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魔界闘神伝  作者: 和和和和
天上界編
264/305






 黒い翼を持つ堕天使達によって埋め尽くされた天上界の空。その中で黒光の使徒達よりも暗い絶黒色の闇を振るった神魔は、周囲の静寂に一瞥を向ける

「なんか。話が変な方に流れてきたかな?」

 自身の武器である大槍刀に己の絶黒色の魔力を纏わせる神魔は、先程自身の一撃によって吹き飛ばしたその人物を金色の瞳に映す

「――ねぇ、母さん」

 そこにいたのは、何度も神魔の攻撃を受けたことで小さな傷が刻まれた結晶刃の杖を携える黒髪の女悪魔。

 自らの戦う意志である武器を破壊され、それに比例する痛みを魂に直接刻み付けられた黒髪の女悪魔――神魔の実母たる「深雪」は、圧倒的な神格と力を以て自身を圧倒する息子へ言葉を返す余裕もなく、ただ強い意志の宿った視線を向けるばかりだった

「…………」

(大貴君)

 母と戦いながらも、そこで行われていたことをしっかりと把握している神魔は、光魔神を与えた堕天使「ロザリア」と相対している大貴を視界の端に映し、再び自らが戦うべき母へと視線を向けるのだった





「……俺に、何を言えって言うんだよ」


 堕天使となったロザリアの口から告げられた自分の始まり。――ただのゆりかごの人間の一人にすぎなかった「界道大貴」が円卓の神座№1「光魔神・エンドレス」の宿主となるまでの経緯を聞き、その口から思わず声が零れる

 大貴にとって衝撃であり、困惑の原因となっているのは自分に光魔神の力が宿った経緯ではない。そのことを語るロザリアの姿とそこに込められた想い――まるで、子供を捨てた母が再会したその子に懺悔するかのような心情を帯びた声音や言葉の方だった


 大貴にとって光魔神(今の自分)は、もはや自分自身として受け入れているものであり、そうなっていなかったらなど論じるだけ無意味なことで、その責任の所在を問うつもりなど毛頭ないことだった

 例えば容姿が整っていない子供が「もし整っていたら」、貧しい子供が「もし豊かだったら」、もっといえば「違う家に生まれていたのなら」――誰もが一度はそんなことを思うかもしれない

 だが、例えばそれを本気で嘆いても何かが変わるわけではないし、謝罪されても困ってしまうだろう。だからこそロザリアの姿に大貴が覚える感情はただひたすらに困惑。応じるべき態度が分からずに戸惑ってしまうだけだった


「何も」


 しかし、そんな大貴の困惑に対し、ロザリアは小さく首を横に振って微笑むことで答える

「ただ、知ってほしかっただけです。私の気持ちを、私の想いを――私の罪を」

 ロザリアが大貴に求めたのは、ただ一つ。自分の話を聞いてもらうことだけだった。自分が歪めてしまった幼い子供の運命をその目で確かめ、その子に偽りのない真実を伝える

 そう言えば聞こえはいいかもしれないが、ただの自己満足でしかないことも間違いはない。自分が変えてしまった大貴の人生を、歪めた本人である自分が評するなど愚の骨頂。――だからこそロザリアは大貴自身にその心で答えてくれることを望んだのだ

「それを聞いてあなたが私をどう思おうともそれは自由です。私を憎むのも良し、もしあなたが私を殺したいと思うのなら、それも受け入れます」

 優しく微笑みながら言うロザリアの表情には、ようやく自分の気持ちを伝えられた安堵と、憂いや喜びといった感情が入り混じっていた

 あの日自分が見た幼い子供の姿、そしてそれが成長して青年となった姿。――そこに感じられる時の流れに深い感慨を覚えているロザリアは、大貴の言葉を待つようにただ視線を送り続ける

「俺は――」

 真っ直ぐ、交差した視線を介して心の奥に訴えかけてくるようなロザリアの視線に、大貴は自分の中に湧きあがっている今まで感じたことのない形のない感情に、言葉を選びながら形を与えていく

「あんたを憎むほど今に不満はない。あんたをどうにかしようと思うほど、あんたに特別な感情は持ってない」

 感情を言葉で表すということは、自分の気持ちに形を与えること。感情というただ漠然とした概念でしかなかったものに整然とした意味を与え、自分の中で消化し、相手に伝えるための意味を見出し、心の核心を掴むことでもある

 そうして言葉を紡ぎ出し、自分への気持ちに対する整理をつけている大貴をロザリアは、慈しむような眼差しで見守っていた

「俺は、〝俺がなんで俺なのか〟を考えるより、〝今の俺は何をしたいのかを〟考える!」

 自分に宿った力がなぜなのか、何のための力なのかではなく、自分自身の想いが何を成したいのかを大切にしたい大貴の気持ちに、ロザリアは微笑んで小さく頷く

 自分を許すでも恨むでもなく、ただ自分が何をしたいのかを願う大貴の心の在り方にロザリアは耳を傾ける

「それで、今の俺がしたいことは――とりあえず、今すぐあいつを止めることだ!」

 その言葉と共に黒白の翼を広げ、太極(オール)の力を解放した大貴は、ロザリア達のはるか上空で戦っている神魔と深雪をその左右非対称色の瞳に映す

 そのまま地を蹴り、天空へと向かって飛翔する大貴を見据えたロギアが手にした黒刃の槍刀を握る手に力を込めたのを確認したロザリアは、その場で身を翻してその間に割って入るようにする

「ロザリア」

「……彼の好きにさせてあげては頂けませんか?」

 その意思を果たさんと羽ばたいた大貴と自分の間に割って入ったロザリアの覚悟に満ちた真摯な表情を見たロギアは、命を賭してでもその願いを叶えんとするその意志を王威をもって受け入れる

 今ここでこのような行動を取れば、自分――ひいては堕天使達への反逆と取られても仕方がない。だがロザリアはそれを覚悟の上で尚、大貴の味方をする道を選んだのだ

「随分肩入れするんだな」

「愚かな女だとお笑いください」

 まるで母のように大貴を思い、庇う姿に淡泊な声で語りかけるロギアに、ロザリアはそんなことなど百も承知で応じる

 今のロザリアを突き動かすのは、自分が運命を変えてしまった大貴への贖罪や償いなどではなく、彼女自身の胸に宿った意志そのものだった


「――フィアラ、デュオス」

「はッ」

 ロギアの一瞥を受け、弾かれたように飛び出した堕天使――逆立つ金色の髪を持ち、骨質の装甲を纏った黒い双翼を持った堕天使「デュオス」と、深いスリットの入ったマーメイドラインの司祭服とドレスを合わせた様な霊衣を纏い、大きな帽子をかぶった女性の堕天使「フィアラ」が各々の武器を手に大貴の前に立ちはだかる

 身の丈にも及ぶ大槍刀を振るうデュオス、捻じれた穂先が絡みついたような二股の槍を携えたフィアラの肉薄に反応した大貴は、黒白の太極を纏わせた太刀でその二つの斬撃を受け止める


(きっとあなたを動かすその気持ちは、光魔神(今のあなた)でなければ得られなかったもの。けれどそれはきっと、あなたではないあなたであったとしてもその胸に宿っていたものだったでしょう)


 堕天使王(ロギア)の側近である二人の堕天使の刃を受け止め、その神能(光魔力)と共鳴してその力を自分のものへと変えていく大貴を背中で感じながら、ロザリアは穏やかな心持ちで語りかける


 おそらく光魔神の力を得て、九世界に属する者達と出会ったからこそ今の大貴がある。もしも光魔神の力を得ずに一人のゆりかごの人間として生きていれば、今のような性格や思いを大貴が持つことはなかっただろう

 だが、それでもその時は大貴は大貴なりに経験を積み、自分なりの信念と心情を以って生きただろう。それはどちらが正しいわけでもなく、その全ての根幹に大貴自身の意志と経験と、そして意図しているかいないかは別として、その心が望む己の在り様が定めていたはずだ


(たとえ光魔神でなくとも、あなたはきっとあなただった――)


 堕天した天使達の放つ黒い光を光と闇が混じり合うことなく一体となった太極の力によって取り込み、その力を振るう大貴へと思いを馳せながら、ロザリアは可憐な花を思わせる微笑を零す


(当たり前のことですよね)


 自分が与えた光魔神の力の有無に関わらず、大貴は――あの幼い子供は――変わらなかったのだと強く確認したロザリアはゆっくりと顔を上げる

 そこにいるのは、大貴を守るために自分が壁となって遮った堕天使の王「ロギア」。その気になれば自分など一舜で滅ぼしてしまえるだけの力を持つ最強の原在(アンセスター)の神格を持つ堕天使は、しかしロザリアを見据えながら、心ここにあらずといった様子で淡泊に呟く


「――やはり駄目か」





 黒よりも黒い暗黒色の漆黒。全てを呑み込み滅ぼす絶黒の闇の力を前にした瑞希は、自分の魔力がその極黒に呑み込まれるのを見据えながら、乱れた呼吸でその中心を見据える

 一明の光すらない闇をも見通せる全霊命(ファースト)の目と知覚をもってすら見通せない暗黒の力の中にいる自分の息子を幻視した深雪は、武器を握る手に力を込める

(なんて力……! これが、神魔君の――)

 何度かにも及ぶ力の衝突でその武器である結晶刃の杖には小さな傷と皹が無数に入っており、そこから伝わってくる痛みを感じながら、今の神魔に宿った力を己の身で確かめていた

 そんな心の声に答えるように、全霊命(ファースト)最上級の神格、そしてその神格にはありえないほどの力を持つ暗黒の中から神魔がその姿を現し、その武器である大槍刀の切っ先を下げる


「僕には父さんの意思に答えることしかできなかった」


 白目の部分を一点の曇りもない漆黒に染め、そこに抱かれる金色の瞳から視線を送ってくる神魔が淡泊な声で語りかけてくると、その声を聞いた深雪は思わず息を呑む

「――っ!?」

(まさか、気付いて(・・・・)――!?)

 その言葉に含まれる意図を正しく読み取った深雪に、神魔は武器を下ろした姿勢で答える

「最初は憎んでいたこともあったよ。でも、長く生きて色んな人と出会って、色んなことを見るうちに――」


 そう言って語る神魔の脳裏では、様々な記憶が甦っては流れていく。

 死紅魔(シグマ)と深雪と自分、三人で暮らしていた遠い昔の記憶。そして死紅魔()が母を傷つけ、自分を殺そうとした時の信じ難い現実

 家族が壊れ、ロードと撫子に拾われ、その温もりの下で暮らした一時、二人から離れ、一人で生きるようになってからのこと――


 当初、神魔は自分から全てを奪い、家族を壊した父を殺すことを心の内に秘めていた。力を増し、いつか出会った時にはこの手で父を倒そうと心に決めていた


 しかし、そんな父への敵意はあるきっかけで変わることになる


「大切だからこそ、傷つけることもあるって知った」


 そう言って深雪に語りかける神魔の脳裏には、大切だと思いながら守ることができずに失ってしまった大切な人――「風花」の姿が浮かんでいた


 一時期行動を共にしていた風花は、闇を疎む天使の軍勢に襲われた際、神魔を守るために戦い命を落としてしまった

 その時、自身も命を賭して戦おうとした神魔に対し、風花はその命を守るため、戦わせないためにその手で深い傷を負わせ、戦うことができないようにしたのだ


 神魔はその思いを正しく受け取った。決して望んだものではなかったが、風花が何を守るために心を痛めてそのような行動を取ったのか、正しく理解した

 そして、理解したからこそ気付いた。知ってしまったのだ。――「大切なものを守りたいと思うからこそ、その手で傷つけることもある」のだということを。


 それを知っていたからこそ、神魔はあの戦いで憎しみの中から一つの事実を知るに至っていた


「父さんは、母さんも僕も守りたかったんだね。――多分〝僕から(・・・)〟」


「――っ」

 神魔の口から告げられた言葉によって、その心に託された死紅魔(愛する人)の思いを指摘された深雪は、驚愕も露に息を呑む

「……気付いて、いたのですね」

「全部じゃないけどね。あの時にはそんな余裕もなかったし、あれから色々考えてそういうことなのかなって思っただけだよ。

 あの時にそんな余裕はなかった……精々、もしかしたら父さんが僕を殺したいのは、」

 喉に詰まらせながら発せられる深雪の言葉に自分の考えが間違っていなかったことを確認した神魔は、小さく自嘲めいた笑みを零して首を横に振る

「僕が全てを滅ぼすものだからといっていた言葉に嘘はなかったと思う。でも同時に父さんはあの戦いに命をかけてた。自分の命をかけて、何かを成そうとしていた」

 聖人界での父死紅魔(シグマ)との戦い。自分が「全てを滅ぼすものであるから滅ぼすべき」と考える死紅魔(シグマ)と戦いながら、神魔はそこにそれだけではない何かの思いがあることを感じていた

 純然たる殺意に彩られていながら、その殺意は決して憎しみや義務、大義によるものではなく、愛情から生じるもの。――神魔を殺すことで、父として何かを成せると確信しているからこそのものだった


「僕は死にたくなかったし、殺されるつもりもなかった。だから、その気持ちを確かめることもできなかった」

 だが、あの時の死紅魔(シグマ)との実力差を考えれば、一瞬でも気を抜き、力を緩めてしまえば自分は死んでいただろう

 例え自分がどんな存在であろうと死にたくなどなかったし、何より神魔には父を殺してでも生きていたい理由があった

「あの時、僕は僕の大切なもののために父さんを切り捨てたんだ」

 自分の命、そして今眼下で自分達の戦いを見守ってくれている桜色の髪の伴侶へと思いを馳せた神魔は、相対する深雪に視線を向けて自罰的な笑みを浮かべて言う


 あの時、神魔は、自分の大切なものを選ぶだけで精一杯だった。何故自分を殺そうとするのかという真意を問い質すこともせず、ただ望まれるままに命をかけた死地でその命を研ぎ澄ませただけだった

 もちろん、その時に今ほど状況が分かっていたわけではなかった。父の気持ちに確信があったわけでもない。――ただそれでも一つ言えることは、自分が大切なものを天秤にかけ、死紅魔(シグマ)を切り捨てる選択を下したということだけだ


「いえ、あなたは死紅魔(シグマ)の――お父さんの気持ちに応えてくれたんですよ」


 しかし、そんな神魔の自らを責めるような言葉に、深雪は小さく首を横に振ってみせると物憂げな笑みを向けて応じる

 しかし本当は神魔は父を切り捨てたのではなく、死紅魔(シグマ)が望んだことを叶えてくれたのだと、深雪は分かっていた


 家族を傷つけ、世界を守る大義をかざしてまで神魔に刃を向けた死紅魔(シグマ)は、その戦いに己の誇りと願いの全てを賭けていた

 確かに神魔が言うようにその想いを見抜き、問いかけていれば命を落とすことはなかったかもしれないし、今とは何かが違っていたかもしれない。――だが、命をかけてまで貫かんとした信念と、死紅魔(シグマ)が今日まで積み重ねてきた思いや罪といったものが水泡に帰してしまっていただろう


「それでも同じことだよ」

 死紅魔(シグマ)にとってどうなることが最善だったかは分からない。あの時の神魔にできたことは、自分が生きるためにできることだけだった

 結果、実の父である死紅魔(シグマ)を手にかけ、そして母に最も愛する者を失う痛みを与えてしまった。――だから現状は、きっと誰にとっても最善ではない


「僕達はもっと分かり合うべきだったんだ。自分の願いとみんなの願いが同じになるように――お互いの気持ちに折り合いがつけられるように」


「――……」

 もはや帰らぬ家族の時を思って胸を痛める神魔の言葉に、その柳眉を顰めた深雪は沈痛な面持ちで視線を伏せ、遠い日を思い返す

(だから言ったではないですか、あなた――)

 この世界と何より大切な息子を思い、強い決意を以って自らに刃を向けた死紅魔(シグマ)の在りし日の姿を脳裏に思い浮かべた深雪は、涙の代わりに微笑を零して目を伏せる


(あなたは、馬鹿親だって)


 神魔が生まれた時心から喜び、自分よりも魔王よりも強くなると言っていた死紅魔(シグマ)の無邪気な横顔は今でも深雪の心に焼き付き、心を温めてくれる

 そんな死紅魔(シグマ)に呆れた様な視線と言葉を向けた深雪だったが、本心ではそれがあまりにも温かな光景に思えていた


(私達が、あの時の何の根拠もないその言葉を信じ続けていられたならよかったのに――)

 神魔が生まれ、そして死紅魔(シグマ)が家族を別つ決断を下すまでのことを思い返し、それを止めきれなかった自身の無力を悔いる深雪は、閉じていた瞼をゆっくりと開いて成長した我が子へ慈しむような眼差しを送る

「でも神魔君。そこまで分かっていて、私と戦ったんですか?」

 そこまで分かっていながら、先程まで自分に向けていた力と刃を思い返した深雪は、ひび割れ、欠けた自分の武器へ視線を落として苦笑混じりに問いかける

「ただ口で言うだけで話を聞いてはくれないつもりだったでしょ? 母さんは父さんと同じで頑固だから」

 力の差を実感し、自分も死を覚悟していた深雪の言葉に、神魔は肩を竦めて言う


 最初から先程の話を切り出しても、深雪はそれを頑なに否定しただろう。少なくともそれだけの覚悟を以って深雪は神魔の前に立ちはだかり、その命を奪う意志を示した

 だからこそ、神魔は一度自分との力の差をはっきりと見せつけてから語りかけることで、戦意と共にその本心を引き出したのだった


「……そうですね」

 死紅魔()と似ていると言う神魔の言葉を聞いた深雪は、その意味を噛みしめて愛おしさや寂しさの入り混じった笑みを零す

(ごめんなさい、あなた。私にはあなたの思いを継ぐことはできないみたいです)

「それで――どうする?」

 そんな母の反応を見て、自分を見上げて目元を綻ばせている桜と視線を交錯させた神魔は、大槍刀の柄を握る手にわずかに力を込めて問いかける

 このまま戦っても勝ち目がないことを示し、そしてその行動に隠された真意までをも見抜いた神魔からの問いかけに観念したように肩の力を落とした深雪は、顔を上げて口を開く

「……いずれにせよ、あなたは死ななければなりません。そうしなければ、世界が壊れてしまう。あなたにとって大切なものも全て失われることになってしまうのだから」

 もはや神魔を殺せるとは思っていない深雪だったが、ただ一つその事実だけは変わらない

 神魔こそが「全てを滅ぼすもの」であることは揺るぎなく、世界の歪みの元凶であることも変わらない。そしてその歪みを放置すれば、この世界とそこに生きる全ての命が失われてしまうのだ

「他に方法はない?」

「ありません。あれば、こんな方法を私も死紅魔(あの人)も選ばなかったでしょう」

 本人の意思や選択いかんに関わらず、ただ〝そこにあること〟こそが世界の歪みとなる。――あらためて突きつけられた逃れようのない事実を告げる深雪に、そのことを確認した神魔は目を細めて沈痛な面持ちを浮かべる

「神魔くんの意志や力ではなく、『全てを滅ぼすもの』がこの世界に存在すること、そのものが世界の歪みの元凶となるのです

 これまでその〝種〟はそれが生まれて以来、適性を持つ者に宿ることで継承されてきました。ですがその種が芽吹くことがなかったために、その種は世界の因果をずっと流れ、漂ってきたのです――でも、今、神魔君はその種と完全に一体化している」

 そして深雪は、自分の存在と向き合っている息子(神魔)、そして自分達が戦いを止めたことで膠着状態になっている大貴、堕天使達、そして天上人を含めた全ての者達に対して語りかける



 全てを滅ぼすもの――「神魔」は光魔戦争の後の生まれであるはずなのに、それによって引き起こされる世界の歪みはそれよりももっと前から存在する

 異なる種族同士の愛、生まれるはずのない存在――創世された世界の摂理から逸脱するその原因となるそれは、特定の資質を持つ者に宿ってある時からこの世界に存在してきた


 それを宿した者が死ねば次の適正者へと移ることを繰り返し、そして長い年月を経て今それが宿ったのが「神魔」だった

 しかし、神魔はこれまでの「全てを滅ぼすもの」とは違う。神魔こそが今日までの歴史の中で唯一、完全に全てを滅ぼすものとその存在を一体化することに成功した宿主なのだ

 こうなったことで、仮に神魔が命を落としても「全てを滅ぼすもの」はもう次に継承されなくなった。つまり今こそが、これまでその所在を掴み切ることができなかった「全てを滅ぼすもの」をこの世界に現界させる最初にして最後の機会なのだ



「今なら――いいえ、今しかその歪みを正す機会はないのです」


「――ッ」

 深雪の口から語られたその事実に神魔が歯噛みするのを遠巻きに観察しながら、それぞれの表情で状況を整理する大貴達が見守る中、黒い槍を手にした黒曜がその身体から漆黒の闇光を解放する

「そういうことだ」

 最強の全霊命(ファースト)たるその神能()を解放し、深雪が戦意と勝機を失った今、代わりに戦う意志を露にした堕天使王ロギアの力が、天上界を震わせるかの如き神格を示す

「下がれ深雪。私が相手をしよう」

 たとえ深雪がその刃を引いても、神魔が存在する限り世界の歪みがなくならないのならば戦いそのものが終わるわけではない

 深雪に代わり、自らが戦う意志を示したロギアが漆黒の翼を広げると、王威に満ちたその桁外れの力に身構えた大貴をフィアラとデュオスの二人が牽制する


「ロギア様!」


 しかし、今まさにその翼を広げたロギアが神魔へ向かっていこうとしたその瞬間、それを空気を清めるような澄んだ声が鋭く引き止める

「……アフィリアの娘か」

 その声になにかに繋ぎとめられたかのように動きを止めたロギアは、反射的に防衛態勢を取っていた神魔から視線を外し、その声の主――リリーナを見据える

「お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

 ロギアの視線を受けたリリーナは、天使の王とも呼べる存在だった男の視線の持つ力に一瞬身を固くするが、意を決して引き結んだ可憐な唇を開く

「手短に話せ」

 自身に臆することなく強い眼差しを送ってくるリリーナに、ロギアは表情を崩すことなく淡泊な声音で先を促す


 ロギアが堕天使になったのはリリーナが生まれる前であり、ロギアとリリーナには面識と呼べるほどのものはない

 しかし、ロギアから見ればその姿には同じ十聖天である母「アフィリア」と、よく見知った父「ノヴァ」の面影を見て取ることもでき、世界的に歌姫として存在を知られたリリーナのこともよく知っていた


「彼女の話はどこまで信頼できるのですか? 先程の言葉が真実だとして、その情報源は一体どこになるのです?」

 神魔と相対している深雪へ一瞥を向けたリリーナが視線を戻し、真剣な眼差しで訴えるのを聞く全ての者達は少なからずその内容に共感を覚えていた

(確かに――彼女は知り過ぎている(・・・・・・・)

 神魔が全てを滅ぼすものであり、それが世界の歪みをもたらす根源であると仮定したとして、深雪は何故そこまで詳しく――それこそ、九世界の王達でさえ先日ロギアの使いとして王会議に現れたロザリアに教えられるまで知らなかったことを知っているのか

 もっといえば、その情報は一体どこから、何を根拠に信じられるのか。いくら深雪が神魔の親だからと言っても、あまりに知り過ぎているというのは間違いない

「――だ、そうだ」

 リリーナの疑問も尤もだと考えたのか、ロギアはその答えを知っているような思わせぶりな素振りで深雪へと視線を向け、答えるように促す

「それは、申し上げられません。――いいえ、正確には申し上げることが(・・・・・・・・)できないところ(・・・・)が情報源です」

 その問いかけを受けた深雪は目を伏せ、静かな声音で答えを紡ぐ

「――っ!」

 その答えは、一見答えとして機能しているとは言い難いもの。しかし、リリーナは元より、それを聞いたほとんどの者は、その答えに含まれる意味に気付いていた

(まさか、不可神条約……!?)


 神は行動、言葉、力、あらゆる手段を用いて直接及び間接的にその意思を世界に住まうものに示すことを禁止する神々の定めた今の世界の理。

 深雪の言葉を借りれば、神魔の事を教えたのは「教えた者を教えることができない相手」。――単純に情報源を隠している可能性もあるが、世界の異変に気付き、それを九世界や王達よりも早く知りえる存在がいるとは思えないのも事実だった


「その答えでは、彼女の言葉と行動を信じる根拠としては弱すぎます。まさか、ロギア様ともあろうお方がそんな理由でこれほどの軍を動かしたのですか?」

「随分と威勢のいいことを言うものだな」

 しかし、深雪の言葉を信じるとしてもそれだけでは弱すぎると強い口調で指摘するリリーナに、ロギアはどこか嬉しそうに口端を吊り上げて応じる

 それは儚げな容姿のリリーナが持つ毅然とした豪気な一面を賞賛しているようでありながら、同時に自身もまたそれに類する考えを持っていることを感じさせるものだった

「なら――」


「ならば、確かめればよいのではないですか?」


「――ッ!?」

 その問いかけにロギアが続けて言葉を紡ぎ出そうとしたその瞬間、横から響いた声にこの場にいる全員が息を呑む

 その声にロギアまでもが目を瞠って顔を上げ、周囲を見渡した瞬間、天上界王城を望む空の一角が揺らめき、そこから一人の人物が姿を現す

「お前――……」

 長い金色の髪を揺らし、知覚にさえ捉えることのできない空の道を通って姿を現したその人物を左右非対称色の瞳に映した大貴は、思わず息を呑む

「ご無沙汰しております。光魔神様、それに――神魔さん」

 天上界を総べる天上人、天上界の空を埋め尽くした堕天使達。その全ての視線を一斉に奪ったその人物――十世界盟主「奏姫・愛梨」は、まるで親しい友人と再会したかのように敵意の一切ない笑みを浮かべる

「奏姫だと……!?」

「どうしてここに!? 今までこんなこと一度も……!」

 この世界に住まう全ての者達との共存共栄を謳うがゆえに、良くも悪くも礼節を重んじる愛梨は世界を訪問する際にはそれなりの通告をしており、このように突然その姿を現すというようなことはなかった

 かつて人間界で大貴達と出会った時がそうであったように無論非常時に限ればその限りではないだろうが、少なくともこの天上界に関しては初めてのことで、灯は驚愕を隠しきれない

「突然の来訪をお許しください。天上界の皆様と堕天使の皆様」

 先程までとは別種の緊張感に包まれた天上界の中にあって、一人だけ穏やかな笑みを浮かべた愛梨はこの場にいる全員に対して謝罪の言葉と共に恭しく一礼してみせる


 しかし九世界にとって、最も警戒するべき組織の一つである十世界――その長が無防備にそこにいるというのは絶好の好機。

 特に愛梨の命を奪うことを無罪となる条件として提示されている神魔は、この最高のタイミングで現れた標的に戦意を昂ぶらせる


「姫」

「――っ!?」

 しかしその瞬間、愛梨の背後の空間が歪み、そこから澄んだ透明な声と共に純白の翼を持つ者がゆっくりと姿を見せる


 一点の汚れもない四対八枚の純白の翼が広げられ、白い羽が空に舞い踊ると共に、腰の位置よりも長く伸びた紅色の髪が炎のように揺らめく

 白い布が幾重にも重ねた司祭のような敬虔さと清廉さを持つ霊衣に身を包み、深い慈愛の情を感じさせる儚げな優しい笑みを浮かべた天使が現れると、ロギアが小さく驚きに目を瞠る


「アリシア……!」


「っ!」

 ロギアの口から紡がれたその天使を指す名前を聞いたところで、マリアは驚愕に息を呑んで愛梨の背後に現れた八枚翼の天使を見る

 そしてその驚きはマリアだけではなく、リリーナとノエル――クロスもまた同様で、その身から発せられる根源の天使(十聖天)の光力を知覚しながらその姿を見据える

(この光力、確か聖人界の時に――!)

 アリシアと呼ばれる天使から発せられる強大な力を知覚した大貴は、その力が先日聖人界の聖浄匣塔(ネガトリウム)で愛梨が連れだした人物と同じであることに気付いていた

 そしてそれは大貴だけではなく、あの場にいたノエル以外の全員も気付いていること。そんな大貴達の視線を一身に浴びたアリシアは、自身の名を呼んだロギアへと視線を向けてたおやかに微笑む

「お久しぶりです、ロギア様」

 同じ十聖天に列なる天使として久しぶりの再会を喜んだアリシアは、ロギアへの挨拶もそこそこにその視線を自身を見つめたまま硬直している金髪の天使へと向ける

「大きくなりましたね、マリア」

 積み重ねられた幾星霜の年月を経て、もう会うことができないと思っていた最愛の娘と再び相まみえたアリシアは、万感の思いが込められた愛おしげな笑みを向ける


「……お、母さん?」






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