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魔界闘神伝  作者: 和和和和
天上界編
262/305

解明問答





《霞》


 白い雲の大地の上に無数にそびえ立つ大小様々な神殿。それらを結び龍を思わせる回廊をゆっくりと歩く天上人――天上界王相談役「霞」は、己の意識の中に響いた見知った声に目を細める

《北斗》

 思念を介して伝わってきたその声の主の名を呼んだ霞は、一人白い雲の中に通った回廊を流れるような足運びで進む

《〝斥候(スカウト)〟が急かしてきているんだが、そちらの状況はどうだ?》

《覇国神の眷族ですか……戦争の神は性急なのですね。――彼らは今日到着したばかりなのです。もうしばらく待っていただいてください。くれぐれも勝手な行動はしないように、と》

 思念の中で伝えられる状況に、その整った美貌にわずかな不機嫌さをにじませた霞は、丁寧に言葉を選んで伝言を任せる


 斥候(スカウト)は円卓の神座№9「覇国神・ウォー」の眷属(ユニット)の一種で、闇の全霊命(ファースト)「死神」のように、全霊命(ファースト)にその力を知覚されない特性を有している

 先日の地獄界における戦いにおいて悪魔神魔の存在の危険性を放置できないと判断した十世界は行動を開始することを決定した


 この世界における唯一無二の絶対的な敵であるはずの反逆神までもが動く今回の一件においてその先端を切ったのが他ならぬ覇国神

 一刻も早くこの世界に攻め入り、危険因子を排除しようとしているという報告を受けた霞は、それを諌めることを頼んで、自ら――十世界天上界総督として、その真偽を確かめる意思を託す


 神魔が本当に世界の歪みの元凶であるのならば、その焦燥も一定の理解を示すことが出来る。とはいえ、知覚ができない斥候(スカウト)や神位第五位以上の力を持つ異端神、神位第六位以上の力を持つ神片(フラグメント)に攻め込まれれば、この世界がただでは済まないことは明白だった


《この世界を神の戦場にされてはたまりません。可能ならば、こちらで対処する旨を姫にも伝えるように頼んでください》

《分かった》

 世界のことも大切だが、霞にとってはこの天上界も比肩しがたいほどに大切なもの。可能ならば、この世界に破壊や争いを持ち込まれることは避けたかった

 その意思を託し、思念に繋がっていた北斗の天力が途切れたのを感じ取った霞は、自身の進む先にある城雲の大地に立つ最も大きく、最も美しく、最も荘厳な神殿――天上界王城本殿を見据えて表情を凛と引き締める

(何人もあの子を傷つけることは許しません。何があろうと、あの子とあの子が愛するこの世界を守ってみせましょう)

 天上界王城本殿の扉が自身の存在を感知し、無数の空間を内包する小さな世界とかした城内へと続く道を開くのを見据えながら、霞は己の意志を確認するように心の中で言い聞かせる


 そんな霞が思いを馳せるのは、この城の中にある玉座の間――澄んだ透明な水と、光を灯す蓮花に満たされた世界の主。

 この世にあるだけで禁忌であり許されざる罪であり、あってはならない世界の異常そのものである自らの存在に苦しむ優しすぎるほどに健気で、憐れな翠金の髪の天上人――天上界王灯の姿だった


(私は、あの子を幸せにするために十世界に入ったのですから……!)


 自分自身の願いう誓いを新たに、天上秋王城の中へと足を踏み入れた霞は、十世界に入ってまで守りたいと思った大切な人を思い描きながら、目的の場所へと通じる時空の門を開くのだった





 天上界王城の中を知る者にとって、それぞれの領域を繋ぐ門を使わずに城内の環境空間を移動することは容易なこと。

 その力と知識を以って、天上界王城の中を移動した霞が扉を繋いだのは、層のように積み上がった大地と都市が広がっている空間領域だった


「――!?」

「霞様!」

 門を開いてその空間に足を踏み入れると、そこにいた二人の天上人――出雲と真響(まゆら)が霞の存在を知覚して、驚愕を露にする

「少し、お邪魔させていただきますね」

「はい」

 天上界王灯の相談役を務め、この世界においても限りなく頂点に近い立場を持っている霞がそう言えば、それを一介の天上人が拒否することなどない

 それが誰の目から見ても明らかに異様ならばまだしも、この空間には光魔神とその同行者たちが滞在している。ならば、霞がここに来た理由もおそらくはそれに関することであることは想像がつき、出雲と真響(まゆら)がそれを拒否する理由などあるはずがなかった

「でも、光魔神様は今灯様とお話中よね? ってことは、別の誰かってことになるんだろうけど……」

「そんなこと詮索しても意味ないだろ?」

 声をかけ、光魔神の同行者たちが滞在している旧天上界人が作った庁舎の中へ入っていく霞の後ろ姿を見送りながら疑問を口にする真響(まゆら)に、出雲は肩を竦めて応じる

 自身の来訪になんの疑問も抱いていない二人を背中に感じながら庁舎の中に足を踏み入れた霞は、その知覚を頼りに目的の人物達がいるであろう場所へ向かっていく


 今、光魔神(大貴)とマリアはいないが、天界の姫(リリーナ)や天界の使者ノエルなどはここに残っている。変に警戒をさせる必要もない霞は、ここにいる誰もが自分の存在を見逃さないようにゆっくりとした速度で目的の場所へと進んでいく

 ゆっくりとしたとはいっても、全霊命(ファースト)のそれは常人からすれば知覚すらできないもの。光や空間を置き去りにするような歩調で進んだ霞は、天上界王人が建てた庁舎――その上階に移動した霞は、目的の人物()がいる


「失礼します。少々お話よろしいでしょうか?」

 軽く扉をノックし、すでに自分が来たことに気付いているであろう目的の人物達に、改めて来訪の目的を告げた霞がしばらく待っていると、さほど経たずに眼前の扉が開く

 そこから顔を出したのは、黒髪の悪魔「神魔」。そしてその背後――室内には、伴侶である桜がいることを霞は知覚で把握している

「何でしょう?」

「中に入れていただいてもよろしいでしょうか?」

 花のような微笑みを傾けて敵意がないことを示すと、怪訝そうな顔を浮かべていた神魔は室内へと霞を招き入れる

「……どうぞ」

「失礼いたします」

 一言断って室内へと入った霞は、室内で淑やかに佇んでいた桜の一礼によって出迎えられると、一礼を返して応じる

 そのまま膝を折って正座した霞に、桜と並んで腰を下ろした神魔が声をかける

「それで、どういったご用件でしょうか?」

 突然自分が訊ねてきたことを訝しんでいるらしい神魔の問いかけを受けた霞は、一度目を伏せるとゆっくりと視線を向ける

「実は、あなた方に確かめさせていただきたいことがありまして」

「確かめたいこと、ですか?」

 その言葉に怪訝に一度視線を交錯させた神魔と桜の反応を見届けた霞は、一度しっかりと間をとって真剣な眼差しを向ける


「率直にお尋ねします。あなたが、世界を歪める存在だというのは事実なのですか?」


「――!」

 霞の口から告げられたその疑問に一度小さく目を瞠った神魔と桜だったが、自分達へと注がれるその真剣な眼差しに困ったように目を伏せる

「どうしてそのことを?」

「そういう情報が先日、九世界王会議の場にもたらされたのです。私はその席におりませんでしたが、これでも天上界王相談役を預かっている身。そのような話も灯様からうかがっております」

 その言葉の通り、何の前置きもなく本題を切り出した霞の言葉を受けた神魔は、困ったように視線を彷徨わせると、観念したように口を開く

「正直実感や自覚があるわけではありません。ただ、そのことを知っているという人たちは一様に僕のことを指してそう言いました」

 世界の歪みの元凶がこの世界にあることは、妖界で堕天使達に聞いた時から知っていたが、それ――「全てを滅ぼすもの」が自分のことを指していると知ったのはそれよりも後の事だ

 とはいえ、そうは言われていても神魔にその自覚はない。少なくとも、自分の意志で世界に害を及ぼそうと思ったことは一度もないといえる


「ただ、僕に何らかの通常とは違う力が宿っているのは間違いないと思います」

 しかし、それを否定しきることのできない事実に思い当たる節がある神魔は、表情を曇らせながら霞の問いかけに答える


 世界がそのように動いているというのは神魔も桜も想像していたことだった。


 先日の地獄界で霊雷(れらい)と戦った際、通常の力では破ることのできないはずの神器の力を一介の全霊命(ファースト)でしかない自分が、ただの魔力によって圧倒した

 その事実は神魔も強く自身に焼き付けており、それがいかに異常なことであるのかを理解している。地獄界からどの程度その情報がこの天上界に伝わっているかは分からがないが、それを素直に告げてしまえば自分が危険な存在だと認識されてしまう可能性が高いため、あえてそれは黙っていたが。


「そうですか。……知っている人、と言いますと?」

「死んだ――いいえ、僕が殺した父などです」

 ある意味で自分達よりも早く世界の歪みに関する情報を手に入れていた人物に関心を示した霞の問いかけに、神魔は正確に答える

「それは、あなたの父君があなたに関して何か思うところがあった故に知りえたのか、あるいは誰かから聞くなど何らかの手段で知りえたのでしょうか?」

「それは分かりません」

 思案を巡らせる霞の独白を受けた神魔は、先日の戦いの際には気にも留めなかった事実を指摘されて、顔を伏せる

(そういえば、父さんは何で僕が〝全てを滅ぼすもの〟だって知ってたんだろ?)


 先日聖人界において実父「死紅魔(シグマ)」は、神魔を「全てを滅ぼすもの」と確信し、世界をその存在による滅びから守ろうとして戦った

 だが、死紅魔(シグマ)がどうやって神魔が〝全てを滅ぼすもの〟であることを知ったのかは不明だ。今となっては知る由もないが


(桜が言うには撫子さんも知ってた。ってことは、ロードさんも知ってるってことになる。――それはつまり……)

 一方で、霞の言葉によって思考に新たな指向を得た神魔は、そもそも「全てを滅ぼすもの」そのものの知識の出所がどこなのかということに意識を傾ける


 先日、左手の薬指に質素な銀の指輪――「アンシェルギア」という名の神器を得た桜の話では、思念通話を介して語りかけてきた撫子がその単語を口にしていたらしい

 そして、撫子が知っているということはその伴侶()であるロードも同様に知っていると考えて間違いはない。――否、むしろ二人を知る神魔からすれば、ロードが知っているから、撫子も知っているという印象の方が強かった


 その一方で堕天使界のように、世界の歪みについては知っていても、それを神魔と結びつけることができない者がいる

 全てを滅ぼすものについて知っている者と知らない者。死紅魔()とロード、撫子――それらの違いは何なのか、神魔の中で記憶と知識が絡み合ってその真実への道筋を探る


《〝神〟に気を付けろ》


「――!」

 瞬間、その脳裏によぎったのは、今わの際に死紅魔(シグマ)が発した最期の言葉。そして、自分達が行く先々に現れた神庭騎士(ガーデンナイト)。そして先日の地獄界では神片(フラグメント)さえもが現れた

 円卓の神座の一柱である護法神が創造神の神臣(ヴァザルース)であるのは九世界周知の事実。それが死紅魔(シグマ)が遺した最期の言葉と一つになって、一つの形を描いていく


(まさか……)


「……神」

「――!」

 自身の思考が導き出した一つの形を思わず呟いた神魔の言葉に、桜はその淑やかな表情を崩さないまま意識を向け、霞はその形の良い眉を一瞬だけ反応させる

(やはり、そういうことなのですか)

 一瞬だけ浮かべた動揺を即座に打ち消し、即座に平静な表情を取り繕った霞は、その心の中で自身が知りえた情報をすり合わせていく

(もし、全てが神の謀りごとだったとすれば――)

「霞様」

 その結論に思い至り、それと同時に胸中に湧きあがってくる強い衝動を感じていた霞は、不意に自分を呼ぶ桜の声で我に返る

「はい」

「そのお話とは全く関係がないことなのですが、わたくしも一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 その声に顔を上げた霞をまっすぐ見据える桜は、たおやかな声音で語りかける

「どうぞ」

 その言葉に霞が応じると、まるで風に揺れるように名前と同じその癖のない艶やかなその髪を揺らした桜がおもむろに口を開く


「〝アンシェル〟という言葉に聞き覚えはございますか?」


「――アンシェル? 名前でしょうか?」

 なにか、一瞬の逡巡を見せた桜が意を決して告げた疑問を受けた霞は、自身が持つ記憶と知識の全てをもってそれに応じる

「いいえ。人――おそらく、何か特定の条件を持つ者を指す言葉だと思うのですが」

「――申し訳ありませんが、思い至ることはありません」

 人名という可能性を排して求められる桜からの問いかけに、ならばと霞は端的に答える

「そうですか」

「それがどうしたのです?」

 その答えを聞くと同時に平静を装いながらも、明らかに声音に落胆の色が混じった桜に、霞は違和感を覚えて訊ねる

「分かりません。そういった言葉を耳に挟んだだけですので」

「詳しく話していただければ、他の者にも聞きますが?」

 今回自分が訊ねた要件には関係がないと言っていたが、それは別としてもその話が気にかかった霞は申し訳なさそうに苦笑した桜に真摯に問いかける

 二人の許を訪ねてきたのには自分なりの理由があるが、霞は元来面倒見のよい性格をしており、桜の役に立ちたいという気持ちには嘘偽りはない

「――いいえ。そのお心遣いには感謝申し上げますが、今はそれよりもお心を砕かれるべきことがおありになるはず。あまり根拠のない言葉で天上界の皆様のお手を煩わせるわけにはいきませんので」

「そうですか」

 その提案に一瞬沈黙して思案を巡らせた桜だったが、やがて謹みながらその申し出を遠慮する旨を告げると、霞はそれ以上なにも言わずに受け入れる

 確かに今は、桜の言うように解決しなければならない命題が山積している。世界の歪みを正し、あるべき姿へと正す――あるいは、世界の滅びを止めることを最優先にしなければならないのは必然だった


《それが、〝アンシェルギア〟の力の使用方法です》


 そんな霞の姿を見据えて神魔と視線を交わした桜は、自身の左で薬指に嵌められた銀の指輪へと視線を落とし、その脳裏に天上界(この世界)に来る前――地獄界で受けた姉、撫子からの思念通話の内容を思い返していた


 地獄界で手に入れた神器「アンシェルギア」は、一度は絶たれた神魔との神能()の共鳴を再度可能にしてくれた

 だが、戦いが終わってから再び届けられた撫子からの思念通話によって、その真の力――正しい使い方を桜は知ったのだ


《ですが、その力は決してみだりに使ってはなりません。それは、あなたはもちろん、神魔さんにとっても諸刃の剣となります。

 使うべき時を選び、そしてできる限り周囲の人に知られないようにしなさい。それは、あなたが行動を共にしている光魔神様達であっても例外ではありません》

 アンシェルギアの使い方と力を告げた撫子は、同時にその力を隠すようにと告げた。それ以来思念通話が届かなくなってしまったこともあってその真意などを知るには至っていないが、敬愛する実姉の言葉にみだりに反抗するのは桜の性格上ありえないことだった

 桜にとって最も大切なのは神魔。そして神魔に不利益が生じるならば、大貴達や世界に情報を隠すのも、撫子の真意を見極めるまでその言葉に従うことなど桜にとっては当然のことだった


(お姉さんが仰った「アンシェル」という言葉の意味が分かれば、お姉さんの真意にも近づけるかと思ったのですが……仕方がありませんね)

 内心では肩を落としながらも、それを表に出さずに桜が視線を向けると、その真意を見抜いている神魔が同意を示すように一度瞬きをしてみせる

(――さて、こうしてお話を聞いては見ましたが、やはり真偽は分かりませんね。時間的な猶予を鑑みて、どの程度情報収集に当たることができるのかを見極めることが肝要といったところでしょうか)

 一方で神魔と桜の話を聞いた霞も、自身の中でこの対話で得ることができた情報を処理していた

 神魔が嘘をついているようには思えないが、かといってその存在が世界の歪みの根幹ではないことを否定する根拠もまた得られない。本人の自覚や意志が全く関与していないのでは判別の術などないといってもいいのだから仕方がない

(そうなれば、やはり最も有力な手段は――)

 疑念や懸念はあるが、決定的証拠もなく手をこまねくしかない現状を打破する最も有力な方法へと、霞が思考を巡らせた瞬間、天上界が張りつめるような気配に呑み込まれる


「――!」


 咄嗟に跳ねるように顔を上げた神魔と桜、霞は、城の外に起きた異変を伝えてくる知覚に表情を険しいものへと変え、同じ方向へと射抜くように視線を向ける

「これは……」

 そして天上界に起きたこの異変は、神魔と桜ばかりではなく天上界王灯と話していた大貴とマリア、そして同じ庁舎にいるクロス、瑞希、リリーナ、ノエル。さらには天上界王城にいる全ての天上人達の知るところとなる


「空間の門が開いた!? しかも、この神能()は――」


 天上界王城にいる全てのものが知覚したのは、何者かによって世界を隔てる空間を繋ぐ扉が作り出され、それがこの城の間近に出現したということ。

 そして、そこから現れた者達の神能(ゴットクロア)から、それが一体どんな全霊命(ファースト)なのか。そしてそれが〝誰なのか〟が天上界にいる全ての者に知らしめられる


「光魔力? ――〝堕天使〟か」


 突然の来訪者を知覚し、眉根を寄せて怪訝な表情を浮かべているのはもちろんのことだが、それ以上に険しい表情を浮かべている大貴を遠巻きに見据えた灯は、軽く空を仰いで言の葉を紡ぐ

「はい。この強大な力は――ロギア様です」

「――っ!」

 灯の口から告げられた来訪者の名――今天上界に現れた堕天使達の中でも一際大きく桁外れに強大な神格を持つ存在を指摘されて目を瞠る

 話には聞いていた堕天使の王。天使の原在(アンセスター)「十聖天」の長にして、かつて天界王を務めた最強の天使であった堕天使の来訪を知った瞬間、大貴は弾かれたように行動を開始する


「お待ちを」


 しかしその瞬間、灯が発した抑制のきいた声に大貴は足を止める

 その様子に不安げな表情を浮かべるマリアの視線を受けながら、灯は背を向けたまま立ち止まっている大貴に向けて言葉を紡いでいく

「行かれるのですか? あなたは理解しておられるはずです。ロギア様がいらしたということが、何を意味する(・・・・・・)ことであるのかを」

 堕天使王ロギアは、先の九世界王会議に使いを出して世界の歪みの元凶――「全てを滅ぼすもの(神魔)」に関する情報を提供した人物

 そのことを考えれば堕天使王ロギアがこの世界にやってきた理由、その目的は明白だった

「……黙って、あいつを差し出せっていうのか?」

「これは、世界を憂うロギア様の意志――いいえ、覚悟でしょう。それを阻むあなたは、何を以ってあのお方に相対するのですか?」

 この世界にある「歪み」を正すことは、世界全ての利益から考えれば間違っていない。もし、本当に神魔が世界の歪みの元凶であるのなら、それを正そうとするロギアには一定の正当性を見出すことができる



 背中越しに投げかけられた言葉を受け止めて咀嚼した大貴は、これまで自分が見てきたこと、感じてきたこと、そして自分の意思と照らし合わせて答えを導き出す



「俺は、あいつを諦めるつもりはない」


 今、大貴が告げることのできる言葉はそれだけ。何が正しくて何が間違っているのかではなく、守りたいものと失いたくないものがなんなのかということだ

「生憎、そんな簡単に切って捨てられるほど、易い関係を培ってはこなかったんだ」

「――……」

 左右非対称色の黒白の翼を羽ばたかせて玉座の間を後にした大貴を見送った灯は、純白の四枚翼を広げたマリアが腰を上げるのを知覚の端で捉えて視線を向ける

「あなたも行かれるのですか?」

「――はい。あなたはいかれないのですか?」

 ロギアがここを訪ねてきた理由を先程のやり取りでおおよそ理解していたマリアは、先程まで雑談をしていた姿勢のままそこに座している灯に問いかける


 確かに、ロギアの行動は世界を救うという大義を持っているのかもしれない。だが、許可なく他の世界へと侵入するのは、世界に敷かれた法に反することになる

 この天上界を司る王として、ただ事態を静観しているだけなのかと問いかけられた灯は、目を伏せて静かな声で応じる


「――私は天上界王ですから」

 その言葉に深々と一礼したマリアは、純白の四枚翼を広げて空へと舞い上がると、先行した大貴を追って玉座の間を後にする

 先程までいた大貴とマリアが去り、静寂に満たされた室内に残された灯は、ゆっくりと立ち上がると、四阿の端まで移動し、透明な泉に鏡のように自分の姿を映す


 そこに映るのは、「最も忌まわしきもの」。この世にあっては許されない存在である自分の姿


「――……」

 湖面に映る自分の姿を見据える灯は、ただそうしながら目を伏せる

 それはまるで、自分の中の気持ちに向き合って語り合おうとしているようでもあり、自分という禁忌の存在を介して、己と全く同じ神格を持っていた母に自分の進むべき道を問いかけようとしているようでもあった





 灯との対話を打ち切り、天上界王城の外へ出た大貴の視界に真っ先に飛び込んできたのは、天空を埋め尽くさんばかりの黒い翼を持つ天使――堕天使達の姿だった

 天上界王城の領域である白雲の大地の中には立ち入らないように計らいながら、その周囲を取り囲むようにしている堕天使達の姿は圧巻であり、その神能()である闇に染まった光の力がまるでこの世界を黒く染め上げようとしているかのような圧迫感さえ感じられる


 堕天使達に包囲された天上界王城には、すでにこの異変を知ったと同時に城内にいた天上人達の大半が姿を見せており、その戦闘では邑岐(おうぎ)が大貴達に背を向けて仁王立ちしている


「あれが、堕天使王ロギア……!」


 そして、大貴の意識が真っ先に捕らえたのは、天を埋め尽くす堕天使達の一段の中で最も強大な神能()を持った存在

 天上界王城の正面に当たる空に佇み、明らかに周囲の堕天使達を従えているといった様子を見せる男。その周囲には少し距離を置いて思わず息を呑むほどに強力な力を持った堕天使達が控えているが、その男の存在感と力の大きさはまさに別格だった


 腰の中ほどまで届くほど長い黒髪は、まるで闇が凝縮されたかのよう。その側頭部からは白い角が生えており、その端正な面差しに凶相を付与している

 外見こそ二十代半ば程の青年だが、世界創世の時代から生き続けているロギアからは、その存在に刻み付けた年月を感じさせる存在感と威厳が溢れだしているように思える


 かつては純白だったのであろう堕天使の証である漆黒の翼には、まるで白骨で形作られたかのような白い甲鎧

 白いファーの付いた長いコートを思わせるそれに、肩や腕、足には鎧を纏ったその姿は、見るものに畏怖を抱かせる黒めいた尊い姿は、まさに天を暗くする星が降臨したようだった


「光魔神か」

 かつて最も強く高貴だった天使が闇色に染まった姿に目を奪われていた大貴は、その金色の眼差しを向けられて意識を奮い立たせる

「あぁ」

 おそらく自分の事も九世界の思惑も知っているのだということを想像させる態度を見せるロギアの抑制のきいた声に、大貴は左右非対称色の瞳を抱く目を険しくし、警戒心を高める

 どこか心地よく響きながらも、その中に勇壮な力強さを感じさせるロギアの声音は聞いているだけで畏れを抱かせる王のそれだった

「私がこの世界に来た理由は分かるか?」

「――あぁ」

 金色の視線を細めて問いかけてきたロギアに、大貴は息を呑んで応じる


 ロギアの目的は神魔――世界の歪みの元凶である〝全てを滅ぼすもの〟だ。その声音と態度からは、たとえ堕天使になろうとも、九世界の王ではなくなろうとも、この世界を憂い、守り、存続させて繁栄させていこうという強い意志が感じられる

 その姿は、独善的でありながら決して傲慢ではなく、九世界において調停者と管理者を司っている天使の王だった男に相応しいものであるようにも思えた


 そうして視線を交わしていると、天上界王城の中からその標的である神魔と桜、瑞希、クロス、リリーナ、ノエルまでもが出雲と真響(まゆら)を伴って姿を現す


「ロギア様……」

 十聖天の長であった堕天使の王を見据え、息を呑む天使達とその中にいる最も忌まわしきもの(神魔)へと視線を向けたロギアに、大貴は意を決して声をかける

「その結論を下すのは早いんじゃないか? 殺したからって世界の歪みがなくなる保証もないんだろ?」


 その神能(光魔力)を見たところ軍勢を率いて現れてはいても、ロギアは力ずくで事を成す気はないように思える

 殺すことよりも、殺して手遅れになる可能性を提示することで、早急で短絡的な事態の収束を避けようとする大貴の提案に、ロギアは口端を吊り上げる


「いえ、それは違います」

 しかしその言葉に答えたのは、ロギアではなく、澄んだ女性の声だった

「――!」

「神魔様?」

 その声が響くと同時に息を呑んだ神魔の様子に、その傍らに淑やかに咲いていた桜が怪訝な眼差しを向ける

「この声、この力、まさか……」

 しかし、そんな伴侶からの視線に気づいた様子もない神魔が視線を注ぐ中、ロギアの周囲を囲む堕天使達の軍勢が割れ、そこから一人の女性が姿を見せる


 腰の辺りで一つに束ねられた艶やかな黒髪。その身を包む霊衣は、着物を洋服のように仕立てたものであり、そこから除く細い脚は漆黒のタイツのような布で覆われている

 全霊命(ファースト)特有の整った顔立ちに浮かぶのは、清楚で優しいながらその中にそこはかとない色香を宿した面差しだった


「――悪魔?」

 堕天使の中から現れた悪魔の女性に怪訝に眉を顰める大貴達一同の中、ただ一人その姿を見てそれが誰なのかを確信した神魔が驚愕を露にする

 存在を知覚されないよう、この時を見計らって世界を移動してきたその悪魔の女性は、一瞥を向けてきた堕天使王(ロギア)の視線に応えることなく、一番先頭まで空を歩いて進み出る

「〝その子を滅ぼしても世界が救えるか分からないのではない〟のですよ光魔神さん。――その子は、この世界のために死なねばならない(・・・・・・・・)のです」

 堕天使達の先頭へと歩み出た悪魔の女性は、その美貌に浮かべた微笑を崩さないまま、先程の大貴の問いかけに対する言葉を紡ぐ

「――!」

「お初にお目にかかります。私の名は、『深雪』――」

 自分の言葉に大貴が顔をしかめ、それを否定する感情を見せたのを見た、黒髪の女悪魔――「深雪」は、恭しく一礼して名乗ると、共にその視線をゆっくりと神魔へと向けて、可憐な唇を開いて言葉を紡ぐ



「その子の……神魔の母親です」






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