清廉なる叛動
「天上界王様を殺すと仰いましたね」
天上界宰相「叢雲」が呼び出した鍵によって展開された空間を見据え、その傍らに現れたおびただしい数の神形を見た深雪は、険しい表情でそれを見ながら問いかける。
この世界を閉ざすという門を呼び出し、無数の神形達を従えた叢雲は、非難と敵意の混じった深雪の強い眼差しに微笑を浮かべたまま肩を竦める。
「ええ。私は彼女を見限ることにしたのですよ」
まるでごく自然に――他愛もない談笑をするように告げられた叢雲の言葉に、質問をした深雪はもちろん、桜、詩織も眉を顰める。
「元々、この世に存在が許されるべきではないものを王として戴くことに不満がなかったわけではありません。
ですが、曲がりなりにも天上界王を率いていた邑岐の頼みと、綺沙羅様と同じ存在であることに一縷の期待を以って、これまで彼女の王の資質と事の成り行きを見守ってきました」
今灯が天上界王をしているのは、初代天上界王「綺沙羅」が消えた後、この世界を束ねていた邑岐の強い後押しがあったからだ。
最も忌まわしきものである灯に王を任せることに不満がある者も多かったが、邑岐への信頼と天上界の利益を考えて承認された。それは、叢雲も同じだ。
「ですが、もう駄目です。彼女は天上界の王に相応しくない。だから、彼女には消えてもらうことにしたのですよ」
そう言って細められた叢雲の瞳には、灯に対する隠しきれない失望の色を見て取ることができた。
「あれはただの小娘。自らの生まれの運命の残酷さに翻弄され、身の丈に合わない力を持ってしまったが故に王に担ぎ上げられたか弱い少女に過ぎません――ならば、引導を渡してやるのも情けというものでしょう」
否定的な感情を持ちながらも、邑岐と一縷の可能性を信じてこれまで宰相として灯を見てきたが、叢雲はここにきて灯を見限ることに決めたのだ。
「彼女には同情します。望んでもいないのに望まれないものとして生まれ、その業を背負って生きねばならないとは憐れでなりません。
しかし、もはや王として君臨するだけの価値はない。ならば、せめて仮初であろうと王として最期を与えるのが私の慈悲というものでしょう」
本来生まれるはずのない光と闇の全霊命の間に生まれた灯に黙祷をささげるように告げながらも、叢雲は乾いた淡泊な声で言う。
「叢雲、様」
「どういうことですか?」
その言葉を受けて、叢雲の背後――桜と深雪、詩織に視線を向けて射る天上界の宰相の背後からよろめくような声が上がる。
「出雲、真響」
その声に視線だけを向けた叢雲は、信じ難い事実を前に表情をこわ張らせている二人の天上人の姿を見て取って、淡白にその名を呼ぶ。
出雲と真響――天上界において光魔神達のの案内を任された二人の天上人がこちらにいることは叢雲も承知していた。
なぜなら二人に、明日十世界盟主に差し出す世界の命運を握る神器を持つ詩織の警護を任せたのは他ならぬ叢雲自身だからだ。
可能な限り天力を抑え、詩織を遠巻きに見守っていたことを深雪と桜が気付いていたかは分からないが。
「あなたがなぜこんなことを!?」
「サンクセラムばかりか、文明神とまで手を組んでこの世界に敵を招き入れるなんて……こんなことをしても、天上界が得られるものなどなにもないではありませんか!」
その行動の意図を読めず、困惑する出雲と真響から非難の言葉が飛ぶのを、叢雲は微動だにせずに背で受け止める。
「自分達では王に勝てないから、サンクセラムと手を組み、彼女を殺せる無関係なものを呼び寄せたというわけですか」
そんな叢雲に代わって答えるように言う深雪は、どこか嘲っているようにも聞こえる声音で訊ねる。
実際、叛意があろうとも最強の全霊命の一人である灯を滅ぼすことは不可能に近い。策を巡らせ、護衛をかいくぐり、隙を衝いたとして灯の身を守る自動防御の力を持つ羽衣がそれを阻んでしまう。
現実的に考えて灯を殺すためには、単純な力とは別の要素が必要になる。――それが、サンクセラム、ひてはそれと手を組んだ文明神ということだ。
だが、ここまでしてしまえば天上界には本来の標的である灯だけではない大きな犠牲が出るだろう。そこにどれほどの大義があるというのかが出雲と真響には理解できなかった。
「あなた達のように灯が王になってから生まれた天上人は、本当の意味で彼女が王であることの意味を理解していませんからね」
それに答えるように自嘲気味に零した叢雲の言葉が、出雲と真響に突き刺さるようにして響く。
両親から知識を継承することができる全霊命には、なぜ灯が王となったのか、その背景や事情は知識として理解できる。
だが、そこに至るまでに多くの者達が抱いた葛藤や迷い。そういった感情や心情に直接触れたわけではない者達は、知識として分かっているだけで灯が王であることを本当の意味で理解しているとは言い難い。
「元々私は、光の過激派を監視する目的で彼らに接触していました」
それに口を噤んだ出雲と真響に一瞥も向けず、おもむろに口を開いた叢雲は、先程までとは打って変わった静かな声音で言の葉を紡ぎ始める。
「私は、今の王を王とするとき反対した身分です。そしてサンクセラムには、その時この世界から決別した威蕗という天上人が合流しました。
彼は私の友人でもありましたし、灯様が王になったことにも不満があったのも事実です。ですから私は彼らと接触を持ち、監視する意味で内側に潜り込む大役を任されたわけです。――彼らを見張っていれば、彼らの行動を先読みし、危険な行動を起こす前に対処できますからね」
自らに与えられた大役を思い返した叢雲の言葉は、どこかもの悲しげな響きを帯びており、細められた目はどこか遠くを見ているかのようだった。
叢雲にその役を任せたのは天上界王である灯だが、その方針そのものは邑岐のものだ。
灯はそれは危険だと考えて反対の意見を恐る恐る示していたが、結局その利に押し切られる形で承諾したことを今でも昨日の事のように覚えている。
「私としては、その任務を従順にこなしていたつもりです。実際彼らのやり方は灯様以上に気に入らないところがありましたから。
ですが、ある時ふと思ってしまったのです――〝我々と彼らで何が違うのだろう〟と」
「?」
叢雲の口から零れたその言葉に、桜と深雪、詩織はもちろん、出雲と真響までもが怪訝な表情を浮かべる。
そんな一同の疑問に答えるように、わずかに目を伏せた叢雲は、軽く天を仰いで噛みしめるような声で語り始める。
「我らは天上界、天上人の滅びを拒み恐れるがあまり、力があるという理由で最も忌まわしきものを王として担ぎ上げてしまいました。
ただでさえ自らの存在に苦しんでいたところに、身の丈に合わない地位を与えられた灯様の苦悩と心痛は計り知れません」
「八光珠」――神から生まれた原在を全て失い、戦で攻め込まれて世界存亡の危機に追い込まれた天上人達が世界と自分達を守ろうと考えるのは当然のこと。
最も忌まわしきものとして生まれ、最強の天上人である綺沙羅と全く同じ神格と神威級神器を使うことができる灯の力を、天上界を守り、天上人を救うために旗印としたのだ。
だが、それは誤りだった。――少なくとも叢雲はそう考えている。
「我らは理を通すべきだった。たとえその先にこの世界の――いえ、天上人という全霊命全ての滅びがあったとしても、我々は最後までそうあり続けるべきだったのです」
端整な表情を崩すことなく静かな声音で淡々と言葉を紡いでいく叢雲だが、その声音の裏には後悔の色を最も強く表した激しい感情が滲んでいた。
かつて自身も当事者だった天上界の判断を誤りだったと考える叢雲は、その拳を強く握りしめると、背後にいる出雲と真響の琴線を揺さぶろうとするかのように、語調を強めて言い放つ。
「だからこそ。だからこそ、我ら天上人もまたそれに見合う対価を払わねばならない! 我らが世界が生き残り、繁栄と安寧を得るために理として滅ぼすべきだったものを王として戴き、平穏を享受してしまった我らもまた同罪。
滅びを恐れるがあまり理を犯すという罪を犯した我ら天上界も裁かれるべきなのです。この果てに滅びがあるのならば、それこそが我らに与えられた罰なのでしょう」
「そんな……」
自分達が滅びても構わないという決意を以ってその意思を占めた叢雲の言葉に、桜の結界に守られた詩織はその中で胸を締め付けられるような感覚に見舞われていた。
(この人は、灯さんの事を憎んでるんじゃなくて、大切に思ってるんだ。だから――)
自分達が王として祀り上げたことで、灯がどれほど苦しんできたのかを間近で見てきた叢雲が血を吐くような思いで絞り出した言葉に、詩織はその感情を感じ取って唇を強く引き結ぶ。
「天上界を裏切ることで、彼女への忠誠と贖罪を果たすということですか」
そんな詩織の胸中に呼応するように言葉を紡いだ桜が厳かな声音で淑やかな声が、その場にいる者達の耳にそよ風のように触れる。
叢雲は、サンクセラムと手を組んでいながら、最も忌まわしき者である灯を憎んでいるのではない。むしろ、その逆――灯を王として苦しめてしまったことを償うために自分の誇りを捨て、天上界さえをも裏切る選択をしたのだ。
ただでさえ自身の存在の重みに苦しんでいた一人の少女に、王という大きすぎる責任と器に見合わない責任を押しつけてしまった後悔こそが、叢雲の行動の根底にある真理だった。
天上界王としての灯に向けられたものではなく、個人としての天上人の少女〝灯〟に向けられる叢雲の思いは、一人の女性として慕う恋慕の情などではなく、謝罪と懺悔によるもの。
自身の――そして天上界全ての者の過ちと弱さへと向けられたその強い意志に突き動かされ、それを償うべく、叢雲はせめて灯を王として、王のまま最期を遂げさせようと考えていた。
「忠誠などではありませんよ。言ったでしょう? 滅びを避けるために理を犯した我々の罪を雪ぐためですよ」
「叢雲様――」
慚愧の念に堪えかねた思いに満ちた言葉を絞り出す叢雲の背を見据えていた出雲と真響は、互いの気持ちを確認するように視線を交錯させると、再び前を向いて顔を上げる。
「そんなことはさせません」
声を揃え、その思いを理解はしても同庁はできない意思をはっきりとしめした出雲と真響に、叢雲の口からは自嘲めいた小さな吐息が零れる。
「それはそうでしょうね。自らの滅びを良しとするはずもないでしょうし、私がしたことはどんなに取り繕っても許されることではない。
いえ、むしろ懺悔のためにサンクセラムと手を組み、文明神の眷族を招き入れてこの世界を蹂躙した私こそが罪深いのでしょうからね」
「違います」
自虐めいた口調で言う叢雲の言葉を一刀の下に切り捨てた出雲の言葉に、初めて叢雲がその一瞥を向ける。
「灯様は立派な王です。あの方が王となったことは、罪でも何でもありません」
背を向けたまま話していた叢雲の視線を受けた真響は、それに答えるように自分達の思いをまっすぐに述べる。
「天上人は、滅びを避けるために理を曲げることを正当化したわけじゃない。そうしてでも、灯様が王であることが正しいからそうしたんです!」
「あなたがそう感じているのは、きっと桜さんが仰ったように、あなたが灯様に忠誠と懺悔をしたいと願っていて、あなたがあなた自身を罰したいと考えているからです!」
たとえ最も忌まわしきものであろうとも、灯こそが天上界王に相応しいが故に王になったのだと語る出雲に、真響は叢雲が自分自身でさえ否定してる意思の中にある思いを暴き立てる。
「ですが、私的な考えで個人――ましてや世界の正しさを図る裁権はいかにあなたであろうともありません」
「あなたがしているのは、ただの王への反逆、世界への裏切り。あなたの理想と違う現実世界の乖離を拒むためにもっともらしい理由を取り繕ったに過ぎません!」
肩を並べ、声を揃えた出雲と真響が腰を落として臨戦態勢を取ると、それを見た叢雲は眼光を鋭くして小さく息をつく。
「過ちを認められず、理を犯した罪を正当化するとは、困った子達ですね」
国や世界の中で生きるものは、時にその正しさを見失う。過ちを認めることを拒み、たとえそれが過ちでも、そこに正義はあるのだと、理由はあるのだと信じようとする。
(しかし、この二人にそう言わしめる灯様は、決してただの飾りの王ではなかったということでしょうね)
出雲と真響の言もそれに類するものであると切り捨て一笑に伏した叢雲は、しかしその心中でそのように慕ってくれる者がいることに、灯への認識をほんの針の先程に改める。
だが、二人の言葉に何の感慨も覚えなかった叢雲が軽く片手を上げると、その周囲にいた神形の一部がそちらへと向く。
「これ以上言葉を重ねても何の意味もありません。契約もあることですし、邪魔をするならば容赦はしませんよ」
自身の目的である神眼を持つ詩織を一瞥し、忠告と警告の言葉を向けた叢雲がそう言い切るが早いか、出雲と真響から純然たる戦意に満ちた天力の光が奔出する。
「あなたは、俺達が止めます――〝孔雀〟!」
「〝天ツ華〟!」
二人の身体から解放された天力は、その存在を表した戦う形となって顕現する。
出雲の左腕には、絡みつく六つのペンデュラム。その切っ先には、翡翠色をした水晶質の剣が煌き、まるで生きているかのように蠢いている。
一方真響の手には自身の身の丈にも及ぶ金色の輪が顕現していた。内側に金色の装飾、外側に光を受けて虹色に輝く鋭利な刃を持つその武器はいわゆる戦輪と呼ばれるものに類するものだと想像できる。
「この結界は、外界とを隔てている二層目の結界。どれほど力を振るっても外には知覚できませんし、邪魔が入ることもありません。存分にかかってきなさい」
臨戦態勢に入った出雲と真響から視線を離した叢雲が答えると、その周囲にいる神形達がその双眸を輝かせて、命のない身体に戦意を漲らせる。
神から生まれた全霊命でありながら、同時に被造物でもあり、命を持たずに神能を持つ神の人形たちは、その身に宿った力を持って戦いの火蓋を切る。
鋼の翼を広げ神速で飛翔するとともに、力を刃となす剣、ライフル、盾――同型の神形達の間で共有される様々な装備という名の武器を展開して出雲と真響、そして桜と深雪へと襲い掛かる。
「行きますよ」
「はい」
黒の結晶刃を備えた長杖を携えた深雪の言葉に応じ、桜は自身の夜桜の魔力を注ぎ込んだ薙刀を一閃させて結界と障壁を展開した神形達を斬り滅ぼす。
ただ速いというだけではなく、舞うような滑らかな動きから繰り出された薙刀の黒閃が閃き、舞い散る桜花が滅びゆく神形達に餞を送る。
(さすが、神魔君の〝アンシェル〟ですね)
自身もまた、神形達が放ってきたアンカーを回避し、その内の一体を打ち据えた深雪は、桜の一撃を見据えて飛翔を浮かべる。
その視線は薙刀を振るった桜の左手薬指に嵌められた飾り気のない銀の指輪――「神器・アンシェルギア」を捉えていた。
それを見て目を細めた深雪が深い思慮を込めた眼差しを送る先――叢雲を挟んだその戦場では、出雲が放った六つの水晶剣のペンデュラムヘッドが天を奔り、真響の戦輪が煌めく光を残しながら飛翔する。
それぞれが神格に比例した破壊力を持つ二人の天力攻撃が神形達に撃ち込まれるが、そこに込められた清烈な浄光は、その身体を傷つけることが出来ずに沈黙する。
「っ!?」
「なっ!?」
自分達の天力が込められた武器による一撃が神形達に阻まれるのを見て、出雲と真響は驚愕に目を瞠る。
桜、深雪と比べてさほど遜色のない神格を持っているにも関わらず、二人が倒せている神形に攻撃が通じていない事実が二人の天上人に突きつけられる。
「この神形達は、光の力を限りなく無効化する力を持っているそうですよ」
そんな二人の反応と驚愕を愉しむように、その武器である金刃の矛を携えた叢雲は酷薄な笑みを浮かべて言う。
「光の力を……!?」
「ええ。文明神のユニットである〝神形〟には、いくつかの『型式』があるのは知っているでしょう?
私達全霊命のような姿をしたもの、様々な生物の外見を混ぜ合わせたものや、ここにいる兵隊たちのように人型でありながら人とはかけ離れた姿をしたものなど様々です。
彼らは、光の力に対して極強耐性を備えた〝型式〟なのですよ」
にわかには信じ難いその事実に、その部分を反芻した出雲だったが、現実に神形達が自分達の攻撃を桜と深雪の魔力とは比較にならないほどに完璧に防いでいる事実は受け入れざるを得ない。
「ならば、私達がそれを滅ぼせばよいだけです」
その瞬間、厳かな声音で告げると同時に薙刀の柄を持ち替えた桜は、それを回転させてその勢いと斬閃のままに魔力の竜巻を作り出す。
桜の魔力によって生じた夜桜色の黒渦はその力を暴れさせ、更に薙刀を手にしたまま自身が回転することによって、全方位から迫りくる神形達を薙滅させていく。
「お二人は、空の上にあるあれを。おそらくはあれが、文明神がこの世界に干渉するための媒体です」
桜が作り出した破壊の渦によって開けた空を魔力砲撃で射抜き、天力の武器を防いだ神形達を一掃した深雪は、鋭い声で出雲と真響に告げる。
「分かりました」
「ありがとうございます!」
深雪の言を受け、出雲と真響は叢雲の遥か頭上――無数の円盤によって構築された〝門〟へと視線を向ける。
そこからは、今でも尽きることなく神形達が次々と世界に出現しており、その先が文明神の本陣、あるいはそれに類する場所に繋がっていることを容易に推測させる。
叢雲によってこの世界に持ち込まれ、起動した瞬間にこの世界を閉ざした円盤の門は、天上界を他の世界から隔離し、更にこの一帯を空間隔離のように別の世界として乖離させている。
いかに文明神とはいえ、現状他の世界に自らの勢力を送り込むことは不可能。
そこで用いられたのが、叢雲によって持ちこまれた〝門〟。これは、文明神が他の世界から干渉し、この世界に自身の軍勢を送り込む空間の扉を作り出すと同時に、世界から天上界を隔離するための媒体でもある。
つまり、この門が破壊されれば、少なくとも文明神はこれ以上の神形をこの世界に送り込めず、更には干渉することもできなくなるのだ。
「させると思いますか?」
しかし、そんな重要なものを叢雲が放置するはずはない。出雲と真響が円盤の門を破壊するべく放った天力の波動を、進路を遮るように身を割り込ませた叢雲が金刃の矛を振るってかき消す。
「く……っ」
「まだまだ!」
宰相を任されるにふさわしい強力な神格を以って全霊の攻撃を打ち消した叢雲に、出雲と真響は小さく歯噛みしてその武器を振るう。
「させないと言ったでしょう!?」
一度阻まれた程度で諦めることはせず、神形達の攻撃を回避しながら放った水晶の刃と戦輪を再び叢雲が矛の一閃で弾くと同時に、闇の渦の中から飛び出した深雪がその隙を衝いて肉薄する。
「いいえ。破壊させていただきます!」
黒結晶刃に注ぎ込まれた魔力が空に漆黒の軌跡を描き、その妨害を予測していたかのように神速を以って肉薄した深雪は、その勢いに任せて全霊の一撃を叢雲に叩き付ける。
「――!」
神速を以って間合いを詰めた深雪が放った全霊の斬撃が清浄な輝きを宿す天力で構築した障壁とぶつかり合い、闇と光の力がせめぎ合って対消滅を引き起こす。
光が闇を浄化し、闇が光を呑み込んで拮抗する二人の力が相殺され、その力を形作っていた純然たる意思が現実世界に破壊の衝撃をもたらす。
「はあああっ!」
その傍らを通り抜け、出雲と真響は天頂に座す門から未だに絶えることなく神形達を送り込み続けている門へ向けて、その武器を放つ。
六つの水晶剣を備えたペンデュラムが天を貫き、天力によってその刃をさらに強大にした戦輪が神速で回転しながら向かっていく。
裂帛の気合と共に放たれたその攻撃が門の周囲に展開された結界に突き刺さり、一瞬の拮抗の後にその守りを破壊する。
能力が違うらしく、神形が有する光の力を無力化する力を持たない門には、防衛のための結界しか備えられておらず、それが破壊されればあとは二人の攻撃するだけ――のはずだった。
「っ!?」
出雲と真響が放った攻撃が今まさに門に命中しようかと思った次の瞬間、それが硬質な音を立てて弾き飛ばされる。
「甘いのぅ。この程度の事を我らが神が想定していないのでも思うておるのか?」
(いつの間に!?)
不意に響いた凛とした声音で紡がれる尊大な言葉に引かれて視線を向けると、桜や詩織たちは、門の前に出現している一人の女の姿を見止めて息を呑む。
誰に気付かれることもなく、いつの間にかそこに存在していた女は、出雲と真響の攻撃を弾いた荘厳な装飾の施された銀色の鎌斧を携えて、金色の瞳を抱く双眸で二人の天上人を睥睨していた。
腰まで届く癖のない長い薄金色の髪。額に翡翠のような宝珠を輝かせ、腰部からは白と黒、二色の翼が生えている。
右に純白、左に漆黒の翼を持つその美女は、王冠のような光を頭部に纏ってドレスのような霊衣の裾を翻すその様は、気品と神々しい美しさを見る者に感じさせる。
「あれは……」
まるで天使と堕天使を混ぜたような出で立ちをしたその人物を見止めた全員が息を呑む中、思わず声を零した詩織に答えるように、その女が口を開く。
「妾の名は、〝ベヘネヴィーラ〟。文明神様の腹心たる『特級』の王である」
「……特級?」
「ベヘネヴィーラ」と名乗った黒と白で左右一対の翼を持つその女性が名乗ると、詩織は怪訝な表情で呟く。
「文明神のユニット、神形の中でたった一体しか作られない特別な力を持つ存在のことです」
そして、その疑問の言葉にいつものように応じた桜は、夜桜の魔力を凝縮した渦でこの間も休むことなく攻撃を仕掛けてくる神形の軍勢を薙ぎ払ってその姿を見据える。
文明神のユニット「神形」は、その神である文明神が手ずから生み出した存在であり、それは大別して二つの種類に分けられる。
一つは、全員が全く同じ姿をし、全く同じ能力を以って作り出された量産型ユニット「衆級」。
そしてもう一つがたった一体しか存在しない衆級達の長でもある「特級」。――神器を使えるようにその存在を調整されて生み出された存在だ。
一体完成させれば、〝工場〟によって全く同じものが量産される衆級とは違い、全てが文明神の手によって調整され作り出された特級は、神形の中で他の異端神にとっての神片に当たる存在だといえるだろう。
「それにしても興味深いものよな。悪魔がそのような結界を展開できるとは」
魔力を乗せた声によって、文明神が神片を持たないことなどの簡単な説明を聞く詩織をその双眸で睥睨したベヘネヴィーラは、その目を細めて優雅さを感じさせる尊大な口調で独白する。
詩織を包む結界が魔力によるものであること、そしてそれが桜のものであることは、他の全霊命と何ら遜色のない知覚によって十分に理解できる。
ベヘネヴィーラが興味を示したのは、聖人の理力のような例外を除けば、常に意識と力を傾けていなければ維持できないはずの神能の結界を、その意思と力を全く傾けずに維持している桜の能力だった。
「神器と合わせて文明神様のもとへ持って帰れば、さぞ喜ばれることじゃろうな」
本来悪魔にできないはずの力の行使を行っている桜に研究対象としての価値を見出して口端を吊り上げたベヘネヴィーラは、その手に携える銀の鎌斧に自らの力を注ぎ込んでいく。
文明神の手によって天使のような翼と堕天使のような翼を併せ持った姿として生み出されたベヘネヴィーラは、その翼を広げて一直線に桜へと向かう。
「!」
その存在に与えられた神格の許す限りに世界の理を拒絶し、自らの望む世界を創り上げて生み出された神速によって向かって来るベヘネヴィーラを視認した桜は、渦を巻くような形で神形達を滅ぼしていた自らの魔力を噴水のように一方向に束ねて奔出させる。
「ふん」
その意思に従って、渦を巻き絡み合って天を衝く夜桜の魔力の槍砲を前にしても、ベヘネヴィーラはなんの対応も取らず、滅びの力が込められた噴撃の中へ飛び込む。
「――っ!?」
その行動に小さく息を呑み、魔力の波動に違和感を覚えた桜がその柳眉を顰めた瞬間、夜桜の滅闇を突破してきたベヘネヴィーラが、その銀の鎌斧を振り翳す。
「とりあえず、半殺しにして連れて行くとしようかの」
「させません!」
文明の神能が注ぎ込まれた鎌斧を今まさに振り下ろそうとしていたベヘネヴィーラの背後から、神速を以って肉薄してきた深雪が漆黒の斬打を撃ち込む。
光を蹂躙する機兵の姿をした神形の軍勢の包囲網を力任せに突破した深雪の黒結晶刃の杖は、そこに込められた純然たる滅意に染まった魔力を炸裂させてベヘネヴィーラを呑み込む。
「なっ!?」
しかし攻撃が確かに命中したはずだというのに、そこから放たれたはずの魔力も、武器の刃もがベヘネヴィーラの前で沈黙していることに深雪は驚愕を露にする。
その一瞬の隙に不敵な笑みを浮かべたベヘネヴィーラは、その身に触れる刃など意にも介さず、そのまま前へと踏み出して携えた銀の鎌斧を振るう。
「――っ」
「お義母様!」
天を切り裂かんばかりの神速の斬閃と共に深雪の身体が空を舞うように吹き飛ばされ、赤い血炎の欠片が空を舞うのを見た桜から悲壮な声が上がった。