糸引く神の意図
「――『病理神』」
異変と異常を司る病の異端神――「罹恙神・ペイン」の力に列なるユニット「感染者」がその口から、しゃがれた様な声で言葉を紡ぐと同時に、その手に病闇の力が収束して歪な形の杖を作り出す
否。それが、杖なのかも定かではない。感染者が自身の神能を武器として顕現させて作り出したのは、歪んだ柄を持つ歪な棒切れのようなものだった
罹痛の神能によって顕現した歪棒の武器を手にした感染者は、その背から翼のように無数の病黒の触手を伸ばす
「チッ!」
感染者の背から放たれた病闇の力が向かう先にいるのは、額から一本の角を生やす紅髪の悪魔「紅蓮」。――十世界に所属する戦闘狂の一面を持つ悪魔は、自身へと神速で向かってくる病闇の触手槍に舌打ちをして、漆黒の魔力を乗せた剣でそれを迎撃する
天を舞い、あらゆる世界の理を振り切って戦う紅蓮の刃や身体には、これまでの戦いで感染し、侵食してきた罹痛の力によって生じた病相が刻み付けられていた
無限に増殖し、全く同じ姿の別個体を作り出していく感染者が蔓延する地獄界王城――「鬼羅鋼城」門前には、全霊命さえも死へ近づける異変と異常をもたらす病傷の力がその猛威を振るっていた
そこに満ちる異常の力は、直接触れなくとも感染浸透し、神能そのものである全霊命さえも害していく
(身体が重い……奴らの力が俺の身体を侵してやがるのか)
縦横無尽に天を奔る病闇の力槍を回避し、魔力を注いだ漆黒の斬撃と波動で迎撃する紅蓮だったが、罹痛の力の浸食を受けた身体は、まるで封印でも施されたかのような重さを伝えてくる
罹恙神の力である罹痛によって自身の神能を侵された結果、紅蓮はその動きを阻害されてしまっていた
(だが――それがどうした)
自身の身体を蝕み、健全な状態を阻害する病神の力を感じながらも、紅蓮はそれを吹き飛ばすように心の中で言い捨てる
病が己を蝕もうとも、刃が振るえる。魔力を放てる。身体は動く――ならば、戦う意志がある限り、命尽きるまで戦意が尽きることはない
「オオオッ!」
咆哮を上げ、渾身の力を以って己に救った病魔ごと吹き飛ばさんばかりに魔力を解放した紅蓮は、刃に乗せたその力で四方から襲い掛かる病闇の力を薙ぎ払っていく
病闇の力が凝縮された神経とも触手とも取れる力を撃ち落とし、回避する紅蓮は知覚と戦意を研ぎ澄ませてその包囲網を突破する
「――ッ!?」
神速で舞う神速の病槍を突破し、その本体へと向かっていこうとした瞬間、紅蓮は相対する感染者が黒虚の目を細め、不気味な笑みを浮かべるのを見て目を瞠る
(手が……ない?)
瞬時にその違和感の正体に気付いた紅蓮は、右腕の肘から下が消失している感染者を見て思考を巡らせる
その背から無数の無数触手の翼を伸ばしている感染者の消失した腕は、当然紅蓮自身が切り落としたものではない。ならば、それはなんなのか、なぜなのか――神速に対応する思考が、時間を超越して紡がれ、即座に一つの結論となって結ばれる
(しまッ――)
それに気づいたのとほぼ同時、紅蓮の周囲に突き刺さった病闇の触手から歪んだ杖を持った手が伸び、全くの死角からそれを叩き付けてくる
「ぐ……ッ」
感染者の腕が叩き付けてきた歪棒の一撃を腕で受け止めた紅蓮は、そこから伝わってくる衝撃と痛みに顔をしかめる
(感染者、身体を自分の力に乗せて移動させることができるのか……!)
その攻撃は、言うならば〝病の転移〟。感染者の身体から伸びた罹痛の力は、その病の力を届ける道筋にもなる
病や傷の中にも、広がり、転移し、その猛威を振るうものがある。それを体現するかのように、感染者は自身の力を介して、自身の身体を移動させたのだった
自身の腕を転移させ、武器による一撃を見舞ってきた感染者が黒虚の瞳を細めて嘲るような笑みを浮かべたのを視界の端で捉えた紅蓮が、反撃に出ようと魔力を解放した瞬間、新たな異変が顕現する
「――! なっ!?」
今まさに、自身を攻撃した感染者の腕を斬りつけようとした紅蓮の腕――先程、歪棒の一撃を受け止めた部分が蠢き、内側から爆ぜるように真紅の炎が噴き出したのだ
「ぐ……ッ」
(俺の血が、俺を攻撃しただと!?)
自身の腕を内側から突き破ったのが、自分自身の血炎であると理解した紅蓮は、その新たな痛みに歯噛みしながら、心の中で驚愕を露にする
全霊命の存在そのものであり、その身体を構築する神能は、自身を攻撃しない
自らの存在そのものである力が、自らを害することがないなど自明の理だからだ。故に、自身の力で自分が害されることがない全霊命にとって、自身の血が自分の身体を破壊したという事実は信じ難いものだった
紅蓮の腕を破壊せしめたその異常の力の正体は、半霊命の病に例えるならば免疫不全系統のそれと同質のもの。
自身を守り、正常に維持するはずの機能が暴走し、自分自身の身体を逆に傷つけてしまう〝異常〟。罹痛の力が凝縮した異変をもたらすその力を撃ち込まれた紅蓮の神能がその力によって自身を傷つけてしまったのだった
「オ、オオオッ!」
病や異変という異常とは無縁であるがゆえに、その力の本質や正体を看破はできないながらも、紅蓮はその痛みと衝撃を方向と共に打ち消して魔力を乗せた刃で周囲に突き刺さった病闇の触手を消滅させる
自分の血が自分の身体を破壊したという事実を意にも介さず、刃を振るって感染者の触手を斬り払った紅蓮は、転移させていた腕を戻したその姿を睨み付ける
「紅蓮」
「手ぇ出すんじゃねぇ!」
病の力によって内側から破壊され、おびただしい量の血炎を左腕から立ち昇らせる紅蓮は、自分を案じたラグナの声に吠える
紅蓮と同じく、十世界に所属し、長く同じチームで行動を共にしてきた堕天使――「ラグナ」もまた、その武器である身の丈にも及ぶ斬馬刀を手にして、感染者と戦っていた
そうして相対する感染者は、紅蓮が相手にしているものとは違い、その手に歪んだ戦斧の形をした武器を握っていた
「オラアァ!」
同じ外見をしていても、ユニットである以上個体差――存在の違いがあることを形状の違う武器によって示される中、到底切断に向いているとは思えないほど刃が歪んでいる戦斧を手にした感染者と刃を交えるラグナの前で、紅蓮は自身の相手である病の化身へと向かっていく
握りしめた柄から、あるいはその魂の形そのものである武器自体の内側から噴き上がるようにして解放された純黒の魔力が天を衝き、袈裟懸けに病の神の化身へと叩き付けられる
「――チッ」
吹き荒れる漆黒の魔力の奔流が天地を揺るがし、そこに込められた純然たる殺意が世界に現象として顕現し、破壊をもたらす中、紅蓮は己の刃を防いで上空へと飛びずさっていく感染者を見て小さく舌打ちをする
その視線を太刀を握る自身の手へ落とした紅蓮は、そこから立ち昇っている魔力を苦々しげに見つめると同時に、その瞳を遥か遠くで吹き上がる黒と白の力へと向ける
(この力――あいつの共鳴か)
軽く視線を巡らせてみれば、自分だけではなくラグナやシャリオ――それどころか、九世界や十世界、共に世界を回る仲間の別なく、その神能が強化されているのが容易に見て取れる
そんなことができるのは、全ての力を取り込む悉皆の黒白である光魔神の神能――「太極」以外にありえない
全ての力と共鳴することができる太極の力が、ここにいる全ての者と共鳴し、力を増していることは誰の目にも明らか。それはつまり、光魔神がこの戦いに遠巻きながら力を貸してくれていることの証だった
さすがに、神格の関係上神位第六位に至ることはできていないが、その力は感染者の群れに引けを取らないほどに強化されていた
(自分が戦いながら、俺達まで助けよう――いや、勝たせようとしてるってわけか)
心中で嘲笑めいた独白をする紅蓮は、自身が相対する感染者から意識を逸らさず、金色の戦力、銀白色の守護の力、悍黒い病闇の力と共に渦巻く黒白の力を見据える
「随分と遠くなっちまったもんだな……」
好敵手と認め、強敵として戦いを望み続けてきた相手が神位第六位〝神〟として、自身の届かない力を手にしている
その事実に哀愁にも似た物悲しい感覚を覚える紅蓮は、天を衝く太極に背を向けるように目を背けると、漆黒の魔力を纏わせた剣の切っ先を感染者へと向けるのだった
※
全てを調和する全なる太極と、戦の神に列なる眷属全ての力を己のものとする王の力がぶつかり合い、混じり合うことなく同在する黒白と金色の力が火花を散らす
太極の力を纏わせた太刀と金色の王笏杖がせめぎ合う中、神の力を以って戦う大貴の左右非対称色と帝王の瞳のない目が視線を交錯させる
「どうやら、我らも貴様も、いいように踊らされているようだな」
「――!?」
不意に発せられた帝王の少々めいた言葉に眉を顰めた大貴は、武器の形として放出された金色の戦力を太刀の刃で撃ち落とす
「報告を受けた時から疑問に思ってはいたが、あの女――神庭騎士が神片の力を以って現れた以上、もはや確定的だ」
「なんの話だ?」
金色の王笏杖の一撃を受け止めた大貴が怪訝に眉を顰めると、帝王はその王然とした表情で小さく笑みを浮かべる
「そうか、光魔神。貴様は知らないのか――まあ、無理もない。それが、この世の理というものか」
「だから、何の――」
今、自分が刃を交えているのは、帝王が神魔を滅ぼさんとしているから。現に、先程までは神魔を殺す側と殺さない側としての信念と石を戦わせていた
だというのに、等々に話題を変えてきた帝王の意図と、その話題の意味が理解できない大貴は、神の神格を得た太極を解放する
「護法神・セイヴは、創造神の神臣だ」
「――ッ!」
戦意で昂揚していた面もあったのだろうが、抑制された声で焦燥を露にした大貴の言葉を、冷徹に響く帝王の言葉が遮る
(創造神……!?)
神臣は、異端神でありながら、世界を創世した光と闇の神に仕えることを選んだ存在を指す呼称
そして、創造神とはその名の通り、この世界を創造し、光の神々の頂点に立つ神位第一位――「絶対神」と呼ばれる神だ
「そうだ。それはつまり、最低でもこれまで神庭騎士が関わって来た事柄の全てが、創造神の意志だということだ」
「――!」
自身の言葉に、理解と疑問の色を浮かべた大貴の心中を見透かしたかのように、帝王は抑揚の聞いた声で言い放つ
大貴も意識の片隅で神庭騎士「シルヴィア」――ゆりかごの世界にいた時から、度々接触してきた存在の目的を気にかけてはいた
だが、その接触も限定的で、神魔達に聞いても多くのことは分からなかったこと、十世界をはじめとする目の前にあった問題にばかり意識が向いていたこともあって、それは意識の隅に追いやられていた
だが、帝王の言葉によって、シルヴィアの行動に隠されていた意図が露となった
九世界を創造した光と闇の神々は、「不可神条約」という理条を結び、自分達が直接世界に干渉することを禁じている
円卓の神座№10「護法神・セイヴ」は、光の神位第一位「創造神・コスモス」に仕える神臣。そして、護法神とシルヴィアはその関係性に従って、間接的に世界に干渉してきていたのだ
「分かるか? 光魔神も十世界も、この世界中の全てが、かの神の手の上だったということだ」
世界をその手の中で動かしてみせた創造神の手腕に、帝王は感嘆とも自嘲とも取れる声音で言い放ち、金色の王笏杖を太極を纏って肉薄してきていた大貴めがけて薙ぎ下ろす
その一撃を横薙ぎの一閃で迎撃した大貴は、太極と戦の力がせめぎ合って散らす火花を瞳に映しながら、声もなく帝王を左右非対称色の瞳で射抜く
「それがどうしたとでも言いたげだな」
「…………」
自身へと注がれる大貴の視線を受け止め、不敵な笑みと共に答えた帝王は、空間から出現させた金色の槍状の力で、光魔神を射抜かんとする
しかし、空から放たれた金色の槍は大貴の身体を貫くことなく紙一重で回避され、太極の力に取り込まれていく
「大いにあるさ。何のために、かの神が動き出したと思う?」
「――!」
神速で行われる刹那さえ存在しない戦いの中で、わずかに動揺を見せた大貴だったが、その太極に込める純然たる意志を緩めることはなかった
そんな大貴の斬撃を受け止めた帝王は、戦の神の眷属の証たる瞳のない目を細めて鋭い光を灯す
護法神という神と、そのユニットである神庭騎士について知っていれば、その関係を推察することは難しくはない
問題なのは、神庭騎士が創造神の意志を以って干渉してきていたことそのものではない。何のためにその神意を体現するために現れていたのかということの方だ
「自ら世界への干渉を禁じ、誰が死のうと何が滅びようとそれを貫き続けてきた絶対神が、小手先の技を使って、一体何をしようとしていたのだろうな?」
挑発めいた声音で言い放つ帝王の一撃を受け止めた大貴は、その目を細めて相殺して火花を散らす黒白と金色の力の火花を瞳に映す
世界最初にして最大、神々によって行われた創世の大戦――「創界神争」終結後、これまで創造神が世界に対して干渉することはなかった。――少なくとも、誰もそれを知らない程度に、創世の神々は世界への直接的な干渉をしてこなかったのだ
異神大戦で異端神が世界を巻き込む大戦を起こした際も、光魔戦争によって光と闇の世界が殺し合っても、これまで創造神は誰にもなににも干渉することなく世界を見届けてきた
だが、今回――この件に限って創造神は、自身の神臣である護法神を介してシルヴィアを派遣している。ならば、そこになんらかの理由があるのは想像に難くない
「あの神庭騎士が、創造神の意志を代行していたというのならば、その意図は奴が姿を見せ、干渉していた者達――つまり、お前達に関わりがあるということだ」
「!」
その言葉に目を見開いた大貴を金色の王笏杖を振るって弾き飛ばした帝王は、同時にその存在を霞ませていく
(そうだ。そして考えられるその目的は――)
「チッ」
その身に宿る輩の能力を以って自身の知覚を霞ませ、朧げなものへと変えていく帝王に舌打ちをした大貴は、その武器である太刀から渾身の太極を解き放つ
光と闇、相反する力を同時に備えながら、共にその力の存在を際立たせる太極の力は、全てと共鳴し、全にして一なる全一相克の事象を顕現させる
「――ッ」
(手応えがない)
自身の放った黒白をその左右非対称色の瞳で見据える大貴は、武器を握る手と知覚を介して伝わってくる感覚に、心の中で苦々しげに吐き捨てる
その言葉に答えるように、視界を覆っていた黒白の力の奔流が溶けて消失すると、先程までそこにいたはずの帝王の姿が完全に消失してしまっていた
(消えた――?)
今まで知覚に捉えていた帝王が消失したことに一瞬動きを止めた大貴は、その姿が見えなかった理由を思い巡らせ、世界に晦むその存在へ思考を巡らせ、思案する
(いや、違う!)
そして、一つの結論を導き出した大貴は、その視線を救世主となったシルヴィアへと向けて黒白の翼を羽ばたかせる
《気を付けろ!》
「――ッ!」
全方位から多角的に襲い掛かってくる罹恙神の神速の触手群をハルバートで薙ぎ払っていたシルヴィアは、突如意識の内側に響いてきた大貴の思念通話に息を呑む
瞬間、弾き飛ばした病闇の触手の影から出現した帝王が、金色の王笏杖を振るって襲いかかってくる
「く……っ」
時間と空間を超越する神速を以って肉薄したシルヴィアと帝王の武器が真正面からぶつかり合い、金色の戦と銀白の守護の力がせめぎ合って渦を巻く
(これは、界略軍棋)
その中で敵対者を討滅する戦の神の眷属の力を己の武器を介して受け止めるシルヴィアは、突如現れた帝王が用いた手段を瞬時に理解してその目に険の光を灯す
「界略軍棋」は、覇国神の神片の一人である〝賢聖〟の能力。自身の眷属に限り、自由にその空間や世界を越えて移動させることができる
当然、それを使えば自分自身を移動させることも可能。その最大の利点は、空間転移などとは異なり、移動に際する力を知覚されないこと――つまり、移動先を予測されないことにある
「――単刀直入に聞く」
全ての同胞の力を使える王としての権能を以って大貴と戦っていたにも関わらずシルヴィアと刃を合わせた帝王は、一切の前置きを除いて低く抑制された声音で口を開く
「そういうことなんだな」
「――……」
一切を省いた抽象的な帝王の言葉も、その意味が分かっている者同士の間では十分すぎるほどの価値を持ったやり取りへと変わる
質問でありながら、確認の意味合いの方が強い帝王の言葉に、救世主となったシルヴィアは、沈黙を返すことで応じる
「だが、一体なぜ――」
「俺を無視するなよ」
その沈黙を肯定と受け取り、息を呑んだ帝王が質問を続けようとした瞬間、界略軍棋によって引き離していた大貴が神速で肉薄する
太極の力を注ぎ込まれた太刀が、時間と空間を超越した黒白の斬跡を残しながら振るわれると、帝王は、その一撃と共にシルヴィアから引き離される
「今大事な話をしようとしていたところなんだがな」
「知るか」
王笏杖で黒白の力を受け止めながら、やや苛立ちとも焦燥とも取れる心境を滲ませる声音で語りかけてくる帝王に言い捨てた大貴は、太極の力を解放して、王を全へと還さんとする
瞬間、帝王の戦の神能が煌めき、そこから無数の武器が顕現して太極の力を貫いて大貴へとその切っ先を迫らせる
「っ!」
咄嗟にその攻撃を回避して距離を取った大貴は、先程まで自分がいた場所を貫いて天空へと消え去っていく無数の武器の軌跡を視界の端で捉えながら、その意識を帝王へと向ける
(一度に武器をいくつも顕現させたのか……そういえば、さっき二つ同時に出してやがったな)
王の力で覇国神の眷属達と同じ形状の武器を自分のものとして使うことができる帝王は、それを多現顕在者のように複数同時に顕現し、行使しているのだ
先の一合の際、片手に一つずつ武器を顕現させて攻撃してきていた帝王の姿を思い返した大貴は、それに気づかなかった自身の迂闊さに小さく舌打ちをする
「邪魔をするな。寛大な余にも許してやれぬことというものがあるぞ。王たる余の決定を覆して刃を向けるなど、万死に値することと知れ」
帝王が苛立ちを隠さない声音で言うと、大貴は先程までとは違う感情に任せた殺意に切っ先を向ける
手加減していたということはないが、先程までの帝王が行使していた神能に込められた純然たる殺意は、敵を討ち滅ぼすために要する理性的なものだった
だが今の帝王の神能を染め上げるのは、感情としての殺意。それは即ち、これまで泰然と上から見下ろし、超然とした王意を示していた帝王が個人的な意志を示したことの証だった
「――!」
その周囲に顕現させたおびただしい数の戦神の眷属達の武器を、王たる己が使うに相応しくその全てを自身の神格で染め上げた帝王の王としての意思とそして個人としての意思が生み出す殺意に晒された大貴は、その戦意を研ぎ澄ませて太極の力を高めていくのだった
「――っ!」
それを知覚し、先程以上に熾烈さを極める大貴と帝王の戦いを知覚の端で捉えていたシルヴィアは、おもむろに息を呑んでその身を翻す
それとほぼ同時に、シルヴィアの身体があった場所を病闇の煙を立ち昇らせた無数の白い触手が通り過ぎていく
その白い触手は、増殖した病闇の神能――「罹痛」によって形作られる罹恙神を包み込む肉性の鎧
その身体からあふれ出す全霊命さえも蝕む病闇の力を、聖なる白銀の力を纏わせたハルバートの一閃で薙ぎ払ったシルヴィアは、その怜悧な瞳に肥大化したその姿を映す
(まずは、あの外側を剥がして中から本体を引き摺り出さないことには、どうしようもないわね)
罹患神を包む白い肉鎧は、それそのものが巨大な霊衣のようなもの。それをいくら破壊しようが本体にダメージを与えることはできない
このままでは同じことを繰り返すだけで埒が明かないことを理解しているシルヴィアは、護法神の神片の一角である救世主となった自身の力を研ぎ澄ませる
「――!」
そんなシルヴィアの思惑を見通したわけではないだろうが、それ自体が罹痛の神能によって無限に伸縮する罹患神の肉鎧触手は、宙空でその動きを止めて病闇の力を収束して黒く輝く
それが解放されると同時、空中に留まる無数の触手から収束された病闇の破壊閃と、周囲一帯を呑み込む無数の干渉領域が同時に発生してシルヴィアを呑み込む
「――ッ」
破壊閃は言わずもがな、それぞれの触手を中心に無数に発生し、重複する球状の病闇領域は、その中にいるものの存在に病をもたらす空間干渉攻撃
全霊命の存在を構築する神能に異常を及ぼさせ、破壊する病の神ならではの力だ
他の神能のように、直接的な破壊を事象として顕現させるのではなく、シルヴィア自身の神能に異常をもたらす罹痛の力に、救世主となった騎士は、その美貌を苦悶に歪める
自身を自身の力によって害する病の神の力がシルヴィアの身体を軋ませ、その身に異変の力が刻まれると同時にその命に終焉をもたらすべく、収束された病闇の力の閃光が神速を以って炸裂する
「はあああっ!」
しかし、次の瞬間、あまねく異変をもたらすその病の力はシルヴィアの身体から噴出した煌めく純銀の光によって吹き消され、その形を失って力の欠片となって世界に溶けていく
顔のない肉鎧に包まれているためその表情はうかがえないが、その巨体をたじろがせた罹恙神を見れば、その動揺は疑う余地もない
病の力をかき消し、ハルバートを構えたシルヴィアは、天を蹴って巨大な肉塊にその存在を包み隠した罹恙神へと向かっていく
純銀の光を纏い、神の神格を以ってあらゆる事象を超越するシルヴィアへと罹恙神の触手が次々に襲いかかる
触れるものを病みで覆いつくす力の凝縮した肉鎧が眼前に肉薄しても、シルヴィアは臆することなくその身に宿った力を振るう
武器を介して解放された純銀白の護光は、シルヴィアは自身を守り、シルヴィアが守りたいものを守るためにその力を世界に見せつけるように顕現させる
「これが、救世主の力よ!」
輝く光の刃が病闇の力の結晶である肉鎧を断ち切り、浄化と癒しをもたらす
護光の輝きによって罹恙神の仮初の身体を破壊したシルヴィアは、その事実に息を呑んで動きを止める病巣の白い巨躯に、ハルバートの刃を深く突き立てる
「このまま、浄えなさい!」
増殖の力によって肥大したその巨躯は、シルヴィアのハルバートの刃が届かないほど奥深くに罹恙神の本体を隠してしまっている
だが、深々と突き立てられたハルバートの刃は、輝く護光を放ってその内側から罹恙神を浄化し、癒滅させようとしていた
護法神の神片の一角である「救世主」とはその名の通り、救世主。そしてその力は、その名にふさわしい〝世界を救う力〟だ
神能はその神格の許す限り、あらゆる事象を破棄して自らが望む事象を発現させる。――いわばそれは、一種の〝世界創造〟と言えるだろう
そして、神託の救世主が持つ神能は、そういった概念上の世界を相克し、救済する――事象の拒絶と顕現に抵抗し、否定する力だ
神能をはじめとして作り出された世界を否定するその力は、破壊されたものを救済し、己の身に降りかかるあまねく災いから自分さえをも救済することができる
神能が実現させようとしている〝世界〟を否定し、世界を変容から守るその力は、ある意味で罹恙神の対極にあるともいえるかもしれない
肥大した病巣でもある白肉鎧の内側から聖浄な輝きを持った光が煌めき、内側から焼き尽くさんとすると罹恙神の巨躯はその苦しみからか、まるでのたうつように暴れる
シルヴィアの刃から放たれる銀光は、ただの癒しの力だけではない。〝世界〟を救済する救世主の力までもが加わり、異変と異常から世界を救う力となっている
「――!?」
その力によって罹恙神を癒滅せんと全霊の意思と力を注いだその時、突如その白肉鎧を突き破って出現した漆黒の腕がシルヴィアのハルバートの柄を握りしめる
(な……っ!?)
病闇の力そのものである肉鎧の内側から現れたその手を見たシルヴィアは、思わず息を呑んで瞠目する
元々この肉鎧の内側には罹恙神の本体がいるのだから、中から手が出てきた程度で特段驚くほどのことはない。――だが、そこにある手は最初に見た罹恙神の手とは全く異なる形状をしていたのだ
(手の形が違う……!?)
細い触手が絡みついてできた黒い枯れ木のようだったその手は、色こそ黒いままだが健康的な肉付きを得ており、手の甲や指には白い鎧が備えられ、手首の付け根には目を思わせる金色の意匠と宝玉が輝いていた
「っ!」
それに一瞬気を取られた瞬間、更に肉鎧の中からもう一本の腕が出現し、その拳でシルヴィアを殴り飛ばす
「く……ッ」
反射的に結界を展開してその一撃を防いだシルヴィアだったが、三つの拳から伝えられた病闇の破壊力に歯噛みして距離を取る
「一体、何が……!?」
特別変わったことは知覚できないというのに、肉鎧の中から現れた罹恙神とは違う腕に困惑するシルヴィアが視線を送る先では、白い肉鎧が溶けるように崩壊し、その中から先の腕の持ち主が姿を現す
「……!」
シルヴィアの視界に映ったのは、黒い身体に白い鎧を守った人型のもの。顔は面のような白い鎧で覆われており、表情を窺うことはできず、その身体は人型ではあっても、性別を判別できるようなものではない――否、性別などないというのが正解だろう
彫像か何かのようなその身体は、生物というよりも人形。人の形を模したものでしかなく、そこに性別というものは考慮されていないように思える
その外見は生物的というよりも無機質な存在感を感じさせ、さながら人型の鎧と評するのが最も適当に思えるものだった
「これは……?」
「ワシの武器、『病理神』ダ」
突如現れた見知らぬものに息を呑んだシルヴィアに答えるように、その背後からその姿を現した罹恙神が地の底から響くような声で答えると、その人型――病理神の中へと入り込んでいく
「武器の、中に……」
罹恙神が完全にその人型の中に入り込むのを見たシルヴィアが息を呑む中、病理神と呼ばれたそれがまるで生きているかのようにその身体を動かす
「罹恙神は感染すルもの。ならば、ワシの力で作り出された武器が、ワシ自身を感染させることに、何の疑問があル?」
顔を上げ、シルヴィアを見据えた罹恙神は自身で武器である人型の鎧から話しかける
病と傷――異変と異常を司る神である罹恙神は、健常な存在に宿るもの。故にその武器は、自らを感染させる器なのだ
異端神――全霊命にとって、武器も肉体もすべからく同じ神能。ならば、自らの神能によって武器としての身体を作り出せることになんの不思議もない
「行くゾ」
自身の力によって戦うための武器となる肉体を作り出した罹恙神は、その手に病闇の力が収束された鉈のような刃を持つ長柄武器を顕現させて、その切っ先をシルヴィアへと向けるのだった




