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魔界闘神伝  作者: 和和和和
天上界編
261/305

雲外






 幼い頃の記憶は幸せで満たされている。


 世界のほんの片隅――赤い花が咲き誇る世界の狭間の片隅で、誰にも知られることなく家族だけで暮らしていたあの時が永遠だったならと、今も思わずにはいられない


 一緒にいるのは双子の弟。額から一本の角を生やした赤髪赤目の〝鬼〟。そして、そんな弟と同じく

一本角に赤髪赤目の姿をした父と、頭上に光輪を浮かべて微笑む母。


《灯》


 最愛の両親と弟と共に暮らしていた灯は、翠金色の髪を翻して明るく――今のそれとは違う心からの幸せで満面の笑みを浮かべていた

 時折、父である火暗(かぐら)が席を外し、鬼力によって開いた時空の門を使って別の世界へと行ってしまうのだが、それは地獄界に自分達とは別の家族がいるからなのだとも聞いていた


 天上人である母と鬼である父との馴れ初めは簡単にではあるが、灯も聞いている。かつて熾烈を極めた光の全霊命(ファースト)と闇の全霊命(ファースト)による世界戦争――「聖魔戦争」の際に敵として知り合い、大戦を鎮静化させるために共に協力するうちに互いの心の愛情が芽生えた

 しかし、光と闇の全霊命(ファースト)の間に愛情が生まれることは世界の理としてあり得ることではなく、許されることではない。

 だが、二人の間に生まれた愛情はそれを割り切らせることはなかった。すべてが終わり、離れようとした二人は離れることができず、その想いのままに身体を重ね――そして、灯と示門を生んだ


 二つの命が自身の中に宿っていると知った時、綺沙羅はその信じ難い事実に驚愕を禁じ得なかった。これまで光と闇の全霊命(ファースト)の間に愛情が芽生えることはあっても、新しい命が宿ったことなどなかったからだ

 有史以来初めて生まれた光と闇の全霊命(ファースト)の子供。――世界の理の禁忌を犯して生まれた子供。両親と全く同じ神格を持って誕生した、新しい綺沙羅と火暗(・・・・・・)――それが、灯と示門だった


 だが、そんな子供達に両親は惜しみない愛情を注ぎ、そしてそれを受けた子供達もそんな想いに答えるように、まっすぐに育っていた



 だが、そんな安らかな日は、ある日突然終わりを告げることになる



 昨日まで――つい先程まで美しい光景が広がっていた狭間の世界は吹き荒れる強大な力によって軋み、一帯を満たす神能(ゴットクロア)に込められた純然たる滅意によって破壊と崩壊を続けていた


「――お父様」


 その崩壊する世界の惨状を目にしながら呟いた灯の双眸に映るのは、全身から血炎を立ち昇らせながら倒れ伏す父火暗(かぐら)と、その前に立つ緋色の髪と瞳に一本角を持った桁外れの神格を持つ鬼だった

 炎を思わせる刃を持つ大槍刀と手に火暗(かぐら)を睥睨する赤鬼の神格は、母である綺沙羅と同等――それを知覚する灯は、生まれた時から持っている知識によって、その鬼が「六道」と呼ばれる鬼の原在(アンセスター)の一角をなす「(イクサ)」だと理解する


 深手を負って倒れている火暗(かぐら)を睥睨する赤の六道たる戦鬼(ぜんき)――(イクサ)が目を伏せて軽く半身をずらすと、その背後から美しい赤髪をなびかせた二本角の女鬼が姿を見せる

緋毬(ひまり)……っ」

 (イクサ)の背後から現れたその護鬼(ごき)の姿を見止めた火暗(かぐら)は、驚愕に目を瞠って沈痛な面持ちで自分を見つめているその女性の名を呼ぶ

「ごめんなさい。あなた……」

 血炎を立ち昇らせる火暗(かぐら)に謝罪の言葉を告げた二本角の赤鬼「緋毬(ひまり)」は、その視線を灯や綺沙羅へと向けると、意を決して言い放つ

「でも分かって! 彼らと一緒にいても、あなたは幸せになれないの」

 手を握り締め、眉根を寄せた悲痛な表情で言う緋毬(ひまり)は、自分が火暗(かぐら)にとってどれほどひどいことを言っているのか自覚した上で、それでもその言葉を告げずにはいられないといった様子で声を発する


 九世界では愛し合っていさえいれば何人でも伴侶を持てる多夫多妻制が主流であるため、緋毬(ひまり)も、例え夫が別の女を連れてきても二人の間に確かな愛情があるのならば受け入れる心づもりでいた

 だが、それも相手によるというもの。それが鬼ならばまだしも、光の全霊命(ファースト)である天上人となれば、それは世界の禁を犯す行為。

 いくら火暗(かぐら)自身がそれを望んでいるのだとしても、世界の理を犯して火暗(かぐら)が滅ぼされるなど、妻として――愛する女として看過することはできなかった


「お母様……」

 火暗(かぐら)緋毬(ひまり)のそのやり取りを聞いていた灯は、その女性こそが父のもう一人の妻であることを感じ取って、救いを求めるように母――綺沙羅へと視線を向ける

 しかし、その視線の先にいる母、綺沙羅はこの場に来ている七人の中で、特に強い鬼力を持つ一本角の黒髪黒眼の鬼に太刀の切っ先を向けられる形で牽制され、動くことができずにいた

「黒曜……」

「お前ほどの聡明な女が随分道を踏み外したものだ」

 その武器である太刀を向けている地獄界王黒曜の憐れみさえ込められた言葉に、綺沙羅は数メートルの間合いを保ったまま強い眼差しを返す

「訂正してください」

「お前に今の状態がどういうことかわからないわけはないだろう? あれら(・・・)は諦めろ。このことは我らの胸にだけしまっておく」

 強い憤りをはらんだ綺沙羅の抑制された声と、それと同時に放たれた天力にも一切動じることなくため息をついた黒曜は、そう言ってその視線を示門と灯へ向ける


 黒曜の言葉がどれほど温情溢れるものであるのか分からないほど綺沙羅も我を失っていない。


 世界の理として許されることのない光と闇の全霊命(ファースト)の愛情。それだけでも本来ならば滅殺されていて然るべきだというのに、二人の間には示門と灯――両親と全く同じ神格を持った異なる人格を持つ子供が生まれている

 のちに「最も忌まわしきもの」と呼ばれることになる双子の姉弟。その存在は、この世界に於いてかつてないほどの禁忌であり、異常だった


 それでも黒曜は、綺沙羅と火暗(かぐら)を生かそうとしていた。この場で殺すのではなく、禍根を

断つことで二人の道を本来あるべきものへと戻すために、〝青〟を除く五人の六道を率いてこの地にやって来たのだ

 そこには、優秀な腹心を殺めることを惜しむ王としての慈悲だけではなく、何度も命をかけて戦い、その力と在り様を認めた天上界王への敬意があった


 仮にこの場を二人が逃げ切ることができたならば、黒曜は個人としてではなく王として、この事実を世界に知らしめなければならなくなる

 この世界を司る王の一翼を担う者として、一時の感情で世界に生じたかつてない異常を黙殺することなどできない。そうなれば、もはや世界はこの家族に容赦しない。今この時以上の戦力が綺沙羅と火暗(かぐら)、そして子供達を滅ぼさんと襲い掛かること明白。――つまり、光も闇も含めた全ての世界が敵に回ることになる


「お断りします」

 しかし、そんな黒曜の言葉を理解した上で、綺沙羅は凛とした声音でその提案を拒絶すると、柔らかな眼差しで火暗(かぐら)と二人の子供達を見てから視線を戻す


「私は、あの人と子供たちと一緒に生きると決めたのです」


「愚かな」

 その言葉と共に清廉な天力を解放した綺沙羅に、黒曜は失望したように目を細める

 天上人と鬼――それぞれの最強の原在(アンセスター)が一触即発の雰囲気を発した瞬間、それとは別のところで紫の鬼力(・・・・)が昂る

「っ!」

 それが何を意味しているのかを理解した綺沙羅が目を瞠り、慌てて振り返ると、そこには撥を思わせる杖の切っ先を示門へと向けている紫の六道――〝桔梗〟の姿があった

 綺沙羅と黒曜の強さが互角でも、(イクサ)の前で膝をついている火暗(かぐら)と示門は六道に遠く及ばない。その気になればいつでも滅殺することが可能だ

「示門――っ」

 母として、愛する息子にその命を奪う意志が込められた力が向けられているのを見て動じた綺沙羅に、黒曜の純黒の鬼力の波動が叩き付けられ、その威力のままに最強の天上人を吹き飛ばす

 本来なら戦いにおいてそのようなことを好まない黒曜だが、今回のこれは戦いではなく刑の執行。その志がどこにあろうと、世界の理を犯したものを罰するべく、王として権威を振るう黒曜に今の綺沙羅と正面から刃を交える必要などない


「お母さま――ッ」


 綺沙羅が漆黒の破壊の力に呑み込まれ、そこに込められた純然たる殺意によって砕ける大地を削って吹き飛ばされるのを見た灯は、母の許へと駆け寄ろうとするが、そのこめかみには新緑の鬼力が宿った鏃が突きつけられていた

「動かないで」

 その言葉を違えれば、容赦なく全霊の滅意が宿った矢を放つであろう、緑の六道「静」の殺意と抑制のきいた声に、灯は思わず踏み出そうとしていた足を止めて肩越しに視線を向ける

 そこにいる鮮やかな緑色の髪と瞳を持つ二本角の鬼の美女は、その整った面差しにこの世に在ってはならない存在である自分をこの世界から排斥しようとする意志を宿して灯りを感情の抜け落ちた様な目で睥睨していた

「――っ」

(助けないと。私が……お父様を。お母さまを)

 その視線に思わず心が居竦んだ灯だったが、その知覚と視覚がもはや戦えないほどに傷ついている火暗()と、最強の鬼である黒曜に追い詰められている綺沙羅()、そしてなにかあれば即座に殺されてしまうであろう示門(双子の弟)の窮状を訴えてくると、灯の中に家族のために戦う意志が湧き上がってくる


「あああああああッ!」


「――!」

 そしてそれと同時、灯から解放された天力に、引きつがえた矢を向けていた静は息を呑み、天上界王を務めた最強の天上人である綺沙羅と全く同等の天力の奔流に忌避感と危機感の入り混じった視線を向ける

 最初に知覚していた時から分かっていた綺沙羅と全く同じ神格。その危険性を理解した上で、尚その許されざる存在に、静は眼光に冷酷な光を宿していた

「〝日輪天極(にちりんてんぎょく)〟!」

 しかし、灯は静を迎撃して滅ぼそうとはしていない。その天力を戦う形として顕現させた翡翠色の宝玉が嵌められた金色の柄を持つ両刃の剣を手に、一直線に示門の許へと向かっていく

 静を振り切り、その神格に比例した神速で全ての理を超越する灯が弟へと手を伸ばそうとした瞬間、横から割り込んできた黄色の鬼力がその身体を真横から打ち据える

「――!」

 神速で肉薄してきた黄色の六道たる刈那(カルナ)が放った斬撃は、その身に纏う薄桃色の羽衣によって遮られていた

多現顕在者(マルチレイザー)!)

 まるで自らの意志を持っているかのように動き、自身の斬撃を阻んだ灯の羽衣に、刈那(カルナ)は小さく目を瞠る


 多現顕在者(マルチレイザー)は、武器を自身の神能(ゴットクロア)を戦う形として顕現させる全霊命(ファースト)の中にあって、複数の形状として行使する者のこと。

 投擲系の武器などに多く見られる一つの武器を複製するのではなく、全く形の違う武器を顕現させる希少な戦闘スタイルを持った者達だ


 そして、その母である綺沙羅もそうであるように、それと全く同じ存在として生まれた灯も二つの武器を顕現させて戦う多現顕在者(マルチレイザー)だった

 一つは翡翠色の宝珠を持つ金色の柄の両刃剣「日輪天極」。そしてもう一つが霊衣としてその身に纏っている羽衣。常時顕現型としての特徴を持ち、持ち主の意志とは別に自動で身を守り、時には反撃にさえ転じることのできる力を持つ武器


「〝花霊輪牙(かりょうりんが)〟!」


 自身の魂そのものである常時顕現型の武器たる羽衣が閃き、原在(アンセスター)の斬撃さえ防いでみせた鉄壁の守りを持つ羽衣が、刃となって襲い掛かる

 灯の意志に答え、鞭のようにしなる薄桃色の羽衣を紙一重で回避した刈那(カルナ)は、一旦距離を取って翠金色の髪の天上人へ冷淡な眼差しを向ける

「……厄介な子ね」

 綺沙羅と全く同じ力を持っているということは、同じ原在(アンセスター)である刈那(カルナ)であっても油断のできない相手であるということ。

 加えて光の神能()は闇の神能()に対して強い優位性を誇っている。天上界王(綺沙羅)と同等の力となれば、その力がいかに危険なものなのかは想像に容易い

「けれど――」

 しかし刈那(カルナ)は、ある程度分かっていた灯の強さに全く動じた様子も見せずに、余裕さえ感じられる不敵な笑みを向ける

「っ!?」

 そしてそれに答えるように、天空から飛来した幾億本もの矢が束ねられた滅びの一撃に、灯は目を瞠って天力を注ぎ込んだ金柄の剣を振るって相殺する

 その極撃の先にる人物――弓矢を番えた緑髪緑目の鬼「静」が佇んでいるのを見て歯噛みした灯に、背後から刈那(カルナ)の声がかけられる

「いくら強くても、私達二人を同時に相手にすればどうかしら?」

「……っ」

 いかに灯が最強の天上人である綺沙羅と同等の力を有しているとはいえ、同じ原在(アンセスター)である六道を二人同時に相手にするのはかなり厳しい 

 それが分かっている灯は、唇を引き結んで前と後ろから自分を狙っている一本角の黄鬼と二本角の緑鬼へ意識を傾ける

「やめなさい、灯」

「お母様」

 しかし、そんな灯に母綺沙羅の澄んだ声が鋭く響く、昂ぶっていたその戦意を収めさせる

 そう言って声を発した綺沙羅には一切の戦意はなく、それを知覚した灯も純然たる戦意で染め上げていた力をゆっくりと沈めていく


 灯が戦う意志を喪失するのを見届けた綺沙羅は、抵抗する意思がないことを示すために、手にしていた自身の武器たる剣を手放してそれを天力へと還すと無防備な状態で黒曜に向かい合う


「降参します、黒曜。私はどうなってもいいですから、どうか火暗(かぐら)と子供達は助けてください」

 このまま戦っても、その気になれば鬼達が火暗(愛する人)示門(愛息)を滅ぼす方が早い。――分かってはいたことだが、やはりそれが覆られないことを痛感した綺沙羅は、降伏することで大切なものを失うことを拒絶する

 そんな姿を見据える黒曜がその目を鋭く細めて険な光を宿すと、綺沙羅はゆっくりと膝を折ってその体をゆっくりと下げていく

「……待て」

 そのままにしていては、額を地面に擦りつけるのではないかという態度を示す綺沙羅に、そんなことをされるわけにはいかない黒曜は、咄嗟に声を発してそれを制止する


 たとえ世界の禁を犯した罪人であろうと、黒曜にとって綺沙羅は王である以前に何度も刃を交わし、その魂と力を認めた人物。

 最大級の礼節と敬意をもって接するべき相手だ。そんな人物にこの場で地に額を付けさせるなど、黒曜の矜持に反することだった


「連れていけ。(イクサ)、念のためにそっちの二人はお前が監視しろ」

「はい」

 その身を翻して綺沙羅に背を向けた黒曜は、赤の六道である(イクサ)火暗(かぐら)と示門を任せる

 それは、綺沙羅と灯に対する無言の宣告。何か行動を起こすような素振りを見せればこの二人の命は保証しないという黒曜からの声なき言葉だった


 そして綺沙羅の許には紫の六道である桔梗が、灯は黄色の六道である刈那(カルナ)と緑の六道である静が歩み寄り、最強の天上人二人を同時に拘束する

 こうして捕らえられた四人の家族はそのまま地獄界へと連行され、地獄界王城の敷地の中に分けて幽閉されることとなった





「ごめんなさい。あなたには、とても辛い思いをさせてばかりで」


 地獄界に連行された綺沙羅と灯は、火暗(かぐら)、示門とは別に隔離され、地獄界王城の敷地の中にある屋敷の一つに幽閉されていた

 周囲には最低三人以上の六道が控えており、万が一二人が実力行使に出ても即座に対応できるようにしていたが、火暗(かぐら)と示門の命を握られている以上、二人――特に綺沙羅は反抗するような意志はなかった


「お母様……」

 母と身を寄り添わせ、その腕の温もりに身を任せる灯は、謝罪の言葉に胸を締め付けられるような思いを覚えていた

 先程自分達の許を訪れた黒曜は、二人の身柄を天上界に引き渡す旨を伝えてきた。天上界にその処遇を一任する判断を下した黒曜の最後の視線を思い返した綺沙羅は、もう二度と会えなくなるであろう娘を抱きしめてその温もりを確かめる


 黒曜は正しく、その行いは王としては問題になりかねないほど個人的な慈悲に溢れている。本来ならば自分と灯両方をその手で処断し、世界の憂いを取り除くのが王として正しい行いだ。それは、他のどんな世界であっても――立場が違っていたら綺沙羅でもそうしていたと言える

 それでも黒曜は、父子とは隔離しているが母娘を一緒に捕らえて別れの時間を与え、原在(アンセスター)を失った天上界に罪に塗れているとはいえ、最後の希望の処遇を委ねている


 それには感謝しかないが、それでも家族を引き裂き、命を殺めようとする彼に感謝の言葉を伝えることは今の綺沙羅にはできない。

 そして、天上界に引き渡されることが決まっている綺沙羅にできることは、この愛しい娘に――世界の理に翻弄された憐れな愛し子に自分の気持ちを嘘偽りなく告げることだった


「でも、お母さんは幸せですよ。あなたが生まれて来てくれて。あなたと一緒に暮らすことができて――それだけは忘れないで。自分のことを嫌いにならないで」

 灯を優しく抱きしめ、慈母の愛情を注ぐ綺沙羅は、自分が愛してやまない娘にその気持ちを伝える


 綺沙羅が愛したのが鬼でなければ、二人の間に生まれなければ、このようなことにはなっていないだろう

 だが、火暗(かぐら)を愛したことを後悔などしていない。そして、彼と愛し合ったからこそ、灯、そして示門というかけがえのない宝を授かることができた


 灯は、今後自らの出自に苦しむことになるだろう。もしかしたら、なぜ自分を生んだのかと両親を憎み、自分さえ生まれて来なければよかったと自分を疎ましく思うかもしれない

 子供達に恨まれることは構わない。それだけの苦しみを与えてしまうのだから。――だが、子供達には、少なくとも、今言葉をかけられる灯には、自分が〝あなたが生まれて来てくれてよかった〟と感謝していることを伝えたかった


「――?」

 抱きしめられた自分の身体に、何か温かなものが流れ込んでくるのを感じた灯は、腕の中でその原因であろう母を見上げる


「生きて。そして、幸せになって」


 そんな灯の視線をまっすぐに受け止めた綺沙羅は、その目元を綻ばせて深い慈愛と母性に満ちた微笑を向ける



「あなた達は、私の――私達の一番の宝物なのですから」


 そう言って強く灯の身体を抱きしめた綺沙羅は、まるで自分の心を受け渡そうとしているかのようだった



「お迎えに上がりました。綺沙羅様」


 そんな二人に天上界から迎えが来たのは、それから一日ほど経った頃だった

邑岐(おうぎ)

 地獄界王城の一角に捕らえられた全く同じ神格を持つ母娘に信じ難いものをみるように動揺する同伴者たちとは違い、まっすぐにその視線を向けながら厳格な面持ちを崩さない男に綺沙羅は微笑を向ける

「あなたが生きていてくださったことは素直に喜ばしく思います。このような形でなければ、尚よかったのですが」

「私が不在の間、天上界を守ってくれたそうですね。感謝に耐えません。もっとも、今の私にそのようなことを言う資格があるのかは分かりませんが」

 この世に在ってはならない存在である灯へと視線を落とした邑岐(おうぎ)が一瞬その瞳に宿した忌避の感情を見落とすことはなかった綺沙羅だが、それを咎めるようなことはなく自嘲めいた言葉で応じる


「――迷惑をかけましたね」


 天上界の王でありながら、闇の全霊命()と愛に落ち、生まれるはずのない命を産み落としたばかりか、苦しんでいることが分かっていながら、天上人(どうほう)天上界(世界)を放置して自分のためだけに生きてきた

 そんな自分には王としての資格はもうないと考える綺沙羅に、邑岐(おうぎ)は答えることなく眉間に皺を寄せた悲痛な面持ちで目を伏せ、ゆっくりと言葉を紡ぐ


「まいりましょう。王よ」

 ただ一言そう告げた邑岐(おうぎ)の言葉に目を伏せた綺沙羅は、ゆっくりと立ちあがり、灯の手を引いて開かれた扉へと進んでゆっくりと歩き出す


 ――それが、処刑台へ続く道と等しいものであることを理解しながら。





 死んだと思われていた天上界王の帰参。しかしそれは、天上界にとって、大きな混乱の要因となった

 久しぶりに天上界へと戻った王は、なぜか自身と全く同じ神格を持つ娘をつれており、しかもそれが鬼と愛し合った果てに生まれた、この世の理の上で生まれるはずのない存在だったのだからなおのことだ


 光と闇の全霊命(ファースト)の間に生まれた「最も忌まわしきもの」。その存在を秘匿しておくわけにはいかず、邑岐(おうぎ)も黒曜もその事実を世界へと公表した

 天上界へと戻った綺沙羅だったが、王の座に戻ることは拒否し、天上界王城の一角、龍を思わせる空中回廊で繋がった別の場所に、灯と共に半ば幽閉される形で日々を過ごしていた



「あなたのことに、民は大いに混乱しています」

「でしょうね」

 そんな綺沙羅の下に、天上界を預かる邑岐(おうぎ)が訪れたのは、この世界へ来てからわずか三日後の事だった


 闇の全霊命(ファースト)と愛し合うという禁忌を犯した王。しかも、その間にはなぜか子供が生まれていた

 味方によっては、最強の天上人が二人になったのだが、それを喜ぶことができる者は、常識的、摂理的に考えて存在しない。それは、九世界のどんな世界であっても変わらなかっただろう


「しかしながら、我らには(あなた)が必要です」


 本来ならば、両親もろとも殺すのが道理。だが、原在(アンセスター)全てを失った世界の悲惨さを目の当たりにした邑岐(おうぎ)は、折角生きて戻っていた最強の天上人を殺すつもりなどなかった

 おそらく、自分達がこう考え、こうするであろうことを分かった上で二人の身柄を引き渡した黒曜の思惑に従うことを忌々しく思いながらも、邑岐(おうぎ)は自身の武器である三又の刃を持つ龍爪槍の切っ先を灯へと向ける

「っ」

 自身へと向けられた槍の切っ先に息を呑んだ灯の肩に手を乗せた綺沙羅は、そんな思惑を持つ邑岐(おうぎ)に視線を向ける

「無駄ですよ。邑岐(おうぎ)。その子は、殺せません(・・・・・)

「――ッ! まさか、あなたはこの子に……」

 余裕さえ感じられるその穏やかな声音に、その意味を理解した邑岐(おうぎ)は、綺沙羅と全く同じ神格を持つ灯へ強い敵意と怒りが宿った視線を向ける


 邑岐(おうぎ)は、綺沙羅が宿している神器「廻魂舟(ラピアスティカ)」について知っている数少ない天上人の一人。

 この世に永遠に自分自身を転生させ続ける復活の神器が、全く同じ神格を持つがゆえに灯へと継承されていたことを理解した邑岐(おうぎ)は、禁忌の象徴のような子どもを殺せないことを正しく理解し、自身の内側から湧き上がる感情を押しとどめるように歯噛みする


「全ての罪は私が背負います」


「――綺沙羅様……っ」

 そんな怒りを見透かしたかのように荘厳な響きを持つ澄んだ声音で綺沙羅が告げると、邑岐(おうぎ)は王の意志に困惑を浮かべる


 邑岐(おうぎ)が欲したのは、綺沙羅の方。仮に廻魂舟(ラピアスティカ)が灯へと継承されていても、子供の方を説得してもう一度神器を移させればいいだけのことだ

 だが綺沙羅の言葉は、邑岐(おうぎ)がそう考えることを見透かした上で、それをさせないでほしいと望むものだった


邑岐(おうぎ)。あなたがまだ、私を王として仕えてくれるのなら、最後の命令を聞いてもらえませんか?」


「……」

 その言葉を受けた邑岐(おうぎ)は、胸を締め付けられるような思いに、唇を強く引き結ぶ


 真っ直ぐ自分を見据え、凛とした響きを帯びた声で厳かに語りかけてくる綺沙羅はこれまでとなんら変わっていない。これまで自分が仕え、何度も見てきた王としての綺沙羅の姿そのものだ

 しかし、だというのに、王として言葉を紡いでいるはずの綺沙羅が感じられない。そこにいるのは、王ではなく母となった綺沙羅であり、その言葉は世界を背負う王のものではなく、愛する家族を想う母のものとなり果てていたのだ


 無論それが悪いわけではない。だが、それを聞いた時に邑岐(おうぎ)は気づいてしまった――否、確信してしまった


 もう、この人は王には戻れないのだ、と。



「灯を守ってください。そして、殺すならば私を殺しなさい」


 全てを覚悟して紡がれる厳かな響きを帯びたその言葉は、天上界王綺沙羅としての命令ではなく、綺沙羅という一人の女として、母としての懇願だった

「――っ!」

「お母さま……」

 自らの命をかけた綺沙羅の言葉に、邑岐(おうぎ)は威圧されるような感覚を覚え、灯は母の死を予感して悲痛な声を零す

 頭と心では拒否しているというのに、その最期の願いを聞届けることを拒絶する言葉を口に出せずにいる邑岐(おうぎ)に逡巡を許さないかのように立ち上がった綺沙羅は、そのままゆっくりと歩を進める

「私の最期を、しっかりと飾ってください」

 視線を交錯させた綺沙羅の迷いのない澄んだ瞳に、邑岐(おうぎ)は強く歯を噛みしめると同時に拳を握り締める

 自分より背が低いため、立った状態で視線を交わして話せば自然と綺沙羅は見上げるような体勢になる。しかし、今そうして綺沙羅の心そのものと向き合った邑岐(おうぎ)は、まるで自分が綺沙羅に見下ろされているかのような圧迫感を覚えていた

「あ……」

 そのまま邑岐(おうぎ)の傍らをすり抜けた綺沙羅が屋敷の入口へ向かって歩き出すと、同道してきた護衛の天上人達は、その存在感に気圧されて互いに視線を見合わせる


「……霞を呼べ」


 自分達へ向かって真っすぐに視線を向けて歩いて来る綺沙羅を前に、どうするべきか、どうすればいいのかが分からずに困惑する同行の天上人達に、邑岐(おうぎ)が絞り出した苦悶の声が届く

「お、邑岐(おうぎ)様!?」


「それでよいのです。邑岐(おうぎ)


 同行してきた天上人達の反応に、自分の望む方向へ事態が転がったことを感じ取った綺沙羅は、静謐な感情を宿す面差しで答えると、慈愛に満ちた澄んだ瞳で灯を示す

「今の私にとって最も大切なものは家族です。もし、あなたが――あなた達があの子を切り捨てる道を選ぶというのならば、私はこの世界を守ろうと思うことはできないでしょう」


 綺沙羅と灯。二人は共に禁忌であり、常ならばその存在を滅されていなければならない。だが、天上界は自らの世界に力を取り戻すため、最強の天上人を欲している

 だが、もし灯を言いくるめ、神器を返させて綺沙羅を生かす道を選んだとしても、もはやこの世界のために生きることはしないという綺沙羅の言葉は、事実上の敵対宣言だった

 その真偽は確かではない。だが、決してただの偽りではないことは、その声、仕草、視線の全てに込められた綺沙羅の意志が証明していた


「お母様……」

「綺沙羅」

 背後から聞こえる縋る様な愛娘の声に慈愛に満ちた微笑を返した綺沙羅は、その姿を焼き付けるように瞼を閉じると、そのまま身を翻してゆっくりと部屋の外に出て行く



 その足で天上界王城の広場へと足を運んだ綺沙羅は、多くの天上人達が見守る中、邑岐(おうぎ)の刃によってその命を絶たれた

 抵抗することなく、力を抑えたまま自らの罪を雪ぐ様に刃を受け入れた綺沙羅は、その毅然とした表情を崩すことなく、光の粒子となって世界へと溶けていく



 そうして、天上界王綺沙羅はこの世から消えた






「――綺沙羅様は、王ではなく母として生きて死ぬ道を選ばれた」

 全てが終わった後、ただ一人残されることになった灯は、冷たさすら感じられる鉄意の視線で睥睨する邑岐(おうぎ)の言葉に唇を引き結ぶ

 椅子に座り、頭上から振ってくるその言葉に、重ねた両手を強く握りしめた灯は、今すぐ感情のままに暴れ出したい気持ちを抑え、最期の母の笑顔を願いを思い返し、噛みしめる


「あなたは、綺沙羅様から〝廻魂舟(ラピアスティカ)〟と〝輝煌天冠エイシャリート〟を継承しましたね?」

 確認の意味を込めているが、それを確信している邑岐(おうぎ)は、俯いたままで沈黙を守る灯に、重厚な声音で語りかける



「あなたが今日から新たな天上界王となるのです」






「――……」


 沈痛な面持ちを守ったまま閉じていた瞼を開き、その澄んだ双眸に空間を通じて映し出される城外――天上界の景色を映して、遠い日の記憶を思い返す

 胸に手を当て、自分の心の中にある永遠の道標――綺沙羅()へと想いを馳せる灯が、その胸中にどんな思いを抱いているのかを知る者は誰もいない






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