紅い歴史
光と闇、それぞれの神から生まれ、それぞれの勢力に属する者達――光と闇の全霊命――は九世界創世より戦い、争い続けてきた
互いに敵意があった。憎しみや個人的な戦う理由があることもあった。だが、その大半はそういった理由では戦っていなかった。
神によって作られた時からそう作られていたのか、本能――否、もはや存在理由にさえ等しいのではないかと思えるような戦いは、規模の差こそあれど世界の歴史の中で何度も行われ、そして今も尚その火種は光と闇の存在それぞれの魂の奥底でくすぶり続けている
「創界神争」、「異神大戦」と並び、世界三大戦争として数えられ、無限にも等しい九世界の歴史の節目の指標として示される「光魔戦争」
光の存在と闇の存在が争ったその大戦の中で、地獄界の「鬼」と天上界の「天上人」は幾度となく激しい戦いを引き起こしていた
その大戦の中、当時まだ地獄界にその身を置いていた赤の戦鬼「火暗」は、鬼達を率いて戦う六色の六道の鬼の背を見ていた
そして、その中で最も存在感を見せ、破軍の勢いで天上人を屠っていたのが黒の戦鬼にして、最強の鬼――「地獄界王・黒曜」だった
世界を黒く染め上げる破滅の鬼力を振るい、戦場を覇するその姿は、火暗にとって敬服すべきものだった
だが、果てなく続く光と闇の大戦にも、何らかの変化や結末が訪れるもの。――そして、その日は唐突に訪れた
永く続いた戦いを経て、黒曜がついに戦っていた天上界王を下し、致命傷を与えたのだ。血炎を伴って戦場へと落下していく天上界王「綺沙羅」は地獄界の大地へと吸い込まれていく
当然、それを闇の存在は好機ととらえ、確実にその命を奪うべく向かっていくが、綺沙羅を祖とし王とする天上人を筆頭に、光の者達はそんなことはさせまいと激しく抵抗してその光の王の一人を守ろうと力を振り絞る
さながらこの世の終わりを体現しているかのような戦場には、光と闇の神から生まれた九世界を総べる八種の全霊命達が入り乱れており、先程天上界王を退けて見せた地獄界王も光の原在に阻まれて天上界王に止めを刺すことができずにいた
「天上界王を殺せ!」
「天上界王を守れ!」
誰からともなくその言葉が飛び交う中、神聖なる光と暗黒の闇がひしめき合い、争い合う戦場を駆け抜ける火暗は、その自身の鬼力を注いだ刃を振るう
(そうだ。奴を討てば、戦況は変わる――!)
光と闇の世界の大戦。そこで、王が討たれることの意味は大きい。神から生まれた最強の全霊命が死ねば、戦力の上でも士気の上でも闇の側が優位に立てる
かつて、世界を創世する神々の大戦「創界神争」では、闇の絶対神である破壊神は光の絶対神である創造神に敗れた――それは、闇が光に敗れたということだ
今度は闇が光に勝利する機会が眼前に見えている――だが、深手を負い、地上へと落下した天上界王を目指す火暗にはそんなことには微塵も興味がなかった
(待っていろ、緋毬、御門。必ず俺達は勝ってお前達を守ってみせる)
往く手に立ちはだかる光の存在を斬り払い、血炎を巻き上げながら戦場を抜ける火暗の心中にあるのは、天上界を討つ名誉や武勲、勝利などではなくただその一念。――この場にはいない、鬼羅鋼城に残してきた家族を守りたいという一心だけだった
戦争が激化し、劣勢になればなるほどその戦場は世界の中枢である王城へと近づいていく。そうなれば、あえてここに連れてこなかった愛しい妻や息子がこの戦いに巻き込まれて命を落とすことになりかねない
愛する家族をこんな戦場で戦わせないため、何よりその命を守るために火暗はこの戦いで勝利を手にしたかった
「オオオオッ!」
当時まだ神器を有していなかったが、家族を想う火暗の心に答えるように、その鬼力は神格の許すままにその威を奮い、光と闇が争う戦場を斬り進んでいく
「――ッ!」
だが、そこは戦争の最中。しかも、戦況を大きく変えるかもしれない分水嶺となる激戦区の中心。敵は一人ではなく、周囲にいる全ての光の存在もまた自分と自分以外の全ての闇の存在の敵となる乱戦地帯だ
いかに火暗が上位の鬼とはいえ、誰からのものともしれない光の攻撃がその身を掠めることを妨げることはできなかった
「く……ッ」
血炎を立ち昇らせながら、鞭のように伸びしなる刃を振るって戦場を駆け抜けた火暗は、何者かに向けて放たれた無差別の破壊光爆に吹き飛ばされるようにして、眼下に広がる巨大な密林の中へと墜落する
通常、神能による破壊の攻撃は、自身の望むままに事象を顕現させる力によって全霊命自身の意思で制御されており、その力を振るう破壊対象を限定している
だが、このように敵味方密集した場所でならば、自分の属する勢力と世界そのものを破壊しないようにさえしておけば、炸裂した滅殺の力が無制御に全ての敵を攻撃することができる
「……っ」
自身を呑み込んで炸裂した破壊光に呑まれて地上に叩き付けられた火暗だったが、その程度でその身が滅びることなどない
聖なる光で焼かれた身体から血炎と混じった浄化の白煙を立ち昇らせる火暗は、自身の知覚を研ぎ澄ませながら、全霊命の知覚にかからないほどまで自身の力を隠して天上界王を探し歩く
身を顰める森の上空では光と闇の軍勢がその力を以って争いあい、それによって生じる純然たる意思が顕現した破壊が襲い掛かり、大地を破壊していた
その破壊の中に息をひそめていた火暗は、上空で行われている戦いの動向を観察して違和感を覚える
(光の軍勢が、戦いの方向を誘導している……?)
身を顰め、上空の戦いと森全体に意識と知覚を向けていたからこそ気付くことができたのは、その小さな事実の方だった
致命傷を負っている天上界王を仕留めんとする闇の全霊命達を阻む光の全霊命達は、一見ただそれを阻むべく戦っているようにみえるが、ある特定の方角へと向かわせないようにさりげなく妨害しているように思える
その行動は、よほど意識していないと気付かないほどに巧みで、実際それに気づいても偶然、あるいは気のせいと切り捨ててしまうであるほどに根拠のないもの
だがそれが事実ならば、その戦いの中にいては気づかない混戦に見せかけた戦闘の時間稼ぎが行われていることになる。そして、光の軍勢がそうまでして守ろうとするものがなんなのか想像に容易い
(奴らは、闇の全霊命同様、思念通話で連絡を取り合いながら戦っている。奴らがそういった行動を取ることになんら疑問はない)
陣営を同じくする光の全霊命達ならば、思念通話によるやり取りを行えることに何ら不思議なことはない。何しろ、闇の全霊命達も同様に神能に乗せた通信で言葉を交わさずに意思疎通を図っているのだから。
先の戦いで地獄界王に撃墜され、傷ついた天上界王を守るべく、そういった行動を取る可能性は皆無ではないだろう
(ということは――)
その最中にいては気づくことができなかったであろう天空の戦いが及んでいない方向へと視線を向けた火暗は、確信とまでは言わないが予感を胸にそちらへと足を向ける
(行ってみる価値はあるな)
一縷の可能性を確かめるように、息を殺し、力を抑えて森の中を移動した火暗は、しばし進んでいく
「っ!」
(この力は、〝天力〟……!)
その時、森の奥から漂ってくる中で、かすかな――だが、確かな光の力を知覚した火暗は、興奮と高揚を抑え入れず、無意識の内に口端を吊り上げて獰猛なまでの笑みを浮かべていた
天力とは、天上人の存在を構築する光の神能。それが知覚できたということは、つまりここに天上人がいるということに他ならない
逸る気持ちを抑え、その力が感じられた方向へと駆け出した火暗は、自身が一歩踏み出すごとに目標である天力との距離が縮まっていることを確信していた
森の中に漂う天力は、ごく微量のもの。上空で闇の全霊命達と戦っている天上人のそれにかき消されて気付きづらいが、他紙アkに
(近い――ここか!)
森の中からかすかに漂ってくる天力を頼りにその発生源へと近づいて行った火暗は、森の影に身を顰めながら、そこへ視線を向ける
限界までその神能を抑え込んでいれば、上空で混戦する者達の力の波動に隠されてしまうため、この戦場にいる者達にはその時の火暗を見つけることはできなかった
そんな状況下で、物音と気配を感じ取った火暗が、大樹の陰からさりげなく様子を窺うと、そこには周囲に気を気張りながら身を寄せ合っている複数人の天上人が集まっていた
そして、身を寄せ合うようにしているその天上人の中心にいる人物を双眸に映した時、火暗は目を瞠る
(見つけた!)
その中心にいるのは、紛れもなく天上界王「綺沙羅」。翠金の髪を持つ見目麗しい美女からは、先の戦いで黒曜から受けた傷から大量の血炎が立ち昇り、その美貌を苦痛と苦悶に歪めていた
その周囲にいるのは自分達の王の身を案じて集まって来た天上人達。その命を狙う者達から王を守るように自分達で取り囲み、万一にも自分の力を知覚されないように抑えながら、傷ついた天上界王に癒しの光を注いでいる
(なるほど。天上界王を復活させるまでの時間稼ぎか。知覚されないように限界まで力を抑えているせいで回復は鈍いようだが……)
どれほど強力な神格を有していようと、周囲に知覚されないように抑制していれば、その分だけ神能の効果は弱まってしまう
周囲からの襲撃を警戒し、神格を抑えている現状では天上界王を癒そうとする天上人達の癒しの力も十全にその力を発揮できずにいた
(数は三人。あまり回復されれば、手に負えなくなってしまうか――)
傷ついた天上界王を守り、癒すべく周囲にいる天上人は全部で三人。このまま時間をかけていれば、いずれは傷ついた天上界王が戦線に復帰できるほどに回復してしまうのは明白
そうなれば、当然火暗の力では手も足も出なくなってしまう。天上界王が致命傷にも近い傷を負っている今が絶好の機会であるのは疑いようのない事実だった
ここで天上界王を討つことができれば、この戦争の情勢が大きく変わる。城に残してきた家族と自身の命、残された時間、そして現状を天秤にかけた火暗はしばしの逡巡の後に結論を導き出す
(よし。行くか)
そう決断を下すが早いか、これまで抑えていた鬼力を解放した火暗は、天上界王を癒している天上人達の虚を衝くようにその刃を振るう
「天上界王、覚悟!」
「っ!?」
自分達が隠れ蓑としていた光と闇の戦いを逆手に取られ、すでにここまで敵に肉薄されていたとは思わなかった天上界王と三人の天上人達は、火暗による奇襲に目を瞠り、一瞬だけそれへの反応が遅れる
「ぐあっ!」
(まずは一人!)
全霊の鬼力を振るって放たれた斬撃を受け、天上人が苦悶の声と共に血炎を吹き上げるのをその真紅の双眸に映す火暗はさらにその力を解き放つ
まるで生きているかのように暴れる剣鞭の斬撃と、鬼力の爆撃が渦を巻き、純然たる滅殺の意志が込められた破滅の力が吹き荒れる
「オオオオッ!」
咆哮と共に放たれた火暗の力が炸裂し、傷ついた天上界王と三人の天上人は、その力の波動に抑えていた力を解放して耐え凌ぐ
奇襲にこそ成功したものの、劣勢なのは明らかに火暗の方だった。満身創痍で戦えない天上界王を除外したとしても、他の天上人達も決して弱くはない
個々人の単純な戦闘力と神格の高さならば火暗が勝っているだろうが、大きな傷を負わせたとはいえ、命までは奪いきれていない一人を含めた三人を同時に相手にして勝利するのは極めて困難だと言わざるをえないだろう
(そして俺なら――)
「仕方がない。綺沙羅様を早く回復させるんだ!」
そして、火暗の懸念を表すように、三人の天上人の一人が声を上げて、先の奇襲で大きな負傷をした男に語りかける
隠れて傷を癒そうとしていたところを見つかった以上、最早天上人達には一刻の猶予もない。この一合を知覚しなかったはずがない闇の全霊命達が勝利と功を得るためになだれ込んでくるのが明白なこの状況で、力を抑えている理由などはない
早々に自分達の最大戦力である天上人の原在にして最強の天上人である天上界王を戦線に復帰させる手段を講じるのは当然の判断だった
「させるか!」
しかし、天上人達の思惑も見抜けている火暗は、剣鞭の斬舞を振るって牽制に来た二人を封じると共に、鬼力の攻撃で天上界王を癒そうとしている一人を攻撃する
「――っ!」
しかし、その破壊の斬撃は癒しを施す天上人に命中する寸前で背後から生じた天力の光結界によって阻まれて霧消させられてしまう
「天上界王様」
自身へと迫る斬撃が阻まれたことに目を見張った天上人は、眼前に顕現した光の結界を展開させた人物を見て思わず声を漏らす
神格と力の差があるとはいえ、自身が守るべき存在に逆に守られてしまった天上人は、その深い傷を押して力を振るう天上界王「綺沙羅」へと視線を向ける
「はぁ、はぁ……ッ」
命にさえ届く傷から血炎を立ち昇らせる綺沙羅は、力を振り絞って展開した天力の壁を消失させると共に苦痛と苦悶に顔を歪めて荒く乱れた呼吸を零す
先の一撃こそ完全に防がれたが、その様子から天上界王がかなり消耗して弱っている事を見透かした火暗は、再びその鬼力を高めて手にした剣に真紅の力を注ぎ込んでいく
「……あなた達は下がりなさい」
刃から吹き上がる真紅の鬼力を以って全霊の力を示した火暗を双眸に映してた綺沙羅は、意を決したように言葉を紡ぐ
それは、例え二人がかりでも眼前の赤鬼――「火暗」を止められないということを知覚で確信してのものであるのは明白だった
「しかし!」
その言葉に目を瞠った三人の天上人達は、安易に承服しかねる王命に思わず反論の声を張り上げる
綺沙羅が自分達の命を重んじてくれたのは分かっている。九世界を総べる八種の全霊命の中でも特に高い戦闘力を持つ鬼――〝戦鬼〟の力は、闇の神能に対する優位性を有する光の力を持つ天上人を以ってしても困難だ
現状の戦力、神格の差を鑑みて綺沙羅が配下の天上人達の命を守るためにそのように命じたのは当然のことだが、いかに命令であったとしても自分達天上人の祖であり王である人を見捨ててまで生き残るという選択肢を簡単に了承できるはずなどなかった
「早くなさい!」
瞬間、天上界王綺沙羅の背後に金色と翠の水晶質の金属で形作られた光背が顕現し、その内側に生じた光が三人の天上人をその中へと吸い込んでいく
「綺沙羅様……っ」
「空間の果てへ飛ばしたのか」
三人の天上人が光背の中に生じた空間に呑み込まれるのを見届けた火暗は、それが世界を隔てる時空の壁を超えさえるものだと瞬時に見抜いて、剣の刀身を伸ばして攻撃を仕掛ける
全霊の鬼力を乗せた斬撃は、その攻撃は背中から身体の前へと移動してきた光背によって阻まれ、虚しい金属音を響かせて刃が弾き返される
(自分の意志で操るだけではなく自動でも動く――相変わらず便利な武器だ)
綺沙羅の武器である光背は、先の空間転移ばかりではなく、盾のような防御機能をも持ち合わせている光背の能力に、火暗は心の中で呟く
直接まみえたことは無くても、六道の補佐でる火暗には地獄界王の戦いを遠目で見る機会は少なくなく、そこで天上界王の武器も目の当たりにしている
綺沙羅の武器の一つである光背は、それ自体が攻防一体の機能を備え、自身の意志で操れるばかりか、綺沙羅自身に限って自動で防御までをこなすことができるのだ
強力だが、敵対するうえでは厄介でしかない光背の能力に軽く舌打ちをした火暗は、刀身を伸ばした剣を横薙ぎに振るって更なる追撃を見舞う
「――ッ」
純然たる破滅の意志が込められた真紅の鬼力を迸らせるその斬撃も、光背が瞬時に展開した天上人の神能――「天力」の結界によって阻まれてしまうが、綺沙羅はその衝撃に癒えていない傷の痛みに眉を顰める
天上人の原在である綺沙羅と、一介の鬼に過ぎない火暗では、決定的なまでに神格の差がある
十全の状態なら――否、今のようにほぼ瀕死に近いほどに弱り、深手を負っていなければ、綺沙羅にとって火暗を倒すことは容易なことだっただろう。それほどの力の差がありながら、いくつもの偶然と奇跡が重なったことで火暗の刃は確かに天上界王の喉元に届いていた
「〝天明空羅〟」
しかし、綺沙羅もただ手をこまねいているばかりではない。自身の天力を戦う形として顕現させた金色の剣を握りしめた綺沙羅は、その切っ先を火暗へと向ける
その華奢で可憐な姿とは正反対に思える身の丈にも及ぶ分厚く巨大な両刃の大剣を構えた綺沙羅を睥睨する火暗は、その目を細めて険しい光を灯す
(多現顕在者か)
自身へと大剣の切っ先を向ける天上界王綺沙羅が、自身の神能を複数の形態の武器として顕現させることができる「多現顕在者」であることは九世界周知の事実
自立した盾となる光背と並ぶ二つ目の武器を手にした綺沙羅を瞳に映す火暗は、弱り切った状態でありながらも、微塵も衰えることのない神々しく清浄な覇気に息を呑む
「部下を庇って自分が囮になるとはな」
清廉でありながら苛烈な力を乗せた刃の切っ先を向けてくる綺沙羅に一瞬気圧されながらも、改めて戦意を奮い立たせた火暗は自身が持つ剣に渾身の鬼力を注ぐ
上空で戦っている全霊命達はこの異変に気付いているだろうが、敵味方入り乱れる戦乱と混戦状態の中、即座にこちらへこれる者などほとんどいない
結果、火暗は、ただ一人で天上界王綺沙羅と相対し、弱り切ったその命に引導を渡すべく純然たる滅殺の意志に染まった鬼力を解放する
「いかに最強の全霊命であるからとはいえ、弱り切った今のお前を攻撃することに、わずかばかりの後ろめたさはあるが、これも戦争だ」
神に最も近い原在であるとはいえ、今の綺紗羅はかろうじて命を繋いでいるような状態。ここまで弱っていれば、火暗にも十分に届く場所にその死がある
十全の状態では絶対に勝てないであろう相手を殺せる好機。自身の力で実現したものではないが、それもまた戦争が生み出した皮肉な現実だった
「許せとは言わない。恨んでくれても構わない――だが、この戦いは勝たせてもらう」
柄を握りしめた手に力を込めた火暗は、綺沙羅へと肉薄し、その刃を最上段から袈裟懸けに振り下ろす
「!」
神格が許す限りの速さで攻撃をしかけた火暗は、その瞬間、綺沙羅の背後の光背が時空の渦を生み出すのを見止める
(空間転移! ――自分を囮にしてこの世界から離脱するつもりか!)
光背が生み出した時空の歪が世界を隔てる空間の壁を超越するためのものであるのを見抜いた火暗は、その思惑に目を瞠る
戦いに敗れ、致命傷を負って火暗でさえその命に手が届くほどに弱り切った綺沙羅が戦場を離脱する判断を下すのは自明の理
先程までは王としての責務から力を抑えての回復に専念していたが、見つかってしまった現状で、無理に戦場に留まる理由はない。その心中は計り知れないが、一旦光の世界へと退いて再び戦えるまでに回復するのは綺沙羅にとって現状取り得る最善手だった
「――っ」
(させるか!)
自身を囮に自身を逃がそうとする綺沙羅の思惑に眉を顰めた火暗は、この絶好の好機を逃さぬように光背が発現した時空の穴道――時空門に自身の鬼力で発生させた時空の歪みを重ねる
原在であろうと通常の全霊命であろうと、その力で生み出された時空門の強度は変わらない
いかに事象を創造し、拒絶する神能の力によって世界を結ぶ道を開こうが、その道そのものは神能によって作り出された事象ではなく、この世界の現象となるからだ
故に、一般的に全霊命は戦闘中の時空間移動や空間転移を避ける。どれほど神格が髙かろうと、所詮世界現象に過ぎない時空移動は、全霊命による干渉で簡単に防がれてしまうからだ
「オオオッ!」
事象を創造し、現象を拒絶する神能の力で開かれた異なる世界を結ぶ道にそれを妨げる力を重ねた火暗は、更に放った剣鞭の斬撃に時空の門を破壊するための力を込める
その斬撃そのものは綺沙羅の刃によって阻まれ、鬼力と天力の火花を散らすことになるが、弱り切った今の天上界王の天力では完全にその力を抑えることができず、その力の一部が光背が生み出した時空門へと干渉する
「――ッ!?」
(これは……っ)
(時空が壊れる……っ!)
瞬間、綺沙羅と火暗の時空を開く力が相殺し、相乗的に作用して世界を隔てる空間そのものを局所的に破壊する
世界の壁が破壊されることで生じる力は莫大。時空が崩壊する物理現象最大規模の破壊が大地と空を呑み込み、やがて世界の理によって時空が修復されることで収束する
世界を揺るがす破壊の力が収束した瞬間、直径数百キロにわたって破壊され、更地になった大地から火暗と綺沙羅の姿は完全に消失していた
※
――しかし、いかにそれが強力無比であろうと、時空の崩壊に呑み込まれた程度で全霊命が傷つくことはない。
世界を結ぶ力が連鎖して引き起こされた時空の崩壊の力に呑み込まれた火暗と綺沙羅は、ただこの世界に数多存在する別の時空――時空の狭間へと落下しただけだった
「ここは……」
時空の崩壊に呑み込まれ、落下したその場所を見回した天上界王綺沙羅の目に映ったのは、一面を覆いつくす赤い花の海だった
六枚花弁の真紅の花が一面に咲き誇る大地の上に落下した綺沙羅は、その広大な景色を双眸に映して優しく目を細めると、自身の身体へと視線を落とす
「まだ、傷は癒えませんか……全霊命の身体にも毒のように浸透する戦鬼の力……癒しの力が本格的に効果を発揮するまでにはもう少し時間がかかりますね」
その身体に刻み付けられた傷からは、未だ癒えることなく血炎が立ち昇っており、一向に回復する気配はない
闇の全霊命の一種である鬼は、攻撃に長けた戦鬼と守りに長けた護鬼に分かれる。守りの性質を強く具現化する護鬼はその身体を武器のように頑強にするが、攻撃に長けた戦鬼は、そのものを喰らう喰らうかのように攻撃することができる
通常の〝滅殺〟の事象としての攻撃に加え、それとは異なる破壊能力を有した戦鬼の力は、神能そのもので構築された全霊命の身体にとって、極めて高い攻撃性を有しており、癒しの力による回復を遅らせてしまうのだった
光の全霊命である自身の身体に刻み付けられた最強の鬼――地獄界王「黒曜」の力の痕跡に息を吐いた綺沙羅は、全盛を維持する神能の特性による回復と、癒しの力が本領を発揮するのを待つことにする
「っ!」
しかしその瞬間、天空から飛来した刃を知覚した綺沙羅は、瞬間的に具現化した光背の結界によってその一撃を防ぐ
天上人の神能である「天力」で織りなされた結界と、真紅の鬼力を纏った斬撃が激突し、鋭い破壊音と純然たる意思による破壊を巻き起こす
現実に現象として作用する神格を帯びた意思の力によって大地が破壊され、一面を埋め尽くしていた真紅の花が舞い散って空へと巻き上げられていく
破壊の爆塵と赤い花弁を乗せた風塵が吹き荒れる中、綺沙羅はその斬撃の主である戦鬼――「火暗」の姿を双眸に映す
(彼も、この世界に落ちていましたか……)
二つの世界移動の力の連鎖によって暴走した空間の歪に呑み込まれれば、例えあの肉薄した状況でも別々の空間へ飛ばされている可能性は十二分以上にあった。にも関わらず火暗が自分と同じ場所にやってきていた悪運に目を細めた綺沙羅は、その手に金色の剣を顕現させて、その追撃を受け止める
「天上界王!」
最上段から袈裟懸けに振り下ろされた火暗の渾身の斬撃を受け止めた綺沙羅は、身体に刻まれた深い傷の痛みに顔をしかめる
「――っ」
瞬間、綺沙羅の背後に顕現している光背が天力を収束し、反撃と迎撃の極光を至近距離から火暗へと放つ
「オオオオオッ!」
浄滅の光が収束された極光の波動を前にした火暗は、それを回避することなく真正面から赤い鬼力を込めた斬撃で迎え撃ち、それを打ち消さんとする
今天上界王の身体には、黒曜が付けた深い傷が刻まれ、最強の全霊命である原在であるその力も、火暗が互角以上に戦えるほどまで弱まっている
しかし、このまま時間を置けばやがて傷は回復し、その神格と戦闘力を取り戻すのは必至。光の全霊命の回復の力が本領を発揮する前に決着に踏み切るのは火暗にとっては最善の戦術だった
城に残してきた家族――緋毬と御門の姿を思い返し、この戦争を終わらせる決意を以って天上界王に相対する火暗の想いに答える様に、天力の波動の中でその剣鞭の刃が伸びしなる
「――っ」
瀑流に抗う龍のように光の波動の中から伸びた刃は、意思を持っているかのように宙を奔り、その光景に思わず目を瞠って息を呑んだ綺沙羅の光背と傷ついた華奢な身体に絡みつく
「くっ」
刃そのものである剣鞭に絡めとられた綺沙羅は、身体に食い込む刃の痛みに顔を歪めながらも、自身の周囲に星のように収束した光玉から天力の砲撃を放つ
剣鞭に絡めとられ、背後から光背を引き剝がされても動揺することなく即座に反撃した綺沙羅の砲撃を向けられた火暗は、自身の鬼力によって伸びている剣鞭の刃を盾にして受け止める
「オアアアアアッ!」
覇気の込められた裂帛の咆哮と共に火暗が刃を振るうと、剣鞭に絡めとられた綺沙羅はその力のままに降りまわされて地面に叩き付けられる
「――っ!」
自身の身体が地面を砕き、岩盤と土煙と共に赤い花を巻き上げるのを瞳に映しながら、綺沙羅は追撃を凌ぐべく天力を高める
そんな綺沙羅の反応を肯定するように、伸びた状態で固定した剣の刃を掴んだ火暗は、その刃を力任せに叩き付ける
火暗が伸ばした状態で固定した剣鞭の刃をギロチンのようにして叩き付けられる寸前、綺沙羅は自身の身を守るために天力の結界を展開してそれを受け止める
弱っていても火暗の全力を受け止めた綺沙羅は、せめぎ合いながら火花を散らす闇の神能と光の神能を間近で感じながら己の身体を戒める剣の縛鎖を引きちぎらんとする
身体を斬り裂く刃と食い込む痛み、その傷口から立ち昇る血炎を伴う痛みに顔をしかめる綺沙羅は、追い詰められながらも反撃の機会を粛々と狙っていた
「っ!」
しかし、そんな綺沙羅の思惑を裏切り、火暗は頭を振りかぶり、その勢いのままに頭突きを見舞う
戦鬼である火暗は、その額から一本の角が生えている。それを以って、自身の刃によって軋ませていた結界を貫いて綺沙羅の胸の中心を貫く
胸の中央を角で穿たれ、その口端から血炎を零す綺沙羅の視界には、火暗の赤い髪が鮮やかに焼き付けられていた
(この、色――……)
その衝撃のままに地面に叩き付けられた綺沙羅は、赤らかな赤髪と自身の身体から立ち昇る真紅の血炎に目を細める
胸の中心を角で貫いた火暗は、そのまま一旦消失させた剣を再びその手に顕現させ、力任せに叩き付けた綺麗にその切っ先を振り下ろす
「とどめだ」
神速で戦っていても、破壊されたものは物理現象に縛られて破壊が生じる。破壊された岩盤と粉塵、そして乱れ散る真紅の花弁が、まるで停止しているかのように見える世界を瞳に映しながら綺沙羅は、どこか穏やかな心持ちで、自身へと振り下ろされる火暗の剣を見つめていた
(同じ、ですね)
赤い花弁と、赤い髪と瞳、そして血炎――鮮やかな赤を共感し、世界と赤鬼、そして自分自身までもが一つになったような共感を覚える綺沙羅は、自身に突き立てられた火暗の剣へと視線を向ける
その剣によって仰向けの体勢で地面へと縫い付けられた綺沙羅は、その身を天力の光で焦がし、肩で息をする火暗の姿を見て瞼を細める
それを自覚したと同時に、綺沙羅の身体の輪郭が解れ、その身体を構築する神能が形を失って世界へと溶けていく
それは、全霊命の死の証。その魂と存在の全てを構築する繋がりが消え去ることで神能そのものである〝個〟が消失する命の終焉
自身の生命が終えると共に存在が失われていく喪失感に抱かれながら、綺沙羅は天力の欠片へと還っていく
こうして、天上界王綺沙羅は火暗によって討ち取られた