異端神・神器・神片
九世界の一角を成す地獄界の中枢たる鬼羅鋼城。その上空では、二つの闇がせめぎ合い、その力を振るって眼下に広がる大地に破滅の意志を現象として顕現せしめていた
その発生源は神威級神器を発動した地獄界王「黒曜」と異端神「罹恙神・ペイン」。――共に神位第六位〝神〟の神格を持つ二人の力が世界を滅ぼして余りあるその威を占めていた
しかし、その二つの黒い力の拮抗も長くは続かなかった。神速の知覚世界の中でさえ一瞬にも満たない時間せめぎ合った二つの力は、次の瞬間に明確な優劣を結果として顕現させる
「――ッ、ぐ、ゥ」
力のせめぎ合いに敗れ、かき消されたのは病の神である罹恙神の力である「罹痛」。その力によって病闇が凝縮した鉈矛を破壊された罹恙神は、その威力に吹き飛ばされながら自身の力を正面から打ち負かした黒曜へと顔を向ける
武器そのものである身体――その仮面のような目のない顔を向けて黒曜を見据える罹恙神の視線の先で、鬼のそれとは全く異なる純黒の神能を行使する鬼の王は、更なる追撃のために天を蹴っていた
必然、それを迎撃するために罹恙神は病闇の力を解放し、それそのものが命を有しているかのような触手鞭として多方向から一気に黒曜を呑み込ませる
たが、罹恙神が放った渾身の病闇も黒曜の純黒の力が内側から滅却せしめ、異変と異常の力の渦に呑み込まれたはずのその身体に一切の変化は見られなかった
「オォォオオオォォォッ!」
地の底から響く怨嗟の塊のような咆哮を上げる罹恙神が黒曜の太刀を病闇の鉈矛で迎撃し、世界を歪ませる意志の奔流を放つと同時、その黒い力の渦を切り裂いて飛翔した救世の輝きが病神を斬りつける
「――っ!」
「私のことも忘れてもらっては困るわよ」
武器そのものである罹恙神に全霊の斬撃を叩き付けたシルヴィアは、その一撃でつけた傷と武器を介して伝わってくる衝撃を感じながら淡泊な声で言う
横からの攻撃によって体勢を崩した罹恙神に即座に、神位第六位の神格を得た黒曜の二撃目の斬撃が叩き込まれ、その身体を力の限りに吹き飛ばす
(――地獄界王・黒曜の神威級神器〝終死末〟ね)
言葉を交わしてこそいないが、共通の敵を屠るため――あるいは、あちらをより優先している黒曜が追撃のために傍らをすり抜けていくのを目で追いながら、シルヴィアは心の中で小さく呟く
救世主となったシルヴィアと一瞬だけ視線を交わした黒曜は、転移にさえ等しい速度で先程自身が吹き飛ばした罹恙神に肉薄すると、その身体に渾身の純黒が宿った斬撃を突き立てる
「オ゛オ゛オ゛オ゛ォォッ」
戦うために形作られた身体を太刀の切っ先が貫き、純黒の力がその内側に感染した罹恙神を灼くと同時に、苦悶の色が混じった声が上がる
太刀の刃を突き立てる黒曜を排除しようと、罹恙神から放たれた病闇の奔流がその身体を呑み込むが、異変と異常をもたらすその力の中、黒曜は平然としていた
「無駄だ。この神器は、闇の神位第三位――〝終焉神・エンド〟の力の欠片を宿すもの。この神器を発動した俺は、いわば死と滅びそのもの。〝病〟が終わりを侵すことはできない」
神能で構築された完全に近い存在である全霊命すら侵す病闇の力に晒されながらも平然とする黒曜は、太刀を突き立てた罹恙神を睥睨して冷淡な声で言う
地獄界王黒曜が有する神威級神器「終死末」は、闇の神位第三位「終焉神・エンド」に象徴される力の一端が結晶化したもの
闇の神々の中でも三番目に高い神格を持つかの神は、死や破滅といった理の上位に位置し、それそのもの。その名の通り、終焉を司る神の力によって、全てを終わらせる力を手に入れた黒曜は今や滅びの化身となっていた
そんな終焉の滅びの力となった黒曜の力によって、病の神である罹恙神の力は完全に封殺されてしまう。
罹痛の異変の力は、相手に合わせて耐性や攻撃性を変質させ、異常をもたらす凶悪にして強力なものだが、〝病〟とはあくまで「正常なものを異常にし、死を与える力」。その力では、死と滅びそのものを害することなどできはしないのだ
(ここまで相性の差が出るものなのね――あの力は、罹恙神にとってまさに天敵……!)
終末の闇を総べる黒曜が罹恙神を圧倒して戦う様を見据えるシルヴィアは、その凛とした眼差しに思案の色を浮かべる
神能、あるいは神の力は現象と事象を滅ぼし、創造する。たとえ、一見相性が悪そうに見えても、神格さえ等しければその力は完封とまではいかずともそれなりの効果を発揮するのが常
それは当然罹恙神の罹痛も例外ではない。本来ならば、癒し、死――そういった相性の悪い概念が相手でさえ、完全に無力化されることはない
事実、その力による破壊そのものは確かに黒曜に対して一定の効果を上げている。しかし、その異常や異変をもたらす力、あるいはそれに対応して悪性を最適化する力は、黒曜の神器が生み出す終焉の力を前に完全に沈黙してしまっていた
あらゆる異変と異常に侵される余地のない終末の闇の力に世界そのものが怯え、震えあがる
「オ、オォォォオオオオォッ!」
自身の病闇を滅ぼす終滅の力に、地の底から響くような唸り声をあげて罹恙神が収束した力を解放する
理さえ蝕む神の病が吹き上がり、世界を呑み込んで渦巻いた瞬間、天空から飛来した聖なる光がその闇靄を吹き払う
「――!」
自身の前でうねる病の海渦を突破しようとしていた黒曜は、光によって開かれた道に軽く目を瞠り、肩越しに軽く一瞥を向ける
その視線の先にいるのは、先程の聖光の流星を放った人物――救世主。荘厳なハルバートを手に神々しい霊衣をなびかせる神の御使いの清廉な居住まいに目を細めた黒曜は、今倒すべき相手へと意識を戻す
「オオオオオッ!」
絶望の中で輝き、道を照らして導く救世の輝きによって穿たれた病闇の孔を突破した黒曜は、神器によってもたらされた滅びの闇を注ぎ込んだ太刀を全霊を以って病の神へと突き立てる
「――ッ!」
反撃の病闇も、それが凝縮された鉈矛さえも貫き、その武器である肉体を貫かれた罹恙神は、その衝撃に息を呑む
その神格、意志の強さに比例した強度を持つ武器でもある鎧のような肉体を貫かれた罹恙神は、その内側から黒靄の病力が吹き上げて苦悶の呻きを上げる
神器によってもたらされた黒曜の滅闇の力によって、異常と異変によってあまねくものを死に近づけ朽ちさせていく病に〝死〟がもたらされる
突き立てられた刃から体鎧の内側に注ぎ込まれる滅びの闇によって、罹恙神の身体に亀裂が走り、その中で猛威を振るう破滅の黒がその隙間から溢れ出す
「オオォォォォォォ……」
その苦しみに耐えかねたのか、呻くような声と共に亀裂の入った身体から罹恙神本来の腕が現れ、刃を突き立てる黒曜に掴みかかる
しかし、力任せに引き剥がそうとするその手を滅びの力で弾いた黒曜は、砕けた鎧体の中から姿を見せた罹恙神の黒窩の瞳を見据えて言う
「終わりだ」
その命に引導を渡すべく、黒曜は全霊の力を込めた最後の一撃を撃ち込まんと、罹恙神に突き立てた太刀を握る手に力を込める
「そこまでよ」
しかしその時、横から響いた凛とした声に、黒曜の必滅の一撃はあと一歩のところで発動を停止し、罹恙神の滅殺を寸前で止める
「――なぜ止める?」
しかし、太刀の切っ先を止めた黒曜の瞳には衰えることのない純然たる殺意が宿っていた。自身が総べる世界を蹂躙され、多くの同胞の命を奪った相手を仕留めることを承服しかねる黒曜は、その視線で先の声の主であるシルヴィアへ理由を乞う
説明如何ではその言に従うつもりはないという意志を暗に滲ませる様子で言う黒曜の視線にもシルヴィアは一切怯まずに応じる
黒曜が太刀を止めたのは、その声の主がシルヴィア――円卓の神座№10「護法神・セイヴ」の神片の言葉だったからだ
九世界に住まう者とって、護法神が光の絶対神である創造神の神臣であることは常識。この世界にはおらず、干渉さえしてこないとはいえ、世界の頂点たる神位第一位の勢力に属する異端神の神片を無下にするなど、王としてはありえない選択だ
しかし同時に王にとって神とは崇めるものではあっても従属するものではない。――少なくとも〝そう〟だった時代は終わっている
その言葉に耳を傾け、一考するだけの余地はあるが、それが納得できないものの場合、黒曜にシルヴィアの言葉に従うつもりはなかった
「そいつは、私が封印するわ」
太刀に貫かれた罹恙神へと視線を向けたシルヴィアが凛と澄んだ清涼な声音で言うと、その言葉に黒曜は剣呑な眼差しを返す
「封印……」
繰り返すように呟かれた黒曜の言葉に鷹揚に頷いたシルヴィアは、罹恙神へと視線を向けて話を続ける
「異端神は神のように死んでも生まれ変わることはできない。同じ異端神が完全に滅ぼされるのはあまりいい気分のするものではないし、その病の神はここで殺しても滅びないわよ
あなたの神器の力では、確かにそこにいる罹恙神は殺せるでしょうけれど、世界に染み込んだ病の力まで殺し切ることはできない。世界に染み込んだ病の力は、いつかまたどこかで新たな罹恙神となって生まれ変わる。ならば、今それごと封印を施せば彼は復活できない」
「……確かに。一理あるな」
罹恙神を殺すのではなく封印するというシルヴィアの理由を聞いた黒曜は、その内容に一部の理を見出して頷く
二柱の絶対神――創造神と破壊神に列なる光と闇の創世の神々は、完全存在と呼ばれ、絶対神が滅びない限り、その名と力を継承して何度でも生まれ変わることができる
対して異端神は、神の領域に等しい神格こそ有しているが、二柱の絶対神の戦いの中でその力の欠片から生まれた全霊命に当たる
罹恙神もまた、神の領域にある全霊命であり、一度滅びれば二度と甦ることはない。しかし、神と呼ばれるだけの存在である罹恙神を殺すことは並大抵のことではない
異変と異常とは、この世界に正常がある限りその存在を確約されたもの。罹恙神の降臨からこれまでに放たれたその神能――「罹痛」は、世界に〝感染〟して根を張っており、それを完全に取り除くのは黒曜の神器終死末の力では困難を極める
ここで仮に罹恙神を殺したとしても、世界に感染した病の力が病原となり、いずれ新たな罹恙神を復活させてしまう――ならば弱っている段階で封印し、復活を阻止するのが最善ではなくとも最良だ
「いいだろう。お前に任せる」
依り代に宿り、その命を貪って存在する特性を持つ罹恙神を放置すれば、遠からぬ未来に多くの全霊命がその餌食になるのは必定。
そんなことになるくらいならば、封印した方がいいと判断した黒曜は、シルヴィアの申し出を了承してその対処を一任する
「かしこまりました」
黒曜の言葉に目を伏せて鷹揚に応じたシルヴィアは、世界を救う救済の聖光を解放し、その力を以って病の神に封印の戒めを施す
シルヴィアから翼のように放出された守護の光がその上空で織り紡がれ、荘厳な純白光の槍を形どると、それが罹恙神の胸の中心を穿つ
半死半生の損傷を与えると同時に、光の束を生み出した純白光の槍は、そのまま封印の要たる杭となって病の神をその内側へと閉ざしていく
護法神の力である守護の力が、内側にあるものを外側から、外側にあるものを内側から守護る断絶領域を形成し、光の中に罹恙神を呑み込む
瞬きほどの時間を経て、収束した封印の守護光が手のひら大の水晶柱へと変化すると、シルヴィアはそれを手に取って目を伏せる
罹恙神を封印した水晶柱を手に佇むシルヴィアがふと視線を向けると、そこには敵意というほど強くはないが、訝しさと警戒心の滲んだ眼差しを送ってくる地獄界王黒曜の姿があった
「あなた方の目的は一体なんだ?」
自身の視線に気づいたシルヴィアがその眼差しを返してきたのを見て取った黒曜は、終死末の力を発現させたまま、剣呑な声音で問いかける
シルヴィア――救世主の神片がこの地にあり、その力を振るっているということは、そこに守護の眷族の神たる護法神――そして、その神が使える神々の頂点「創造神」が関与しているのは明白
神による世界への干渉を禁じた不可神条約がある以上、間接的であれその意図や意志が告げられることはないと分かってはいるが、この世界を預かる王として黒曜はそれを訊ねずにはいられなかった
「私などにかかずらっている暇があるの? 罹恙神は封じたとはいえ、その眷属達までが同時に消えるわけではないのよ」
そして、そんな黒曜の問いかけに一拍の間を置いて返されたシルヴィアの答えは、予想から外れることのないものだった
その言葉の通り、罹恙神から生まれた病神の眷属――「感染者」は、未だこの世界に蔓延り、九世界、十世界に属する者達と戦いを繰り広げており、それは黒曜にとって見過ごすことのできないことだ
「――……」
黙して語らず、しかしそれ故に何よりもその裏にあるものを雄弁に物語るシルヴィアの沈黙にしばし視線を注いでいた黒曜は、これ以上の追及を諦めて救世主に向けていた張りつめた意識を緩める
「あちらへの助太刀は無用よ」
それを見て取ったシルヴィアは、ここから離れた鬼羅鋼城の空で渦巻く黒白と金色の神の力へ一瞥を向けた黒曜に告げる
その瞳から注がれる意志に視線を背けた黒曜は、先程封印された罹恙神の眷族が蔓延っている鬼羅鋼城門前へと向かう
「神の意志、か」
罹恙神を封印した水晶を手にその場に残ったシルヴィアの存在を知覚の端で捉えながら独白した黒曜は、小さく呟いたその声を残して神速で空を翔ける
そんな黒曜の姿を見送ったシルヴィアは、そのまま天を渦巻く黒白と金色の力へと凛とした眼差しを向けるのだった
※
地獄界王城の上空――全てを一つに取り込む太極の力と、破軍と征伐の象徴たる金色の戦の力が激突し、その力の主たる二人がそれぞれの武器をぶつけ合って力の火花を散らす
この世界で唯一、光と闇の力を等しく持つ神能「太極」を行使する光魔神――大貴は、金色の光で形作られた武器を従える覇国神の神片「帝王」と刃をせめぎ合わせる
光魔神の左右非対称色の瞳と、覇国神の眷族の証である帝王の瞳のない白目が交錯し、そこに交わることのない純粋な黒白と金色の力の欠片が映る
互いの刃とそこに宿った力が拮抗し、純然たる意志が世界を軋ませる力となって吹き荒れる。その意志によって天が荒れ、大地が震える様は、まさに〝神〟の表れだった
「――っ」
神速の世界の中での一瞬にも満たない鍔迫り合いを介し、そのままでは互いに押し切れないと判断した大貴と帝王はそれぞれ後方へ下がって一旦距離を取る
瞬間、大貴が今までいた場所には金色の力によって形作られた槍が、帝王がいた場所には太極の力が収束された黒白の砲撃が通り抜けていく
神の領域にある二人の神能は、その意思を離れて尚能力と力の顕現を可能とし、その意思に呼応しての能力の発揮する
その力によって先の一合と同時に発現していた二撃目を互いに回避した大貴と帝王は、それに怯むことなく更なる攻撃を繰り出す
「はああああっ!」
「オオオオッ!」
その力を収束した砲撃、武器による激突。神の神格によってもたらされるこの世の理を超越した神の速度と破壊の力がぶつかり合い、互いの力が火花を散らす
織りなされる幾億の力の激突が世界を黒白と金色に染め上げ、互いを呑み込もうとするように入り混じる色は、さながら大貴と帝王、二人の戦いそのものを表しているかのようだった
「――?」
(おかしい)
刃を打ち合わせ、世界を数えきれない回数滅ぼして再生させるだけの力を持つ力の激突に身を晒す大貴は、相対する帝王に疑問を覚える
(こいつ、さっきまでと何か様子が違う……?)
大貴が帝王と戦っているのは、帝王が神魔を殺そうと願っているからだ。全ての攻撃を阻む〝神の領域〟を具現化した羽織の神器――「神覇織」を纏っていた霊雷を、神魔は神の力もなく滅ぼして見せた
神の力を以ってしか崩せないはずの神域の守りを、ただの全霊命でしかない神魔が力のままに崩した。――それは、この世の理を無視したあってはならないことだ
故に当初帝王は、その力を持つ神魔を危険視し、十世界――ひいては世界そのものの均衡と安寧のために滅ぼさんとしていた
必然、その表情は正体の分からない危険な力への危機感から険しいものになっていた。しかし、今の帝王の表情からは、そういった感情が消え去っているように思えてならない
「何か、良いことでもあったのか?」
黒白の力を纏う太刀を振るった大貴が、その疑問を晴らすべく問いかけると、帝王はその存在を体現したかのような泰然とした平静な面差しで応じる
「光魔神。貴様も奴らの異常な力を感じるだろう? あれを――いや、あれらをこのまま野放しにしておいてもいいのか?」
そう言って軽く顎でしゃくるようにして帝王が示したのは、鬼羅鋼城の一角で吹き荒れる純黒の力の奔流の中心だった
そこにいるのは、言うまでもなく神魔と桜。互いの魔力を共鳴させ、原在にも劣らぬ神格となったその力によって感染者をことごとく滅却するその姿だった
相手によって耐性を変え、優位性を確保する病の力を前に、神魔と桜の魔力は一切の翳りなくその力を振るい、容易く病神の眷族達を葬っていく
力に触れずとも感染してくるその力の影響さえ一切受けていない様子の神魔と桜は、やはり一介の全霊命として通常の常識ではありえない力を発揮していた
「俺は世界を選んだりしない。それが、全のやり方だ」
二人の存在の危機感を煽るように言う帝王の言葉に、神魔と桜から意識を離した大貴は、その太刀の一閃と共に確固たる意思の宿った左右非対称色の視線で応じる
その言葉に金色の王笏杖を巨大な両刃剣へと変えた帝王は、大貴の斬撃を受け止めると、そのまま空中で転進して一直線に突っ込む
「っ!」
神速のままに一条の金矢と化して突撃してきた帝王の一撃を回避した大貴が空いた胴に横薙ぎの一閃を見舞った瞬間、その身体が靄のように霞んで消失する
「ならば余は、この世の泰平のためにそれを脅かすものを切り捨てて見せてよう。それが、王であるがゆえにな」
それに一瞬気を取られた大貴が生み出したすきを逃さずに肉薄した帝王は、金色の戦力に満ちた一撃を太極の神へと叩き込む
「く……そッ!」
(こいつの知覚を錯覚させる力、厄介すぎる……!)
帝王は、その名の通り全ての戦の眷族によってその存在を確立し、戦神の眷族の武器と能力を行使できる
その中でも、同じ覇国神の神片の能力である「襲撃」は、「知覚を錯覚させる」とう群を抜いて厄介な能力だった
全霊命は相手の存在そのものである力を知覚し、その威力や規模などを認識して対応している。相手の存在そのものを見る力である知覚は全霊命の戦闘と生活にとって最も大きな割合を占めているのだ
しかし、帝王の襲撃の力はその知覚を狂わせる。死神や戦神の眷族「斥候」のように知覚をできないようになるばかりではなく、虚構の知覚対象を作り出すことでその行動や動きを誤認させ、攪乱して錯覚させるのだ
「――……」
なまじ知覚によって相手を捉える戦いを身に着けてしまっている分、その虚像を知覚して反応してしまう大貴は、虚構と真実を入り交ぜた知覚反応によって仕掛けられる帝王の変幻自在の攻撃に翻弄されてしまっていた
「でもまぁ、大分その力にも慣れてきたけどな」
大剣の一薙ぎを受けた太刀を軽く振るった大貴は、黒白が混じり合うことなく同時に存在する左右非対称の翼から太極の力を解放して言う
「これは――余の力を取り込むため、か」
周囲一帯を呑み込むように広がった黒白の球雲を見回した帝王は、その意味を察して淡泊に応じる
「あぁ。知覚の幻は、この力にお前本体よりほんの少し早く取り込まれる。その差を見極めれば、お前の本体を見失うことはない」
知覚を錯覚させる帝王の襲撃に対応するために大貴が講じたのは、あらゆるものと共鳴する太極の力によってそれを封じる力だった
相手の力を自分のものとし、自分の力に相手の存在さえをも合一する太極の力は、常に帝王を取り込もうとしている。しかし神格が同等であるために、その力は相殺され思うようにその力を発揮できずにいた
しかし、襲撃の力によって生み出される知覚の幻影は、その力に帝王自身よりも抵抗力が弱く、早く取り込まれる。それを知っていれば、知覚を隠した帝王を見つけ出すことも不可能ではなかった
「ならば、精々その一瞬を見誤らないようにするのだな。貴様を手にかけたと知れば、姫が悲しむ」
襲撃の対策を講じた大貴の言葉に鼻を鳴らして応じた帝王は、その武器である王笏杖を身の丈ほどの大槍刀へと変える
(ここまで来ても、退く気配はないか……)
その姿と、肌を裂くような純然たる殺意に満ちた戦の力に身を晒す大貴は、わずかに眉を顰めて険しい表情を浮かべる
(やっぱり、神魔を殺すつもりってことなのか?)
大貴の知覚は、先程罹恙神の力が消失したのを捉えている。そしてそれは当然帝王も気付いているはずだ
罹恙神は英知の樹に属しているため、味方とは到底言えないだろうが、戦況や状況が大きく変化したのは間違いない
だというのに、撤退する気配を見せるどころか、微塵も翳ることのない純粋な戦意を放っているということは、やはり帝王は神魔を滅ぼそうとしているからなのではないかと大貴は推測していた
(あいつが出てくる前に決着を着ける――!)
先程自分が感じた違和感を今は頭の隅に置いた大貴は、最初に離脱したまま未だに沈黙を守っている悪意の神片――「狂楽に享楽じるもの」へと意識を傾ける
神位第六位となったシルヴィアがいるとはいえ、ここで反逆神の眷族に割り込まれるのは厄介だと考える大貴は、眼前に悠然と佇む王を倒す決意を固める
太極の力は光魔神たる大貴の意志そのもの。その力が全を一に、一を全に合一するものであるとはいえ、無差別に干渉するのではなく、特定の対象に対してその力を発揮させることができるのは必定 その力を以って大貴は、自分達から離れた場所で戦っている二人の共鳴魔力――神魔と桜の力へと干渉の対象を伸ばす
それには、神器をも純粋な力で圧倒した神魔の力を借りることと、それを合一することで帝王が述べていたような危険がその力に無いことを確かめるという二つの意味があった
「――っ!?」
しかし、太極の権能が共鳴して天を衝く純極黒の魔力へと干渉した瞬間、大貴は鼓動が跳ねるよな感覚に見舞われる
(なん、だ、これ……!?)
神魔と桜の魔力に共鳴し、その力を自分のものとしようとした大貴は、自身の身に生じた異変に息を呑む
(まるで、底のない穴に呑み込まれるみたいな――)
全ての感覚が消失し、自分が今どこにいるのか、あるいは存在していることすら疑わしく思えるような深く深い〝闇〟に身を晒すような途方もない感覚
(これは、あの時の……いや)
自身の存在の許す範囲を超えた何かに引き込まれる様なその感覚は、かつて夢想神の力によって、円卓の神々の戦いを目の当たりにした時のような感覚に似て、しかしその時とは決定的に違う恐怖があった
(逆に、俺が取り込まれる――!?)
全てのものを束ね、力とすることができるはずの太極さえも取り込むかのような感覚は、その一端さえもが大貴の力が及ぶべきものではない〝何か〟であることを、否応なく存在の根源にまで知らしめてくる
これまでに感じたことのない力の共鳴の感覚に呑み込まれた大貴は、自身の力と存在の全てを超越し、超克したその力の前に、一つの事実を確信する
(全が、消える――?)
「ぐあっ!」
死すらも超越した完全なる消滅を自覚し、その中に呑まれかけていた大貴を現実に引き戻したのは、その刹那の隙に肉薄していた帝王の一撃だった
大貴を襲っていた異常に気付いていたわけではなく、単に一瞬動きが止まったその隙をついた帝王は、血炎を噴き出しながら吹き飛んだ大貴が地面に激突して爆塵を上げる様を瞳のない目で睥睨する
「――つっ、感謝するべきなのか、分からないな」
その一撃を受けた個所に刻まれた斬り傷から真紅の血炎を立ち昇らせる大貴は、自嘲めいた呟きと共に黒白の力を纏いながら痛みに顔をしかめる
周囲の力と共鳴し、その存在へと取り込む太極の力によって、周囲に満ちる鬼力をはじめとする多様な神能を取り込んだ大貴は、それを使って傷口を癒していく
(便利な能力だ。未覚醒とはいえ、さすがは円卓の頂点が一柱といったところか)
先程一撃を見舞った大剣の切っ先を瞳のない白目で一瞥した帝王は、そこが太極の力によって取り込まれ、わずかに刃が消失している様を見てその視線を険しいものとする
あらゆる力と共鳴し、合一する太極の力の前では、自身へと撃ち込まれた攻撃や武器でさえも例外ではないのだと、わずかに欠けた切っ先が訴えているかのようだった
しかし、そんなことに気を取られて大貴の回復を許す帝王ではない。即座にそれを思考の端へと追いやって金色の王笏杖を軽く振るい、その力を解放した帝王の力の喚起に呼応し、その上空に極大の剣が形作られていく
戦の神とその力に列なる眷属の特性は〝戦い〟。そして、それは蹂躙と破壊へと収束していく。自らの神たる覇国神の名を知らしめるように顕現した金色の大剣には、あまねく者達の寄る辺を覇壊するための力が込められていた
「貴様なら大丈夫だろう。――精々命を落とさぬことだ」
同等の神格を持ち、太極の力を振るう大貴は、帝王であろうと手加減をして勝てる相手ではない
互角以上の力を持つがゆえに、全力で容赦なくその力を振るう戦神の眷族の帝王は、破軍覇国の一撃を大貴へ向けて解き放とうとした
「――!?」
しかしその瞬間、帝王は自身の心臓――否、存在という自らを成す根幹を握り潰されたような圧迫感に、瞳のないその目を見開く
「これ、は――ッ!?」
自身の身に何が起きているのか分からず、全霊の力を持って構築した金色の極大剣を構築していた力の粒子の中から大貴を睨み付ける
「――悪いな、けどあんたのお陰で、今だけ使えるお前を倒すためのとっておきの方法を思いついたよ」
苛烈な怒気の籠った帝王の瞳のない白い視線に、先程の一撃で受けた傷を太極の合一で回復しながら、大貴は左右非対称色の瞳で応じる
それに呼応するように、左右非対称の黒白の翼が広がり、周囲を光と闇を等しく有する唯一の神能――〝太極〟がその神格と権能を見せしめる
「まさか、余にだけ、共鳴を施しているのか……!?」
それを見た帝王は、自身の身に起きた異常の正体を推測し、思わず息を呑む
神能は、放出された力そのものが最も力が強く発現する。しかし、例えその力そのものに触れなくとも、その能力の一端はその効果を与えることができる。それは、その力の影響を以って世界を蝕んでいた罹恙神の罹痛が証明している
ならば当然、光魔神の太極も例外ではない。その黒白の力そのものではなくとも、全を一に、一を全にする合一の力を用いることが不可能なはずはない
「なんでも試しにやってみるもんだな。この力なら、あんたにも通じると思ったんだ」
自身の力が確かに効果を発揮していることを確認し、確信した大貴は、〝この力〟と共鳴した帝王を見据えて淡泊な声音で言う
普通ならば、神能そのものから発現する権能は、同等以上の神格を持つ者には効かない。太極も、黒白の力を直接見舞わなければ、帝王をの力と共鳴することは不可能だっただろう
しかし、先程自分が取り込まれるかのような感覚すらもたらした〝この力〟――神魔と桜の共鳴魔力ならば、効果を発揮するのではないかと考えた大貴の予想は見事に的中した
自分自身は共鳴せず、帝王にだけその力を発現させた大貴は、それによって動きの鈍った帝王を太極の力で呑み込み、今以上の力――先程自分が味わったものと全く同じものを与える
その存在を握り潰されたような感覚に身を強張らせていた帝王は、押し寄せる太極の奔流を回避しきることができず、成す術もなくその渦の中へと呑み込まれ、合一の力と共鳴する
瞬間、神魔と桜の共鳴魔力と合一した太極と帝王の戦の神能が共鳴し、そこに秘められていた〝全てを滅ぼす力〟がその片鱗を知覚させる
全てを滅ぼす闇、全てを呑み込む暗黒、全てを塗り潰す漆黒。――あまねくこの世の全てのものを滅却し、破滅の彼方、終滅の涯へと還すその力が、帝王を存在の根源から呑み込んでいく
(馬鹿な!? 余の民たちとの繋がりが断ち切られていく!?)
完全なる闇の中ですら視力を失わないはずの全霊命をして、ただ〝闇の中にいる〟という感覚以外の全てを失ったかのような感覚の中にいる帝王は、自身の身に降り注ぐ絶望に恐怖する
帝王たる概念そのものの存在でもある帝王は、民――覇国神の眷族達全ての力を有し、その眷族達全てによってその存在を約束されている
たとえ今ここにいる帝王を屠ろうとも、覇国神の眷属がいる限り何度でも甦る力を持っている
しかし、太極の力に共鳴させられている純黒の力によって、今その繋がりが消失させられていた
自身の存在を確約する「王と民」の繋がり。それが失われ、戦の眷族達と切り離され、存在を孤立させられていく〝自らの存在の喪失の確信〟。
底のない破滅を内包する暗黒に呑み込まれた自分という存在が完全に消滅する確信が、否応なく帝王に恐怖をもたらす
(余が、消える)
例え復活すると分かっていても自らの命を軽んじたことは一度もない。むしろ、民の全てを預かる〝帝王〟たる自分の命をこそ、最も重要なものだと位置づけてきた
戦いで死ぬのは恐ろしいが覚悟はある。万が一戦いの果てに敗れ、民もろとも自分の存在が完全に消滅する日を片時も忘れて戦ったことはない。しかし、今帝王を呑み込むのは、そんな覚悟や意志を超越した「絶対的な滅び」――恐怖を越えた何かだった。
「オ、オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
それを認識した瞬間、帝王は、恐怖のままに咆哮し、失った感覚全てを振り絞って力を解放する
恐怖を振り払い、恐怖から逃げるためにその魂から解放され戦の神能が、金色の奔流となってその身を呑み込んでいた純極黒の力をかき分け、一縷の光を見出す
「ガ……ア、アアアアアアアッ!」
苦悶の咆哮と共に太極の奔流を力任せに突破した帝王は、その勢いのまま神速で天へと高く高く昇っていく
金色の力で己を鼓舞し、かき分けるように何もない暗黒を突き進んだ帝王は、その感覚を抜けて光を掴んでいた
完全な滅死の確信から逃れたものの、その心――魂の髄にはその恐怖がはっきりと刻まれ、恐慌にも似た感情の嵐がその思考を粉々に砕いていた
「――悪いな」
そして、そんな帝王の隙を逃すはずもなく、空間跳躍さえも凌駕する神速で肉薄した大貴が、太極を纏う太刀を手にその前に立ちはだかる
「――っ!」
それに気づいた帝王が咄嗟に対応しようとするも、すでに手遅れ。
この世の全てである太極を司る神の太刀が金色の王を袈裟懸けに斬り裂くと同時、真紅の血炎が天を衝くように噴き上がった