修羅の戦場
唸りを上げ、戦意と殺意に満ちた力の渦が猛り狂うと、地獄界の空はそれを恐れるように雲が荒れ、悲鳴にも似た軋みを上げる
「――始まったのね」
その様子を見上げていた花の柄が入った羽織を纏う赤髪の二角鬼の女は、小さく独白すると共に、宙を蹴って天空へと舞い上がっていく――
その先では、今まさに地獄界王に仕える鬼達と、十世界に与する鬼達。同属でありながら、その信念が故に道を相対する者達が激突することで生じた力に込められた意思が、生きているかのようにのたうつ戦場が広がっていた
※
「くそ……ッ、もう始まってやがる」
十世界の来訪を知覚してから、まだ大した時間も経っていないというのに、すでに開戦しているという事態に、クロスが苛立たしげに言い放つ
それはつまり、十世界と地獄界の鬼達が、ろくな話し合いもせず、遭遇するなり戦いを始めたことの証に他ならない
「もう、それだけの関係になってしまっているんですね」
そんなクロスの言葉の意味を正しく理解しているマリアは、鬼力が渦巻く戦場を見渡して、物悲し気な表情で言う
十世界で地獄界を任される鬼「火暗」の戦う理由と、その目的は今日までの滞在でおおよそ理解している
すでに戦端が開かれているということは、理念を実現したい十世界側が、盟主たる姫の望まない実力行使をしてでも、その願いを叶えようとしていることの証拠でもある
「戦場には、刈那様しかいらしていないようですね」
「他の六道は――……そうか、そういうことか」
リリーナの小さな独白に、この場に来ていない残り三人の六道を思い浮かべたクロスだったが、即座にその理由に思い至る
(火暗さんという方は、ここまでして、自分のお子さんのために世界を変えたいのですね――それだけ、奥さんやお子さん達を大切に想って、思われているなんて――)
恐らく、これまで何度も話し合いをして、結果互いの理念が相容れないことが理解ったからこそ、もはや力ずくで成すしかないと結論を出したのであろうことは想像に難くない
もはや火暗には一刻の猶予もない――否、一分一秒でも早く、禁忌の存在を認められる世界を実現しようとていた結果が、この戦いなのだろう
十世界の在り方として、決して褒められたものではないのだろうが、そこに込められた想いは、同様に禁忌の存在だるマリアには、理解できないものではなかった
(こんなことを思ってはいけないのでしょうが、少し、羨ましいです)
(マリアちゃん……)
そんな気持ちが一瞬現れてしまったのか、マリアの横顔に哀愁めいた感情を浮かべるのを見て、リリーナはその美貌を曇らせる
(少しは話し合えよ)
その傍らで、やり場のない憤りに拳を握りしめていたクロスの前に、戦場から飛び上がって来た一本角の青鬼が肉薄する
「クロス!」
それを見据えたマリアは、瞬時に顕現させた杖から極大の光力砲を放ち、青の戦鬼を聖光の波動で撃墜する
「助かった。さっきのやつは任せていいか?」
「……はい」
感謝の言葉を述べ、武器である大剣を手にしたクロスが険しい表情で言うのを聞いたマリアは、その知覚と視線が誰を捉えているのかを理解して答える
天使の光の力は、闇の存在である鬼とその神能である鬼力に対して優位に働きはするが、先の青鬼との神格の差を考えれば、至近距離から直撃したとくらいで倒すことはできない――現に、その青の戦鬼は、体勢を立て直して再び中空に佇んでいた
「クロス!」
「シャリオ!」
その時、戦場の中からクロスを見つけた十世界の天使が、その武器である大剣を手に飛翔して肉薄し、二つの刃がぶつかり合う
互いの武器である大剣をせめぎ合わせ、聖浄な光を炸裂させるクロスとシャリオは、相殺した光力の欠片が溶けて消えていく中で視線を交錯させる
「リリーナ様。リリーナ様は、刈那様の許へ」
親友であり、今は道を違えた二人の天使が刃を交えるのを見ていたリリーナに、青の戦鬼と相対するマリアが声を上げる
「マリアちゃん……」
その真摯な眼差しを受けたリリーナは、一瞬だけ逡巡するが、即座に慈愛に満ちた笑みを浮かべて一つ頷く
「クロス君、マリアちゃん。気を付けて」
天上の歌を紡ぐ美声で声をかけたリリーナは、純白の十枚翼を羽ばたかせて戦場を翔ける
クロスやマリアを凌ぐ神格によって実現する神速で、鬼力の嵐が吹き荒れる中を移動するリリーナの前に十世界の鬼達が立ちはだかるが、その力と刃が向けられることはない
闇にさえ愛された天使の異名を持つリリーナは、闇の存在である鬼だけではなく、十世界に属する者達の刃をも止めるだけの存在感があった
「ありがとう」
自分を前に刃を止め、戦意を下げてくれた鬼達の傍らを感謝の言葉と共に通り抜けたリリーナは、それを惜しんで言葉を残す
「できればそれを、私以外の人にもしてあげてくれることができたなら、きっとあなた達の組織の理念はもっと多くの人に届いたと思いますよ」
光力によって世界の理を超越した言の葉を、一抹の憂いと共に置いたリリーナは、純白の羽を舞い散らせながら、戦場を進んでいくのだった
※
「オイオイ、こいつら、イカレてるなァ!」
「嬉しそうに言うな」
戦意に昂揚する咆哮と地鳴りが入り混じる戦場の轟音の中、嬉々として声を上げる赤髪の悪魔――「紅蓮」に、黒い翼を持つ堕天使「ラグナ」がその武器である両刃の斬馬刀を手にして言い放つ
開かれた先端と共に、九世界と十世界に属する鬼達は、真正面から激突を始めている。それは、恒久的世界平和を理念として掲げる十世界のメンバーとしては、あるまじき光景だった
土埃を上げ、地鳴りが響くこの場所は、対話の場所などとは到底言えない。――ただの合戦の場だった。
(火暗の力があるとはいえ、こんな戦いに勝機があると思っているのか?)
地獄界側は、いの一番に先陣を切って刈那――鬼の原在「六道」の一角が戦場に出てきている
全霊命ならば、神から生まれた神に最も近い原在の力を十分に知っているはず。そこに正面切って戦いを挑むなど、ラグナからすれば信じ難い光景だった
同じ十世界とはいえ、他の世界の動向や行動を把握しているわけではない。シャリオ達数人でチームを組んで動くのは、十世界の中でも各世界の担当ではなく本拠地に属する者達。
各世界で、同じ組織のメンバーがどんな行動を取っているのかは、自身が所属する世界でもなければ、それほど詳しくはない
そういった事情から、十世界の鬼達が地獄界とどのようなやり取りをしていたのかを知らないシャリオ達からすれば、今火暗達が行っている原在六人が揃っている場所に正面切って攻め込むという行為は、信じられない暴挙としか思えなかった
神から生まれた最初にして最強の全霊命――「原在」は、九世界の長い歴史と戦いの中で一部命を落としてしまっており、一人も欠けていないのは妖怪の「始祖」、精霊の「四大」、鬼の「六道」だけ。
異端神さえ擁する十世界だが、その中で九世界の原在は悪魔の「ゼノン」と最近加わったもう一人だけ。――今は四人だが、六人という特に多い原在の数も手伝って、地獄界で正面切って戦いを挑むなど愚策としか思えない
「まあ、始まっちまったもんはしょうがねぇ! 大貴が出てるまでは鬼と戦り合って楽しませてもらうさ!」
あまりに愚策とも思えるような戦闘をしかねる火暗に怪訝な表情を浮かべるラグナの傍らで、声を上げる紅蓮は魔力を纏わせた剣を手に戦場を進んでいく
すると、まるで格好の標的と言わんばかりにその進路に、戦いを切り抜けてきた巌のような大柄な体躯を持つ二本角の青鬼が姿を見せると、紅蓮は漆黒の魔力を纏わせた刃を以って神速で肉薄する
「――悪魔。十世界か!」
自身へと肉薄した紅蓮をその青い双眸で映した黒の二本角を持つ厳格な面差しの青鬼は、手にした鉄棍ではなく、素手で漆黒の斬撃を受け止める
瞬間、魔力を帯びた漆黒の斬撃を受け止めた青鬼の腕から、およそ生身の身体から発せられるとは思えない金属質の重音が響き、悪魔の斬撃を阻む
「――っ!? 硬って」
決して手を抜いてなどいない全霊の斬撃を武器などではなく、自身の身体で受け止めてみせた青鬼に目を瞠った紅蓮は、刃から伝わってくる鈍い衝撃に顔をしかめながらも、それを起点に放たれた青鬼の棍の一撃を紙一重で回避する
掠めた棍が纏う鬼力が肌を裂き、頬から血炎が上がるのを感じながらも、紅蓮はそれを意に介することなく蹴撃を叩き付ける
「オラァ!」
「――ッ!」
その蹴りの威力を利用して後方へと飛びずさった紅蓮は、自身の魔力を収束した暗黒色の砲撃を至近距離で青鬼へと撃ち込む
その神格によって生じる破壊は、世界を滅ぼすに余りある威力を持つ神能の威が存分に震わせた黒の砲撃だったが、紅蓮の一撃は青鬼の肌に小さな焦げ跡を残す程度の爪痕を残すことしかできていなかった
「なるほど。これが、噂に名高い護鬼の力ってわけか。――斬り甲斐があるぜ」
自分の攻撃をことごとく生身だけで防いで見せた二本角の青鬼を見据える紅蓮は、怯むどころかさらに戦意を昂ぶらせて口端を吊り上げる
(――地獄界を支配する〝鬼〟は、九世界の全霊命の中でも特に戦闘に特化した種族。その神能である鬼力は、その身体そのものに強く作用する)
息つく間もなく放たれた紅蓮の連続攻撃を生身だけで受けきった青鬼を知覚の端に捉えながら、ラグナは戦場に渦巻く六色の鬼力に意識を巡らせる
地獄界を支配する闇の全霊命――「鬼」の神能である「鬼力」は、九世界を総べる八種の全霊命の中でも、特に戦闘に特化している
だが、それは魔力や光力といった他の神能と比べて戦闘力が高いということではない。いうなれば、神能が持つ四つの姿――「力」、「存在」、「武器」、「霊衣」の四つが強く結びついているということだ
全霊命の存在そのものにして力でもある神能は、その神格と魂のままに、その形を武器という形に変える
この際、存在そのものが具現化した武器の力は全霊命本体のそれよりも高くなる。――つまり、いかに同じ神格を持った神能から生まれているとはいえ、武器の方が生身の肉体よりも硬度、攻撃力共に優れているのが常だ
だが、この四つの親和性が極めて高い鬼力を持つ鬼だけは、その肉体そのものが武器に等しい硬度と戦闘力を発揮することができる。――そして、武器の持つ攻撃力を顕在化するものを「戦鬼」、武器が持つ硬度を強く顕在化するものを「護鬼」と呼んでいるのだ
(防御に特化した護鬼は、その身体が結界そのもののような硬度を得、そして戦闘に特化した戦鬼は――)
青の護鬼と刃を交える紅蓮を知覚の端に捉えながら、ラグナは戦塵の中を突破して肉薄してきた緑の一角鬼――戦鬼の男の刃を自身の武器である斬馬刀で受け止める
「――!」
瞬間、刃を介して接触した緑の鬼力と堕天使の力たる黒の光が火花を散らし、天を削るような力の衝撃を巻き起こす
(俺の力が喰われる――!?)
緑鬼の斬撃を受け止めたラグナは、自身の黒光とせめぎ合う戦鬼の鬼力を刃を介して感じ取って剣呑な光をその目に宿す
その名が表すように、護鬼が防御力に長けているのなら、戦鬼は攻撃力に長けている。――では、その「攻撃」とは何かといえば、それは単純な攻撃力、破壊力ではない。
そもそも、神格によって事象や現象といった概念そのものを支配する全霊命にとって「攻撃力」などという概念は無意味な代物といっても過言ではない。
故に、戦鬼の鬼力が特化しているのは、神能の相殺力。――相対するものの神能に込められた純然たる意思を塗り潰す力だ
通常の神能の戦いは、それぞれの神格が持つ「滅殺」の意思をぶつけ合うもの。その上でより神格が高い方が、そしてそこに込められた純然たる意思が勝った方が勝つことになる
だが、戦鬼の鬼力は違う。そこに込められた意思を、神能そのものをまるで喰らうように取り込み相殺消滅させる
その結果、その鬼力は相手の身体、武器、霊衣を構成する神能を対消滅させる、神能そのものへの攻撃となるのだ
「――ッ!」
自身の堕天使の神能を軋ませてくる研ぎ澄まされた緑鬼の鬼力に歯噛みしたラグナは、それを全霊の斬閃で正面から打ち弾いてみせる
「――!?」
「……見縊られては困るからな」
斬撃を弾きあげられた緑の戦鬼が小さく目を瞠るのを見据え、身の丈にも及ぶ斬馬刀の切っ先を向けたラグナは、物静かな表情の中に強い矜持を滲ませながら軽く口元を吊り上げて笑う
いかに戦鬼の鬼力が少々特殊でも、それが神能であり、神格にその力を依存することは変わらない。
ならば、その神格が拮抗していれば抵抗することは難しいことではない。いかに特異な力であろうと、その力は神格の許す限り退けることができる
「――?」
「お前には関係のない話だ」
自分の言っていることが理解できないであろう緑の戦鬼に低く抑制した声を向けたラグナは、手にした斬馬刀に漆黒の光を纏わせて軽く口端を吊り上げる
純黒の翼を広げたラグナは、その光魔力に込められた純然たる戦意に答えるように身構えた一本角の緑鬼へと向かってその神格の許す限りの神速で肉薄し、全霊の力を込めた刃を薙ぎ振るった――。
※
十世界と地獄界の鬼の軍勢が激突する戦場。その中に於いて、一際巨大な力の渦を巻き起こしているのは、戦場の最も先端で行われている戦いだった
天を衝く黄色の力が渦を巻き、世界を削り剥ぐような研ぎ澄まされた神格の意思が吹き荒れる中、後方へと吹き飛ばされた三人の鬼は、極獄の力の中心へと視線を向けてその視線を研ぎ澄ませる
「三人がかりでやっとか」
そう言って苦々しげに吐き捨てるように言うのは、武者甲冑を思わせる鎧をレザー風のコートの上に纏う霊衣を纏った一本角の黒鬼。
逆立った黒髪を戦場を薙ぐ力の嵐に揺らし、その手には武器である黒刃の太刀を携えるその鬼の名は「八雲」。――十世界に所属し、地獄界総督を任される火暗に次ぐ実力者でもある戦鬼だ
「まあ、相手があのお方だからな」
強大な神格を持つ一撃を受け、刀身から黄色がかった白煙を立ち昇らせる太刀を握る手が残る衝撃に軋んでいるのを一瞥して八雲に応じたのは、腰まで届く長い緑の髪を持つ二本角の鬼だった
足元まで届く長い羽織を翻らせる緑の護鬼――「宇羅」は、自身の身の丈ほどの柄に、太刀の刃を持つ長巻のような武器を構えて、その先にいる人物を見据える
「――怪我はないか」
「はい」
その背後では、翼を思わせる純白の刃を持つ巨大な戦斧を携えた黄の護鬼たる桐架が、袖や裾の一部消失した着物型の霊衣を翻らせながら応じる
「ふふ。困ってしまったわ。さすがの私も、あなた達三人を相手にしては気が抜けないわね」
その視線の先では、身の丈に倍するほどの刀身を持つ巨大で武骨な両刃大剣を手にしたあどけない少女のような顔立ちをした小柄な一本角の女鬼が、強大な鬼力を纏って小さく笑う
身の丈は百五十センチほど。子供という訳ではないが大人の女性と呼ぶには一歩たりないような容貌を持つその黄鬼はその外見とは裏腹に九世界創世から生きる最古の全霊命の一人。
闇の神から生まれた最初にして最強の全霊命――原在にして、「六道」と呼ばれる鬼の始祖たる六人の鬼の一人、「刈那」その人だった
「どの口で……」
あどけない容姿から紡がれる落ち着いた声音と言葉遣いから、余裕にも似た感情を感じ取った八雲は苦々し気に呟いて黒刀身の太刀を構える
「――さ、行くわよ」
それを見据えた刈那が酷薄な笑みを浮かべ、巨大な鉄塊のような大剣の切っ先で軽く地面をかいた刹那、その存在が消失する
「――!」
それが刈那の神速――その鬼力が持つ神格のままに、世界のあらゆる事象を置き去りにした移動であることを知っている三人の鬼達は、知覚を全開にしてその動きを追う
その中で真っ先に動いたのは、二本角の緑鬼「宇羅」。その種族と同じ色の長髪を翻させ、自身の鬼力を纏わせた長巻を振るった宇羅の刃が、三人の真横へと移動していた刈那へと叩き付けられる
「オオオッ!」
全霊の鬼力を注がれた宇羅の斬閃は、咆哮と共に横薙ぎに天を裂いて刈那へと肉薄する
だが、その刃を振るった宇羅が見たのは、口端を吊り上げた微笑を崩すことのない黄の六道たる戦鬼のあどけない面差しだった
次の瞬間、刈那は自身へと迫っていた宇羅の長巻の刃を素手で掴み取り、その刃に纏わされていた鬼力を自身の鬼力で打ち消すと同時に、大きく振るった大剣を力任せに叩き付ける
砕け散った宇羅の鬼力が消失する中放たれた最速の神速の斬撃が、同時に放たれた桐架の戦斧と八雲の黒刃太刀と激突し、その力を炸裂させる
「ぐ……く……ッ!」
解き放たれた刈那の鬼力は、そこに込められた純然たる意思によって天を揺るがすほどの意を示し、戦鬼の能力を以って、その場にいる三人を丸ごと食い尽くさんと猛威を振るう
自分達を滅ぼす意思を込めた刈那の鬼力の衝撃に身体を焼かれながら、八雲、宇羅、桐架の三人は鬼の頂点の一角たる鬼に一矢報いるべく、その力を砲撃として撃ち込む
全霊命だからこそ持ちえる完全にして純然たる意思を込められた鬼力が、望むままに世界を改変し、敵と定めた相手を滅ぼすべくその威を振るう
しかし、四人の力がぶつかり合うその中にあっても、一際高い神格を持つ刈那の力がその威を存分に振るい、神能を喰らう暴虐の権能を以って十世界の幹部たる鬼達を圧倒する
「――ッ!」
もはや見慣れた光景を目の当たりにする三人の視界に、炸裂する力を切り裂いた大剣の切っ先が姿を現す
神速で奔った大剣の一撃を視認した桐架は、咄嗟に翼のようになっている大戦斧の刃の腹でその一撃を受け止め、その衝撃によって吹き飛ばされる
「く……っ」
自身の大戦斧から伝わってきた刃が砕けそうな衝撃に歯を食いしばり、整った美貌に苦悶の表情を浮かべた桐架の視線の先では、先の大剣の持ち主である刈那が身の丈に倍する大剣を小枝のように軽々と弄びながら、「残念」と全くそう見えない表情で呟いていた
「余裕だな」
「まあ、城にはまだ三人も六道がいるんだ。いざとなったら、あいつらを呼び出すだけなんだから、余裕なのも当たり前だろ」
刈那のその様子に不満を露にする八雲に対し、宇羅が背後に天を衝いてそびえ建つ鬼羅鋼城を見て言う
「それだけじゃないわよ。あなた達三人に単純な力押しをすれば手痛いしっぺ返しを食らいかねないから慎重に戦っているの」
「随分と高く買ってくれたものだ」
その会話が聞こえていたのか、刈那がその巨大な大剣を肩に担ぎながら言うと、宇羅は自嘲めいた笑みを浮かべて自身の武器である長巻を構える
しかし、刈那と相対している十世界の三人の鬼は、それが全て偽りだとは言わないが、それだけではないことも分かっていた
「皇様は鬼羅鋼城の結界の維持でよほどでなければ動かないでしょう。戦様と静様、おそらく城内の彼を警戒して様子見に徹するつもりです」
凛とした居住まいを崩すことなく、大剣を担ぐ最強の黄鬼を見据える黄鬼が声を落として神妙な声音で言う
「――だろうな」
今は四人しかいないとはいえ、単純に戦力で上回っている地獄界の方がこの戦いでは有利。だが、それで一気に殲滅に移ってこないのは、城内に侵入している霊雷を警戒しているからというのは納得するところだ
何しろ、青の六道たる皇が展開した護りの結界を軽々と通り抜けて侵入した悪魔だ。この城を預かる立場として到底無視できる相手でないのは明白だろう
「城内には光魔神達か……こっちに来ているのは、天使達ばかりね。それに――」
そして、桐架と宇羅が意見を寄せ合っている間、その様子を見据えている刈那は、その意識の端で知覚を巡らせ、戦場の隅々まで戦況を確認する
(緋毬――)
※
その知覚の先――鬼羅鋼城の門前で行われている戦いの渦の中心は、六道である刈那ではなく、この戦いを先導する張本人――十世界地獄界総督たる「火暗」であることは疑いようがない
そしてその当人である火暗は、地獄界王に仕える腹心の鬼の一人にして、実子でもある「御門」と刃を交えていた
「オオオッ!」
咆哮と共に放たれた御門の斬撃を手にした大剣で軽々と弾き飛ばして阻んで見せた火暗は、自身を睨み付けるその双眸に不適な笑みを返す
「まだ――いえ、いつまでこんなことを続ける気ですか!? こんなこと誰も望んでいません! 私も、母も――示門も!」
身の丈にも及ぶ巨大な片刃大剣を自身の鬼力と共に振るう御門がやり場のない感情の込められた声を上げると、火暗はわずかにその目を細めてその武器である大剣を逆袈裟に斬り上げる
それに合わせて放たれた鬼力の波動が、そこに込められた純然たる意思と共にその威を振るい、御門を呑み込んで天を衝く
「そうか。だが俺は、それを諦め切れない。――他ならぬ俺自身のために、だ」
吹き上がる真紅の力の奔流がその内側から斬り裂かれ、斬波動の波が力の粒子へと還っていくのを見据える火暗の目に、その身をわずかに焦がした御門の視線が返される
「私を殺すつもりもない、その力でですか?」
火暗の力の奔流の直撃を受けた御門は、その身体から焦煙を立ち昇らせながら泰然として佇むその姿を睨み付ける
そこまで隔絶した差があるわけではないが、火暗の方が自分よりも神格が高く、強いことを知っている御門は、自分と同程度の戦闘力しか発揮しない父の姿に声を荒げる
「――なぜ、俺がそんなことをしなければならない?」
しかし、そんな御門の声を受けた火暗は、そう言って殺意のない鬼力を見せつけるように放出する
いかに信念が故に相対していても、道を異にしていても、自分の実の子供である御門に殺意を向けるなどありえないと語る火暗の目には、父親としての確かな意志が宿っていた
「そうだ。たとえお前や緋毬と敵対しても、示門も、灯も、綺沙羅も望まないとしても――俺は、世界を変えることを諦めないと誓った
自らの存在が罪だと理解し、それを受け入れて終わりにするなど認めない――許さない。俺はこの世界の正しさを正すと決めたのだ……!」
手にした大剣の柄を強く握りしめながら、強靭な意志を宿した言葉を発した火暗は御門を強い視線で射抜く
示門も灯も、最も忌まわしきものと呼ばれる自分の子供達は、その生まれと運命を受け入れているのだろう。
だがそれは、世界がそうなっているから、それを受け入れたに過ぎない。そうあるべきだと思っていても、それがいいとは思っていない
そしてなにより、それは火暗自身の想いでもあった。自己満足でもいい。欺瞞でもいい。偽善でもいい。
――ただ、禁忌として生まれたその命を甘んじるのではなく、その命となった自分と綺沙羅の愛を禁断と言われたくはなかった。自分が綺沙羅を愛したように世界に愛され、認めさせたい
「そこで、示門や灯のためだと言わないのが、あなたの卑怯なところです」
その声から、表情から、在り様から伝わってくる火暗の綺沙羅とその子供達への深い愛情を感じながら、御門はもの悲しげに言う
それを口にしなくても、火暗が十世界に入り、こんなことをしている理由など分かりきっている。だというのに、それを頑なに通そうとする不器用な思いに御門も何も思わないわけではなかった
「苦労をかけるな。――だが、一つだけ分かっていてくれ。俺は、決して示門や灯を特別に思っているわけではない」
そんな御門のわずかな葛藤を感じ取ったかのように、自嘲めいた沈痛な面差しで目を細めた火暗は、決して綺沙羅や示門、灯を特別視しているのではないことを訴える
御門も、その母であり伴侶でもある緋毬も、火暗にとっては大切な家族。どちらが上で、どちらが下ということではない
「俺が望むのは――」
だが、綺沙羅はもうこの世にはいない。示門には御門や緋毬がいるが、灯は今も天上界で独り、自身の存在に向かい合っている
そんな愛娘のために、今は亡き愛した人のために、なにができるのか、何をするべきか――そう考えた火暗が出した結論が、現在の生き方だった
(もう一度――今度こそ、家族全員で誰に恥じることもなく暮らすことだけだ)
途中まで紡ぎかけた言葉を喉までで止めた火暗は、それを口にすることはせずに刃を向け合っている御門に視線を向ける
火暗が望んでいるのは、あまりにもありふれた、どこにでもある願い。自分と、妻と子供達で暮らすという、あまりに些細で尊い願いだった
天上界王になった灯に、鬼である自分達が会うことはできない。そのために、そして家族で暮らすためにこそ十世界の理念が必要だった
だがそれは、あくまで自分の願い。世界に向き合い、正しく在ろうとする家族達に、今はまだ許されざるものである自らの罪の責任を押し付けるようなことは火暗にはできなかった
「――あなたの気持ちが分かるとは言いません。ですが、察することくらいはできます。そして、その上で言わせていただきます」
その願いが込められた言葉を呑み込んだ火暗へ同情と憐憫の入り混じったような視線を向けた御門は、声にならない想いを読み取って言い放つ
「あなたの願いを叶えさせるわけにはいきません。地獄界王様に仕える者として。そして何より――あなたの息子として!」
情に流されることなく、それを受け入れた上で毅然とした表情を声音で言い放った御門の言葉に、火暗は小さく肩を竦めて目を細める
「――いい子に育ったでしょう?」
その時、不意に耳に届いた澄んだ女声に、火暗はその赤い瞳を向ける
火暗が向けた視線の先には、戦火渦巻く空の上に佇む鮮やかな赤髪と赤瞳を持った二本角の女鬼が柔らかな微笑を浮かべていた
腰よりも長い鮮やかな赤髪を背中で束ね、左右の額から伸びる二本の角を持った女鬼。真紅の双眸を抱く切れ長の瞳を持った全霊命特有の幻想的な美貌は、その強い眼差しもあって気の強そうな印象を与える
花の柄が入った羽織を外套のようになびかせるその下には、巫女服を彷彿とさせる緋色と白を基調としたスリットの深いドレス型の霊衣を纏った赤の護鬼は、その凛々しく可憐な姿に不釣り合いな狼牙棒を携えていた
「緋毬」
「母上」
自分の名を呼びながらも、先の問いかけには答えない火暗に一瞬だけその眦を不快気に歪めるが、それ以上は何も告げず軽く空を蹴る
瞬間、助走も加速もなしで、一瞬で最高速へと到達した緋毬は、その神格に比例した神速で火暗へと肉薄し、渾身の鬼力を込めた狼牙棒を最上段から袈裟懸けに叩き付ける
「はああっ!」
「――ッ」
赤の護鬼が振るった巨大な鉄塊の一撃と、赤の戦鬼が頭上に掲げた大剣の刃がぶつかり合うと、二つの鬼力が炸裂して、そこに込められていた神格が渦を巻いて戦場を揺るがす
凛々しい面差しで狼牙棒を叩き付けた緋毬とは対照的に、それを涼しい表情で受け止めた火暗は、互いの武器が金属の拮抗音を奏でる中で視線を交錯させる
「今日こそ、あなたを力ずくでも改心させるわ」
「相変わらずだな」
静かでありながらも、強い意志を内包した緋毬の言葉を受けた火暗は、可憐で凛とした美貌を持つ伴侶の苛烈な言葉に、愛おしげに目を細めながら応じる
瞬間、その隙を見計らって狼牙棒を防いだためにがら空きになった胴体へ、時間と空間を置き去りにして肉薄した御門が、横薙ぎの斬撃を叩き付ける
しかし、その刃が届く前に、火暗の持つ大剣の刃が伸び、龍のようにしなって緋毬を弾き飛ばすと共に、鞭のように軌道を変えて御門へと襲い掛かる
鬼力が相殺される火花と共に唸りを上げる剣鞭へと変化した火暗の大剣が緋毬と共に御門を吹き飛ばし、その連携を阻む
「く……ッ!」
「俺に、二人でかかってくる意味は分かっているはずだ」
斬撃を阻んだ刃から伝わってくる衝撃に苦悶の表情を浮かべる御門と緋毬に、火暗の淡泊な声がかけられる
「お前達が二人揃って、勝てると思うのか?」
剣鞭の刃が奔る中、感情を見せない表情で告げた火暗に視線を向けられた御門と緋毬は、それに臆することなくその力を充足させる
圧倒的な強さを見せつける火暗を前にした御門と緋毬は、怯むことも、臆することも、退くこともせずに相対する
「二人じゃない。三人だ!」
その時、その言葉と共に戦場の中から身の丈にも及ぶ片刃の戦斧を手にした赤の戦鬼が歩み出てくる
「示門……!」
(火暗と同じ鬼力だから、気付くのが遅れたか……!)
その姿を見止めた御門が小さく目を瞠る前で、戦斧を携えた示門は、純然たる戦意に満ちた鬼力と共に火暗へと射抜くような視線を向ける
伴侶と二人の息子。――自分が守りたいと願うものに刃を向けられた火暗は、自嘲とも哀愁とも取れる笑みを零して、その武器である大剣を構える
「いいだろう。ならば、試してみるといい――お前達三人が、俺一人と釣り合うかどうか」
「刈那様!」
歌姫として慕う相手を傷つけることを躊躇った十世界の鬼達の間をすり抜け、戦場を翔け抜けたリリーナは、戦乱の中に目的の人物を見止めて、声をかける
「リリーナ様」
十枚の純白翼を羽ばたかせて舞い降りてきたリリーナに、刈那は相対する十世界の鬼から視線を外さずに声だけで応じる
「ここは私が代わります。ですから、刈那様は彼らのところへ」
「それは無理ね」
鮮やかな朱色の髪をなびかせたリリーナは、純白の杖を手にして進言するが、その提案を聞いた刈那は淡泊な一言でそれを拒絶する
「なぜですか?」
自分の言う「彼ら」が、十世界地獄界総督である「火暗」と、火暗と戦っている御門、示門達の事であることを分かった上で拒否する刈那に、リリーナはやや焦燥した様子でその意図を尋ねる
「家族の因縁っていうのも一つの理由だけど、それ以上にあいつはもの凄く厄介な奴なのよ。私や、他の六道が助成できないのもその所為」
「?」
やや不機嫌さの滲んだ表情と声で面倒くさそうに言う刈那の言葉に、リリーナは怪訝な表情を浮かべて眉を顰める
今火暗と戦っているのは、その伴侶「緋毬」と、実の息子である「御門」、「示門」の兄弟。それを是とするか否とするかは個人の価値観と判断によるところだろうが、そこには親子の因縁と信念があり、当事者同士で決着を着けさせるという判断もないわけではない
とはいえ、相手は十世界の幹部の一人。そんな感傷を抜きにして倒すというのも当然の判断だ。事実、緑の六道である静ならば、鬼羅鋼城から動かずに、火暗を狙い討つことも難しいことではない。
だが、刈那をはじめ、戦、静、皇――そして、今日はいないが、地獄界王「黒曜」を以ってしても、この戦いが長びいているにはそれなりの理由がある
「あいつ――火暗は神器使いなの」
「!」
刈那の口から告げられたその事実に、小さく目を瞠ったリリーナの視線の先で、黄の六道たる一本角の戦鬼は、忌々しげな表情で話を続ける
「神器・神差衡」
その口から、火暗が持つ神器の名を紡いだ刈那は、その意識と知覚を傾けて、神妙な声音で告げる
「――相対する敵と、自分の強さを等しくする神器よ」