救世主
「英知の樹……!」
病の神――「罹恙神・ペイン」の背後に現れた炎髪の悪魔の男が名乗った所属に、大貴は思わず息を詰まらせる
十世界と共に九世界から最も警戒される組織の一つ。――神の力を集めている組織の名を聞いた大貴の脳裏には、以前に遭遇したことのある同組織の人物ち、その組織にいるらしい円卓の異端神「夢想神」が思い起こされていた
「へぇ、天樹管理臣といえば、首領の次席に当たる三大幹部だな。……で? そんな大物が何の用だ?」
そんな大貴の思考を遮るように、罹恙神を連れた烈火を思わせる猛々しい雰囲気を持つ炎髪の男――「厄真」を横長の瞳孔に映したウォールは、そう言って不敵な笑みを向ける
英知の樹三大幹部「天樹管理臣」に関する丁寧な説明をその言葉に含ませたのは、大貴への説明と皮肉を込めてのものだった
「あァ、ちょっと拾い物があって来たんだが……お前の所為で、クッソ小せぇ方の力を見逃したみたいだ」
そんなウォールの言葉の意味を知ってか知らずか、尊大な態度を崩すことなくその言葉を受け止めた厄真は軽く肩を竦めて笑みを浮かべて言う
「!」
ウォールへと視線を向けて言う厄真の言葉を聞いた大貴は、それが意味するところを瞬時に正しく理解してその表情を険しいものへ変える
「ウォールの所為で小さい方を見逃した」ということは、厄真が狙っていたのは、それと同質の〝力〟を持っている者
そして、いかに同質の力であろうと個人差がある力を知覚し損ねたということは、その対象の力がそれだけ弱かったことの証左ともいえる。それを踏まえて、厄真の言葉を振り返れば、その目的は容易に想像がつく
「狙いは神眼ってことか」
悪意の眷属たるゆりかごの人間――自身の双子の姉である詩織の身体に宿った神器が目的なのだと即座に思い至った大貴が言うと、厄真は口端を吊り上げて笑って応じる
「まぁ、そういうことだ」
「させると思うか?」
大貴と同時にその目的に思い至った帝王が金色の王笏杖を厄真と罹恙神へ向けて牽制すると、その様子を見ていたウォールがおもむろに口を開く
「そういうことなら、ここは任せるぜ、王サマ」
「……!」
突然のその言葉を聞いた大貴はもちろん、帝王までもが驚愕に目を瞠る中、ウォールは感情の読み取れない罹恙神の隣で怪訝な表情を浮かべている厄真を見てその真意を言葉にする
「俺は、そいつがあの女から神眼を取り出すのを待つ。で、そこで奪い取ればいい――そうすれば、姫のご意志に背かずに、神器が手に入るってもんだ。そうだろ?」
「……ッ!」
自身の悪辣な考えを得意気に話して聞かせるウォールの言葉に、大貴は苦々しげな表情で歯噛みする
「あまりに下劣な考えに呆れてものも言えんな」
そして、その一方で帝王もまた、ウォールの言葉に軽蔑の意志を隠さずに独白すると、その視線を享楽の悪意から外す
「――好きにするがいい。貴様ら悪意が、余の言葉に従うとは思えないからな」
抑揚の利いた声で言い捨てるように言った帝王だが、その言葉は実質先程のウォールの言葉を黙認するものであるのは一目瞭然だった
詩織の身体に宿った神器「神眼」は、十世界としても手に入れておきたい神器だ。だが、それを献上したいと思っている相手――十世界盟主「奏姫・愛梨」はそれを是とするような人物ではない
だが、何者かが詩織の身体から抜き出した神眼を奪い取って手に入れたならばなんら問題はない。他者の命を弄び、尊厳を踏み躙って楽しむ享楽の悪意らしくあまりにも身勝手で悪辣な考え方ではあったが、それが友好的で実用的な手段であることは間違いなかった
姫に忠実な戦神の眷属としてそれにあからさまに同調することはできないが、それで姫に神眼が渡るならそれでいいと黙殺する意思を示した帝王の対応に不適に笑ったウォールは、口端を吊り上げて嗤う
「じゃあ、精々頑張れよ」
そう言って、その存在に相応しく嗜虐的な笑みを浮かべたウォールは、悪意の力で自身を包み込むと、そのまま天空の彼方へ吸い込まれるように飛翔していく
そのままウォールが空の果てで姿を消し、この地獄界からいなくなったことを知覚した帝王は、瞳のない白い眼差しを大貴に向けて鷹揚な様子で口を開く
「そういうことだ。姉を守りたいのなら、奴と戦うことだ」
ウォールがいなくなったことで三竦みのような状態となったところで、帝王はその言葉で厄真と罹恙神を示して大貴に言う
「……そうしたら、神魔を殺しに行くんだろうが」
厄真と罹恙神の標的が詩織なら、大貴は当然詩織を守らなければならない。だが、そうなれば、帝王がその命を狙う神魔が無防備になってしまう
狂楽に享じるものがいたことで保たれていた均衡が崩れた結果、大貴は詩織と神魔――天秤にかけることなどできないかけがえのないものを、二人の神位第六位神保持者から守らなければならない状態に陥ってしまっていた
(くそ、どうする? いくらなんでも、こいつら二人相手に戦うのは無理だ)
帝王と罹恙神を左右非対称色の瞳に交互に映しながら、大貴は太刀の切っ先を向けて思案を巡らせる
罹恙神の力を利用して神の神格を得た今の大貴ならば、帝王と罹恙神どちらと戦っても
後れを取ることはないだろう
だが、いかに神の領域へ至った太極とはいえ、同格の存在二人を一度に相手にしたうえで詩織と神魔を守れるかと言われれば、限りなく難しいということも大貴には分かっていた
「なんか、ややこしい話をしてるみたいだが、俺達は俺達でやらせてもらうぜ」
自分を置いて何やらやり取りをしている光魔神と帝王を交互に見比べた厄真は、我関せずと言った様子で軽く肩を回すと、その知覚を研ぎ澄ませて標的を探す
ウォールがいなくなったことで、詩織の力を知覚しやすくなったことも手伝い、厄真は全霊命から見れば、微小という言葉でさえ足りないほどに小さな詩織の存在の力を捉えて視線を向ける
「させるか!」
厄真のその行動を逃さず知覚していた大貴は、太刀の斬閃共に太極の力を解き放ち、万象を取り込み、自神の力へと変える黒白の力を振るう
神の神格を得た太極の一撃は、厄真には本来反応できるものではない。ただ成す術もなくその力に呑まれ、この世の全源たる太極に取り込まれるしかない――はずだった
「――っ、と」
しかし、その太極の力は、一瞬で膨張するように増殖した病闇の壁によって遮られ、厄真へと届くことはなかった
「危ねぇ、危ねぇ。こんなところにいたら命がいくつあっても足りやしねぇな」
神能――即ち、全霊命にとっての存在と命そのものと共鳴して取り込む太極の神格を、病闇を隔てて知覚する厄真はその言葉とは裏腹にニヤついた笑みを浮かべて言う
神格の上で圧倒しているはずだというのに、大貴の太極に全く恐怖した様子もない厄真は、わざとらしくそう独白すると、その視線を罹恙神へ向ける
「ってことで、ここは任せたぜ。俺は、神眼を取りにいく」
「ッ!」
わざとらしく、罹恙神へと語りかけた厄真の言葉に息を呑んだ大貴が、それをさせまいと黒白の太極を纏わせた太刀を握りしめる
だが、大貴が行動を起こすよりも早く、地の底から響くようなうめき声をあげた罹恙神の身体から、病みの力が噴き出し、まるで意志を持っているかのように襲い掛かってくる
「――ッ!」
神能だというのに、それそのものが一つの生命体と見紛うばかりの罹恙神の力が大貴へと襲い掛かる
天地を這い、迫りくる命髄までをも侵す病闇の力をその力を以って迎え撃った大貴の太極が打ち払い、その黒と白の全なる力へと取り込んでいく
「ォォォォ……」
この世の全ての力へ、全霊命さえも蝕む自身の病力が取り込まれていくのを黒虚の眼で見据える罹恙神は、その不気味な佇まいを崩さずに周囲に無数の菌糸状の力を作り出していく
「フン」
まるで世界そのものに感染させているかの世にその力を拡げ、一帯を呑み込んでいく罹恙神と大貴がにらみ合っているのを見て軽く鼻を鳴らした帝王は、先のやり取りの間に迂回して移動した厄真を追うようにその身を翻す
「行かせるか!」
しかし、その動きを見逃していなかった大貴は、一切の挙動もなく無数の太極球を作り出して、そこから極大の砲撃を以って迎撃する
「!」
自身へ向けて放たれた太極の砲撃を、黄金の王笏杖を掲げて阻んで見せた帝王の瞳のない目に、光と闇の同居する黒白の力が世界を呑み込む様が映し出される
無論、完全に制御された太極の力がそんなことを顕現するはずはない。神の領域に至ったことでそう感じさせるほどの強大な太極の力によって罹恙神を牽制した大貴は、左右非対称色の黒白の翼を広げて帝王へと肉薄していた
「……あまり抵抗するな、光魔神。貴様に何かあれば、姫が悲しまれる」
その神格に許された神速で横薙ぎに振るわれた大貴の斬撃を受け止めた帝王は、自身を射抜く左右非対称色の視線に不適な笑みで応じる
「なら、とっとと尻尾巻いて帰れよ」
自身へと向けられる帝王の余裕の笑みにわずかな焦燥を抱いた大貴は、王冠を思わせる大角を持つ戦神の眷属の瞳のない目と視線を交錯させながら言い放つ
大貴の振るった太極の力を纏う太刀は、帝王の金色の王笏杖によって受け止められ、せめぎ合って拮抗する黒白と金色の神能の欠片が世界に溶けていく
そればかりではない。神に等しい神格を得た今の大貴の太極の力は、帝王の戦の神能さえも取り込めるほどに強大なものになっていた
「それは聞けない相談だな。他の奴はまだしも、あの悪魔だけは滅しておかねばならん。そうでなければ、世界にどのような災いがもたらされるやもしれん」
「そんなことあるわけねぇだろ!」
大貴の斬撃を受け止めた王笏杖が太極の力に干渉されているのを感じ取った帝王は、神さえをも取り込む黒白の力を金色の嵐を生み出して吹き飛ばさんとする
「なぜそう言い切れる?」
「――っ」
太極の力を金色の王波で迎撃した帝王は、手にした王笏杖を一閃させて大貴の太刀を
弾き飛ばすと距離を取って地に降り立つ
「神魔と詩織。両方を切り捨てないのは、ある意味でお前らしいが、どちらをも守ろうとするあまり、どちらも失うことにならぬように気を付けることだ」
それをあえて追わず、帝王と罹恙神のどちらか――あるいは両方が動いても対処できる
位置を取った大貴は、太刀を構えて意識を研ぎ澄ませる
「――とはいえ、それを簡単に受け入れるような貴様でもあるまいな」
大貴の左右非対称色の瞳に宿る翳ることのない戦意を見て取った帝王は、薄く笑ってその自身の周囲に輝く金色の槍の群れを作り出して射出する
「!」
帝王の神能が形どったおびただしい数の金色の槍が、自身に向かって縦横無尽に天を翔けながら放たれたのを見て取った大貴は、一瞬も怯むことなく黒白の翼を広げて太極の力を以って迎撃する
正面から、上から、下から――全方位から放たれる神速の金槍の群れを、大貴は太刀の一閃で薙ぎ払い、太極の力を収束した砲撃で撃ち落としていく
共に神に等しい神格を持つ者同士。拮抗する二人の力は、混じり合うことなく同居する黒と白と金色の煌めきで世界を染め上げていく
この世の全ての理を超越し、自身のためだけの世界を実現して打ち交わされる太極と戦、二つの神能の剣戟は、さながら世界の終焉と始まりを告げる神の笛を思わせるものだった
「――っ!?」
全方位から迫りくる金槍の包囲を破壊しつくすことができず、打ち漏らした金色の一閃が腕を掠めて血炎を立ち昇らせる大貴は、そのまま太刀を一閃させて斬撃の波動を放つ
その斬閃の軌道に沿って放たれた太極の刃と、その先に見える大貴の姿を見据えた帝王は、先程自身の攻撃で刻みつけた斬り傷が瞬く間に塞がり、完治するのを見て鼻を鳴らす
「――不敬な」
先程の一撃で大貴が痛みをみせたのはほんの一瞬。わずかに顔をしかめた大貴の傷は、その太極の力が取り込んだ帝王と罹恙神の力によって瞬く間に回復していた
ただ相手を滅殺するためだけではなく、戦う相手の力さえ自分のものとする太極の力を揶揄するように言った帝王は、金色の王笏杖を振り上げて、神速で迫りくる黒白の斬月を相殺する
「だが、いかに貴様であろうと余を殺すことはできん」
黒白の力を破壊し、そこに込められた純然たる滅意そのものごと世界に還した帝王は、自信に満ちた言葉を大貴へと向ける
「オ、ォォォォォッ」
だが、そんな二人の対話を黙って傍観していてはくれないのが罹恙神という存在。理性と知性を持っていながら対話もままならず、ただその力を感染させるだけのその力が、大貴と帝王に容赦なく襲い掛かる
「――!」
神さえをも蝕む病みが天と地を這いずって迫ってくるのを二人が見逃すはずもなく、太極の一閃と金色の波動を以って罹恙神の攻撃を薙ぎ払って見せた大貴と帝王は、形を失って世界に溶けていくその力を視界と知覚の端で捉えながら、視線を交錯させる
「なぜなら、余は〝王〟。全ての戦兵の頂に君臨する余は、決して滅びることはないのだからな」
「――!?」
帝王の口から発せられたその言葉に、大貴はその意味を掴みあぐねて訝しげに眉を顰める
円卓の神座№9「覇国神・ウォー」の神片たる帝王は、その名の通り帝王――即ち、戦の神の眷属たる「戦兵」の王だ。
故に帝王は、全ての戦兵の頂点に君臨し、そしてそれらの存在によって確立される象徴にして抽象そのもの。
王とは人に戴かれたもの。王とは生まれながらに決められたもの。そして、王が王たるためには、臣民の存在が不可欠
その王としての概念の体現にさえ等しい帝王は、ここに確固たる個として存在しながら、全ての臣下臣民の群念によって確立されている――それは即ち、王がある限り民は絶えることなく、民がある限り、王は滅びることはないということだ
「つまり、余を殺すには戦兵の全てを根絶やしにする必要がある」
「!」
まるで絶望を知らしめるように、王としての自身の存在を告げた帝王の言に、大貴は思わず言葉を失う
「貴様とて、余を殺すために戦兵を根絶やしにするようなことはあるまい?」
そもそもの大前提として、そんなことなどする意志も時間もないことが分かっている上で言う帝王は、歯噛みする大貴を瞳のない目で見据えて言葉を続ける
「諦めて、選ぶがよい。あの悪魔か、姉か――守る方と切り捨てる方を」
臣民の在る限り滅びることのない存在を有する帝王は、自身の周囲に不滅の力を持つ自身の力によって具現化した金色の槍を無数に顕現させて牽制した大貴を視線を使って誘導する
「それに――」
その視線が示すのは、存在するその場から世界に感染し、侵食する病の神たる罹恙神。顔があるのに不気味なほど表情が読み取れず、口端を吊り上げて目を細めて表情を変えるというのに、、感情を読み取れない病の神は、帝王の瞳のない視線が注がれるのを待っていたかのようにその病闇の力を解き放つ
罹恙神から放たれた病闇の力が一つに束ねられ、槍のような形状をとって襲い掛かってくると、大貴は太極の力を振るってそれを相殺する
「――ッ!?」
しかし、自身が放った黒白の力が身の毛もよだつような悍ましい病の力に触れた瞬間、大貴は息を呑んで反射的に後方へと飛びずさる
瞬間、病巣の力が太極の力の一部を侵食し、生み出した無数の槍の内の数本を貫通させて、先程まで大貴が佇んでいた場所に突き刺さる
「これは……ッ!?」
罹恙神から触手のように伸びてきている病闇の槍が貫いた地面から引き抜かれて獲物を狙う蛇のように蠢いているのを見て目を瞠る大貴の耳に、王然とした態度で佇んでいる帝王の声が届く
「罹恙神の力が本領を発揮しはじめたようだな」
「?」
その目に剣呑な光を灯して言った帝王は、自身の言葉に訝しげに眉を顰める大貴を見て言葉を続ける
「奴は、〝病〟の神。病とは異常をきたすこと――つまり、奴の神能である罹痛は、相対する力に異変をもたらすように変質する特性を持っているのだ」
「!」
帝王の口から告げられたその言葉に息を呑んだ大貴は、罹恙神から立ち昇る無数の病槍の鞭を見据え、先程自身の太極の力を貫いてきた理由を理解する
病の神である罹恙神は、相手の力の性質に合わせて変化する力を持っている。異常をもたらし、正常を崩す病力は、神能の正常な力を害し、その異変の力を感染させる特性を有している
最初こそ、太極の力に取り込まれ、大貴に神の神格を与えるきっかけを作った罹痛の力だったが、今ではすべてと共鳴し、合一するその力に抵抗し、害する特性を獲得し始めているのだ
「その力で奴は貴様の太極はもちろん、余の力にも対応してきているだろう。――無論、神格が等しい以上、全く通じなくなるということはないだろうが、厄介になったというのは間違いないだろうな」
その力を簡潔に告げて煩わしそうに告げながらも、帝王はどこか愉快そうに大貴に語りかける
事実そこには、命の選択を迫られている大貴がさらに追い詰められ、どんな答えを導き出すのかを観察しようとしている意図が滲んでいた
(くそ……ッ)
帝王と罹恙神――どちらかしか対処できない現状に歯噛みした大貴は、神魔と詩織へと思いを馳せる
だがそれは、どちらかを選ぶためではない。神魔も詩織も、自分が望む全てを守るためにどうすればいいのかを思案し、思考を止めることなくこの窮地を打破する方法を模索する
(諦めてたまるか。姉貴も神魔も、絶対に死なせない――!)
自分が何を諦めるのかを見届けようとしている帝王と、無表情にその力を振りまく罹恙神を交互に見比べ、太刀を握る手に力を込めた大貴が心の中で強く自身に言い聞かせた瞬間、天空から一条の光が奔る
「――!」
病の神に侵され、黒く滲んでいた空を貫いた一条の光は、城を護る結界が破壊されていたことにより、何ら遮るものなく、大貴の前――ほんの数メートル先の地面へと突き刺さる
(この力は……)
帝王と罹恙神、二人の神の神格を持つ者と相対し、三竦みになっていた大貴は、自身の前に突き刺さった輝く光を知覚して目を瞠る
大貴を含め、三対六人の視線が注がれる光の柱は、やがてその輝きを失い、後頭部で束ねた長い髪を揺らめかせる美しき戦乙女の姿へと吸い込まれていく
「お久しぶりですね。光魔神様」
「あんたは……」
軽く首を動かし、その麗貌を向けて背中越しに硬質な笑みを向けてきたその人物は、かつてゆりかごの世界――地球で出会い、それからも何度か面識のある人物だった
「神庭騎士……」
戦乙女を彷彿とさせる出で立ちの女性を知覚した帝王は、大貴を庇うように佇む神庭騎士――「シルヴィア」へ淡白な声音で呟く
神庭騎士は、円卓の神座№10「護法神・セイヴ」の力に列なるユニット。そして護法神は、帝王達戦兵の神である覇国神の対となる天敵とも呼べる神でもある
いわば光の存在と闇の存在、あるいは天使と悪魔のような間柄にある不倶戴天の敵の存在に、帝王がわずかながらに反応したのも当然と言えるだろう
「微力ではございますが、加勢させていただきます」
その武器であるハルバートを顕現させ、切っ先を下げたシルヴィアはそう告げると大貴から視線を外して、帝王と罹恙神を宝石のようなその双眸に映す
「お、おい……」
その気持ちや提案自体はありがたいが、いかに大貴といえど、シルヴィアのそんな無謀な提案を二つ返事で受け入れることなどできるはずもない
「貴様程度の力で、何ができる?」
目に見えて困惑と狼狽する大貴の反応など気にも留めず、帝王はシルヴィアを睥睨して嘲るように鼻を鳴らす
シルヴィアの神格は、並の全霊命と同程度。それでは、神位第六位の神格を持つものの前ではなんの意味もなさない
大貴がシルヴィアの申し出に動揺したのも、当然その程度の事を知っているにも関わらず、無謀というにも足りない進言に困惑したからだった
「なにかできるから、ここへ出てきたのですよ」
しかし、そんな帝王の言葉に、恐れることなく応じたシルヴィアは、静かに呼吸を整える
本当のことを言えば、今この場にいるだけで三つの神の神格の前にひれ伏してしまいそうになるほどの圧力を知覚している
まるで魂の髄まで磨り潰されるのではないかと思えるような圧力と、存在そのものを呑み込まれてしまうような神の神格に身を晒しながら、シルヴィアは静かに呼吸を整えると厳かな声で言葉を紡ぐ
「――『神託』!」
凛と響く透き通ったシルヴィアの声と共に、その存在の内側から湧き出した極彩色の燐光を帯びた白光が輝き、その身体を包み込む
「な……っ!?」
(この神格は、〝神〟の――!)
シルヴィアの身体が放つ輝きをかざした腕で遮る大貴は、極彩色の燐光を纏う白い光の力が持つ神格を知覚して目を瞠る
シルヴィアの内側から放たれた光の神能が有する神格は、紛れもなく神位第六位――「神」のそれ。それは即ち、その存在が神の領域に等しいものへと至った証だった
そして、刹那にも満たない間、その輝きを以って世界を照らし出した光が収束していくと、そこに先程までとは異なる霊衣を纏ったシルヴィアが現臨する
ドレスの上に鎧を纏った戦乙女を彷彿とさせる出で立ちはそのままに、金色の意匠が施された純白の鎧へと変化した霊衣は一層神々しさを増しており、見る角度によって極彩色の彩を得る半透明のヴェールと羽衣を靡させている
霊衣もまた、神能の形。霊衣が変化したということは、シルヴィアという存在の根源から力の性質が変わったことの証左でもある
そうして純白の戦女神へと再誕したシルヴィアの姿は、まるで輝いているかのように見るものの魂を惹きつける存在感を放っていた
「――……」
生まれ変わったその姿に目を瞠る大貴と、帝王、罹恙神の視線を一身に浴びるシルヴィアは、閉じていた瞼を開くと、凛とした表情を崩すことなく静かに息を吐く
それに答えるように、その手に中に守護の神能が武器として具現化し、純白の形に金色の装飾を持つハルバートへと変化する
「護法神の神片――『救世主』か」
霊衣だけではなく、武器までもを進化させたシルヴィアの姿を瞳のない目に映した帝王は、その変化の原因を正しく理解して独白する
(救世主……?)
そんな帝王の言葉を聞いた大貴は、心中で疑問を募らせながら自身に背を向けて佇むシルヴィアの後ろ姿を見る
その神格からシルヴィアが神片となり、神の領域へと至ったのは疑う余地のない事実。
だが、先程まで一介の全霊命でしかなかったシルヴィアが突如神片になれるものなのかわからずにいる大貴の疑問を晴らすように帝王がその答えを口にする
「神からの啓示を受けた守護者。――護法神自身からユニットの一人へと与えられる、神の奇跡か」
互いの神が対極の存在足る敵対関係ということもあり、遥か遠い古から戦っていた覇国神の眷属にとって、護法神とその眷属達については知り尽くしていると言ってもいいほどだった
円卓の神座№10「護法神・セイヴ」の神片の一人である「救世主」は、他のユニットとは異なる特殊な存在だ
それは、「神の啓示を受けしもの」。――神に選ばれ、奇跡を体現するための力を約束された存在。
それそのものの体現であるがゆえに、救世主と呼ばれる神片は一個人の名ではなく、護法神によって選ばれ、神の力を託されたものがそう呼ばれるようになる
護法神の力に列なるユニットのみが継承できる神託の神片。それが「救世主」。
即ちそれは、シルヴィアが護法神から神片の名と力を託されたということそのものなのだから
「――っ」
「では、改めて。加勢させていただきます光魔神様」
全霊命から神片へと生まれ変わったシルヴィアに微笑を含む言葉をかけられた大貴は、ゆっくりと前へ歩き出してその背中と肩を並べる
「ああ。頼む」
シルヴィアと並び、太刀の切っ先を向けた大貴と、神託を得て救世主となったシルヴィアが、その武器である純白のハルバートを構えるのを見て、帝王は小さく独白する
「……とうとう隠す気がなくなったか」
(分かりきっていたことではあったが……ならば、この一件にはやつが――)
シルヴィアが「救世主」の神片となったということは、その神である護法神に神託を授けられたということ
それはつまり、シルヴィアの行動が護法神に認められているということであり、引いては今日までのその行動――ゆりかごの世界で大貴に干渉してきたことや、助勢してきたことがその意志であったことの証明だと
いえるだろう
(ならば、その真意を見せてもらおうか)
護法神の意思が働いていることを確信し、その背後にいる人物にまで思考を巡らせた帝王は、その人物の本当の目的を探るために、戦う意志を示す
「よかろう。そちらがその気ならば、余もそれに答えてやろうではないか」
「――!」
その言葉に答えるように、純然たる戦意に染め上げられた金色の神能が解き放たれ、戦力の金槍の群れを作り出すと、大貴とシルヴィアもまたそれに応じて意識を研ぎ澄ませる
「――ォ、ォォォォォオオッ!」
そして、さらにそれに触発されるように罹恙神がその身体を震わせたかと思うと、その背中から病闇の力を翼のようにして解き放つ
「これは……!?」
空に向かって伸び広がる病闇の翼――枝とも、菌糸とも触手とも取れるその力を広げた罹恙神に息を呑む
大貴の眼前で、その病翼におびただしい数の黒い果実が実り始める
「ユニットを生み出すつもりですか」
「この世界を呑み込むつもりだな」
それを見て神妙な面差しで呟いたシルヴィアと同様に、帝王がその目に剣呑な光を灯して言う
「彼は私が引き受けます」
黒窩の虚眼を細め、病的に白い顔を愉悦に歪めているような罹恙神へと体を変えたシルヴィアが言うと、大貴はそれに頷いて帝王へと向き直る
「分かった」
それぞれに相対した神の力を持つ四人が向かい合い、そしてついに本格的な神戦の火蓋が切って落とされようとしていた




