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魔界闘神伝  作者: 和和和和
天上界編
259/305

彼方の星を手繰るがごとく






 世界と世界の狭間に隔たる空間の中に泡沫のように生まれる仮初の世界。時空の狭間、狭間の世界と呼ばれるそこは、数多の世界の光景を映し、世界からすれば泡沫のような時間で生じては消える場所だ

 そして、そんな時空の狭間の一つ――一面を深い霧が覆う世界に、数えきれないほどの光が集っていた。全てを覆いつくす霧の中に瞬く光は、まるで地上に星空が下りてきたような神秘的な光景を作り出している 


 しかしその光に近づいていくとその輝きが何なのかを見ることができる


 そこにいるのは、背に純白の翼を備えた者達。その存在に宿った神聖な光を纏う彼らこそ、九世界の守護者とも呼ばれる「天使」達だった

 加えてよく目を凝らせば、そこにいるのは大半が天使だが、中にはその背に翅を持つ「精霊」、三メートル以上にもなる巨躯を持つ「聖人」、頭上に光の輪を持つ「天上人」と、光の全霊命(ファースト)達が集っているのが分かる


 そして、その中で一際強く煌いている光源にいるのは、腰まで届く金白色の髪を持つ八枚翼の天使の男だった

 周囲を包み込むようにして並んだ光の存在達の輪の中、手近な岩を椅子として腰かけた金髪八枚翼の天使は、ふとその重い口を開く


「――天上界王・(あかり)


 その口から紡がれたのは、この世に数えきれないほどに存在する世界、その中心となる「九世界」の一つ――天上界を総べる王の名だった

 そうして天上界の王の名を告げる男の前には、一人の人物が佇んでいる。霧深いためにその姿をはっきりと見ることはできないが、その頭上には光の輪が浮かんでいた

「天上人と鬼の間に生まれた許されざる存在。そんなものがこの世にあるだけでも許しがたいというのに、あまつさえ天上人の王など」

 そう言って言葉を並べる八枚翼の天使の男の口調には、隠しきれない怒りが込められていた

「言われるまでもなく、奴を玉座から引き摺り落とし、その罪を裁いてやりたいと思っている。だが、奴を除くすべての原在(アンセスター)を失ったとはいえ、天上界は強い。我々だけでその中枢に攻め入り、王の首を落とすのは至難を極める

 この世に蔓延る全ての闇を滅ぼし、世界を光で満たすことこそが我らの至上の命題ではあるが、そのために無為に同胞を失うのは本意ではないのだ」

 拳を握り締め、隠しきれない苛立ちを露にして忌々しげに吐き捨てる天使は、時空を隔てた先にいる天上人の王に、聖なる呪詛を向ける


 天上界を総べる天上人最強の王「灯」は、最も忌まわしきもの。本来生まれるはずのない光と闇の全霊命(ファースト)の間に生まれた生まれてはならない存在

 しかし、母であり、天上人の原在(アンセスター)――「八光珠(やつみたま)」最強、そしてかつて天上界王を務めた「綺沙羅」と同等の神格を持つ灯は天上界にとってかけがえのない人物だ

 しかし、理を無視して闇との間に生まれた光の存在が王になるなど認められない者も多い。特に、ここにいるような者達(・・・・・・・・・・)にとっては。


「そうか。かの神(・・・)の協力を取り付けたか――目的は例の神器だな」

 しかし、次いで相対するその人物が口を開くと、それを受けた八枚翼の天使は、剣呑な光をその目に宿して眉根を寄せる

 もたらされた情報を確認しながら、頭上に光輪を浮かべた人物と話を深める八枚翼の天使は、口を開閉させて紡がれるその言の葉に耳を澄ませると、しばらくその内容を咀嚼して吟味してから、決断を下す


「……いいだろう。その一件。この『レイラム』の名において引き受ける」


 そう言って光輪を浮かべた人物の要求に答えた八枚翼の天使――「レイラム」は、その手に自身の武器である純白の大槍刀を顕在化させると、その刃を掲げてこの場に集う光に向けて声を放つ



「いくぞ、皆の者。この世界に我ら〝サンクセラム〟の威光を示す時だ!」





 雲の上に佇む天上界王城――様々な環境を内包し、空間を仕切る扉で隔てられた城内を、案内役でもある二人の天上人――「出雲」と「真響(まゆら)」に先導されて歩く大貴達は、大きく抉れた大地が積み上げられたような積層の大地が広がる空間、そこに作られた巨大な都市群の中を歩いていた

 天上界を訪れた全メンバーに、先程玉座の間でしばらく滞在することを決めた天界の使者――四聖天使の一人である「ノエル」も大貴達の後から、距離を取って同行している

「ここは、かつて聖魔戦争の折に、〝天上界人〟を匿っていた区画です。今は、彼らは全て外に出てしまたので、こうして都市だけが残っているのです」


 天上界人とは、この天上界に住む人型の半霊命(ネクスト)人属半霊命(ヒューマレイス)」の総称だ

 八光珠を失い、戦力が他の世界に比べて大幅に落ちた天上界がこの世界の半霊命(ネクスト)を守るべく作り出した空間に、天上界人(彼ら)が招かれるのは必然だろう

 しかし、灯が天上界王に即位し、大きな大戦は無くなって久しくなったため、天上界人達はこの城を出て行き、街だけが後に残ったのだ


「本当はお好きなところを使っていただいて構わないのですが、この建物を使っていただけますか?」

 案内した大貴達に真響(まゆら)が示したのは、段差が重なる大地のほぼ中心。全体を見渡せる位置に作られた一際大きな建造物だった

 白い骨組みで作られた塔のような外観に、鏡張りのように全方位を見渡せる透明な造り。それは、かつて天上界人が使っていた庁舎に相当するもの。ここに暮らす人々の生活を担う役所だった建物だった

「私どもは、この建物の外で控えておりますので、なにかご用命がございましたら遠慮なく申し付けてください」

 天上界――霊的な力までをも行使する九世界の技術によって、老朽化もせずエネルギーも通っている庁舎に入ったところで、足を止めた出雲は真響(まゆら)と並んで声をかける

「ありがとうございます」

 あちらこちらに点在されているのは好ましくないが、同じ建物内ならばどこにいてもらおうとも大差がない出雲と真響(まゆら)に一同の先導役でもある瑞希が感謝の言葉を述べ終えると、その機を待っていた大貴が口を開く

「あ、そうだ。天上界王様と話がしたいんだ」

「お話……ですか?」

 おもむろに大貴に声をかけられた二人の天上人は、その要件に顔を見合わせる

「あぁ。できれば二人きりで……難しいか?」

 そうは訊ねてみるものの、本来なら一つの世界を束ねる王に護衛もなく面会するなど許可されるものではないだろう

 だが、絶大な力を持つ全霊命(ファースト)という存在、そして自分を取り込みたいと考えている九世界の思惑を踏まえれば、可能性は皆無ではないと大貴は踏んでいた

「いえ、天上界王様さえ許可されれば問題はございません。一度、お尋ねしてみましょう」

「助かる」

 そして、大貴の思惑の通り二人から帰って来たのは、前向きに検討してくれるという極めて好意的な回答だった

 二人が一礼して庁舎を出て行ったところで、桜の結界の中で一連のやり取りを見ていた詩織が、大貴に向かって声をかける

「話って、示門さんのあれでしょ?」

「ああ」

 この世界に来る前、最も忌まわしきものの片割れである示門から頼まれた言伝を告げるために、先程の要求をした大貴に、詩織は小さく口角を吊り上げて左右非対称色の双眸を覗き込む

「ちゃんと気を使えるのね。お姉ちゃん感心しちゃった」

「それはどうも」

 からかうような悪戯めいた笑みを浮かべる詩織の言葉に一瞥を向けた大貴は、そんな姉の姿に小さくため息をついて言う


 天上界王灯――またの名を「最も忌まわしきもの」。光の全霊命(天上人)闇の全霊命()の間に生まれた、本来生まれてはならないもの。

 前天上界王「綺沙羅」と同等の神格を持つがゆえに王にいるが、その立場が天上界、あるいは九世界において微妙な立場に置かれているであろう可能性は捨てきれない

 双子の弟である示門からの言伝程度、玉座の間で話すこともできたが、それが灯自身、周囲の天上人にとってどのような意味を持つか確信が持てないために、あらためて二人きりで会う段取りを立てた大貴に、詩織は感心していた


「大貴冷たい。姉貴に言われる筋合いはないとか返してよ」

 しかし、そんな弟から返された素っ気ない態度に、詩織は本心から悲しんではいないことが分かるわざとらしい口調で返す

「なんだよ急に。今までこんなに絡んできたことないだろ?」

 そんな姉の態度に、わずかな煩わしさとこれまで旅をしている中でも見せなかった態度に疑問を覚えた大貴がありのままの疑問を口にすると、詩織はその表情を止めてそれに答える

「なんか、ちょっと似てるなって思って」

「…………」

 一抹の憂いを帯びた表情を見せる詩織の言葉に、大貴はそこに込められた真意を読み取ってわずかに目を細める

 詩織の脳裏にあるのは、灯と示門の姉弟のこと。双子の姉弟で、悪意の眷族たる〝ゆりかごの人間〟。今でこそ大貴は光魔神となっていて、灯と示門とは違うが共感できる一面も確かにある

「もう少ししたら、きっと私達ってもう簡単に会えなくなっちゃうでしょ? まあ、私はいずれお嫁に行くし、あんたもどこかに行くだろうから、それがちょっと早くなったってくらいなんだろうけど」

「――……」

 寂寥感のあるその言葉に、大貴は詩織が思い描いているであろう惜別の時へと意識を傾けて、わずかに視線を伏せる


 この旅が終わり、大貴が光魔神として完全に覚醒した時には、二人の間に決定的な決別が訪れる。光魔神となった大貴が地球で暮らし続けることは不可能で、ゆりかごの人間でしかない詩織が九世界で生きていくのは極めて難しい。そして、何より地球で待っている両親を残していくのは忍びない

 もしも、何事もなく何も知らずに地球で暮らしていても、成長して社会人になれば、いずれは別々に暮らすことになる日は来ただろう

 それでも今この時、そう遠くない別れが来ることを、詩織は実感として感じていた


「なんか、家族でずっと一緒にいるのって難しいんだなって思って」

 いつかは別れ、それぞれがそれぞれの家族を作る。姉弟とはそういうものであると分かっていても、家族であることには変わりがない。

 離れ離れになることが分かっているのに一緒にいるというのは、家族というかけがえのない絆の持つ業なのだろう

「かもな」

 姉が何を思っているのかを感じ取った大貴は、哀愁の滲む声で呟いて寂しげな笑みを浮かべている詩織を見る

「ま、それでも俺達が姉弟だっていうのは変わらないだろ? 姉貴はいつまでも俺の姉貴だよ――ちょっと不本意だけどな」

「ひどい。そりゃ、大貴の方がいろいろできるかもしれないけどさ。でも、うん。そうだね……私はいつまでもあんたのお姉ちゃんだ」

 ありきたりではあるが、大貴なりに励ましてくれているのだと分かる冗談交じりの言葉に答えた詩織は、生まれてから十五年間培ってきた絆を噛みしめるようにして言う


 光魔神になっても、大貴の在り様は詩織の知る大貴のままだ。

 一見素っ気ないが優しく、思いやりに満ちており、今のように自分が落ちこんでいれば励ましてくれるが、恥ずかしさも手伝って歯の浮くような言葉や真剣な言葉は言わない。……そんなどこにでもいる普通の男の子

 光魔神になり、自分が届かないほどの高みにいる今の大貴に、劣等感など抱く余地のない距離を感じる時もある。だが、こんな大貴の一面を見る度に、詩織は大貴は自分の知る大貴のままなのだと感じることができるのだ


「でも、もう少し優しい言葉をかけてくれてもいいじゃない。これがヒナさんだったら、もっと優しくするんでしょ?」

「なんで姉貴とヒナが同列なんだよ」

 もう少し紳士としての優しい言葉を期待する詩織が拗ねたように唇を尖らせてからかうように言うと、大貴はその進言に不満を露にする

「ふぅ~ん。結構うまくいってるんだ」

 そんな大貴の対応に、詩織の乙女心が敏感な反応を示す。本当ならば色々聞きたいところではあるが、大貴とヒナは今のところ思念通話で接触を続けている程度であり、二人の性格を考えれば詮索したところで詩織が期待するような話も聞けないだろう

「ま。いいけど」

 そう言って話を終えた詩織が、その身を翻して大貴から離れると、そのやり取りを聞いていたマリアが一歩前へ踏み出す

「あの……」

 先程のやり取りには、場を和ませようとしてくれている詩織なりの気遣いがあったと考えているマリアは、一度視線を向けて目礼すると、改めて口を開く

「すみません。今更隠すことももうないのですが、あの場で話のあった通りです」

 王と沈痛な面持ちで頭を下げたマリアは、少し離れた場所にいるノエルに一瞥を向ける

 先程の会話で隠していた事実は全て語られてしまっている。天使と人の混濁者(マドラス)であり、光の主神「慈愛神・ラヴ」を宿す神器たる自分をさらけ出すことになったマリアは、この場にいるメンバーを見回して目を伏せる

「マリアさん……」

「自分の子供を天界に守らせるために、神を入れる、か。……実際に思いついても、実行するのは難しいね」

 秘密を隠していた後ろめたさと、死の宣告に顔を曇らせるマリア顔を伏せる詩織の声をかき消すように、神魔がこともなげな口調で言う

 しかしそこには、マリアという存在が今生きていること――生きていられる奇跡への敬意にも似た感情が宿っていた

「はい。まず、その神器を見つけることが至難の業ですから」

 そして、そんな神魔の言葉に同調を示した桜もまた、たおやかな笑みをマリアに向ける


 全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)混濁者(マドラス)であるマリアを天界に守らせるために神を封じて神器とする――口で言うのは感嘆だが、それがどれほど難しいことなのかは考えるまでもない

 神器に封じられた神は、知覚でも捉えることは出きず、見つけ出すのは至難の業。その上で神器を手に入れてマリアに封じるなど、実際は限りなく不可能に近いことだ


「母親の執念というか……それだけ愛されているのね」

「こんなことになっちゃったのは、運が悪かったとしか言えないだろうけどね」

 それでもなお、マリアが今生きているのは、それを成し遂げたマリアの母の一念によるもの。愛する娘を守りためにそのような奇跡を起こすことができたことを、瑞希もまた心から賞賛する以外にない

 ただ惜しむらくは、いつまでも神器として天界に守ってもらうつもりだったであろう思惑が、世界の情勢が動いたことで崩れてしまったことだけだろう

「皆さん……」

 自分を励ますばかりではなく、母の想いまでをも肯定して言葉をかけてくれる神魔と桜、瑞希にマリアは

感極まった表情で目を伏せる


 マリアにとって、母は複雑な存在だ。禁忌を犯し、自分を生み、そして神を封じて天界に預けた――そこに母の罪と苦悩と愛情に等しいマリアの苦悩がある

 だが、自分は母に愛されているのだと肯定されると、マリアは禁忌の存在である自分がここにいることを肯定され、ここで生きていていいのだと許されているような感覚も覚える


「――天使と悪魔、それなりに絆を深めるものですね」

 悪魔達が天使に慰めの言葉をかけ、マリアがそれを素直に受け取っているのを見たノエルは、おもむろに近づいてきたリリーナに抑制した声で応じる

 ノエルは悪魔をはじめとする闇の存在に強い敵意を抱いているわけではない。とはいえ、光の世界の平和と安寧を何よりも望む立場からすれば、世界創世の頃からの敵である闇の存在と光の存在が親しくしているのは複雑な心境だった

「そうですね。こういうのもいいものでしょう?」

「それでもきっと、彼らと私達は同じ生き方をできないと思います」

 優しく微笑みかけてくるリリーナの言を肯定しながらも、ノエルは親しげに言葉を交わす悪魔と天使を見ながら、ゆっくりと瞼を伏せる

 悪魔と天使、光と闇の全霊命(ファースト)は決定的に価値観が違う。悪魔達が思うマリアへの気持ちと、マリアが抱く思いはおそらく似ているようですれ違っている

「よいではありませんか。それが、異なるものを認めるということです」

「私は、闇を否定したことはありません。――いえ、むしろ肯定しているからこそ、光の世界は闇の世界と戦い続けてきたのですから」

 互いを認めるということは、互いの異なる考えを理解するということ。その結果、友情や絆を結ぶことがあれば、殺し合うほどに決定的な決別をえることにもなるだろう

 自分とは違うものを認めているからこそ、理解し合えないのだと知っているノエルは、一時の関係で親しくしている悪魔達と天使を双眸に映しながら、口を開く

「私はこれで下がらせていただきます。マリア。明日の朝にまたここで」

「……はい」

 別れの時間を取るという言葉の通り時間を設けたノエルは、その邪魔をしないように早々に大貴達の前から姿を消す

 宿泊のために宛がわれたこの建物の適当な部屋へ移動していったノエルを見送った神魔は、曇った表情を浮かべているクロスとマリアを交互に見比べて、桜へと視線を向ける

「じゃあ、僕達もいこうか」

「はい」

 その言葉の意味を理解し、淑やかに応じた桜と共に神魔が歩き出すと、そこに横から歩み寄ってきた瑞希が詩織に声をかける

「詩織さんは私と」

「あ、はい」

 神魔と桜の間を取り持つように声をかけてきた瑞希に応じた詩織は歩き去っていく二人へと向けていた視線を大貴へ向ける

「――! あ、あぁ、そうだな」

 姉からのなにかを言わんとする視線を送られた大貴は、この場に残っている顔を見渡すと、それに促されるようにして応じる

「では、私もここで」

 そんな大貴がどこか居心地悪そうに移動を始めるのを見たリリーナは、最後に残った二人の天使に優しく微笑みかけると、一言だけ言い残して優しく目を細める

「……!」

 思念通話など使っていないというのに、まるで話しかけられたかのようにその言わんとしていることを感じ取ったマリアは、意を決して皆が作ってくれたこの機会を伸ばすまいとゆっくりとその身を翻す





「気を使ってもらっちゃったね」

 折りたたんだ四枚の純白翼と輝くばかりの金糸の髪を揺らめかせ、ゆっくりと体を向けたマリアは、そこにいる人物に照れくさそうに声をかける

「…………」

 ふたりだけとなった静寂を破るマリアの言葉を受けたクロスは、しかしそれに口を開くことなく視線を伏せるだけだった

「……クロス」

 そんなクロスの反応に唇を引き結び、絡めた指を強く握りしめるようにしたマリアは、胸を締め付けるような痛みを覚えながら、それに耐えて声を絞り出す

「ごめんなさい。ずっと、隠していて」

 自分が神器であること、それを理由に生かされ――そして殺されることを知っていて告げられなかったことを悔いながら言ったマリアは、クロスの顔色を窺うようにして恐る恐る顔を向ける

「怒ってる、よね?」

 自分へ向けられるクロスの表情は、いつもと変わらないように見える。しかし、その内側にある憤りを見抜けるほど、クロスの顔を見てきたマリアは、その感情も当然だと受け入れていた


 マリアは、クロスという天使をもしかしたら当人以上に分かっている。それだけ、これまでの間想いを寄せてその生き方や、心の動きを見てきたのだ

 だから、自分がクロスの信頼を傷つけてしまったという恐れを抱くマリアは、悲しみに心を満たしていた


「――……」

 そしてそれを肯定するような無機質な響きを帯びたクロスの沈黙が届くと、マリアはそれを受け入れて、悲し気な笑みを浮かべる


 これから自分は神器としてその役目を果たすことになる。ならば、自分が死んだときにクロスの心が傷つかないことだけが今のマリアの願いだった

 少しでも自分のためにクロスが心を痛めないなら、その幸せのために生きて行ってくれるのなら、マリアは喜んで彼から拒絶される。――だが、そんな決意とは裏腹に、ずっと自分の中で温め続けてきた想いが、叶うことも否定されることもなく、消えていってしまうことがマリアは悲しくてならなかった


(こんなことなら――)


「お前が、俺がそんな風に思うと思ってるとは思わなかった」


「!」

 その時、クロスから発せられた言葉にマリアが顔を上げると、それを告げた本人は恥ずかしさからなのだろう、視線を背けたままで言葉を続ける

「別に、隠してたことはいいんだよ。お前じゃどうしようもないことだっただろうし、俺もお前と同じ立場なら、多分言わなかった。口止めもされてたんだろ?」

 ややつっけんどんに語りかけてくるクロスの問いかけに、マリアは小さく頷く

 その横顔はマリアに悲しい顔をさせてしまったことを悪く思い、何とか取り繕うとしているもの。これまで何度となく見てきたその不器用でつまらない男の意地に塗れた見慣れた表情と声音に、マリアはクロスが自分が思っていたものとは違う感情を抱いているのだと感じ取っていた

「でも、クロスには言ってもいいって言われてたのに……」


 クロスが指摘したように、マリアが神器であることは、天界でもごく一部の者しか知らず、そのような極秘事項を誰かれ構わずに告げることは許されていなかった

 しかし、マリアとクロスの親しい関係を知っていた天界は、限定的な条件の下でそれを注げることを許されていた。それをしてこなかったのは、結局のところマリアの決断だった


「気にするな。ならそれでいい。お前が神器だとしても、それを秘密にしていても、その力を使わずにいられるならそれでいいって思ってくれてればそれでいい」

 今日まで神器であることを隠し続けてきたことを悔いるマリアに、クロスは小さく首を横に振ってその自責の念が無用のものとであることを告げる


 結局のところ、マリアが神器であろうとどうでもいい。器を壊さない限り、マリアの中の神はそのままになる。使わずにいられるなら、それは何も変わらない

 そして、神位第五位という力を持つ神を、天界がそうやすやすと使うことは考えられない。一度しか使えない神の力を使う機会が来ることはない――そう高をくくるのも理解できる判断だと思えた


「でも、まるでクロスのこと信じていないみたいで」

 自分のことを気遣い、慰めと励ましの言葉をかけてくれたクロスに、マリアは目を伏せて沈痛な面差しで応じる

「そんなわけあるか。信じてたから隠してたんだろ」

 だが、そんなマリアの弱きを一言の下に吹き払ったクロスは、肩を竦めて俯いたままで言う

「少なくとも、その程度のことを隠してたからってお前に信用されてないと思うほど、俺達は浅い付き合いじゃないだろ」

 正面から伝わってくる言葉にマリアが顔を上げると、その視線に気恥ずかしそうな表情を浮かべたクロスは、先程までの語気の強さが信じられないほどに、言葉を詰まらせる

「それに――」

 自分に注がれるマリアの透き通るような視線に、目を泳がせるクロスは、手で頭をかくようにしながら背を向ける

「むしろお前が神器だったから、俺達は今こうしていられるんだ。そう思ってくれないか?」

「クロス……!」

 照れ隠しも兼ねているのだろう、背を向けたクロスの気恥ずかしさを帯びた消え入りそうな言葉に、マリアは小さく目を瞠って息を呑む


 もし、マリアが神器でなかったら、天界がその存在と命を庇護していたかは分からない。そうなれば、クロスとマリアは出会うこともなかったかもしれない

 たとえ可能性の話にしかすぎなくとも、それがあったから出会うことができた。――ずっとそう考えて自分の存在意義を見出してきたマリアは、同じことをクロスが考えていてくれたのだと考えるだけで、不思議と救われる様な気持ちになる


「マリア」

 あまり性分ではない純な言葉でマリアに語りかけたクロスは、その表情を真剣なものに変えて、改めて呼びかける


 クロスはずっとマリアに想いを寄せ、しかしずっとそれを言葉にできずにいた。だが、このまま何も伝えなくてはマリアは天界に連れ戻されてしまう

 その想いが、これまでとは違う焦燥がクロスをこれまで以上に駆り立て、かつてないほどその心に秘めてきた気持ちを打ち明ける後押しをしていた


「お前は死なせない」


「……!」

 力強く、真剣な眼差しを向けて言い放つクロスに、マリアは思わず息を呑む

 その頬ははからずもほんのりと紅潮しており、先程のクロスの言葉がマリアの純真な乙女心を強く揺さぶったことを証明している


 自分が神器として生かされていることを知り、そして命を終えることを受け入れてはいても、決してそれを望んでいるわけではない

 クロスが自分のことを「死なせない」と、己が心の中で思っていることと同じ、自分が生きていることを望んでくれたことは、マリアにとってこの上ない喜びだった


「お前を神になんてさせない。お前にはまだ俺の傍にいてもらわなきゃ困るんだ」

「え……」

 そして、そんな温かな想いに胸を満たされておいたマリアは、そのまま続けられたクロスの言葉に、更に胸を高鳴らせる

「そ、それってどういう……?」

 自分の傍にいて欲しい、心に秘めたクロスへの想いを抱き続けながら、混濁者(マドラス)にして神器という境遇から距離を置いてきたマリアにとって、その言葉は夢のような――本当に夢のような希望を感じざるを得ないものだった

 そんなマリアの気持ちが伝わったのか、クロスはそのまま言葉を一瞬止める。二人の間に静寂と沈黙が落ち、流れていく時間がとても長く感じられる


「マリア」

「は、はい」


 そして、その制止した時間の静寂を破って声を発したクロスは、健気に生きてきたマリアの姿を見つめながら意を決して口を開く

「お前には、まだ伝えなきゃならないことがあるんだ」

「な、なに?」

 まるで感情で弾けてしまいそうなほどに高鳴る鼓動を感じながら言うクロスは、自分へ注がれるマリアと視線を交錯させながら、これまで秘めてきた想いを言葉へと変えていく


「それは……」




《失礼いたします》

 そして、今まさにクロスの口がその先の言葉を紡ぎ出そうとした瞬間、二人の脳裏に思念を介して届けられた天上人真響(まゆら)の声が響く

 大貴をはじめとした全員に向けて発せられた思念通話を受け取ったクロスとマリアは、これ以上ないほどに出来上がっていた雰囲気の腰を折られ、先程まであったものが消沈していく

《先程の一件なのですが、マリア様。天上界王様があなたとも是非お話をさせていただきたいと仰っておられるますが、いかがなされますか?》

「…………」

 その思念通話が伝えてくるのは、先程大貴が天上界王灯と話しをしたいと打診したことに対する回答と提案

 そこに天使と人間、天上人と鬼――形は違えど、共にこの世界に存在を許されない混濁者(マドラス)として生きてきたマリアとも話を交わしてみたいという灯の意志を読み取ったマリアは、意識を介して届けられたその言葉に応じる


《はい。是非お伺いさせていただきます》


《かしこまりました。では、後程お時間などを指定させていただきます》

 簡単なやり取りを終えて、思考に届いていた真響(まゆら)の意識が離れていったのを確かめたマリアは、先程のまま硬直しているクロスへと視線を向ける

「えっと……」

 しかし、先程まで出来上がっていた雰囲気や空気が失われてしまった今、それを何事もなかったかのように再開させるのは、マリアにはもとよりクロスにも難しいことだった


「また、今度な」


「……」

 一世一代の告白の腰を折られてしまったクロスは、なんとか話を続けようとしたものの、結局そのまま続けることができずに、先延ばしにする結論を下すと、マリアは少し名残惜しげな声を漏らす

 本心では先程の続きを聞きたいとは思っていても、それを催促することはマリアには到底できない。縁がなかったのか、運が悪かったのかそれが自分の運命なのだと諦めて目を伏せていたマリアに、クロスは再び声をかける


「だから待っててくれ。俺が伝えたいことを伝えるまで」


「……!」

 その言葉に小さく目を瞠ったマリアが顔を上げると、その視線を受けたクロスは気恥ずかしそうにしながらも真剣な表情で口を開く

「それまで死んだり、どこにも行ったりするなよ?」

 自分が聞きたかったことを先延ばしにして、それを聞くために死ぬなと求めてくるクロスに、マリアはわずかに潤ませた瞳でその姿を見つめて観念したように微笑む

「ずるいひと」

 そんな風に言われてしまったら、それを聞きたくなってしまうに決まっている。ただでさえ死も別れも望んでいない気持ちが一層揺らいでしまう

 長年思い続けてきた自分の気持ちを盾にして生きることを迫るクロスの脅迫めいたやり方に、マリアは返すべき答えを一つしか見い出せなかった


「……はい。待ってるから、ちゃんと伝えに来て」


「ああ。約束だ」

 一縷の希望に縋るように、自分の想いを噛みしめながら応じたマリアは、長年秘めてきた想いを込めた瞳で、クロスと視線を交わしながら互いの気持ちを通じ合わせるのだった





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