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魔界闘神伝  作者: 和和和和
天上界編
263/305

光魔神生誕





 九世界の一つ、天上界の空に舞うのは漆黒の翼を羽ばたかせた天使――堕天使の軍勢だ。ある者は黒く染まった天使の翼、ある者は黒い皮膜の翼、またある者はその両方を兼ね備え、天を舞うその存在は百や二百ではない

 そしてその軍勢の中心に立つのが堕天使王「ロギア」。かつて天使の原在(アンセスター)――「十聖天」の長にして初代天界王を務めた最強の天使であった最強の堕天使の傍らには、腰の辺りで束ねた長い黒髪を持つ女性が佇んでいた


 明らかに堕天使達の軍勢に属していると分かる立ち位置にいながら、その背には堕天使の証である黒い翼はない

 なぜなら、その女性は堕天使ではなく悪魔。自らを「深雪」と名乗ったその女性の悪魔は、光魔神(大貴)の視線を受けながら、微笑みを湛えていた


「神魔の――」

 その深雪を見据える大貴は、先程その口から告げられた言葉を、驚愕も露に口から零しつつ、その視線を神魔へと向ける


「母親!?」


 大貴を含めて、この場にいる全ての視線を集めた神魔は、それに答えることなく堕天使王の傍らに佇んでいる深雪――母へとその金色の視線を送っている


 そんな神魔の傍らに控える桜は、大貴達ほど驚きを見せてはいないが、話に聞いていただけの伴侶の母にこのような形で目文字叶ったことに複雑な感情を抱いているようだった

 何しろ、先程大貴の言葉に割って入った深雪の言葉は、神魔の存在を否定するものだった。それを向けられた神魔の心中を思うと喜ぶことなどできるはずもない


「久しいですね、神魔くん」

 一瞬全員の視線が神魔に注がれたその時、そこから意識を引き戻すように深雪がその微笑を崩すことなく語りかける

「まさか、生きて――しかも、堕天使の側にいたとは思いませんでした」

 幼い頃に父の手にかかったと思っていた母が、こうして生きて堕天使の軍全と共に現れた驚きを表情の下に隠しながら、神魔はその心中を窺うように応じる

「そんなかしこまった言い方をせずとも、昔のように話してくれればいいんですよ?」

 敬語を使って話しかけてくる神魔に肩を竦めて苦笑を浮かべた深雪は、幾星霜の時を経て再会した息子に母親の笑みで語りかける

「……なんで、堕天使と一緒にいるの?」

 その言葉に小さく息を吐いた神魔は、どうしていいのか戸惑って使った敬語を下げると、普段通りの口調で訊ねる

 しかしここに至るまでのやり取りもあってか、深雪に向けられるその視線は、決して母と再会できた喜びに満ちたものではなく、むしろ疑問や非難の色が強いものだった


「あなたを殺すために」


 そして神魔の問いかけに、深雪は深く感情を織り込んだ声音で簡潔に答える

「…………」

 その答えに神魔の意思が臨戦の気配を見せると、それに追従するように桜の魔力もわずかな昂りを見せる


「待ってくれ!」


「はい」

 しかし、一触即発の空気に危機感を覚えた大貴が声を上げると、それを受けた深雪はそれに自然な態度で応える

「あんたは神魔の母親なんだろ!? それでいいのか!?」

 自分へと向けられた視線を真正面から捉えた大貴は、実の息子である神魔を殺める意思を示した深雪に向けて訴えかける

 それだけ聞けば言いたいことは理解できる深雪は、誰かから言われるであろうとは思っていた予想通りの答えに自嘲するように笑みを零して口を開く

「これは、私なりに悩んで、迷って導き出した結論です」

 暗に、「何も迷いなく神魔(息子)を殺そうと思ったと思ったのか?」と非難する意思を込めた言葉を柔らかな声音に乗せて返した深雪に、大貴は返す言葉もなく唇を噛み締める

 今回の結論は深雪が迷いを重ね、時間をかけて導き出した結論だ。堕天使王(ロギア)の下に身を寄せていたのもそのためだった

「それに、その子は夫を――私の愛する人を手にかけました」

「っ」

 さらに、次いで深雪の口から告げられた言葉に、大貴をはじめとする全員が小さくない反応を示す

 神魔と死紅魔(シグマ)が戦ったのは聖人界。その時、神魔の口から死紅魔(シグマ)との関係を聞き、その命を奪ったことを悟っていた大貴達は、深雪の言葉の意図を正しく理解することができていた


 契りを交わした全霊命(ファースト)同士は互いの命を共有しているがゆえに、世界を隔てても思念通話を可能とし、遠い世界の果てで命を落としてもそれを知ることができる

 深雪が死紅魔(シグマ)の死を知り、殺したのが誰なのかを知っていることに何ら疑問はない。加えて闇の全霊命(ファースト)は自分の大切なもののために全てを捨てることができる思考の持ち主

 例え神魔が深雪にとって実の息子でどれほど大切であっても、それよりも死紅魔(愛する人)の方を想い慕っていれば、そちらに心の天秤が傾く可能性は捨てきれな


「恨んでいるとはまでは申しません。ただ、あの人の意志を継ぐことが、永遠の愛を誓った伴侶()の成すべきことだと考えたのです」

 神魔は元より、桜、大貴達全員が浮かべている表情を上空から見渡した深雪は、自身の魂の中心に空いた空虚な穴を確かめるようにその胸に手を当てる

 その胸――魂と存在の中心には、死紅魔(シグマ)がいた。だが、その最も大切なものを失ってしまった深雪がどれほどの喪失感を抱いているのかを、この場にいる者達、特に桜は痛いほど理解していた


 確かに深雪は今も神魔を息子として愛している。死紅魔()を殺めたからと言って、神魔への憎しみに駆られているだけではないことも、その口調や声音、表情が雄弁に物語っている

 だが、全くそこに負の感情を持っていないわけでもない。もしかしたら深雪が戦いたいのは、〝全てを滅ぼすもの〟を宿してしまった神魔の運命、そしてそれに翻弄された自分達家族――この世界の条理なのかもしれなかった


「その子は存在するだけで世界を滅ぼす。ならば、その子を産み落とした母として責任を取らねばならないでしょう」

 その迷いを心の奥に押し込め、それをさらに戦う意志へと変換した深雪は、その神格に相応しい純然たる力を見せる魔力を静かに滾らせながら、自分を見据える神魔を睥睨する

「待ってください」

 しかし、それにたまらずに声を上げたのは、神魔の伴侶である桜でも、神魔に想いを寄せる瑞希でもなく、四枚の翼を持つ天使の少女――「マリア」だった


「それが母の責任だというのですか?」


 マリアは、天使と人間――全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)の間に生まれた混濁者(マドラス)。そしてその身には、母がマリアに生きていてもらうことを願って神までもが封じられている

 自分に託された思いを知っているからこそ、世界に憚られながらも認めてくれる人がいる自分という存在に価値を見出すことができているマリアにとって、実の母でありながらその存在の禁忌性ゆえに神魔を殺すという選択をした深雪の判断を他人ごとのように思えなかったのだ


「母親――いえ、親ならば子供の子供に生きていてほしいと、幸福を願うものなのではないですか!?」

 空に佇む深雪に向かって祈るような声で訴えかけるマリアの悲痛な面差しに、その心境を推察できるクロスとリリーナは表情を曇らせる

「マリア……」

「マリアちゃん」

 存在を許されない命を生かすため、母から自分の身に与えられた愛が呪いでありながらも祝福であることを知っているマリアは、その想いを裏切りたくないからこそ、深雪を思いとどまらせるべく訴えかける

「あなたには大切な人がいるのすね」

「!」

 そんなマリアの訴えを聞いた深雪は、そこに込められた想いを読み取って目元を綻ばせて微笑む

 まるで自分の心を見透かしたかのような深雪の言葉に想い人の姿を思い浮かべ、一瞬たじろいだマリアに向けて次の言葉が続けられる

神魔(その子)が生きていれば、あなたの大切な人が失われる。その子が生きていれば、この世界の歪みは大きくなり、より苦しむ者達が増える――ならば、それは正さなくてはならないでしょう

 その口から紡がれる厳かな声音は、それを聞く者に少なからず楔を打ち込むものだった


 世界の歪みを放置すれば世界の異常が増大するのは必定。そしてそうなれば、本来生まれるはずのない混濁者(マドラス)、あるいは灯や示門のような生まれてはならない存在までもが生まれてしまう可能性がある

 望む望まざるとに関わらず、存在するだけで世界を滅ぼしてしまうのなら、神魔にとって大切なものも、神魔がいるだけで失われてしまうことになる

 母として神魔を思うからこそ、神魔が大切だと思うものがあるこの世界を守るために神魔を殺さなくてはならない。――深雪の結論は、そんな思いから導き出されたものだった


「ですが――」

「これで弁論は終わりです」

 その言葉に、クロスやリリーナといった大切な人を失う光景を幻視し、一瞬怯んだマリアが反論に転じようとするが、深雪はそれを許さずに一言の下にそれを断ち切る

「――〝雪旗鉈(すすきなた)〟」

 それと共に深雪の手にはその存在を構築する魔力が戦う形――刃とも羽とも思える黒い結晶状の装飾を持つ長い杖の形状をした武器として顕現する

 それを軽く一薙ぎした深雪は、凛とした視線を神魔へと向けると、自らの存在を構築する魔力に充溢した気力を漲らせて口を開く

「あなた達が告げようとする言葉に対する迷いは、私の中ですでに結論が出ています。どれほどの言葉を並べても、私はこの結論を変えるつもりはありません」

 大貴やマリアがかけた問いかけは、深雪がずっと自らに問い続けてきたものとおなじものでしかなかった

 どこに自らの子どもを好んで殺す親がいるだろうか。――少なくとも深雪はその迷いを何度も自分に問いかけ、そしてその上でこの答えを導き出したのだ

「もし、私を止めたいと願うのならば、その力で止めることです」

 迷いがないわけではない。しかし、その力に満ちる意思にはもはや一点の曇りもなく、ただその目的と信念を貫くために研ぎ澄まされている

 揺るぎない信念を込めた眼差しと声で、この世で愛する人との間に生まれた愛しい息子を見据えた深雪は、愛する者をこの手で殺める決意を胸に口を開く

「よいですね、神魔くん」

「――みんなは手を出さないで」

 その視線を向けられた神魔は、隣にいる桜と納得していない様子の大貴、マリアをはじめとする全員に視線を配ると、一言そう告げて自らの手に魔力を武器として具現化させる

 身の丈にも及ぶ黒刃の大槍刀を携えた神魔は、そのまま上空へと飛翔すると、それに合わせてゆっくりと降下してきた深雪と同じ目線で止まる


 互いに敵意や憎悪ではない視線を向け合いながら、それでも互いを滅ぼし合わなければならない神魔と深雪の母子は、その一片の可能性を吹き飛ばすように魔力を放出する

 その存在から解き放たれた濃密な純黒の魔力は、せめぎ合うようにして互いを貪りながら世界を軋ませる


「――とても強くなったのですね」

 知覚しているだけで存在が削り取られていくような神魔の魔力に目を細めた深雪は、底の見えない深淵を思わせる暗黒色の力に目を細める

「今の母さんじゃ、僕に勝てないよ」

 かつて――記憶の中にある幼い頃は途方もない高みにいるように感じられた母の魔力はいつの間にか自分のそれよりも小さなものになってしまっている

 久方ぶりに再会した母が以前よりもずっと小さく感じられる哀愁に物悲しげな笑みを浮かべた神魔は、諭すようにその事実を告げる


 深雪の魔力は死紅魔(シグマ)よりもやや弱い。その死紅魔(シグマ)を一騎打ちで下し、更にその力を増している今、単純に神魔の方が深雪よりも勝率が高いのは誰が見ても明白だった

 少なくとも深雪に神器のような奥の手が存在しない限り、軍配はほぼ確実に神魔に傾く。――これは、そういう戦いだ


「桜!」

 一触即発の魔力をせめぎ合わせる神魔と深雪に焦燥を駆られた大貴は、その感情のままにこの戦いを御せる可能性のある人物へ声をかける

 二人の戦いを止めたいという意志の込められた大貴の声を受けた桜は、一度だけ視線を向けると、再び空で深雪と相対している神魔を仰いで言葉を紡ぐ

「神魔様は覚悟を以ってこの戦いに望まれました。ならばわたくしの役目はそれを見届けることです」

 貞淑な居住まいを崩すことなく、深雪(実母)と相対する神魔へ恭じる意思を示した桜の言葉によって最後の期待を打ち砕かれた大貴は、その憤りのままに歯噛みする

「――ッ、この……」

 それと同時に天へと視線を向けた大貴は、自身の武器である太刀をその手に顕現させると、黒白の力を解放する

「なら、力ずくででも止めてや――ッ」

 神魔と深雪が戦うのを止めるため、左右非対称色の黒白の翼を広げて今まさに飛び上がろうとした時、それを打ち消す圧倒的な意志の圧力がその動きを縫い留める

「っ……!」

 先ほどまで浮かんでいた様々な意志を吹き消すその圧力に視線を向けた大貴は、その発生源――堕天使王「ロギア」をその左右非対称色の瞳に映す

 最強の原在(アンセスター)としての神格を有する堕天使王は、その意識の発破によって動きを止めさせた大貴に、「邪魔はさせない」と言わんばかりの不適な視線を向ける


 口端を吊り上げたロギアの手には、その神能(ゴットクロア)が戦う形を表し、黒い刃を持つ槍刀として具象化していた

 両刃の剣は、まるですべての光を呑み込んでしまうのではないかと紛うほどの純黒。その刃には金色の翼を思わせる装飾を持つ柄が備え付けられている

 さながら世界の光を切り裂く闇の槍刀といった武器に自らの力である黒い光を注ぎ込んだロギアが一瞥を向けると、それを受けた深雪はそれに深々とした目礼で応じて神魔へと向き直る


「大丈夫。世界は救えますよ……神魔くん、あなたを殺すことができれば、神がこの世界に刻み付けた呪いを解くための鍵が開かれるのです」

「? どういう――」

 優しくその表情を綻ばせ、結晶花の鉈刃を持つ長柄の武器を構えた深雪が魔力を放出すると、その言葉を受けた神魔は怪訝に眉を顰める

 確実に何かを知っている――というよりも、世界を滅ぼすものに対して極めて高い理解と確信を抱いているのが分かる深雪の言葉に神魔が怪訝な表情を浮かべる

「そういうことだ」

 しかしそれを確かめる間もなく、ロギアの咆哮がそれを打ち消して戦いに割り入ろうとしていた大貴へと肉薄し、同時に空を蹴った深雪がその神格に比例した神速で神魔と激突する

 時間と距離を超越した速度で肉薄した神魔と深雪が互いの魔力を注ぎ込んだ武器をぶつけ合うのと同時、黒白の力を解放する大貴と漆黒の光を纏うロギアもまたそれぞれの力を込めた武器を振るう

「――ッ!」

 しかし、最強の堕天使であるロギアの黒光の斬撃と大貴の太極の斬撃がぶつかり合おうとしたまさにその瞬間、二人の間に割って入った薄桜色の布が二人の攻撃を弾き返す

 堕天使王(ロギア)の黒槍と光魔神(大貴)の太刀、その接触を間一髪で防いだ薄桜色の羽衣が翻り、その持ち主である人物が翠金の髪を翻らせる

「天上界王……」

 大貴との接触を阻んだ人物――天上界王灯を見据えたロギアは、その姿を映す瞳に鋭利な光を灯す

「灯様」

 その身に纏う攻防一体の常時顕現型武器の羽衣に加え、そのもう一つの武器である金色の剣を携える天上界王の姿に、出雲と真響(まゆら)が息を呑む

「灯……」

 まるで大貴を庇うように背を向け、その清凛な面差しを堕天使王(ロギア)に向ける灯を遠目で見る邑岐(おうぎ)は、小さく目を瞠って最も忌まわしき王の行動の真意を測るべく視線を向ける

「なんのつもりだ?」

 邑岐(おうぎ)だけではなく、この場にいる天上人、堕天使のおおよそ全てが抱いているであろうその意図を、大貴との剣戟を阻まれたロギアが問う

 最強の天使であったロギアの一撃をこうも軽々と防げるものなどそうは存在しない。それだけで灯が紛れもなく神から最初に生まれた全霊命(ファースト)である原在(アンセスター)――さらにその中で最上位に位置する力を持っていることが容易に窺える

「私はこの天上界を預かる王です。私の許可なく、この世界で戦闘をさせるわけにはいきません」

 ロギアの前に立ちはだかった灯は、堕天使の王の問いかけに一瞬だけ肩を震わせると、意を決したように口を開く


 確かに、神魔と深雪だけならまだしも、ここで堕天使王ロギアと光魔神が戦うようなことになればどのような被害が天上界王城――引いてはこの世界にもたらされるかわからない

 ならば天上界王として無益な戦いが波及しないよう、被害が出るような戦闘を避けるべきと考えるのは当然だろう


《私は、この世界の王ですから》


 しかし、それと同時に羽衣を纏い、その頭上に光の環を浮かべた天上人の王の後ろ姿を見るマリアは、先程の言葉を思い出していた


 堕天使達がこの世界に来臨した際、真っ先に飛び出していった大貴を引き止めた灯が、マリアの問いかけに返した言葉。

 最も忌まわしきものとして生まれ、その力ゆえに望まれないまま玉座にある王として、世界の理に殺されようとしている神魔に対し、少なからず自分を重ねていただろう


(灯様。あなたは本当は――)

 そんな灯が王として世界のために神魔を殺すべきか、あるいは大貴のように殺さずに解決する道を探すべきかを迷い、王としての責務と個人としての心情を天秤にかけたが故のこの行動なのではないかとマリアには思えた


 傍から見れば堕天使王と光魔神が戦うのを止めただけ。決して神魔と深雪の戦いを邪魔したわけではない

 しかし、世界の歪みの根源である神魔の存在を肯定も否定もしないその行動にこそ、最も忌まわしきものとして生まれた灯の切な希望が宿っているように思えた


「――……」

 そんな灯の心中など知る由もないロギアは、ただ先程の言葉を額面通りに受け取っていたが、自分の前に立ちはだかった灯が一瞬その視線を邑岐(おうぎ)へと向けるのを見逃さなかった

 それはまるで、自分の行動が機嫌を損ねていないかを窺う子供のようなそれ。自らの意思を主張しながら、それを咎められることを恐れるがゆえのものだった

「……所詮は担ぎ上げられた王の御輿か」

 その視線の意味を正しく理解したロギアは、わずかな同情と憐れみの浮かんだ視線で灯を睥睨し、黒刃の槍刀を引く

「仕方がないな。ここは天上界、王の意思を無下にするわけにはいかない――それに、世界の希望である光魔神に下手に傷を負わせるわけにはいかないからな」

「――っ」

 いかに全ての力と共鳴する力を持つとはいえ、単純な神格では未だロギアの方が未覚醒の光魔神に勝っている

 命をかけた戦いならまだしも、先程の一合に限れば自分の方が多少不利になることを見越して言うロギアの挑発めいた言葉に、大貴は唇を噛み締めて黒翼の王を睨みつける

「軽く光魔神の力を試しておくのも一興かと思ったんだが」

 そうは口で言っていながら、ロギアの態度などからは、これまで大貴が出会った好戦的な相手が持つ特有の覇気が感じられない

 ただ自分の力と人格を試されたような感覚を覚えた大貴は、どこまでが本気なのかわからない堕天使王の一挙手一投足に意識を集中させる

「戦うのは駄目でも、会わせるくらいなら問題ないだろう?」

 問いかけるような口調ながらも、許可を求めていないとばかりに話を進めるロギアは、灯の答えを聞くよりも早く軽く視線を向ける

 ここまでただ天を待っているだけの堕天使の軍勢はそのロギアの視線に反応し、それに答えるようにその中から一人の堕天使がゆっくりと自分達堕天使の王の御許まで降りてくる

「っ」

 その人物は濡羽のような漆黒の翼を持ち、司祭服を思わせる霊衣を纏った女の堕天使だった

 足元まで届くほどに長い金色の髪はそれそのものが黄金で編まれているかのように輝き、堕天したが故か黒を基調している霊衣に、顔や肩、腕といった露出した肌が白く映えている

「お前は……?」

 ゆっくりと降りてきた金髪の堕天使がロギアへと一礼し、自分へと深い情の籠った視線を向けてくるのを感じた大貴は警戒心を露にして問いかける

(なんだ、こいつ。初対面のはずなのに……)

 宝石が嵌められた両耳のイヤリングを揺らし、自分を見て目を細めるその金髪の堕天使の面差しは、まるで懐かしさと慈しさを内包しているかのよう。

 間違いなく今日が初対面であるはずなのに、なぜかそうは思えない反応を見せる金髪の堕天使に大貴が様々な思考を巡らせていると、その当人はその微笑を花の笑みへと変えて恭しく一礼する

「ご無礼をいたしました。光魔神様、――私は『ロザリア』と申します」

「――ッ!」

 胸に手を当て、敬意を示しながら穏やかな声音で名乗った金髪の堕天使――「ロザリア」に、大貴は思わず目を瞠る

「やはり、私のことをご存知でしたね」

 その反応を見たロザリアは、大貴が自分のことを知っていることを確信して安堵とも憂いとも取れる笑みを浮かべる

 大貴が光魔神として覚醒した以上、あの日自分が犯したことを聞かされているだろうという推測が裏付けられたロザリアがみせた表情に、大貴は小さくない困惑を覚えていた

「あんたが、ロザリア……」

「はい。あの後――あなたに光魔神の力を託した後、ロギア様の許で堕天使となったのです」

 喉を締め付けられるような感覚を覚えた大貴は、そのままかすかに震える声でロザリアを見つめる


 天使ロザリア。――かつて十世界に侵入し、反逆神の元から光魔神の核ともいえるもの(・・)を盗み出し、それを後に大貴に託した天使。

 その当時の純白の翼は、今は漆黒に染まってしまっているが、その心の在処は揺らいでいない


「あの日――十五年前のあの日、私は反逆神が隠し持つ光魔神の核を盗み出すことに成功しました。本来ならば人間界へと向かい、王にその力を託すつもりでした」

 まるで懺悔をするように、ロザリアは誰に乞われることもなく、大貴に向かってその時の真実を語り始める

 それはずっと胸に閊えていたわだかまりを吐き出すかのようで、ロザリアの表情は苦しみと共にようやくその事実を伝えられる贖罪の色に染まっていた


 光と闇の両質の神能(ゴットクロア)を持つ光魔神の力は、光か闇いずれかの性質しか持たない通常の全霊命(ファースト)に受け入れることはできない

 ならば、光魔神の器となるものはその眷属――光魔神によって生み出された人間界の人間達こそが相応しいというのは自明の理だった


「十世界の本拠地において、反逆神は自らが殺して封じた光魔神の核を特に隠してはいませんでした。

 むしろ、まるで見せつけるように常に堂々と自分達悪意の者達が住まう領域に置いていた――私はその意味をもっと深く考えるべきだったのです」

 その時のことを思いだし、沈痛な面差しを浮かべたロザリアは、自らが反逆神の元から光魔神の核を盗み出した時のことを思い返して自責の念を露にする

「話は前後しますが、私が十世界に身を置いていたのはかの組織を滅ぼす手立てを見出すためでした

 円卓の神座の二柱――しかも、神敵を擁するあの組織を滅ぼすためには、彼らの中に潜んで、彼らが恐れるもの、そうでなくともその弱点や欠点を知るのが早いと考えたからです」

 十五年前の当時、覇国神と現状世界最強の存在である反逆神を擁する十世界にすでに九世界は正面から戦いを仕掛けることができない膠着状態に陥っていた


 仮に九世界全ての戦力を投入しようと神には勝てない。例えば司法神や調停神といった円卓の神座の力を借りられたとして、それでも反逆神には勝てない。

 十世界盟主である愛梨が対話を重んじていなければとうに敗北していたであろう圧倒的戦力差を前に、九世界は反撃の機を伺いながら、その勧誘の言葉を拒絶し続けることだけしかできない状態だった


「もっともそう考えたのは私だけではなかったようですが……いずれにせよ、私は反逆神の持つ光魔神の核に目を付け、それを持ち出したのです」


 だからこそロザリアは、十世界への勝機をその内側に見出した。彼らが何を恐れ、どのような関係にあるのかを知れば、一抹の勝因を見出せる

 当然そう考えたのはロザリアだけではない。同じように考え、各世界から十世界の中には何人ものスパイが潜り込んでいた。

 そんな彼らが見出してきた十世界の弱点と言えば、姫――「奏姫・愛梨」個人の存在によって成り立っているような組織であることといった誰でも知っているようなことばかりだった

 そんな中ロザリアは、かつて反逆神がその手で殺して封じていた自らと同等の力を持つ光魔神の核を手に入れることを考えた


「光魔神の核に気付いていた者も少なからずはいたようですが、やはりそれを持ち出す危険性を考えたのでしょう――誰も実行に移す者はいませんでした」

 その当時を思い返すように、一言一言言葉を発するロザリアの言葉に、大貴ばかりではなくほとんどの者が耳を傾けていた


 円卓の神座の№1である光魔神と反逆神の力は同等。それを手に入れられれば大きな戦力になるのは確実。だが問題は、それを守っているのが反逆神とそれに列なる悪意の神片(フラグメント)達であるということだった

 どれほど知恵を巡らせようと、裏をかこうと、神器を持っていても、かの神の手から逃げ切るのは摂理的に不可能。

 それが分かりきっているがために、誰も光魔神の核に手を出すことはしなかった。――唯一、ロザリアという天使を除いては。


「意外なことに神敵とその眷属達は、私を追いませんでした。むしろ、私の抵抗を愉しむように私を見送っていたのです」

 ただ計算外だったのは、知恵を巡らせ、気付かれないように光魔神の核を盗んだつもりでいたロザリアだったが、反逆神達はそれに気づいていてあえて(・・・)その逃亡を許したことだった

 光魔神の核を手に飛び去った自分に向けられる反逆神達の悪意と好奇に満ちた怖気の奔る様な眼差しをロザリアは今でも鮮明に覚えている


「大方、敵が欲しかったんだろうな」


 その時、それに答えるように口をひらいたのは、他ならぬ大貴自身だった

 かつて一度だけ反逆神と会ったことのある大貴は、その時に見た悪意に満ちたその瞳の中に宿る破滅願望にも似た強い乾きが強く意識に刷り込まれている

「それがいつか自分達を滅ぼすかもしれないと分かっていながら、敵を作らずにはいられない。反逆神の(さが)ってやつだ」


 反逆神はロザリアをわざと見逃した。その理由は持ち出された光魔神が、いつか自分を脅かす脅威として立ちはだかってくれることを期待するが故のこと。

 すでに十世界の戦力が九世界を圧倒し、大規模な戦いが起こることは少なくなっていた当時、反逆神はその状況に退屈していたはずだ


 なぜなら反逆神は「神敵」。この世の摂理と理、あまねくものの唯一にして絶対の敵対者。つまり、敵対するべき相手が居なくてはその存在が満たされない

 叛意や敵意があろうとそれが行動に表れない。まして対話による平和を求める愛梨のやり方では、反逆神は敵対する相手もなくただ無為な時間を過ごす苦痛に苛まれていたことだろう

 だが、一応は十世界に属し、姫の意思に従う意志がある以上、自ら敵対行動を取ることはできない。だが、敵意を持つ者がその種を持ち出し、それが未来に自分を楽しませてくれるのならばと考えてもおかしくはない

 自分と同等の力を持つ存在がいつか自分の命を脅かすかもしれないなどとは考えない。むしろそれすらをも望んで自ら敵をつくる。――およそ常人には理解しがたい面があるその発想は、神がもたらす完全な調和に抗う悪意の神たるものの運命なのかもしれない


「そうかもしれませんね」

 大貴が語った反逆神の思惑に静かに目を伏せたロザリアは、一度間を置いてから再び口を開く

「ですが、反逆神は私の逃走を許しても、それを許さない者もいました。おそらく私の動きがおかしいことに気付いていたのですね」

 反逆神がその存在意義故にみのがそうと、十世界盟主(愛梨)が裏切りをも許容しようと、それを許さない者がいるのが十世界という組織

 前からその行動を怪しく思っていたメンバーが、ロザリアが光魔神の核を盗み出したことを知り、追撃をかけるのもまた道理だった

「同じ天使である彼と時空を逃げ回りながら戦っていた時、その追撃を撒くためにあえて乱時空の門を生成し、行き先を読ませないようにしました

 そうして作り出した時空の門があの場所――あなた達が住んでいたゆりかごの世界へと道を繋げてしまったのです」

 その時の事を思い返し、唇を噛み締めながら言葉を絞り出したロザリアは、自分を見つめる大貴の左右非対称色の瞳を見つめて泣き出しそうなほどに顔を歪める


 世界を越えれば、いかに全霊命(ファースト)の知覚を以ってしても相手を追うことは難しくなる

 だからこそ、全霊命(ファースト)同士が戦う際、その逃亡を妨害するのは敵を逃がさない上で必須となるが、同等以上の神格を持つ神能(ゴットクロア)の力を以てすれば、その時空の干渉を無力化することなど容易い。全霊命(ファースト)同士の戦いで時空を介した移動や攻撃が行われることがないのもそのためだ


 そしてロザリアはその逃亡の際、あえて時空を乱し、自分がどの世界に出るかわからないように歪めた時空門を作ることで逃亡をはかった

 その結果、飛び出してしまったのがあの日あの時のあの場所――大貴達がいたゆりかごの世界の一つ、その中にある「地球」という場所だった


「その結果があの惨事でした――。何とか被害は最低限に悔い留めたものの、それでも私は取り返しのつかないことをしてしまいました」

 本来時空の歪みが引き起こす力は桁外れのものになる。地球どころか宇宙が消滅していてもおかしくないエネルギーを御したロザリアだったが、最高位の霊的存在であるロザリアが突如出現したことに、最弱の霊格しかもたないゆりかごの世界が耐えられなかった

 結果的に引き起こされたその衝撃によって大勢の人が巻き込まれ、その犠牲者の中に生まれたばかりの幼い大貴がいたのだ

「――……」

 当事者であるロザリアの口から、自分に光魔神が宿った経緯を詳しく聞いた大貴は言葉がでなかった

 何を言えばいいのか、何を言うべきなのかが分からない。ただ、この広い世界の中、奇跡のような偶然を経て自分に光魔神が宿ったのだと漠然と感じた程度だ

「私が十世界の理念を否定していたのは、家族を殺した悪魔達を――闇の存在との共存を拒み、戦い続けるためでした」

 だが、そんな大貴の心境を見越したように、ロザリアは自分にとって重要な、確信にも近い部分を血を吐くような思いで吐露する

 そしてその告白は、ロザリアの心の最も暗い部分を明るみに出すものだった

「当然、それだけが全てではありませんでした。ですが、十世界の語る理想の実現した世界なんて実現してほしくなかった。――だから私は、十世界を何としてでも滅ぼしたかったのです」

 それ以外にも多くの理由はあった。だがロザリアが十世界を拒絶した最大の理由は、闇と――悪魔と敵でいられなくなってしまうからだったのは間違いない

 創世以来定められた不俱戴天の仇。そして今日までの歴史で積み上げられてきた禍根(恨みと痛み)の数々。それらを「争いのない世界」や「平和」という綺麗な言葉でなかったことになどされたくはなかったのだ

「私は、私のそんな醜いエゴのためにあなたを巻き込んでしまった。到底許されることではありません」

 自らの想いが犯した罪火に魂を焦がしながら、ロザリアは白い翼の自分が犯した罪を、黒い翼の自分が告白することでその罪を贖いたいとばかりに大貴に懺悔する

「ですがあの時、私のせいで命を落としかけた幼いあなたを見た時、私はあなたを死なせたくないと思いました。

 今にも消えてしまいそうなこの小さな命の灯火を消したくはないと――あなたが悪意の眷族(ゆりかごの人間)であることも、九世界の未来も全て捨ててあなたに生きて欲しいと思っていました

 あの時、あなたのご両親に〝あなたを救いたいですか〟と問いかけながら、本当はそう答えてほしいと、心から祈っていたのです」

 大貴に光魔神を託した時の事を思い返しながらその心の内を吐露するロザリアは、まるで許しを乞うているかのよう。

「私は、私はあなたに――」

 その慟哭にも似た告白から伝わってくるのは、純粋な無償の愛情。それを聞いていた誰もが――当事者である大貴までもが、心の片隅で同じことを思っていた


 まるで、母親の様だ、と。


「生きて欲しかった」


 今日までの十五年間心の中にため込んできた思いを全て吐き出し、胸を掴んで顔を伏せたロザリアは、糸が切れたようにふっと肩の力を落とす

「ごめんなさい」

 切な想いの籠った言葉を告げたロザリアは、そのままゆっくりと顔を上げると、泣いているようにも微笑んでいるようにも見える表情で大貴に語りかける

 ずっと胸に閊えていたものを吐き出し、その気持ちを伝えきったロザリアは、どこか晴れやかな表情で自らの話を締めるべく言葉を紡いでいく

「あなたには私のために多くの辛い思いをさせてしまいました。……いえ、それを私が決めるのは傲慢ですね

 あなたに託したその命と力があなたにとってどのようなものだったか、私には分かりません。ですが――」

 黒く染まってしまった白い翼を広げ、金色の長い髪を揺らめかせながら語りかけるロザリアは、その言葉と共に大貴を見据え、聖母のように可憐に微笑む

「信じてはもらえないかもしれませんが、私は遠く離れた世界から、ずっとあなたの幸福を願っていたのですよ」

 十世界の追手から逃れるため、存在を変質させる堕天使となるべくロギアの下に下ってからも、ずっと大貴の事を思い続けてきたロザリアの深い思慕の念に満ちた笑みと声音に大貴は困惑していた

(なんだ? なんなんだ、この人……?)

 大貴にとって、ロザリアは今日初めて会って認識した人物でしかない。姿も声も知らず、ただ〝そういう人物がいた〟ことを知っていた程度。間違っても強い情を抱くような相手ではなかった


 ロザリアは大貴に光魔神を与えてくれた人物。今の自分には満足しているが、もし自分がただのゆりかごの人間――地球人のまま生涯を終えていたならどっちが幸福だったかと問われても、答えられない問題だ

 恨んでいるわけではない。感謝しているわけでもない。だが、もしかしたらそのどちらもの気持ちを抱くべき相手、それがロザリアであるはずだった


(一体、何なんだよ、この気持ちは――!)

 しかし、愛おしむように目を細めて自分を見つめているロザリアを見る大貴は、なぜか胸を締め付けられるような思いを抱いてしまっていた





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