輝けし侵略者
「――……」
世界を照らす神臓の月光と、それによって照らされる世界の星光に照らされる天上界王城の一角で詩織は柔らかくも確かに土のような確かな感触を備えている白雲の大地に腰を下ろしていた
「あら、桜ちゃんは撫子さんの妹さんなの?」
「お姉さんの事をご存知なのですか?」
そんな詩織を取り囲んで弾むように言葉を交わしているのは、桜と深雪。少し前に神魔が用事があると一人席を外した今、二人は親しげな様子で親交を深めていた
「えぇ。こう見えても私は昔魔界軍に仕えていたことがありまして。久遠様と涅槃様がご存命の頃にはとてもお世話になったのですよ。撫子さんともその時に何度か……まだ桜ちゃんが生まれていなかった頃ですね」
「そうだったのですか。不思議なご縁もあるものですね」
桜は神魔の母であり、自分にとっての義母となる深雪に認めて貰えたことを喜び、深雪は自分の息子の妻で義娘になる桜を歓迎して笑顔で応じている
まるで実の母娘のように打ち解けている桜と深雪の間に割って入ることもできず、詩織は分かる様な分からないような話を聞きながら、時折相槌を打つことしかできなかった
「でも、こうして息子がお嫁さんを連れ来てくれるというのはいいものですね。あの子ったら、折角久しぶりに会ったというのに、母の相手も早々に出て行ってしまうのですから。
男の子というのは薄情なものです。その点桜ちゃんは全然嫌がったりせずに私の相手をしてくれて、私はとても嬉しいです」
「照れていらっしゃるのですよ。神魔様はお義母様の事をとても大切に思っておられます」
再会の時から今に至るまで、神魔と母子らしい触れ合いをしていないことに冗談めかした口調で不満を微笑で表す深雪に、桜は口元を手で隠して淑やかに微笑む
「あらあら。桜ちゃんは神魔の事をとてもよく分かってくれているのね」
「いえ。わたくしなどまだまだです」
ともすれば当人自身よりも神魔の事を別っているであろう言葉に微笑ましげに温かな眼差しを向ける深雪に恐縮しながら応じた桜は、ふとその表情を真剣なものに変えて話を切り出す
「ところで、お義母様。何故、そこまで頑なに神魔様の事を口外なさらないのですか?」
先程までの和やかな雰囲気から、真剣なものへと変えた桜の言葉に深雪はその顔に浮かべていた微笑を消し去る
(……?)
張りつめたというほどではないが、桜と深雪の間に先程とは違う硬質さを持った空気が生じたのを感じ取った詩織は、その問いかけの意図が分からないままに二人のやり取りに耳を傾ける
「不可神条約はそれを破ったからと言って特になにかがあるわけではありません。仮にお義母様がそういった方々から情報を得ていたとしても、そこまでかの方々に義理立てをする理由があるようには思えないのですが」
暗に、実の息子である神魔の命がかかっているというのに、その事情を明らかにしないことを非難するように問いかけた桜は、そこにある深雪の意図を伺う
光と闇の絶対神に列なる光と闇の神々――創世の神々は、この九世界を作り上げた後、この世界を去って自分たちが直接的間接的な干渉を禁じる不可神条約を締結した
神がその意思を示せばその被造物たちが自ら発展することを妨げるであろうことに加え、神々が争えば、二度目の創神神争へと発展しかねない。そうなってしまえば、この世界とそこにある全てのものがどれだけ滅ぼされてしまうか想像もつかないからだ
だが、実際に不可神条約を破ったとしても、何らの罰――天罰が下るということはない。神について語った者が命を落とすだの、呪われてしまうだのといったことは起こりえない
故に、不可神条約とは事実上それに関係した者の意識によって守られているだけであり、それを破ってしまうことに問題はないのが現状だ
この世界の歪みの元凶である〝全てを滅ぼすもの〟である神魔は深雪の実の息子。その命を救うために、不可神条約を破って情報の共有を促しても何ら問題はないはずだと桜は考えていた
「そうですね」
真意を見透かそうと、その澄んだ眼差しを向けてくる桜を見据えた深雪は、神魔の伴侶であるこの美女が心から息子の事を愛し、案じてくれているのだと感じて微笑みを浮かべる
その瞳に深い思慮の色を浮かべた深雪は、神魔を想い案ずる桜の姿に、同じように死紅魔を想っていた自身の姿を重ねながら、言葉を紡ぐ
「桜ちゃんの言うように、不可神条約を破ることに明確な罰則などがあるわけではありません。その条約を定めた創造神は、それができたにも関わらず不可神の罰則を設けることをしませんでした――これが何を意味するか解りますか?」
不可神条約の遵守はそれを委ねられた者の誠意に任されている。それは神という存在に対する畏敬と崇敬の念の表れであり、通常知ることが出来ない神の意志に触れた故の敬虔なのかもしれない
いずれにせよ、不可神条約そのものに罰則はない。だが、それを定めた光の神位第一位「創造神」ならば、それをこの世の理として示すことが出来たはずなのだ
(?)
だが実際に創造神は不可神条約に罰則を設けることはしなかった。その意図を問われた桜が思案気に目を細める隣で、詩織はその意味が半分ほどしかわからずに小首をかしげるしかない
「つまり、神は神による世界への干渉を禁じていながら、実際には干渉する余地を残しているということでしょうか?」
そんな詩織とは対照的に、しばし思案を巡らせて深雪の言葉の意図を探った桜は、神妙な面持ちで言葉を選びながら、その仮説を口にする
それはつまり、創造神が不可神条約に罰を設けなかったのは、神が世界に干渉するためではないか、という不可神条約そのものの内容に矛盾する意図があるのではないかというものだった
(それってつまり、神様は本当は世界に干渉してるってこと?)
被造物たるものへの干渉を禁止する神の理を定めながら、その裏で神として意思を示すこと、あるいは行動を起こすことを許容しているという桜の仮説を聞いた詩織は、ようやくそれに理解を追いつかせて二人のやり取りに目を向ける
(神様は世界への干渉をしないっていってるけど、本当はこっそり干渉してる? でもそれは秘密になってるから誰も知らない訳で――)
この状況で深雪がその話をしたということは、それが先程の桜の質問に対する答えとなっているということ
(えっと……ってことは、それを教えるってことは、神様が関係してるって言ってるようなものになるから――あ! もしかして)
不可神条約に罰則がなく、神が干渉しうる余地があるのだとして、神の意志を世界に隠す理由に思案を巡らせた詩織の脳裏に一つの考えが閃く
「神様が出てこないように秘密にしてるってこと?」
特に深い考えがあったわけではなかったが、ふと脳裏に浮かんだその可能性を詩織は混乱する思考の熱からか、思わず口にしてしまう
不可神条約そのものではなく、神が直接干渉する理由になることを避けるためんい情報を広めないのではないかというその考えに、桜と深雪の視線が向けられる
「あ、すみません」
それに至って、ようやく自身の失言に気付いた詩織が慌てて謝罪するが、桜と深雪はそれに目元を綻ばせるだけだった
「何事にも、〝機〟というものがあるのですよ」
そして、その視線を桜へと戻した深雪がその胸中を表すような辛苦の笑みを浮かべながら柔らかな声音でそう締めくくると、桜はそれを了承したように目礼して応じる
この世界を創世した神々は創界神争が集結したしばらく後に世界を離れ、神器などを除けば少なくとも表面上は一度もその意思や力を示していない
神の事を知るのは、原在をはじめとした世界創世の時代から生きている極一握りの存在のみ。その意思に触れることが出来ることが必ずしも幸福なことではないと訴えてくるかのようだった
「お義母様は神についてお詳しいのですね」
「ええ。幸か不幸か、そういう縁に恵まれましてね」
桜の口から零れた言葉に、物憂げな声音で応じる深雪の瞳の中にある真意を桜や詩織に推し量ることはできなかった
(もし……もしも神魔君の事を知らなければ、私達はどんな風に今を迎えていたのでしょうね)
神魔が〝全てを滅ぼすもの〟である事を知らなければ、自分達家族はどうしていたのか、そんな埒もない考えが深雪の脳裏をよぎる
神魔と死紅魔、深雪の家族の運命の分岐点は間違いなくそこにある。そんな仮定など意味はないことは分かっているが、最愛の伴侶を失い、愛する息子の命を失う目前である今、深雪は手のひらから零れ落ちてしまった平凡な家庭と幸せだったであろう日々に思いを馳せずにはいられなかった
「――――」
そのまま伏せていた瞳を移動させて隣にいる桜の手を見た深雪は、その左手薬指に光っている飾り気のない銀色の指輪を見て、一抹の寂しさの入り混じった笑みを零す
「桜ちゃん」
自身の中に浮かんだその感情をかき消すように一度瞼を閉じた深雪は、手を伸ばして桜のてを取ると、その行動に驚いて小さく目を瞠っている愛息子の伴侶に向かって微笑みかける
「神魔君の事をお願いしますね」
深雪から直々に神魔の事を頼まれた桜は、淑やかでありながら凛とした印象を受ける華やいだ美貌で恭しく目礼する
「この身に代えましても」
「あらあら。神魔君ったら果報者ね。でも、桜ちゃんも無理してはだめですよ?」
短く紡がれたその言葉に込められた桜の献身と覚悟、それを裏打ちする深い愛情を感じ取った深雪は、その姿に自身を重ねながら苦笑を浮かべる
「――!」
「え……!?」
そんな義母と義娘のやり取りを見て同時に桜と深雪が打ち解けていることを祝福しつつ、羨望の眼差しを向けていた詩織は、これまで和やかな雰囲気で言葉を交わしていた桜と深雪がその表情から笑みを消し、揃って自分を見たことにたじろぐ
声と表情を強張らせ、桜と深雪の視線にうろたえる詩織だったが、二人が自分を見ていないことに気付いて背後を振り返る
桜と深雪の視線が自分の背後に向いていることに気付いた詩織がそれを追うと、そこには長い薄青色の髪を持った中性的で柔和な面差しの男性が一人佇んでいた
金色の装飾がアンダーリムの眼鏡のようになっているその男性の頭上には光の環が浮かんでおり、その人物が天上人であることを物語っている
「失礼。お話の邪魔をするつもりはなかったのですが」
桜と深雪、そして詩織の視線を受けたその天上人は朗らかな笑みを浮かべる
「あなたは?」
「天上界宰相、叢雲と申します」
深雪に素性を訊ねられ、目を細めて応じた薄青色の神の天上人――「叢雲」は、丁寧な所作で名乗りを上げると同時に、その手に携えていた金刃の矛を振り抜く
「詩織さん!」
「え?」
全くその兆候さえ感じられなかった叢雲の斬撃に弾かれたように薙刀を顕現させた桜が、鋭い淑声と共に矛の一撃を阻む
一瞬にして展開した魔力の結界によって、全霊命の神速域での戦いを知る知覚を手にした詩織は、目の前でせめぎ合っている桜の薙刀と叢雲の金矛の刃に呆けた声を零す
「ほう。これは驚きました――ね!」
直前まで戦意も敵意も完璧に隠していたはずの完全な不意打ちの一撃。同時に半霊命ならばそれだけでこの世から滅殺できる純然たる殺意を帯びた神能を解放したというのに、桜の結界と刃はそのことごとくを完璧に阻んでいた
その事実に驚嘆し、賞賛の言葉を述べた叢雲は、背後から伸びてきた結晶黒刃の杖の一撃を後方へ跳んで回避し、酷薄な笑みを浮かべる
「一応弁解をお聞きしたいのですが、なぜ天上界の方がこのようなことをなさるのですか?」
先程自身を退けた結晶黒刃の杖を携えた深雪が桜と肩を並べ、敵意を秘めた静かな眼差しを向けてくる深雪の問いかけに、初手を失敗した叢雲は余裕を崩さない表情と態度でこの事態に混乱を極めている詩織へ視線を落とす
「彼女が持つ神器を譲っていただこうと思いましてね」
「!」
まるで親しい友人にでも話しかけるような柔らかな声音と微笑を向けてきた叢雲に、詩織は自身の中に宿っている神器を探すようにその胸を掴む
「神器を――?」
そんな詩織の眼前に佇む桜と深雪は、叢雲を訝しげな視線で見つめながら声を漏らす
「えぇ、そうです。世界を救うためには、それが必要なものでね」
「そんなことをしなくても――いえ、別の勢力ですね。英知の樹ですか?」
わざわざ詩織を殺めなくとも、明日十世界盟主たる「奏姫・愛梨」がやってくれば、全ての神器を使うことができるその権能によって詩織に宿った神眼を取り出すことが出来る
それを今する必要がない以上、叢雲の行動の根幹には天上界はもちろん、十世界でもないものの意志や思惑が隠れているのは容易に予想がついた
「惜しい」
十世界以外で神器を欲するもの――そう考えたところで真っ先に思いついた組織の名を口にした深雪に瞼を閉じながら応じてみせた叢雲は、軽く指を擦り合わせて乾いた音を鳴らす
瞬間、それを合図に叢雲の背後の空間が波紋のように揺らぎ、そこから全長十メートルにも及ぼうかという巨大な円盤が出現する
それは、大きな円盤に無数の小さな円盤が重なったような形状をしていた。立体的に構築されたそれは、緻密さと精緻さを兼ね備えており、見るものに感嘆の息を零させる
「それは……!?」
(天力が感じられません……いえ、それどころか強い力を感じられませんね……)
叢雲が呼び出したというのに、天上人の神能である「天力」や強力な神格を感じられないことに、桜はその柳眉を顰めて警戒と思案を深める
桜ばかりではなく、深雪までもが怪訝な表情で自身が召還したものを見ているのを見据えた叢雲は、勝ち誇ったように口端を吊り上げて、その正体を明かす
「この世界を閉ざす門。そして、〝かの者達〟を呼び出すための扉です」
その言葉に応じるように扉を構築する歯車のような部品が回転し、澄んだ音を立てて絡み合うと、立体的に配置された無数の円盤が結合し、一つの機構として円盤を起動させる
まるで鼓動を刻むようにその機構が動き始めると、まるで血管のように光が奔る。さながら命を吹き込まれたかのように動き出すと同時、外側へと力のフィールドを展開し、最も大きな円盤が開いて扉へと変じる
「これは……っ!?」
開いた円盤の内側には虚数の空間が広がっており、その中に無数の存在の胎動を知覚した深雪が息を呑むと、それを見て取った桜が異常事態を予感して視線を向ける
「お義母様!?」
「桜ちゃん、気を付けてください! これは――」
桜に警戒を訴えた深雪の声に応じるように、叢雲の背後にある歯車の扉の中から、金属質の腕が出現し、鎧に身を包んだような人型が這いずるように現れる
その顔は面を被っているよう。二つの眼はこの世界を見据えて爛々と輝き、そこに宿る意思のようなものを感じさせる
「文明神の軍勢です」
「ロ、ロボット……!?」
人型をしてこそいるが、金属質でおよそ生体的とは言えない外観でありながら、まるで生きているかのように感じられる矛盾を孕んだその存在を目の当たりにした詩織は、その率直な印象を口にする
その眼前では、開いた門から全く同じ姿をした人型が次々と現れ、圧倒的な数を以って先に深雪が述べた通りの「軍勢」となっていた
「あれは、文明神・サイビルゼイトのユニット――〝神形〟です」
「神形……?」
その声を背で聞いていた桜は、叢雲の周囲を埋め尽くす機械人――「神形」から視線を外すことなく、神妙な面差しで答える
「はい。わたくしも初めて見るのですが、この世で唯一全霊命と同等の力を持つ製造物です」
「……!」
桜のその説明を聞いた詩織は、それが〝生み出された〟のではなく、〝作り出された〟ということを意味しているのだと即座に理解することできた
ユニット能力とは、神が生み出した自らの力に列なる存在。人間は光魔神のユニットであり、半霊命は世界のユニット。そして全霊命もまた神のユニットになる
「文明神・サイビルゼイト」は最強の異端神〝円卓の神座〟の№4。自然神・ユニバースの対極に位置し、その名の通り自然や世の理とは別に、行けるものの知恵によって作り出されるものを司る異端神。
そして文明神は、その名の通り自身のユニットとなる全霊命――〝神形〟を、その手で作り出すことが出来る唯一の存在なのだ
通常、ユニットには大別して、「人間」のようにそれそのものが繁殖して数を増やすことが出来る「繁栄型」と悪意を振りまくもののように一定数だけが存在できる「欠片」の二通りが存在する
だが、「神形」はそれらとは少し異なり、その神である文明神の手によって、外見、能力を調整されて作り出されている。それが、神の力から生まれた他のユニットとは異なる「製造物」と称される所以なのだ
「それにしても、天上界の宰相が文明神と組んでこのような事をするとは穏やかではありませんね」
神形を呼び出すばかりではなく、周囲の空間一帯に干渉した歯車の扉からそれを召還した叢雲に視線を映した深雪は、静かな声音で問いかける
だが、その穏やかな口調とは裏腹に、その瞳と魔力にはその意図を問い質す攻撃的な意志が宿っていることを叢雲は見逃さなかった
「なに。ただの利害の一致――取引ですよ」
わざとらしく肩を竦め、自身の周囲にいる全霊命ならざる全霊命に等しき神の人形を一瞥した叢雲は、自身の言葉に意識を注いでいる桜と深雪に答える
「文明神は自らの軍勢の強化のために、全てを見通す神の眼を欲した。そしてその代わりに我々は――」
何ら隠し立てすることなく文明神の目的を告げた叢雲は、かの異端神の目的である神眼を持つ詩織を一瞥し、桜と深雪に酷薄な笑みと共に己の動機を答える
「この世で最も忌まわしきものを排除するのです」
「――ッ!」
叢雲の口から告げられたその言葉が何を意味しているのかを瞬時に理解した桜、詩織、深雪の三人は、その宣言に驚愕を露にするのだった
※
叢雲によって召喚された歯車の扉が起動し、解放された力場が空間に干渉し、天上界王城を中心に拡大していくと、その力を知覚した堕天使王ロギアは、閉じてた瞼を開いて天を仰ぐ
「……これは?」
何らかの力が世界を舐めるように広がり、何からの効果を及ぼしたことを知覚したロギアは、同じように異変に気付いている堕天使達に視線を向ける
デュオス、フィアラ、カトレア、ザフィール、オルク、カトレア――数多いる堕天使の中からこの天上界にロギアと共に残ることを許された者達もこの事態がただ事ではないと感じ取って緊迫した空気を纏っていた
「カトレア」
ロギアに名を呼ばれた堕天使「カトレア」は、それだけで何を求められているのかを即座に理解し、花のような髪飾りの形状を持つ神器を起動させる
「はい――!?」
しかし、その瞬間異変に気付いたカトレアは動揺を浮かべてその事実を述べる
「ロギア様、通神界路が通じません!」
「なに!?」
カトレアの持つ神器「通神界路」は、次元と時空、あらゆる世界のくびきを越えて望んだ相手と意思疎通を図ることが出来る神器。
ロギアたちは、この力を以て堕天使界へ帰還させていた堕天使の軍勢を呼び戻すことが出来るのだが、まるでそれを見越していたかのように、その力さえもが作用しない空間が構築されていた
(こんなことが出来るということは――)
「……神の力による妨害か」
通神界路の干渉を妨げることが出来るということは、それは神器と同等以上の神の力によるもの以外にあり得ない。即ち、先程感じた違和感は、この世界で何らかの神の力が作用したことを示すものだとロギアは即座に結論付けていた
「ロギア様、空間を開けません!」
「……なるほど、閉じ込められたというわけか」
言われるまでもなく、真っ先に世界を繋ぐ時空の扉を開こうとしたロザリアだったが、通常ならば当然のように生じる門が出現しないことに、ロギアは自分達の――この世界の現状を理解する
「これは……っ!」
それと時を同じくして、この世界に生じた異変に気付いた天上界王灯をはじめとする天上人達、大貴、クロスとマリア、そしてリリーナとノエルが城の外へと現れて様子を伺い出う
それとほぼ同時に、それを待ちわびていたかのように空の中心に幾何学の紋様が奔り、それが瞬く間に質量と形を得て、重厚な扉へと変わる
「――!」
(この力は、〝文明〟)
その扉を構築した神能を知覚したロギアは、世界最初にして最強の天使として創世の時代から得てきた知識から、即座にその正体を看破する
「……文明神か」
「!」
眉根を寄せ、険しい表情を浮かべたロギアの言葉に、天上界に残った堕天使達が息を呑んで天に浮かんだ巨大な門へと視線を向ける
それを合図にしたかのように天の扉が開き、その中から眩いばかりの純聖な光が溢れ出す
天頂に座する神臓の月を遮った天の門から注がれる光は、昼間の陽光に勝るとも劣らない輝きを放っており、夜の天上界を明るく照らし出していた
そして、そんな光の中から降臨したのは、純白の翼を広げた者達。夜闇をかき消す光を伴って現れた者達に、天上界王城に集った者達の視線が集中する
「天使!? いや――違う。光の軍勢か」
そこから現れた者達を知覚した大貴は、神能からその存在を特定するが、即座にそれだけではないことに気付いて声を上げる
最初に現れたのは確かに天使だった。だがその後に次いで現れたのは、翅を持った妖精、三メートルにも及ぶ巨躯を持つ聖人、さらには頭上に光輪を浮かべた天上人。――九世界を司る光の全霊命四種族全ての者達だった
「あいつは――!」
天空に開いた門から現れる光の存在の中、一際強い力を放っている天使を見止めた前髪だけが黒くなっている金髪の四枚翼の堕天使「オルク」の声に、紋付袴を連想させる霊衣を身に纏い、顔の下半分を隠す鎧兜のような面をつけた堕天使ザフィールが険しい表情を向けて続く
「天使〝レイラム〟。――サンクセラムか!」
突如天空に出現した扉から現れた光の存在達。その中で最も強大な力を持つ者――腰まで届く金白色の髪を持つ八枚翼の天使の男を見て、ザフィールが敵意を剥き出しにする
「……なんで光の存在がこんなに?」
そうして現れた光の種族たちの総数は約百。最も数が多いのが天使で全体の八割近くを占めており、最も数が少ない聖人は逆に二人ほど
突如世界に起こった異変に目を息を呑んだ大貴に、丁度最も近い位置にいた天界の姫リリーナが光力に乗せた声で答える
「あの中心にいる最も強い力を持つ天使は、『レイラム』。天界や光の世界の意志に背き、闇の存在をこの世界から排除しようとする意思を持つ者です
彼が中心となった光の組織〝サンクセラム〟は、闇を滅ぼそうとする者達の中でも最も勢力が大きく、最も強力な力を持ち、そして――最も攻撃的です」
「……!」
会話をするには少し離れすぎているが、全霊命の知覚を以ってすればその距離で大貴の声を拾うのになんら支障はなく、会話をするにも差しさわり内
自身の疑問に答えるように光力に乗って返って来たリリーナの答えに、大貴はおおよその事情を察して〝サンクセラム〟の軍勢で埋め尽くされた天を仰ぐ
「――あいつは……」
そしてその頃、天上界王を抱く白雲の大地の端――天空に出現した門から離れた場所でそれを見ていた神魔は、天使レイラムの姿に表情を険しくする
天使レイラムは、かつてサンクセラムがまだ今ほど大きくなかった頃に魔界へ侵攻し、風花を殺めた神魔にとって因縁の深い相手
「でも今は――」
かつて自らもが戦った天使達が率いる光の軍勢を前にした神魔は、その内から湧き上がる衝動を抑えるようにして瞼を閉じる
「――……」
(闇の存在に、光と闇を同時に持つ異端神、光を捨てた堕天使。そして何より――)
この天上界王城から知覚できる魔力、そして光魔神たる大貴、堕天使達へと視線を向けたレイラムは、最後に天上界王灯を見て、眉を顰めて不快感を露にする
「闇の存在を招き入れて世界を穢す光の存在の面汚しどもめ――」
内から湧き上がる怒りに小さく歯を食いしばり、瞳に猛るその感情を映し出すと、レイラムの光力が純然たる滅意によって染まる
闇を滅ぼさんと願うその意思に突き動かされるように、自身の光力を純白の大槍刀という戦う形として顕現させたレイラムは、それを掲げて眼下に集った全ての者達に向けて宣告する
「聖なる光の存在としての矜持を失い、邪悪なる闇にへつらう愚か者共よ。制裁と粛清の時である! せめてこの世界に還り、聖なる世界のための礎となるがいい!」
「問答無用かよ……!」
純白の大槍刀を掲げるレイラムの言葉と共に、周囲にいる光の存在達の力が純然たる戦意に高まっていくのを知覚して、大貴は吐き捨てるように言う
天空を埋め尽くす光の存在達の四つの神能――「光力」、「天力」、「理力」、「精霊力」が煌めき、天を極彩色の極光で染め上げる
「我らの目的は、そこな許されざる王だけだ! 下がっていれば手は出さぬが、邪魔立てするなら容赦はしない」
純白の大槍刀の切っ先を灯へ向けて宣言し、天上人達を牽制したレイラムは、その視線を動かして純白の十枚翼を広げる朱髪の天使を睨み付ける
「例えあなたでもだ、リリーナ様」
天使として、天界の姫であるリリーナへ一定の敬意を示しながらも、レイラムの瞳には先程の言葉が脅しではないことを感じさせる意志の炎が宿っていた
「行くぞ、聖伐だ!」
告げるべきことを告げ、光力を解放して純白の翼を広げたレイラムが先陣を切ると、それに続いてサンクセラムに属する全ての者達が各々武器を手に天を駆ける
神格に比例した神速を以ってあらゆる世界の理を超越し、時間と空間を越えて迫る聖伐者達を、大貴達と天上人、堕天使達が迎え撃つ
「皆の者! 自らを光の世界の代弁者とのたまう者共の思うままにされたとあっては、我らの名折れ。灯様を守り、結束を示す時だ!」
それを見た天上界王補佐たる天上人「邑岐」は、自身の武器である三又の刃を持つ龍爪槍を顕現させて吼える
レイラムが今回の標的は灯だけだと述べたが、サンクセラムに属する者達にとって、悪魔や堕天使といった闇の存在、光に背いた裏切り者は粛清するのが当然
滅ぼして当たり前の存在だから話に挙げなかっただけであることを、この場にいる全ての者達が正しく理解していた
「その通りです」
瞬間、厳かに響いた静かな美声と共に、空に無数の閃光が奔り、レイラムと共に突撃してきた天使達が絡めとられる
「――!」
自分達の身体に絡みついた無数の糸を一瞥したサンクセラムの光の存在達は、その発生源である人物――天上界王相談役「霞」を睨み付ける
静かに佇む霞の右手には大きく湾曲した弓型の剣が携えられ、そして左手にはサンクセラムを拘束する糸を発生させた琵琶のような形状の道具が握られていた
「天上界王様に弓を引くということは、天上界そのものに宣戦布告をしたのと同義です」
煌めく光輪を頭上に戴き、王を殺めるという不遜な発言をしたレイラム達を冷ややかな視線で見据える霞は、天力を注ぎ込んだ弓剣を琵琶から伸びる糸へ添える
「自らの正義に驕ったその無礼な振る舞いに情状の余地はありません。万死を以って償いなさい」
それを聞いた者が竦み上るほど不気味なほど静かな声音で死を宣告した霞は、弓剣を引いて琵琶から伸びる糸に自身の天力を迸らせる
瞬間弦楽器のしなやかな旋律と共に琵琶から伸びる天力糸が震え、サンクセラムの光の存在達を巻き込んで連鎖的に爆発を引き起こすと、その爆発音が一体となって天上界に轟いた