帝王の差配
「火暗を、殺す……!?」
霊雷の口から告げられた紛れもない裏切りの言葉に、大貴が声を詰まらせながらその真意を窺うように繰り返す
(どういうことだ!? 最初からそのつもりだったってことか? ――でも、今ここでそれを言うことに何の意味がある……?)
その声音や表情からは嘘を言っているようには思えない。だが、仮にそれが本当だとして、今ここでそれを言う必要などないはずだ
最初から十世界を裏切るつもりだったとしても、いかに神魔と一対一で殺し合うためだからといって、自分達が了承していない現状で、そんなことを言う意図が読めなかった
「えぇ。それだけではなく、この世界、そしてそれ以外の世界の十世界のメンバーを可能な限り殺してあげても構いません。神覇織の力があればそう難しいことではありませんからね――どうです、悪くない条件でしょう?」
しかし、そんな大貴の心中の混乱など知る由もなく、霊雷は飄々とした口調でさらに条件を上乗せする
自身のたった一つの願いのために霊雷が提示したのは、自身の十世界への敵対と攻撃だった。
確かに、全ての攻撃を受け付けない神器「神覇織」の力があれば、霊雷の力でも十世界に小さくない損害を与えることはできるだろう――その条件は、十世界を敵対視している者からすれば、破格といってもいいかもしれないほどのものだった
「もしかしたら、知っているかもしれませんが、火暗もまた神器使いです。それも、〝戦う相手と自分の強さを等しくする〟という面倒な能力の神器でしてね?
下手に数で囲むとその人数分強くなる厄介な奴なんですよ。ですが、私はある意味彼にとっての天敵。私に対して神器を使うと弱くなってしまう上、絶対に彼は私に勝てないわけです」
「――!」
まるで、大貴達の不信感を見抜いているかのように霊雷は流れるような語り口調で、自分の味方であるはずの火暗の神器の能力と弱点を教え、さらに自身の優位の根拠を述べる
相対する相手と等しい強さを得ることができる火暗の神器「神差衡」は、自分を殺せるだけの強さを持つ相手、あるいは軍勢に対して絶大な力を発揮するが、実はその逆の相手を戦う際には、その強力な権能が自身の首を絞めることになる
単純な神格では火暗の方が霊雷よりはるかに勝っている。通常この二人が叩けば、まず間違いなく火暗が勝利できる。だが、神差衡の力によって神格の尺度を変えられてしまうと、通常時でほぼ勝利できるはずの力関係が、逆に半々に下げられてしまう
そんな諸刃の剣ともいえる権能を持っているからこそ、神差衡という神器は、比較的適合率が高い神器なのだとも推測されているわけだが。
いずれにせよ、よしんば火暗が神器を使わずに戦ったとしても、霊雷の神覇織の守りを抜くことは不可能。どう転んでも霊雷の勝率の方が高いのは確実だった
「……仲間を裏切るってことか!?」
自分が所属する組織のメンバーの能力や弱点を告げ、更に自分が組織に被害を与えるとまで言ってみせる霊雷に対し、大貴はわずかに非難めいた声音で訊ねる
たとえ組織を利用しているのだとしても、自身の目的のために簡単に仲間を売り、手にかけようとする態度に拒絶感を滲ませる大貴に対し、霊雷はどこまでも無関心に息を吐く
「この際だから告白しますが、私は十世界のメンバーではありません」
「!?」
さもなんでもないことのようにさらりとした口調で霊雷がその事実を告げると、大貴と瑞希、そして詩織は驚きを隠せずに目を瞠る
しかしその中で、このことを予想していたのか、神魔だけは一切表情を動かすことなく、むしろその方が納得がいくといわんばかりの表情を浮かべていた
「私は、『英知の樹』から十世界に侵入したスパイなんですよ」
「!」
神魔の冷ややかな視線を受けながら口端を吊り上げて不敵に笑った霊雷は、自身の所属と正体を明かす
しかし、それを聞いた大貴達が未だ納得のいかないといったような表情を浮かべているのを見た霊雷はわざとらしく肩を竦めてみせる
「そもそも、私が十世界の理念に同調しているように見えますか? 英知の樹に入ったのは、神魔を殺すための神器を手に入れるため。そして、十世界に侵入したのはお前が光魔神を共に世界を回っているという情報を得たからです
全ては、今この時のため。つまるところ、私は今私の目的を達する目と鼻の先にいるということです。ならば、それ以外の全てにもはや用はない。――分かりますね?」
自分の目的を全て伝えた霊雷は、そう言って大貴達に視線を向ける
力こそが全てのいっても過言ではない全霊命の世界で、誰かに家族を殺されるのは珍しいことではない。そして、仮に仇討ちを考えても相手が強すぎてそれを達せられないこともまた同様だ
だが霊雷は諦めなかった。一体いつから霊雷が神魔の事を殺したいと願っていたのか知る由もないが、力を得るために英知の樹に入り、十世界までをも利用している
裏を返せば、それは霊雷の復讐心の強さと根深さの証明でもある
(こいつ、本当に――!?)
その瞳から発せられる冷たい視線が偽りを語っていないことを感じ取った大貴は、その静かで冷静な意志に、気圧されるように声を零す
「なんで、そこまで……」
それは無意識の内に出てしまったうめき声にも似た声だったが、神魔と霊雷の間にある事情を知らない者の総意といってもいいものでもあった
「分かりませんか、光魔神? 私の目的は今も昔もただ一つ。神魔を殺すことだけなんですよ!」
その冷静な顔を殺意で躍らせ、睨み付けるような視線を手にした剣の切っ先と共に向けた霊雷の言葉に、鈍く輝く鋭い意志の矛先にいる神魔は、小さく笑って応じる
「――だろうね」
自嘲しているとも、霊雷を嘲っているとも取れる微笑を浮かべた神魔へ視線を向けた大貴は、わずかに躊躇ったような声音で問いかける
「随分恨まれてるんだな。なにしたんだ?」
二人のやり取りを見ていれば、それは自分が気軽に尋ねていいようなものではないように感じられた。だが、大貴は悪いとは思いつつも聞かずにはいられなかった
それは決して好奇心からなどではなく、これまで出会った誰とも違う私怨に呪われた霊雷という人物の本質を知りたいと、知るべきだと思ったからだ
「別に。あいつが好きだった人が僕を好きで、僕がその人を守れずに死なせちゃったから怒ってるんだよ」
そして、そんな大貴の問いかけに神魔はどこか他人事のような口調で答える
あまりに素っ気ないその声に、どこか拍子抜けしたような感覚を覚えた大貴だったが、霊雷を見る神魔の横顔に、その殺意の本質と深淵を見た様な気がしていた
「…………」
「それって……」
同時にそれを瑞希の結界の中で聞いていた詩織は、今日――まさに、先程自分が聞いたばかりの人物のことなのではないかという考えが胸をよぎっていた
自分に似ているという神魔の昔の人物。無論、神魔の過去のことなどなにも知らない詩織がその人物と、霊雷が好きだったという人物が同じ人物だとは言い切れないだろう
だが、なぜかそうなのだと――詩織は、心の中で確信に近い予感を以って理解していた
「大貴君。多分、あいつの言ってることは全部本当だよ。一応知った相手だしね――そういう奴だし」
軽く肩を竦めて口を開いた神魔は、これまで霊雷が語った全てが真実だと伝え、何の策略や思惑もないことを伝える
「そういうことです! 私は、私のために神魔を殺さねばならない! 愛する者を奪われた憎しみを晴らし、私の手で神魔を否定するために! 私は、神魔と己の男を懸けて殺しに来たのです!」
その「誰か」のためなどではなく、自分の殺意は全て自分のものであると吠えるように言い放った霊雷は、自身の持つ剣の切っ先を向けている神魔と視線を交錯させる
「ようやく! ようやく待ち望んだこの時が来たのです! 死紅魔という悪魔にお前の許へ来るのを邪魔され続け、ずっと、ずっとこの時を待ち望んでいた!」
他を顧みないほどの神魔への殺意を抱きながら、今日まで霊雷が現れなかったのは、その内側に抱え込んでいるドス黒い感情を十世界魔界副総督である「死紅魔」に見抜かれていたからだった
十世界盟主である「奏姫・愛梨」の腹心でもあった死紅魔の進言により、拠点から許可なく出ることができずにいた霊雷だったが、その死により魔界総督のゼノンの許可を得ることで、ようやく神魔の許へ来ることに成功したのだ――故に霊雷は、やっと手にしたこの機を逃したくはなかった
「あなたがあいつを殺してくれたと聞いたとき、私がどんな気分だったかわかりますか!? 運命すら感じましたよ! あなたが自分を殺させるために、そして風花があなたを殺させるために、私の邪魔をするものを取り去ってくれたのだと!」
純粋で邪悪な殺意を向ける標的を前にして牙を研ぐ霊雷は、その感情のままに、自身の目的を阻んでいた死紅魔への恨みを吐き捨てるように言い放つ
確かに死紅魔を殺したのは神魔だが、霊雷は二人が実の父子関係であることを知らない。――だが、その挑発は神魔に対して相応の効果を持っていた
「――……」
霊雷のその言葉に、一瞬眉間に皺を作った神魔が不快感をかすかに滲ませて、大槍刀を握る手に軽く力を込める
「なるほど。それがお前の真か……実に陳腐で俗物的よの」
「!?」
その時、おもむろに響いた不遜な響きを持った男の声に、神魔や大貴達はもちろんのこと、霊雷までもが驚愕に目を瞠る
「なに、この声……」
「上よ!」
突然響いた男の声に困惑する詩織に、その身を守る結界を展開している瑞希は、抑制のきいた鋭い声を発して視線を上空へと導く
「……!」
その声に導かれて空を仰いだ詩織は、その双眸に鬼羅鋼城を包む結界の外、その青い天に立って、こちらを睥睨している人物を見止める
(あれ、は……)
(この力……覇国神の神片!?)
天に悠然と佇む姿を見止めた大貴は、声をかけられたこの瞬間までその存在を認識できなかったその人物を知覚して、その存在を正しく認識する
その存在から感じられる神能は、最強の異端神円卓の神座№9「覇国神・ウォー」のそれと同じもの。
その頭部に天を衝くように生える角は、王冠を彷彿とさせる形状をしており、風に揺れる純白のファーのついた真紅のマントの下からは、その身を包む金色の鎧衣を見て取ることができる
腕を組み、戦の神の眷属の特徴である瞳のない目で、高い天空から大貴達を見下ろすその姿は威風堂々としており、一種の覇気のようなものを感じさせる
「――『帝王』……!」
その姿を見止めた霊雷がその存在感に気圧されるように思わず喉を鳴らし、その名を呻くように零すと、金色の髪の神片戦兵「七戦帥」が一角――「帝王」は不遜に鼻を鳴らす
「余の名を軽々しく口にするではない。下郎が」
冷ややかな視線を霊雷に向け、嘲るように言い捨てた帝王は、そのままゆっくりと降下すると、鬼羅鋼城を包み込んでいる結界を何事もないように通り抜けて大貴達の前に降り立つ
「――!」
「なぜ、ここへ……?」
真紅のマントをなびかせながら降り立った神に等しい力を持つ存在に大貴達が警戒を強める中、隠しきれないほどに顔を強張らせた霊雷が呻くように訊ねる
覇国神は言うまでもなく十世界に所属する異端神。そしてその眷属たる戦兵達は忠実な奏姫のしもべ達だ
当然それを愛梨が望んだわけではない。だが、戦の神とその眷属達が十世界盟主と主従のような関係を好んで築いていることなど、十世界にいる者達ならば誰でも知っていることだった
おそらくそれは、神臣として、かつて九世界の創世を司った光と闇の神々に仕えた覇国神達の矜持なのだろう
「お前が勝手に出ていったと聞いてな。戦王の奴めが、お前の生き方を見届けるために戦神の眷属を出すことを姫に進言したのだ。――ククク、感謝しろよ。余が自ら足を運んでやったのだからな」
その名にふさわしく、どこまでも不遜な態度を崩さない帝王は、腕を組んだ視線で霊雷に嘲笑混じりに語りかける
「私を連れ戻しに来たのですか? それとも――」
ここに、覇国神の神片が来ている理由をその言葉で理解した霊雷は、息を呑んで言葉を絞り出す
帝王がどこから話を聞いていたのかが分からないが、場合によっては先程の話――自分が十世界のメンバーを殺してくるという言葉や、自分が英知の樹から来た間諜であることを聞かれている可能性はある
もし聞かれていたとすれば、追放――最悪の場合処分されてしまう可能性がある。盟主である姫がそれを命じるとは思えないが、強い忠誠心を持つ戦の神の眷属がそれに倣うとは言い切れない
その言葉を途中で止め、帝王の顔色を窺って、その真意を見極めようとする霊雷に、王冠の如き角を持つ戦神の欠片は、口端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべてみせる
「よい」
その一言と共に酷薄な笑みを浮かべた帝王が軽く指を鳴らすと、その背後に金色の玉座が出現する
「丁度退屈していたところだ。お前のその俗物的でつまらぬ戦いを見届けるのも、よい座興くらいにはなろうて」
その玉座に腰を下ろし、鷹揚で不遜な態度で軽く顎をしゃくってみせた帝王は、霊雷の戦いを見届ける意志を見せる
「なっ!? なんでお前が……!」
「余は、戦王から、彼奴の魂の在り様を見定めるように言われている。なるほど、十世界に相応しくない、あまりに私的でつまらぬ理由だ」
一方的、かつ勝手に話を進めて決定されることに反抗する大貴だが、そんな意志さえ意に介さないとばかりに、帝王は瞳のない白い目を細めて霊雷を睥睨する
「だが、故に彼奴の心を変えることはできまいよ。――ならば、その生の果てに何があるのかを見定めるのも一興というもの」
他愛もないものと切り捨てるような冷たい視線と声音で言い捨てながらも、帝王は霊雷の殺意の根底にある殺意を認めて言う
霊雷が神魔を殺したいのは、霊雷が愛した人の命を奪ったから――。それは、一人の男が命を懸け、全てを捨てて戦うのに、十分すぎる理由だ
これが十世界盟主だったならば、互いに分かり合うことを求めて戦いを止めるように取り計らっただろう
だが、帝王が戦王に言われたのは、霊雷の戦う理由――〝憎悪〟の正体を見極めること
そしてそれが、悠久の時の中でも色あせることのない狂おしいほどの愛情に裏打ちされた愛憎であるのならば、もはやその憎悪を止める術はない
「愛する者を失ったもののために戦う彼奴の戦いには、彼奴の中で世界のために戦うことにも、愛のために戦うことにも劣らぬ価値があるであろう」
世界や平和のためではなく、たった一人のために行われる戦いの価値がそれに劣るということはない。戦いの価値は刃を取り合う者の心の重きにこそある
玉座に座したことで視点が低くなっているというのに、天上から言い下すように感じられる話し方で言う帝王は、神魔と霊雷を瞳のない白目に映して口を開く
「光魔神。それとそこの女は下がれ。この戦いは余が預かった。以降、二人の戦いの決着がつくまで、手を出すことはまかりならん」
玉座に腰かけた体勢で頬杖をついた帝王は、大貴と桜へ一瞥を向けると、威圧するように険を強めた口調で言い放つ
「く……ッ」
その声から感じられる帝王の持つ神位第六位の神格に気圧されながら、大貴は左右非対称色の瞳を抱く目を剣呑に細める
霊雷にはすべての攻撃を通さない神器がある。それがある以上、二人が戦っても霊雷が負けることはない
戦いとはそういうものだと言われてしまえばそこまでだが、この戦いは神魔に勝つ見込みのない者であるのは一目瞭然だ。
この状況で――否、仮にこういう状況でなかったとしても、帝王の言い分に従うことなど、大貴にも桜にも容認できないことではある
(くそ、どうする……!? 今戦っても、霊雷の神器は抜けないし、帝王を相手にするのはそれ以上に分が悪い……!)
だが、帝王は、威嚇じみた真似までして神魔と霊雷を殺し合わせようとしている。しかし、神片であるその力に対抗する手段はない
実際のところ、大貴達には帝王の提案を力ずくで拒絶するだけの力がないのが現実だった
「大貴君下がって」
「――! お前、あいつの条件呑む気か!?」
淡泊なその声に大貴がわずかに目を瞠るのを視界の端で見止めた神魔は、そのままその視線を自身の隣へと向ける
「桜も」
「神魔様、それは……っ」
自分と大貴に下がるように言う――それは、神魔が霊雷の求めに応じることを意味していると分かっている桜は、さすがに普段の淑やかな声をわずかに強めて反対の意思を示そうとする
霊雷の神器「神覇織」の守りは鉄壁――否、〝絶対〟だ。神格の差を鑑みれば簡単に殺されることはないだろうが、今三人でも突破できないその守りを崩すことはできない
だが、帝王に支配されたこの場を打開する手段がないのも事実。ならば、こうするのが現状取り得る最良の手段だった
「大丈夫。確かにあいつの神器は厄介だけど、殺されるつもりはないよ」
今にも泣き出してしまいそうなほど不安でその花顔を曇らせている桜を安心させるように優しく微笑みかけた神魔は、そう言って霊雷に視線を向ける
確かに神器「神覇織」の能力は脅威だが、神魔と霊雷の間には決定的ともいえる力の差がある
それを踏まえれば簡単に自分が殺されるわけではないし、何より殺されてやるつもりもない
「戦ってれば、なにかいい案が思いつくかもしれないし、それに――」
「……!」
戦いながら神覇織の破り方を見出すという望みの薄い期待を抱きながら、同時に神魔は一瞬だけその視線を大貴へと向けて見せると、桜はその意図を正しく理解して唇を引き結ぶ
現状を最も確実に打破する方法があるとすれば、大貴の完全な光魔神への覚醒だ。その力があれば、神覇織も、帝王も突破して生き残ることができる
しかし、今自分達にできることは限られているのも事実。窮地に追いやられれば大貴が完全に覚醒するかもしれないなどという根拠のない可能性に縋るしかなかった
「まぁ、諦めたらそこで終わりだからね。やれるだけやってみるよ」
「強大な力の前に思考を止めれば、死が待っているだけ」――かつて、妖精界で再会した桜の姉が言っていた言葉を思い返しながら、そう言って優しく桜の髪をすいた神魔は、大槍刀を手に霊雷に向き合う
「それに――」
「!」
そう言って優しげに目元を綻ばせていた神魔が、その表情を鋭くするのを見て取った桜は、そこから伝わってくる強い戦意を感じ取って思わず息を呑む
「あいつはさっき、『運命を感じた』とか好き勝手言ってくれたんだ。風花やあの人の死を自分に都合よく解釈されるのは気に入らない」
大槍刀の柄を握りしめながら、自分の無力のために守れなかった風花の最期と、己の手で殺めた死紅魔の最期の瞬間を思い返しながら霊雷を鋭い視線で射抜く
「風花も、あの人も、全部の僕のものだ。運命の切れ端だって、あんな奴のために使わせてやるつもりはない」
風花と死紅魔。二人の生と死、その今際の想いは全て自分の中にある。それを勝手に運命などに置き換えられるなど気に入らない
二人の生き様も死に様も、全て自分だけのもの。他の誰にも渡す気などない――自分だけのものだ。それを運命や偶然の一欠片でさえ霊雷のものにしておくことなどできない
「ひどいお方ですね。今ここにいる女ではなく、昔の人のために戦うなんて」
確固たる決意を宿した瞳で言う神魔の言葉に、ほんのりとその頬を朱に染めた桜は、苦笑しているようあん慈しんでいるような笑みを浮かべて囁く
これまで、神魔の意見を最大限に尊重し、助力する決断を下すのが常だった。だが、今回の決断はそんな桜をしても、容易に二つ返事で承諾するなどできないものであるのは間違いない
神魔が自分と生きて、生き続けるためにその選択をしたのだということは桜にも分かっている。だが、決して勝つことのできない戦い。――そこに、愛する人を一人送り出さなければならない桜は、本当ならばどんな手段を使っても神魔を止めたいと思っていた
「うん、そうだね。ごめん――お願い、桜」
だが、そんな桜の想いを知った上で――知っているからこそ、神魔は優しい声音で謝罪と感謝の言葉を以って自身の揺るぎない意志を伝える
「――……」
そうして視線を交わしたまま、神魔と桜の間にしばしの静寂が下りる
だが、一見言葉少ななやり取りに見えるこの時間も、二人の間では思念通話さえ必要としない心の中のやり取りが行われていた
「かしこまりました」
そして、しばしの視線の交錯の後に、やはりと言うべきか桜が妥協し、神魔の意思を尊重し、従う意志を示す
「ごめんね。ありがとう」
自分がいかに勝手なことを言って桜に心配をかけているのかを分かっている神魔は、謝罪と共に深い愛情のこもった感謝を述べる
「ですが、わたくしも見届けさせていただきます」
神魔のその言葉を聞いた桜は、自身の中に渦巻く様々な負の感情を鎮める様に小さく呼吸を整えると、いつもと同じ淑やかな笑みを浮かべて穏やかな声音で語りかける
貞淑に繕われたその言葉には、神魔に生きて欲しいという願いと共に、自分の想いの全てを託すものでもある
神魔一人に戦わせることはしない。たとえ、共に戦うことができずとも、自分の心は常に隣にあり、そして自分は命尽きるまで神魔に寄り添う伴侶であることを伝えるその言葉は、言外に万一神魔が命を落としたならば、自分が命を変えて霊雷を討ち果たす苛烈な意志をも含んでいる
「もちろんだよ」
少しでも自分が憂いなく戦えるよう、決してそれを口に出さない桜らしい言葉に優しく頬むことで応じた神魔は、その名と同じ色の髪を撫でるように梳く
一通り神魔にされるがままに身を任せていた桜は、その指先と温もりが自分から離れたのを細めた目で確認すると、深々と一礼してその傍らから神速で離脱する
「大貴さん、下がりましょう」
「でも……」
その足で大貴の許へ移動した桜が簡潔にそう告げると、やはりと言うべきか否か、若干渋る様な声が返される
それは桜からすれば、予想していた通りといっても過言ではない反応と答えだった。さすがに素直に従いかねるという様子を見せる大貴に対し、桜は居住まいを正して厳かに語りかける
「お願いいたします」
「――ッ!」
桜のその厳格なまでに貞淑な言葉に、大貴は思わず息を呑む。一見冷酷なほどに言い切ってみせた桜だったが、その瞳はかすかに揺れ、懸命に震えそうになる声を堪えている健気なほどに律儀な本心が隠しきれていなかった
それを見れば、桜がどれほど苦渋の決断を下したのか想像に難くない。これまで、神魔と桜の絆と愛情を愛を間近で見てきたからこそ、その決断を誰よりも苦しんでいることが分かる
だがそれでも、桜がその条件を呑んだのは、現状ではそうする以外に事態を打破する方法がないこと。そして苛烈なまでに神魔の意志を汲もうとする桜自身の在り様があってこそであるのは間違いなかった
(くそ……ッ、俺にもっと力があれば……っ)
今いるメンバーの中で、誰よりも桜が神魔に戦ってほしくないと思っている。それが分かってしまうからこそ、大貴はその先の言葉を続けることができなかった
今、状況を好転させるために、最も確実なのは、自分が光魔神として完全に覚醒することであることは分かっている
だが、自分の力であるはずの太極、そして光魔神としての自分はその願いに答えてはくれない。これまでにない無力感に打ちひしがれながら、固く拳を握りしめる大貴の手にそっと桜の手が添えられる
「参りましょう」
優しい声音と共に向けられたその澄んだ双眸は、どこか縋る様な色を見せており、桜が大貴にその光魔神としての力を求めていることが伝わってくる
それに答えることのできない歯がゆさを抱えたまま、桜と共に瑞希と結界の中にいる詩織の許へ移動した大貴は、戦場に一人残った神魔の後ろ姿をその左右非対称色の瞳に映す
「桜さん……」
その名と同じ色の艶やかな長い髪を翻し、手にした薙刀の柄を強く握りしめて一身に神魔の無事を祈る桜の後ろ姿に、詩織はかける言葉を見つけられずに俯く
この決断を誰よりも悔い、嘆いているのは桜だ。それが分かっており、誰にも何も成す術ができないとも分かってしまうからこそ、誰も桜を咎めたり、非難するようなことを口にすることはできなかった
(神魔様……どうか、ご無事で)
「さて、ようやく話がまとまったようだな」
桜と大貴が下がったのを見て取った帝王は、玉座に腰かけたまま、向かい合う神魔と霊雷を交互に見比べて言う
だが、その瞳のない視線は二人の戦いを遊興として楽しむのではなく、そこにある互いの想いの行く末を見届けようとする帝王としての心構えがあった
「今生の別れは済んだか?」
「生憎、お前に殺されてやる気はないよ」
挑発するように言う霊雷の言葉に応じた神魔は、共鳴が途切れて尚強大な暗黒色の魔力を解放し、手にした大槍刀に纏わせていく
「それでいいですよ。そんなあなたを殺してこそ、私の溜飲が下がるというものです」
神器を持つ自分に絶対に勝てないと分かっていながら、生きることを諦めない神魔の在り方を歓迎するように口端を吊り上げた霊雷は、己の魔力を纏わせた剣を振り上げる
「では、始めてもらうとするか」
その言葉と共に、互いの魔力と、そこに宿す純然たる意志を研ぎ澄ませていた神魔と霊雷が同時に地を蹴り、それぞれの神格に許された神速でその力を振るう
神魔と霊雷の魔力がぶつかり合い、漆黒の力の奔流を生み出すのを見据えながら、帝王は微笑をたたえたまま瞳のないその白い目を険に細める
「――殺した者と殺された者が、殺す者と殺される者に分けられる戦いを」




