神の眼が見る真実
「そろそろよろしいでしょうか?」
一時の休息を破るように声を発した十世界の盟主――「奏姫・愛梨」の声に、天上界に集った九世界の王達の視線が向けられる
文明神の侵攻によって疲弊した天上界や、紅蓮との戦いで傷ついた大貴に回復のための休息を終える声に、神魔やクロス、九世界の王達が意識を向ける
「お約束の時間はもう少し先ですが、今から始めさせていただきたいと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「――あぁ」
それを確認した愛梨が、周囲を見回しながら意見を述べると、九世界の王達は淡泊に――時には沈黙や無言の肯定を以ってそれに応じる
「覇国神さん、反逆神さん、皆さんを連れて下がっていてください」
その言葉に腰を折って深く一礼した愛梨は、自身の周囲にいる二柱の神とその眷属達、そしてこの場にいる十世界全ての者に対して穏やかに語りかける
「しかし――」
「ご心配には及びません。皆様はこの隙に私を狙うようなことをなさることはないでしょう」
それに対して渋い態度で応じる覇国神に対し、愛梨はたおやかに微笑んで、九世界の王達に寄せる心からの信頼を言葉にする
愛梨がこれから行うのは真実の究明。全ての神器を使うことが出来る神の巫女の末妹たる「奏姫・愛梨」の力を以って、神器「神眼」を起動し、〝全てを滅ぼすもの〟であり、世界にある歪みの元凶でもある神魔についての全てを識ること
世界全ての命運がかかったその下では、九世界と十世界の因縁もないに等しい。少なくとも、九世界の王達も、愛梨も、そういう信頼を抱ける程度には互いの事を分かり合っている
「分かっている。儂が心配しているのはそっちの事ではない」
そう言って、その瞳のない眼をゆっくりと動かした覇国神の視線の先にいるのは、今回の議題の中心でもある一人の悪魔の姿、そしてこの世界に現れた創造神の御使いたる護法神だった
「なにが起きるか分からないのだ。警戒はすぎて困ることはない」
例え神魔にその意思がなくとも、あるいは護法神にその意思がなくとも――世界の歪みの元凶に触れることで何が起こるか分からないと警戒を深める覇国神の忠告に、愛梨は思案気に眉を顰めて鷹揚に頷く
「光魔神様、よろしければ私の近くで事の成り行きを見届けていただけませんか?」
「俺が?」
突然話を振られた大貴が困惑げに応じると、その提案を下愛梨は一度大きく頷いて、いつもと変わらぬ可憐な笑みで応じる
「はい。あなたならば、九世界の方々からの信頼も厚いですし、私達としても不足はありません――ですよね?」
覇国神の不安を取り除くためにその案を提示した愛梨は、その確認を取るように微笑みかける
九世界の王からの信頼も厚く、覚醒していないとはいえ円卓の神座の頂点に位置する神――何より、神魔との交流が深い大貴ならば、見届け役として過不足はない
「……分かった」
覇国神が鷹揚に頷いたのを確認した愛梨に視線を向けられた大貴は、周囲にいる九世界王達からも同様の反応を得て、緊張した面持ちで応じる
「では、詩織さんと共にこちらへ」
「――っ」
その言葉に、桜が展開した魔力の結界に包まれたままの詩織は、息を呑む
視線と力そのものが力を持っているような九世界の王達と異端神に意識を向けられ、今にもこの場に頽れてしまいそうになる詩織に、神魔が優しく微笑みかける
「大丈夫。なにかあっても、必ず僕達が守るよ」
(神魔さん……)
自身こそがこの場の中心であり、場合によってはその身にどのようなことが怒るかもわからないというのに、自分の事を気遣ってくれる想い人言葉に詩織は心を励まされる
「姉貴」
そこにやってきた大貴は、桜から結界を引き継ぐと、先の神魔の言葉を肯定するように詩織に視線を向けて一度頷いてみせる
そんな大貴の視線に頷くことで応じた詩織は、自身にかかる責任や重みを振り払うように、双子の弟と共に一歩ずつ前へと進んでいく
「始める前に、一つだけ聞かせてもらっていいか?」
互いの不干渉と信頼の表れとも言うべきか、愛梨を挟んでほぼ等距離で離れた九世界の王達と十世界の視線を浴びながら、姉弟二人で歩く大貴はおもむろに口を開く
「何でしょう?」
半霊命である詩織の歩速でも、問題なく詰められるほどの距離を歩いてきた大貴の言葉に、愛梨は微笑みながら敬意と親しみを以って応じる
「紅蓮が、神になって俺に挑んできた。あれをやったのはお前か?」
「……紅蓮さんが?」
大貴の言葉に、少し前に十世界を離れるといっていた紅蓮の姿を思い返した愛梨は、その瞳をわずかに驚愕で彩る
愛梨がそういうことを誤魔化すような人物ではないことを知っている大貴は、神――真の神器――となったことを知らなかった様子をみせる十世界盟主に質問を続ける
「あれをやったのはお前じゃないのか?」
「――いいえ。私は全ての神器を使うことが出来ますが、真の神器だけは使うことができません」
大貴からの問いかけに対し、愛梨は真摯な視線を向けて嘘偽りのない言葉で答える
「じゃあ、あいつはどこで神の力を手にいれた?」
紅蓮が元々神の力を持っていたとは思えない。大貴が知る限り、紅蓮とはそういう人物だ――ならば、前に会った時から、今日にいたるまでのどこかでかの神の力を手に入れたとしか思えなかった
戦っている最中は夢中で失念していたが、今思えばいつ紅蓮が、どうやって神の力を手に入れたのかが分からない
「分かりかねます。封じられた神がどこにあるのかは私にもわかりませんし、紅蓮さんの行動を常に監視していたわけでもありませんから」
おおよそ予想していた通りの答えに、大貴はその左右非対称色瞳に険な光を灯して、涼しい面差しで答える愛梨を見据える
(大貴……?)
その視線の意味を詩織には窺うことが出来なかったが、愛梨自身がそれを正しく理解していることを大貴は分かっていた
大貴の先程の質問は、「十世界で神の力を手に入れたのではないか?」と暗に問いかけるもの――つまり、「お前達が神を持っているのだろう?」という詰問の意図を含んでいる
無論愛梨もその可能性を考えているだが、安易にそれに答えることは、十世界の仲間達を信頼していないともとられかねない。だからこそ、愛梨はああいう形で神の出所について答えたのだ
「なら、聞き方を変える。もしも紅蓮が十世界で真の神器を手にいれたとすれば、それを渡せるのは誰だ?」
だが、大貴はそれで質問を終わらせるつもりはない。意識して感情が高ぶらないように声音を抑制しながらも、愛梨に対して疑問への真摯な答えを要求する
人が人ならば、それをはぐらかすこともしただろう。だが、愛梨という人物の人格を良く知っている大貴からすれば、こういう聞き方をすれば素直に答えるであろうことを半ば確信していた
「……おそらく、最も可能性が高いのはゼノンさんだと思います」
「ゼノン?」
そして、大貴の思惑の通りに愛梨はそれに対して誠実に答える
「皇魔のお一人で、十世界の中の悪魔の方々を統率しておられます。――彼は、集められた神器の中で真の神器の処理を一任しておりましたから」
大貴に聞かれるまでもなく、愛梨は最初に紅蓮の事を聞いた時から、ゼノンの事を脳裏に思い浮かべていた
全ての神器を使うことが出来る能力がある以上、神器があればあるほど愛梨が強くなるのは道理。事実、愛梨を案じる十世界のメンバーは頼まれてもいないのに、その力になる神器を集めていた
好意から来るものだったとはいえ、それを止められなかった自身の能力不足を実感している愛梨は、そのことで言い訳するつもりはない
だが、当然神器が集められれば、その中に愛梨が使えないもの――神を封じ込めた「真の神器」があったこともある
そしてそれは、ゼノンが率先して管理していた。安易に同胞を疑うことはしたくないが、盲目的に信じているわけでもない愛梨は、その行動に不信なものを感じつつ、信頼を以ってそれに答えてきたつもりだった
「ここにいらしてはおりませんが、今回の一見が終わったら聞いてみます」
「……分かった」
目を伏せ、今はそれよりも重要なことがあると暗に切り出した愛梨の言葉に、大貴も同意を示して結界の中にいる詩織を見る
実際、この世間話に九世界の王達と十世界の面々も、いつ始まるのかと緊張を高めている。これ以上、彼らに無駄な時間を使わせるのは大貴の本意ではなかった
「今日まで大変でしたね」
大貴の言葉に答えた愛梨は、太極の力の結界に守られた詩織に微笑みかけ、その緊張をほぐすようにできる限り優しい声音で語りかける
「……そんなことありません」
しかし、そんな愛梨の言葉に対し、詩織は大きく首を横に振って、寂しげな笑みを浮かべて言う
「――確かに、この神器が私の中に宿ったから、私は今ここにいます。怖い思いも一杯しましたし、辛いこともたくさんありました」
別れを惜しんでいることが感じられる表情で噛みしめるように呟いた詩織は、自身の存在に宿った神眼に触れるように胸にそっと手を当てる
「でも、これがあったから、私は色んな人に出会えて、今の私になれました。だから、嬉しい気持ちよりも寂しい気持ちの方がずっと強いです」
そう言って、詩織はまっすぐに愛梨を見据える
あの日――人間界に安置されていた神眼が宿ったことで、詩織は大貴達と共に九世界を旅することになった
もし神器が宿っていなければ、なんの戦力にもなれない自分は早々に地球へ還されていたはずだ。
神眼が共に在ることで、詩織は神魔と共に世界を巡ることが出来た。
道中、確かに楽しいことばかりではなかったし、むしろ自分の醜さと弱さを思い知らされることばかりだった
だがそのおかげで今の自分がある――神魔を好きなままでいる自分でいられている。だからこそ詩織は、自分の中に宿った神眼に感謝こそしていれど、疎ましく思ったことなど一度もない
「そうですか。あなたがそう言ってくれるなら、きっと神眼も喜んでいることでしょう」
詩織の嘘偽りのない本心を聞いた愛梨は、その目元を綻ばせて優しく微笑みかける
詩織に宿った神眼と、神眼が宿った詩織を共に祝福した愛梨は、その手をゆっくりと伸ばしていく
それに答えるように大貴は結界に穴を開き、全霊命の存在に詩織が潰されないようにしながら、愛梨の手を双子の姉へと導く
「――ん……ッ」
ゆっくりと延ばされた愛梨の手が詩織の胸の前にかざされると、全ての神器を使うことが出来る奏姫の力が、 その身に宿った神眼を外へと呼び出す
奏姫の呼びかけに応えて燐光が詩織の胸の中心からあふれ出し、身を潜めていたゆりかごの人間の少女の器の中から、輝く宝玉がゆっくりと姿を現す
「あれが、神眼……」
詩織の中から現れた光の宝玉を見て、誰かが、あるいは誰もがその一言を呟く傍ら、人間界王ヒナ・アルテア・ハーヴィンは、かつて人間界に安置されていた神器が詩織の中から、愛梨の手へと移動するのを見届ける
神器が抜けたことで体力や精神力といったものが削がれるようなことはないが、まるで立ち眩みでも起こしたかのようによろめいた詩織を、大貴が咄嗟に手を伸ばして受け止める
「大丈夫か、姉貴?」
「うん」
大貴の手に支えられた詩織は、小さく頷くと身体を起こして、しっかりと自分の足で立つ
その視線は愛梨の手に乗っている宝玉へと向けられており、寂寥感を浮かべたその眼差しは、まるで別れを惜しんでいるかのようでもあった
だが、これで終わりではない。むしろ、これこそが、今回の本題の始まりでもあることを、この場にいる全員が正しく理解している
九世界の王達、十世界、異端神、そしてその力が向けられる先にいる神魔は、緊張を極限まで高め、神器を手にした奏姫を見据える
「それでは、始めさせていただきます」
そして、その金箔した静寂を打ち破るかのように、厳かな声で告げた愛梨は、手にした神器神眼を起動させる
瞬間、光となって溶けた全てを見通す神の眼たる神器は愛梨の瞳へと吸い込まれ、その双眸を青白い光を纏う魔法陣を思わせるものへと変える
それは、全ての神器を使う能力を持つ奏姫の力によって起動した神眼が愛梨の双眸に宿り、その力を示す準備が整ったことの証だった
「――……」
愛梨のその言葉と共に向けられた視線に、神魔は表情を強張らせて息を呑み、桜、瑞希、クロス、マリア、リリーナ――九世界の王達が固唾を呑んでそれを見守る
「大丈夫です。きっとあなたを助けて見せます。――だから、私を信じてください」
一度瞼を閉ざし、静かな声音で紡いだ愛梨は、その目を見開いてそこに佇んでいる神魔を、全てを見透かす神の光眸に映す
「見せていただきます。あなたの全てを」
※
「見せましょう、神の巫女。本来ならば見ることの叶わない力を」
金白色の燐光が舞う。その光を生み出す金色に淡く輝く癖のない長い髪を揺らめかせたその人物がゆっくりと手を上げ、何かを示す様に人差し指を向ける
すると、それに答えるように光の蛍が一つ、風に乗ったように流れ、空から世界へと溶けて消えていく――
※
愛梨が神眼を発現した瞬間、金白色の光が一つ淡くも確かに灯ったことに気付くことができたものは一人もいなかった
愛梨はもちろん、神魔や九世界の王達、そして覇国神、護法神、反逆神に至るまで、誰の目に止まることも、知覚されることもなかった金白光は、そのまま誰に知られることもなく溶けて消えていく
「――っ」
そして神の眼を得た愛梨は、その力を以って神魔の全てを見透かさんと、光の双眸を向けてその力を発動する
神器「神眼」の能力は、全てを〝識る〟こと。世界の全て、過去、そして未来、あらゆる可能性の世界までをも見通し、使用者に全てを教えることができる
その目が今映しださんとしているのは、神魔の全て。――〝全てを滅ぼすもの〟の正体、そして歪みから世界を解放し、正しく在るべき形とするための道筋だ
瞬間、神の眼を介して愛梨の意識の中に映像が流れ込んでくる
それは、時空を超克し、あまねく全ての時間、今ある全て、存在しない可能性までをも見通す全能の神眼がみせる情報という名の景色
望む全てを視る力を持つ神眼によって、神魔という人物の本質、その起源、対応までをも暴き、読み取らんとした愛梨は、そこに見えたものに心中で目を見開く
(――闇)
神眼が見せた神魔という存在の情報は、〝闇〟だった。
一瞬、何も映し出していないのではないかと思うほどにどこまでも黒く、果てしなく暗く、何も存在しないかのように静謐で、悠久と永遠が刹那に存在しているような玄奥の闇
(いえ、違います、これは……っ)
〝なにも見えなかった〟――並の者ならばそう感じてしまうであろう闇を見つめて瞠目した愛梨は、その視界を通じて闇が流れ込んでくる
「っ」
意識と思考が暗黒に染め上げられ、自我すらを見失ってしまった愛梨が気が付いた時、膝から崩れ落ち、地面に手をついて身体を支えていた
「姫!?」
(い、今のは――)
覇国神の低い声も、今の愛梨の耳には届かない。――否、音ととして聞こえてはいるのだが、それを意識が捉えることができない
それほどに愛梨は今、神の眼を通じて見た〝闇〟に意識を奪われていた
鼓動が早鐘を打ち、呼吸が乱れる。自分が死んでいたのではないかと錯覚していた愛梨は、自らの生を確認するかのように胸を強く握り、そしてあの闇の本質を理解する
あの闇がなんなのか、愛梨は知っている。――神の巫女の一人〝奏姫〟としての自分の存在が、その正体を否応なく、理解させていた
「こ、混沌……!?」
その事実に動揺し、臨死したことで狼狽を極めていた愛梨は、自分が見た闇の正体を無意識に口にしてしまう
(そんなはず、だってあの方はとうに封じられて――)
神の眼を通して見た事実に理解が追いつかず、視線を彷徨わせる愛梨は、神魔の信じ難い正体に混乱を極める
「どうした、何を見た!? 奏姫――!」
その様子にただならぬものを感じ取ったのか、九世界の王達――それを代表して、魔王が焦燥を帯びた声音で問い質す
「――!」
だが、魔王のその問いかけに、愛梨が答えることはできなかった
なぜなら、魔王が声をかけた次の瞬間、天上界の空の一角に暗黒が姿を現し、全ての者の意識を奪ってしまったからだ
「これは……」
「時空転移!?」
突如空中に出現した円形の暗黒。――それが、異なる世界を結ぶ力を持つ門であることを瞬時に見抜いた九世界の王たちは、即座に臨戦態勢に入る
「――来ましたか」
これまで何を述べるでもなく、静謐に佇んでいた護法神は、その闇を視界に捉えるのと同時に、小さな声で独白する
だが、護法神のその言葉は、この場にいる誰の耳にも届くことはなく、風に乗って溶けていく。そしてその代わりに、暗黒の中から声が響いた
「その質問には私が答えよう――〝魔王〟」
「っ、その声、は……」
世界を繋ぐ暗黒を介して聞こえてきた澄んだ男の声を聞いた瞬間、魔界王たる魔王は、驚愕に表情を強張らせて慄く
そしてそれは魔王だけではない。その伴侶であるシルエラはもちろん、地獄界王黒曜を筆頭とする六道、
冥界王冥、妖界王虚空という闇の原在達を筆頭に、光の王達もまた同等以上の反応を見せていた
「――っ」
たった一言で場の空気が占領されると、まるでそれを待っていたかのように、目を見開いた愛梨の前で空中に開いた暗黒の門から、ゆっくりと一人の人物が姿を現す
「――ッ!」
その瞬間、この場にいた全員が無明の闇に呑まれた
――否、実際にそんなことは起きていない。しかし、そう感じてしまうほどの〝力〟。圧倒的な存在を前にしたことへの畏怖と恐怖が全員の知覚を闇に染め上げ、漆黒に塗り潰していたのだ
(な、なんだ、この神格は――!)
いつの間にか自分が膝をついてしまっていることに気づくことが出来ない大貴は、黒く染まった左右非対称色の瞳でその人物を見据える
そこに佇んでいたのは、腰よりも長い純白の長髪をなびかせた男だった。見ているこちらが恐ろしくなるほどに整った顔立ちは、自然物でも人工物でも表せない神秘の造形
まるで夜を纏ったかのような漆黒のコートは所々に白い装飾が施されており、闇に浮かぶ白骨を思わせる。白い縁取りがされた黒色の装甲が肩や腕、足、首元を覆い、純白のファーを風になびかせている
黒と白の二色だけで構成された霊衣を纏ったその男の側頭部からは左右四本ずつ――計八本の純黒の角が伸びており、双眸と額にある三番目は、いずれも金色の瞳を抱く黒目となっていた
その姿はまるで死が――否、もっと強大で絶対的なものが形を持ったかのようだった
(声が出ない、身体が動かない……こんな奴が、この世界にいたのか!?)
それを前にした大貴は、まるで喉が凍り付いたように声を発することが出来ず、また指先を動かすことが出来ないほどに身体が強張っていた
その原因が恐怖、あるいは畏怖であることは疑いようがない。大貴の知覚が――その存在の根源を成す太極の力がこの男の神格を前に竦んでしまっているのだ
実際にその男の神格は隔絶していた。一度敵意を向けようものなら一瞬にして自分がこの世から消滅することを否応なく理解させられるほどに、その神格は次元が違う代物だったのだ
だが、そこにあるのは恐怖だけではない。それ以上に、敵意や叛意など生まれる余地すらない存在の根源から湧き上がる畏敬と崇敬に似た感動が、全ての者を封じ込めていた
しかもそれは、終焉神に列なる闇の全霊命達だけではなく、天使をはじめとした光の全霊命達も例外ではない
「なぜ……なぜあなた様がここに!?」
大貴はおろか、九世界の王達、反逆神さえも不用意に言葉を発することが出来ずにいる中、膝をついていた愛梨だけが、その人物に畏れ臆しながらも驚愕に塗れた声で問いかける
「終焉神・エンド様」
「――……」
その人物――「終焉神・エンド」と呼ばれた男は、金色の瞳を抱く三つの黒眼をゆっくりと愛梨へと向ける
「なぜあなたが、神位第三位のあなたが、今干渉してくるのですか?」
「終焉神・エンド」――その名の通り、全ての終わりを司る闇の神。神位第一位、神位第二位に次ぐ神位第三位「極神」の一柱
光と闇それぞれに二柱ずつしか存在しない神であり、そして絶対神が封じられ、完全神がいない今、闇の神々の頂点に立っているといって過言ではないその存在が、今この天上界にその姿を現していた
不可神条約によって神の干渉が禁じられているというのに、この世界へと現れた終末の化神を前に、愛梨は動揺と困惑を隠せなかった
「決まっておる」
しかし、その愛梨の問いかけに答えたのは、終焉神ではなく未だ開いたままになっている闇の扉から現れた着物姿の女性だった
「妾達の目的を果たすためよ」
角、あるいは翼を思わせる簪飾りで結われた腰の位置よりも長く伸びた射干玉の髪。唇と目元を彩る緋色の化粧に、紫紺色の瞳を抱く双眸を携えた恐ろしいほどの美女
艶のある黒髪とは異なり、その身に纏う漆黒の衣は、まるで光のない闇を凝縮したように艶一つ存在していなかった
その上に羽織った白絹の羽衣がまるでヴェールのように広がっており、尊大ながらも高貴な気品を感じさせる居住まいを持ったその絶世の美女を更なる幻想の極みへと昇華している
「あ、暗黒神・ダークネス様……っ」
その女性を見た愛梨は、終焉神と同等の神格を持つもう一柱の闇神の姿に目を見開き、声音を強張らせる
「おお、これが我らの神を目覚めさせるための〝唯一の鍵〟か」
しかし、そんな愛梨の声に反応すら示さなかった暗黒神は、次の瞬間熱を帯びた声で神魔の頬を両手で包み込んでいた
「――っ!」
その動く挙動さえ誰にも見えなかった暗黒神の妖艶な美貌が眼前に出現したのを見て取った神魔は、それに半瞬以上遅れて魔力を解放する
白磁のように白い手の冷たさに、いつの間にか距離を詰められているのに気付いた神魔が、大槍刀を召喚して振るうと、暗黒神は微笑を浮かべたまま後方へ軽々と移動して回避する
「妾を前にして、動くことができるとは、やはり間違いがないようね」
実を言えば、避ける必要さえなかった斬撃をわざわざ回避して終焉神の隣まで戻った暗黒神は、桜を連れて先程の場所から遥か後方へと移動した神魔に口元を手で隠して微笑む
実際、この一連の流れの中で、神魔以外に動くことができた者は九世界の王や覇国神、反逆神を含めて一人もいない
だがそれは、神位第三位の神格を前にすれば当然の反応――むしろ、反応できていなかったとはいえ、動くことができた神魔の方が異常なのだと、暗黒神は正しく理解していた
「まあ、少し前からおおよそ想像はついていたけれど」
その目を細め、神魔を観察した暗黒神は、霊衣の袖と手で口元を隠したまま隠したまま、誰の耳にも届かない小さな声で独白すると、おもむろにその視線を動かす
「――それで、創造神はどうするつもりか?」
「!?」
暗黒神が視線を声を向けたのは、円卓の神座の一角であり、創造神の神臣である護法神・セイヴだった
闇の神々とは対になり、敵対関係にある光の神の頂点を気にかけるのは一見何の疑問もないように思えるが、護法神に問いかけた暗黒神の声音からは、まるで敵意のような棘が感じられなかった
むしろ、まるで打ち合わせをしているかのような声で問いかける暗黒神に事態を把握しきれずに困惑する中、護法神よりも先に終焉神が口を開く
「待て暗黒神。何事にも順序というものがあるだろう」
そう言って暗黒神を諌めた終焉神は、漆黒の目に抱かれた金色の視線を、自身から少し離れた場所で膝をついている十世界盟主――「奏姫・愛梨」へと向ける
「奏の巫女よ。お前は神眼を介して視たはずだ――あれの正体を」
そう言って語りかけた終焉氏がその視線を神魔に向けると、その言を受けた愛梨は、その美貌を歪めて歯噛みする
微かに震えるほど、感情に揺れる手で地面を握り締めた愛梨の耳に、神魔を見据えたまま口を開いた終焉神の言葉が振ってくる
「奴は、我ら闇の神にとって、最も重要な存在――」
その言葉が何を紡ぐのか知っている愛梨は、耳に流れ込んでくる終焉神の言葉が、その意味を形作るのをただ黙して聞いているしかできなかった
そして、九世界の王達は神自身から告げられようとしている神魔――〝全てを滅ぼすもの〟の正体に、息を呑む
「破壊神・カオス様の写し身。〝もう一人の破壊神〟だ」
そして、ついに終焉神の口から、この場にいる全ての者達、そして神魔自身に、その真実が告げられた