正しきの果てに
黒と白の力。――光と闇、そしてこの世の全てに等しいものを内包した「全」という一の力が天地を揺るがし、金色の征光とせめぎ合う
聖議殿での戦いがほぼ全て決着した中、唯一行われているその戦いは、この戦いの中で最も高い位で行われているものだった
神器と共鳴したことで神位第六位――「神」と同じ神格を得た大貴が純黒と純白が同時に存在する太極の力を纏いながら天を舞う
そしてそこへと迫るのは、天を舞う五本の両刃大剣。意思を持っているかのように飛翔する五本の剣はその神格に等しい神速で奔り、次々と大貴へと襲い掛かる
「く……ッ!」
その一撃、一振りが滅界の威力を持つ大剣の斬撃を阻みながら、苦悶の表情を浮かべる大貴を巨大な影が覆う
それは、五本の剣と共に肉薄してきていたその持ち主――聖人の原在天支七柱の一人にして最強の力を持つ「マキシム」だった
「ムゥンッ!」
両手に身の丈にも及ぶ大剣を手にしたマキシムは、それを最上段から振り下ろして大貴へと叩き付ける
それを大貴が太刀で受け止めた瞬間、純然たる殺意と力が迸り、世界を軋ませんばかりの衝撃が迸り、その威力のままに吹き飛ばされる
「ぐ……ッ」
全身に叩き付けられる様な力を受けた大貴は、苦悶に顔を歪めながら左右非対称色の瞳で七本の大剣を武器とするマキシムの姿を見据える
(くそ、太極の力が通じないのがここまで厄介だとは思わなかったぜ)
左右で色合いの異なる黒と白の翼を広げた大貴は、背後から迫ってきていた大剣を太刀の一閃で弾き飛ばすとともに、マキシムへ向けて太極の力を解き放つ
マキシムが何よりも厄介なのは、その力を神位第六位と同等以上にまで引き上げている神威級神器「不変箴言」の能力だった
本来大貴――光魔神の神能である「太極」は、誰とでも力を共鳴させ、相手の力を奪い自身のものとする力を持っている。だが不変、絶対の守りを力として持つその神器によってその統一と合一の能力が働かず、その力の優位性が失われてしまっているのだ
「けど、まあ……昔に戻ったみたいで悪い気分じゃないな」
自身の放った太極の力が斬り裂かれ、その身体に傷一つないマキシムが姿を現したのを見た大貴は、思わず口端を吊り上げて笑みを零していた
太極の力が通じないことは口惜しいが、だからと言ってそれで怯むわけではない。以前はこの力を使わずに戦っていたし、その神器能力を考えればマキシムが特異な力で攻めてくるとも考えにくい
「それに――」
「!」
その目を細めた大貴の視線の先では、黒白の太極を防いだ飛翔の剣の輪郭がわずかに崩れており、その神格と力が全なる一へと取り込まれたことを示唆していた
いかに絶対の守りを能力として備えていても、同じ神格ならばそれを崩すことは不可能ではない。神器の力が太極を阻むように、同等の神格を持つ太極がその守りを崩すのも必然のことだ
「手も足も出ないってわけでもない」
「…………」
自身の力の一端が太極に取り込まれたのを横目で一瞥したマキシムは、金色の神光を解放して七つの大剣の切っ先を大貴へと向ける
「見事だった」
「――!?」
目を細め、厳かな声で独白したマキシムの声に大貴が訝しげに眉を顰めると同時、解き放たれた天翔の剣が神速で天を射抜く
神の神格のままに、時間と空間を超越した大剣を太極の太刀で打ち払った大貴は、全一化の力でも簡単に崩せないその力に忌々しく舌打ちをして黒白の翼を羽ばたかせる
「お前はその力を以って己が意思を示し、信念に準じて戦い、我ら――聖人界の正義に抗い、勝利した」
自身の武器である自立する五本の大剣が大貴の太極とぶつかり合い、合一と不変の能力がせめぎ合って火花を散らす
全ての力と共鳴し、取り込んでその力へと変える太極とあらゆる力の影響を受けない不変の守り――相反する力は、まさに世界の理の矛盾を体現し、顕現させていた
「まさにお前は……お前達はその身と力によって証明したのだ。〝法も世界も、強大な力の前には膝を屈するしかないのだ〟と」
五本の剣と共に地を蹴り、大貴へと肉薄したマキシムは左右それぞれに握った大剣を全霊の力と共に振り薙いで言う
神の領域に至った理力の斬波が金色の三日月を世界に生み出し、全てを内包する黒白の世界とせめぎ合ってその意思を示す
その信念のもとに刃を取り、その意志を貫くべく戦った大貴達は、聖人界の――引いては、九世界の現行の法と体勢の壁を破壊して勝利を収めた
大貴達からすれば、理不尽に囚われた同行者を助け出しただけということになるのかもしれないが、聖人、あるいは九世界から見ればこの結果は決してその程度で終わっていい話ではない
「無論、お前を責めているわけではない。お前は自らの力で道を切り拓いたというだけの事。――しかし、その力でも及ばぬものの前でも、お前は選ばないことを選ぶことができるか?」
「神魔の事か」
斬撃を撃ち合い、刃をせめぎ合わせて砕け散る力の奔流の中で自身に倍する巨躯を持つ聖人の言葉を受けた大貴は、その意味するところを理解してその左右非対称色の瞳に険な光を灯す
マキシムは神魔のことを、「全てを滅ぼすもの」――存在するだけでこの世界を滅ぼすものであると語った。
その意味することろも真偽も大貴には分からないが、その問いかけの意味は極めて単純なものだった
――己が信念を通すための力が及ばない時、自分にとって大切なものを失う覚悟はあるか
「さぁな」
マキシムの言葉に自嘲するように笑った大貴は、太極の力を注ぎ込んだ太刀の一閃でその大剣を打ち払い視線を交錯させる
「生憎俺は、自分の一番大切なもののためなら、究極それ以外の全てを切り捨てることをいとわないなんて程割り切れる方じゃない。だから――」
闇の全霊命に見られるその考え方を例に挙げ、どこか物憂げな感情を瞳に宿しながらマキシムの七本の大剣と戦う大貴の力と刃に込められた意思には一点の迷いもない
その意思によって力を顕現させる神能は、使用者に心の迷いがあれば、それをなによりも雄弁に物語る
これまでと寸分違わない力で戦う大貴の太極は、そこに込められた意思が、そしてその力を持つ者の思いが微塵も揺らいでいないことを何よりも明確に証明していた
「その時になったら考えるさ。それに――そうならないようにもな」
どこか楽観的に答えながら金色の裁光と七つの大剣を捌く大貴の言葉に、マキシムはその瞳と声に宿る強い意志を確かに感じ取っていた
大貴は神魔のことを大切な友人であり恩人だと思っている。神魔が魔界で極刑になるかもしれないと聞いたとき、光魔神の立場を利用して減刑を求める程度には親しみを持っているつもりだ
ならば、友として仲間として、自分が神魔のために何ができるのかを考え、それを回避するために全力を尽くす――大貴の瞳と言葉からはそんな意思が伝わってくる
「散々迷って、悩んで、足掻いて、それでも何もできなくて本当に自分じゃなんにもできないってわかったときは、俺なりに覚悟を決める!」
束ねられた金光を纏う大剣の乱舞を、この世の全てである黒白の力で迎え撃ち、打ち払った大貴は砕け散る力と力の残滓の中、確固たる決意を固めた真剣な眼差しと言葉でマキシムに答える
その想いを言葉にして言い放ち、手にした太刀の柄を改めて強く握り直した大貴は、神位の神格を得た太極の力を解放してマキシムに向かっていく
「けど、それまでは絶対に諦めない! 少なくとも俺にとって神魔は、そんな風に諦めていいやつじゃないんだ!」
刃を振るい、力を砲撃として放ち、七つの大剣と多重結界の堅固な守りに相対する大貴は、まるでその運命に抗おうとしているかのように戦う
「そうか。それが、お前の答えか」
神速で撃ち込まれてくる斬撃と太極波の全てをその身で受け止め、その威力にわずかに後退ったマキシムは大貴の視線を受け止めて厳かな声音で独白する
「オオオオッ!」
それと同時に、五つの天翔大剣と両手に持った大剣の切っ先を軽く下げたマキシムは、全霊の力を込めた斬撃を放つ大貴を見て、わずかに目を綻ばせる
「ならば、今回の罪をそれで贖うといい」
その言葉が発せられると同時、世界を滅ぼして余りある神の力を込めた大貴の斬撃が袈裟懸けに撃ち込まれ、その威力のままにマキシムの巨躯を吹き飛ばす
不変にして絶対なる守りを得ているその身体を存在ごと取り込んで力とする能力を持つ黒白の斬撃がその威を示し、聖議殿に一直線の破壊痕を刻み付ける
「――!?」
(あいつ、わざと受けた……?)
地平の彼方まで続く純白の街城に黒白の斬閃を奔らせた大貴は、その一撃で吹き飛ばしたマキシムに知覚を送りながら怪訝な表情を浮かべる
先の一瞬、マキシムはあえてその構えを緩めて一撃を受けたように感じられた大貴が思案を巡らせていると、その背後にそびえ建つ聖浄匣塔の内側から漆黒の力が噴き出す
「大貴君」
マキシムと戦いながらそのことを知覚していた大貴が視線を送ると、そこには枷を壊した瑞希を連れた神魔と桜の姿があった
「あぁ」
神魔のその声に頷き、魔力によって生み出された空間の扉へと向かおうとした大貴は、おもむろにその動きを止めて肩ごしに振り返ると、純白の街並みに生じた破壊の痕を視界に映す
(まさか、このために――……?)
大貴がマキシムの思惑に思案を巡らせたその時、先程出てきた神魔と桜、瑞希に続き、聖浄匣塔の中から神能でできた球体を背後に浮かべた愛梨が姿を見せる
「大貴君!」
愛梨の微笑を向けられ、その視線を受け止めた大貴が険な表情を浮かべたその時、急かすように神魔の声が投げかけられる
その言葉に応じた大貴が天空に開いたままの扉へと黒白の翼を羽ばたかせて飛び込むと、それを待ちわび得ていたかのように、その入り口は閉ざされた
それと時を同じくして、聖議殿の門にいたクロス、マリア、シャリオ、ラグナ、紅蓮はそれぞれの目的が達せられたのを知覚して時空の門を開く
《ウルト様!》
時空の門を開き、純白の四枚翼を広げたマリアが聖議殿の中心――「聖王閣」にいるウルトへと思念通話で呼びかける
《――私に構わず、先に行ってください》
《ですが》
その呼びかけに返されたウルトの穏やかな声に、マリアは焦燥を禁じえずに見るも無残に破壊された、聖人界の中枢たる超巨大建造物を双眸に映す
《良いのです。私は、まだここでやらなければならないことがありますから》
その視線の先では、破壊され大きく開いた聖王閣の壁から、ウルトがマリアへと視線を向けるようにして佇んでいた
見送りと惜別の視線を送られたマリアは、遠目に見えるその姿と思念から伝わってくる確固たる意思を感じ取り、表情を伏せて時空の門を閉ざす
「――御武運を」
聖議殿、そして外縁離宮にいた詩織とリリーナが聖人界を離れたのを知覚で見届けたウルトは、瞼を伏せて感謝に彩られた小さな声で独白する
礼を捧げるように閉じていた目を開いたウルトが振り返ると、そこにはシュトラウスとスレイヤが無言で視線を送ってきていた
今回ウルトがしたことは、聖人界の法を破る行為。そこにどれだけの信念や正義があろうと、それが許されることはない
これからウルトに待っているのは、大聖廷での司法の裁き。かつてこの世界の代表にして議長たる界首の座についていたウルトには、処刑まではいかないだろうが数千年の単位で聖浄匣塔に収監されるのが分かっていた
先のマリアもそれを分かっていたからこそ、共にこの世界を出るベく声をかけてくれたのだが、ここで逃げることはウルトの正義に反することだった
それがたとえ違法であったとしても、ウルトは自身が正しいと思ったことを成した。それは、自分が正しいと思ったというだけではなく、この聖人界、そして九世界のために最もよいと感じた手段を取ったのだ
だからこそ、ウルトはその正義を証明するために、正義から逃げることなどできないのだ
「さぁ、いきましょうか」
自身の正義と誇りを胸にそう告げたウルトは、清々しささえ感じられる凛とした響きを帯びた声で毅然とシュトラウス達に向き合うのだった
※
「神魔さん」
時空の門を開いた先――世界と世界を隔てる空間の狭間へとやってきた大貴と神魔達に、リリーナの結界に包まれた詩織が近づいて来る
時空転移を使えば、即座に次の世界へたどり着くことはできるが、そうするのではなく世界の狭間にある空間で落ち合うのはあらかじめ決められていたことだ
座標を定め、大貴、神魔、桜、瑞希とクロス、マリアが落ち合ったところに、思念通話で連絡を受けたリリーナが詩織を連れて合流したというのが現在の状況だ
「瑞希さんも……よかったです」
聖議殿での戦いに参加することができず、外縁離宮から無事を祈っていることしかできなかった詩織は、許されざる想いを抱く相手の無事に胸を撫で下ろし、その傍らにいる瑞希を見て安堵の声を漏らす
「えぇ、ありがとう……なに?」
詩織のその言葉にいつものように麗淡な声音で応じた瑞希は、ふと自分を見て小首をかしげるその姿に疑念の言葉を返す
「いえ、瑞希さんなんか雰囲気が少し変わったような気がして」
今までと同じように応じたつもりだった瑞希は、訝しげな表情を見せる詩織の言葉を受けて、その視線を神魔へと向ける
もし詩織が言うように自分が変わったのだとすれば、瑞希には一つしか心当たりがなかった。
「そ、そうかしら? そんなことはないと思うのだけれど……」
聖浄匣塔の中で自覚した自分の気持ちと、その時の告白を思い返してその凛麗な面差しに朱を差した瑞希は、慌てて視線を逸らすとその場にいる全員を見渡して口を開く
「その、色々迷惑をかけてしまったわ。ごめんなさい」
大貴をはじめ、今回の事で尽力してくれた全員に視線を巡らせ、頭を下げて謝罪の言葉を述べた瑞希は、ゆっくりと顔を上げて穏やかに微笑む
「あと……ありがとうとも言っておきます」
恥じらいに頬を赤らめ、視線を逸らしながら言う瑞希の感謝の言葉に、大貴、詩織、マリア、リリーナは各々笑みを浮かべ、聖浄匣塔の中で言葉を交わした神魔と桜は穏やかな表情を送る
「光魔神様」
瑞希の話が一段落ついたところで声を発したリリーナは、大貴へと視線を向けて口を開く
「僭越ですが、次に赴く地獄界には私も同行させていただきます。事の顛末を報告する必要があるでしょうから」
「それもそうか……お願いします」
これまで光の世界のみに同行していたリリーナが次の地獄界へと赴く意思を告げると、先程自分達が起こした聖人界での一件を思い返した大貴は、頷いて敬語で答える
今大貴は九世界の思惑にそって各世界を巡っている。ただ利用されるつもりはないが、かといって敵対しようとも思っていない
とはいえ特にリリーナに関しては、聖人界に同行していながら今回の一件を止められなかったという点で迷惑をかけてしまう可能性は捨てきれない
ここで正しく弁解と釈明を行うのは自分達にとってだけではなく、リリーナやウルトをはじめとして、今回の件に力を貸してくれた人達にとっても少なからず有益となるはずだと大貴は考えていた
「お任せください」
太古の言葉に恭しく頷き、首を垂れたリリーナが顔を上げた瞬間、一行がいる空間に時空を繋ぐ門が生じ、そこから複数の人影が姿を見せる
「皆様もご無事のようですね」
そこから現れた人物――十世界盟主「奏姫・愛梨」は、組織に所属するメンバーを引き連れて大貴達の許へ歩み寄る
普段と変わらない慈愛と博愛に満ちた笑みをたたえる愛梨の背後には、奏姫としての神能で構築された光の球体が浮かんでおり、その歩みに合わせてつかず離れずの距離を保っていた
「そっちもな」
「お待たせいたしました。それで、ことが終わってからのお話というのは――」
あらかじめ決めていた通りに十世界と合流した大貴は、愛梨の言葉を遮って、手にしてたものを投げ渡す
「!」
それを受け取った愛梨は、大貴が渡したものが何なのかを見て小さく目を瞠る
「これは……」
「真紅の神器、『界棋盤』だ」
白亜に縁どられれ、満天の星空を内包したような黒地に揺らめく無数の白い光を内包した一枚の長方形の板――神器「界棋盤」を見て目を丸くした愛梨は、大貴のその言葉に困惑した様子で視線を返す
「いえ、それは存じておりますが……」
「今回の共闘の報酬だ」
なぜ自分がそれを手渡したのかを理解できないといった様子の愛梨に、大貴は小さくため息をついてその意図を簡潔に説明する
「いえ、私達はそんなつもりでは……」
「俺達は、それぞれ互いの目的のために手を組んだ。そして、それが今回の共闘の対価だ」
聡明なくせに対価に素で思い足らなかった愛梨は、その言葉の通り本心からそんなつもりはなかったのだろう
だが、十世界に鞍替えしたつもりもない大貴にとっては、聖人界と敵対するために共闘した事由にたる代償を払う必要があった。そうしなければ、今後も九世界と通じていくのに不都合が生じてしまう
「それは、真紅から〝好きにしろ〟って言われてるものだ。だからお前に返す」
大貴の真剣な眼差しを受けた愛梨は、「神器を返却する代わりに、力を貸すことを約束した」という十世界との共闘の筋書きを理解して、肩の力を落とす
「……確かに受け取りました」
大貴からの拒絶の意志に埋まらない心の距離を感じ、物憂げな笑みを浮かべた愛梨だったが、瞬き一つで即座にそれを消し去り、普段と変わらない希望と信頼に満ちた微笑を向ける
「ですが、いつか本当の意味で助け合えるようになりたいです。光魔神様も、神魔さんも――皆さんとも」
等価の交換による交渉などではなく、互いがその心のままに無償で助け合うことを望みながら、愛梨は大貴達を見回して言う
ここでこれ以上何を話してもいつものように堂々巡りにしかならない。それが分かっている大貴が沈黙を以って応じていたその時、愛梨の背後に浮かぶ直径二メートル近い光珠の内側になにかが触れる
「――……」
愛梨の配慮なのか、その内側を見て取れないようになっている光珠に中から触れた女性のものらしき手
を見た大貴は、それを見て左右非対称色の瞳を抱く目をわずかに細める
「その後ろのが、あんた達の目的か?」
「はい。ご同行いただけるということでしたので、勝手に連れ出してきてしまいました」
大貴の問いかけに素直に答えた愛梨は、小さく肩をすくめて苦笑するように言う
その言葉に視線を上げた大貴は、光珠の内側にある手が何かを求めるように動いているのを見てその双眸に険な光を灯す
「申し訳ありませんが、今は彼女をゆっくりと休ませて差し上げたいので、今日はここで失礼させていただきます」
大貴だけではなく、神魔やクロス達の視線が背後の光珠――その内側にいる人物に注がれているのを見て、愛梨は深々と一礼して惜別の言葉を述べる
「ではまた。次は、ゆっくりお茶でも飲みながら親睦を深めさせていただきたいです」
その言葉と共に、自分達の拠点へと続く時空の門を開いた愛梨は、シャリオ、ラグナ、紅蓮と共にその中へと入っていく
「瑞希さん」
「!」
その途中、足を止めた愛梨に声をかけられた瑞希は、首だけを動かして自分の方を見るかつて裏切った人の優しい微笑を見る
「よいお仲間に巡り合えたのですね――大切にしてください」
「ええ」
裏切り者の自分に、相も変わらず昔と同じ笑みと心遣いを見せる愛梨に瞼を下ろした瑞希は、言の端に感謝を滲ませた凛涼な声を返す
素っ気なくも親しみに彩られた瑞希の言葉に微笑んだ愛梨は、その視線に見送られて時空の門の中へと入っていく
「――相変わらず、疲れる人」
愛梨が開いた時空の門が閉じるのを確認して、辟易とした様子で息をついた神魔の言葉を聞く大貴は、その横顔を見ている内にマキシムの言葉が脳裏をよぎる
「神魔」
「なに?」
「全てを滅ぼすもの」――マキシムに聞かされたその言葉に誘われるように思わず口を開いてしまった大貴は、神魔の視線を受けて息を吐き出す
「――いや、なんでもない」
「?」
喉まで出かかっていた言葉を告げることができず、呑み込んだ大貴の様子に神魔をはじめとした全員がわずかに訝しげな表情を浮かべる
「とりあえず、さっさと次の世界へ行こうぜ」
「そうですね」
微妙な空気を作り出してしまった大貴が場を仕切り直すようにそう言うと、それを受けたリリーナが鷹揚に頷いてその視線を瑞希に向ける
これまで魔界王に案内役を任された身として次の世界へと続く扉を開いてきた瑞希は、その視線を受けて口元をほころばせる
「ええ。では、地獄界への扉を開きます」
これまでと変わらず、次の世界への道案内と世界の架け橋となる役目を任された瑞希は、その信頼に応えて次の世界――「地獄界」へと続く扉を開くのだった
※
大貴達と奏姫・愛梨を筆頭とする十世界のメンバーが開いた時空の門が閉じ、聖人界から消えたのを見届けたマキシムは、神威級神器の発動を停止しておもむろに口を開く
「これでよかったのだな」
何の変哲もない天の一点を見つめながら呟いたマキシムのその言葉に、三メートル以上もある巨躯の背後にいくつかの影が翻る
「はい。お手数をおかけしました」
その声に視線だけを向けたマキシムは、そこに佇んでいる戦乙女を彷彿とさせる出で立ちをした女性をみて 目を細める
「――神庭騎士に頼まれれば断れんさ」
「そのようなことは」
その視線の先にいる戦乙女――円卓の神座№10「護法神・セイヴ」に列なるユニット〝神庭騎士〟の一人「シルヴィア」は、マキシムの言葉に深々と一礼することで応じる
その姿を一瞥し、シルヴィアの背後へと視線を移したマキシムはそこに佇んでいる二人を見てわずかに険を帯びた表情を見せる
マキシムの視線の先にいるのは男女一番の悪魔。腰まで届くほどの黒髪に金色の瞳を持ち、三つの角と白が差されたファーのついた立て襟の羽織を持つ霊衣を纏った男――「ロード」と、その伴侶である腰よりも長い艶やかな黒髪に白を基調とした着物のような霊衣を纏った淑やかな絶世の美女「撫子」だ
無言のままシルヴィアとのやり取りを見守っているロードと撫子を視界に収めたマキシムは、ここにいる誰からも事情を聞けないことを理解した上で、口を開く
「初代界首『ヴィクター』は創造神様を愛していた。……いや、その表現は適切ではないな。あのお方を、本当の意味で愛することなどできないのだから
あえていえば、崇敬――もしかしたら、全てのものに平等に注がれるあのお方の慈愛を他者よりも多く賜りたかったのかもしれん」
どこか遠くを見るような目で語るマキシムは、遠い昔を呼び起しながら語りつつも、その独白はこの場にいる誰に対しても答えを求めていないものだった
天支七柱筆頭にして最強の聖人であるマキシムは、以前「聖人界王」という肩書きを持っていた。だが、その後の世代の聖人にして、当時の腹心の一人だった「ヴィクター」――後の初代界首は、マキシムに進言し、今の聖人界の形を作り上げた
そんなことをしたヴィクターの根底に神への深く一途な想いがあったことをマキシムは知っていた。ヴィクターは神を崇め、自らがその被造物であることを心から誇っていたのだ
故に、光の頂点「創造神」に列なる自分達光の存在を何よりも尊び、闇と戦うその存在意義を何よりも忠実に遵守し、そして神によって作り出された世界に自分達の意志を示す形として法を重んじた
だがそれは、至極当然の反応だ。神から生まれたものが、その創造主たる神を慕うのは当然のこと。元々全霊命という存在が、神の兵であり、神が愛するために生み出したものなのだから。
光の神から生まれたすべての光の存在は光の神々――そして、その頂点である光の絶対神「創造神」に対して、愛ではない愛を捧げるのは必然だ
そして、元々聖人がそのように――光の持つ潔癖ともいえる純粋さを強く持って――生み出されたために、そう願ってしまっただけに過ぎない
「――その提案を呑んだ私に、そのことを咎める資格があるわけではないがな」
ヴィクターの提案した聖人界を議会制民主主義によって統治するという案を了承したのは、天支七柱――引いて言えば、その筆頭であるマキシムだった
元々「王」などという冠に興味がなかったということもあるが、ヴィクターがその提案をした時にはすでに聖人達に根回しをして大勢を整えていたこともその提案を承諾した理由だった
「それが、今回のことを招いたのだとすれば、その責任の一端は間違いなく私にあるだろう――だから、私に接触を図ってきたのだろう?」
この場所から見える破壊された街並みを一瞥したマキシムは、神庭騎士、ロード、撫子の三人からの返答を期待できないことを前提として独白するように言葉を進める
瑞希の一件までここにいる面々が想定していたとは思わないが、法と議会に縛られた聖人の在り方を熟知しているからこそ、この三人は自分に――神に最も近く、世界創世から生きている自分に接触してきたのであろうことは想像に難くない
「真面目なことだ」
聖人が聖人であるがゆえに起きた今回の戦いと被害を憂いるマキシムの姿に軽く肩を竦めたロードは、その金色の視線を向けて問いかける
「後悔しているのか?」
「自分達に協力して十世界を通じたこと」、「はるか遠い古にこの世界を議会制にしたこと」――あらゆる意味を含んで問いかけられたロードの言葉に、マキシムは一瞬の沈黙の後にその重い口を開く
「――私も、ある意味でウルトの考えには同意だ。世界が滅びるなら法は無意味。法を守って滅びるより、世界を守って罪を犯すべきだと考えたまで」
決して開き直るのではなく、誇りと責任の下に胸を張って自らの行いとその理由を告げたマキシムは、それを聞き入れるロードに視線を向けて肩を竦める
「そのために十世界を呼び寄せるとは、随分思い切ったことをさせてくれたものだとは思うが」
「奏姫の性格を考えれば、ここで戦いを起こしても犠牲を出さないように計らうはずだ。神器を持っている分なおさらな――お前が犠牲を望まなかったから、光魔神共の戦力増強を含めて計らったまでの事だ」
皮肉めいたマキシムの言葉を受けたロードは、瞼を閉じて笑みを含んだ表情を浮かべながら流すように応じる
「全てを滅ぼすもの」――神魔を殺すことを求めたロードの求めに、マキシムが最後まで渋ったのがその戦いで失われるかもしれない同胞の命だ。聖人すべてが滅びるなら、一部の命に目を瞑るのも間違って位はいなかっただろうが、マキシムはそれを可能な限り、最後まで避けたいと願っていた
故にロードが提案したのは、この場に十世界――「奏姫」を呼び寄せることだった。聖浄匣塔最下層にいる囚人を餌に愛梨を呼び寄せ、聖議殿を戦場に変える
だが十世界盟主「奏姫・愛梨」の性格を考えれば、戦いで無用な犠牲が出ることを良しとせず、神器を使ってでも犠牲を最小限に抑えることができるというのがロードの考えだった
「彼らの旅の目的を考えれば、十世界がここにいる以上次の世界へ行くことはない。それに、どうせ知っていたのだろう? 彼らの中にいる彼女が元十世界の創始者で、そのことを外縁離宮監視者のラーギスが知っていることも」
「いや、単なる偶然だ」
自身の半分ほどしかない身長の悪魔を見据えながら言うマキシムは、自分の問いかけに答えたその言葉に険な光を瞳に宿す
《話は分かった。それで、どうやってそのすべてを滅ぼすものを殺すつもりだ?》
《その辺りは、こちらに任せてもらおう。できるだけ、自然な流れで演出するさ》
先日、今回の話をした際にロードが語っていたことを思い返したマキシムは、先の答えが偽りであることをほぼ確信しつつ、それを追求することなく瞼を閉じる
「そういうことにしておこうか」
どれほど問いただしたところで、その口からそれ以上のことを聞くことはできない。それが分かっているマキシムが話を締めたのを見て、ロードがおもむろに口を開く
「ただ、悪いことをしたな。立場的に色々まずかっただろう?」
「――今更だな」
平然としているが、真摯な心持で作られた表情で言うロードの言葉に肩を竦めて苦笑を零したマキシムは、それに向かい合って厳かな面持ちで応じる
「彼女に関しては、これでよかったのだろう――多少強引にでも、連れだしてくれるように頼んでおいたかいがあったというものだ」
軽く空を見上げ、愛梨と共におそらくは次元の彼方――十世界の本拠地へと向かったであろうその人物へと思いを馳せながらマキシムは独白する
今回の一件、愛梨が聖議殿を訪れ、頑なに聖浄匣塔最下層にいたかの天使を連れ出そうとしたのは、一重にマキシムがそう頼んでおいたからだ
無論、その最大の理由は戦いを好まないその性格から、愛梨達十世界に即座に撤退されるのを防ぎ、全てを滅ぼすもの――神魔を殺める機会を損なわないため。そしてもう一つはマキシム自身、彼女をこれ以上あそこに繋ぎとめておくことが好ましくないと判断したからだ
だが、議会の承認を得なければ永久投獄の決定を下された天使を釈放することはできず、そしてこれまでの経験からその承認が下りる可能性が限りなく皆無であることから、マキシムは愛梨と通じた際、力ずくでも逃がしてほしいと願ったのだ
「だから、結果的にはよかったのだろう。――たとえ彼女がこの世を恨んで十世界に与する者となったとしても」
愛梨が連れ出したのは、天使の原在である十聖天に名を列ねる天使の一人。捕らえる際に天支七柱を二人殺しているほどの実力は、一度敵となれば脅威だろう
だが、マキシムはあのまま彼女を聖浄匣塔の最下層に繋いでおくべきではないと考えていた
「ただ――まさか、アレクが罪をかぶるとは思っていなかった」
その時、これまで淡々とした口調で話を続けていたマキシムがその厳格な表情を曇らせて翳の落ちた声音で天を仰ぐ
「ウルトを守るためだな」
その言葉にロードが淡泊に応じると、マキシムはその目を閉じて沈痛な面持ちで応じる
「だろうな。あのままではウルトが罰せられる。無罪にはできずとも、あえて自分が罪を負うことで減刑を図ったのだろう」
どのような信念があり、どのような理由があったにせ、ウルトがしたことは法に反する世界――聖人界の政治への反逆であり、犯罪行為にあたる
それを主導したウルトを議会が許すはずはない。場合によっては、聖浄匣塔の九十層以上、あるいは最下層への投獄さえあり得る
それをさせないために、アレクは自分がその罪をかぶることを考えた。マキシムが通じていたことも知らず、自分が十世界と密約を交わしたと偽り、一切の罪を自分の責任にしようとしたのだ
「きっと、ウルト様の事が大切だったのですね」
その話に、これまで楚々とした佇まいを崩さず沈黙を守っていた撫子が慈しむような笑みを浮かべて囁く
アレクがなぜ、ウルトを守ろうとしたのかその理由は考えるまでもない。ただ、それがどのような好意であれ、自身の人生を賭して惜しくないと思っているからこその行動であるのは間違いないだろう
「どうする? 自首するのか」
今後の身の振り方を訪ねてくるロードの視線に宿るものを正しく読み取ったマキシムは、小さく息をついてそれに答える
「お前達はそれを許さないだろう? 何より――」
マキシムが真実を告げるためには、議会にロードと撫子、そして神庭騎士の接触とその目的を明らかにする必要がある
だが、三人はそれを許さない。――厳密にいえば、三人の後ろにいるものと、その定めがそれを許さないことを知っているマキシムは、そう告げるとともに崩壊した聖王閣へ視線を向ける
「女のために命を懸けた男の決意を無駄にするのも憚られる」
マキシムが真実を告げれば、アレクは無罪になるだろう。だが、罪をかぶってまで守ろうしたウルトはより重い罪に問われる可能性が高くなる
懸命に考え、一世一代の演技で取り繕ったであろう偽りの罪という正義を貫かんと欲するアレクの意志を無下にするのはマキシムには憚られることだった
「これが、私の罪ということか」
ロードをはじめ、三人の視線を受けるマキシムは軽く天を仰ぐ
正義のために罪を犯し、そして罪なき者に罪を騙らせた罪をその身に背負うこととなったマキシムは、天から降り注ぐ光に照らされる影を白亜の街並みに色濃く落とすのだった