赫い未来
「――っ」
地獄界の風に乗り、真紅の鬼力の欠片が天へと舞い上がり、世界へと溶けていくと、それを遠い戦場で知覚した者達は、その事実に小さく目を瞠る
十世界地獄界総督たる赤の戦鬼「火暗」の死。――それは、十世界に属する者達はもちろん、九世界に属する者達にも少なからず動揺を与えていた
「火暗様……」
その死を感じ取り、沈痛な面持ちでその名を呟くのは、その腹心として共に戦ってきた十世界に属する黄の護鬼「桐架」。
病神の眷族が蔓延る戦場で、翼を思わせる形状の白刃を持つ大戦斧の柄を握る手に力を込める
言葉にこそ出さないが、黒刃の太刀を手にした武者甲冑を思わせる鎧をレザー風のコートの上に纏う霊衣を纏った一本角の黒鬼「八雲」、長巻を手にした腰まで届く長い髪を持つ二本角の緑鬼「宇羅」、十世界の鬼の中で頂点に位置する者達もその死を悼んでいた
火暗の存在は、十世界に属する鬼達にとって希望そのものだった。妖界、妖精界を除き、全ての原在が生存している地獄界において、その最強の全霊命――「六道」とただ一人で相対しうる力を持つ火暗は、十世界の鬼達の士気を支える存在だった
力の面ではもちろん、その心根は紛れもなく十世界の鬼達の柱であり、それが失われたことによる精神的な影響は、個人全体を問わず相当なものになることは間違いなかった
「そう。逝ったのね火暗……」
桐架達と同様に、それを知覚した黄の六道――「刈那」は、小さく独白すると、その視線を自身の背後へと向ける
そこには、複数の病神眷属が融合した合併症感染者と相対する赤の六道「戦」がその武器である炎刃の大槍刀を手に佇んでいた
「惜しい男を亡くした」
そんな刈那の視線に、戦は背を向けたまま小さく独白することで答える
自身と同じ赤鬼であり、かつて六道の側近を務めていた火暗のことを思い返す戦の背は、哀愁にも似た物悲しげな感情を語っているかのようだった
「――――」
その大槍刀を握る手に力を込めた戦は、その空気を読まずに襲い掛かってきていた病神の眷族――合併症感染者を一刀の下に斬り裂いて後退らせる
異変の力によって致命傷を免れた病神の眷族の集合体である大病の化生を冷淡な眼差しで射抜く戦は、火暗の思い出と死を胸に秘めてその力を解き放つ
「さっさとこの戦いを終わらせるぞ」
鬼力に乗って戦場に届く戦のその声に、地獄界に属する鬼達はもちろん、十世界に属する鬼達もまたそれぞれの反応を示すことで答える
※
「――……」
それと同じ頃、火暗の死を知覚によって感じ取っていたマリアは、癒しの光で病神の眷族達を癒滅させる手を止めて、その美貌を曇らせる
いかに癒しの力に弱いとはいえ、異常をもたらす病変の力が無効となるわけではない。決して油断のできない戦況にあって、マリアはろくに言葉を交わしたことがあるわけでもない火暗の死に感傷を抱いていた
「……マリア」
そんなマリアの姿を、癒しの光力を乗せた大剣の一閃で感染者達を退けたクロスが案じて遠巻きに視線を向ける
マリアは天使と人間の混濁者。全霊命と半霊命の間に精を受けたこの世に在ることを許されない禁忌の存在
本来なら殺され、当の昔にこの世にいないはずのその命は、多くの想いに支えられて、今こうして奇跡として残っている
そんなマリアからすれば、光の存在を愛し、その間に子供さえをも成した火暗の存在は、自身に――あるいはマリアを生んだ両親に通じるものを感じるのだろうということは想像に難くない
「…………」
そんなクロスの視線に気づいたのか、マリアは曇りがちな笑みを浮かべてばつが悪そうにぎこちない笑むみを浮かべると、その武器である杖を握りしめて四枚の純白の翼を羽ばたかせる
天へと舞い上がり、病神の眷族達が跋扈する戦場に身を投じるマリアの姿を、同じように感染者と戦うクロスは、ただ見守ることしかできなかった
「――なにか言ってやらないのか?」
その時、不意に感染者達を癒しの力を強く発現させた光力で斬り払っていた十世界に所属する天使「シャリオ」が、相対する敵から目を離すことなく言葉だけを向けてくる
「なんて言ってやればいいんだよ」
しかし、自身の相対する敵と戦うために背を向けたクロスには、マリアにかけるべき慰めの言葉など思いつかない
自分には想像もつかないものを背負って生まれ、生きているマリアに、自分が知ったような顔でどんな言葉をかけられるというのか分からなかった
「気の利いた言葉なんていらないだろ。お前は不器用なんだから、自分が思えままに言えばいいんだよ。俺にしたみたいにな」
純白の光を閃かせ、敵から距離を取りつつ移動してきたシャリオが一言そう告げ、翼を羽ばたかせて飛翔していくと、クロスは手にする大剣の柄を握りしめて口を開く
「お前とあいつを同じように扱えるかよ」
かつて、正義と自分の思いを貫いた結果決別してしまった親友の言葉に軽く独白したクロスは、異変と異常をもたらす病神の力を退ける癒しの力を発現させた光力を解放し、大剣の一薙ぎと共に感染者を退ける
その刃には、ずっと特別な想いを抱き続け、大切にしたいと思っている女性に同性であり友であるシャリオと同じように接することなどできないクロスの心中が表れている
「……それを言ってやればいいってことに、あいつはいつになったら気付くんだろうな」
一途で純粋な想いと、それゆえの迷いを雄弁に物語る純白の光を戦いながら一瞥したシャリオは、小さく肩を竦めて戦いに身を投じるクロスの姿に小さく独白するのだった
※
「別れは済みましたか?」
戦場にいる者達が火暗の死を知り、それぞれの胸に様々な思いを抱いている頃、命を落とした火暗が鬼力の粒子となって溶け、世界へと消えていったのを見届けた緋毬の耳に淑やかで優しい響きを帯びた声が届く
「桔梗様」
鬼力に乗って届けられたその声の主――紫の六道たる護鬼、「桔梗」の声に緋毬だけではなく、示門、御門、椿が視線を向ける
「こんな時に酷なことを言うようですが、戦っていただけますか?」
両手に携えた水晶質の撥棍で感染者を打ち払い、天を舞う鼓盾から鬼力砲と結界を展開して複数の敵と戦う桔梗は、その視線が自分へ向けられたのを確認して声をかける
自分の許を離れていた夫を看取った妻と、様々なものを託した父を見送った子供達の心境を慮りながらも感傷に浸っていることを許さない現状を打破するために、桔梗は穏やかな声でその志を問う
原在である桔梗の強さに、傷を負った感染者が自分達の存在を融合させ、合併症として発症している
神能すら侵す病闇の力を持つ病神の眷族と戦いながら、火暗の死を看取る家族をも守っていた桔梗の言葉に、緋毬、示門、御門、椿が互いに顔を見合わせる
「あぁ」
その言葉に、真っ先に口を開いて答えた示門の意思と言葉に続くように、御門と椿が頷いて同意を示し、緋毬が立ち上がる
「ありがとうございます」
その瞳と力に、迷いのない確固たる戦う意志が宿っているのを見て取った桔梗は、その決意に感謝の言葉を届ける
「――力を借りるぜ」
その手に携えた戦斧の柄を握る手に力を込めた示門は、死の間際に父から託され、自身の存在の奥底へと宿った力に呼びかけるように小さな声で語りかける
一瞬にも満たない短い時間、瞼を閉じて神器「神差衡」――火暗から託された力に語りかける示門は、その力を解放して桔梗の手を離れた感染者達を迎え撃つ
「オオオオッ!」
これまで桔梗の力によって阻まれ、抑え込まれていた感染者達が怒涛の勢いで迫ってくるのを瞳に映す火暗は、真紅の鬼力を注ぎ込んだ戦斧の一閃でその大軍を薙ぎ払う
全霊の斬撃と共に解放された神の尺度を持つ示門の鬼力は、感染者を呑み込んで一撃の下に何体、何十体をも消滅させる
「この力は……っ!?」
示門によって振るわれた強大な力を知覚した椿は、その鬼力に宿る神格に思わず息を呑む
(なんて強大な神格――)
火暗から示門へと託された「神差衡」は、相対する敵、あるいはその軍勢と等しい神格を得る神尺の力を持つ神器
しかし、先の一撃で示門が放った一撃は、軍勢を成した感染者達の神格と神能の総量を遥かに上回っていた
(この力は原在――いえ、〝王〟以上……!?)
「おそらく、彼にとって〝敵〟とはこの世界の全てなのでしょう」
「……!」
神器を発現した示門が見せた桁外れの神格に目を瞠る椿、御門、緋毬の耳に、鬼力に乗せられた桔梗の言葉が届く
椿達同様にその力を知覚していた桔梗は、合併症を含む感染者の軍勢と戦いながら、推測される理由を語る
「神差衡は、自身が相対する敵の総数と等しい力を得る神器です。この世界そのものに敵視される最も忌まわしきものである彼は、常に世界全てと戦っている」
そう告げた桔梗は、自身の武器で感染者達を退けながら、その紫晶の瞳に隔絶した神格を持つ鬼力を振るう示門を映す
世界で唯一、光と闇の全霊命の混濁者である「最も忌まわしきもの」として生を受けた示門は、その存在故に世界に居場所を許されず、長い間その想いと戦ってきた
〝あってはならぬもの〟として、世界全てから正しく排斥の意志を向けられてきた示門がその心中で世界を敵視していたとしても何ら不思議はない。
そしてそれを、火暗から示門に託された神器「神差衡」が自身が敵とするものの総数と等しい力を得る事ができる
力を使って実現したのならば、相対する敵を遥かに上回るその力も合点がいく
「あるいは、これこそが神差衡の真髄なのやもしれませんね」
その言葉に、世界全てを敵と捉えている示門の思いを察して椿が息を呑むと、そこにさらに桔梗の涼やかな声が続けて届く
(神差衡は、適合範囲の広い神器。――ですが、その本当の力は、彼のみが引き出せるのかもしれません)
ほとんどの神器は使用者を選ぶ。一つ使えるからといって二つ目が使えるとは限らないが、その適合率は極めて低い。それが、天文学的で奇跡的な確率でしか神の欠片たる神器を使うことができる者の制約とでもいうものだった
だが、神差衡は、そんな神器の中でも適合率が髙い。それは、「必ず相手と同じ強さになり、神の神格には至れない」という神器としては、一段見劣りする能力が故のものだとされる
だが、最も忌まわしきものである示門がそれを手にしたことにより、世界から敵視され、世界の敵意に抗うその意思に答えた神器が世界全て――原在をも含めた全世界にさえ等しい力を発現したのだ
「示門……」
この世の全てを無意識に、本能的に敵視することで得た隔絶した神格と鬼力を振るう示門の姿に、椿は胸を締め付けられるような思いに駆られる
「オオオオッ!」
自身に向かって来る感染者を、異変と異常をもたらす罹痛の病闇の力と共に打ち払う示門は、自身の力と相殺されて砕け散った力が世界に溶けていく様を見ながら、その思いを戦斧の刃へと込める
神能の本質である意志すら破壊する戦鬼の力によって、病闇の力の発現の根底を滅壊する示門は、火暗の仇となった病神の眷族達を容赦なく屠葬していく
(親父。俺は、俺が嫌いだよ)
自分を置いて十世界へと入り、敵対してきて以来、ほとんど口に出して読んだことのない呼び方で亡き父――火暗へ心の中で語りかける
(こんな風に生まれたかったわけじゃない。普通に生まれたかった――そんなこと、何回考えたかわからない)
光と闇の全霊命の混濁者――「最も忌まわしきもの」として、父火暗と全く同じ神能を持って生まれた自分を呪わなかったことはない
変えられない出自、そしてそれ故に自身に何ら責任のないことで周囲、世界そのものから禁忌を犯したものとして敵視され、滅びを望まれる理不尽で正しい願いに、己の存在価値を見失ったことも多かった
(けど、そうだったから分かったこともある)
その視界と知覚の中では、自分と同様に御門、椿、緋毬、桔梗が一帯に蔓延り、増殖さえする病神の眷族――感染者達と戦っている
御門の刃が閃き、椿の箒槍が貫き、緋毬の棍が打ち砕き、桔梗が飛翔する鼓盾で病神の眷族の攻撃を防ぎ、そこから放出する鬼力の砲撃と撥の一閃で打ち払う
(俺が俺であることに心を痛めているのは、俺だけじゃない。きっと、正しく俺を拒否する誰もがその正しさに苦しんでいた)
父から託され、自分を見てその表情を曇らせていた血の繋がらないもう一人の母、腹違いの兄、周囲にいる者達――彼らが示門に向けるのは、敵意や憎悪ではなかった
仮に憎悪や敵意であっても、それは示門の人格や為人に向けられたものではなく、示門という存在を成すもの――この世の在り方を損なう出自へと向けられたもの。正しさを振るう者が、その相手に対して何の呵責も抱かないことなどないのだということを、示門はこれまで確かに感じてきた
自分を見る緋毬の眼差しや、自分を思ってくれる御門。そして、自分をここにいさせてくれた黒曜や城の鬼達
たとえ存在そのものが許されなくとも、自分を許してくれている。この世の理を犯した者と、それを正さんとする者――ただ互いの正しさ故に相手の正しさを否定するその関係は、ただ戦っているのと同じ、自分を否定することで、自分がここにいることを肯定しているのだと気付いた
(俺が俺じゃなかったら、きっとこんなに苦しんではいないんだろう。でも、きっと今の俺だから出会えた人がいる)
真紅の鬼力が込められた一閃で感染者を薙ぎ滅ぼした示門は、その瞳に箒槍を使って戦う黒髪の女鬼を映す
無論、温かく触れ合うことができた方がいい。友や家族と普通に、ただの全霊命として生まれて生きていられたらよかったという思いはある
それでも、今の自分は不幸ではあっても絶望はしていない。一人の女性に密かに淡い想いを抱くこともできるようになった
もし自分が最も忌まわしきものでなかったら、彼女に想いを告げていたかと考えると、それはないと示門は断言できる。むしろ、自分がそうであるがゆえに、兄に想いを寄せていた彼女に気に留めてもらうことができていた
《私は、御門様と同じくらい示門の事も大切に想ってるよ》
だから、椿の口からその言葉を聞いたとき、どうしようもないほどに嬉しかった。自分の出自など関係ないと思えるほど、今ここに生きていることが嬉しく、そして明日も明後日も――これからもずっと未来を思い描くことができた
どうしようもないほどに単純な思いと共に、この人のために生きようと――この人と生きたいと思えた。それがどれほど幸せなことなのか示門にはよく分かる
(俺は、きっと恵まれてる)
自身へと迫りくる病闇の力を打ち砕き、鬼力を介して心と身体へと感染し、侵入し、侵食しようとしてくる異変と異常の存在を感じながらも、示門は意思の力でそれを吹き飛ばす
(あんたは、自分の小さな世界を守るために世界を変えようとした。けど俺は、俺の小さな世界のためなら、それ以外の世界はどうなってもいいんだ)
父である火暗は家族全員が幸せに暮らすために、最も忌まわしきものである示門と灯を認める世界を作ろうとした
しかし、示門にとって守りたいもの、守りたい家族は今ここにいる人達。故に自分や家族を認めさせるために世界を変えるようなことは望まない。その大切なものを守れるのならば、それ以外の何を失おうとも構わなかった
「こういうのを親の心子知らずっていうんだろうな」
自分のためにこの世界を変えようと戦ってくれていた火暗の思いを知りながら、それに答えない自分の判断に、示門は自嘲めいた声音で独白すると同時に手にした戦斧を一閃させ、感染者を薙ぎ払う
その心を表しているかのように澄んだ斧刃には、父と違う道を選んだ示門の誇らしげな表情が鏡のように写り込んでいた
「……だめです」
「椿……?」
神器によって手に入れた最強の神格を振るって感染者達を討滅していく示門を、病神の眷族と戦いながら捉えていた御門は、不意に零れてきたその声に視線を向ける
その声の主――箒槍を手に病神の眷族と戦っていた黒の護鬼「椿」は、御門の視線と声など聞こえていない様子で、その強大な力を振るう示門へ憂う視線を送っていた
「今の示門の力は凄いです。きっと私じゃ、足手纏いにしかならない……」
片時も示門から視線を離さずにいる椿は、御門が自分の事を見ていることを承知の上で呟いており、その言葉を聞いてもらうために紡いでいる
今の示門の力は、神を除く世界全ての存在と敵対できるほどに高まっている。その力の前では自分の力など取るに足らず、肩を並べて戦うにはその差が開き過ぎている
「でも、あんな強さは駄目です」
自身の魂の形である箒槍の柄を強気握りしめた椿は、その語気を強くして漆黒の双眸に映した示門の強さと力を否定する
「椿……」
最上段からの大剣の一閃で感染者を打ち伏せて両断した御門が正対すると、椿はそれを待っていたかのように口を開く
「御門様。彼が、世界と敵対することであの強さを手に入れているのなら、私は……私は、あの力を弱くしてみせます」
世界から拒絶され、抗って手に入れた強さなど悲しすぎる。確固たる意志の込められた瞳で示門を見つめる椿は、自身の決意を強い語気で言葉にする
「火暗様のように、示門を世界に認めさせるために混濁者を否とする世界の理や人の意志を変えなくても、示門がこの世界を好きだと思えるようにすればきっとあの力は失われます」
神器「神差衡」は、敵対する相手と自身の強さを等しくする神器。今の示門の力は、〝最も忌まわしきもの〟として世界から敵視され、世界の全てと敵対するがゆえに生み出されたもの。
ならば、世界から認められ、世界への敵意が消えれば、神の尺度によって示門が今の力を失うのもまた道理だ
「だから、私は私の誇りにかけて示門を弱くします。たとえ世界に否定されてもそれを不幸だと感じないように、それ以上の幸せを私が与えて見せます
世界を恨んでいることをもったいなく思うくらい示門を幸せで一杯にして、示門の本当の優しさを世界に見せつけてみせます」
人を寄せ付けないような素っ気ない態度を取る示門がその心に秘めている本当の優しさに椿は気づいている――否、「知っている」。
だからこそ、その優しさをこのような形で強さに変えてはならない。自分が望んだものとだけ戦える強さを与える――それが、一人の女としての椿の決意だった
「あぁ。そうだな。弟の事を頼む」
その深い想いやりに満ちた椿の告白に、御門は穏やかに目元を綻ばせる
「はい。もちろん、御門様のことも離しませんよ」
「……!」
そして、そのまま表情を輝かせるようにして微笑みかけてきた椿の包容力に満ちた言葉に、さしもの御門も目を丸くする
「みんなで一緒に幸せになりましょう」
自身が何を言っているのか、そういう意味で御門が受け取るであろうことも踏まえた上で花のような笑みを浮かべて言った椿は、御門の視線に恥じらうように顔を伏せるとそのまま漆黒の鬼力を纏って感染者達へと向かっていく
心なしか朱を帯びていたその面差しを見逃さず、椿を見送った御門の下に鉄棍で病神の眷族を砕滅した緋毬からの思念通話が届く
《あらあら。うちの息子達も、中々に罪作りね》
戦いながらも、さきほどのやり取りが聞えていた緋毬が微笑ましいものを見たと言わんばかりの声音で語りかけてくる
どこか浮かれたようにも聞こえるその声は、母親としての充足感と期待に満ちているように思われた
《覚悟しておきなさい、御門。覚悟を決めた女は強いわよ》
思考の中に響く母の言葉に導かれるように、伸縮する箒槍を以って病神の眷族を薙ぎ払う椿の姿を捉えた御門は、これまで誰よりも自分達家族に寄り添ってくれた黒鬼の願いを受け入れるように口元を綻ばせる
「肝に銘じておきます」
小さく声に出して呟いた御門の声に、一瞬憂いを帯びた物悲しげな笑みを浮かべた緋毬は、自身の胸の中心に軽く触れて唇を引き結ぶ
火暗の死によって、自身の存在の中にあった繋がりを失った緋毬は、魂の中心が抜け落ちてしまったような喪失感を振り払い、努めて明るい覇気のある声を上げる
「いずれにしても、ここを生きて切り抜けてからよ」
母として自らを鼓舞して絞り出したその声に耳を傾ける示門、御門、椿はそこに込められた思いを正しく汲み取り、思いを馳せる
これ以上、誰一人欠けることなくこの戦いを切り抜ける決意をその鬼力に刻み付けた鬼達は、それぞれの武器を手に、病神の眷族達へと向かっていくのだった
九世界、十世界の所属を問わずこの場にいる誰もが、王の帰還によって病神との戦いが近く決することを確信していた
そして、それを裏付けるかのように、王城の門前で戦う者達の知覚は、鬼羅鋼城の中で猛り狂う神々の力を捉えていた
※
地獄界の中枢「鬼羅鋼城」。その一角では、世界を蝕む漆黒の力が渦を巻いていた。異変と異常ともたらす罹痛の力が凝縮された力は、巨大な多頭龍を彷彿とさせる形を成し、病巣の闇に輝く一つの星を喰いつくさんと襲い掛かる
「――っ!」
病闇の力が生み出した多頭の龍の顎の中で煌めく光は、守護の神から啓示を受けた救世主――神託の力を得て、神片となった守護騎士「シルヴィア」。
希望を預かり、奇跡を成す救世主の力を授かったシルヴィアの救済の力は、絶望の中でこそ輝き、その力を示す。
世界を呑み込まんとする病闇――「罹恙神・ペイン」の力が支配し、あまねくものが異変と異常に侵され、死へと誘われる領域にあって、救世の力を持つ守護の光は、その眩さを一層確かなものとしていた
「はあッ」
澄んだ裂帛の声と共に振るわれたハルバートの一閃が聖厳な力を纏って罹痛の誘死の闇靄を祓い、救世主となったシルヴィアから無数の光閃が放たれる
天を踊る流星を思わせる光の群砲は縦横無尽に空を翔け、神位第六位の神格に比例する神速と破壊力を以って罹恙神へと向かっていく
しかし無数の聖罰の光も、自身の武器として顕現させた〝肉体〟へと感染った病の神の一撃によって打ち砕かれ、煌めく光の粒子へと還元される
相手によって変質に、悪性を増す異変の力が具現化した罹恙神の武器体が作り出した罹痛の力が凝縮した黒矛が不気味な暗光を帯びている
希望たる救世主の輝きと凶兆の導たる罹恙神の対照的な力が拮抗し、死に近い場所から、正常たる平和へと向かう救世と正常から死へと近づく異変の病の力が火花を散らす
神片と異端神という違いこそあれ度、互いに等しい神格を持つがゆえに互角の戦いを繰り広げるシルヴィアと罹恙神は、希望の絶望の力が渦巻く中で互いにその存在を示していた
「――!」
「ヌ……!?」
何度目になるかわからず、数えきれないほどに力を交わした攻防の果てに一拍の間を置いていた二人がまたも身を投じようとしたその時、その知覚がここへと向かってくる強大な存在を捉える
それにつられるようにシルヴィアと罹恙神が顔を上げた瞬間、その視線の先に渦巻く病闇がかき消され、そこからその力の主が姿を現す
「貴様が、この騒動の大元だな」
そう言って厳かな声で罹恙神を睥睨するのは、戦鬼の証である額から生えた一本角を持つ黒髪黒眼の〝鬼〟。この地獄界を総べる最強の鬼にして黒の六道――「地獄界王・黒曜」。
所有する神威級神器の力を発動した黒曜から放たれる純黒のその力は、神位第六位「神」の神格に匹敵し、鬼の神能である「鬼力」とは異なるものだった
「王として、この世界を蹂躙した貴様を排斥する」
この世界を侵し、多くの同胞を殺め、今も異変によって苦しめ続ける現況たる罹恙神をその漆黒の双眸で睨み付けた黒曜は、厳かなその武器である太刀の切っ先を向けて言い放つ
瞬間、神威級神器――「終死末」から供給される神の神格を持つ力が吼え、黒曜は天を蹴って罹恙神へと向かっていく
神位第六位の神格に等しい神速を以って、世界の理の全てを超越した黒曜を表情のない仮面の顔で見据える罹恙神は、罹痛の力を多頭龍に変えて迎撃する
神の神速で奔る病の龍を回避することもせず、全方位から襲い掛かる無数の牙顎に呑み込まれた黒曜だったが、次の瞬間病闇の力は、それよりも深い純黒の闇によって内側から滅ぼし尽くされる
「――!」
それに、かすかに身じろぎをした罹恙神の隙を見逃さず、黒曜は時間と空間の存在しえない速度で肉薄し、神の力が宿る太刀を一閃させる
その一撃によって病の力の顕現たる武器に感染し、肉体そして鎧として行使する罹恙神の身体が傷つき、内側から病闇の巣靄が噴き出す
そのままさらに追撃を重ねるべく、さらに振るわれた黒曜の斬撃を罹恙神は病闇が凝縮した大鉈矛の刃で受け止める
神器の純黒と、異変の病黒――二つの黒い力がぶつかり合い、そこに込められた純然たる意思が、その神の力を示してそれぞれの神格が顕現させた世界を蝕み、滅ぼしていく
「――……」
その様を淡泊な視線で見据えていたシルヴィアも、そのままではいない
手にしたハルバートを握りしめ、救世の光を解放したシルヴィアは、ぶつかり合う二色の黒闇へと向かっていく
黒曜、罹恙神、救世主――神威級神器、異端神、神片。形は違えど、神位第六位の神格を得た力と意志が各々の信念と存在意義を示さんとその威を表し、三つ巴の渦を巻いて天を衝くのだった