お前は、我々を越えて破壊神様の下へたどり着けるか?」
「では、始めよう。破壊神を決める戦いを――」
奏姫とゼノンのやり取りによって中断されていた話へと戻った終焉神が、封じられた破壊神を復活させるために自ら破壊神になることを決意した神魔に向けて語りかけると、それに暗黒神が続く
艶の在る常闇色の髪をたなびかせる背から、その名が示すように漆黒色の闇が翼のように吹き出し、世界を呑み込んでいく
「っ、これは――!?」
暗黒神によって生み出された闇が、瞬く間に世界を侵食し、九世界、十世界、異端神達全員がその中に呑み込まれていく
(世界が、闇に呑まれる――)
それを左右非対称色の瞳で見ていた大貴もまた、何も知覚することが出来ないほどに深く、果てしなく暗いその暗黒の闇の中へと取り込まれていった
天上界編―了―