この胸に秘めた、想いを――
「天使と、堕天使の……混濁者!」
目の前にいるハイゼルを見て、クロスは軽く目を瞠る。
「お前も知っての通り、天使と堕天使は元々同じ種族だ。だが、闇に落ちた堕天使は、天使と異なった種族とされ、別のものとして扱われる。結果的に、元々同じ種族であるはずの天使と堕天使の間に生まれた子供は、混濁者として扱われる」
「……らしいな」
「そして堕天使には、天使から堕天した堕天使と、堕天使として生まれた堕天使の二通りがいる」
ハイゼルの淡々とした言葉に、クロスは臨戦態勢を崩すことなく耳を傾ける。
「そんな事は知ってる。堕天使同士の子供は堕天使として生まれ、堕天使と天使の子供は、半分の確率でどちらかになる……だろ?」
「ああ」
クロスの言葉に、ハイゼルが同意を示す。
「つまり、お前は生まれついての堕天使って事か」
クロスのその言葉にハイゼルは、それに答えずに話を続ける
「俺には双子の兄がいた。俺と違って生まれついて漆黒の翼を持った天使の兄だ」
「お前、まさか……」
「ああ、俺は白い翼を持って生まれた天使だった」
「……っ!」
ハイゼルの言葉に、クロスは軽く目を瞠る。
天使と堕天使の混濁者は、マリアのように他種族の混濁者とは一線を画する存在。
その存在そのものを拒絶される混濁者と違い、天使と堕天使の混濁者は、天使と堕天使という種族の軋轢――天使でありながら闇に堕ちた裏切り者に対する敵愾心が二つの種族に亀裂を生じさせる。
「元は同じ天使。だが、闇の光を手にした堕天使は、天使たちに忌み嫌われる。だが、その気持ちは分からなくはない……天使を堕天使に変える事が出来る唯一の存在――『堕天使王・ロギア』は、かつて天使の王だった最強の天使。
天使たちからすれば、裏切られたように感じたんだろうな。自分たちの祖であり、王であったはずの最強の天使が、自ら闇の天使へと姿を変えた事が」
「……そんなのは昔の話だ」
ハイゼルの言葉に、クロスは一拍の間を置いて答える。
「いずれにしろ、天使と堕天使の間には確かな溝があり、容易には超える事の出来ない大きな亀裂が横たわっている」
「…………」
ハイゼルに言い返す事が出来ず、クロスは無言でその言葉を聞く。
「俺が白い翼を棄てたのは、そんな溝が原因だった」
「!」
目を細めたハイゼルは、遠くを見つめるような瞳をクロスに向けて、しかしクロスではない誰かに話しかけているかのように言う。
「俺にとって兄は憧れだった。……だが、堕天使として生まれた兄は、天使の女と恋をして……天使に殺された」
「っ!」
淡々としたハイゼルの言葉に、クロスは声を詰まらせる。
「天使と悪魔、光と闇。九世界の創世以来争い続けてきたこの二つの勢力の間にある禍根は深い。……だからこそ、俺は確かめたいんだ。」
「……確かめる?」
遠くを見るような目で言ったハイゼルの言葉に、クロスは怪訝そうな表情を浮かべる。
「光と闇。異なる種族……そういった、世界にあるまじき存在が、本当に望まれるのかをな」
「だから、俺とマリアの仲を訊いたのか?」
「ああ。天使と人間の混濁者。この世界に存在する無数の世界の中で、異なる世界に生きる種族の間に生まれた望まれざる『呪い児』。それが本当に、その呪われた運命から解き放たれるのか……とな」
「……お前、まさか」
ハイゼルの言葉を聞いたクロスは、瞬時にある事を理解して目を見開く。
「ああ。異なる種族が認め合えるのか……それを確かめたくて俺は十世界に入った」
遠い昔を振り返るように、ハイゼルが一言一言を噛みしめるように言う。
ハイゼルにとって、兄は心から尊敬する人物だった、天使と堕天使の混濁者。生まれついて漆黒の翼をもっていた兄は、「両親のように、天使と堕天使は認め合える」と口癖のように言い、普段は距離を取るはずの天使に積極的に近づいていっていた。
天使達と何度もぶつかり――やがて一人の天使と恋に落ちた。――それがどれほどの禁忌か分かっていて。それが自らに死を招く事になると分かっていても
「だから聞こう……いや、教えてくれ」
縋るように言ったハイゼルは、手にした刺又を構えてクロスに純然な殺意に彩られた光魔力を放つ。
「教える……?」
「そうだ。この世に望まれざるものが、この世に生きる者に望まれるのかを」
怪訝そうに眉をひそめたクロスの言葉に、ハイゼルは漆黒の閃光となって、クロスに肉薄する。
「っ!」
一瞬で距離を零にしたハイゼルが放った刺又による横薙ぎの攻撃を、クロスは反射的に大剣で捌く。
ぶつかり合った黒と白、二つの光がはじけ、周囲に光の粒子をまき散らす。
「く、そっ……!」
かろうじて防いだものの、ハイゼルの一撃に吹き飛ばされたクロスは、体勢を崩した状態から光力の砲撃を放つ。
ハイゼルを滅殺する意思のもとに収束された煌めく光の光力砲が天を貫く。その威力は地球どころか、ゆりかごの世界と呼ばれるこの宇宙を容易に滅ぼしてしまえるほど。
しかしその攻撃は、漆黒の光をまとったハイゼルの刺又の一薙ぎによって砕け散り、光力の残滓が幻想の蛍となって舞う。
「おおおおおおっ!!」
しかし、それを見越していたクロスは、光力砲が砕かれたその一瞬の隙に、光輝く大剣を携えてハイゼルに肉薄する。
《ハイゼル、例え漆黒の翼をもっていても、俺たちは白い天使と同じなんだ》
クロスの斬撃を弾くハイゼルの脳裏に、兄の言葉が甦る。
堕天使は、天使が変化した存在。つまりこの二つは元々同じ存在。そのため、厳密には堕天使と天使の間に生まれた子供は、混濁者ではない。
しかし、闇に堕ちた天使を同種と認めない光の存在は、堕天使を天使とは異なる種族として扱う。
「不思議だとは思わないか?」
「何が!?」
ハイゼルの斬撃を回避したクロスは、光力を収束させた斬撃を放つ。
まるで夜空にかかる三日月のような光の刃がハイゼルに向かって奔り、それを見止めたハイゼルはそれ以上に巨大な漆黒の三日月によってクロスの光斬撃を粉砕する。
「この九世界に存在する全ての存在の中で、唯一天使だけが、光から闇へとその存在を変化させる」
「……っ!」
ハイゼルの漆黒の光を紙一重で回避し、クロスはハイゼルの言葉と、その強大な力の両方を前に歯噛みする。
「本来は超えられないはずの光と闇の境界。俺たちはそれを超え、超えられる存在だ」
静かな声音で淡々と言い放ったハイゼルは、閃光よりも速く煌めく閃光となって大剣を振り下ろしたクロスの斬撃を刺又で受け止める。
白と黒の光がぶつかり合い、光の火花を散らす。その中で視線を交錯させる二人は、対照的な表情を浮かべていた。
「だから……なんだ!?」
険しい表情で言い放ったクロスに、余裕の笑みを浮かべたハイゼルが応じる。
「光と闇の境界を越えて結ばれる想いがあるのなら、その存在を望まれない者も、その存在を望まれるのかもしれないな」
ハイゼルの言葉と同時に、ハイゼルの刃を払ったクロスは、距離を取りつつ光力の砲撃を放つ。
光の天使と闇の堕天使。元は同じ存在であるとはいえ、光と闇という相反する存在が同じ想いで結ばれるのならば、この世界に望まれない混濁者であっても、この世界に生きる存在と結ばれる事が出来るのかもしれない。
「……そんな事か」
「何?」
聖なる光の砲撃を、漆黒の光を宿した刺又で粉砕したハイゼルは、クロスの言葉に目を細める。
「お前、教えてほしいって言ってたな」
クロスの身体から、光が噴き上がる。
「なら、教えてやるよ!! ……混濁者は、この世界に望まれない!」
「っ」
クロスの言葉に、息をのんだハイゼルに光の剣を掲げたクロスが肉迫する。
「……なら! なら、貴様は何故、あの女と共にいる!?」
クロスの光の斬撃を漆黒の光を帯びた刺又で防いだハイゼルが、声を荒げて問いかける。
天使と人。混濁者の中でも、特に忌み嫌われる全霊命と半霊命の混濁者。
本来なら、誰からも命を狙われるはずの呪い児が、天界に守られ、天使と行動を共にする。この世界に居場所などないはずの忌み児が、そこにいるのは、そこに居場所があるからなのだとハイゼルは思っていた。
「あの女が! 世界の全てに望まれないはずの忌まわしい混濁者がここにいるのは何故だ!? 天界が――誰かが望み、誰かに望まれたからではないというのか!?」
漆黒の斬撃が天を衝き、クロスはそれを紙一重で回避する。
「はあああっ!!」
ハイゼルの漆黒の刃を回避したクロスは、そのまま身体を半回転させながら光を帯びた刃を横薙ぎに放つ。
クロスの斬撃を一瞥したハイゼルは、その攻撃を回避する事無く刺又から左腕を話すと、その腕でクロスの斬撃を受け止める。
「……なっ!?」
クロスの大剣の刃が、ハイゼルの腕に半分ほど食い込み、そこから血炎が立ち昇る。
ハイゼルは、その痛みにわずかに顔をしかめるが、そんな事など意にも介さず、大剣を刃をそのまま掴む。
「っ! しまっ……」
クロスが目を見開いた瞬間、漆黒の光が一閃し、ハイゼルの刺又の刃がクロスの身体を袈裟がけに斬り裂く。
「ぐっ、あ……」
身体からおびただしい量の血炎を噴き上げたクロスの体勢が崩れる。
「……答えろ」
ハイゼルの鋭い視線がクロスを射抜く。
「っ……」
斬り裂かれ、血炎を噴き上げるクロスは、その痛みに目を細める。
「決まってるだろ……」
口端から、深紅の煙を立ち昇らせるクロスは、絞り出すように言う。
《クロス……お前は正しい事をした》
《――兄貴……》
《ただな。――正しい事をしたからといって、誰かを救えるとは限らないんだ。時にはその正しさが自分を深く傷つける時もある……分かるな?》
《っ、けど……》
《正義や法を掲げ、司る者は、その行いと心の有り様を以ってそれらを証明しなければならない。自分に都合が悪くなったから、それを否定するなんて許されないんだ》
《っ……》
クロスの兄は、唇をかみしめてうつむくクロスに視線を向け、淡々と言葉を紡いでいく。
《――もう一度言う。お前がした事は正しい。ただ、その結末がお前が望んだものとは違ったっていうだけだ》
《俺は、そんな風に割り切れない……俺の所為で、あいつは……》
クロスの脳裏によぎるのは、かつての記憶。
それは遥か古から今現在にいたまで、クロスを苛んできた罪と罰。そして、その痛みに苦しむクロスにかけた兄の言葉。
《確かに……お前は救えなかった。それは事実だ》
《っ!》
《なら、もう何もしないでおくか? お前が正しくあろうとしなければ、今回の事は起きなかった。救おうとしなければこんな結末は迎えなかっただろうな》
《そんな事っ! ……そんな事分かってるよ……》
唇を引き結び、強く拳を握りしめたクロスは、絞り出すような声で言う。
慟哭を堪えるようなその様子を見た兄は、クロスの複雑な思いを慮りながら、それでも冷徹に優しく言葉を続る。
《なら、目を背けていればよかったか?》
《っ!》
《こんな結末を迎えるくらいなら、正しくある必要はなかったか? 救おうと――守ろうとする必要はなかったか? それは間違いか?》
《っ、それは……》
兄の言葉に、クロスは返す言葉を見つけられずに息を呑む。
《強くなれ。……お前が救いたいと願うものを、正しく救えるように》
《……兄貴……》
《よく覚えておけ、クロス。思うだけじゃ何も変わらない。願うだけじゃ何も手に入らない。祈るだけじゃ――何も救えないんだ》
《っ!》
《クロス。……お前は、自分が想い、願うモノのために何をする? 何を求めるんだ?》
《俺が……求めるもの……》
兄の言葉に目を伏せたクロスの脳裏に、一つの影がよぎる。
それは、幼い頃から多くの時を過ごしてきた少女。
腰まで届く金糸の髪に、大きな瑠璃色の双眸。そして、四枚の翼を持った忌まわしき少女。
《俺は……》
「……俺には、惚れた女がいるんだ。……そいつは、生まれたその瞬間からずっと、逃れられない罪を背負ってる」
「……!」
クロスの言葉に、ハイゼルは目を見開く。
それが、天使と人間の間に生まれた天使――マリアの事を言っているのは明白。ハイゼルがそれに気を取られた瞬間。クロスの持つ大剣が閃き、ハイゼルの身体を真横一文字に斬り裂く。
「ぐっ……!」
胸部に真横一文字の傷を受け、そこから血炎を立ち昇らせるハイゼルが油断した自身の迂闊さと痛みに目を細める。
「あいつは混濁者だ。そして、俺は混濁者を肯定する気はない。惚れた女がそうだからって、混濁者の存在を肯定する事はない」
「罪を犯したのが身内だからといって、法を否定するのは愚行といったところか。……さすがは天使だな。実に厳格で正しい判断だ」
クロスの言葉に、ハイゼルは自嘲気味の笑みを浮かべて言う。
「そんなんじゃねぇよ」
「なに……?」
感情を読み取れないクロスの言葉に、ハイゼルが軽く目を細める。
「俺は、あいつが混濁者だろうと、それを含めてあいつを愛してるって言ってるんだ!」
「……っ!」
ハイゼルが目を見開き、クロスは大剣から離した左手で強く拳を握りしめる。
「俺は、あいつのために混濁者を否定しない! あいつのために『混濁者だろうと関係ない』なんて言ってやらない! あいつが混濁者だって事も受け入れる!!
あいつがどう思ってようが、それを理由に俺から離れていくなら、絶対に離さない! あいつの罪も罰も、全部一緒に引き受けてやる!!」
当人が聞いていたら、顔を真っ赤に紅潮させているであろう言葉をハイゼルに言い放ったクロスの身体から光が噴き上がり、その身体だけでなく、手にしている大剣までもが輝いているかのように煌めく。
「それが、あいつに惚れた俺の覚悟だ!」
クロスがハイゼルに揺るぎない視線を向ける。
マリアが生まれたその瞬間から背負った罪は、マリアに抗う術もない事。マリアがどう頑張っても、防ぐ事も、変える事も出来なかった罪。
生まれた事が罪ならば、生きる事も罪なのか?
生きている事が罪ならば、生きる事もまた罪なのか?
その罪が愛する事を許さないのなら、愛されることも許されないのか?
想う事が罪ならば、想われる事も罪なのか?
幸せになる資格がないのなら、幸せにされる資格もないのか?
それは、この世で唯一生き残っている全霊命と、半霊命の混濁者であるマリアを想い、ずっと一緒に居続けてきたクロスが常に抱いてきた疑問。
しかし、共に時を過ごすにつれ、クロスの想いは薄れるどころかより強くなり、マリアはかけがえのない存在になっていった。
そして決めたのだ。この想いを貫くと。そして、心から想う少女を守り抜くと。
「なら、なぜそれを言ってやらない? お前たちは、夫婦どころか、恋人でもないだろう!?」
クロスの言葉に、ハイゼルは淡々と言葉を紡ぐ。
マリアとクロス。二人を見ていれば、互いに特別な感情を抱いているのは一目瞭然。しかし、とはいえ、二人には深い関係になった男女のような印象もない。それを疑問に感じたからこそ、ハイゼルはクロスの前に立ちはだかったのだ。
その言葉に一瞬眉をひそめたクロスは、しばらくの沈黙の後に、ため息をつく。
「考えてるんだよ。あいつが自分の存在の負い目を感じなくなる、最高の言葉をな」
「……!」
わずかに頬を染めるクロスの言葉に、ハイゼルは目を見開く。
先程までの告白とは異なり、恥じらいから言い難そうにしているクロスの様子を見て、ハイゼルの口元に思わず笑みが浮かぶ。
「なるほど……ただのヘタレか」
「……うるせぇよ」
照れ隠しに、やや強い口調で呟いたクロスは、大剣を構える。
《ハイゼル。例え黒い翼をもっていても、俺たちは白い翼の天使と同じなんだ》
クロスに応じるように刺又を構え、戦意に研ぎ澄まされた漆黒の光を収束させるハイゼルの脳裏に、今は亡き兄の言葉が再び甦ってくる。
(ああ……そうだな、兄さん。同じなんだ)
口元に笑みを浮かべ、聖なる光を大剣の刀身に収束させるクロスを見る。
(望む事も、望まれる事も、望まれない事も、愛する事も、愛されることも、愛されない事も、混濁者も、そうでない者も、その存在が罪だったとしても。……誰もが等しく同じなんだ)
(俺はそれに気づかなかった。……いや、気付いていたのに気付かない振りをしていたのかもしれない。)
「なら、見せてみろ。お前の『覚悟』ってやつをな。」
言いながら、ハイゼルは漆黒の光を刺又の刃に収束させていく。
クロスがどれほど高い志を持っていようと、世界の法と真理がそれを阻む。なにしろクロスが望んでいるのは、紛れもなく世界の法に背く行為なのだから。
「……上等だ」
ハイゼルの言葉に目を伏せたクロスは、手にした大剣に光力を収束させて天高く掲げる。
「オオオオオオオオオッ!!!!」
それを合図に、どちらからともなく、その身に宿った力を解放し、その力をそれぞれの武器に収束していく
クロスの大剣が穢れなき純白の光を噴き出し、天を貫く巨大な光の刃を構築すれば、刺又の刀身に収束した漆黒の光が、破壊の波動となって迸る。
白と黒、二色の光が天を貫く巨大な光の刃となって空へと舞い上がり、同時に天空から振り下ろされる。
天ごと世界を斬り裂く煌めく光の刃と、世界を穿つ漆黒の光が激突し、隔離された空間の中で炸裂する。
「ぐっ……!」
「くっ……!」
二つの光がせめぎ合い、世界を滅ぼすほどの力が絡み合いながら、まるで新たなる世界の誕生を彷彿とさせる力場を生み出す。
魔を祓う聖光がハイゼルの身体を焼き、漆黒の光がクロスの身体を傷つける。
「うおおおおおおおおっ!!!」
クロスとハイゼル――天使と堕天使がその渾身の力を振り絞り、その力を最大限まで開放する。
次の瞬間、せめぎ合う力の拮抗に耐えられなくなった光と黒い光が同時に砕け散って炸裂し、白と黒の光が世界を塗りつぶす。
その力に込められた完全滅殺の意志は、神能の力のそれとは別に、世界に因果律に作用し、その現象を事象として顕在化させ、隔離された空間内に広がる町並みを一瞬にして滅却する。
「まだだ……!」
純白の光に呑みこまれたハイゼルは、相手を仕留めていない事を知覚で確信し、刺又を構える。
「おおおおおおっ!」
それと同時に、白と黒の力の奔流を貫き、光の流星となったクロスが大剣を構えてハイゼルに突進する。
光を置き去りにする神速の加速によって、刹那すら存在しない時間で間合いを詰めたクロスとハイゼルが交差する。
――それは、一瞬の邂逅。
光の流星となったクロスとハイゼルが交差し、クロスとハイゼルが背を向け合う。
「……っ!」
一瞬の静寂の後、クロスとハイゼル、二人の身体が天を衝く血炎を噴きあげる。
「く、そ……・っ」
噴火のような血炎を噴きあげ、体勢を崩したクロスの周囲を純白の羽が舞い、光力の粒子となって世界に溶けていく。
体勢を立て直したクロスが一瞥すると、いまだに背を向けているハイゼルは不動のままで宙空に佇んでいた。
「っ、――見事だ」
口元に笑みを浮かべたハイゼルの言葉と同時に、ハイゼルの身体が爆ぜ、漆黒の光の粒子を巻き上げる。
その身体と魂――存在の全てを神能によって構成された全霊命は、|生命の終わりに、無力な力の粒子へと還り、世界に溶けて夢の終わりのように消え失せる。
ハイゼルは、まさにその状態。命の終わりに世界へ還っていく神秘的なほど幻想的で、夢の終わりのように儚く、切ない最期。
「クロス」
「?」
力の粒子となって世界に溶けていくハイゼルの声に、クロスはその背に視線を向ける。
背を向けたハイゼルの背から、その表情をうかがう事は出来ない。クロスの目に映るのは命を終わりを迎えた堕天使の赤い血炎と翼の黒。
「お前が立ち向かおうとしているのは、『世界』という絶対の理だ。その前で、たかだか天使一人に何ができるのか……お前と、あの混濁者の行く末を見届けられないのは残念だが……精々頑張るんだな」
淡々とした言葉で言ったハイゼルの言葉に、クロスは目を伏せる。
「……言われるまでもねぇよ」
小さく、揺るぎない決意で紡がれたクロスの言葉は、世界に舞い散るハイゼルの残滓――漆黒の光の粒子の中に溶けて行った。
「ぅ、ん……・」
闇の中に落とされていた意識が覚醒し、ぼんやりと霞んだ景色が視界に入ってくる。
(私……どうして……?)
心の中で自分自身に問いかけ、懸命に記憶を辿る。
(――っ、そうだ)
そして、意識の覚醒に伴い、その記憶が鮮明に脳裏に甦ってくる。
「え? これは……っ!」
気がついた瞬間に、自分がたった一人でいる事に詩織は目を見開いた。
そこは、さっきまで友人たちと一緒にいた教室。しかし、そこはその光景を残しながらも自分一人だけしか存在していない偽りの空間
「これって……!」
そして、これが何なのか詩織には一目で分かった。
これまで何度も目の当たりにしてきた「空間隔離」。全霊命がその超常の力によって生み出す世界の景色をそのまま切り取って生み出した異空間。
「で、でも何で……?」
自分が異空間に捕捉された事は間違いない。しかし、それが何故なのか?何故自分だけしかいないのか?この空間隔離が誰によって生み出されたものなのかまでは詩織には分からなかった。
「悪いな」
「っ!」
その瞬間、詩織の耳朶をたたいたのは聞きなれない男の声。
その言葉に身の危険を感じ、反射的に振りむいた詩織は意識が闇の中に落ちていくのを感じていた。
(え? なに……これ?身体に……力が……)
意識とは裏腹に力の入らない身体。沈んでいく意識の中で詩織が見たのは純黒の翼のようなものだった
「っ、そうだ。私……」
自身に起こった事を思い出した詩織は、横たわっていた身体を持ち上げる。
「気がつかれましたか?」
「え……?」
半ば悪夢にうなされて飛び起きるように身体を起こした詩織に、優しく耳触りのいい澄んだ声がかけられる。
その声に導かれて首をめぐらせた詩織は、その人物の姿を見止めて息を呑む。
「っ!」
「あらあら、最悪のタイミングで起きちゃったわね」
そんな詩織に、簪をつけた女性が両手に持った鉄扇で、口元を隠しながら妖艶な笑みを向ける。
「桜さっ……!」
言葉を失う詩織の前には、両腕から血炎を立ち昇らせた桜が、美しい桜色の髪をなびかせながら背を向けて佇んでいた――。