表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔界闘神伝  作者: 和和和和
地獄界編
236/305

愛した者と愛された者





 ――風花が舞う


 それは、風に舞う花弁のように儚く視界をすり抜けていく夢現。その目に留まることを拒否するかのように逃げていく淡い想いのまほろば

 それに振り向いても、天に舞ったその花弁はすでに遠く、届かない空へと舞い上がっている

 その一瞬に、かすかに薫る甘い香りを残していく切なくも淡い一片(ひとひら)の思い出


《風花》


 風に踊る赤紫色の長い髪に、透き通る様な桜色の瞳を持った悪魔の女性は、いつも屈託のない笑顔を浮かべ、心が蕩けるような深い優しさと凛々しい強さを兼ね備えている

 まるで一輪の花を思わせる少女は、強く、優しく、凛々しく、そして美しく――まさに高嶺の花と呼ぶにふさわしい人物だった


 そんな美しい可憐な花に、恋い焦がれるのは必然の事だったのだろう


 だが、伸ばした手はその花に届くことはなく、想いを乗せた言葉はその心を揺らすことはない


 恋に焦がれていた。心奪われ、いつか、この花を自分のものにしたい。その花の美しさも笑顔も全て自分だけに向けて欲しい――ただそれだけを願っていた


 だが、どれほど自分が想いに焦がれても、その気持ちは決してその心に届くことはなかった。――そして、いつの間にか、手に届かなかった風に舞う一輪の花は、自らの意志で根を下ろす場所を見つけてしまっていたのだ


 自分とは違う別の誰か。その隣りに寄り添い、自分が欲してやまなかった恋色の笑顔を浮かべる想い人の幸せそうな姿が、心に焼き付いて離れることはない――。



「神魔ァ!」


 風花の心を奪い去り、幸色に色づかせた憎い男の名を叫びながら、霊雷(れらい)は自身を呑み込む純黒の力の渦に身を晒していた

 放たれる神速の斬撃は自身のそれよりはるかに早く、撃ち込まれる威力もまた自身のそれとは比較にならないほどに強力


 だが、その力でさえ、今の霊雷(れらい)を傷つけることはできない。


 神器「神覇織(ヴァルクード)」。神以外に己を害することを許さない理――〝神の領域〟を能力として持つ羽織型の神器が、神魔の全ての攻撃を完全に無力化しているのだ

「――……ッ!」

 だが、そんなことは神魔も知っている。だが、その攻撃の手が緩むことはない。斬撃の嵐を撃ち込んだかと思えば、魔力の砲撃で呑み込む

 それらの全てが神覇織(神器)の前に沈黙しても、神魔は微塵も心折れることなく、その大槍刀と魔力を振るい、この絶対的な死地に生を見出そうと戦っていた


「さっきの話。一つ嘘があるよね? いや、嘘っていうか、あえて言わなかったっていうほうが正解かな?」


「――!」

 反撃として放った斬撃を大槍刀の刃で受け止め、魔力の火花が散らせる神魔の金色の双眸に見据えられた霊雷(れらい)は、その言葉に小さく息を呑む


 先程の話というのは、自分が神魔を殺すために英知の樹(ブレインツリー)に入り、神器を手にし、十世界にスパイとして侵入したという話のこと。

 それは、風花を殺した神魔を殺すため、そのためだけに生きてきた霊雷(れらい)の今日までの生き方の中に隠されたもう一つの真意だった


「お前が英知の樹(ブレインツリー)に入ったのは、僕を殺す神器を手に入れるよりも、風花を生き返らせる神器を探してたからでしょ?」


「――!」


 神魔の口から、その言葉が確信に近い疑問の形として発せられると、それを聞いた霊雷(れらい)は、自分の心を見透かすようなその言葉に小さく目を瞠る


 霊雷(れらい)が単に神魔をつけ狙うように殺さなかったのは、実力が足りなかったというだけの事ではない。

 今でこそ圧倒的な力の差があるが、以前は神魔と霊雷(れらい)の強さにそこまでの差はなかった。――むしろ、霊雷(れらい)の方がわずかに強かったと言ってもいいかもしれない


 だが、それでも霊雷(れらい)が神魔を単に殺すのではなく、英知の樹(ブレインツリー)という組織に入ったのは、命を落とした風花を生き返らせる一抹の可能性に賭けたからだった

 十世界と並んで九世界に脅威として認定されている組織「英知の樹(ブレインツリー)」。――世界に飛び散った神の力の欠片である神器を集め、その力を以って神に近づくことを理念とする組織

 死んだものを生き返らせることはできない。ましてそれが、全霊命(ファースト)の力によって命を落とした者となればなおさらだ

 だが、神の力を持つ神器にならば、それを可能とするものがあるかもしれない。そんな一縷の可能性に縋り、霊雷(れらい)は神器を集める組織の門をたたいたのだ――もっとも、その結果手にしたのは、神魔への復讐を果たすための神器だったのだが。


「驚くことはないでしょ?」


 驚愕に目を瞠った瞬間、冷たく響く声と共に横薙ぎに放たれた神速の斬撃が霊雷(れらい)の首を捉え、神覇織(神器)の前に沈黙する

 確実に命中しているというのに、その身体に毛ほどの傷もつけることができていないのを見て取った神魔は、そのまま大槍刀を翻して霊雷(れらい)の首に純黒の斬撃を見舞いながら距離を取る


「僕も同じようなことを考えたことがあるからね」


 霊雷(れらい)が歩く今の道は、神魔もまた選ぶことを考えた道でもあった。自身の無力によって守れず、死なせてしまった風花をこの世界に取り戻す――そんなこの世の理を越える道を選ぶために、神器の力を求めるのは必然といってもいいことだった

 だが、神魔はその道を選ばなかった。二人の間にあるのは、ただそれだけの差。同じことを考え、同じことを望みながら、その一歩を踏み出したか否かの違いでしかない


「俺とお前が同じだと――ッ!?」

 神魔の言葉に、霊雷(れらい)は音がするほどに歯を噛みしめて苛立ちを露にすると共に、渾身の魔力を込めた刃を振るう

 しかし、渾身の力を込めて放たれた霊雷(れらい)の斬撃は、より強大な魔力を持つ神魔の大槍刀の刃に阻まれて沈黙する

「お前なんかと、一緒にするな!」

 刃で互いを縫い止めるなり、武器を手にしていない方の手に魔力を収束した神魔と霊雷(れらい)は、それぞれに向けてその力を波動として解き放つ

 一点の翳りもない純黒の力が炸裂し、そこに込められた純然たる滅殺の意思が砕け散った力と共に渦を巻き、天を揺らして大地を軋ませる

「――……ッ」

 漆黒の力の奔流を振り払うように距離を取った神魔は、わずかにその身体を魔力によって焦がされ、霊雷(れらい)は神器の力によって傷どころか焦げ跡さえない

 風花を殺した神魔への憎悪、風花に愛された神魔への憎悪、そして平然とした表情で自分と同じことを考えたなどとのたまう神魔への憎悪――一つでありながら多様な殺意に身を焦がす霊雷(れらい)は、憎い怨敵にその刃を叩き付ける

「風花を殺しておきながら! のうのうと生きているばかりか、別の女を囲ってへらへらと笑っているお前と俺が一緒なはずはない!」

 感情と力に任せて刃を叩き付けられる霊雷(れらい)の刃と神魔の大槍刀が打ち合い、魔力の火花を散らしながら、純黒の奔流が吹き荒れる

 だが、純然たる殺意の込められた霊雷(れらい)の神速の斬撃は、神魔の大槍刀の刃によってことごとく撃ち落とされ、魔力の残滓をまき散らすばかりだった


 だが、それでも霊雷(れらい)は怯むことはない。自身のそれより数段早い神魔の反撃を受けようと、その身に纏う神器の力によって傷一つ受けないまま、むしろ一層がむしゃらに刃を振るい続ける

 そんな霊雷(れらい)の瞳に映っているのは、神魔への殺意と対抗意識、そして風花への純粋な――狂気にも似た想いだけだった


「俺は、今も、昔も、これからも! 風花一人だけを愛し続ける!」

 刃を振るい、撃ち落とされる衝撃に声を途切れさせながら、霊雷(れらい)は変わらぬ想いを刃に乗せえて憎い神魔(仇敵)へと叩き付ける

 その変わらぬ想いを掲げ、魔力と刃に乗せて叩き付けてくる霊雷(れらい)の斬撃を捌く神魔は、視線を鋭く細めて、手にした大槍刀を振るう

「迷惑だよ」

 その一言と共に、霊雷(れらい)の斬撃全てを撃ち落としてみせた神魔は、そのまま大槍刀を横薙ぎに振るって無防備になったその首に刃を撃ち込む

「お前の気持ちは独りよがりだ」

 首に叩き付けた刃を渾身の力で振り抜くと、神魔の魔力が嵐のように吹き荒れ、霊雷(れらい)の身体を軽々と吹き飛ばす

「――ッ」

 だが、その一撃もまた当然のように神覇織(神器)の力によって完全に無力化されてしまう。しかし、それに怯むことなく時間と空間を超越して霊雷(れらい)に肉薄した神魔は、自身の純黒の魔力を注ぎ込んだ大槍刀を最上段から叩き付けるように振り下ろす

 宙空を舞っているところに斬撃を受けた霊雷(れらい)は、そのまま地面に撃ち落とされ、大地を砕いて天に届かんばかりの粉塵を巻き上げる


 その爆塵が立ち昇ったのもほんの束の間。次いで、内側から生じた力の波動に、吹き消されるように巨大なその土砂柱が一瞬で消失し、そこに神魔と霊雷(れらい)が姿を見せる

 地面に横たわった霊雷(れらい)の喉笛に神魔の大槍刀の切っ先が突きつけられ、その首を穿たんとする漆黒の力の奔流が吹き荒れていた

 しかし、神器・神覇織(ヴァルクード)に守られた霊雷(れらい)は、その攻撃を以ってしても一切の傷はなく、地面に横たわったまま神魔を睨み付けている


「お前がどんなに想っても、それはお前だけの気持ちだ。お前に風花のために戦う理由なんてない」


 自身を射抜いてくる霊雷(れらい)の視線に、神魔は冷酷な睥睨を返しながら突き放すような口調で言い捨てる


 霊雷(れらい)は風花の復讐のために神魔を殺そうとしているが、そこに大義はない。何故なら、霊雷(れらい)にとって風花がどれほど特別な存在であろうと、風花にとって霊雷(れらい)はそれに足らない存在でしかないのだから

 恋人を殺された者が殺した者を憎むならそれは復讐だろう。だが、風花にとって特別ではない霊雷(れらい)に、風花の仇を取る資格も権利もありはしない

 霊雷(れらい)が戦う理由は、自分が想いを寄せていた人物に見初められ、その心を奪った相手への一方的な感情に基づくもの。本人がどれほど風花の事を想っていようと、それを背負うことなど許されない


「風花は、僕のものだ」


 霊雷(れらい)の喉笛に刃を突き立てた神魔は、想いの全てを踏み躙るように、淡々とした口調で、ただ事実を告げる

 風花の願いも心も、死も罪も、全て自分に遺されたもの。赤の他人である霊雷(れらい)に語られることなど許すことはできない

「ふざ、けるな……」

 神魔のその言葉に、砕けんばかりに歯噛みした霊雷(れらい)の口から呪詛にも似た怨嗟の言葉が零れる

「オオオオオオオッ!」

 渾身の力を解き放ち、自身を踏みつけにする神魔を斬閃によって振り払った霊雷(れらい)は、全身を漆黒の魔力に包み込んで突進する

 神覇織(神器)の力にあかせた迎撃を計算に入れない力任せの突貫を行った霊雷(れらい)を、純黒の魔力を纏う神魔の大槍刀の斬撃が討ち止める

「そう思うのなら……っ、そう言い張るのなら――」

 血を吐くような思いで声を絞り出す霊雷(れらい)と冷淡な表情でそれを受け止める神魔の刃がせめぎ合い、魔力の火花を散らせる

 自身の力を圧倒的に上回る神魔の魔力に臆することなく、その手で直接大槍刀を掴んだ霊雷(れらい)は、その長い柄の間合いに強引に顔を押し込むようにして声を上げる


「なんで! なんで風花を守れなかった!?」


 胸が張り裂けそうな思いと共に言い放った霊雷(れらい)は、魔力の火花を散らす刃の先にいる神魔に慟哭するように声を絞り出す

「お前は、風花に選ばれていながら……今でも自分のものだと言い張れるほどに風花のことを思っていながら、のうのうと生き延びている!」


 霊雷(れらい)は、風花の最期を知らない。偶然にも出会った風花の妹達――「呉葉」と「紗茅さやか」から半ば無理矢理に聞き出して初めて、その死を知ったのだ

 二人がどれほど霊雷(れらい)が問い詰めても、風花が天使と戦って死んだということ以外に、姉の死に関して詳しいことを話すことはなかった。


「男なら――惚れた女のために命をかけるものだろう!? お前にとって、風花は命をかけるに値しない女だったのか!?」


 だが、霊雷(れらい)からすれば、それだけで神魔を恨むには十分すぎる。長年想い続けてきた愛しい人を喪った絶望を、自分が欲してやまなかったもの全てを手にしていたにも関わらず、それを永遠に失わせた神魔へ向けずしてどうするというのか

 先程神魔は、「霊雷(れらい)には風花のために戦う理由はない」と言った。だが、霊雷(れらい)に言わせればそれは違う。

 たとえその気持ちが自分に向けられずとも、風花(愛する人)の幸せを願うものだ。想い届かず、身を引いていたからこそ、誰よりも風花のために神魔を憎む資格があると霊雷(れらい)は考えていた


「これほどの力がありながら、なんであの時に――風花のために、この力を使えなかった!? この力があれば、風花は死なずに済んだはずだ! これだけの強さがあれば風花を幸せにできたはずだ!」

 その手で神魔の大槍刀の刃を掴んで声を上げる霊雷(れらい)の身体は、神器の力によって傷一つついていない。

 だが、その心に刻み付けられた癒えることのない傷からは、今も絶えることなく血が流れ、身体を引き裂かれる様な痛みに苛まれていた


「なのに、なんで! なんでお前が生きて、あいつが死んでいる!?」


「……言われるまでもないよ」

 やり場のない感情のままに声を荒げた霊雷(れらい)を無機質な金色の瞳に映した神魔は、小さな声で自嘲するように独白する

 その小さな声は、誰の耳にも――それこそ、相対している霊雷(れらい)の耳にさえ届くことはないほどの囁きだったが、何よりも雄弁に今の神魔の心中を物語るものでもあった


 霊雷(れらい)の言い分は言いがかりに過ぎない。だが、それは神魔にとって簡単にそう言って切り捨ててしまうことのできない真理でもあった

 今のこの強さがあの時(・・・)にあれば、風花を死なせずに済んだ。この強さを得たのが最近の事だとしても、神魔にとってこの力をあの時に目覚めさせることのできなかったことは、自身の無力さを痛感させられるものだった


「ようやく、昔の話し方に戻ったね」

 大槍刀の刃を掴まれたままの神魔は、そう言うと同時におもむろにその柄から手を離して大地を蹴り、霊雷(れらい)の顔面に全霊の力を込めた拳を撃ち込む

「言い訳はしないよ。でも、だからってお前に殺されるわけにはいかない。――僕の命は、僕だけのものじゃないんだ」

「――……」

 純黒の魔力を乗せた拳を撃ち込まれた霊雷(れらい)は、痛みも何もないその一撃を受けながら、鋭く細めた視線で憎き仇敵を睨み付ける


 霊雷(れらい)の言い分は、反論の余地のない正論だ。神魔には風花の命も、幸せも守ることはできなかった

 共に過ごした日々が幸せだったからこそ、風花の最期には後悔と無力感と懺悔しかない。


 だが、だからといって霊雷(れらい)に殺されてやることなどできるはずはない。今の神魔には自分の命よりも大切だと思える(もの)がある。

 そして何より――「私の事を忘れられなくもいいから、縛られないで」、「大切だと思える人ができたら、自分の分も大切にしてほしい」と、風花自身が願ってくれた。自身の死の間際にありながら望んでくれたものを、神魔は失うわけにはいかない


「なら俺は、お前の全てごとお前を殺す」

 再会したときに使っていた丁寧な言葉遣いが剥がれ、昔のままの――その仮面の下に隠していた本性を全て曝け出した霊雷(れらい)は、神魔の言葉に凍てつくような殺意に染まった言葉で言い放つ

「――!」

 その視線に答えるように一度離した大槍刀を手の中に戻した神魔は、そのまま逆袈裟に刃を振り抜いて霊雷(れらい)に漆黒の斬閃を見舞う

(とはいえ、このままじゃ埒が明かないな)

 それは、どれほど攻撃を撃ち込んでも全く効果の見えない神魔と、どれほどの攻撃を受けようと一切の痛痒を感じない霊雷(れらい)の共通の認識だった


 全霊命(ファースト)の力は無限。そのため、どれほど長く戦っても体力が消耗するようなことはなく、その神能()が枯渇することもない

 故に神魔と霊雷(れらい)の神格と力の差は不変。今のままでは、いつまでも同じことが繰り返されるばかりだ。――ならば、現状を打破し、その均衡を崩すことが必要になる


 神魔が探すのは、言うまでもなく霊雷(れらい)の纏う神器「神覇織(ヴァルクード)」の力を抜く方法。神の力程の全能を持たない神器が持つ、欠点と呼ぶにも足りない何らかの隙だ

 しかし、明確にやるべきことのある神魔とは違い、神魔を殺すことばかりを考えてきた霊雷(れらい)には、即座にそれを思いつくことはできなかった


「――ああ」

 しかし、神魔の神速の斬撃を受けていた霊雷(れらい)は、その中で知覚と思考を回転させて、ふと悪意に満ちた考えへと思い至る

「そうだ、良いことを思いついた」

「!?」

 両の口端を吊り上げ、三日月のような形に口元を歪めた醜悪な笑みに、眉を顰めた神魔に見せつけるように、霊雷(れらい)はその首を巡らせる

 正面から相対している神魔ではなく、その遥か後方へと視線を向けた霊雷(れらい)は、そこに佇んでいる桜色の髪の悪魔を双眸に映して、粘着質の殺意に踊る嬉々とした声音で言う


「お前が俺から風花を奪ったように、お前から一番大切なものを奪ってやる」


「!」

 その言葉に、神魔の表情が焦燥に染まるのを見た霊雷(れらい)は、それを阻もうとする決死の斬撃と魔力をものともせずに、神器の能力に任せてそこを強引に突破する

「く……っ」

「――!」

 当然、神魔の戦いを見守っていた桜は、その戦いの中で霊雷(れらい)の殺意の矛先が自分へと向けられたことを知覚していた

 同様に大貴と瑞希もそれに気づき、武器を構えるのを視界と知覚で捉えながら、桜もまた自身の武器である薙刀を構えて、その目的に抗う意志を見せる


「醜い……まるで悪意の発想だな」


 そして、霊雷(れらい)のその行動を見ていた覇国神(戦神)神片(フラグメント)の一人である「帝王(エンペラー)」は、それを見て冷ややかな蔑言を呟く


 存在と在り様が神に近しい全霊命(ファースト)にとって、殺意や憎悪は憎むべき相手にのみ向けるもの。憎い相手を苦しませるために、その大切なものを傷つけようなどという発想には至らない

 その悍ましく醜悪な思考は、この世で唯一絶対の神敵たる「反逆神(アークエネミー)」と、その眷属達――悪意の考え方だ


(悪意に当てられたか? やはり奴らは、この世界の害悪だな)

 全霊命(ファースト)の中にも大なり小なり悪意はある。悪意とは、神から自立するための自我がもたらす副産物。その存在が、ただの神の操り人形ではなく、神の理をなぞるだけの機構(システム)ではないことの証明。そして正しさの在処を知るための導


 故に、悪意の全てが悪ではない。しかし、悪意は伝染し、感染する。法や正しさに固執するのと同様に、悪意は時にそれに触れるものの心を魅了して拡大していく特性を持っている

 まして、十世界にはその悪意の根源――神敵たる〝反逆神(アークエネミー)〟が存在する。直接接触していなくとも、十世界の拠点に満ちた最強の異端神たる悪意の力の残滓が、心の弱い者――殺意に狂った霊雷(れらい)に、伝播してその心に宿る悪意をより醜悪に歪めている可能性は否定できないものだった


「……だが、まぁこの停滞した事態を動かすには丁度よいか」

「させるか!」

 そう言って瞳のない目で冷ややかな視線を送る帝王(エンペラー)の視界では、桜へ向かって一直線に飛翔する霊雷(れらい)に向かって、神魔が背後から全霊の魔力を帯びた斬撃を叩き付けるところだった

「……ッ!」

 しかし、そんな神魔の攻撃も、自身を不可侵の領域とする神覇織(ヴァルクード)の力の前に沈黙し、霊雷(れらい)の動きを妨げることはできない

(やっぱり利かないか……!)


 だが、そんなことは神魔は百も承知。そして、霊雷(れらい)のこの行動が、自分の注意を引いて隙を作るためのものであることも、分かっている

 簡単に言い放って見せたが、霊雷(れらい)の神格で神魔に等しい神格を持つも桜を手にかけることは容易ではない。さらにそこには大貴もいる

 いかに攻撃が効かなくとも、霊雷(れらい)が口にしたことは実現が難しいことは分かっている。故に神魔は、桜を害する意志に焦燥に覚えながらも、自身の伴侶の強さへの信頼から冷静に霊雷(れらい)の次の行動を推し量っていた


(でも、霊雷(れらい)は、こうやって隙を作って何かを仕掛けてくるはず。なら――)


「――ッ!?」


 しかし、次の瞬間神魔の視界が遮られ、その身体に何かが絡みつく

「なっ……!?」

(魔力が、遮られる!?)

 その身を包んでいた魔力を消し去り、視界を覆いつくすように絡みついてきたそのなにか(・・・)は、神魔の知覚さえ遮断していた

「く……ッ!」

 それに一瞬困惑を覚えた神魔は、咄嗟に魔力で焼き払うことのできないそれを手で掴んで振り払うが、その一瞬が命取りだった

「っ!」

 視界と知覚が晴れるが早いか、神魔は自身の腹部に突き立てられた刃のもたらす激痛に顔をしかめる

 その痛みにつられるように視線を落とした神魔は、自身の腹部を貫いている剣を確認し、そして不敵な笑みを浮かべている霊雷(れらい)へ視線を向ける


 一瞬の隙をついて刃を突き立てた霊雷(れらい)の姿を見た神魔は、その姿を見てその策を瞬時に理解する


(そうか。神器を脱いで……!)


 剣を手にし、不敵な笑みを浮かべている霊雷(れらい)は、先程までその身に纏っていた神器「神覇織(ヴァルクード)」を脱いでいた

 それはつまり、先程自分の視界と知覚を遮ったのが、霊雷(れらい)が脱ぎ捨ててて投げつけた神覇織(神器)であったと神魔に理解させるには十分だった


 あらゆる力の干渉を許さない神の領域たる「神覇織(ヴァルクード)」ならば、魔力で焼き払えなかったのも、知覚を遮断されたのも合点がいく

 神魔がそれに気を取られたのはほんの一瞬の事だったが、霊雷(れらい)はその隙を作ることが目的だったのだと、激痛と共に血炎を上げる傷口が否応なく教えてくれる


「神魔様!」

「神魔さん!」

 霊雷(れらい)の剣に貫かれる一部始終を見ていた桜と詩織が、血炎を上げる神魔を案じてたまらずに声を上げる

 愛する人を傷つけられた桜と、想い人が血炎を上げる様を見た詩織が悲痛な声を上げるが、剣に貫かれた神魔にはそれに答える余裕はなかった

「正直賭けだったよ。これは、一度きりしか使えないからな」

 自身を守る能力を持ち、しかも身に纏っている神器を投げつけてくるとは思わない。神格の差を鑑みて一度しか使えないこの奇襲にして奇策を確実に成功させるために、霊雷(れらい)は桜を狙ったのだ


 普通に戦いながらこれを使っても、神格で勝る神魔に回避される可能性は高かった。それをさせないために、神魔の意識を一瞬だけ逸らした霊雷(れらい)の策は、本人の言うように紙一重の賭けだった

 なにしろ、これを使うその一瞬は自身を守っていた神器がなくなってしまうのだ。その隙に一撃を入れられてしまえば、霊雷(れらい)は間違いなく命を落としていただろう

 さらに付け加えれば、脱いだ瞬間に別の人物に攻撃されては本末転倒になってしまうため、この技は一対一でしか使えない。だからこそ、霊雷(れらい)は神魔と一対一での戦いを望んだのだ


「っ」

 腹部を剣で貫かれる痛みに耐えながら、全ての攻撃を阻む神器を脱いでいる今にこそ千載一遇の好機を見出した神魔は、渾身の魔力を解放して反撃する

 恐らく最初にして最後となるであろう絶好の勝機を逃すまいと放たれた神魔の純黒の力の奔流が吹き荒れ、天を衝いて世界を揺るがす


 勝負は神格の許す限り時間と空間を超越する神速の一瞬と刹那。神格で勝る神魔の魔力の奔流が、霊雷(れらい)が再び神覇織(ヴァルクード)を纏うまでに間に合うか否かの一点。

 魔力を解き放つと同時に、半ば強引に腹部に突き刺さった刃を引き抜きながら後方へ飛びずさった神魔は、おびただしい量の血炎を立ち昇らせるその傷口を押さえながら、自身の魔力が生み出した漆黒の爆発へ視線を向ける


「――っ!」

 一縷の望みを抱いて放った純黒の魔力が滅殺の事象を発現させ、漆黒の力の残滓となって溶けていくのを見据える神魔は、その黒が消えていく中に現れた影に息を呑む

 純黒の魔力の中から現れたのは、蛍光色の水色のラインが奔る白と黒の羽織を纏った人影。――それは、神魔の魔力がその力を示す前に間一髪で神器を纏った霊雷(れらい)の姿だった


「残念だったな」


 ほんの一瞬纏うのが遅れたのだろう――その頬の一部を魔力で焦がされながらも、致命的な傷を免れ得た霊雷(れらい)は、口端を吊り上げて勝利を確信し切った笑みを浮かべる

「――……ッ」

 ほんのわずかの差で霊雷(れらい)に致命傷を与え損ねた神魔は、血炎を立ち昇らせる傷口を押さえながら、苦痛と苦々しさに表情を歪めて歯噛みする

「これで、形勢は逆転だ」

 神魔の腹部を貫いた剣の刃から魔力を迸らせる霊雷(れらい)は、そう言ってついに追い詰めた仇敵に笑みを向ける

 しかし、勝利を確信した霊雷(れらい)の笑みを向けられる神魔は、その接近を牽制するように大槍刀の切っ先と共に鋭い視線を向ける

「まだ、抵抗するつもりか……」

 その瞳に宿る覇気と、魔力に満ちる純然にして充溢した戦意を知覚した霊雷(れらい)は、神魔の抵抗を嘲笑うように愉悦の表情を浮かべる

 その表情は、ここで神魔が諦めないことを歓迎しているよう。――ようやく追い詰めた怨敵の最期の抵抗を打ち砕いてその命を奪う瞬間を想像して、積年の恨みを晴らすときを待ち望んでいるものだった


「その傷で、いつまで俺と戦えるかな?」


 いかに不死身に近い全霊命(ファースト)と言えど、大きな傷を負っていればいるほどその力は損なわれしまう

 常に最盛と最高の状態を維持する神能(ゴットクロア)の特性と、強い再生力を以ってしても癒しきれない傷を負えば、その分だけ消耗してしまうことは否めない


 腹部を貫かれ、簡単には言えない損傷を受けてしまった神魔と、些細な傷を負っただけの霊雷(れらい)。――二人の傷の差は、そのまま二人の間にあったはずの力の差を埋めることは間違いない


 瞬間、殺意に満ちた嬉々とした表情を浮かべ、地を蹴った霊雷(れらい)は、神魔へと真正面から肉薄し、自身の魔力を注ぎ込んだ斬撃を放つ

「――ッ!」

 その斬撃を迎撃すべく、大槍刀を横薙ぎに一閃させた神魔だったが、その刃は神器に守られた霊雷(れらい)の身体に阻まれ、完全に沈黙してしまう

「く……ッ」

 神覇織(ヴァルクード)の不可侵の守りの力にあかせて肉薄し、傷が癒える時間を与えまいとする霊雷(れらい)の容赦ない攻撃が神魔へと次々に襲いかかり、大きな傷を負ったその身を確実に追い詰めていく

 霊雷(れらい)にとって、神魔の全ての攻撃は避ける必要がない。その身体で斬撃も、打撃も、魔力も全てを受け止めて無効化し、そうしてその隙に自身の攻撃を撃ち込むだけだ

「神魔様! ……っ」

 最愛の伴侶が傷ついていく様に耐えきれず、参戦しようとした桜だったが、その前方に天空から降り注いだ光の槍が突き刺さり、その動きを阻む

「動くなといったはずだ」

 桜だけではなく、大貴や瑞希の鋭い視線を受けながらも、その光の槍を生み出した張本人である帝王(エンペラー)は、涼しい顔で言い放ち、その瞳のない目を神魔と霊雷(れらい)の戦いへと向ける


「もうすぐ、終幕だ」



「……っ」

 同時に魔力を炸裂させ、爆発に呑まれようと傷を負うのは常に神魔だけ。傷つき、能力の低下し始めた身体ではその全ての攻撃を完全に捌ききることはできず、神魔の身体には確実に新たな傷が刻まれていく

 今の状態でも、間違いなく神魔の方が強い。しかし、その力の全てはことごとく神覇織(不可侵の守り)によって無力化され、神格で勝っているはずの神魔は確実に傷を増やして追い詰められていた

「――!」

 防御を一切考える必要のない霊雷(れらい)は、神速の斬撃と力の激突の中で、これまで積み上げられた傷によって鈍った神魔の攻撃を受け止めると、その決定的な隙を逃さずに刃を振るう


()った!」



「神魔、様……」

 その戦いをただ遠巻きに見ていることしかできない桜は、逆袈裟に放たれた漆黒の斬閃に切り裂かれ、血炎を上げる伴侶の姿に、感情が抜け落ちたような蒼白な表情を浮かべて震える声を零す



「俺の勝ちだ! 死ね神魔!」


 追い打ちをかける決定的な一撃を撃ち込み、仇敵から血炎を吹き上げさせた霊雷(れらい)は、その手を止めることなく、確実に神魔の命を奪うための刃を振り下ろした――。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ