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魔界闘神伝  作者: 和和和和
地獄界編
229/305

鏡写しの心





 広大な敷地を持つ地獄界王が住まう場所――鬼羅鋼(きらがね)城の中には、色とりどりの風光明媚な景色が広がっている

 高い山々に深い谷、氷雪に閉ざされた純白の世界、木々の緑に水面の青――黒と白の回廊で結ばれた城には、まるで四季の全てが詰め込まれているかのようだった



「わぁ。すごく綺麗」

 眼前に広がる巨大な傾国――これが、城の敷地内だとは信じられないような勇壮な自然の傾国の姿を見た詩織は、空の青と白の雲、一面を覆いつくす緑と、それらを映す透明な水面に感動の声を上げる

 高らかな峰の一角に立つ詩織を吹き抜ける風が優しく撫で、その髪や衣の端を軽く踊らせれば、所々に映える木々と、色鮮やかな花々が咲き乱れる景色に抱かれているという錯覚を抱かせる


 さらに、その雄大な自然には地獄界に住む半霊命(ネクスト)である「凶獣」が暮らしており、命が命を繋ぐ生命の営みを繰り広げている

 そんな鬼羅鋼(きらがね)城の敷地は、もはや城内というより小さな大陸――あるいは、小さな世界そのものといっても過言ではなかった


「すみません、このお城にはこういったものしかお見せできるものがありませんので」

「いえ、そんなことないですよ。とっても綺麗です」

 広大な敷地を持つ鬼羅鋼(きらがね)城だが、全霊命(ファースト)の世界には産業等がないために、その中に特筆すべき施設などはこれといってなく、この自然くらいが見せられるものがないと恐縮する椿に、詩織は明るい表情で言う

「それに、自分が住んでる世界とは違う景色とか、自分達が住んでる世界にはない花とか、見たこともない生き物とか、自分達が住んでる世界にはない食べ物とかが見られるのはとっても楽しいです――ね、神魔さん」

「そうですね」

 さりげなく話を振られた神魔は、優しく微笑んで答えるが、詩織はそれに不満気な表情を浮かべて唇を尖らせる

「桜さんにするみたいに話してくださいってお願いしたじゃないですか。――別に無理強いはしませんけど」

「あ。ごめん、なんか癖で」

 そう言ってつんとすまして見せると、軽く頭を掻いて言う神魔の様子を横目で見る詩織は、満面の笑みを浮かべてしまう

 神魔の声と温もりがこれほどに近く感じられ、互いに他愛のない言葉を交わし合って生み出される他愛のない時間は、幸福の温度を帯びている

(最初は、こんな風だったはずなのに、いつからあんなに遠く感じてたんだろう)

 思い返してみれば、神魔と出会った頃はこんな距離感だった。だというのに、いつの頃からかその距離は遠く、そして冷たいものになっているように感じられるようになってしまった

 いつの頃からか胸に灯っていたこの気持ちが許されない者であることを知ってしまったこと。そして女として絶対に勝てないと思わせる桜という存在に出会ってしまったこと。――それらが当たり前だったものを遠ざけてしまっていた


「こんな簡単なことだったのにな」


 山脈から尾根を伝うように吹き抜けてくる少しだけ冷たい風に肌と髪を揺らしながら、詩織はこれまでにない充足した気持ちで自嘲しながら呟く

 迷って、足掻いて、遠回りして、ようやく取り戻したこの関係は、ただ最初に戻っただけのようなもの。だが、ここに辿り着くまでに通った道は詩織に今までにはなかったものを与えてくれてもいる

「なにが簡単なんです――じゃなくて、簡単なの?」

 詩織のそんな独り言を聞きのがさなかった神魔は、突然の独白に呟かれた意味を掴みあぐねて訊ねる

 散々自分を迷わせた張本人の自覚のないその言葉も、今の詩織には不思議とかけがえのないもののように思えてしまう

「いつも通りに振る舞うのは簡単だったのに、今まで色々考えすぎてたなって思って」

 今まで自分がどんな気持ちだったのかなど知らないであろう神魔に、今日までの迷いと悩みと鬱憤を込めた精一杯の皮肉を告げる

(ま。当然そうなるんだろうけど)

 明るい口調で笑いかけるようにして告げたその言葉に込められたものの三割も伝わっていないことが分かる表情を浮かべている神魔に、詩織は内心で嘆息する

 だが、そんなことは分かりきっていたことだ。自分が特段女として意識されていないという今更に肩を落とすようなことでもない事実を再確認した詩織は、その認識を改めさせるべく、自分らしくあることを心がけて言う

「それに、なんか桜さんにも気を使ってもらったみたいで」

「気にしなくていいのにね」

 その言葉に誰もいない傍らを寂しげに一瞥した神魔が軽く肩を竦めて同意を示すが、この会話が微妙に話が嚙み合っていないことを分かっているのは、詩織の方だけだ


 神魔の傍らには、いつもなら当然のようにいる桜がいない。詩織が神魔を誘った際、当然のように神魔は桜を誘ったのだが、「わたくしはお部屋で休ませていただきます」と丁寧に辞退をしてくれたのだ

 桜は伴侶の立場として、神魔に禁忌を犯させることを望んでいない。故に、詩織のこの気持ちは応援するようなものではない

 だが、桜は詩織と神魔が結ばれることを望んではいないが、それに対する覚悟もしている。今回、こうして神魔と二人になるように計らってくれた真意は分からないが、敵に塩を送る様な――もしくは、自分の境遇を想像して情けかけてくれたようなものだと詩織は考えていた

 もっとも、肝心の神魔の方は、桜がただ自分に気を使って自由に振る舞えるように計らってくれたという程度の考えているため、一見会話が成立しているようで本質的には一致していないという状況を生んでしまっているわけだが。


 少し前なら、それを愛された者の優越感だと受け取っていたかもしれないが、今の詩織にはそうは思わない

 桜は情も懐も深い女性だ。もし自分が詩織の立場だったらと考えれば情も動くし、一人の女性としてその気持ちに共感もしてくれる。そして何より、桜は自分よりも神魔の幸せを願っているのだ


「私は、ちょっと気になっちゃいますね。神魔さんと仲良くしたら、ちょっと嫉妬されちゃいそうですし」

「ああ、なるほど」

 頬を赤らめながら肩を竦めた詩織がわざとらしく言うと、それを聞いた神魔は小さく声を零して、どこか照れたように笑う


 常に神魔の隣にいるから、不必要に親しくすると桜の不興を買ってしまうかもしれない――単純に聞けばその程度のものでしかない詩織の言葉だが、そこには「自分が特別な感情を以って神魔に接するから桜の機嫌を損ねてしまうかもしれない」という意味が込められている

 つまり、遠回りに自分の気持ちを伝えているのだが、神魔はそれには気付かず、桜が嫉妬するというところで照れているだけだった


 もっと直接気持ちを伝えるという手段もあるが、それは「自分から気持ちを伝えない」という桜との約束に反する

 自分のためにこの機会を作ってくれた桜のために、その信頼を裏切るようなことはしたくはないし、何よりうら若き乙女の詩織が告白するのには、とても勇気が必要だった


 ――第三者の目があるところではなおさら



「仲がいいのですね」

 そんな神魔と詩織のやり取りを見ていた同伴者にして案内人――椿が少し目を丸くしながらも、微笑ましそうに語りかけてくる


 椿のその言葉にはこの世界において最も敵視される存在、神敵たる悪意の眷属であるゆりかごの人間が全霊命(ファースト)と親しくしていることへの小さな驚きが含まれているのが見て取れる

 しかし、それに対する否定的な感情はなく、これまで世界を巡り短くとも濃密な時間を過ごしたのだから当然なのかもしれないと自身を納得させるような響きもはらんでいた


「え、っと……そうですか?」

 そう言われた詩織は、肯定の意を示している椿の視線に思わず緩んでしまいそうにある頬を引き締め、少し照れながら神魔の様子を窺うように視線を向ける

「付き合いも長いですからね」

 そんな詩織の流し目に対し、全く何も感じていない神魔は、それをただ意見を求められていると受け取って普段と同じ表情と口調で当然のように答える

 分かり切ってはいたが、その反応に少しばかり落胆した表情を見せつつも、詩織は気を取り直してここへ来たもう一つの目的を果たすべく口を開く

「私達の事より、椿さんと示門さんこそどういう関係なんですか?」

 詩織に切り出された椿は、わずかに頬を赤らめると、隣に立っている赤鬼へと一瞥を向けて答える

「た、ただの幼馴染ですよ。幼い頃から知っていて仲がいいというだけです」

 ある程度詩織の思惑を把握していたとはいえ、そう切り出されてしまうと殊更に意識してしまう椿は、頬を赤らめながら答える

 意識してしまえば、当然のように示門の隣に肩を並べるように立っていることさえも、そんな自分の心情を見透かされているように感じられてしまう椿は照れ隠しも兼ねて言葉を続けていく

「示門は生まれの所為で色々ひねくれてますから、私が見ててあげないとって気持ちになっちゃって」

 時折視線を向けながら示門の様子を伺う椿の声が、言葉の後半になるほど小さくなっていく様は、何よりもその心の内を雄弁に物語っているように思えた


 実際、椿が示門と幼馴染であるのは間違いない。最も忌まわしき者――現天上界王(あかり)の双子の弟として生を受け、生まれたその瞬間から周囲に様々な視線を向けられてきた示門と親しくしてきたのは本当だ

 決して好意的で友好的に迎えられていたわけではない示門は、いつの頃からか他者との関わりを拒み、距離を取るようになっていたため、いつの頃からか椿は積極的に声をかけるようになっていた

 詩織達が知る由もないが、実兄である御門を除けば、示門と最も親しいのは間違いなく椿だという程度には親しい


「――……」

 そんな椿の言葉に無言で耳を傾ける示門は、何か言いたそうにも見える複雑な表情を浮かべているが、それに対する反論は一切せずに黙って沈黙を守っている

 それを見ていた詩織は、照れ隠しであっても「余計なお世話だ」と言わない辺り、示門は椿に救われているのかもしれないという印象を覚えるものだった

「じゃあ、ついでに僕も聞いていいですか?」

 そんな詩織の気遣いが災いしたのか、幸いしたのか、互いに意識し合う椿と示門が微妙な空気を作り出したのを見て取って、神魔は軽く肩を竦めて話を切り出す


 桜一筋ということもあって、自分に向けられている詩織からの好意には無頓着なものの、神魔も全くそういう感情に鈍いというわけではない

 特にここまで露骨な反応を示していれば、椿が示門に対して抱いている感情が、決して単純な親愛の情ではないことくらいは分かっている


「何でしょう?」

「椿さんじゃなくて、示門さんの方なんだけど」

 しかし、神魔が話を切りだしたのは詩織の企みに協力する訳でもなく、むしろこの居たたまれない空気を変えるためという意味合いの方が強かった

「示門に?」

「はい。実は――」

 特に言葉を交わしたわけでもないというのに、突然話を振られた示門が怪訝に眉を顰め、椿が小首を傾げると、神魔は小さく頷いて話を切り出す

「待ってください」

 しかしその時、突如声を上げた詩織が、神魔の言葉を遮る

 突然のことにそれぞれの反応を見せている神魔、示門と椿へと交互に視線を配った詩織は、その理由を切り出す

「突然なんですけど、男は男同士、女は女同士でお話ししませんか? 実は、椿さんに個人的に聞きたいこともあって」

 突然の提案に自分以外の三人が怪訝な表情を浮かべたのを見て取った詩織は、まるで取り繕うように視線を椿へと向ける

「え、私は構いませんけど……」

 詩織に視線を向けられた椿は、それに苦笑を浮かべると隣に立っている示門の様子を窺うような素振りを見せる

「俺は構わない」

 その椿の反応の意味するところを正確に理解した示門が、自分を名指しした神魔を見据えながら言うと、その隣りにいた詩織は嬉々とした表情を浮かべて前へと歩み出す

「じゃあ、神魔さん。ここはお願いしますね。話が終わったら、戻ってきますから」

 その足で椿の許へと小走りで駆け寄った詩織は、神魔の方を振り向くと明るい声音で語りかける

「行きましょう、椿さん」

「え、えぇ」

 半ば強引な詩織に促された椿は、示門を残していくことに若干後ろ髪を引かれる様な感情を抱きながらも、その後に続く

「せわしない女だな」

「はは。でも、悪い人じゃないですよ」

 椿と連れ立って、二人の目が届かないような場所へと歩き去ってく詩織の後ろ姿を見送りながら示門が独白すると、神魔は苦笑混じりに答える

「で、話って?」

 二人の姿が見えなくなったところで視線を戻し、表情を引き締めた示門に尋ねられた神魔は、それに答えるように微笑を消して口を開く

「率直に聞かせてもらいますけど、あなたはお父さんと行こうって思わなかったんですか?」

 先程会ったばかりに過ぎない示門に、下手に取り繕う意味はないと考えた神魔は、早々に本題へと移り、その真意を探ろうとする


 示門は最も忌まわしき者の片割れ。――否、彼自身もまた最も忌まわしき者だ。そして、この世界の十世界を滑る「火暗(かぐら)」という鬼は、示門の実父であり、その存在を世界に受け入れさせることを目的としている

 ならば、示門自身もまた、十世界盟主、奏姫・愛梨が掲げる全ての存在が手を取り合う恒久的世界平和という理念に賛同しない理由はないはずだ

 自分がそう望んだわけでもなく禁忌の存在として生まれ、それだけで忌み嫌われてきたはず。地獄界王の下にいても、決してその主観から来る周囲の鬼達の感情に、疎外感を覚えていたはずだ


「あぁ、そんなことか」

 なぜ、十世界にいかず、この地獄界王の御許に身を置いているのかという神魔の質問に軽く応じた示門は、その視線を明後日の方向へと向けて目を細める

「でも、なんでだろうな。不思議と、父親の方へ行こうとは思わなかった。別に火暗(あの人)を嫌ってるとかそいうことはないし、むしろ俺を生かしてくれるように嘆願してくれたことには感謝もしている

 それでも俺は、ここを離れて生きてる自分を想像できない」

 軽く答えたというのに、示門は神魔の問いかけに対する明確な答えを示しあぐね、少し焦点のぼけた曖昧な言い方で答える

 だが神魔には、それが明確な答えを示せないほど、示門にとって今こうしていることは当然のことなのだという意味に聞こえていた


 世界の法に則れば、禁忌の存在は両親共々殺される運命にある。混濁者(マドラス)は言わずもがな、最も忌まわしき者となれば、そうあるのが当然の事でもあったはず

 むしろ、人と全霊命(ファースト)混濁者(マドラス)であるマリアや、示門がこうして生かされ、世界の王の下生きていることの方が珍しいのだ


 先代天上界王――即ち、天上人最強の原在(アンセスター)だった姉とは違い、示門にはそれほどの力はない

 だが、それでも示門が今生きているのは、両親達の嘆願と、地獄界王黒曜をはじめとする鬼達の慈悲、そして今天上界王となった姉(あかり)に対する人質として価値を見出されたからだ


「よくよく考えてみれば、こんな風に生まれたことも多少なりとも恨めしく思ってるし、鬼共の態度にも気にくわないところは山ほどある。親も鬼も、世界も全く憎んでないっていえば多分嘘だ――でも、それと同じかそれ以上に、憎み切れないんだ」

 自分がなぜ生かされているのかを知っている示門は、そう言って神魔に視線を向ける

 その困ったような笑みは、自嘲しているようにも、嬉しく思っているようにもみえるもので、示門の心の内を如実に表しているかのようでもあった


 この世界最大の禁忌として生まれたことに対するやり場のない理不尽、自分を禁忌と定める世界の理への不満――示門は確かに、自分の中に親や世界に対する憎悪があることを知っていた

 だが、それでありながらも、示門は不思議なことに一度たりとも十世界の心優しい理念に同調しようとは思わなかった。

 それは、自分を禁忌の存在として生んだ両親への、自分の存在を許さない世界への憎しみと同等以上の感謝と好意があり、そしてこの場にいたいと思わせてくれるものがあるからだ


「多分、あんた達が思っている以上に、俺にとってこの場所は居心地が悪い場所じゃないんだ」


 自分の心の内にある無数のかけがえのない思い出を見るように瞼を伏せた示門は、その瞳を優しく綻ばせて言う

 そうやって告げた示門の表情を見た神魔は、不思議と今その心の内には大切な誰かの顔が想い浮かべられているのだと感じていた

「あんたの連れのゆりかごは、色々と気を回してくれたみたいだが、それは無駄ってもんだ」

 そんな神魔の視線に気づいたのか、気恥ずかしげに視線を逸らした示門は、この状況を作り出した詩織の思惑を見透かして言う

 ここまで露骨なやり方なら、よほどでない限り詩織の思惑を察することは難しくない。そのため、示門がそれを見抜いていたこと自体には特に何も思うところはないが、その言葉が意味するところには多少興味があった


「なんで?」


 そう問いかけた神魔に軽く肩を竦め、先程詩織と共に椿が向かっていった方向へと視線を向けた示門は、どこか物悲しげな感情が込められた目を細めて独白する



「椿が好きなのは……御門、俺の兄貴の方だからな」





「あの、詩織さん」

 一方、神魔と示門を置いて、二人に声が届かないであろう場所まで移動したところで、椿の呼び声に答えて足を止めた詩織は、ゆっくりと振り返って頭を下げる

「すみません。私の我儘に付き合わせてしまって」

「いえ、そのようなことは……」

 椿にとって詩織を止めることなど、文字通り赤子の手を捻るよりも簡単な造作もないこと。それが分かっている詩織は、ここまで付き合ってくれている椿に、まずは感謝と謝罪の意を示す

「外から来たばかりの私が、椿さんの了承も同意も得ずに勝手なことして、ご迷惑だったかもしれませんけど……」

 今回自分がしたことは、単なる自己満足でしかないことを詩織は誰よりもよく分かっている。外から来たばかりの自分が椿と示門の関係に感じるものを覚えたからといって、その仲を深めようなどとは余計なお節介にもほどがあるというものだ


 場合によっては単なる善意に見せかけた好奇心ととられ、不快な思いをさせてしまうかもしれない独りよがりでしかないことは分かっている

 しかし、それでも詩織は二人のことを無関係だと割り切り、無関心でいることはできなかった。なぜなら――


「何か、もしかしたら椿さんって私と似てるのかなって思ったら、なんか……放っておけなくて」


「……詩織さん」

 視線を伏せ、唇を引き結びながら寂しげな表情で呟いた詩織の告白に、椿はその心の中が見えたような感覚を覚える

 先程までのやり取りなどを見ていれば、ある程度想像はついていた。だが詩織のその様子は、その予想を確信に変えるのに十分すぎる説得力があった

「すみません。なんか偉そうなこと言って。私なんかが言うなんて、おこがましいとは思うんですけど……」

 自分の気持ちを告白する気恥ずかしさに頬を染めつつ、その想いがいかに禁じられたものであるのかを理解している詩織が今にも泣き出しそうな作り笑いで言うと、椿は一瞬の逡巡を置いて口を開く

「やはり、あなたは神魔さんの事を……」

「全然気づいてもらえませんけどね」

 椿の言葉に困ったように肩を竦めた詩織は、そう言ってここへ来た道をたどるように視線を逸らす

 その視線の先が誰に向かっているかなど分かりきっている椿は、遠くを見るその瞳を見るだけで詩織が今に至るまでにどれだけ迷い、悩んだのかが伝わってくるように思えた

「知っているのですね」

 異なる存在と愛を交わすことが禁忌であること、全霊命(ファースト)と交われば命を落とすこと。ゆりかごの人間が最も忌み嫌われるものの眷属であること――その想いが許されない理由を全て分かった上で、今ここにいるのだと確認する椿に、詩織は肯定の意味を込めて笑う

「桜さんには、すぐ気づかれちゃいましたから。色々知って、色々聞いて、迷って、諦めようとして――でも、全然ダメなんですよ。私、自分が思っている以上に我儘で執念深いみたいで」

 椿の視線に答え、苦笑しながら言う詩織は自分の浅ましさに呆れながらも、そんな自分を誇っているように思えた

 詩織が神魔を諦める理由など山のようにあった。世界の理、桜という伴侶の存在――だが、そんな分かりきったことを受け入れることが詩織にはできなかった

「強いのですね」

「弱いだけです。自分の事ばかりで、神魔さんの事を第一に考えられない。あんなに仲睦まじく愛し合ってるのを見れば、身を引くのが一番だってわかってるくせに――まったく、自分で自分のことが嫌になります」

 椿の言葉を小さく首を横に振って否定した詩織は、自分を咎めるように言いながら、これまで抱いてきた思いを吐露するように並べていく

 これまでの経験を口にする詩織の言葉に無言のまま耳を傾ける椿は、その一言一言を興味深く聞きながら、時折共感するようにため息にも似た意気を零す

「私は、幸せになりたいです。でも、私の幸せは私しか幸せにできないどころか、好きな人まで不幸にしてしまうのですから性質が悪いんです――私、悪い女なんですよ」

 最後に冗談めかして笑って見せる詩織だが、椿はそれに軽率な相槌や建前であっても愛想笑いを返すようなことはしない

 真摯にその言葉を受け止める椿は、自身の弱さと醜さを正しく受け止めた上で前を向いている詩織を、ただまっすぐに見つめる

「椿さんは、示門さんの事どう思ってるんですか? ――」

 椿のその真剣な眼差しに気付き、ばつが悪そうに視線を泳がせた詩織は、自分の告白を全て聞いていた黒鬼の美女に問いかける

 ここまでその気持ちを開け広げにした詩織に問いかけられた椿は、観念したように笑みを零すとその黒い双眸を綻ばせて自分の気持ちを答える


「好きです――一人の男性として」


 自分と似たような想いを抱き、それを告げた詩織に対して己の本心を告げた椿は、どこか誇らしげな笑みを湛えていた

「自分でもわからないんですけれど、ただどうしても放っておけなくて、ずっと気にしていたら、いつの間にか、私の方が彼に心を奪われてしまっていたんです」

 聞かれるわけでもないのに、自分が示門に好意を抱くきっかけを語ったのは、先程の詩織の告白に対する椿なりの誠意ある対応なのだろう

 内心で律儀な人だなどと思っていた詩織に対して視線を向けた椿は、不意に恋慕の情で赤らんでいた顔を曇らせる

「ただ、私はあなたとは違います。あなたのように一途に彼の事を思っているわけではないのです」

 沈んだ表情で自分の中に渦巻いている暗い感情を口にした椿は、その告白に息を呑んでいる詩織へと視線を向けて、言葉を続ける


「何故なら私は、――御門様のこともお慕いしているからです」


「!」

 その告白に目を瞠った詩織に椿は、遠い日の思い出を呼び起すように目を伏せて、自分の気持ちを言葉に変えていく

「元々私は御門様のことをお慕いしていました。示門が気になるようになったのは、その随分後の事です。幼馴染で気にかかっていたのは本当ですから」

 一度に二人の人を愛している思慕の情で頬を染めながらも、椿は表情を曇らせていた


 他の世界の礼に漏れず、愛する者同士が結ばれることを許す多夫多妻制を敷いている地獄界では、例え二人と同時に深い関係になったとしても何ら問題はない。

 それどころか、何を問題だと思っているのかと思われるだろう。それは、九世界の価値観であり、全霊命(ファースト)の人生観で、自分が口を出すべきことではないことを詩織は知っている


「御門さんも示門さんも大切で、どっちも諦めたくないんですよね」

 だからこそ、詩織には椿の気持ちが手に取るように分かっていた

 椿が問題にしているのは、結局は自分と同じこと――禁断の存在を愛してしまったことによる、自分と相手の想いと世界の理による板挟みと軋轢――なのだと 

「はい」

 詩織の言葉に答える椿は、一人の女として愛する二人の人を諦めたくないという意志と、それぞれを思いやるがゆえの優しさに傷ついていた


 確かに直接の愛を交わすことや純粋な混濁者(マドラス)に比べれば、混濁者(マドラス)を愛することに対する忌避感は弱いが、それが禁忌であることには変わりがない

 それで自分が傷つくことは構わない。だが、そのために自分が愛した人までが傷つくのは耐えられない。御門と示門どちらも愛しているからこそ、椿は苦しんでいるのだ


「誤解のないように申し上げておきたいのですが、私は決して、御門様に愛していただくために、示門に接していたわけではありません

 確かに御門様は示門の事をとても気にかけ、心を痛めておられたのは事実ですし、御門様と示門に仲良くしてほしいとも思っていました――でも私は、私がそうしたいから示門の力になりたかったのです」

 今では示門の事も愛している椿だが、そのきっかけは間違っても御門に好意を持っているからではなかった

 御門に取り入るために最も忌まわしき者の片割れである示門に優しくしたのではないかという邪推をされたくないと告げる椿の真剣な表情に、詩織は優しく微笑んで頷く

「はい。分かっています――ただ、私からすれば、椿さんは羨ましいですけどね」

「そうですか?」

 示門と御門、どちらのことも大切に想っていることが伝わってくる椿にそう答えた詩織は、先程見た様子を思い返して言う

「だって、少なくとも示門さんは椿さんの事を特別だと思ってると思いますよ。それが恋愛感情なのかは分かりませんけど、きっと椿さんに感謝して、大切に思ってると思います」

 先程、椿と肩を並べて立っていた示門の姿を脳裏に呼び起した詩織は、その小さな仕草を思い返しながら優しい声音で言う


 もしかしたら気付いているかもしれないが、近くにいるからこし気付かないこともある。詩織も精々十五年ほどしか生きていないため、男心などは分からない

 だが、椿を見る際の示門はとても優しい目をしており、それこそ神魔が桜へ向ける視線やクロスがマリアに向けている目に似ているものがあった


「でも、自分がそういう存在だからっていう負い目と、お兄さんへの気遣いからあんな風になっちゃうんじゃないかなって――きっと、あなたが御門さんのことを好きなことも気付いてるんだと思います」

 そう言って微笑みかけた詩織は、椿がわずかに目を丸くしているのを見て、気恥ずかしそうに肩を竦める

「分かりますよ。私も示門さんと似たような立場ですから」

 詩織は椿にも共感できる傍ら、示門の気持ちも理解できる

 自身が禁忌の存在であることを負い目に、大切に想う人に気持ちを伝えることができない示門の姿は、ゆりかごの人間である詩織には十分に共感できることだった

「なるほど。お互い難儀なものですね」

 詩織の言葉に笑みを返した椿は、気持ちが伝わらないことにも、伝わっていることにも、相応の悩みがあるのだと肩を竦めて語りかける

「詩織さんは、どうなさるのですか?」

「もちろん、諦めませんよ」

 そこまで分かっていて、そこまで思っている上で神魔への想いをどうするのか、という椿からの問いかけに、詩織は迷うことなく答える


「だって私、神魔さんのこと世界で一番愛してますから」


「……なるほど」

 満面の笑みで微笑みながら答えた詩織に、椿は感嘆の息を零して微笑む

 禁忌を犯した者が幸せでないとは限らない。たとえ禁忌を犯し、世界を敵に回してでも、自分を選んでもらえるようになりたいという意気に満ちた詩織の在り方に、椿は感服した表情を見せる

「凄いですね……これでも私は、あなたよりずっと長い間悩んでいるのですが、未だにそんな風には思えません」

 ずっと迷い探し続けている自分とは違い、自分なりの答えを導き出している詩織に、椿は純粋に感嘆した様子で言う

「そんなことないです。もう、そう開き直るしかなかっただけですから」

 そんな椿の言葉に、詩織は小さく首を横に振って答える。悲壮感にも似た悲しみをすその笑みは、詩織のその言葉は謙遜などではなく、本心から告げられたものであることを何よりも雄弁に物語っていた


 詩織には全霊命(ファースト)のように許される時間が多くない。そしてその前に立ちはだかる壁は椿のそれよりも分厚く高い

 だが、どれほど悩んでもそれを解決する術など見つからない。ならば、もうそう考えるしかないというだけのことだ


「椿さんが迷い続けているのは、自分よりも示門さんや御門さんの幸せを願っているからです。それに比べて、私は結局答えの出ない自分の心を自分の都合のいいように納得させているだけですから」

 自分の心中を言葉にし、自虐めいた口調で言う詩織の言葉を受けた椿は、それを否定するように優しく微笑み返す

「そんなことありませんよ。あなたはちゃんと愛する人のことも考えています――私には分かりますよ」

「ありがとうございます」

 単なる励ましや慰めではない真摯な響きを帯びたその優しい声に、詩織は気恥ずかしげな表情を浮かべて視線を伏せる


「あなたの想いが届くといいですね」


 そんな詩織の様子を微笑ましげに見つめた椿は、小さく弱いその存在で世界の理に立ち向かう少女に心からの言葉をかける

「椿さんも」

 その言葉と心遣いをそのまま返した詩織は、椿と視線を交錯させ、やがてどちらからともなく口を開く


「それがいいことかどうかは分かりませんけどね」


 二人で揃って同じことを述べた詩織と椿は、小さく噴き出すように笑い合う

 詩織は明るく。椿はおしとやかに。それぞれにひとしきり笑ったところで、詩織は椿と視線を交錯させて言う

「だから、お互い頑張りましょう」

「……はい」

 その言葉に目を細めた椿は、詩織の気持ちと自身の想いを噛みしめるように、ゆっくりとした口調で頷くのだった






「――あ、戻ってきた」

 当の昔に話を終え、少し距離を取って適当な場所に腰を下ろして時間を潰していた神魔と示門は、椿と詩織が戻ってきたのを知覚で感じ取って腰を上げる

「お待たせしてすみません」

「そんなことないよ」

 自分の謝罪の言葉に気分を害した様子もなく答えてくれる神魔に感謝の言葉を述べた詩織は、椿へと視線を向ける

 それに気づいた椿が小さく頷くと、詩織もまたそれに首を縦に振る。女性陣二人がなにやら意思疎通を図っているのを見て取った神魔と示門が怪訝そうに眉を顰める傍ら、大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けた詩織は、真剣な表情で神魔を見上げる



「神魔さん、後でお話があります」





 神魔と詩織、椿と示門がそのようなやり取りをしている頃、鬼羅鋼(きらがね)城本丸御殿の私室に戻った大貴は、窓の外に広がる景色を見ながら、思念通話で呼びかける

「悪いな、面倒をかけて』




「いえ、お気になさらないでください」

 遠く、世界を隔てる時空の壁を越えて届けられる大貴の声に答えたのは、足元まで届く翼を思わせる意匠の女王冠を戴いた黒髪の女性だった

 白を基調としたドレスに身を包み、大人びた清楚な美しさの中に少女のあどけなさを残すその人物の名は、人間界王「ヒナ・アルテア・ハーヴィン」

《もう着いたのか?》

「はい。丁度先程、大界議場(レディスレスタ)に着いたところです」

 脳裏に響く大貴の声に答えたヒナは、背後に停泊している巨大戦艦を一瞥すると、その視線を前――天を衝く塔が佇む巨大な神殿へと向ける


 世界の狭間にある円卓の神座が一柱、司法神の神殿にして九世界王会議の議場である「大界議場(レディスレスタ)」は、天に浮かぶ荘厳な神殿だった

 その巨大な神殿には、至る所に警備のために配置されているのであろう司法神のユニット――「法仕者(エンフォーサー)」の姿を見て取ることができる

 鎧に身を包んだというより、鎧そのものである司法神のユニット達は全く同じ姿をしており、手に手に武器を持ち、まるで彫像か何かのようにそこに当たり前のように控えている


「はい、お任せください」

 至宝冠(アルテア)を介し、世界を隔てる大貴と言葉を交わし、充足した表情を浮かべたヒナがおもむろに視線を向けると、今回の同行者である「シェリッヒ・ハーヴィン」が何やら微笑ましそうな表情を浮かべていた

「何ですか?」

 その意味ありげな笑みに、含む意思を正確に読み取ってわずかに頬を染めたヒナは、あえて分からないかのようにシェリッヒ――自身の妹である「リッヒ」の真意を問いただす

「いえ、随分と嬉しそうだと思いまして」

 そんな実姉であるヒナの視線に目を伏せたリッヒは、あくまでも王の補佐という公的立場を前面に押し出した態度で答える

「そんなことありません。いつもの通りです」

「そうですか」

 自身でも大貴との会話に心躍らせていた自覚があるのか、照れ隠しをするようにやや視線を伏せて言うヒナの言葉に、リッヒはあえて追及をせずに淡泊に応じる

 そんなリッヒの反応に不満を覚えながらも、これ以上追及しても自分が不利になるばかりだと分かっているヒナは、心を落ち着けて大貴との会話で緩んでいた表情を引き締め、王としての顔になる


「参りますよ。――光魔神様のために」


 優しい響きを帯びながらも、王としての威厳を感じさせる声音でリッヒに告げたヒナは、その身を翻して眼前にそびえ立つ巨大な法の神殿――大界議場(レディスレスタ)の中枢へと向かって歩を進めるのだった






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