鬼羅鋼城開戦
地獄界に広がる海原の上に浮かぶ城を思わせる巨大な戦艦。――この世界における十世界の拠点であるその艦の甲板の上には、すでに多くの鬼達が並んでいた
赤、青、黄、緑、紫、黒、そして戦鬼と護鬼。十二属すべての鬼が集った壮観な光景の中、一際高い艦橋の上から一人の鬼が姿を見せる
真紅の髪に一本の角――赤の戦鬼であるその人物の名は「火暗」。十世界地獄界総督を務める鬼だった
「皆の者。我々はこれより鬼羅鋼城へと向かう! そこで我ら十世界の理念を実現するのだ」
その言葉を無言のまま険しい眼差しで見つめる鬼達の中、それとは違う存在が四人だけ混じっていた
「なんでお前がこんなところにいるんだ? 新入り」
乱雑に並んだだけの鬼達を外側から見据えていた十世界に所属する天使「シャリオ」が声を殺しながら語りかけたのは、甲板の壁にもたれかかっている黒髪の悪魔だった
「もちろん、わずかでも姫の力になるべく馳せ参じたのですよ先輩方」
そんなシャリオの言葉に視線も向けずに答えた黒髪の悪魔――「霊雷」は、わざとらしい口調で言う
霊雷は十世界に入ってまだ間もない。組織に身を置いている期間の長さが何かに影響を与えるということはないが、二人の間には互いを警戒し、牽制し合う不穏な空気が流れていた
「そうか。お前の事情や為人は知らないが、その姫ご本人から伝言を言付かっている――〝あなたの事を信じています〟だとさ」
独断で地獄界に来ていることを知っているという意味を込めた鋭利な光を宿す視線を向けたシャリオが言うと、霊雷は観念したように肩を竦める
「私が来ていることを承知の上での質問ですか。随分と意地の悪いことをなさる」
「嘘を吐け。俺達が知っていることくらい、お前も気付いていたはずだ」
しかし、そんな霊雷の言葉によって、シャリオの中ではこの悪魔に対する警戒がさらに高められていた
霊雷は許可を得ることもせず、単独で地獄界を訪れている。恒久的世界平和を理念として掲げる十世界の在り様として、それそのものは強く否定されることではないが、報告をしていないことは褒められたことではない
世界を越えてしまえば思念通話は届かないが、シャリオ達が拠点に戻っている可能性や、奏姫たる愛梨が神器を使ってその情報を伝えている可能性を想定しないはずはない
十世界には膨大な数と種族の存在が所属している。そうなれば、組織内のすべての者と面識や関係がないのも当然のこと。
特に霊雷は、組織に入ってから先日死んだ死紅魔がその身柄を預かり、ずっと本拠地の奥にいたため、シャリオ達はおろか組織の大半がなにも知らない人物だった
「まあ、了解しました。大きな声で言うのも憚られることですが、こう見えて神器使いですからきっとお役に立てると思いますよ」
視線で牽制してくるシャリオに対し、霊雷はさりげなく自身の戦力の優位性を匂わせながら好意的な笑みを向ける
正当な神のそれには及ばないとはいえ、神器の力はあまりに絶大。持つ者と持たざる者の間には極めて大きな差が生じるという事実を示す霊雷からは、不敵な余裕と有無を言わさぬ意志が感じられた
「大貴――光魔神には手を出すなよ。あれは俺の獲物だ」
しかし、そんな霊雷の言葉に、大貴に対して強い執着を持っている紅蓮は、鋭い視線を向けて言い放つ
「かしこまりました」
紅蓮の視線に軽く目を伏せて応じた霊雷は、これで話は終わりとばかりに視線を逸らすと、その双眸に鋭利な光を宿す
「――私の獲物はそいつじゃありませんから」
シャリオ達に聞こえないように独白した霊雷は、これから向かう先にいるであろう標的を幻視し、待ちわびたこの時に戦意を高鳴らせる
「よし。出陣だ!」
そんなやり取りをしているシャリオと霊雷達を横目に、鬼達に言葉を送った火暗は強い語気で言い放った
※
地獄界の王城「鬼羅鋼」。地獄界王「黒曜」と紫の六道「桔梗」が九世界王会議に出席するため留守にしている地獄界の中枢たる居城の中心である本丸御殿から、クロスは眼下に広がっている光景を見据えていた
白い壁と黒い瓦で作られた巨城の中央に設けられた緋色の手すりに覆われた剥き出しの舞台にそよぐ風がクロスの金色の髪を揺らめかせている
「何してるの?」
手すりに腕を乗せ、もたれかかるようにして外の風景を眺めていたクロスに、上空から舞い降りてきたマリアが優しく声をかける
純白の四枚翼を羽ばたかせ、舞台の上にゆっくりと降り立ったマリアは、自分に一瞥を向けただけで視線をまた元の景色へ戻してしまったクロスの隣へゆっくりと歩み寄る
「会議がどうなるのかと思ってな」
まるでそれが分かっていたかのように、マリアが横に来たのを見止めたクロスは、天頂に太陽を抱く青空へと視線を上げて独白する
その会議は言うまでもなく、地獄界王が向かった九世界王会議のこと。会議の結果が自分達――この世界全ての運命に関わるのだから、その不安と憂いは当然のものだろう
「大丈夫。光魔神の価値は九世界の王の方々全てが分かっているはずだし、天界王様もみえます。それに何より人間界王様は大貴さんの事を守りたいと思っているはずだから――きっと、私達に味方してくれる人がたくさんいるよ」
しかし、そんなクロスの言葉を聞いたマリアは、今にも身体が触れそうな距離で立ち止まり、微笑みながら語りかけてくる
クロスの顔を覗き込むようにしながら言うマリアの声音には一切の不安や迷いはなく、心からそれを信じていることが伝わってくる
「そうか。っていうか、そろそろ口調はどっちかに統一した方がいいんじゃないか?」
「この口調は昔クロスが言って、無理矢理変えさせたんでしょ? 直そうにも統一しようにも、すっかり癖になっちゃって直せないの」
ある意味で楽観的ともいえるその言葉を聞いたクロスは、苦笑を浮かべて敬語を使わないマリアを見つめる
マリアは天使と人間の――全霊命と半霊命の混濁者。本来なら、その生を許されない禁忌の存在だ
そういった生まれと、その永い人生の大半を天界王城で半軟禁状態で過ごしてきたマリアは、基本的に人に対して一線を引き、丁寧な口調で話す。それは、姉のように慕っているリリーナが相手であっても変わらない
だが、クロスに対してだけは、本当に周囲に人がいない二人だけの時に限り、敬語ではない口調で話している。もっともそれは、昔クロスがマリアと親しくなるために頼んだことだったのだが
「そうだったっけか?」
「そうだよ。だから、もう直せないの――それに、その……この話し方は二人の時だけの特別なものなんだから」
それを忘れてはいないのだろう。その言葉にバツが悪かったのか、とぼけたように言って視線をあさっての方向へ向けて言うクロスに、マリアは頬を赤らめながら口ごもる
マリアにとって、この口調はクロスとの時だけに使う特別なもの。だからこそ、変えるつもりはないし、変えたいとも思わない。――もっとも、そこに込められたマリアの健気で一途な想いにクロスが気付いているのかは分からないが。
「いや?」
「……別に。なんか、ちょっと特別扱いされてるみたいで悪い気はしないしな」
その本心を窺うようにマリアに尋ねられたクロスは、不安そうなその表情に思わずときめいてしまった自身を誤魔化すように、あえて淡泊な物言いで答える
「……どうした?」
だが、その言葉に対して返されるであろうマリアの言葉を待っていたクロスは、それなりの時間が経っても一向に聞き慣れた声が聞こえてこないことに疑問を覚えて首を向ける
「なんでもない」
そんなクロスの視線を受けたマリアは、わずかに唇を尖らせて不満を露にすると、今度は自分が視線を反対側へ向ける
「別に、こういう口調で話してほしかったら、クロスが私に会いに来てくれればいいのに」
隣にいるクロスに聞こえないように、小さく口ごもりながら呟いたマリアは、伝わることのないその想いを呑み込む
「なぁ、マリア」
クロスから顔を背けながらも、その隣から動かずに長い金髪を風に遊ばせていたマリアは、不意に聞こえてきた神妙な声音に視線を返す
軽く空を仰ぎ、真摯な表情を浮かべているクロスの横顔を見たマリアが姿勢を正すと、それを待っていたかのようにその口が開かれる
「なんか変な気分だよな。最初はいくら光魔神がいるからっていっても、十世界を相手に立ちまわるなんて絶対に無理だと思ってたのに、蓋を開ければこんなところまで来ちまった」
地球でそれなりの関係を築いたことや天界王の命令だったこともあり、光魔神――大貴の同行者として共に戦ってきたクロスだが、本心ではここまでうまくいくとは思っていなかった
最強の異端神である光魔神を九世界に取り込み、十世界と敵対させる思惑の意味と重要性は理解できるが、まさかここまで最初のメンバーが誰一人欠けることなく来られるとは思っていなかったというのがクロスの本音だった
「私達は、十世界を敵と思って倒そうとしているけど、十世界の方は――少なくとも、トップがそうは思ってないから」
クロスのその言葉に、少なからぬ共感を得ているマリアが口にしたその推測は、おそらく間違っていないだろう
九世界は相容れることも共存することもできないその理念と信念の違いから十世界を敵視しているが、十世界の方はそう思っていない。盟主たる奏姫愛梨は特にそれが顕著だ
もし、愛梨に実力行使も辞さないという意志が欠片でもあったなら、神敵たる反逆神と覇国神・ウォーの力を借りて九世界を征服し、自らの理想の世界を作り出していただろう――それが成功しているかどうかは別としてだが。
「――……」
(もし、そうなっていたら私は――)
自身で答えた言葉に思うところがあり、マリアはその目を細めて、隣にいるクロスを見つめる
十世界の理念を肯定するつもりはない。しかし、もし十世界がその力を以って世界を征し、その理念を体現した世界を作っていたとしたら――天使と人の間に生を受けた自分はどうなっていたのだろうかとマリアは考えずにはいられなかった
(――うぅん。結局は同じ。私の生き方は、世界じゃなくて私が決めなきゃいけないんだから)
しかし、その考えを即座に否定したマリアは、今日まで過ごしてきた日々から得たことを、これから生きていくために再確認する
「なぁ、もし九世界を巡り終わったらどうなるんだろうな?」
空を見ていた視線を向けたクロスと、その横顔を見上げていたマリアの双眸が絡み合う
「…………」
神妙な声音で問いかけられたマリアは、すでに半分を過ぎている世界を巡る旅の終わりへと意識を巡らせる
「大貴が完全に光魔神に覚醒するまで待つのか? それとも、何か別のことをさせられるのか? 俺達はその後どうなるんだろうな」
それに対する答えを見つけられず、沈黙を返すしかないマリアを見ながら、クロスは淡々と自分達に訪れるであろう未来の想像を並べていく
確かに、九世界を巡ることは手段であって結果ではない。九世界を巡ることで、何かが変わっていくことも始まっていくこともあるだろうが、十世界が滅びるわけではなく、なにかが解決するわけでもない
現状、大貴は着実に光魔神としての力を高めていっているが、その力は完全なそれには程遠い。今後の旅の中で覚醒する可能性も皆無ではないだろうが、もししなかった場合には何らかの手段を講じることになるだろう
そして、仮に無事に九世界を巡り終えれば、そこで天界王から命じられた今回の任務は終了する。その後どうなるのかは分からない
まだ任務は残っておらず、これからも同じように行くなどと考えて気を抜くわけにはいかないが、この先にある未来も考える時期に差し掛かってきていることもまた事実だった
「もしかして、寂しいの?」
物憂げに言うクロスの言葉を聞いていたマリアは、ふと思い至って微笑みながら答える
いかに光魔神を除けば、他のメンバーは悪魔とゆりかごの人間。普通の天使ならば敵視し、嫌悪するのが当然の者達ではあるが、これだけ行動を共にしていれば情も映ってくるというもの
長くずっとクロスを見てきたマリアから見れば、今神魔をはじめとする悪魔達や詩織、大貴に少なからず心を移していることは一目瞭然だった
「馬鹿言え。大貴はともかく、悪魔どもとおさらばできるならせいせいするってもんだろ」
「ふぅん」
その言葉に心底嫌そうな顔を浮かべて素っ気ない口調で答えるクロスの横顔を見るマリアは、苦笑混じりに微笑みを向ける
「――で、光魔神が完全に覚醒したらどうなる? まさか、十世界と全面戦争ってわけじゃないよな」
そのマリアの意味ありげな視線を見て眉をひそめたクロスは、話を元に戻すべく神妙な面持ちで問いかける
そして、クロスが最も危惧しているのは、大貴が光魔神として完全に覚醒した場合のことだ。
この世界を創造した創世の神々――光と闇の神たちがいなくなった世界において、円卓の神座、その頂点に位置する神こそが最強の存在
今、十世界にはその一角である「反逆神・アークエネミー」がいるためどう足掻いても単純な戦力では上回る余地もない。だが反逆神と互角の力を持つ光魔神が覚醒すれば、その差はなくなると言ってもいいだろう
完全に覚醒した光魔神は世界をいかようにでも動かす材料となり、切り札となる。十分な根回しができれば、十世界の理念を拒絶し、賛同しない者達や異端神達をも動かして殲滅戦を行うことも可能になるだろう
「分からない。大貴さんがそれに便乗するとは考えにくいけど……十世界は多くのものを惹きつける反面、それ以上に嫌われているから
光魔神を旗印として掲げれば、多くの戦力が動く可能性はゼロじゃないと思う。最悪そのままなし崩しに大戦に発展させられてしまえば、大貴さんも否応なく選択せざるを得なくなるだろうし」
クロスのその危惧に、マリアも世界の動向を正しく掴みあぐねて柳眉を顰める
十世界の理念は確かに美しいが、世界の大半の者はそれを良しとしていない。少なくとも、九世界を総べる九つの世界はそれを拒絶している
奏姫が掲げた理念は、多くの者を種族問わずに取り込んだ半面、それ以上にそれを良く思わない者達の敵意を集めている。そんな中で最強の異端神たる光魔神の覚醒は、彼我の戦力差を鑑みて沈黙を守っていた者達を動かすことにも等しいのだ
全ては大貴の選択一つ、そして世界の思惑一つ。――今、世界は間違いなく世界全体の命運を定める、歴史的で大きな岐路に差し掛かりつつあるのは間違いない
「……だよな」
マリアのその言葉に、クロスも肯定の言葉を呟き、展望の見えない世界の行く末に思案を巡らせる
「ふふ」
その横顔を見ていたマリアは、口では色々と言いながらも仲間たちや世界の事を考えているクロスの優しさに思わず破顔する
「どうした?」
「なんでもない」
そんな微笑を聞いたクロスに怪訝な表情を浮かべて訊ねられたマリアは、瞼を閉じて優しく綻ばせた表情で言う
昔から何も変わらないクロスの不器用な優しさに愛おしさを覚えながら、マリアは初めて芽生えた時から変わらない自分の気持ちを慈しむように噛みしめる
現在と未来、数多の不安を抱えながらも、大貴、神魔、クロス、桜、マリア、瑞希、詩織、リリーナ、そしてこの世界を総べる全霊命である鬼達――それぞれが穏やかに地獄界での日々を過ごしていた平穏は、しかし唐突に破られることになる
『――ッ!』
突如、青く澄み渡っていた晴天に稲妻が迸り、その轟音が鬼羅鋼城中に響き渡る
「これは……」
それに気づかないものなど、この場所には誰一人としていなかった。何故なら突如晴れ渡った空に生じたその雷は、天候によって生じたものなどではなく、この鬼羅鋼城を包む結界に異物が接触して生じた鬼力によるものだったからだ
「――やはり来たか」
天空に生じた雷と共に、閉じていた瞼をうっすらと開いた青髪蒼目の鬼――青の六道たる皇が低い声で呟く
「懲りもせず、お前の結界を抜けて転移しようとして弾かれたな」
天に奔った雷の正体を瞬時に理解した赤の六道――「戦」は、ゆっくりと腰を上げて、窓から鬼羅鋼城の景色を見据える
鬼の原在――「六道」の一角である青の護鬼は、地獄界王の居城たる鬼羅鋼を護る結界を展開し、維持している守備の要。
先程の雷は、城全体を包み込むようにして展開されていた皇の結界が、空間転移で城内に侵入しようとしたものが弾かれたことで生じたものだった
「やはり来たのね――火暗」
空間転移で城内へと侵入を試みようとする不埒者など、他に思い至らない緑の六道「静」は、物憂げな表情で独白する
「それじゃあ、私行くから」
その声を横目に、そう言うが早いか窓の外へと飛び出した黄の六道である「刈那は、その神能に与えられた神格に等しい神速で、襲撃者が訪れているであろう門へと向かっていく
「まったく、あいつは――っ!」
真っ先に飛び出していった刈那の好戦的にすぎる行動に、半ば辟易したように独白した皇だったが、直後その目が大きく見開かれる
「どうした?」
その反応に怪訝な視線を向けて戦に、青の六道は、驚愕を禁じ得ない表情で答える
「俺の結界を突き抜けて入って来た奴がいる」
「!?」
その言葉に、戦、静は目を瞠って驚愕を露にする
鬼の原在である六道の中でも屈指の防御力を誇る皇の結界を突破する者など只者ではないのは確実。
無論、同じ原在ならば力ずくで破壊することも可能だろうが、問題なのはそれをこの場にいる誰もがまともに知覚できなかった事。――つまり、その侵入者は単純な力で結界を突破したのではないということだった
「どこだ!? ――いや、聞くまでもないな」
その侵入者を迎撃するべく、結界を破壊した人物が現れた場所を皇に訊ねた戦だったが、それに対する答えは知覚が教えてくれていた
先程までなかった力が出現している場所。そちらへと視線を向けた戦とほぼ同時に、本丸御殿の中から飛び出す者達がいた
「大貴さん」
「桜」
何者かの襲撃を知覚するなり、本丸御殿を飛び出した大貴は、その名と同じ桜色の長髪をなびかせながら、深刻な面差しで語りかけてくる悪魔の大和撫子に視線を向ける
「わたくしは神魔の許へまいります。大貴さんは表の門の方へ。――あちらが十世界の本隊です」
「大丈夫か? 城の結界を抜けてきたやつだぞ?」
開口一番告げた桜の切羽詰まった声に、大貴は自分も行くべきなのではないかと考えて問いかける
今、神魔の許に迫っている危険を考えれば、その判断は伴侶として当然の事であろう。何しろその相手は、この鬼羅鋼城を包み込む結界を通り抜けてきた得体のしれない人物なのだ
しかも、そこには神魔と共に詩織もいる。双子の実姉の身に危険が迫っている可能性を放置してまで、門へ向かうことは憚られることだった
「それは、大貴さんのご判断にお任せいたします」
大貴の言い分も尤もだが、神魔の事を案じる桜にすればこれ以上議論を長引かせるつもりはない。言うが早いか魔力で神魔の許へと続く空間の扉を作り出した桜は、その中へと姿を消す
「悪いけれど、私も行くわ。二人だけでは心もとないでしょう」
桜が姿を消すその前に、瑞希もまたそう言って空間を繋ぐ扉を開く
神魔と桜は伴侶としての魔力共鳴で戦うときにその本領を発揮する。しかし、二人だけでは詩織を守るために結界を展開せねばならず、その力を十分に発揮することができないだろうと考えた瑞希は、その補佐のために自らが向かう意思を示す
「悪い。なんか、嫌な感じがするから俺もあっちへ行く。門の方を任せてもいいか?」
早々に瑞希が時空の扉の中に姿を消すと、大貴はしばしの逡巡の後にその判断を待っていたクロスとマリア、そしてリリーナへ向けて言う
「分かりました。確かに、この城の結界を抜けてきた人物です。――万一への備えはあった方がいいでしょう」
大貴のその言葉を受けたリリーナは、しばし思案を巡らせてその意見を了承する
この城全体に鬼力の結界が張ってあることは分かっている。だが、突如城内に侵入してきたその対象は、それを軽々と通り抜けてきた
感じられる神能から、その人物が異端神やその眷属ではないことは分かるが、もしそれが何らかの力によるものだとすれば、最も可能性が高いの神器ということになる
もし神器を相手取って戦うとなれば、いかに神魔達でも不利。相手の力と共鳴し、取り込むことができる太極の力が役に立つはずだ
「まいりましょう」
「はい」
大貴の言葉に頷いたリリーナが言うと、クロスとマリアはそちらに続くべく頷く
九世界から十世界と戦うことを求められている自分達が、この状況下で全員大貴達と同じ方へ向かうわけにはいかない。誰かが門の方に現れた十世界に行かなければならない以上、神魔、桜、瑞希、大貴が向かったそちらにこれ以上戦力と人員を割くことはできない
確実性と安全性を考えるならば、大貴を行かせずに敵の正体や能力を探らせるのが最良。何しろ、光魔神である大貴は九世界の切り札そのものであり、絶対に失う訳にはいかないのだ
だが、リリーナは、大貴の意思を尊重する決断を下した。そこにはそういったリスクはなく、ただその真剣な思いを汲み取りたいと考えたからだった
「ヤバそうになったら、直ぐ呼べよ」
「ああ」
危険を案じるクロスの言葉に軽く応じ、大貴は空間の門を開いて目的の場所へと向かう
初めての場所でも、転移する先に明確な目標――今回の場合は神魔達が射れば、問題なく空間を開いての移動を行うことができる
「行きましょう」
大貴が空間の扉の中に姿を消すのを見届けたリリーナが声をかけると、クロスとマリアは頷いてそのまま地獄界王城――「鬼羅鋼城」の門へと向かう
「――まあ、やはりというか、当然のように結界に阻まれたわけだが……なるほど。言うだけのことはあるな」
その頃、空間転移を用いて鬼羅鋼城内に転移を図ろうとした十世界地獄界総督――「火暗」は、結界の守りに弾かれたことで身体から白煙を立ち昇らせながら、眼前にそびえ立つ城を見上げて不敵に笑う
その知覚は、結界に弾かれた自分達とは違い、ただ一人城内に侵入することに成功しているその人物へと向けられており、その思惑が成功していることへの嘲笑と皮肉を込めた笑みでもある
「火暗様」
その時、傍らに控えていた編み込まれた黄色の艶髪を持つ護鬼――「桐架」が穏やかな印象を受ける面差しに険しい表情を浮かべながら声をかけてくる
「分かっている」
それがなにを意味しているのかを分かっている火暗が、桐架の声に答えて視線を上げた先では、真っ先に城から飛び出した金色の雷が、神速で十世界の軍勢と門の間に割って入るようにして降り立つ
「――お久しぶりです、刈那様」
小柄なその身体に不釣り合いなほどの巨大な両刃大剣を携えた黄の六道へ視線を向けた火暗に、刈那が不敵な笑みを浮かべる
「懲りずにまた来たのね」
「――ッ!」
あどけない容貌でありながらも、創世から生きる存在感と覇気を持つその身体から迸る最強の鬼――六道の一角たる戦鬼の鬼力の波動に、火暗を除く十世界の鬼達が瞬時に臨戦態勢に入る
「これが、鬼の原在か……!」
自身の存在を構築する神能がざわめき立つような力を放つ一本角の黄鬼――「刈那」の鬼力に、シャリオは全身を駆け巡る戦慄を抑え込みながら歯噛みする
「刈那様」
さらに、鬼羅鋼城の門がゆっくりと開き、六人の王に従う鬼達を引き連れた赤の戦鬼が姿を見せると、刈那は背後に視線を向けることなく言い捨てる
「遅いわよ、御門」
「あなたが速すぎるのですよ。王が真っ先に戦場に立たないでください」
刈那の言葉に、軽く応じながらその前へと移動した赤の戦鬼――「御門」は、その視線を上げて、十世界の軍勢を率いる人物を見据える
「元気にしていたか?」
「あなたも、ご健勝のようで何よりです」
皮肉や挑発ではなく、両腕を組んだままただ真摯に語りかけてくる火暗の言葉に、御門は目礼だけで応じ、その手に身の丈にも及ぶ片刃大剣を顕現させる
「〝鉄火〟」
鬼力を纏い、その刀身を研ぎ澄ませる大剣を顕現した実子から向けられる戦意に答えるように、火暗もまたその手に自身の存在を鬼力によって武器として顕現させる
「牙王……!」
自身の身の丈にも及ぶ刀身を持つ蛇腹の片刃大剣を携えた火暗に、片刃大剣の切っ先を向けて御門は、眉を顰める
「やはり、退くつもりはないのですね」
「当然だ。俺が欲しいものは、この道の先にしかない」
愛する子供ために剣を取る火暗と、地獄界王に仕える立場として、それを阻まなければならない御門――互いに譲ることのできない信念を携えて相対する父子は、鬼力を研ぎ澄ませていく
「征くぞ!」
低く抑制された火暗の声を合図に、十世界の鬼達がそれぞれ武器を顕現させていく
そして、それこそが戦端を開く狼煙でもあった。鬼の神能――「鬼力」が唸り、咆哮を上げる二つの勢力が、今まさに正面から激突する
※
「――この魔力……!」
空間を捻じ曲げ、自分達の前に出現した人物から詩織を庇いながら、神魔は知覚が伝えてくるその人物の正体に、目を見開く
「やっと君に会えたよ、神魔」
(神魔さんのこと知ってる?)
漆黒の髪を風に揺らめかせ、長いコートを靡かせるその人物が顔を上げて、喜悦に満ちた双眸で自分を見つめてくるその人物に、神魔は思わず目を瞠る
「霊雷」
「嬉しいな、覚えててくれたんだ」
神魔にその名を呼ばれた黒髪の悪魔――「霊雷」は、狂気さえ感じさせる笑みを浮かべ、その手に自身の魔力を武器として顕現させていく
「――〝夜哭〟」
自身の存在を、己の武器である柄のない長太刀として顕現させた霊雷は、その刀身で陽光を反射しながら、そこに自分の標的を映し込む
自身の武器である刃を抜き放ったことで、今まで抑えていた殺意の全てを解き放った霊雷は、その端正な面差しに醜いほどの憎悪をありありと浮かべていた
「さあ、殺させてくれ」
自身の標的となる人物を刀身に映した霊雷は、それだけの言葉を告げると純然たる殺意に満ちた魔力を神魔へと叩き付けるのだった