神を絶つ闇
「お義母様!」
文明神のユニット「神形」の〝特級〟の一角である黒と白、左右で色の異なる翼を持つベヘネヴィーラの斬撃を受け、血炎を舞い上げながら宙を舞った深雪に、桜が声を上げる。
その光景に結界の中の詩織が息を呑む中、宙に投げ出された深雪の身体は、その場で軽く一回転してベヘネヴィーラから距離を取る。
「大丈夫ですよ」
桜と詩織の心配を払拭するように穏やかかな声音で応じた深雪だったが、その肩口には先程のベヘネヴィーラの武器である銀の鎌斧の斬撃で受けた生々しい傷が痛々しいほどに刻み付けられており、そこから赤い血炎を立ち昇らせていた。
「よそ見をしている暇があるのかの?」
その時、深雪へと意識を奪われていた桜は、舐めるような声音で紡がれた妖艶な声につられて反射的に視線を向けると、そこには銀の鎌斧の間合いまで肉薄してきていたベヘネヴィーラが不敵な笑みを浮かべていた。
「――っ」
(そんな、この距離まで気付かないなんて……!)
一瞬気を取られたのは事実だが、ここまで知覚が反応しなかったことに驚愕する桜は、魔力を注ぎ込んだ薙刀を振るってベヘネヴィーラの一撃を受け止める。
薙刀と鎌斧が正面から打ち合った瞬間、魔力と文明の力が火花を取らし、その力を成させる純然たる意思が相殺された力と共に世界に顕現して破壊をもたらす。
「――っ」
互いの力に込められた滅殺の意思が神格によって物理的に顕現して破壊をもたらす中、桜とベヘネヴィーラは舞うように身体を躍らせながら神速の斬撃をぶつけ合う。
長い桜色の髪を躍らせ、着物の形をした霊衣の裾を翻す桜の薙刀と金色の髪と黒と白二色の翼を持つベヘネヴィーラが武器と力を応酬させる。
「中々やるの」
互いの武器と同時に魔力と文明の神能がぶつかり合う中、ベヘネヴィーラは口端を吊り上げて嗤うと共に、右の白翼で夜桜の力を帯びた薙刀の刃を受け止める。
「――!?」
その手応えに柳眉を顰めた桜は、自身へと向けて放たれた鎌斧の一撃を受け止めると、そのまま後方へと飛びずさる。
「桜ちゃん!」
桜の援護に向かおうとする深雪だったが、それを神形達が黙って許すはずもなく、全方位から群がるように襲い掛かってくる。
容赦のない包囲戦闘を仕掛けられた深雪は、先程の一合で受けた傷の痛みに耐えながら、その攻撃の嵐をかろうじて防ぐ。
「く……っ」
(いけない! 詩織ちゃんが……っ)
さらに、桜に気を取られている一瞬の隙に、この世界に文明神の眷族を招き入れた張本人たる天上人――「叢雲」が、結界に守られた詩織の許へと近づいていた。
「っ」
だがそれに気づいても、今の深雪には結界と障壁、魔力を総動員しても、天を埋め尽くすおびただしい数の神形の軍勢による攻撃を凌ぐので手一杯。
別のところで戦っている二人の天上人――出雲と真響に至っては、光の力を限りなく無力化できる文明神の眷族の前に成す術もない状態だった。
「悪いが、君の中にある神器を渡してもらおうか」
「っ」
その手に携えた金矛に天力を込めた叢雲は、最上段から清浄なる光に満ちた刃を振り下ろす。
それは、詩織を守る桜の結界によって防がれ、魔力と天力――光と闇の力がせめぎ合って、天地を軋ませる衝撃と火花を散らす。
闇の力に対して優位性を持つ光の力「天力」が桜の魔力の結界を軋ませるのを見た詩織は、その結界の中で反射的に身を竦める。
叢雲の攻撃には、一切の躊躇と遠慮がない。愛梨のように神器を取り出す力のない叢雲からすれば、神眼を手に入れるには、器となっている詩織を滅ぼす必要がある。結界を砕いた攻撃で死のうがその後に命を奪おうが同じだと考えているのだ。
「詩織さん!」
それを知覚と視覚の端で捉えている桜は、切羽詰まった声を上げて渾身の力を込めた魔力の斬波動を放つ。
桜の武器である薙刀から放たれた夜桜の魔力刃は神速で世界を切り裂きながら迫るが、それを向けられたベヘネヴィーラは微動だにせずにそれを真正面から受け止めてかき消す。
「っ!」
(また……わたくしの力が、完全に沈黙している)
それを見据えた桜は、自身の魔力がベヘネヴィーラに触れた瞬間に無力化されているのを見て取って、その淑やかな花貌を歪め、険しい眼差しを向ける。
「無駄じゃ。妾達特級は、それぞれが神器を使えるように存在を調整された唯一の個体。そして、今最も古い存在である妾が宿す神器は〝無形貌〟。――秩序を無に帰す力を持つ神器じゃ」
そして、そんな桜の視線を鷹揚に受け止めたベヘネヴィーラは、見せつけた自身の力を示すように――おそらく、おおよそその力を理解しているであろう桜に固辞するように尊大な態度と口調で自らの力を語りきかせる。
「――やはり、そうですか」
勝ち誇ったかのように紡がれるベヘネヴィーラのその言葉に、それが意味するところを正しく理解した桜は、小さく唇を噛み締める。
(そうなると、おそらくどんな攻撃も効果がありませんね)
ベヘネヴィーラが持つ神器「無形貌」は、その使用者の存在と力を無秩序とすることができる。
魔力はもちろん、この世において最強の力である神能は、その力を意思によって定めている。それはもちろん、攻撃する対象においても例外はない。
神能は、使用者が「攻撃したい」と思った相手に対しその超絶的な効果を発揮する。自らの神格が許す限りあらゆる事象さえも滅却せしめるその力は、そうでなければ振るうだけで世界を滅ぼしてしまうだろう。
だが、神器「無形貌」は、その無秩序の力を持って、使用者の存在を暈す。
その結果、そこにあり、知覚もでき、認識もできるというのに、神能がその人物だと認識することが出来ず、その力が発揮されなくなってしまう。
だからといって、全てのものを滅ぼすように箍を緩めた神能を使っても同じこと。何故なら無秩序――その存在を確する理そのものが存在しないその力にはどんなことをしても干渉することができないからだ。
そこにありながら干渉することができない〝なにものでもないもの〟。――神器によってその力を得たベヘネヴィーラを害することは限りなく不可能に近いだろう。
「くッ」
自身を害されない無秩序の力を持つが故に、揺るぎない勝利を確信しているベヘネヴィーラは、口端を吊り上げて桜へと力の波動を放つ。
銀の鎌斧の斬閃と共に放たれた破壊の力もまた、無秩序の洗礼を受けており、それを相殺するべく放たれた夜桜の魔力の干渉を抜け、その衝撃が桜に襲い掛かる。
(力を完全に防ぎきれないなんて……っ)
その存在そのもの、そしてそれに由来する神能が無秩序であるために、それを相殺し、滅ぼす意思が込められた魔力が十全にその力を発揮しきることが出来ずに、通り抜けてきてしまっていた。
自身の魔力を通り抜け、着物の霊衣と雪のように白い肌を焦がすベヘネヴィーラの神能に柳眉を顰めた桜は、その意識を自身の左手薬指に嵌められた指輪へと傾ける。
(こうなったら、神器を使うしか……)
そこに輝く飾り気のない銀の指輪は、神器「アンシェルギア」。その考えがよぎると同時に、撫子にその力を不用意に使わないように言われたことが桜の脳裏をよぎる。
しかし、圧倒的な数をほこる神形に傷ついた深雪が追い詰められ、光の力をほぼ無力化できるそれらに出雲と真響が危機に陥り、自身が展開した魔力の結界が叢雲によって軋み、中にいる詩織に危険が迫っている。
(迷っている暇はありません)
今使わずに、いつこの力を使うのかと、姉の言葉を振り払った桜は、神器の力を行使するべく、その意識を左手薬指の指輪へと注ぎ込む。
「――?」
それに怪訝な表情を浮かべ、眉根を上げたベヘネヴィーラの視線の先で、桜は神器の力を解放するべくその花唇を開いて厳かな声音で言葉を紡ぐ。
「アンシェ――」
今まさに桜の口から淑やかにその一言が紡がれようとしたその瞬間、周囲を閉ざす空間が外側から力任せに破壊され、純黒の力が隔離された空間内に吹き荒れる。
「なに!?」
空間の壁が破壊され、外から雪崩れ込んだ純黒の闇が神形達を呑み込んで吹き荒れるのを見たベヘネヴィーラが驚愕に目を見開く。
そんなベヘネヴィーラとは別に、その魔力が誰のものなのかを知覚で理解している桜は、小さく瞠っていた目を愛おしげに細めて、純黒の闇の向こうから現れたその人物に微笑を向ける。
「ごめん遅くなったね」
「神魔様」
武器である黒刃の大槍刀を携え、隔離された空間を滅ぼして入り込んだ神魔の穏やかな声で言うと、桜は愛しい人の名を呼ぶ。
「神魔君」
「神魔さん!」
空間を破壊してこの領域に入って来た神魔の姿を確認し、深雪と詩織が安堵と喜びの声を上げる。
「大丈夫……じゃ、ないみたいだね」
手傷を負った桜、深雪の身体につけられた深い傷、そして結界に守られた詩織の前に武器を持って佇んでいる叢雲へと視線を巡らせた神魔は、その表情から感情を消し去る。
その金色の眼差しは自分の大切な人達を傷つけたベヘネヴィーラと神形に向けられ、大槍刀の柄を握り締めると共に、その身体から純然たる殺意に満ちた黒よりも黒い極黒の魔力が吹き上がる。
「悪魔か、そんなものが一人増えたところでどうにかなるとでも思っているのか?」
神魔から迸った魔力が知覚を軋ませ、まるで世界から全ての光を消し去ってしまったかのように暗黒の世界を顕現させる。
世界が漆黒に染め上げられるのを見ながらも、それに動じることなく言い放ったベヘネヴィーラの言葉に応じて数えきれないほどの神形の軍勢が神魔へと襲い掛かる。
全霊命と等しい神格を持っていても、自我と心を持たない神形達は恐怖を知らない。
目の前に現れた新しい敵を屠るべく群がるように向かってくる神形の軍勢を一瞥した神魔は、その場に佇んだまま純黒の魔力を注ぎ込んだ大槍刀を一閃させる。
「――ッ!」
瞬間、神魔の斬閃と共に放たれた純黒の魔力が神形達を呑み込み、結界も障壁も関係なく、全ての滅闇の中に消し去る。
大槍刀の一振りと魔力の斬波動によって、一度に数百――あるいは千を越える神形を滅ぼしてみせた神魔の力に、ベヘネヴィーラはもちろん、出雲と真響も驚愕を露にする。
「桜」
「はい」
そんな反応など意にも介していない神魔に強い口調で呼びかけられた桜は、何を求められているのかを瞬時に理解し、淑やかに応じる。
「魔力共鳴!」
互いの命を共感した者にのみ許される存在、神能の共鳴によって存在を共振させた神魔と桜から、全てを呑み込む真なる黒の魔力が迸る。
「――っ、この力は……!?」
二人の力が共鳴した魔力を知覚して息を呑むベヘネヴィーラの瞳に、解放された暗黒の力が神形達を滅掃する様が映る。
瞬間、その暗黒が二つに分かれ、その一つである桜は、神魔と共鳴した極黒の魔力を薙刀から放ち、深雪と出雲、真響に襲い掛かる神形達を一撃の下に滅却する。
共鳴することによって神格を増し、原在と同等以上にまで高められた桜の魔力が滅びの闇となって吹き荒れる様を見るベヘネヴィーラの許には、神魔が肉薄していた。
「!」
(疾い!)
まるでその間に距離も移動のために費やす時間も存在していなかったかのように肉薄している神魔に視線を落とし、ベヘネヴィーラはその不遜な表情から余裕の色を消し去る。
この世のどんな黒よりも黒い滅闇が纏わされる漆黒の大槍刀を携える神魔は、黒く染まった目に抱かれる金色の双眸でベヘネヴィーラを捉え、純然たる殺意で射抜く。
それに魂が凍てつくような感覚――自らの存在に触れた死滅を感じ取ったベヘネヴィーラに、神魔が大槍刀をその神格に比例した神速で薙ぐように叩き付ける。
「っ!?」
神の手で造り出された存在でありながら、その魂の根源に刻み付けられた危機回避の本能と直感のままに結界を展開したベヘネヴィーラの眼前を暗黒の斬撃が走り抜ける。
それは、全霊命の神格を以ってしても一瞬にも満たない斬閃。しかし、その刃が自身の傍らを掠めて通り過ぎたのを知覚したベヘネヴィーラは、自分が展開した防御の結界と、己の腰から生える翼が一枚斬り落とされていることに瞠目する。
(妾を斬り裂いたじゃと!?)
斬り裂かれ、そこに込められた意思までが断ち切られたことによって力と形を失う結界の力片が舞う中、ベヘネヴィーラは驚愕を露にする。
結界と同時に斬り落とされた白い翼の切断面からは真紅の血炎が吹き上がっているが、その痛みよりもベヘネヴィーラの意識は、神器によって傷つけられないはずの自身を他の全霊命達と同じように斬り捨てて見せた神魔に向けられていた。
(神の力を――妾の〝無形貌〟をその力ごと斬り裂いたでもいうのか!? そんなことがありえるのか?)
「認めん! 認めんぞ!」
自らの存在を失くし、神能をはじめとするあらゆる力の干渉を無力化できるはずの無秩序の力を破った神魔を前に、脳裏によぎった考えを振り払ったベヘネヴィーラは渾身の力を込めた銀の鎌斧を叩き付ける。
「そんなことが許されるものか!」
全霊の力を持って振り落とされた破滅の銀斧は、文明の神能を纏って神魔に最上段から叩き付けられ、そしてその身に届く寸前で大槍刀の黒閃に弾かれる。
「――ッ!」
銀鎌斧と大槍刀がぶつかり合った瞬間互いの力が炸裂して相殺し、二色の爆発を引き起こすが、それをものともせずに肉薄してきた神魔に、ベヘネヴィーラは後方へ飛びずさる。
神の力を正面から打ち砕く神魔の異質な魔力に気圧され、距離を取ろうとしたベヘネヴィーラの視界に純黒の斬撃が迸る。
「く……ッ」
斬り落とされた純白の翼、そして肩の傷から立ち昇る血炎と共に痛みにその美貌を歪めたベヘネヴィーラは、歯噛みしながらその原因である神魔を感情のままに睨み付ける。
一度ならず二度までも無秩序の身体を傷つけられ、それ以上に自尊心を傷つけられたベヘネヴィーラからは、当初浮かべていた尊大な気配が消えうせ、自らの命に手を届かせる神魔への等身大の死の恐怖を覚えていた。
「舐めるな!」
自身を殺せる相手を前に、生死のせめぎにある当たり前の感覚を思い出したように吼えたベヘネヴィーラの声に答えるように、散開していた神形が軍列をなして神魔へと向かっていく。
武器を構えた上で結界と障壁を展開し、物量と命無き命であるが故の死を恐れぬ突貫によって圧殺せんと向かってくる神形の軍勢に隠れていくベヘネヴィーラを睨みながら、神魔は自身の魔力を大槍刀に注ぎ込む。
「邪魔!」
目の前から消えたベヘネヴィーラを睨みながら、淡白に発せれた純然たる殺意の籠った大槍刀が振るわれ、純黒の斬閃が奔る。
「ぐっ!?」
大槍刀の一閃によって神魔が眼前に迫っていた神形を斬り裂いた瞬間、ベヘネヴィーラは自身の身体に奔った焼けるような痛みに呻き声を零す。
「こ、これは!?」
その痛みに顔をしかめながら視線を落としたベヘネヴィーラは、自身の右脇腹に刻み付けられた傷と、そこから立ち昇る真紅の血炎を見て言葉を失う。
神魔の斬撃はもちろん、その魔力でさえも届いてなどいない。だが、己の身体に傷が刻み付けられているという理解の範疇を越えた事実に、ベヘネヴィーラは声を上げずにはいられなかった。
「貴様、その力は……っ」
神魔によって両断された神形達はその存在を構築する〝力〟を喪失し、光の粒子となって世界に溶けていく。
「――?」
しかし、恐慌に陥ったかのように声を荒げるベヘネヴィーラとは別に、神魔もまた身に覚えのない攻撃とその成果に動揺を覚えずにはいられなかった。
(あれは、因果を逆行し、限定した条件を満たす対象にその効果を発現させる神の力――〝絶滅〟!)
だが、その一方でベヘネヴィーラの身に何が起きたのか、神魔がどんな力を使ったのかを理解している深雪は未知の事実に困惑する二人を見据えて息を呑む。
この世界に存在するものにはすべからく因果が存在する。
絶滅の力は、その因果を辿り、使用者が指定した同じ因果を持つものに対して対象と同様の現象を等しく発現させる。
因果とは関係性であり、繋がり――親兄弟といった血の繋がり、友人、恋人といった心の繋がり、あるいは特定の組織や集団に属しているという関係性。同じ種族であったり、突き詰めていけば、同じ生物という繋がりで全ては繋がっている。
例えば、「同じ種族」という条件で限定し、一人の悪魔の首を刎ねれば、同時に全ての悪魔の首が落ちる。
一個体を殺す手間が数千、数億の命を奪う手間と比喩でもなく等しく、どれほど――それこそ、世界を隔てていてもその因果を持つものを殺すことができる。
それこそが全てを殺し尽くす〝絶滅〟の力。
孤独な者は存在しても、誰とも、何の繋がりも持っていない物など存在しない。故にその力から逃れることはできず、共通の因果を持つ者を根絶する滅亡の神の御力。
今回の場合は、使用者――つまり、神魔が対象を滅ぼしたいと願いながら、その同胞である神形を斬滅したことで、その因果を辿って対象であるベヘネヴィーラへ、それと全く同じ状態を発現させたのだ。
(おそらく、無意識に使ったのでしょうね。それに、力も未熟なのでしょう。本来なら、あの一撃でベヘネヴィーラは、あの神形と同じように両断されていたのですから)
だが、脇腹に傷を受けているだけのベヘネヴィーラが神魔が自身に宿った力を完全に使いこなせていないことの証であることも同時に見抜いてる深雪は、わずかにその表情を曇らせる。
(もう、ここまで神行しているのですね……)
〝全てを滅ぼすもの〟としての神魔の成長と力を見た深雪は目線を伏せる。
(お願い、死紅魔。あの子を守って……)
神魔が生きている限り世界は滅ぶ。神魔の力は、世界が滅びに瀕していることの証でもあり、もはや世界の存亡は瀬戸際まで来ている。
心の中で、亡き愛する人に祈りながら、深雪はそんな自身の心痛など推し量ってくれるはずもない文明の神の手によって作られた人形を迎え討つのだった。
※
天空に異なる世界を繋がる門が口を開いた天上界の空。天上界王城に仕える天上人、堕天使王ロギアを筆頭とする堕天使達と、大貴達達は、空を埋め尽くさんばかりの神形の軍勢と戦っていた。
「ぐああッ!」
「っ!」
神能を持つ者同士が戦う戦闘音。天地がその力に恐れおののき、引き裂かれる痛みに悲鳴を上げているような争いが天上界王城の上空を満たしていた。
だが、そんな中にあっても、全霊命達は誰もの声を聞き逃がしたりはしない。天上界王として神形の特級が一人「ミルトス」と戦っている灯にも、そんな苦悶の声が届く。
その声に弾かれたように視線を向けた灯の目に映るのは、天上人の一人がその身体を神形達の光剣によって貫かれ、血炎を吹き上げる様だった。
今天上界の空を満たしている神形達は、光の力をほぼ無力化することが出来る能力を備えている。
いかに無限の力、無尽蔵の体力と精神力を誇る全霊命といえど、ほとんど力が効かない相手に数に責められれば、やがてそうなるのは自明の理だった。
「……っ」
反射的に身を翻し、天力の光片となってその存在を消失していく天上人に手を差し伸べようとした灯だったが、気配もなく肉薄していたミルトスの槍の斬撃を受けて肩口から血炎を吹き上げる。
「よそ見している暇などあるのですか?」
自らに光を纏い、ミルトスの神器である裏因果の影動に対処していても、影のように知覚できないその存在は、一瞬気を抜くと即座に灯の懐に入り込んでくる。
その隙を見逃さず、ミルトスと共に灯を狙っているサンクセラムの首領たる天使「レイラム」が全霊の光力を注ぎ込んだ純白の大槍刀を手にその神格に比例した神速で天を移動する。
「……くっ」
血炎を吹き上げる灯が力を高めると、天上人の証である頭上に輝く光輪が輝きを増し、その周囲に無数の光輪を生み出す。
そこに収束された最強の天上人の天力が一斉に解放されると、光輪の中心から収束された金色の極光が放たれる。
全方位に放たれた天力の極光砲は、ミルトスとレイラムだけではなく、ひしめき合うように空を飛んでいる神形達にも注がれていた。
最も神に近い天上人が放つ浄滅の光は光の神の恩寵によって光の神能をほぼ無力化できるはずの神形達をも清殺していく。
だが、その神格の差があれば、一掃できるはずの数も、ほんの一部を削り取るので精一杯。レイラムもその直撃を回避し、ミルトスに至っては光の輝きによって影が遠ざかるように、神器の力によって天力の連装砲を軽々と回避していた。
「灯様!」
ミルトスとレイラム、そして神形達の集中攻撃を浴びる灯を案じて声を張り上げる邑岐だったが、光の力を無力化する文明神の眷族達の包囲を逃れることはできず、そこにサンクセラムに属する天上人「威蕗」が襲い掛かる。
「ぐ……ッ」
「惨めなものだな。最も忌まわしきものを王として戴いてまで存続させようとした九世界の一角を成す天上界も、今や文明の神の眷族に蹂躙されて風前の灯とは」
邑岐と武器を撃ち合い、天力の火花を散らす威蕗は、皮肉と憐れみの入り混じった嘲笑を向ける。
灯がいなければ、今日のこの戦場はなかったという威蕗に言に視線を細めた邑岐は、それこそを哀れんで龍爪槍を翻す。
「貴様は、やはり何も分かっていないな」
反撃とばかりに振るわれたその刃も、その戦いに割り込んだ神形の障壁によって阻まれて沈黙する。
「分かっているさ。少なくとも、今日ここで天上界王が死ぬことはな」
光の力をほぼ無効化する力は、天力によって構築された全霊命の武器にも同様に作用する。完全に自身の攻撃が沈黙したことに歯噛みする邑岐に、神形が全方位からライフルによる砲撃を仕掛ける。
「ぐ、オオオッ」
天力をほぼ無力化できるという能力を生かすため、距離を取って全方位から攻撃を仕掛けてきた神形達の砲撃を結界で防ぎながら、邑岐は口端を吊り上げて嗤う威蕗に向かって咆哮を上げた。
「くそ、殺しても殺しても数が減らない!」
自身が放った黒光のブーメランによって神形を斬り裂き、それを手元に呼び戻した堕天使「オルク」は、天に開いた門から次々と現れる文明神の眷族に声を上げる。
「泣き言を言うな」
そんなオルクに激を飛ばした堕天使「ザフィール」だったが、自身へと迫る神形達の攻撃を防ぎ、なんとか逃れるのが精一杯だという現状は変わらない。
無尽蔵とも思える数が供給されることによって倒しても倒しても数が減らず、その力を封じられた天上人達は、徐々に削られていくばかりだ。
「く……ッ」
天上人ばかりではなく、光の力をほぼ無効化できる神形達の力には、天界の姫であるリリーナや最強の天使の一人であるノエルも苦戦を免れえない。
光の存在が戦力にならない以上、必然的に堕天使と光魔神だけが神形に対する有効な戦力なのだが、その内堕天使王ロギアと光魔神の二人は特級に完全に抑え込まれている。
(しかも、全てを滅ぼすものの姿が見えない)
何より、自分達堕天使がこの天上界まで赴いてきた原因――〝全てを滅ぼすもの〟である神魔が見えないことが、ザフィールの焦燥を煽っていた。
「くそ、神魔達がいれば……」
「あちらでも、なにかあったのよ」
ほとんど効果を見込めない光力の波動を叩き付け、神形達を牽制するクロスとマリアは、互いに光力に乗せた声で言葉を交わす。
光の力をほぼ無効化できる神形達に対抗する戦力として期待できる神魔、桜、深雪、そして詩織の四人は、サンクセラムが現れた頃から知覚できなくなっている。
この状況を鑑み、そして文明神の言葉を思い返したクロスとマリア、この場にいる全員の脳裏には、そのもう一つの目的である神器――「神眼」に関係したなにかが、神魔達に起こっていることは想像に難くなかった。
「くそ、あいつら生きてるんだろうな……!」
この場にいない神魔達を案じて声を発するクロスの言葉に、マリアが優しく目を細めた瞬間、神形達を送り込んでいる門が鎮座する天空の一角がひび割れる。
「――ッ!?」
「嘘!? 文明神様の力の結界を力任せに破るなんて……!」
この世界を隔離している結界は、〝門〟を媒介として送り込まれる文明神自身の力によって構築されたもの。
最強の異端神円卓の神座の一角を成し、神位第五位に等しい神格を持つ神が展開した結界は、九世界王をはじめとした者が持つ神威級神器でも破れないはずの代物だ。
にも関わらず、神の力によって展開された結界が破壊された事実に驚愕を露にする特級神形の一人――「リオラ」は、神を殺す理が具現化した剣の神器によって圧倒していた大貴から意識を奪われ、弾かれるように視線を空へ向ける。
「――――!」
(この力……)
結界に覆われた空が砕かれるのを見据えた堕天使王ロギアは、そこに感じられる知覚できない力を感じ取って、その瞳に険な光を灯すのと同時、砕け散った空の外側から、この世界へ大勢の人影が雪崩れ込んでくる。
「あれは――」
神形を牽制していた霞が眼前の敵から視線を外すことなく意識を向けると、空から侵入してきた者達の先頭を走る逆立った緋髪の人物が戦色に染まった表情で声を張り上げる。
「やっぱ、祭の最中じゃねぇか!」
「十世界!」
結界を破り侵入してきたその人物――紅蓮の後に続くように、天使シャリオ、堕天使ラグナ、そして天上人の軍勢が隔離された天上界王城の領域に入り込んでくる。