願いの翼
文明神の力によって閉ざされていた天上界王城の空の一角が破壊され、そこから雪崩れ込むように入り込んできた十世界に属する者達
その先頭を切る紅蓮は、全身から迸らせた魔力をその武器である剣に注ぎ込むと、力任せに手近な神形に叩き付ける
「オラァ!」
それに瞬時に反応し、文明の神能の障壁を生み出した神形が紅蓮の斬撃を防ぎ、力の火花を散らす
「シャリオ……」
紅蓮が戦端を開くかのような一撃を放つと、それを皮切りに十世界の軍勢が散開していく
純白の翼を羽ばたかせた天使「シャリオ」が身の丈にも及ぶ大剣から光力の斬波動を放ち、神形達に叩き付ける傍ら、頭上に光輪を浮かべた天上人の一人が声を上げる
「総員。天上界の援護をしろ!」
「北斗……」
新雪を思わせる純白の髪を揺らし、金色の瞳に神形の軍勢を映した天上人の青年が声を上げると、霞はその名を小さく口の中で転がす
その言葉を皮切りに十世界に属する天上人達が次々の己の武器を顕現させ、神形達と刃を交えていく
「気を付けろ! そいつらは光の力を無力化してくるぞ」
一時的な共闘とはいえ、自分達が相手をするべき敵を受け持ってくれることはありがたい。今は一時的な休戦と判断したザフィールは、十世界に警告を飛ばす
共通の敵と戦うために一時的に敵対する者同士が手を取り合うというのはまれにあることだが、ことがこれほどスムーズに進むのも、九世界が十世界に対する信頼があるが故
十世界という組織は九世界と相容れない理念を掲げ、戦いではなく対話による世界の変革を望んでいる。そして盟主「奏姫・愛梨」が望む通り、一部の者達を除いて理想を訴え続けてきた結果培ってきた信頼が、今共闘するに値するという判断の根底にある
「……っ」
自身の武器である輪刃の斧を振りかぶり、天力に満ちて輝くその円形の輪が超速で回転させて力任せに神形に叩きつける
だが高速回転する輪刃斧も、光の力を限りなく無力化する力を持つ文明神の眷族が展開した障壁に遮られて沈黙してしまう
見知らぬ堕天使の忠告が事実だったことを自身の力で確かめた北斗は、その顔をしかめると神形が反撃とばかりに放ってきたアンカーのような攻撃を軽やかに回避する
その最中、記憶にある力を知覚して一瞥を向けた北斗は、神形の軍勢に圧されている霞の姿を視界に収める
「これは、思った以上に面倒なことになっているな」
華やかなその身を敵の力に焦がし、物量で圧殺されないために包囲されないように立ち回る霞の苦戦の度合いを一瞥で理解した北斗は、この文明の軍勢の凶悪さを理解して輪刃の斧を構える
十世界の応援が来たとはいえ、その大半が光の存在である天上人である以上、光の力に対する極耐性を持つ神形達の有利は変わらず、不利な戦局は変わらない
天を埋め尽くす全く同じ姿をした〝衆級〟の神形達が持つのは光の力に対する耐性であり、光の神能そのものを無力化するようなものではない
そのため、幸いにも光の力で相手の力を相殺することはできるが、その身体に傷を付けられない以上、勝利することができないのは自明の理だった
「く……っ」
ライフルの武器から砲撃を放ち、天を舞う花弁のようなものからさらに追撃の砲撃を放ちながら、クロスとマリアはアンカーやハンマーといった武器で迫ってくる神形達を協力して凌ぐしかなかった
|神能を持つ全霊命は、基本的に広範囲の攻撃に特化しているため、密集していたり、分散していても同格ならばある程度数の差を埋めて戦うことはできる
だが、クロス達とほとんど変わらない神速で全方位から迫る神形達の波状攻撃は極めて洗練されたものであり、無限の体力と集中力を有する全霊命であっても気を抜けばたちまちその戦術の餌食にされてしまうことは間違いない
その攻撃をかろうじて協力しながら捌いていたクロスとマリアだったが、同等の力を持つ者に数で圧されれば徐々に追い込まれていくのは避けられなかった
知性や感情はないが、戦うための知性を有しているが故に優れた戦況判断力も備える神形達は、力による砲撃と通常の全霊命にはない様々で多様な武装によって二人を分断しようと攻めたてる
光力による対処ができない以上、光力の放出によって牽制し、逃げるように移動しながら攻撃を防ぎ続けるしかないクロス達にも徐々に戦闘兵器たる神形達の手が迫ってくる
「っ!」
全方位から放たれたアンカーがマリアの展開する光力の結界に絡みつき、その動きを封じる
かろうじて攻撃は防いでいるが、結界ごと抑え込まれたクロスとマリアが動けなくなったところで、神形達が光剣を手に突進していく
光力の結界も、光の力をほぼ無効化できる神形達ならば、突貫による体当たりで半ば強引に突破することができる
このままでは、全方位から迫る刃が自分達を串刺しにするのは時間の問題だとクロスとマリアが息を呑んだ瞬間、天空から降り注いだ純白の光が、命の無い兵器を貫く
「っ!」
(この力は……)
光の力が通じない相手を、その耐性を上回る神格を持つ光の力が貫いたのを見て目を瞠るクロスとマリアは、その力が誰のものであるのかを瞬時に知覚して弾かれた様に顔を上げる
「大丈夫ですか?」
そこにいたのは、二人の予想通りの人物―― 一点の汚れもない四対八枚の純白の翼を広げ、ゆっくりと腰の位置よりも長く伸びた紅色の髪が炎のように揺らめかせた天使の女性
白い布が幾重にも重ねた司祭のような敬虔さと清廉さを持つ霊衣に身を包み、聖母のような深い慈愛を感じさせる微笑を浮かべたその天使の名は「アリシア」。――天使の原在「十聖天」の一人にして、マリアの実母だ
「アリシア、様」
「……っ」
その手に十字架を思わせる身の丈にも及ぶ純白の杖を携え、天空から羽のように軽やかに降りてくるアリシアの神々しいほど神聖な光にクロスが声を漏らし、マリアは喉まで出かかった言葉を呑み込む
天使と人間――全霊命と半霊命という禁忌の存在として自分を産んだ母に対して複雑な感情を抱かざるを得ないマリアは、アリシアをなんと呼べばよいのか分からず言葉を止めてしまったのだ
特に憎しみがあるわけではない。母と呼びたい娘としての気持ちと、禁忌の存在である自分がその気持ちに素直になってそう呼んでいいのか迷っているマリアの心中を見透かしているように、アリシアはただ優しく微笑みを向ける
「ごめんなさいね、こんなに早く来てしまって。本当は答えを聞くときに来るべきだったのでしょうけれど、今はこの場を切り抜けるために力を合わせましょう」
自分と共に十世界に来てほしいと愛娘であるマリアに申し出ていたアリシアは、その答えを出すべく迷っていたであろう娘に予定よりも早く来てしまったことを詫びると共に共闘を申し出る
だが、それは当然クロスとマリアからすれば願ってもないことであり、神形の光耐性をものともしない光の力を持つアリシアの協力を断る理由はなかった
「では――」
「あの」
話がついたところで、戦闘に参加しようとしたアリシアを、意を決したマリアが呼び止める
その声に含まれる真剣な響きに愛娘へと視線を向けたアリシアは、自身へ向けられるマリアのまっすぐな視線を受け止める
「私はあなたとは一緒に行けません」
アリシアと視線が交錯してから、たっぷり一呼吸分を置いてから発せられたマリアの一言に、アリシアは戦場の喧騒が掻き消えたようにさえ感じていた
「――……」
だが、その答えに驚きはなかった。どう言い繕っても、自身がマリアへ背負わせた運命が許されるものではないことを理解しているアリシアにとって、その答えは――的中してほしくはなかったが――予想通りのものでしかなかったのだから
「私には――」
しかし、アリシアに端的に答えを述べたマリアは、その白い頬をわずかに朱に染めると、口の中で転がすようにしながら、それに続く言葉を紡ぐ
その声に敵意や拒絶といった負の感情は一切ない。むしろその逆――幸福や、舞い上がってしまいそうなほどに浮かれたその心中が見え隠れしていた
「私には、ここにいたい理由が――大切な人がいるんです」
わずかに頬を染めながら紡がれたその言葉と、様子を窺うようにさりげなく視線と意識を配っている天使の青年――クロスを見て取ったアリシアは、その全てを正しく理解して、表情を優しく綻ばせる
自分が離れている間にマリアは、禁忌の存在であり、真の神器であるという運命を背負いながらも、この世界に生きている幸福を――ともに生きたいと思える人に恵まれていたのだと、改めて強く認識する
マリアにとって、自身という存在とこの世界が、ただ拒絶されるものではないということはアリシアにとってとても喜ばしいことであると同時に、自分の知らない内に一人の女性として成長している姿に一抹の寂しさを覚えてしまう
「……そうですか」
女として得られる幸福の最上位の一つである想いを胸に、それを叶えたであろうマリアがその顔を幸色に彩っているのを見たアリシアは、母として万感の思いを抱きながら優しい声音で語りかける
「十世界に行くことも、神器として神になるつもりもありません。私は、私として……私のいたいと思う場所にいます」
一言一言噛みしめるように、自分に向けられているようでありながら、別の誰かに向けられているようにも聞こえるマリアの決意を、アリシアは真っ直ぐに受け止める
「その道は険しいですよ」
そう願っていても、それが叶うわけではない。特にマリアのような運命を背負っている者は、世界という大流に翻弄されることになってしまう
無粋だと分かっていながら――その瞳に答えが浮かんでいることも分かった上で、アリシアは穏やかな声音でマリアにその決意を確認する
「覚悟の上です」
「あなたが――マリアが決めたことならば、そうするのが良いでしょう」
何の迷いもなく返されたマリアの答えに、アリシアはそれ以上何も言うことなく、小さく目を伏せてその意思を受け取ったことを示す
その一方で、アリシアは愛する娘であるマリアの――否、二人の決断を祝福し、その未来に幸多からんことを祈らずにはいられなかった
(やっぱり、あなたは私の娘ですね)
うっすらと目を開いてマリアを瞳に映したアリシアは、その姿に在りし日の自分の姿を重ねていた
(困ったところまで似てしまったものですね)
天使でありながら人間の男性を愛し、その想いを貫いた自分と同じように、禁忌の存在でありながら想い人と添い遂げることを願うマリアに、アリシアは心中で共感と苦笑を覚える
「ただ、私のところへ来たくなったなら、いつでも言ってください。――もちろん、その大切な人と一緒でも歓迎しますよ」
二人の行く先には計り知れない困難が待ち受けているのは間違いない。自分にできることはしてあげたいと願うアリシアは、その気持ちを言葉に込めて娘に伝える
それと同時に、話を切り出す機を窺っているクロスに視線を向けて、全部分かっていることと、娘を頼む
旨を視線で伝えると共に小さく頷いて見せる
それに気づいたクロスが深々と目礼するのを視界の端で捉えながら、アリシアは苦渋の決断を下した愛娘を優しく腕の中にかき抱く
「なにも気に病むことはないのですよ。少し寂しいですけれど、あなたの幸せが私の幸せなのですから」
「ありがとうございます。――お母さん」
血の繋がりによるものだけではなく、心から母と認めてくれたマリアの呼びかけに愛おしげに目を細めたアリシアは、その聖母のような笑みをたたえたままその手に純白の十字架杖を顕現させる
「母娘の会話に割り込むとは、無粋ですね」
その杖を突き出し、肉薄していた神形を貫いたアリシアは、マリアとの抱擁を解いて胸部に穴の穿たれた文明神の眷族を突き飛ばす
「神に作られた全霊命を殺すための兵器――ですが」
自身の光の力にさえも強い耐性を示し、容易に滅ぼせない神形を前にしても、今のアリシアの胸には、娘と娘の大切なものを守る意思が炎のように灯っている
自身を突き動かす衝動のままに、十字架杖を一閃させて光力を収束し、天空に白い十字架光を顕現させた
アリシアは凛とした眼差しで神形を射抜く
「今の私を簡単に止められると思わないことです」
「――十聖天、なんでこんなところに!?」
アリシアの純白聖光によって神形達が討ち滅ぼされていくのを見ながら、神を殺す剣を携えた特級神形“リオラ”は、小さく舌打ちをする
天使の原在である十人の天使「十聖天」は、天界女王「アフィリア」、堕天使王となった「ロギア」を除けば、その全てが死に絶えたとも言われている
少なくとも天界に属しておらず、これまでなんの情報もなかった最強の十天使の一人が現れたことは、少なくとも想定外だと言わざるをえなかった
「大貴ィ!」
「!?」
瞬間、アリシアに気を取られていたリオラは、耳朶を打ち空気を震わせる号声に意識を引き戻され、その方向へ視線を向ける
同様に名を呼ばれた光魔神――大貴が顔を上げると、全身から魔力を迸らせた紅蓮が、一直線に向かってきているのが見て取れた
「さぁ、大貴。決着をつけようぜ」
その武器である太刀に猛る魔力を纏わせ、漆黒の軌跡を残しながら吠えた紅蓮に、リオラは神殺の神理が凝縮された剣を振りかぶる
「なによあんた!? 横からしゃしゃり出て邪魔しな――」
紅蓮と大貴の因縁など知る由もないリオラが突然の乱入者を邪険にし、排除するべく剣を振り上げた瞬間、それとは別の方向から漆黒の光が神速で肉薄してくる
紅蓮はあくまでも大貴に向かっているが、その漆黒の光――堕天使の力である闇光が自分に向かっていることを知覚したリオラは、瞬時に対象を切り替えて、そちらを剣で受け止める
光速も空間も超越した速度で迫った黒光は、一本の黒髪と金色の髪を持つ堕天使へと姿を変え、最上段から振り下ろされた身の丈ほどの斬馬刀をリオラの神殺の剣が受け止める
瞬間、斬馬刀に纏わされていた黒光が弾け、そこに込められていた純然たる滅殺の意思が天上界を震わせ、空と大地を軋ませる
「なに、あんた?」
己が神である文明神が欲する大貴との戦いに割り込まれ、自身の任務を妨げられたことにあどけない表情に不快感をありありと浮かべたリオラは、斬馬刀を叩きつけてきた見知らぬ顔の堕天使に冷たい声を向ける
リオラが持つ神殺の理が形となった剣は、全霊命の神能にも優位な力を持っており、闇に染まった黒光を斬り裂いているが、相対する堕天使はそれに一切怯んではいなかった
「文明神はどこだ!?」
「……は?」
闇の光を切り裂かれていても、その刃を引くこともしない堕天使――ラグナがその心のままに感情を露にすると、その号声にリオラは不快感に眉根を寄せる
ユニットにとって、自らを生み出した神は基本的に崇拝し、最上位の敬意をもって接するもの。堕天使であるラグナがそうでないことは分かっているが、自らの神に対する不敬な態度はリオラにとって不快感を禁じ得ないものだった
「ユフィを返してもらう」
「!」
だが、威嚇混じりの強い声にも怯むことのないラグナが声を発すると、リオラは大きなその目を丸く見開く
「ああ、そっか。あんたあの時の天使だったのね……!」
黒光を放ち、漆黒の翼を広げるラグナの姿に、かつて純白の翼を持っていた天使の姿を重ねたリオラは、その口端を吊り上げる
「なるほど。あの子たちに対抗するために、白い翼を捨てたのね」
光の力に対する極耐性を持ち、原在級の神格を持っていない限り、まともに渡り合うことのできない能力を持つ神形を一瞥したリオラが言う
その脳裏によぎるのは、かつて光の力をほぼ無力化できる力を持つ神形達によって敗北し、地面に倒れ伏していた純白の翼を持つ天使だった頃のラグナの姿
「自分の女を守れず、助けにきて返り討ちにあっておめおめと逃げ帰ったと思ったら、白い翼を棄ててきたなんて――一途で感心するわ」
皮肉に満ちた言葉を向けたリオラが神殺しの力を持つ剣を力の限りに振り抜くと、黒光を斬り裂かれたラグナが後方へと飛びのく
「あぁ、そうだ。だから、今度こそユフィを取り戻す」
「無理よ」
距離を取り、斬馬刀をかまえたラグナが力強く言い放つと、リオラは感情の抜け落ちた冷ややかな声で言う
「白い翼を棄てたくらいで届くほど、私達の領域は低くないもの」
挑発などではなく、厳然たる事実を淡泊に告げたリオラが神殺の力が具現化した剣の切っ先を向けると、ラグナは強い意思を込めて斬馬刀の柄を握り締める
「――っ!?」
しかしその瞬間、何かが引きちぎられるような轟音と共に天上界の空の一角が引き裂かれ、その中からなにかが飛び出して白雲の大地を削っていく
何かに吹き飛ばされたのか、空間の中から吹き飛ばされてものが、その勢いのまま天上界王城を戴く白雲の大地を砕くのを見て、リオラは先程までの冷酷な笑みを消して驚愕を露にする
「……ベヘネヴィーラ?」
空間の中から飛び出したきたのがなんなのかを知覚したリオラがその単語を呻くように呟くと、白雲の大地の中から、その人物が解放した文明の神能と共に姿を現す
「く……ぅ、ううっ!」
身体を起こし、屈辱を噛みしめるようにして叫びを殺したベヘネヴィーラは、射殺さんばかりの視線を砕け散った空間に向ける
その身体には多くの傷が刻み付けられており、霊衣は破れ焦げ、無数の血炎をくすぶらせているばかりか、その腰から生えていた翼に至っては片方が途中から斬り落とされている
「リオラ! ミルトス! クレメウス! こっちに手を貸せ! ――こいつらは危険じゃ!」
「一体何が?」
普段尊大な振る舞いを見せる同胞が、余裕のない――恐怖すら滲みだしているような切羽詰まった表情で声を荒げるのを聞いた三人の特級神形は、それぞれがベヘネヴィーラが睨み付ける先へ視線をむける
それがきっかけになったかのように、元々一度内側から破られていた空間の結界が砕け散り、その中に封じ込めていた世界をこの世界へと回帰させる
「この魔力は……神魔さん達ですね」
隔離されていた空間が回帰するのと同時に、真っ先に届いてきた魔力を知覚しリリーナは、安堵の息を零す
「そんな……魔力共鳴とはいえ、これほどの神格を得ているなんて――これではまるで、原在じゃない!」
一方で、初めて神魔と桜の共鳴した魔力を知覚した四煌天使の一人「ノエル」は、そのあまりにも強大な力に言葉を失い、全てを呑み込む純黒の闇の力に畏怖を覚える
「神魔」
「桜さん――」
大槍刀を担ぎ、破壊された空間の中から現れた神魔の姿を見てクロスとマリアが視線を向ける中、そこから更なる数の神形と共に、桜、詩織、出雲、真響が姿を現す
「あいつ――」
「叢雲さん……?」
隔離された空間の中から現れた叢雲に、その存在を知覚した邑岐が威蕗と刃を交えながら剣呑な視線を向け、灯が動揺に心を揺らす
叢雲の出現によって文明の眷族達の軍勢による侵攻の最中に天上界側の勢力に一瞬の空白が生じるが、それを大槍刀の黒刃から放出された純黒の魔力が断ち切る
「急げ! こやつはここで殺しておかねば危険じゃ!」
最強の全霊命たる原在に比肩する神格を持つ魔力を解放した神魔に、ベヘネヴィーラが銀の鎌斧を構えて声を荒げる
ベヘネヴィーラのただならぬ様子にリオラ、ミルトス、クレメウスの三人が身じろぎするよりも先に、神魔がその間合いに肉薄する方が疾かった
「疾い!」
その速度に多くの者が目を見開く中、ベヘネヴィーラへと肉薄した神魔の斬撃が力任せに最上段から叩き付けられる
純然たる意思が込められた世界を滅ぼす純黒の魔力が唸り、自身へ肉薄するのを双眸で捉えたベヘネヴィーラは、かろうじて反応できるほどの速さを持つ斬撃を防ぎ
「――くッ」
全霊の力を以って結界と障壁を展開し、その一撃を防いだベヘネヴィーラだったが、銀の鎌斧越しに伝わってくる魔の闇の破壊力を受けきれずに吹き飛ばされる
怒涛に迫る魔力の奔流に押し流され、傷ついたその身体にさらに傷を刻み付けられたベヘネヴィーラが吹き飛ばされると、今度こそ特級神形達は驚愕に目を見開く
「嘘でしょ、なんであいつに攻撃を当てられるのよ!?」
「?」
リオラの言葉の意味を理解しあぐねるラグナが眉根を顰めると同時、ミルトスとクレメンスは相対していた相手に背を向け、ベヘネヴィーラを圧倒した神魔へと迫る
同じ特級神形である三人は、ベヘネヴィーラが宿している神器「無形貌」の能力を知っている
自らの存在を無秩序とすることで、あらゆる力を受け付けないことができる神器を発動させたベヘネヴィーラが攻撃を受けて吹き飛ばされたという事実は、三人にとって信じ難いものだと言わざるをえなかった
「!」
ベヘネヴィーラを斬撃によって吹き飛ばした神魔は、自身の間合いへと入り込んでいた銀髪の女性が、身の丈にも及ぶ大槍を振りかぶっているのを見て目を瞠る
真っ先に神魔へと迫ったのは、〝影〟の能力を持つ神器「裏因果」を持つミルトス。あまねく物に影が生じるように、まるで最初からいたかのように神魔との距離を無にして放たれた槍の斬閃が弧を描く
しかし、今まさにその刃が首に届かんとした瞬間、神魔は体を捻ってミルトスの斬撃を回避する
結果その刃は虚しく空を切るだけに留まり、並の全霊命には知覚も反応もできないはずの必殺の初撃を躱されたミルトスは、一拍のインターバルを終えた神器を再度起動し、一旦距離を取る
神器の力を用いた神速による移動とも空間転移とも違う影の移動。だが、寸前で手を握り締めた神魔が軽く手を引く
「な……ッ!?」
瞬間、まるで何かに引き寄せられるように、自身が神魔へと手繰り寄せられたことに、ミルトスはその麗貌に驚愕を露にする
(どうして? これは、私と同じ――?)
神器の力によって確実に作り出したはずの間合いが一瞬にして失われ、離脱したはずの神魔の間合いの中に呼び戻されたミルトスは、同時に自身へと迫る魔力の斬撃を前にして息を呑む
そこに込められた純然たる殺意に自らが滅びる因果を幻視したミルトスが生存本能に突き動かされるままに槍を薙ぎ、その一撃を防いでベヘネヴィーラのように吹き飛ばされる
「く……ッ!」
その一撃を受け止めた槍の刃が欠けるほどの力の衝突を受け、魂の髄まで軋むほどの衝撃を覚えたミルトスが端整な顔を歪ませる
文明神の眷族である神形の武器は、通常の全霊命と同様にその神能によって形作られているものだが、同時に全霊命の武器とは異なるものでもある
神形の武器は神形の創造主である「文明神」によって作られたものであり、衆級のように複数の武器として装備することもできる
つまり、神形にとっての武器は武装であり、全霊命のように神能が戦うための形になったものとは異なる。そのため、武器を破壊された場合魂にもダメージを受ける全霊命とは異なり、神形にとっての武器の破損は、あくまでただ武器を破壊されたという事実でしかない
「――っ」
全霊命のそれとは違うとはいえ、自身の神格に基づいた強度と能力を一合で破損させられミルトスは、再び自身の力を注ぎ込んで欠けた槍を正常な形へと復元する
その一瞬の間に刃を交わす神魔とミルトスの許へと肉薄したベヘネヴィーラとクレメウスが、それぞれの武器を手に迫る
「はあッ!」
「ムゥン!」
気合の声と共にベヘネヴィーラの銀の鎌斧とクレメウスの両刃剣による斬撃が神魔へと叩き付けられる
それと同時に文明の力が炸裂し、全霊の力が注ぎ込まれた二撃が巻き起こす力が光の渦を巻き起こして吹き荒れ、空を塗り潰す
「――っ!」
しかし、その光は一瞬にして内側から純黒の闇によって食い尽くされ、その中から突き出された大槍刀の突撃がクレメウスの純白の鎧を突き立てられる
「――っ!」
その戦闘スタイルが故に、斬撃を撃ち込む際も大盾を構えていたクレメウスは、それすらも貫いて自分へ突き立てられたその刃に、人型の同胞とは違うその目に驚愕の光を灯さずにはいられなかった
(私の盾と鎧をこうも易々と……)
クレメウスが持つ神器――「没神汎神」は、相手の存在を投射して、その力を無効化する力を持つ守りの神器
自身の存在そのものであるために、どれほど望んでも決して本人を傷つけることのない神能の特性を表した神器は、最強の原在である堕天使王ロギアの攻撃さえ防ぎきることができる
だというのに、神魔の攻撃はその守りをまるで存在しないかのように貫き、クレメウスを傷つけていた
(しかも、我らの攻撃は届いておらぬ! ここまでの差があるというのか!?)
二重に炸裂した文明光が薄れていくと、ベヘネヴィーラの鎌斧の刃とクレメウスの両刃剣の刃が神魔が放つ魔力に遮られているのが見て取れる
渾身の力を以って撃ち込んだはずの二つの斬撃が届いていないことに、その身を貫かれたクレメンスは自分達と神魔との神格の差に疑問を抱く
「っ!」
クレメウスが漆黒の大槍刀に貫かれたその時、ベヘネヴィーラは闇の中から自身へと向けられる手のひらを見て反射的に身を引く
瞬間、そこから解放された魔力が収束された暗黒の砲撃となって天を射貫き、ベヘネヴィーラの肌を掠めて天空に張り巡らされた結界に衝突して相殺される
「ぐ……っ」
(なんじゃコイツは!? ただの悪魔なのか――?)
黒い魔力に肌を焼かれ、苦痛に小さく歯噛みしたベヘネヴィーラは、三つの神器を相手に圧倒する神魔を睨み付ける
その傍らで天へと貫く純黒の闇がまるで枝を張り巡らされた大樹のように迸り、空を埋め尽くしていた神形達を一掃する
「――……」
その黒樹を生み出した張本人である桜は、淑やかな面差しでその武器である薙刀を弧を描くように振るって大樹のように形作られた魔力を霧散させて消失させる
(神魔様――)
神形を滅掃した桜はたおやかなその視線を流し、それぞれ神器を持つ三人の特級神形と対峙して圧倒する神魔の姿を映す
「全てを滅ぼすもの」としての覚醒を経たために、最近明らかにその力に異質さを増している
結界の中での戦いで、闇の神の力である絶滅の力を想起させる力を見せたのがその最たる例だ
その魔力は、命を共有しているために桜にも少なからず影響を与えているらしいが、それに対する不安や不快感、恐怖は一切ない。だが、自分以外の者がそうは思わないであろうことも桜には分かっていた
(あれが〝全てを滅ぼすもの〟の力か……)
三人の同胞があしらわれたことに危機感を一層募らせ、大貴の許から離れたリオラの神を殺す理が具現化した剣を大槍刀で受け止める神魔の姿に、堕天使王ロギアは剣呑な光をその双眸に灯す
「あれは危険だ――」
どこまでも暗く黒い闇色をした魔力を放出させる神魔をその双眸に映したロギアの口からは、無意識の内にその心中が小さな声で零れていた