四竦みの神
「これ、は――ッ!」
「鬼羅鋼城の結界まで、侵食している……!」
地獄界王の居城でもある城を護る結界を作り出している六道の青鬼「皇」が驚愕に目を見開くと、同じく六道の緑鬼である「静」がその異常を知覚して息を呑む
皇の鬼力によって展開している鬼羅鋼城の結界が、突如発生した未知の神能によって浸食され、その守りを失おうとしているのは一目瞭然
悍ましさを覚えずにはいられない煮え滾った黒い溶岩を彷彿とさせるどす黒い力は、鬼の原在が作り出した鬼力の結界を容易く害していた
「――ッ!」
世界を歪めるそのどす黒い力がその猛威を振るう様を確認するなり、鬼羅鋼城の中心にある本丸御殿で戦場の成り行きを見守っていた赤の六道たる戦鬼――「戦」は、その鬼力を自身の身の丈にも及ぶ大槍刀として顕現させる
真紅と明橙色の、炎を思わせる形状をした刃を持つ片刃の大槍刀を顕現させた戦は、窓から飛び出すと同時に、その朱緋色の鬼力を解放する
「静! 皇とここを頼む!」
「ええ!」
本丸御殿に残す青の六道たる護鬼「皇」と、緑の護鬼「静」へ言い放った戦は、その答えを聞くが早いか、自身の渾身の力を注いだ炎色片刃の大槍刀を最上段から薙ぐように振り払う
その斬閃に合わせ、解放された赤の鬼力の奔流が極大の力の渦となって、鬼羅鋼城の門前を呑み込んだどす黒い力の渦へと撃ち込まれる
九世界を総べる八種の全霊命の中で最も戦闘力に特化する鬼力。さらにその中で攻撃力に特化した戦鬼である戦の鬼力の波動が直撃するも、戦場を覆った悍ましい黒の力は微動だにしない
それどころか、神能に込められる全霊命の意志そのものを攻撃する特性を持つ戦鬼の鬼力にさえもその黒い力は浸食していた
「チッ、やっぱり駄目か」
渾身の力を込められた一撃を無力化された戦は、苦々しげに吐き捨てるように言うと、片刃の炎刃大槍刀を掲げて、戦場にのたうち、更に浸食の範囲を広げていくその神能を睨み付ける
空間を歪ませ、大地を侵食し、空を腐らせる。――命あるものも、命ないものも、神能でさえも等しく穢していくその力を見て、戦は忌々しげに吐き捨てる
「なんで、こんなところに――〝罹恙神〟がいるんだ――!?」
「罹恙神・ペイン」。――それは、異端神の一柱であり、その名の通り「病」や「怪我」といった事象と概念を司る神位第六位相当の神格を有する〝神〟
そして、「常に最善の状態を保つ」特性を持ち、世界最高の神格を持つがゆえに病などとは無縁である全霊命に対し、病症を与えることのできる神でもある
そもそも「病」や「怪我」とは何か。怪我はまだしも、病とは一様に括れるものではない。肉体的なものから精神的なもの、先天性のものもあれば後天性のものもある。
まして、病を引き起こす原因となるものは、細菌やウイルスといった極微小の存在であり、それらは生物を害して病を引き起こしているのではなく、それらの存在が生命活動を行うにあたって当然のこととして行っている反応が、結果的に他の生物を害し、命に危機にさえ陥れてしまっているだけだともいえる
だとするならば、「病」とは何なのか。それは、一言で言えば「その身体の状態が通常と異なっていること」――即ち、通常状態とは異なり、悪い影響を発現した「正常でなくなった状態」の事だと定義することができる
それはまた傷も然り。通常の身体の状態から、それを大なり小なり欠いた状態が病や怪我といった罹恙神の司る事柄だ
故にその神能――「罹痛」と呼ばれる神力の能力は、「正常状態を欠落させ、悪化状態を顕在化させる」こと。そして、その能力の特性は、病の神に相応しい〝感染と増殖〟だ
その力は全霊命や世界そのものにさえも感染する。神能にあらゆる〝異変〟を引き起こし、さらにその力は増殖してその規模を拡大し、そのまま放置すれば世界をその力が蝕み尽くし、殺してしまう
「なんで、そんなヤバいやつが……っ」
今、自分達を含む鬼羅鋼城の門前一帯の戦場を呑み込んでいる罹痛の神力の説明を聞いた示門は、一旦戦闘を中断して「火暗」を見る
罹恙神とその神能――「罹痛」の神力についての説明をした示門の実父にして、十世界地獄界総督である火暗は、真紅の瞳で世界を侵食するどす黒い力を見据えて歯噛みする
火暗は、かつて地獄界に所属していた頃は、地獄界王「黒曜」を筆頭に、六道に仕える立場にあった
九世界創世の頃から生き、神々による世界最初の大戦「創界神争」さえ経験している火暗は、それ故に罹恙神についてもその存在を知っていた
「とりあえず離れろ。この力がある場所は危険だ!」
全霊の力を注ぎ込んだ大剣の一閃によって、自分、緋毬、御門と示門、椿がいる一帯からどす黒い病厄の力を斬り払った火暗は、切羽詰まった声で言い放つ
自身と敵の神格を等しくする神器「神差衡」の対象を罹痛の力へと変えたことで同等の力を得た火暗は、感染の力を打ち払って家族を庇うようにして立つ
「あなた!」
「これは、まだ奴の本当の力じゃない。恐らく依り代がその力を使っている状態だ。本体を呼び出されると手に負えない!」
背後に家族を庇うようにして全霊命にさえも病変を与える力と相対した火暗は、自身を案じてくれている緋毬の声を背で聞きながら刃を構える
「……依り代?」
その言葉に示門が怪訝な声音で呟くと、それを聞き逃がさなかった火暗は、霊の力さえも蝕む悪巣たる力を睨み付けたままで言い放つ
「罹恙神は、病と傷の神。故にその存在は、それを発症させる器があってのものだ」
「それが依り代……!」
背中越しに発せられた火暗の言葉を聞いた椿は、その意図を瞬時に理解し、そして御門、示門らと視線を交わす
「さっきの悪魔か!」
病と怪我の神である「罹恙神・ペイン」は、この世の病全てであり、そしてその存在そのものが病でもある神。
だが、「病」にしろ「怪我」にしろ、ただ何もなく存在することはできない。病が在るためには病に侵されるものが必要になる。――故に、罹恙神もまた自神という病を発症してくれるものが必要になる
神でありながら、他の存在によってその存在を確立する神としては、円卓の神座№8「夢想神・レヴェリー」も同様であり、絶対数は少ないものの確かに存在している
そして、罹恙神に感染してその器となる者こそが「依り代」であり、その正体は先程戦場に乱入してきた男――「英知の樹・天樹管理臣」が一人「厄真」しかありえない
「だが――」
家族を庇いながら、そのどす黒い力の渦から後退していく火暗は、完全に渦巻く病巣の力を見据えながら、その視線に険を乗せる
『――ッ!』
だが、その瞬間火暗の思考は、自身の生命を蝕む悍ましい力を知覚すると同時に、一瞬にしてかき消されてしまう
だが、それは火暗だけではない。九世界、十世界、光の存在、闇の存在を問わず、どす黒く蠢くその力の前に誰もが、その事実を認識していた
(罹恙神が顕現した――!)
※
その瞬間を、同じく鬼羅鋼城の中で知覚していた大貴達の目に、この世界――地獄界の中枢たる王の居城を包む結界が紙切れのように破壊される様がはっきりと映し出されていた
「――ッ!」
それを認識するが早いか、大貴達に押し寄せてくるのは、結界の外に蠢いていた全霊命をも蝕む病巣の力の波動だった
その力から感じられる神格は、紛れもなく神位第六位と同等以上。自身よりはるかに高い神格と、次元の違う力が与えてくるのは魂さえも凍てつくような恐怖。
そしてそれ以上に、自身が喰い食まれているように感じさせるどす黒い力の波動は、じっくりと己の存在と命を咀嚼されているような、死と隣接した悍ましさを覚えさせられるものだった
(この、力――)
単純な死の恐怖だけではなく、そこに至る恐怖や絶望の時間さえもを内包したその力は、異常を拒む生理的な嫌悪感をも感じさせるものであり、大貴はその性質に神敵の神能に似たものを感じ取っていた
純然たる死と恐怖のみを与えてくるものばかりの神能の中で、生理的な嫌悪感のような悍ましさや不快感を覚えたのは、神敵たる悪意の反逆以来だった
反逆の力は、神に反逆する悪意に対する忌避感を伴い、そして今この世界を満たす「罹痛」の力は、正常を損なわせる狂気めいたものを内包し、徐々に自身の命を吸い取られるであろうことへの嫌悪感を持っていた
「そんな目で見るなよ。罹恙神は悪意とは無関係だ」
思わず向けてしまったその視線に気づいたのか、神敵の神片の一人であり「狂楽に享じるもの」は、そう言って大貴に答えて見せる
丁度この場所へ来てから出現したことと、その神能の性質もあって、関係を疑われたウォールは軽く肩を竦めてみせる
共に罹恙神と同じ神位第六位であるということもあるが、ウォールと覇国神の神片である帝王は、どす黒く蠢く力を前にしても、なんら動じることなくそれを睥睨していた
確かに、罹恙神の神能である罹痛は、知覚したものに忌避感を抱かせるが、それも反逆神とその眷属達の力である「反逆」から見れば些末なものでしかない
「――……ッ」
しかし、そんな中世界を呑み込むどす黒い力の波長に耐えきれなくなって膝をついたのは、魔力の結界に守られている詩織だった
「詩織さん!」
その場で両膝をついて崩れ落ち、何とか腕で身体を支える詩織が脂汗を浮かべた青褪めた顔をしているのを見て瑞希が声をかける
詩織のことは瑞希がその魔力を以って展開した結界が守っているが、全霊命さえ戦慄させる罹恙神の力の影響をその程度で押さえることはできない
身体だけではなく、心までも蝕む力を持つ上、病を司る罹痛の力は生命体として完璧に近い全霊命よりも、半霊命の方が関係性が深い
まして、単純に神格で上回る罹恙神の力を瑞希の結界で防ぎきることなどできるはずはなく、その影響が及ぶのは当然の事だろう
「だ、大丈夫、です……っ」
瑞希の声につられ、大貴が駆け寄ってくるのを視界の端で捉えていた詩織は、懸命に声を絞り出しながら健在をアピールしようとするが、その苦悶に歪んだ顔を見てそれをそのまま受けるものなどいないだろう
そんな詩織の負担を少しでも軽くしようと、桜と神魔が瑞希の結界の上に自身の力でさらに結界を多重に形成し、その最外層を大貴の太極が包み込む
「――っ! ヤバいな」
世界で唯一光と闇の力を等しく持つ黒白の力で詩織を包み込んだ大貴は、一瞬だけ目を瞠ると、その左右非対称色の瞳を病の発生源へと向ける
ただ垂れ流されているだけで、心身を蝕む病巣の神力。今はまだ、その本当の影響が及んでさえいないというのに、その凶悪な力は知覚を介して否応にも理解させられてしまう
「――やっぱ、こっちに来てやがるな」
門の結界を軽々と食い破った病の力の奔流を、横長の瞳孔を持つ瞳で見据えるウォールは、世界を蝕むどす黒い力が自分達がいる場所へと向かってきているのを知覚して独白する
その言葉を証明するように、その力はゆっくりと、しかし確実に距離を縮めてくる。この場にいる誰にでも分かるように。あるいは自分が来たことを告げようとしているかのように、並の全霊命でも十分以上に反応と知覚ができる速度で近づいてきた病の神は、その瘤起する力を従えながらついに大貴達の前にその姿を現す
「――ひッ」
青褪めた表情で顔を上げた詩織は、自身の目に映ったものに顔を引き攣らせる
「あれが、罹恙神……!」
そんな詩織の声を聞きながらも、地平線の彼方にその姿を見せた病の神を見止めた大貴は、息を呑んで声を絞り出す
全霊命がそうであるように、神は人型をしているもの。だが円卓の神座に名を列ねる「自然神・ユニバース」がそうであったように、異端神に限れば、必ずしもその限りではない
そして、罹恙神・ペインもまた、そんな人型とは異なる姿をした異端神だった
真っ先に目につくのは、その頭から伸びる無数の触手のような髪らしきもの。まるで自我があるかのように蠢く数十本のそれは死をもたらす魔手のよう
そこからのぞく顔は、二つの目に、鼻、口を備えた人のそれに限りなく近いものだが、生気が感じられないほどに不気味な白さをしており、骸骨と見紛うばかりだった
やつれた顔に白蝋の肌が張り付いたようなミイラめいた顔に、視線を合わせた者の魂さえも吸いこんでしまいそうに思える虚ろな漆黒の目という組み合わせは、さながら生者と死者の狭間にあるかのよう。
その胴体部分は籠とも肋骨とも見える骨質のものになっており、その中に心臓に見立てた様な赤い宝珠を包いているため、体格からその性別を判別することは不可能だった
そして、そんな身体には繊毛のように蠢く漆黒の衣がコートのように纏われており、その裾を地面に引き摺りながら、這うように動く様は、言い様がないほどに恐怖を掻き立ててくる
身体に纏う漆黒の繊毛の触手を束ねて作り出した手で地面を掴み、前に進むことで地面に擦れた繊毛が身の毛もよだつような気味の悪い音を立てていた
「……っ」
詩織が思わず声を引き攣らせたのも当然と思えるような罹恙神の姿を目にした大貴は、そんな自身の動揺を悟られないようにと平静に努めて、地面を這ってくる罹恙神の姿を見据える
「一つ忠告しておくが、話し合いは無理だぜ? 奴は、ほとんど自我のない神。ただその存り方のままに、世界を貪り尽くす害神なんだからな」
そんな大貴の姿を横目で見たウォールは、横長の瞳孔を持つ目を罹恙神へと向けて鼻白むような口調で言う
病の神たる罹恙神には最低限度の自我や知性はあるが、その心に他者の言葉は届かず、響くことはない。なぜなら、その罹恙神はその存在こそが病そのものであり、あらゆる正常を害するものなのだから
「確かに、ちょっとばかり話は通じ無さそうだな」
ウォールの言葉を聞いた大貴は、こちらへとゆっくり地面を這うように歩み寄ってくる罹恙神の姿を見て、先の忠告がまんざら嘘でもないことを感じ取って表情を引き締める
「とはいえ――オイ! お前の目的はなんだ!?」
一目見ておおよそ直感でウォールの言葉が当たっているとは思っているが、大貴は念のために声を上げて、こちらへと迫りくる罹恙神へ声をかける
「――――」
その言葉を受けた罹恙神は大貴達がいる場所から数百メートル程離れた場所で足を止め、髪とも触手とも取れるものを蠢かせながら、黒虚の眼窩から視線を注ぐ
白蝋のような白い顔を四十五度ほども倒す不気味な体勢でしばし動きを止めた罹恙神の目のない目が舐めるように自分を捉えるのが大貴にも感じられた
「オ、オォォォォォォオオッ!」
「ッ!?」
しかし、そんな沈黙を破った罹恙神は、地の底から響くような悍ましい声を上げて、その罹痛の神力を解放する
これまで垂れ流されていただけのどす黒い力とは異なり、罹恙神自身が明確な意思を以って生み出したその力は、巨大な暗黒世界そのもの
(これは――っ!?)
だが、その病みの闇を知覚した大貴は、その力がただの力ではないことを瞬時に理解していた
病そのものの神である罹恙神の力は、それ自体が微小な命を持ったウイルスとも細菌ともとれる力の集合体であり、罹恙神自身の力から生み出された極微細なものが集合したものだった
「触るな、穢らわしい」
罹恙神から放たれた病みの闇が間近に迫った瞬間、不快感を露にした帝王の抑制された声が響き、金色の王笏杖の一線によってその力が打ち払われて相殺される
「…………」
病闇の力を一撃の下に相殺して見せた帝王が瞳のない白い目で視線を向けると、虚ろな眼窩でそれを受け止めた罹恙神は、それを見て首をかしげるように左右に傾ける
「下郎が」
何を考えているのか判然としない不気味な挙動を見せる罹恙神に、苛立つように眉を顰めた帝王は、苦々しげな口調で言い放つと同時に、自身の力を凝縮して作り出した金色の巨大な矢槍を解き放つ
空間に形成された金色の力が形どった矢のような槍のようなその一撃は、空間を貫いてその神格に許された神速のままに罹恙神を捉えて、炸裂する
「――!」
神位第六位――「神」に等しい神格の神能を以って撃ち放たれた金色の矢は、それに見合う破壊の衝撃をもたらして金色に天を染め上げるが、しかしその力の中からは全身を病闇で覆った罹恙神が無傷のまま佇んでいた
「ォォォォォォォォォォォォォ」
瞳のない白い目で睨み付ける帝王の視線の先で、空洞に勢いよく空気を送り込んだ時に聞こえる反響を思わせる声を上げた罹恙神は、次の瞬間地を蹴って自身の身体を打ち出す
繊毛が束ねられたかのような細脚で大地を踏み砕き、神の神速で迫った罹恙神は、その身に纏う病闇の力事、帝王の金色壁に阻まれる
金色の壁に阻まれた罹恙神は、その髪のような無数の触手を揺らめかせながら、自身を阻む神能に爪を立て、正常を異常へと変える病闇によってそれさえをも浸食しようとする
その際に開かれた罹恙神の口腔内には、鋭い牙が並んでおり、両の眼と同じくまるで無明の闇を閉じ込めたように感じられる
「余の力を害そうとするとは不敬な。――貴様如きに、〝王〟を殺せると思うな」
存在へと侵入しようとする罹恙神の力と、悍ましい姿を自身の結界を挟んで見据える帝王は、王の矜持を掲げると共に金色の王笏杖から光を放つ
戦の神能が収束された光は、神をも射抜く破壊の閃きとなって神格に等しい神速で迸り、病闇を射貫いて金色の結界に爪を立てていた罹恙神へと炸裂する
帝王が展開した金色の壁に取り憑いていた罹恙神は、放たれたその金色の一線の直撃を受けて吹き飛ばされるが、即座にそれを打ち消して地面に降り立つと、黒窩の目を細めて不気味な笑みを浮かべる
「貴様は見ているだけか?」
一合を交わし、一旦罹恙神を退けた帝王は、ただそこに立っているだけで大地を、空を――世界を病みで侵食していく異端神の姿を見ながら、声を発する
その声が向けられているのは、この場にいるもう一人の神片である「狂楽に享じるもの」。神敵の眷属ではあっても、今は同じ十世界という組織に属する者同士であるウォールと力を合わせれば、同等の神格である罹恙神とも互角以上に戦えるのは明白だった
「いやいや。王の戦いを邪魔するほど俺は無粋じゃないぜ?」
しかし、そんな帝王の問いかけに対して、ウォールはとぼけた様な口調で笑い返す
「――どの口で言う」
もっともらしいことを述べているが、全くこの戦いに干渉してくるつもりがないらしいウォールの言葉に鼻白んだ帝王は、瞳のないその目をわずかに細めて金色の王笏杖を振るう
「逃がさんといったはずだ」
その言葉と共に罹恙神とは全く異なる方向へ放たれた金色の力は、槍のような形状を取ってこの戦乱に紛れて離脱しようとしていた神魔へと向かっていく
罹恙神という邪魔が入ったために一時的に意識が逸れていたが、帝王は先程の目的を忘れていない。――神格を高めることなく、これまで破れなかった神器をも破ってみせた神魔という異質な存在の排除という目的を。
その一撃は、一切の容赦なく神魔の命を奪うために放たれたもの。神位第六位の力を持つ帝王の力は、同等以上の力を持たない存在の一切の抵抗を許さない
神威級神器を持ちださない限り、九世界全勢力と正面から戦っても傷一つつけることの叶わない〝神〟の力が、その純然たる意思と共に、その神格が許す限りの神速を以って標的を消滅させるべく奔る
その速さと力の前には、例え最強の全霊命である原在であろうと無力。まして一介の悪魔に過ぎない神魔は、反応の抵抗もできずに一瞬にしてこの世から消え去る
――はず、だった。
「――!?」
しかし次の瞬間、自身が放った金色の槍撃が黒と白の力を纏った太刀の一閃で撃ち落とされるのを見て、帝王はわずかにその目を瞠る
自身の攻撃を阻んだ者が誰なのかは、考えるまでもない。光と闇、黒と白が混じり合うことなく等しく
存在するその神能を持っているのは、この世界にただ一人しか存在しえないのだから
「……光魔神」
罹恙神から目を離し、その武器である太刀を構え、神魔達を庇うように立ちはだかった光魔神――大貴へと視線を向けた帝王は、万象の全にして一である「太極」の力を知覚して険を乗せる
(この神格……)
先に放った自身の一撃を相殺したということは、今の大貴の力は神位第六位と同等の神格を持っているということになる
事実、今の大貴は神の神格を有している。しかし、先程までそんな力を発揮する片鱗さえ感じられなかった大貴が、突如それほどの力を発現してみせた要因を思案した帝王の脳裏に、即座にその答えが閃く
「そうか……罹恙神の力を利用したのか。彼の神の力は、〝感染〟。自分から侵入してきてくれるのだから、貴様にとっては格好の餌食というわけだ」
帝王のその言葉を肯定するように、大貴は神の神格を得た太極を纏いながら、左右非対称色の黒白の翼を広げて見せる
大貴――光魔神の神能である太極は、全ての力と共鳴し、その力を取り込む全にして一の力。
通常、神格が及ばなければその神格を削り取ることも吸収することも困難を極めるのだが、病の神である罹恙神の力は、自らその神能に侵食してくる上、それは直接の死ではなく、蝕む病となって蓄積する。相手の神能と共鳴する時間を確実に得られる点を考えても、光魔神にとっては絶好の能力だと言えるだろう
「ここは俺に任せて早く離れろ」
帝王はもちろんだが、他の二人への警戒も一切緩めることなく言い放った大貴の言葉を背中越しに受けた神魔と桜は互いに頷き合ってここから離れていく
「お気をつけて」
この場にとどまり続けていては、帝王が狙っている神魔はもちろん、神の力の奔流に晒されることになる全員――特に詩織が危ない
それを正しく理解している桜の感謝の言葉を背で聞きながら、大貴はその視線で攻撃の挙動をみせた帝王を牽制して言い放つ
「今まで散々煮え湯を飲まされたんだ。もう、勝手な真似はさせない」
罹恙神の力と神格を取り込んだことで、神位第六位の神格を得た大貴は、先程まで神魔のために何もできなかった鬱憤と自責の念を晴らすように、太極の力を高める
この世の全てを体現するような黒と白の力が、今は自身の存在さえも取り込めるほどの高みへと至っているのを知覚している帝王は、それでも王としての威厳と不敵な笑みを崩すことなく大貴に相対する
「当然のように、神の力を共鳴できるようになってきたのだな。覚醒が近づいてきているようで喜ばしいことだ」
いかに太極の力が全ての力と共鳴し、取り込むことができるとはいっても、神のそれに効果を及ぼすのは容易なことではない。病の神の力によって自身の神格を蝕まれても何らおかしくはなかったというのに、今の大貴は平然とその神格と同調している
これまで、神器との共鳴を行い、それだけの神格の受容が完成していたということもあるのだろうが、それが大貴が完全な光魔神として覚醒する時が近づいている証でもあるのだろうことが想像できた
「そうだろう? 享楽」
神に等しい神格を得た大貴へと声をかけた帝王は、その視線を享楽の悪意へと向けて嘲るように訊ねる
覚醒した光魔神は、神敵たる反逆神と同等の神格を持つ世界で唯一の神。かつて自ら殺めた光魔神が新たに生まれ変わって立ちはだかるなど、敵対を存在意義としている反逆神にとってはこの上ない悦びだろう
「意地の悪い王だな」
同じ円卓の神座に数えられる神の神片同士であることもあってか、王の口から愉快気に発せられた言葉に肩を竦めてみせたウォールだったが、その口端は吊り上がり、凶悪な笑みを浮かべている様がその心中を何よりも雄弁に物語っていた
「――が。それよりもこの状況をどうする? 下手すりゃ誰も動けないぜ?」
そう言って嗤いながらさらに言葉を続けたウォールは、その横長の瞳孔に大貴と帝王、そして罹恙神をそれぞれ映して言う
帝王は神魔を殺したい。だが、大貴とウォールはそれを阻む意思を持っており、罹恙神はこの場にいる全員に対しての敵対者だ
その四者の神格が等しく、純悪の悪意であるウォールを誰もが信用してはいない以上、誰かと誰かが結ばない限り互いを牽制し合うばかりになってしまうのは明白だ
特に、すぐにでも神魔を殺したいと思っている帝王にとっては、この状況は望ましいものではないだろう
「おっと、これはお取り込み中だったかな?」
ウォールの言葉に核心を衝かれ、わずかに眉を顰めた帝王が大貴とウォール、罹恙神を窺っていると、不意にその戦場に気の抜けた様な呑気な声が響く
「……!」
その言葉に大貴をはじめとした全員が視線を向けると、罹恙神の背後から炎を思わせる逆立った赤髪の男が武骨で巨大な大剣を手に姿を現す
「へぇ、てめえが罹恙神の依り代か」
その姿を見止めたウォールは、炎髪の男と罹恙神に霊的な繋がりがあるのを見逃さずに興味深げに笑みを刻む
「ああ。何度も名乗るのも照れくさいが、英知の樹所属、天樹管理臣の一人『厄真』だ」
その言葉に応じた炎髪の男――「厄真」は、何度目かになる名乗りを上げて戦と悪意の神片、そして光と闇を等しく有する異端神――光魔神を前にしてなんら臆することなく、三人の神の力を持つ者を見据えて嗤うのだった