光輪を戴くもの達
世界と世界を隔てる時空に作られた異なる世界を繋げる扉。――天界の姫たるリリーナの光力によって作られたその道を、大貴達は次の世界へと向かって進んでいた
その扉の移動時間は、一瞬にさえ満たないもの。時空の狭間とは違い、神能によって作られた世界を繋ぐ門の中は、これといった風景などは存在しない
強いていえば、その扉を作った者の神能が反映された景色が広がっており、リリーナが作り出した門内は、全方位を埋め尽くする金色の世界に純白の光が星空のように瞬いていた
《次は、天上界なんだろ?》
その中を、次の目的地である九世界の一つにして光の世界の一角である「天上界」へと向かって進みながら、大貴はつい先ほど交わした言葉を思い返していた
天上界に旅立つ前、見送りにやってきてくれたのは、今の今まで滞在していた地獄界を総べる王「黒曜」と彼を筆頭とする鬼の原在「六道」。そして地獄気滞在中特に世話をしてくれた椿、示門、御門そして緋毬の家族だった
それぞれと別れの言葉を交わしていた大貴達に、話しかけてきたのは半ば椿に引き摺られるようにしてそこに来ていた示門だった
「あぁ」
多少の面識はあるが、今回の地獄界滞在ではほとんど話したことがない示門に話しかけられた大貴は、少し驚きながらもその言葉に耳を傾ける
闇の全霊命である鬼と光の全霊命である天上人との間に生まれ、実父にして十世界地獄界総督だった火暗と全く同じ神能を持つ「最も忌まわしきもの」
この世界の理としてあってはならない存在そのものであるという一本角の赤鬼――「示門」に視線を向ける大貴は、その左右非対称色の双眸で自分を見据える真紅の瞳に応じる
「姉貴によろしく言っといてくれ」
「分かった」
示門が告げたのは、最も忌まわしきものの片割れである双子の姉に対する挨拶。十世界に属し、最も忌まわしきものとして引き裂かれた家族をもう一度一緒に暮らせるようにしたいと願った実父――「火暗」の死と、ここで生きることを決めた示門自身の決意の伝言だった
「…………」
(そういえば、あいつはちょっと俺達に似てたんだな)
地獄界を出立する際に交わした言葉と託された思いを思い返した大貴は、ふと胸にこみ上げる寂寥感に似た感情につられて、背後にいる双子の姉――「詩織」へと視線を向ける
桜の結界に包まれて世界の門を移動する詩織は、大貴の双子の姉。ゆりかごの人間である詩織と、光魔神として覚醒し、もはや人として同じように生きることができなくなった自分。
そんな自分達双子の姉弟について思い至った大貴は、天上人と鬼として生まれ、幼くして引き裂かれた〝最も忌まわしきもの達〟に似ていることに思い至って感傷的な気分になる
もしかしたら、示門に託されたことを素直に受け取ったのは、心のどこかでそのことを感じ取っていたからなのかもしれないと思っていた大貴の視界に、まばゆい光が入り込んでくる
それは、この本当に短い――くぐるとなれば、ほんの一瞬程度の時間しか必要としない世界移動が終わりを告げたことの証だった
「ここが、天上界――!」
そして、眩い光と共に異なる世界を結ぶ扉のその出口をくぐった大貴の眼前には、天上界の広大な景色が広がっていた
「うわぁ、綺麗……」
それに半瞬遅れて世界の扉をくぐり終えた詩織が、桜の魔力で展開された結界の中から上げた感嘆の声が大貴の耳に届く
詩織のその言葉にあえて応じることはなかったが、大貴の胸中はそれに小さくない共感を得て、眼前に広がる光景に視線が釘付けにされていた
そこに広がっているのは、純白の雲海。一点の曇りもない白い雲が広がって形作るのは、山や谷を思わせる起伏のある地形。そればかりではなく、ある場所ではその白雲がまるで天を衝くるように伸びており、その白い雲は、不規則な自然的な美と、形の整った人工的な美が同時に存在していた
そして、その白い雲に紛れるようにして、白亜の神殿型の建物が並んでいる。半透明の板が階段のように並び、龍のような金屋根の回廊がそれらを結ぶ
そしてその中心には一際大きな神殿が泰然と鎮座し、人工物と白雲とを一つの対象物として引き締めて調和を保っていた
「これが、天上界王が住まう城です」
その光景を前に十枚の純白の翼を羽ばたかせて滞空し、鮮やかな緋色の髪を揺らめかせたリリーナが、白雲の中心に座す一際巨大な神殿を示して言う
「雲のお城だ」
「あれは、雲のように見えますが、土のような固形質と液体的な流動質まで併せ持った半霊物質で、この天上界で特によく精製、噴出されるものなのですよ」
まるでおとぎ話のような光景に半ば興奮じみた声で言う詩織に対し、桜が微笑みながら淑やかな声で説明を付け加える
天上界王城に絡みつく一見雲のように見える白いものは、土のように固形で特別な能力などなくとも触れることが可能なうえ、液体のように流動させ形状を変化させることができる特殊な物質
自然界から生み出され、特に天上界でよくみられるその雲を凝縮させ、この天上界王城が作られているのだ
「……エクトプラズムみたいなもんか」
その説明に耳を傾けていた大貴が、天上界王城に絡みつく白雲を見据えながら言うと、不意にその居城から二つの力が一向に向かってやってくる
「私達が来たことに気付いたようですね」
天上界王城から神速で近づいて来る二つの力を知覚したリリーナは、主賓である大貴を始め、ここにいるメンバー達に声をかける
天上界王城から神速で迫ったその二つの力は、リリーナが言い終わるとほぼ同時に大貴達の前で停止し、その姿をはっきりと見せつける
(これが、この世界の全霊命――)
天上界王城からやって来たその二人の姿を見止めた大貴は、この世界を総べる光の全霊命――「天上人」の姿を、その左右非対称色の双眸に映す
そこに現れたのは、右肩にファーの付いたマントを持つ軍服に似たロングコート型の霊衣を纏った薄緑色の髪の青年。年齢など関係のない全霊命にあって、若々しい外見は思春期を生きる青少年を思わせる
そしてもう一人は、筒状の髪留めで胸元まで伸びる横髪を束ねた肩にかかるほどの薄水色の髪を持つ女性。洋服とチャイナ服の中間にあるような霊衣を纏い、白布の羽衣を羽織るように纏っている
(頭に輪っか……これがこの世界の全霊命――〝天上人〟か」
その姿を見据える大貴は、事前に聞いていたこの世界の全霊命の特徴を思い返して、心の中で納得する
今目の前にいる二人の男女には、共に頭上に光の輪が浮かんでおり、それがこの天上界を総べる光の全霊命――「天上人」の証であることを見る者に伝えてくる
そしてその存在から伝わってくるのは、透明感のある清浄な光の神能。
天使をはじめ、これまで出会ってきた光の全霊命の神能が輝く光なら、天上人の神能――「天力」は、透き通った水面を思わせ、知覚しているだけで心が洗われていくような感覚を覚える
(思えば、これで九世界の全霊命全部に会ったことになるのか……)
今回天上人に会ったことで、大貴は九世界それぞれを総べる全霊命の全てに会ったことになる。まだ訪ねていない世界はあるが、その事実をあらためて実感した大貴は、ここまで来たのだと感慨深く実感していた
「お初にお目にかかります。天上界王様にお仕える『出雲』と申します」
そうして大貴が、初めて会った天上人を前に思案していると、一行を出迎えた薄緑色の髪の天上人が名を名乗る
「同じく『真響』と申します」
出雲に続き、薄水色の髪を持つ女性天上人――「真響」が礼儀正しく一礼して名乗り、大貴達を見据えて穏やかな声音で語りかける
「光魔神様御一同でごすね?」
知覚で分かっていることではあるが、形式的なものとして質問した真響の言葉に、一考を代表してリリーナが応じる
「どうぞこちらへ。天上界王様がお待ちです」
一礼してそう告げた真響は、出雲と共に白雲の大地に立つ天上界王城へと大貴達を先導していく
「――……」
(地獄界王様は、こちらで天界からの使いが待っていると仰っていましたが、それらしい光力は感じられませんね)
出雲と真響の後をついて天上界王城へと向かう道すがら、リリーナは知覚を最大限に展開してこの世界で待っていると言われた天使を探すが、それらしい存在を見つけることはできない
(まだ到着していないのか、あるいは光魔神様達が天上界王様に謁見を終えるまでは隠れているつもりでしょうか。
天上人の天力は、防御や浄化、結界の力に長けているはず。その力を用いれば、力を抑えた者を知覚できないように隠すことも可能なはず――)
「天上界で天界の命を帯びた天使が待っている」という黒曜の話が嘘だとは思えない。ここにいるはずの天使が知覚できない理由を思い浮かべながら、リリーナは静かに思案を深める
この天上界を総べる天上人の神能である「天力」は、九世界の全霊命の中で最も結界や浄化といった力に長けている
ならば知覚できないほどまでに存在を抑えた天使の神能を知覚できないほどにまで隠すことは決して不可能ではないだろうと思われた
(天界からの使いが来るということは、おそらく――)
この時期に天界からの使者が来る理由は、リリーナには一つしか思いつかない。その不安に押されるようにして、リリーナは背後にいるマリアへと知覚を向ける
聖人界の一件で大貴達と逃げるように地獄界へと移動し、そのまま天界に帰還していない自分を案じてのものである可能性も捨てきれないが、それについては天界王も黒曜から九世界王会議の際に聞いているはず
ならば安全だと高をくくることはないかもしれないが、おそらくは自分の安否の確認も兼ねた上で、天界はその使者を用意したのだろう
異なる世界にいる以上思念通話が届かないためそれを確認する術はないが、リリーナは自身の推測が的中しているだろうことを半ば確信していた
(私は……)
天界の姫として自分が取るべき行動を正しく理解していながら、自分の心でそれを受け入れることを拒絶しているリリーナは、せめぎ合う心の葛藤を抱きながら純白の翼を羽ばたかせる
そんな葛藤をしている間に、天上界王城は間近に迫り、大貴達は白い雲の上に作られた巨大な神殿のような城の巨大な門の前にゆっくりと降り立つ
眼前にそびえ立つ天上界王城の扉は荘厳な造りをしており、まるで別世界へと通じているかのような荘厳さを以って大貴達を出迎える
その重厚感と存在感に立ちすくんでいる大貴達の前で、天上界王城の門扉は出雲と真響の存在を感じ取ったかのようにゆっくりと開いていく
分厚く重いはずの扉でありながら、その開閉音は驚くほどに静かで軽く、ほとんど無音に近い。見た目と駆動音の矛盾を感じる大貴達の前に、門扉に隠されていた天上界王城の内側が現れる
「――っ」
天上界王城の内側を見た詩織は、そこに広がっていた光景に思わず息を呑む
そこにあったのは、別世界だった
(お城の中に、別の世界があるみたい……)
白い雲の上にそびえ立つ神殿たる天上界王城は幻想的な美しさだったが、その内側には緑と水に満たされた空間が存在していた
天上界王城の中にあるのは、ただの庭のような空間ではない。上を見上げればそこには抜けるような青空が広がっており、おおよそそこに天井があるようには見えない
城の中だというのに風が流れ、その中を進む大貴達の肌を優しく撫でては通り過ぎていく。一面に広がる緑と、美しい花が目を潤わせ、蝶や鳥のようなこの世界の生き物の安らかなさえずりが耳から浸透し、心身を心地よく癒してくれる
「凄いですね」
「ありがとうございます。この天上界王城の内部は空間で仕切られていて、他にも森や湖、渓谷といった様々な環境が内包されているのですよ」
まさに小さな庭の世界を内包したような天上界王城の内部に感動を覚えた詩織がその感情のままに話しかけると、先を歩く真響から穏やかな笑みが返される
「……空間隔離の応用みたいなもんか?」
「そう考えていただいて結構です」
周囲に広がる空間が現実にある城の外観と比べて縮尺が違うことを知覚した大貴が訊ねると、出雲がそれに答える
神能の力で世界を転写し、現実とは異なる位相に平行した世界を作り出すのが「空間隔離」。九世界を巡るようになってからは、めっきり使用頻度が下がっているが、かつて地球にいた時は何度も助けられた力だ
天上界王城の内部に広がっている空間は、厳密にいえば違うが、原理は限りなくそれに近い。本来城内にある空間を元に容積や環境を調整した空間を無数に結合させているのだ
「えっと、どうしてこんな風になってるんですか?」
空間を歪め、本来のそれを遥かに上回る広さになった草原を進む詩織は、肌を撫でる心地よい風に目を細めると、先を行く二人の天上人に素朴で至極もっともな疑問を向ける
ただの中庭や敷地ならまだしも、この世界の中枢たる天上界王城の内部に、明らかに何らかの意思と力が加わった別の世界が広がっているとなれば、少なからず好奇心をそそられるもの
詩織がその問いかけをしたのも、そんな感情に後押しをされたからであり、他意などは無い。しかしその質問に、前を行く二人の天上人の空気が変化し、重苦しい沈黙が生じる
「ご存知の方もいるでしょうが、我々天上人は一度全ての原在を失いました」
しかし、その一瞬にも満たないほどの重い沈黙は、再び口を開いた真響の声によって破られる
その「御存じの方」は、異端神であった大貴とその問いかけをした詩織以外に対して向けられたものであり、そこには天上人が置かれた複雑な状況が関係していることを否応なく匂わせるものだった
「天上人の原在――『八光珠』。世界創世の当時に八人いた彼らは、長い大戦を経る中で次々と命を落とし、聖魔大戦の後期には前天上人の綺沙羅様お一人を残すだけになってしまっておりました」
(たしか、示門さんのお母さん……)
天上人最後の原在――先代天上界王「綺沙羅」の名を聞いた詩織は、それが地獄界で会った最も忌まわしきものの片割れである赤鬼「示門」の母親であることを思い返す
詩織も詳しい馴れ初めのようなことまでは聞いていないが、それに関して最低限の知識は地獄界で聞いて知っている
「しかし、その綺沙羅様が地獄界王との戦いで消息不明となり、天上界は全ての原在と王を失ってしまったのです」
そして、その知識をなぞるように真響が続けた言葉は、それを裏打ちするものだった
「それは、他の世界から見て、一段以上戦力を失ったということなのです。当然そうなれば、闇の勢力からすれば格好の標的。――現にこの世界は、光の世界の中で最も多く侵攻を受けてきました」
「……ぁ」
そして、それに重い声音で続けられた出雲の言葉は、詩織はもちろん大貴にも理解できる現実を告げるものだった
原在とは、神から生まれたその種族の始まり。神に最も近い神格を持つ最強の存在であると同時に、その精神的な支えでもある
その全てを失えば、他の世界と比べて戦力が著しく落ちるばかりか、多くの者の心に深い傷を残すのは必至だ
聖魔戦争の中で地獄界王黒曜と戦い、綺沙羅が姿を消してしまったことで、天上界は全ての八光珠を失ってしまった
その結果、戦力が低下していると判断された天上界は、敵対していた闇の全霊命達から激しい侵攻を受け、甚大な被害を受けた過去があるのだ
「お気になさることではありませんよ。昔のことですから」
思い至らなかったとはいえ、詩織と大貴が無神経に過去の辛い出来事に触れたことを悪く思っているのを感じ取った真響は優しく微笑みかける
(……!)
しかし、大貴と詩織にそう言うと同時に自分達に向けてさりげなく一瞥が向けられたのを神魔は見逃すことはなかった
昔の事だとはいえ、情報を受け継ぎ、当時を生きてきた天上人達にとって、その時期は決して忘れられるものではなく、その記憶力がその時を色褪せることも許さない
戦争中だったことや無関係な大貴や詩織はともかく、神魔や桜、瑞希といった闇の全霊命に対し、複雑な感情を抱いているのは否めなかった
「それで、そういった事情からこの世界の生き物たちを、城の中の空間に擬似的に非難させて守護する制度が一時取られていたのです。その名残ということですね」
神魔達を一瞥した真響はその視線を進路へと向けて、眼前に広がる草原を双眸に映して感慨深げに言う
そういった激しい攻撃を受けたために、天上人はこの天上界に生きる命を自分達の最期の砦である天上界王城に匿い、種の滅亡を防いだ――それが、この城の中に無数の空間が連結して存在している切実な理由だった
(まるでノアの箱舟だな)
天上界王城に作られた空間の由来を聞いた大貴は、故郷に伝わっている神話の一節を思い返し、先を行く天上人二人の後に続く
「天上人というのは、そういう方々なのですよ。とても慈悲深く、仲間も多くの命を見捨てない光の種族の中でも特に心優しい方々です」
そこで話が途切れてしまうのも気まずいと思ったのか、リリーナが大貴と詩織、そして出雲と真響にも聞こえるように言う
先程の話に合ったように「八光珠」と呼ばれ、八人いた天上人の原在達は、戦いの中で次々に命を落としてしまっている
だが、それは決して八光珠が他の原在に比べて弱いからではなく、むしろ積極的に戦いの場に赴いていたからというの正しい
九世界を総べる八種の全霊命、その光の四種族の中でも天上人は最も心優しく、慈悲深いことで知られている
危機にある仲間を見捨てることができず、それがいかに過酷な戦場であろうとそのかけがえのない命を守るために戦場に身を投じる。
それはある意味、自分の大切なもののために、それ以外を切り捨てることをいとわない闇の全霊命の対極にあるといえるだろう
決して自分の命を軽んじているわけではないが、他の光の存在よりも強く自らの命を賭して戦う天上人は英雄気質ともいえるその在り方故に、極めて死に近い生き方をしている。その結果が七人の光珠を失う要因の一助となったともいえる
「それに、天上人は防御や回復に特化してる。闇の存在からすれば、無視できないだろうからな」
天上人の在り方を説明したリリーナに続くように、クロスは天上人の力の性質について説明する。それは、天上人達へのフォローという意味以上に、大貴に天上人という存在をより深く理解してもらうためのものだ
天上人の神能である「天力」は、九世界を総べる八種の全霊命の中で最も結界や障壁といった防御、治癒能力に長けている
それは単に後衛として長けているというだけではなく、戦場に於いて比類ない力を発揮し、更に癒しの力が逆効果となる闇の全霊命達にとっては脅威そのものとなる
そんな力を持つ者が光の軍勢に混じっていれば、真っ先に狙うのが戦術というもの。その結果、犠牲を拒む種族としての気性とも相まって、次々と原在達が命を落としていったのだ
「この先が玉座の間です」
そうして、天上人についての簡単な説明と共通の理解を深めたところで、先導する出雲と真響が足を止め、眼前にある扉を示す
(これが? えっと……扉が置いてあるだけのような……)
それにつられてやや前のめりになった詩織は、真響が指し示す先にあるもの――中央が太くなった柱を両端に持つ荘厳な白い扉を見て内心で首を傾げる
天上界王城内の空間を拡張し、仕切ることで成立している空間は、それぞれを扉が繋いでいる。しかもその扉もまた空間を結ぶ〝門〟であるため、通常の扉のように壁と一体化しているのではなく、まるでそこに置いたかのようにして鎮座しているだけ
後ろにまでこの草原の空間が続いているというのに、扉だけが置かれているというのは少々異様な光景ではあるが、この天上界王城では至る所にこうして扉が置かれており、複雑に入り組んだ城内の空間と繋がっているのだ
「どうぞ」
その言葉と共に玉座の間へ通じるという荘厳な扉がゆっくりと開くと、そこには反対側の光景ではなく波立つ水面のような波紋が生じた空間が存在していた
それが、この扉が内包する二つの空間の接地面ともいうべき通路。横に五人は並んで入れそうなその扉をくぐった大貴達の前に、玉座の間と呼ばれる世界が姿を現す
「――ここが、玉座の間……」
そこに存在していたのは、一面を満たす湖面に蓮のような花が咲き誇る空間だった。透明な泉には龍を思わせる歪曲した橋がかけられており、至る所に四阿のような建物が並んでいる
水面に咲く蓮のような花が淡く発光し、まるで灯篭のようにこの空間を彩る幽玄で幻想的な視界に収めながら、大貴達は緑の蓮葉が浮かぶ透明な泉に懸けられた橋を出雲、真響と進む
「……」
(この力は……天上界王か)
二人の天上人に連れられ、一歩一歩進んでいく大貴は自分達が進む先に、強大な天力が鎮座しているのを知覚して、気を引き締める
この世界を束ねる最強にして最後の天上人が放つ清廉で、透き通るような清澄感を感じさせるその力に大貴が身を引決めていると、一際広い橋の手前で出雲と真響が足を止める
「?」
橋の欄干に沿うようにして広がり、自分達の方へと向き直った出雲と真響に大貴が怪訝に眉根を寄せると、頭上に光輪を浮かべた二人の天上人が目礼する
「私達はここでお待ちしております。――あちらにおられるのが、天上界王『灯』様です」
そう言って二人が視線で暗示した橋先には、一際大きな小島浮かび、そしてそこには他の四阿とは違う荘厳さを持つ一際豪華な建造物が佇んでいた
「……」
二人のその言葉に、リリーナや神魔、クロスと視線を交錯させた大貴は、意を決したように頷いて先頭を切って足を踏み出す
橋の欄干の親柱の前に佇んでいる出雲と真響の傍らを通り抜けた大貴達は、玉座の間と呼ばれる空間――その中心である玉座へと通じるその橋道を踏みしめる
天上界王をはじめとする天上人の実力者の天力がいる場所へと通じるその橋は、極めて強い清浄な空気に満ち満ちており、そこにいるだけでまるで自分が透明になっていくのではないかと思ってしまうような感覚を覚える
室内だというのになぜか存在する青空の下、灯篭のように光る蓮花に見守られながら進む大貴達の前に、その橋の終点――天上界王の御座がはっきりと姿を現す
それはまるで一つのオブジェクトのような荘厳さを持った四阿。玉座そのものでもあるその四阿は一段高く作られており、その前に立っても見上げなければその下にいる人物と視線を交わすことができない造りになっている
四方を囲む朱色の柱に、翠の瓦を乗せた屋根。御簾か天幕を思わせる薄桃色の布が屋根の下に張り巡らされたその四阿の中には、人が三人は並んで座れるであろう横長の玉座が置かれており、そしてそこに一人の天上人が鎮座していた
「――……」
その人物を前にするなり、慣れた所作で跪くリリーナと瑞希に続き、神魔やクロス達を横目で見ながら、大貴は一人直立不動で立ったままで玉座に座す天上人へ視線を向ける
特に跪かなかったからといって不敬だと言われることはないだろうが、礼を尽くす意味でも頭を下げるメンバーとは違い、あくまで主賓として招かれた立場にある大貴は、頭を軽く下げるだけでも問題はない
むしろ下手に恭順の意志を示すべきではない大貴は、これまでの世界でそうしてきたように、礼を欠かない程度の態度で天上界の王に謁見する
(あれが、天上界王……)
その視線の先にいるのは、癖のない長い翠金色の髪を持ち、頭上に光で形作られた輪を浮かべた天上人の女性
ドレスを彷彿とさせる袖のない白い霊衣に身を包み、その雪のように白い腕には反対側がうっすらと透けて見える薄桃色の羽衣が絡みついている
全霊命特有の現実感がないほどに均整の取れた美貌に浮かぶその面差しは儚げで、深い慈愛の中に一抹の物悲しさを感じさせるもの。それはさながら、痛みを抱えながら他者に微笑みかける聖母のようだった
そんな天上界王が座す横長の玉座の左右それぞれの後方には、その護衛、あるいは側近にあたるであろう厳格な面差しをした薄金色の髪を持つ男と、橙金色の髪を持つ落ち着いた印象の美女が控えている
「お目にかかれて恐悦に存じます。私は光魔神様の随伴を任されている悪魔、瑞希と申します」
跪き、目を伏せたままでこれまで各世界を訪れる度に述べてきた口上を以って礼を尽くす瑞希に、玉座の間に座る天上界王は、その笑みを一層深いものに変える
「ご苦労様です。そちらが」
「光魔神、大貴です」
その笑みに感謝を述べた灯に、夜天に一つ煌めく導きの星を思わせる輝きを宿した瞳から眼差しを向けられた大貴は、頭を下げて自己紹介する
「ようこそお越しくださいました光魔神様とその御一行様方。私は、天上界王を任せていただいている『灯』と申します」
そう言って語り開けてくる天上界王灯の声は、鈴の音を転がすという表現がよく似合う透明感のある澄んだものだった
「お久しぶりでございます天上界様」
「お久しぶりですね、リリーナ様。最後にお会いして、もう何千年になるでしょうか」
聴覚から魂が清められていくような声で語りかけた天上界王に、天界の姫として面識のあるリリーナが
名乗ると、それに続いて神魔、桜、クロス、マリア、詩織が形式的に名乗っていく
あらかじめ同行者たちについての名前と情報は知っているが、儀礼として神魔達が名乗ったのを受けた灯は、目を細めて口を開く
「これまでのご活躍は聞き及んでおります。皆様にはこの世界で一時の休息を取っていただき、我々も親交を深めさせていただければ幸いと思います」
軽く目礼した灯が本心と建前が等しく混在する言葉を述べたところで、その背後に控えていた男が口を開く
「王よ、よろしいでしょうか?」
「は、はい」
薄い金色の髪に、それと同じ色の口髭を蓄えた精悍な顔立ち。足元まで届く羽織のようなコートの上に
龍の爪を思わせる肩鎧を付けた男が低く抑制した声で口を開くと、灯はそれにわずかに表情を曇らせて応じる
「?」
灯が見せたその反応に一瞬眉を顰めた大貴だったが、それについてなにかを考えるよりも早く、その男がこちらへと視線を向けて話を切り出す
「皆様、ようこそ天上界へお越しくださいました。私は天上界王様の補佐を務めさせていただいている『邑岐』。そしてこちらが――」
灯に次いで歓迎の言葉を述べた邑岐と名乗る天上人が視線を向けた先にいるのは、一論の花のように淑凛とした佇まいで控えていた女性天上人だった
長い橙金色の髪を頭の後ろで翼のような白い装飾で二つに結わえ、ドレスのような霊衣を纏った静かな印象の女性は、邑岐の言葉に応じるように、伏せていた顔を上げてたおやかな笑みを浮かべる
「天上界王相談役『霞』と申します」
その澄んだ瞳に大貴達を映し、可憐な花を思わせる微笑を浮かべた天上人――「霞」は、そう言うと共に灯に優しく視線を向ける
霞のその眼差しを受けた灯は改めて姿勢を正すと、先程まで浮かべていた微笑を消して厳かな様子で口を開く
「それと、皆様にご紹介するお方がおります」
神妙な声音で言葉を紡いだ灯が自身の斜め前方――玉座の前にいる大貴達から少し離れた場所へ視線を向けると、その空間が揺らいでそこから一人の人物が姿を現す
そこに現れたのは、白い鎧を纏い騎士を彷彿とさせる霊衣に身を包んだ四対八枚の純白翼を持つ天使の女性
前髪を十字の青いカチューシャで止めた夕焼けのように鮮やかな橙色の長い髪を揺らすその天使は、気品のある凛とした面差しに柔和な笑みを浮かべ、大貴達の姿をその双眸に捉える
「――!」
(こいつは、たしかあの時の……!)
その姿を前にして自身を含めた全員が息を呑む傍ら、その存在から発せられる聖烈な光力を知覚した大貴はその力に記憶を呼び起こす
今目の前にいるこの天使を大貴はかつて見たことがあった。
それは、こうして九世界を回るために光の世界の代表的存在である天界を訪れ、天界王ノヴァ達と謁見した際、その一段下に控えていた天使
クロスの兄である「アース」、ヘイルダートの悪夢の中心となった「オルセウス」、「ファグエム」と肩を並べる天界の最高戦力――「四聖天使」の一人。
「……四聖天使、ノエル」
記憶から呼び起されたその名前を無意識の内に零していた大貴に答えるように、その場で足を止めた夕橙色の八枚翼の天使――「ノエル」は、微笑みを浮かべて胸に手を当てる
「『ノエル』、様……」
リリーナとマリアが強張った表情で声を詰まらせるのを聞きながら深く一礼した橙髪の天使――「ノエル」は、ゆっくりと顔を上げてその麗貌に神秘的な微笑を浮かべるのだった