最後の夜(中)
「かしこまりました。天上界の皆様には人間界王として、皆様の判断を支持しますとお伝えください」
この世に存在する数え切れないほどに存在する世界の中でその頂点に位置し、世界そのものの名としてすら知られる九つの世界――「九世界」の一角をなす「人間界」
その中枢たる人間界王城の中で、この世界を総べる〝人間界王「ヒナ・アルテア・ハーヴィン」〟は、漆黒の髪を揺らめかながら、ヒールの音を反響させていた
ヒナの頭に戴かれた女王冠――「至宝冠・アルテア」は、世界を越えて人間の神である光魔神と繋がる力を持つ祭壇
その力を以て、今は天上界にいる光魔神「大貴」と通じているヒナは、その思念を介してあちらの現状を聞き、人間界王としての判断を下す
大貴から伝えられたのは、この世界にある歪みを解消するために、全ての神器を使うことができる奏姫愛梨が、詩織に宿った神器「神眼の力をもってその真理を見通すための許可を得ること
十世界盟主たる愛梨の力を借りること、また場合によっては人間界が保管していた神眼が失われる可能性を示されたヒナだったが、それを王としての判断で裁可したのだ
確かに世界を救うために十世界の力を借りるのは不本意だと言わざるを得ないが、その体裁を重視して世界そのものを危険に晒すことなど許されるはずがない
人間界王として九世界王会議の場に居合わせたヒナは、堕天使王ロギアの使いとしてきた堕天使「ロザリア」が告げた話を直にその耳にで聞いている
異なる種族の間に愛が生まれ、その愛が子をなす禁忌の理と、その根源だとされる全てを滅ぼすもの――神魔の存在。
最初に聞いた時にはにわかには信じ難いことだったが、 いずれにしても今最も重要なのは、九世界を救うことであるということは厳然とした事実だった
『あぁ。分かった』
人間界の王として決断を下したヒナの言葉に応じた大貴は、至宝冠を介して厳かに応じる
その後、少しの間簡単な世間話をして至宝冠による越界通信を終えたヒナは、自分へ注がれる視線に気づく
「何ですか、シェリッヒ?」
自分を見守るような温かな眼差しを向けてきている金髪の少女――自身の実妹にして秘書も務めている「シェリッヒ・ハーヴィン」にその真意を訊ねたヒナだが、ほんのりと赤らんだ頬が答えを知っていることを物語っていた
「いえ。なんでも」
先日父から人間界王を継承し、その華奢な双肩に途方もない責任を背負っているヒナが見せる一人の女としての顔に、シェリッヒの頬も自然と緩んでしまう
それ以上追及しても自身が不利になるだけだと分かっているヒナは、リッヒの笑みから赤くなった顔を逸らすことで、その話題を続けさせないようにする
「ところで、よろしかったのですか? 光魔神様にこちらのことをお話にならなくて」
そんな姉の惚気た姿を堪能したシェリッヒは、一拍の間を置いて話を仕切り直すと、ヒナの妹としてではなく、人間界王の秘書官としての面差しと立場で訊ねる
「はい。光魔神様はお優しいですから、〝危険だから来なくていい〟などと言われてはたまりませんからね」
シェリッヒの言葉に厳かに頷いたヒナは、人間界王としての顔と一人の男性を慕う女の顔を半々に浮かべた面差しを向けてたおやかに微笑む
そんな悪戯めいたヒナの笑みを見たシェリッヒは、人間界王としての義務として馳せ参じるだけではなく、愛しく慕う男性の許へ駆けつけたい女としての本音に微笑を返す
「あらあら。光魔神様にお会いできるのが嬉しいのは分かりますが、他の人の前ではその本音は隠してくださいね」
よくも悪くも真面目な姉ならば、このような場で本音を口にすることはない。だが、大貴と会える大義名分が立った今、その逸る乙女心に美貌を浮つかせているヒナの愛らしい姿に、シェリッヒは妹として喜びを覚えていた
「そ、それでシェリッヒ。〝アルヴィレスタ〟の準備の方はいかがですか?」
「滞りなく。予定通りの時間に出立可能です」
シェリッヒの指摘に自身の失言に気付いたヒナは、恥じらいと反省に顔を赤らめて、小さく咳払いをして訊ねる
その言葉と共に視線を向けたヒナと、それに追従したリッヒの先にあるのは、巨大な格納庫に収められた大型の艦。
しかし、その艦はあまりにも巨大。ヒナとシェリッヒも、そうと分かっているからそのように認識できるだけで、今目の前にあるのはただの白い壁に過ぎない
視線を上から下、右から左へ向けようとそれはなにも変わらない。ただ、白い壁がどこまでも広がっており、全容はおろか壁の一部以外を視野に入れることさえできないほど
それもそのはず。今ここにあるのは人間界で定められた艦の規格に於いて最大を誇るもの。「ドメイン級」と呼ばれるこの艦は、乗り物というよりは空を飛ぶ大陸
地面から大陸の全容を図ることができないように、間近からではその全体はおろか、一分さえ把握できない全長百万キロメートルという破格の巨大さを誇るのだ
「そうですか。実に数千年ぶりに人間界旗艦が戦場を翔けるのです。他の世界の方々に情けない姿を見せることのないよう、万全を期して光魔神様の許へ馳せ参じるといたしましょう」
そこに置かれている白き王の艦――「人間界旗艦・アルヴィレスタ」を見上げたヒナは、式典や儀典以外でその翼を広げる時を待つそれを見据えながら、遠い世界にいる光魔神へと思いを馳せるのだった
※
天に浮かぶ白雲の大地に抱かれる天上界王城からはるか遠く――そこには、広大な平原が広がっていた。高い山脈に覆われ、青く澄んだ水と豊かな緑に抱かれたその場所は、色とりどりの花々と多様な生物が暮らす命の楽園だった
そんな平原の周囲を覆う山脈住まう天上界の半霊命――「天獣」の一種である金色の体毛包まれた金色の竜を遠目に見ながら、十世界盟主愛梨は用意された椅子に腰かけていた
「どうぞ、姫」
「ありがとうございます。北斗さん」
そんな愛梨に差し出されたのは、白い湯気をほんのりと立ち昇らせる紅茶が注がれたティーカップ。それを受け取った愛梨は、その人物を見て穏やかに微笑みかける
新雪を思わせる純白の髪に金色の瞳。頭上に浮かぶ光の輪が、その人物がこの世界を総べる全霊命――「天上人」であることを雄弁に物語っている
袖のない着物のような霊衣を纏い、その白い肌には金色の装飾を纏う青年が、愛梨の笑みに応じて目礼する
その天上人の名は「北斗」。十世界に所属する天上人の中で№2の実力を持った人物だった
「おいしいです」
「それは何よりです」
差し出された紅茶を一口すすり、その味と豊かな風味を堪能した愛梨が穏やかに微笑むと、北斗は穏やかな笑みを浮かべてそれに応じる
「姫がこの世界を訪れるのも随分と久しぶりの事ですからね。皆、心より歓迎しております――本当は霞もいるとよかったのですが」
この場所にいる十世界に属する天上人達を代表して北斗が言葉をかけると、愛梨は目を細めて穏やかに微笑んでみせる
「ありがとうございます。霞さんもお元気そうでしたし、皆さんもお元気で私も嬉しく思います」
昼間天上界王城を訊ねた際、そこにいた天上人――十世界天上界総督にして、天上界王相談役を務めている「霞」の姿を思い返し、愛梨は穏やかに言葉を紡ぐ
「北斗。明日は君たち天上人達にも城に赴いてもらうから、その心づもりでいてくれ」
「はい」
そんな団欒の対話に横から声をかけた覇国神の神片の一人――「賢聖」の言葉に、北斗は表情を変えることなく恭しく応じる
「――……」
(覇国神と反逆神が同じ意見。しかも、普段は連れてこない巫女までも従えているとは――。この戦いは、もはや十世界と九世界の戦いではないということか)
心の中で独白した北斗が視線を向けた先にいるのは、覇国神の力に列なる七人の神片全員と、戦兵、斥候の軍勢と白髪赤目の眷族である祭祀を筆頭とした戦神の巫女達
そして、別の場所には反逆神をのぞく悪意の神片までが顔を揃え、共闘の相を呈している
同じ十世界に所属しているとはいえ、その在り方故なのか、覇国神と反逆神は眷属達も含めて決して良好とは言い難い関係だった
愛梨が居なければ瓦解していたであろうその関係も、良好とは言えないまでも共通の目的の下を遂行しようとする意思が感じられた
(さながら、最終決戦だな……いや、少なくとも、覇国神と反逆神はそうなってもいいように戦力を整えてきているわけだ)
顔こそ笑っているが、内心はそれとは違う――かといって、不満のような負の感情も持っていない面笑を浮かべている北斗を戦神の眷族の証である瞳のない白目に映した賢聖の背後に鎮座していた大角を持つ大男が口を開く
「姫」
「はい」
重厚な低音で愛梨に呼びかけたその大男――円卓の神座№9「覇国神・ウォー」は、漆黒の鬣を思わせる髪と髭をその覇気で揺らめかせながら、鋭い牙の覗く口で言葉を発する
「明日。彼らは間違いなくあなたの提案を受け入れるだろう。ここで先の提案を蹴るほど、九世界の王達は愚かではない」
「はい」
九世界の王達への信頼を以って語る覇国神の言葉に、愛梨も同意を示す
そしてこの提案を九世界側が受け入れるであろう根拠は、今日まで愛梨が十世界盟主として各世界の王達に訴え続けてきた理念を、その言動によって示し続けてきたが故の信頼があることが最も大きな要因だ
姫の在り方を知っているからこそ、九世界の王達は先の愛梨の言葉に嘘がないことを信じることができる。そこには、例え相容れなくとも強い理念を示す愛梨への敬意が込められている
「ただ確認しておくが、もしあの悪魔が世界を歪める元凶であり、そしてその命を奪う以外に世界を救う手立てがなかった時、その命を奪う覚悟はあるな?」
「それは――……」
明日の答えを予想し、ここまでは自分達の思惑通りに運んでいることを実感している覇国神が念のために釘を刺すと、それを聞いた愛梨の表情が憂いに曇る
確かに、世界の全てを見通し、|識る力を持つ神眼ならば、世界の歪みの元凶、そしてその対策さえも知ることができるだろう
だが、もしその答えが「世界の歪みの元凶たる神魔を殺すこと」だった場合、それを遂行する意思があるのか確認しておく必要があった
「姫。お前の理念も意思も十分に理解している。だが、念のためにあらかじめ告げておくが、ことこの一件に関してだけは、我らは一歩も譲るつもりはない。それは、彼奴等もだ」
その問いかけに言葉を濁した愛梨の対応に、未だ迷いがあることを見て取った覇国神は、重厚な声音で自らの意志を告げると共に、その瞳のない目を少し離れた場所に集まっている者達へ向けて言う
そこにいるのは、円卓の神座№2「反逆神・アークエネミー」に列なる神敵の神片達。肝心の反逆神はいないが、その場には先導者をはじめ、十世界に所属する九人の悪意が顔を揃えている
神敵にして敵対者たる反逆神は、敵となる者がいなければ、その存在意義を失う。だからこそ、神、世界――自らの敵となるものを滅びから救うために守らんとする
敵であるが故に敵を守る神敵の眷族。そして敵は自らの意志が生み出す者だと考える愛梨が皮肉にも同じ組織としてあり、そして今敵対する者が世界を守り、平和を望む者が惑うという皮肉な状況を作り出していた
「ですが……それでも私は、諦めたくはありません」
世界と個人の命を天秤にかけ、それでもその両方を一つ残さず拾い上げたいと願うその本心を絞り出す愛梨の言葉に、さしもの覇国神もわずかに眉を顰める
そこには、個人の命と世界全てを天秤にかけることさえをも拒む愛梨への微かな苛立ちと、しかしこの人ならばそういうだろうと予期していた通りの答えに対する諦めにも似た感情が浮かんでいた
「たとえ神の力がその答えを示すことができなくとも、私達にはその答えを探すことができるはずです。それが条理ならばと諦められるのなら、私は今ここでこうしていません」
自身がいかに理不尽なことを述べているのかを分かっていながら、それでも愛梨はまっすぐに覇国神を見つめ返して言う
十人に聞けば、十人がそれが世界を救う術ならば、神魔の――世界の歪みの元凶の命を是とするだろう。もし立場が違えば、神魔自身もそう結論を下したはずだ
だが、それでも愛梨だけはその答えを選ばない。仮に、神によって作られたこの世界にそれを救う術薙がないのなら、自らの手で切り拓き、望む答えへと至らんとする確固たる意思がその澄んだ瞳には宿っていた
「そこに絶望しかないのなら、希望を探すことができる。答えがないのなら、自分が望む答えを導き出す方法を考えることができる――私達はそうやって生きることができるはずです」
異端とはいえ、神に等しい存在を前に一切怯むことなく啖呵を切る愛梨は、揺らぐことのない信念を注がれた熱で己の意志を鍛えながら、覇国神に向かう
愛梨のいうことにも一理はある。だが、同時にどれだけ望んでも変えられないことがあるのもまた厳然たる事実
その境を誤れば、取り返しのつかないことになってしまう
「確かに私達は神ではありません。ですが、神にできないことを、神の被造物ができないなど決まってないはずです
いえ、むしろ神でないが故に、神にできないことができるのです!」
そんな覇国神の心中を見透かしたかのように、愛梨は神たらぬ身であるが故に、自分達が神にできないことをできることを確信して言う
(やはりこの人は――変わらないのだな)
自身へ向けられる揺らぐことのない強い意志が込められた瞳を受けた覇国神は、瞳のない目を瞼の下に隠す
愛梨は大切なものを選ばない。なぜなら、愛梨にとってこの世のことごとくが全て、等しく大切だから。だから、個人も世界全てもその尊さが同じ――たとえ、自らの命を狙う者であったとしても、手を差し伸べて共に在る道を模索しようとする
普段は好ましく思えるそんな愛梨の頑なな答えは、彼女を良く知る覇国神にとっては想像していたものでもあった
「姫の意志は理解した。だがそれでも儂は先の言葉を取り下げるつもりはない。たとえ、あなたの意志にそぐわずとも、この世界を滅ぼさせるわけにはいかぬ」
愛梨がその信念を貫かんとするように、また覇国神も世界を守るために己が意思を曲げるつもりはなかった
「覇国神さん……」
愛梨は常に、できるだけ多くの人――叶うならば世界全ての者の願いを叶えたいと思っている。だから、意見が異なっていても、言葉を交わして互いに理解し合う道を探そうとしている
自分を理解してもらいたいと言葉を尽くし、相手を理解したいと願う愛梨の志は常に変わらない。そしてそれを理解しているが故に、覇国神は一度心を定めた盟主の心を動かすのが容易ではないことを理解していた
「いずれにせよ、答えは明日。全てを知る神の眼が見せてくれることだろう」
今、どれほど仮定と可能性の話を列ねても、互いに譲れない信念がある以上答えが変わることはない。
結局その後を決めるのは、明日神眼によって示された答え次第だ
もし、愛梨の言う手段を模索する余地があるのならば、その意思に従う。だが、それすらないのならば、例え道を違えてでも世界のために先程宣言した意思を貫き通す
愛梨の言葉にただ従うだけではなく、十世界、愛梨、世界、そして自分が成すべきことのために己がすべきことをする確固たる意思を宣言した覇国神は、更に言葉を重ねるべく口を開く
「それと――分かっているな? 明日に訪ねるという約束を交わした以上、我々は時が来るまで何があっても天上界王城を訪ねるべきではない」
「それは、たとえ天上界王城にいる皆さんが第三者に攻撃を受けたとしても、という意味ですか?」
覇国神の言葉が意味するところを正確に受け取った愛梨は、その眉根を顰めた険しい表情で訊ねる
愛梨は「明日のこの時間に訪ねる」と告げ、相手――天上界王をはじめとする、あの場にいた全員がそれを了解することで契約を成立させた
だからこそ、その口約は守らなければならない。それが、政治的な取り決めというものだ
「そうだ」
自身の問いかけに簡潔、かつ淡泊に答えた覇国神を見据えた愛梨は、その言葉の真意を怪訝な表情で訊ねる
「なぜ、そのような事を? 今回の取り引きにそこまで気を配る必要があるとも思えませんが」
口約が重要なものであることは、愛梨も弁えている。だが、こと今回に限れば、九世界と十世界の思惑は一致しており、相手になにかあった場合助力のために駆けつけてはならないと言われるほどに遵守するものではないはずだ
「――覇国神さん。何を知っているのですか?」
そして何より、今そんなことを述べる覇国神の口ぶりが、自分が駆け付けたいと考えるような何かが起こることを知っているように愛梨には思えてならなかった
「……先程、タウラにつけている斥候から〝サンクセラム〟が文明神の勢力と合流して動き出したという情報が入った」
「文明神様の勢力が?」
覇国神から告げられたその言葉を聞いた愛梨は、その神名を聞いて眉根を顰める
それは、なぜ文明神が協力したのか分からないという意味であると同時に、その意志を組み取ろうと思案を巡らせる神の巫女としての顔だった
(文明神様はその名の通り、文明――技術や文化を司る自然神様の対極に位置する神。何か、あの方を動かすに足るものがあったということでしょうか?)
「文明神・サイビルゼイト」。それは、覇国神や反逆神と同じく、円卓の神座に属し№4として知られる異端神。
その名の通り文明――自然や理そのものではなく、その中にあるものを利用し、大自然の仕組みを拒絶することで自らの世界を構築する智慧と技術の神であり、同じ円卓の神座である「自然神・ユニバース」とは対極に位置する性質を有する神だ
愛梨もかつて十世界に協力してほしいと会いに行ったことがあるのだが、その時は「興味がない」、「研究が忙しい」という理由で拒絶され、以降も門前払いを受け続けていた
ある意味で活動的ではあるが、極めて出不精な一面をも併せ持つその神が過剰な光の信奉者であるサンクセラムに力を貸して動いたということは、かの神を動かすに足る理由が存在するということだ
「ああ。あいつは自然神や司法神、調停神とは別の意味でこの世界に不干渉で、自分の都合だけで干渉してくる――あいつの特性の厄介さはお前もよく知っているはずだ」
文明神はその名の通り都市や技術、文化を司る文明の神だが、全霊命や半霊命に干渉したりはしない。ただ己が願望を満たすために邁進するある種の豊栄の神であり、一種の悪神でもある
常に自分の世界に引きこもり、気が向いた時にしか行動を起こさないが、文明神の厄介さは円卓の神座である覇国神は身に染みて知っている
「彼らが天上界を狙うとお考えなのですか?」
神の巫女の一人として、神へ敬意を持つ奏姫は、悪しざまに文明神について言及する覇国神に反論せず、その本題へと切り込む
文明神の勢力とサンクセラムが接触したという情報を得ただけの現状で、覇国神が自分に何があっても天上界王城へ行くなと告げたということは、戦の神は彼らがそこへ来ると考えているように聞こえる
「光の狂信者共にとって、この世界の王は許しがたい存在だろうからな」
「……悲しいことです」
その問いかけに無言を以って肯定した覇国神の低い声音に、愛梨はその美貌を憂いに曇らせて呟く
サンクセラムは、闇の存在をこの世界から駆逐する思想を持つ光の存在が集まった集団。各光の世界が許していない、実力による闇の存在の排除すらいとわない彼らは、光、闇というくくりはもちろんのこと、世界の理も重んじている
そんな光の信奉者たちにとって、忌むべき闇の全霊命との間に生まれた最も忌まわしきもの――天上界王愛梨は、王の座に座っていることは愚か、存在していることさえ許せない怨敵だろう
「それならば、むしろ私達が積極的に協力すべきです。現状を説明し、共に力を合わせれば、彼らや文明神様とも手を取り合えるはずです
覇国神さんや反逆神さん、そして皆さんの力があれば、誰も殺めずに戦いを終えられるはずです」
サンクセラムと文明神が協力して天上界に責めてくるというのならば、争いを収め、互いに分かり合えるように尽力する好機となると考える愛梨は、凛とした表情で覇国神に訴えかける
戦いでの犠牲を望まない愛梨からすれば、例え争いが勃発しても誰もが傷つかないようにするのが優先。現状世界最強の存在である反逆神とその眷属、円卓の一柱である覇国神を擁する十世界なら天上界を守りつつ、犠牲をなくして争いを終えられるはずだ
「ならん」
「なぜですか?」
しかし、その提案を切り捨てるように却下された愛梨は、前のめりになるように覇国神にその理由を問い質す
「我々もまた奴らの敵。姫もあいつらにとっては、滅ぼすべき存在でしかないのだぞ? 奴らがあなたの言葉に耳を傾けることはない」
十世界の盟主であり、自分達が仕える主でもある愛梨の提案をにべもなく拒絶してでも、それを許容できない覇国神は、低く抑制した声音で言葉を紡ぐ
光と闇の存在が手を取り合い、永遠の融和を謳う愛梨――十世界もまた、闇という存在を世界から排除しようとしているサンクセラムにとっては滅ぼすべき対象でしかない。
〝彼ら〟にとって、愛梨は対話すべき相手ではなく、自分達の信念と正義を妨げる敵でしかないというのに、その言葉に耳を傾けることなど考えられない
「それに、今文明神がどの程度の戦力かが分からない以上、今不確定要素の強い相手と戦って世界の歪みの元凶を排するために、力を殺がれるわけにはいかん」
「……覇国神さんは、神魔さんがそこまでだと考えておられるのですか?」
神位第五位以上の力を持つ最強の異端神が二柱も揃っていて尚、同格の文明神に余力を裂くことを警戒するほどに、覇国神が神魔――その存在に宿っているかもしれない世界の歪みの元凶の力に警戒を抱いていることを匂わせるその言葉に、愛梨は疑念を抱いて訊ねる
「考えようによっては、全霊命と世界全てに干渉し、その理を捻じ曲げるものを相手にするのだ。警戒は過ぎて越したことはない――それに、現状では〝神〟がどう出てくるかもわからないからな」
その問いかけに淡泊に答えた覇国神は、その瞳のない目を遠く――天上界王城がある方へと向けて、わずかに睨むように細める
しかし、覇国神が見ているのはそこにいる世界の歪みの元凶たる神魔ではなく、その影に見え隠れし、これまで何度も接触を図ってきていた自身の天敵――護法神とそれに列なる眷属、そしてその後ろに控えている存在のほうであることを、愛梨は感じ取っていた
「覇国神さんの危惧は分かりました。――ですが、神魔さんの真偽を確かめる前に彼らが滅ぼされては意味がないのではありませんか?」
その険しい横顔から覇国神が警戒に過ぎるほどに警戒をし、あらゆる事態に考えを巡らせているのは愛梨にも感じられる
だが、天上界王城を攻められ、神魔を殺されてしまっては、本末転倒というもの。愛梨の言葉に覇国神が渋い顔を浮かべたところで、これまでそのやり取りを遠巻きに見守っていた北斗が「僭越ですが――」と切り出して言葉を続ける
「ならば、私共が出向きましょう。なんといっても、ここは我々の世界ですし、あそこには霞もおりますので」
自分を筆頭とする天上人の軍勢を示した北斗の言葉に、金色の髪をなびかせた最初の天使であるアリシアが続く
「及ばずながら私も参加させていただきます。あそこには、大切な娘を残していますので」
天上界王城に残してきた愛娘であるマリアと、彼女に預けてきた要求があるアリシアが続くと、愛梨の視線を向けられた覇国神は、大きくため息をつく
「――タウラ達も動かす。あそこには、堕天使王がいる。あいつも会いたいだろうからな」
「堕天使を天使に戻す方法を探すのがタウラさんの願いでしたね」
不承不承と言った様子で愛梨達の提案を妥協して受け入れた覇国神は、念のために更なる戦力――「タウラ」を筆頭とする、十世界に属する堕天使達を動かすことを決める
十世界に属する堕天使達は、堕天使界に干渉するのではなく、文明神、サンクセラムのように各世界の狭間にある様々な危険因子の監視や世界の大きな動向の監視を任せている
光の存在でありながら、闇の力に染められた力と黒い翼を持つが故に、光からも闇からも疎まれる堕天使達は、その安息を求めて十世界に身を置き、叶うならば黒い翼から解放されたいと願う者も多い
そして、今天上界には、天使を堕天使に変える力を持つ唯一の存在――「堕天使王・ロギア」が滞在している。黒い翼からの解放を求めている者達からすれば、彼の王に目通りするのは願ってもないことだろう
「堕天使王達に攻撃を仕掛けるということはないだろうが――」
「タウラさん達なら大丈夫ですよ」
唯一の懸念を口にする覇国神に、タウラ達を信頼する愛梨が言葉をかぶせて、その不安を払拭する
「ですから――」
「待て!」
そのまま話を続けようとした愛梨だったが、突如響いた男の声に言葉を止めて、先の声が聞えた方へと視線を向ける
天上人をかき分け、堂々たる歩みで愛梨の方へ向かって来るのは、逆立った真紅の髪を持つ悪魔「紅蓮」。そして先程の声は、そんな紅蓮を制止しようとする天使シャリオのものだった
「すみません、姫」
しかしそんな制止も虚しく、半ば強引に愛梨の前に歩み出た紅蓮に、シャリオはこの悪魔を預かる立場として深い謝罪を述べる
「構いません。どうしましたか?」
そんなシャリオの言葉に穏やかに微笑んで応じた愛梨は、その視線を紅蓮へと向けて要件を訊ねる
その言葉で、申し訳なさそうにシャリオが一歩下がると、紅蓮は愛梨をまっすぐに見据え、その場で膝を折って跪くと、恭しく頭を下げる
「姫」
「紅蓮さん?」
この悪魔らしくないその神妙な行動に愛梨が一瞬眉根を顰めると、紅蓮は頭を上げて真剣な眼差しを向ける
「お世話になりました。これを以って、十世界を抜けさせてもらいたく思います」
何度聞いたことがあるかわからないほど丁重な敬語を使って言う紅蓮の瞳には揺るぎない覚悟が宿っており、その言葉に込められた覚悟のほどを窺うことができる
自身にできる限りの礼を尽くして十世界を抜ける意思を示した紅蓮に、愛梨は寂しげな表情を浮かべると、その気持ちを微笑の下に隠して優しく囁く
「寂しいですが、紅蓮さんが決めたことなら仕方がありません。よかったら理由を聞かせてもらえますか?」
十世界は入ることも出ることも自由。離れる者を無理に引き止めることをしない愛梨は、紅蓮の決断を受け入れながらも、別れを惜しんで訊ねる
「明日が来る前に、俺は光魔神――大貴と決着を着けに行きます」
「……ッ!?」
その問いかけに返された紅蓮の言葉に、さしもの愛梨も目を見開く
「この戦いに俺は命をかけます。そのためには、十世界にいるわけにはいかない」
紅蓮は、この戦いに自らの命をかける覚悟をしている。負けた時は己の死ぬときだと定め、自身の全てを賭ける戦いへと赴かんとしている
だがそれは、十世界の在り方、そして今進むべき道に背くこと。そのようなことをすれば、十世界――引いては愛梨に泥を塗ることになる。
だからこそ紅蓮は組織を離れ、最後の戦いに臨む決意をしたのだ。たとえ勝利しても十世界には戻らないという確固たる意思を以って
「なぜですか? 今はそんなことをしている場合では……」
紅蓮が戦うことを好む性分であるというのは愛梨も承知している。だが、世界の存亡がかかった今、あえてそのような戦いに赴くことに疑問を禁じ得なかった
「俺が十世界にいたのは、世界の色んな連中と戦えるからです。けど俺は、あいつに出会ってしまった。あいつは、俺が命をかけて戦いたいと思う男です」
愛梨の言葉は反論の余地など介在しえないほどに正しい。だが、だからこそ、愛梨は自分の心を理解しえないのだと紅蓮は理解して答えを述べる
「俺はあなたを敬愛している。尊敬もしているし、主として戴くになんの不満もない。――それでも俺は、あいつと戦いたい。あいつが手の届かない高みに至る前に、俺はあいつと戦いたいのです」
愛梨への忠誠に偽りはない。だが、今の紅蓮にあるのは、大貴との戦いへの渇望だけ。それ以外は些末なことでしかない
世界を巡るごとに力を増している大貴が、いつ完全な光魔神として覚醒してしまうかわからない。そうなっては、もう紅蓮は大貴と戦えない――戦いにならないほどに力の差が生じてしまう
だからこそ、紅蓮は最後の戦い望む決意をした。世界の存亡も、十世界も関係なく、ただ己の願望をいたすという浅ましい願いのために、全てを捨てる覚悟をしたのだ
「ですが――」
「やめろ」
そんな紅蓮の気持ちを理解できなくとも理解したいと願う愛梨が言葉を続けようとするのを、覇国神がその華奢な肩に手を置いて引き止める
「これ以上奴を引き止めるのは、あいつの決意への侮辱だ」
「……っ」
反射的に顔を向けた愛梨は、覇国神の瞳のない目に諭され、唇を引き結ぶ
愛梨からすれば何もかもが納得いかない。紅蓮も大貴も愛梨からすれば失いたくないかけがえのない者達だ
十世界を去ることはまだしも、命をかけてまで戦うのはやめて欲しかった
「失礼します」
軽く顎をしゃくった覇国神に、「行け」と示された紅蓮は、最後に深々と頭を下げると背後を振り返ることなくその場を離れていく
「姫。お前が自らの理念に全力を尽くすように、世の中にはたとえ何を犠牲にしてでも己の定めた生き方を曲げられない者もいるのだ。――あいつのようにな」
その後ろ姿を見送る愛梨に、覇国神は重厚で厳かな声音で諭すように語りかける
「勝って生きようが負けて死のうが、奴にとっては同じこと。それを説き伏せ、力で止めることはできるだろうが、それをしてしまえばあいつはもう死んだも同然になってしまう
命があれば生きていることになる。だが、命があるだけでは、生きていることにはならないのだ」
遠ざかっていく紅蓮の背中を見送りながら言う覇国神の言葉に、愛梨は一度喉元まで出かかっていた言葉を呑み込んで、別の言葉を絞り出す
「……難しい、ものですね」
たとえ理解できずとも、その意思を否定する言葉をこの別れの時に述べるべきではない。その意思を理解しながら、受け入れられずにいる愛梨は、遠ざかっていく紅蓮の背を見送りながら、世の無常に憂いを浮かべるのだった
「オイ、紅蓮! 考え直せ! せめて、明日ことが終わってからでも十分に間に合うだろ!?」
愛梨に決別の意志を伝えた紅蓮の下に歩み寄ったシャリオは、動揺した様子で声をかけて思いとどまらせようとする
たとえ光魔神との決戦は避けられずとも、それをほんの少し――たった一日か二日遅らせることができないはずはない
「断る。悪ぃが、俺にはもう時間がないんだ」
必至に自分を引き止めようとするシャリオの言葉を意にも介さずに払いのけた紅蓮は、自身の胸の中心を手で掴む
「――!?」
まるで心臓を掴むように霊衣の胸部を握った紅蓮に、シャリオは違和感を覚えて眉を寄せる
常に万全の状態を保つことができる全霊命が外傷や武器の破壊もなく痛みを覚えるはずはない。それが分かっているシャリオがその意味を掴みあぐねる傍らで紅蓮は思いを巡らせていた
(どのみち、明日には――)
紅蓮の記憶に読みがってくるのは、あの日――十世界魔界総督である「ゼノン」、そしてその背後にいる者達のことを知った時
それが分かっているから、もうこの世界が終わることを知っているからこそ、紅蓮は全てをかなぐり捨て、最後の相手として大貴を求めたのだ
「てめぇもついてこい。決着を付けなきゃならねぇ奴がいるんだろ!?」
自身の記憶と未来への破滅に思いを馳せた紅蓮は、最後の情けともいえる情をシャリオへと向けて言い放つ
それほど興味はないが、シャリオと大貴達に同行しているクロスという天使に深い因縁があることは分かっている。その程度の忠告は許される範囲だろう
「紅蓮……?」
「世界の終わりの前に、最後のパーティとしゃれこもうぜ!」
※
「悪いな、呼び出して」
日が落ち、天頂の神臓から夜の世界を照らす青白い月光が降り注ぐ中、白雲の大地の上に立つ天上界王城の敷地の一角に佇んでいたクロスは、ゆっくりと背後を振り迎える
「別に」
その視線の先にいた人物――神魔は、クロスの声に興味なさげに応じる
「本当に一人で来たんだな」
「二人きりでって言って来たのはそっちでしょ?」
普段行動を共にしている桜、そして詩織と深雪が遠い場所にいるのを知覚して言ういクロスに、神魔は眉根を顰めて言う
あの時、思念通話でクロスが告げたのは、「後で一人で来てほしい」と神魔を呼びつけるものだった。そのため、桜と深雪、詩織を置いて一人でここへ来たというのに、そのような言われ方をするのは不本意というものだった
「ああ、そうだったな」
信用していなかったのかと問い質されそうなその視線に苦笑を浮かべたクロスは、言葉を呑み込んで一瞬の沈黙を作り出す
「なあ、神魔」
金色の髪と純白の翼を夜風になびかせながら声を発したクロスは、一瞬にしてその手に自身の武器である大剣を顕現させると、その切っ先を神魔へと突きつける
「……なんのつもり?」
自身の眼前に突きつけられた大剣の刃へ一度視線を落とした神魔が抑揚のない声で訊ねると、クロスはその問いかけに静かな声で答える
「お前を殺せば、マリアは神器として死ななくても良くなるか?」