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魔界闘神伝  作者: 和和和和
地獄界編
238/305

終滅の片鱗





 九世界の一つ「地獄界」。闇の全霊命(ファースト)「鬼」が総べるその世界の中枢たる鬼羅鋼(きらがね)城を望む遥か遠い場所に、わずかに目を鋭く細めた険しい表情を浮かべた一人の女性が佇んでいた

 全身を包む鎧に凛々しい面差し。風に束ねた金糸のような髪をなびかせるその姿は、まるで戦場に降り立った戦乙女のよう。


 遥か彼方、戦火の中に見える鬼羅鋼(きらがね)城をその凪いだ水面を思わせる澄んだ双眸に映したその女性――神庭騎士(ガーデンナイト)の一人「シルヴィア」は、おもむろに閉ざしていた唇を開く


「――あれが、〝世界を滅ぼすもの〟の力ですか」


 さながら蕾が開き、咲いた花から香りが漂うように口を開いて言葉を紡いだシルヴィアは、そう言ってその瞳に映る神魔の姿を見る


 先程までおこなれていた神魔と霊雷(れらい)の戦いを全て見ていたシルヴィアは、不可侵の守りを持つ神器を破られる様をはっきり目にしていた

 奇跡、あるいは命をかけた程度でどうにかできるほど神器の力は易くない。神魔が神覇織(ヴァルクード)を纏った霊雷(れらい)に勝利できたのは、間違いなく〝全てを滅ぼすもの〟としての力を示したからだ


「いえ、あんなものではないのでしょうね」

 全てを滅ぼすものとしての神魔の一端を垣間見たシルヴィアは、自分で先程の自分の言葉を否定して、その瞳に剣呑な光を灯す

 その視線は、何よりも雄弁に神魔という存在に対する危機感を語っており、凛々しい顔に険しい表情を浮かべていた

(あれで、まだ器に入っている(・・・・・・・)状態とは……)

 ゆりかごの世界で最初に接触した時には半信半疑だった全てを滅ぼすもの(神魔)の危険を目にし、その脅威を確信したシルヴィアは、唇を引き結んで静かに息を吐く


「ですが、彼はまだ生きています(・・・・・・)


 厳かな声音で言葉を紡ぎ出したシルヴィアは、命を繋いだ神魔を映していた宝石のような瞳を、背後へと向ける

「残念でしたね、思惑が外れて」

 シルヴィアの言葉の先にいるのは、手近な岩に腰かけている男と、その隣りに芍薬のように淑やかに佇んでいる一人の女だった


 まるで骨のように、その中心に白いラインの入った漆黒の角を額と側頭部から計三本生やし、一条の光さえ存在を許さない無明の闇を凝り固めたような黒を基調とし、白の縁取りがされた羽織型の霊衣を纏った男と、逆に降り積もったばかりの新雪を思わせる純白を基調として黒の縁取りがされた着物型の霊衣を守った大和撫子然とした美女

 共に長い黒髪を揺らす二人――「ロード」と「撫子」。へとシルヴィアが視線を向けると、淑やかに佇む絶世の美貌を持つ黒髪の美女を従えたロードが軽く笑みを零して応じる


「手厳しいな。……今回は、特に何か手を回したってわけじゃないんだが――どうやら、いつの間にか悪運にも恵まれるようになったらしい」

 目を細め、やや軽い響きを帯びた口調で答えたロードは、その後半の部分にわずかな剣呑さを乗せて、その命を繋ぎとめた神魔を、金色の双眸に映して言う

 特に感情の込められていないその声は、現状を冷静に分析してのもの。それが分かっているシルヴィアは、視線をロードと撫子から神魔へと戻して応じる

「皮肉なものですね。折角器が成されたというのに」


 これまで、ロードは伴侶である撫子と共に暗躍し、全てを滅ぼすもの――神魔を正しく殺すため(・・・・・・・)に様々手を回してきた

 だが、今回に至っては――否、もはやロードと撫子が暗躍する必要はなくなった。多くの実戦を経験し、死地を潜り抜けて急速な成長を見せていた神魔は、先日の死紅魔(シグマ)との戦いを経て完全に「全てを滅ぼすもの」としての器を完成させている

 故に、ロード達にとって、神魔はもはやいつ死んでもらっても構わない状態。今回の神魔と霊雷(れらい)の戦いは、ロード達の思惑が一切絡んでいない一切の打算もない純粋な戦いだった。


「つまり、彼は彼自身の力で運命を切り開いた……いえ、この場合は運命を(ころ)したということですか」

 ロードと撫子に背を向けたまま独白とも、会話とも取れる音量の声音で言ったシルヴィアは、その意識を瀕死の重傷を負いながらも、その力でそれを打破して生き残った神魔へと注ぐ


 シルヴィアとロード、撫子はこの戦いに一切介入していない。死紅魔(シグマ)の死によって霊雷(れらい)が動き、神魔へと接触して、決戦を挑むところまでは想定していたが、その戦いと決着に関しては一切干渉していないと断言できる

 今回の勝利は、不可侵の守りを持つ神器という絶対的な壁を、神魔がその存在に宿った力を以って打破したが故の結果だった


「運命を(ころ)した……か」

 シルヴィアの言葉を反芻するようにロードが言うと、これまでその話を沈黙を守って聞いていた撫子がおもむろに口を開く

「いいえ、違います」

 淑やかな居住まいを崩さないまま、薄い紅を引かれた花唇からたおやかな言の葉を紡いだ撫子は、ロードの視線とシルヴィアの意識を注がれながら、その視線に神魔の傍らに咲く一輪の花を見据える

「あのまま戦っていれば、神魔さんは命を落としていました。それを変えたのは――神魔さんと、桜さんの絆です」

 一言一言選ぶように厳かな声音で言う撫子は、神魔とその傍らに寄り添う桜を映す瞳を抱くその目元を綻ばせて深い慈愛に満ちた微笑を浮かべていた


 神魔が霊雷(れらい)に勝利することができたのは、全てを滅ぼすものとしての力の片鱗を臨死状態の中で引き出したからであるのは間違いない

 それは、奇跡ともいえる天文学的な確率の上に起きた奇跡ではあるが、それは決して神魔一人の力で成した奇跡(もの)ではなかった。霊雷(れらい)が神魔がこの世で最も大切にしている最愛の伴侶を害そうとしたからだ

 霊雷(れらい)がそのような気まぐれを起こさなければ、神魔は神覇織(ヴァルクード)を破ることができずに、間違いなく殺されていただろう。桜を想う神魔の愛情と神魔を想う桜の愛情があればこそ、あの絶望的な状況を覆すことができたのだ


 実の妹であり、自身もまたそんな桜と同様の心の在り方を以って、ロードを慕う撫子にはそれが分かっていた


「神魔さんは、〝全てを滅ぼすもの〟として運命を変えたのでもなければ、(ころ)したのでもありません。二人が築き上げてきた想いで変えたのです」

 まるで自分の事のように神魔と桜を誇りながら、慈しむように微笑んで告げた撫子の言葉に、ロードは小さく笑って応じる

「……なるほど」

 そう言って視線を向けたロードには、長い黒髪をなびかせる撫子が、神魔と桜を思って喜びと、それにも増す憂いを抱いていることを見抜いていた


 撫子は、神魔にとって姉のような存在であり、桜の実姉。そして撫子にとっても、神魔は弟のような存在であり、桜はかけがえのない妹だ

 だからこそ撫子は、神魔と桜が幸せに添い遂げられることを心から願っている。だが、この世界のためには、世界を滅ぼすもの――即ち、神魔を殺さなければならない。


「ですが、まだ何も終わってはいません」

 そんな二律背反に苦しんでいる撫子の心情を見通しているロードの耳に、二人の前に立っているシルヴィアが、神妙な声音で言う

「あそこには、あの男がいるのですから」


「違う」

 確かに、神魔は霊雷(れらい)との戦いを死なずに生き残った。だが、それで終わりではない。――その宝石のような瞳に、その人物を映して言うシルヴィアの厳かな声音を遮ったロードは、その目を細めて口を開く

「あの男()だ」


「――っ!?」


 ロードの口から発せられたその言葉に、シルヴィアは思わず目を瞠ってその意味するところを確認すべく、視線を向けた





「――ッ!」


 地獄界の中枢――鬼羅鋼(きらがね)城の門前で繰り広げられる十世界との戦い。その中に身を晒していたクロス、マリア、リリーナの三人の天使達は、知覚が伝えてくる事実に目を瞠り、各々の戦いの中でその意識を城内へと向ける


「これは……」

 純白の翼を羽ばたかせて天を翔けるマリアが息を呑み、戦場の中で鮮やかな緋色の髪を翻らせるリリーナが、その視線を鬼羅鋼(きらがね)城の中へと向ける

(神魔さんの魔力が弱って……)

 純白の翼で戦場を翔け、光の力を以って十世界の鬼達と相対するマリアとリリーナは、知覚が伝えてくる神魔の魔力が弱わっていることに胸を締め付けられるような不安を感じていた



「どうした? あの悪魔の事が気になるのか?」

 神速で奔った純白の光力を纏う斬撃によって、同様の力を帯びた大剣を弾き飛ばした天使「シャリオ」は、体勢を崩して距離を取るクロスを視線で追いながら言い放つ

 以前、冥界で自分達が戦った際、それを止めるために割って入って来た悪魔――神魔の魔力が、鬼羅鋼(きらがね)城の中での霊雷(れらい)との戦いで弱っているのを知覚していたシャリオは、純白の翼を

羽ばたかせてクロスとの距離を詰める

「まぁ、今日まで一緒に戦ってきたんだ。お前の性格なら、もうかなり入れ込んでるんじゃないか?」


 その神格が許す限りの力を以って、世界の万象を超越したシャリオは、天使の神能(ゴットクロア)である聖浄の白光をクロスへと砲星として放ちながら、大剣を振るう

 まるで意志を持っているかのように縦横無尽に天を翔けるシャリオの光力の星を迎撃し、光の爆発の中に身を隠したクロスは、それでも知覚によって見失うことなく向かって来たシャリオの大剣を自身の刃で受け止める


「……うるせぇよ」

 共に両刃の大剣を武器として顕現させる天使達の刃がせめぎ合い、光力の火花が金属音とともに飛び散る中、シャリオを射抜くように見据えるクロスはそう言って、純白の翼を広げて極大の光を解放する

 クロスの翼から放たれた収束された光力が天を貫くと、それを寸前で回避したシャリオは、先程の一撃が霞めた頬と肩から白煙を上げながら口を開く

「力がブレたかと思えば、一気に高まったな……でも、それはお前が俺との戦いに集中できてない証拠だ。それだけ仲間のことが気になるんだろ?」

 そう言ってクロスに語りかけたシャリオは、苦笑めいた表情を浮かべて意固地になっている姿に小さく嘆息する


 神魔が瀕死の状態に陥り、絶体絶命の危機に陥っているのを知覚するクロスは、それが気になるのか、クロスの光力が先程から微妙にその力を変動させている

 その神格が故に世界に物理的な現象として顕現しうるほどの全霊命(ファースト)の純然たる意思によって制御される神能(ゴットクロア)が乱れるということは、それだけその使用者の意識が精彩を欠いているということの証明に他ならない

 神魔の力が弱っていく中で弱まり、そして憤りによって高まるクロスの光力は、その心の動きを何よりも雄弁に物語り、相対するシャリオに教えてくれていた


「あいつは悪魔だ。仲間なんかじゃねぇよ」

 言葉ではそう言い張るクロスだが、そんな言葉とは裏腹に手にした大剣を握りしめる手には力が込められ、歯を食いしばるようにして表情を歪めており、懸命に強がっていることは明白だった

「無理するなよ。お前がそういう奴だってことは知ってる」

「……ッ!」


 だが、それはクロスと親友として長い時間を過ごしてきたシャリオには分かりきっていたこと。クロスは、光の存在の筆頭たる天使らしく闇の存在を敵視しているが、同時に天使特有の情の強さと深さを合わせて持ってもいる

 決して長くはないが、短くもない時間を共にしてきた神魔に対して、少なからずその心を移しているであろうことは、シャリオには手に取るように分かっていた


「どうやら、あいつは殺せたみたいだが……このままじゃ、ヤバいだろうな」

 知覚によって、神魔が霊雷(れらい)を倒したことは分かっているが、それで現状が好転したとは言い難い状況をシャリオが今更のように語りかけて見せると、クロスは天使としての在り方と自分自身の心の狭間で思考を巡らせる

「何とかなるか?」

 一瞬にも満たない時間思案を巡らせてクロスが、戦意を解いた証として大剣の切っ先を下げ、呻くような口調で声で訊ねると、それを受けたシャリオはその意味を正しく理解した上で小さく首を横に振る

「……すまない」

「そうか」

 自身ではこの現状を変えることはできないと答えたシャリオの簡潔な答えに目を伏せたクロスは、その戦闘態勢を解いて言い放つ

「勝負は預け――」

 シャリオとの戦いを中断し、身体を反転しようとした瞬間、クロスの傍らを純白の光が駆け抜け、その肩口にわずかな焦げ目をつける

「……なんのつもりだ?」

 光が掠めた肩から白煙を立ち昇らせるクロスが、その光を放った眼前の天使へ睨み付けるような視線を放つと、それを受けたシャリオは小さく笑みを零すようにしてその問いかけに答える

「お前が死にに行くのを黙ってみてるわけにはいかないだろ? あの悪魔のところへ行きたければ、俺を殺していくことだ」

「……っ」

 迷いや躊躇いといった翳りを微塵も持たない戦意に染め上げられた純白の光力を解放するシャリオに、クロスは顔をしかめて先程下ろした大剣の切っ先を改めて向ける

「悪く思うなよ」

 クロスが神魔を死なせたくないと思うほどに情を移してしまっているように、かつて親友だった自分はそれにも劣らぬほどその心を占めているとシャリオは自負している

 どれほど強がって見せても、クロスの優しく情の深い性格では、自分を殺すことに躊躇うであろうことはシャリオの思惑通りだった

「今度は、あの時の逆だな」

 神魔を死なせたくないという気持ちとシャリオを殺したくないという気持ち。しかし、神魔を助けるためにはシャリオを倒していかねばならず、シャリオを殺さないと神魔を失ってしまう――そして、最悪の場合はどちらも失ってしまうだろう

 共に容易に捨てえない命を天秤にかけねばならなくなったクロスの心中を慮りつつ、シャリオは自嘲めいた声でその前に選択の壁として立ちはだかる


 今の状況は、かつてクロスとシャリオが袂を分かつた時の状況に酷似している。悪魔を愛し、そこへ向かおうとしたシャリオを、クロスは正義のために戦ってでも止めようとした

 友自身の命と、友が愛した悪魔の命を天秤にかけて選んだクロスのように、今シャリオは友の命と、友の友たる悪魔の命を秤っている


「今になって、あの時のお前の気持ちが少しわかった気がするよ」

 クロスの前に立ちはだかり、切っ先を向けて立ちはだかるシャリオは、一瞬寂寥感を感じさせる苦笑を浮かべると共に、その剣の刃を純白の光に輝かせる


 大切なもののために他の全てを切り捨てることのできる闇の全霊命(ファースト)とは違い、光の全霊命(ファースト)は大切なものを簡単に決めることはできない

 命や心、本人やその人にとってかけがえのない人達――それらは、一つ一つでありながら、決して切り離すことのできない絆で円環のように繋がっているのだから


「シャリオ。俺は――」

「お前を殺すのは俺だ。そして、もし俺を殺す者がいるとすれば――俺は、それがお前であってほしいと思っている」

 それを聞いたクロスが口を開いて言葉を発するが、シャリオはそれを遮るようにして自身の声を重ね、刃の切っ先を向ける

 問答を交わしている時間も、そのつもりもないとばかりに戦意と決意に染め上げられた意思を向けたシャリオは、未だ躊躇いが滲んでいるクロスを叱咤するように言い放つ

「何してる? 時間はないぞ。仮にお前が俺を殺しても、間に合わなければ意味がないぞ」

 シャリオのその言葉に唇を一層強く噛みしめたクロスは、強く大剣の柄を握りしめると、意を決して顔を上げる

「後悔するなよ」

 その双眸に強い光を灯したクロスは、まるでこうなることが分かっていたかのように、わずかに口端を吊り上げて不敵に笑うシャリオに向けて言い放つ

「でも、これだけは言っておくぞ! 俺はお前の言いなりになってやるつもりはない。殺さなくても、お前を戦闘不能にしてやればいいだけのことだ!」

 言われたままにどちらかの命を選ぶつもりなどないと言い放つクロスの言葉を、その身から放たれる光力を受け止めるシャリオは、それに目を細めて言う

「そんな心構えで倒せるほど、俺も、俺の覚悟も易くはないぞ」

 クロスも、その言い分も、簡単に通すつもりのない意志を示し、大剣を振るったシャリオが純白の翼を羽ばたかせて飛翔する

 移動と同時に最高速へ達し、神速を以って時間と距離を超越したシャリオが迫ってくるのを見据えながら、クロスは手にした剣を奔らせる

「なら、俺も一言忠告しておいてやる――」

 瞬間、クロスとシャリオの大剣がぶつかり合い、二人の意志が込められた純白の光が火花となって飛び散る


「あいつらをあまり見縊らないことだ」


 せめぎ合う剣越しにシャリオと視線を交わしたクロスは、強がりなどではなく、確かな信頼に裏打ちされた思いを込めた声音で言い放ち、その手に握る大剣を力強く振り抜く


(死ぬんじゃねぇぞ)





(馬鹿な。こんなことがあっていいはずがない)


 眼前の光景を瞳のない目に映す覇国神・ウォーの神片(フラグメント)ユニット――七戦帥(セブンス・ウォー)の一角である「帝王(エンペラー)」は、その心の中で驚嘆に彩られた声を零していた


 その視線の先には、先程宿敵を撃破し、その勝利と生存の喜びを伴侶と分かち合っている悪魔――「神魔」の姿がある


(――霊雷(彼奴)には、勝てない要素はあっても、負ける理由など微塵もなかった。だが、現実はあいつが死に、あの男が生き残った)

 その身に深い傷を負い、全身から血炎を立ち昇らせながら桜と熱い視線を交わす神魔を見据える帝王(エンペラー)は、先程の戦いを思い起こしていた


 神魔が倒した因縁の相手――「霊雷(れらい)」は、神格こそ劣っていたものの、不可侵の領域の顕現たる神器「神覇織(ヴァルクード)」を纏っていた

 全ての攻撃を阻む理そのものたる力の前に満身創痍、瀕死の状態にまで追い詰められながらも、神魔は奇跡的に勝利を手にし、命を繋いで見せた


 だが、それがいかにありえないことかは、もはや言葉にするまでもない


 神器は全能たる神の力の欠片。確かに、神器は神の神能(神力)とは異なり、その力や機構に、いくばくかの隙――攻略や対抗の余地を持っている

 そんな神器の欠点を衝いたならまだ分かる。だが、神魔は一介の悪魔が破れるはずのない神器の力を、神器の力も使わず、自身の神能(ゴットクロア)のみで真正面から打ち破ってみせたのだ


(奴の神格、力、どれ一つとっても、神覇織(かの神器)を破るにたるものなど何一つない。これほど間近で見ていた余でさえも、何も分からなかった)

 だが、神魔の神格で霊雷(れらい)神覇織(ヴァルクード)を破ることは不可能。事実、最初はどんな攻撃をしようと、一切の傷を与えることもできなかった

 それが変わったのは、あの一瞬から。――霊雷(れらい)の脅威が伴侶である桜に迫ったと同時に、神魔がその命を振り絞って力を発してからだった


 神格が上昇したわけでもない。何か特別なことが起きたようにも見えなかった。だというのに、神魔の攻撃は、これまで一切通用しなかった神覇織(神器)の力を打ち破るようになったのだ

 その理由は分からない。そして、神位第六位に等しい神格を持つ神片(フラグメント)たる自身が

分からなかったということが分かったことが、帝王(エンペラー)にとって最大の危惧だった



「危険だ」

 神魔と霊雷(れらい)の戦いの全てを思い返し、その聡明な頭脳の中で思案を巡らせた帝王(エンペラー)は、そう結論をつけると同時に、金色の玉座から立ち上がる

 それと共に、先程まで腰を下ろしていた金色の玉座が消失し、帝王(エンペラー)の手に、身の丈にも及ぶ長さを持つ金色の杖が顕現する


 金色の杖本体の先端には、水晶質の王冠を思わせる装飾が輝き、その中央には虹色の光を宿す極彩色の宝玉が抱かれている

 それは、帝王(エンペラー)神能()がその存在の在り方のままに具現化した武器(戦う形)。――まるでそれ自身が輝きを放っているかのようなその杖は、威厳に満ちた荘厳なものであり、まさにその名にふさわしく、帝王の権威を象徴しているかのような王笏だった


「!」

 立ち上がり、武器を顕現させた帝王(エンペラー)が纏う、戦の神能(ゴットクロア)が純然たる戦意を帯びるのを知覚した大貴は、その圧倒的な力の波動を感じながら、委縮してしまいそうになる己を叱咤して声を絞り出す

「なんのつもりだ?」

 その純然たる戦意を向けられた神魔と桜を含め、この場にいる全員が反射的に臨戦態勢を整えて身構える中、帝王(エンペラー)は大貴の問いかけに対して簡潔に応じる

「決まっている。余の名の下に、そこな世界の異分子を処刑し、この世界から排除するのだ」

 手にした金色の王笏の先端を神魔と桜に向け、決定事項として言い放った帝王(エンペラー)の視線と声音には、揺るぎない死を与える意思が明瞭に浮かんでいた

 王の名を持つ者としての矜持なのか、決して余裕と威厳を損なわない鷹揚で不遜な態度を崩さず、また即座に行動に移さずに、宣告することで己が意思を知らしめる

「なっ!?」

 その言葉に、大貴が息を呑むのを感じ取って、金色の王笏の先端を下げた帝王(エンペラー)は、瞳のない白い目で視線を向けて言う

「何を驚く? 光魔神。彼奴が先程見せた力がどれほど歪なものか、もはや分からぬお前ではあるまい。――ともれば、先の力は〝最も忌まわしき者〟さえ凌ぎかねないほどのものであるのは、一目瞭然だろう?」

 そう言って軽く顎をしゃくるようにして神魔を示した帝王(エンペラー)は、その表情に滲む忌避感を隠そうともしていない

 それは、その信念や想いが生み出す敵意や嫌悪などではなく、もっと根源的な――本能的ともいえる拒絶といった方が適切なものだった


 確かに、この世の理たる不可侵の理を、神格を越えて破壊して見せた神魔の力は、単に異質や異常という言葉では表しきれない

 その力を以って神が作り出したに等しい理を蹂躙する様は、ある意味において、本来生まれるはずのない光と闇の全霊命(ファースト)の間に生まれた最も忌まわしき者と同等以上といっていいだろう


「貴様のような危険な存在を活かしておくわけにはいかん。――我らが悲願の妨げになるやもしれん」

 その一言で大貴の言葉を切り捨てた帝王(エンペラー)は、ゆっくりとその足を踏み出して桜と支え合うように身を寄せ合っている神魔へと向かっていく

「神魔様!」

 ようやく、死地を切り抜けたばかりで満身創痍の神魔を殺すと宣言し、ゆっくりとした足取りで歩み出した帝王(エンペラー)から愛する伴侶を守るため、桜はその身で庇うように移動する

 同時に、その武器である薙刀から、夜に舞う桜吹雪を思わせる魔力の斬波動を放って牽制を試みるが、その力は帝王(エンペラー)に届く前に、何か見えない壁に遮られたかのように、消滅してしまう

「――無駄だ」

 神に等しい神格を持つ自分の相手にもならないが、なんら躊躇うことも臆することもなく自分の進む先に

割り込んで見せた桜に、帝王(エンペラー)は、掛け値のない賞賛の言葉を送る

 だが、冷たく響くその言葉には、王の座興を務めた桜色の髪の悪魔に対する褒賞が与えられることがないことを物語っていた

「貴様がそやつを庇うのは勝手だ。だが、余の前で貴様如きの覚悟が身を結ぶとは思わぬことだ」

 その気になれば、この場にいる誰もが反応できないほどの速さで瞬殺できるというのに、帝王(エンペラー)は、あえてゆっくりと、地面を踏みしめながら神魔達に向かっていく

「――っ」

 誰でも攻撃を仕掛けることができるほどの速度だというのに、桜以外の全員――大貴でさえもが、帝王(エンペラー)の圧倒的な存在感に気圧されて、攻撃を仕掛けることができずにいた


 同じ地を踏みしめ、同じ高さで目線を交わし、言葉を話しているはずだというのに、まるで一段以上高い場所から見下ろしているかのような遠い距離感を感じさせる帝王(エンペラー)の在り方は、力で圧倒する以上に、その存在による圧迫感からくるもの

 それは、自身を遥かに上回る強大な力を持つ相手に対する警戒以上に、自身よりも序列の高い存在への本能的な服従に近いものだった


「桜」

「――っ」

 生まれながらの帝王としての存在感を発しながら、泰然とした面差しで歩み寄ってくる帝王(エンペラー)の姿に、満身創痍の神魔は桜に声をかける

 桜にはそれが自分から離れるように促すものであることは分かりきっていたが、背後に庇った神魔をその命を狙っている帝王(エンペラー)の前に晒すことなどできるはずもない


 先程の霊雷(れらい)との戦い――神魔の命が失われるかもしれない状況下でそれを見ていることしかできないという絶望を耐えていた桜にとって、再び愛しい人が死の危険に晒されることは、我が身を引き裂かれるよりもつらいことだった

 絶望的と思われた状況を切り抜け、神魔が生きて帰ってきてくれたことに喜びと安堵を噛みしめていた桜にとってはなおのこと


 貞淑な心根の桜は、神魔の気持ちを最大気に尊重したいと思っている。だが、例え自分を想ってくれてのものであっても、神魔の命だけを危険に晒すなど考えられない

 神魔は望んではくれないだろうが、「神魔(愛する人)と共に生き、共に死ぬ」――それが桜の願いであることもまた事実だった


「そうか。それがお前の意思か女――」

 神魔の想いと自身の想いの間で板挟みになり、その場から動くことができずにいる桜を瞳のない目で睥睨した帝王(エンペラー)は、おもむろに足を止める

 敬服の意を持った拝謁するべき王たる自身を前にしても全く怯むことのない桜の瞳に宿る深い愛情と確固たる決意を見て取った帝王(エンペラー)は、一度目を伏せると威厳に満ちた厳かな声音で言い放つ

「ならば、せめてもの慈悲に、苦痛も死も感じる間もなく共に屠ってやろう」

 互いを想い合う神魔と桜の強い想いを受け取った帝王(エンペラー)は、王としての裁量を以ってそれをくみ取り、判決を下す


 実をいえば、帝王(エンペラー)にとって、庇った桜を傷つけず、その背後にいる神魔だけを殺すことなど造作もないことだ

 だが帝王(エンペラー)は、王であるがゆえに、神魔と桜二人の想いを正しくくみ取って、それをしない事を決定したのだった


 桜と神魔、互いに庇い合い、想い合い、心を寄せ合っている二人へ、その手に持つ王笏の先端をゆっくりと向けながら、帝王(エンペラー)はその口を開く

「あの世とやらがあるならば、伴侶同士仲良く揃って赴くがよい。そして、生まれ変わりとやらがあるのなら、また同じように伴侶となれるように祈れ」

「…………っ」

 弾かれたように身を翻した桜が、その細腕で話さないと言わんばかりに神魔を抱きしめるのを見届けた帝王(エンペラー)は、二人を滅ぼすべくその力を解き放つ――


「オイオイ。それでいいのか?」


「っ!?」

 今まさに神魔と桜に死の採決が下ろうとしたその瞬間、戦場に新たな声が響き、帝王(エンペラー)の動きを止めさせる

「……この声」

 大貴達全員が息を呑んで周囲を見回す中、その声の主に思い至った帝王(エンペラー)だけは、軽く空を仰いで鬼羅鋼(きらがね)城の一角を見上げる


 瞬間、その視線に応えるように蒼い空の一角がねじれるように歪み、その中から現れた一つの人影が、神魔達と帝王(エンペラー)の間に降り立つ


「よォ、帝王(エンペラー)


 突如空から現れ、帝王(エンペラー)の前に立ち塞がったのは男は、顔に不適な笑みを浮かべ、どこか嘲笑めいた印象を受ける声音で声をかける


 二メートルにもなろうかという身の丈に、細身だが、神魔やクロス、帝王(エンペラー)と比べても筋肉がはっきりと見て取れる身体つき

 そんな筋肉質の身体には、漆黒の紋様が刺青(タトゥー)のように入っており、上半身はその肉体美を見せつけるように曝け出されている

 光沢のあるのレザー質のズボンとベルト、その上に毛皮のようなコートを羽織っただけという霊衣は、その容貌と相まって、野獣か獣のような獰猛さを見るものに与えるだろう


 長くもなく短くもない黒髪を持つ面差しは、精悍でありながら粗暴さと気高さを同時に内包しているようであり、その鋭い双眸に抱かれる血のように赤い瞳には、漆黒の横長の瞳孔が鎮座していた


「この力……」

(反逆神の眷属か)

 その神能(ゴットクロア)を知覚した大貴は、反逆神・アークエネミーに属する存在であることを見抜いて臨戦態勢を取る

 反逆神は、神敵として世界から恐れられ、忌み嫌われているが十世界に所属しているという点で、覇国神の眷属である帝王(エンペラー)と同類。そう考えれば、現状は楽観できるどころか、より悪化したというベきだろう

「『ウォール』」

 自身の威光に微塵も臆することなく、ふてぶてしい態度を見せるその男に、帝王(エンペラー)が心底嫌悪した表情を浮かべ、忌避するように言い捨てる

「――ッ!」

 帝王(エンペラー)の口からその男の名が発せられた瞬間、その場にいた大貴と詩織を除く全員が顔を引き攣らせて半歩以上後退る

 神魔は満身創痍の身体を押して、その腕で桜の姿を隠すようにして庇い、半歩後ずさった瑞希までもが、かすかにその身体を震わせているのを見て、詩織と大貴は怪訝な表情を浮かべる

「なんだ……?」

「瑞希さん?」

 これまで、何度か悪意の眷属、そして反逆神とも遭遇してきたが、今回「ウォール」と呼ばれた男に対して神魔達が見せた反応は、これまでにないほど顕著な嫌悪に満ちていた

 その顔をわずかに青褪めさせ、怯えているとも取れるような反応を見せる神魔達に、大貴はこの悪意がこれまでとは違うなにかであることを感じ取らずにはいられなかった

(あいつ、そんなにヤバいのか……?)

 そんな神魔達の反応を視界の片隅で捉えながら、その視線を帝王(エンペラー)と相対したウォールへ向ける大貴の耳に、瑞希の口から零れた声が届く



「……〝純悪〟」



 微かに震える声で発せられた瑞希の言葉が、無常な響きを以って大貴の耳朶を揺らしていた





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