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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
221/305

正々堂々






 聖人界の中枢都市「聖議殿(アウラポリス)」。その中心にそびえたつ中央政府庁「聖王閣(グラザナッハ)」の地下――九世界唯一の全霊命(ファースト)専用監獄〝聖浄匣塔(ネガトリウム)〟がそびえ建つ広場の一角で、神の神格を得た大貴は神威級神器を発現させた最強の聖人マキシムと相対していた


「……あんたが?」


 極黒と極白を同時に内包する太極の力を纏う大貴は、左右非対称色の瞳で自身の倍以上もの背丈を持つマキシムを見据えて思わず声を漏らす

 その脳裏に「十世界と通じていたのは自分だ」というマキシムの告白を思い返しながらその姿を見据える大貴は、一向に口を開く様子のない巨大なその姿に声を上げる


「なんとか言えよ! それに神魔が世界を滅ぼすっていうのはどういう意味だ!? そもそも、その話は本当なのか!?」


 その言葉の真偽は不明だが、もし事実ならば、なぜマキシムは十世界と通じて情報を流したのか。そしてその前に口にした、神魔が世界を――全てを滅ぼすというのがどういう意味なのか

 自身が知らなかった様々な情報を同時に与えられた大貴は、その真意を問いただすべく、語気を強めてマキシムを睨み付ける


「それは、お前の力と目で確かめるといい」

 その語調と声音から大貴が半信半疑、信じられない――特に神魔の事に関しては信じたくないと思っているであろうことを感じ取ったマキシムは抑制の利いた声でそう告げると、左右の手に持った二本の大剣と天に舞う五本の大剣にその理力を注ぎ込む

 神器の力によって不変にして不滅の存在と力を得たマキシムが金色の理力を滾らせるのに呼応して、大貴の黒白の力もまた天を衝いて迸る

「――!」

 天地を創造し滅亡させることを無限に繰り返せるほどの力を発し、そこに込められた神格の意志によって世界を震わせる大貴とマキシムは互いに互いを警戒し合いながら、一瞬だけ意識を外す

「準備はいいか?」

 しかし、その一瞬の空白も長く続くことはなく、先に口を開いたマキシムの問いかけに意識の全てを眼前の聖人へと傾けた大貴は、黒白の力を自身の武器である太刀へと注ぎ込んで応じる

「ああ」




 大貴とマキシムがぶつかり合い、黒白と金色の光が世界を塗り潰す中、自身の知覚では捉えれられない領域の戦いを繰り広げる二人へ向けて、一人の女性が深々と一礼する

 それが誰に向けられたものなのかは本人にしかわからないだろうが、いずれにしろ再び戦端を切った大貴とマキシムへ最大の礼を尽くしたその人物――十世界盟主「奏姫・愛梨」は、その身を翻らせると、扉の破壊された聖浄匣塔(ネガトリウム)の中へ歩を進める


「――随分、派手に力を振るわれましたね」


 最下層からここまで一直線に貫く巨大な天柱の道を見下ろした愛梨は、そこの見えない巨大な穴の中に魔力による破壊の痕跡を見つけて苦笑を浮かべる

「神魔さん達は、無事瑞希さんと合流できたようですね」

 ここまでくれば、先に侵入した神魔と桜の魔力を知覚することができる。封じられているためにとても小さいが、二人がいることで瑞希の存在も知覚で来た愛梨は、微笑みと安堵のゆ息を吐いて意識を整えると、おもむろにそのまま巨大な穴道へと身を躍らせた





 その頃、聖浄匣塔(ネガトリウム)の上に立つ聖王閣(グラザナッハ)の一室では、その身体から血炎を立ち昇らせた男女二人の聖人が蹲っていた

「く、そ……っ」

 とめどなく血炎を立ち昇らせる深い傷の痛みに顔を歪め、満足に動かない身体で歯噛みするのは現在聖人界の代表を務めている界首「シュトラウス」だった

「お互い、情けをかけられましたね」

 そして、そんなシュトラウスに声をかけるのは先代界首の「ウルト」。その慰めにも似た言葉を聞くシュトラウスには、どこかこの状況を歓迎しているような響きが滲んでいるように思えていた

「そもそも、貴様が原因だろうが」

「心外ですね。あなた達が――」

 苦痛にうめくような声でシュトラウスが怒気を露にするのに答えようとしたウルトは、これまで戦闘まで含めて散々繰り返して結果の出なかったやり取りを呑み込む

「そのようなこと、今となっては不毛な争いです」

「――……」

 その言葉に、破壊された壁から純白の街並みが広がっている聖議殿(アウラポリス)へと視線を移したシュトラウスは、その目を細めて険の光を灯す


 ある程度招いたという面があるとはいえ、世界の有史以来最も攻め込まれ、被害を受けた街城。それどころか、最強の聖人である天支七柱五人の内四人までが撃破され、これまで不可侵の領域であった聖浄匣塔(ネガトリウム)にまで侵入されて破壊された

 聖人界史上最大にして最悪、そして世界の威信さえも穢すような被害がすでに発生しているのだ。――そして自分達が愛梨に敗れたことで何が起こるのかを考えれば、もはやその議論に意味などない


「……これで、満足か?」

「覚悟はできています」

 しばしの沈黙を置いてから口を開いたシュトラウスの言葉に、毅然とした笑みを浮かべたウルトが清涼な声音でそう答えた瞬間、二人の前の床が破壊されて瓦礫と衝撃波が渦を巻く

「この理力は……っ」

 その破壊をもたらしたものを知覚で捉えている二人の前で、床を突き破って吹き飛ばされて来た聖人がそのまま地面に叩き付けられる

「ぐ……ッ」

「アレク」

 その身体にいくつもの深手を負い、血炎を立ち昇らせているアレクの姿を見て声を上げるウルトの横で顔を上げたシュトラウスは、その穴から飛び上がってきたもう一人の聖人の姿を見止めて口を開く

「スレイヤ」

 長い髪をなびかせ、アレクほどではないが小さくない傷から血炎を立ち昇らせるスレイヤは、ウルトとシュトラウスの視線を向けられて厳かな声音で一礼する

「失礼いたしました。――彼が、十世界に情報を流した犯人です」

 二人の視線に謝罪を述べたスレイヤは、その切れ長の怜悧な視線で倒れているアレクを睥睨して簡潔に事情を説明する

「本当なのですか……?」

 その言葉を聞いたウルトは驚愕に彩られた声を上げて深い傷を負った身体を横たえたまま、スレイヤを睨み付けているアレクを見据える

「――……」

 驚愕と、それ以上に間違いであってほしいと願うウルトの視線に、アレクは歯を食いしばると沈黙を以って応じる

「アレク!」

 その対応にわずかに語気を強めるウルトの隣で、沈黙を肯定と取ったシュトラウスはアレクを見据えて厳かな声音で言う

「ヴィクトルの仇か」

「――……」

 シュトラウスの口から発せられたその言葉に、アレクは強く歯噛みし、ウルトは沈痛な面持ちで目線を伏せる

「私の……所為ですね」

 自身を責めるウルトの言葉に耳を傾けるアレクは、起き上がろうとしていた体を横たえて破壊された天井から見える空に視線を送る

 それは敗北を受け入れ、自らの目的の終焉を理解したアレクの意志の表れでもあった

「お前の兄ヴィクトルは遠征で助けられて以来、他世界との友和を説き、聖人界の遠征を阻むべく行動していた。

 初回は当時のウルト様の温情と状況を鑑みられて減刑を講じられたが、奴は死ぬまでに三度聖人でありながら聖浄匣塔(ネガトリウム)に収監されている」

 シュトラウスの口から淡々と紡がれるその言葉に、アレクの食いしばった歯がさらに強く軋んで音を立てる


 聖人界の遠征で天使や闇の存在をはじめとした者達に助けられたヴィクトルは、敵でありながら、そして自分達を害した者達に救いの手を差し伸べられたことに感銘を受け、心を動かされて聖人達に自分達の在り方を改めるべきだという考えを持った

 結果、聖人界の時空の狭間の遠征の妨害を行い、時にはその相手を逃がすなどして法廷にかけられ、聖浄匣塔(ネガトリウム)に何度も収監されている


「そしてついに――自らの善行で命を落とした」


「……っ」

 シュトラウスがそう抑揚のない声で締めくくると、アレクは悲痛な面持ちを浮かべる


 そうやって、聖人界の在り方に疑問を持ったヴィクトルはその信念と正義の下に行動を起こしていたのだが、ある日それが裏目に出ることになる

 時空の狭間に出向き、聖人界が捉えようとした者達を逃がそうとしたその身体を、まさに助けようとした者達の刃が貫いたのだ


「彼が悪かったわけではない。聖人界と世界が培ってきた関係が生んだ悲劇だったと言えるだろう――彼は、それを想定していなかった。いや、想定した上でのことだったのかもしれないが」

 シュトラウスの口から紡がれるヴィクトルの最期と、そこにいたるまでの過程に潜む残酷で冷酷な事実が、その場にいる全員の耳に無機質に届く


 その悲劇は、ある意味で起こるべくして起こったものだった。聖人界が捕縛しようとした者が、それを逃がそうとしたヴィクトルを手にかけたのだ

 彼らからすれば、ヴィクトルも聖人界の遠征軍も同じだった。その聖人の言葉を鵜呑みにすることなど容易ではない。何らかの罠だと考え、逆に何かされる前にと決死の覚悟で反撃をするのも必然だった

 ヴィクトルにも、それを返り討ちにした人物にも非はない。強いて言うなれば、聖人界がこれまで行ってきたことと、それによって積み重ねられてきた犠牲と歴史がその悲劇を招いたということだろう


「……だから、聖浄匣塔(ネガトリウム)最下層の事を?」

「俺も、昔は聖浄匣塔(そこ)で働いていましたから」

 悲痛な表情を浮かべながら言うウルトの言葉に、アレクは観念したのか達観したような声音で答える

 そしてそれは、自分が十世界と通じていた主犯であると自白するに等しいものでもあった

「俺がウルト様の意志に賛同したのは、兄の意志に答えるためです。まあ、結局は世界を変えることなんてできなかったですけど」

 自嘲しながらそう言ったアレクは、ゆっくりと天を向いていた視線を倒し、破壊された壁から見える聖議殿(ネガトリウム)の景色を見ながら独白する


 自身の信念を貫き、そしてそれに殉じたヴィクトルはアレクにとって尊敬する兄だった。だからこそ、兄が成しえなかったことを自分が成すために、ウルトの提言に賛同してこの世界を変えようと決意したのだ


「けれど、勘違いしないでください。俺はウルト様を恨んでいるわけでも責めているわけでもない。――分かっているつもりです。界首は所詮この世界の代表にして総意の代弁者。その意思で世界を自由に運営できるわけでもない

 あなたが、例の法案を通すために多くの同胞達に声をかけ、根回しをし、準備を整えていたことも理解しています」

 そうしてその視線を自責の念に駆られているであろうウルトへと移したアレクは、嘆きを堪える様な表情で慰めの言葉を述べる


 界首はこの世界の代表で、総意の代弁者。だが、決して王ではない。そのため、何をするにしても議会に諮り、その承認を得なければならない

 ヴィクトルの最初の一件で感じたことがあったウルトは、遠征軍の派遣を中止し、他の光の世界と同等以上の干渉に留める意見案を取りまとめ、根回しをしていた――結果、それに時間がかかり過ぎ、ヴィクトルが命を落としてしまったのだが

 その上、そこまで周到に計画し、準備していた法案もやはり議会――そして聖人達の大勢を崩すことができずに敗北してしまったのだから、ウルトの心情は察するに余りある


「俺が許せなかったのは、俺自身でもあります。兄を尊敬していながら、兄と共に行動を起こせなかった――一度も誘われたことはありませんでしたが、『一緒に行く』と言えなかった自分が許せない」

 ウルトに対する敵意や憎悪はない。だが、拳を強く握りしめたアレクは最も許しがたい自身の罪と愚かさに歯を食いしばって慟哭にも似た声で言う


 アレクは兄ヴィクトルを心から尊敬していた。その思想や目的にも全面的ではないが同意し、その在り方に憧れていた

 ウルトの意志に賛同したのも、単に兄の遺志を継ぐだけではなく、自身もまたそれを望んでいたからだった

 だが、そんなアレクを常に苛み続けたのは、兄のために何もしなかった自分の行いだった。ヴィクトルが行っていたのは、聖人界に明確に敵対する行為。故にヴィクトルもそれをアレクに強要したり、同行を求めるようなことはなかった

 それによって兄は何度も聖浄匣塔(ネガトリウム)に収監され、そして最後には自分が守ろうとしたものに命を奪われた

 それを知ったアレクは、「どうして世界に停滞することを恐れずヴィクトルと共に行かなかったのか」と己を責め続けてきたのだ


「だから、俺は――この世界を滅ぼすことに決めたんだ」

 歯を食いしばり、その視線を青い空へと戻したアレクは、ウルト、シュトラウス、スレイヤの視線に見守れながら言葉を絞り出す

 だが、世界を滅ぼすとはいっても、アレクが望んでいるのは物理的な意味での滅亡ではなく、正義と法を何よりも尊ぶ聖人界の在りかたを変えることなのだと、この場にいる誰もが正しく理解していた

「十世界にあの情報を流せば必ず行動に移す。そして、その求めにこの世界が応じないのは目に見えていました

 最初は、ただ十世界にこの世界の機構が敗れ、この世界の在り方を考え直させることができればそれでいいと思っていました――でも、光魔神と現れた悪魔の一人が、ああいうことになったのは、こちらとしても嬉しい誤算でしたよ」

 自身のした事を淡々とした口調で述べるアレクは、まるで自らの罪を告白し、自白する罪人を思わせる


 当初、アレクの計画では聖人界が十世界に敗北し、最下層の人物を連れ去られれば十分な成果だった。だが、折を見て訪れた光魔神が連れていた宅間の一人が外縁離宮を警備する聖人の一人であるラーギスと知り合いで、かつかつて十世界に所属していたのはまさに計算外だった

 聖人達がその正義によって瑞希を罰したがり(・・・・・)聖浄匣塔(ネガトリウム)に収監した時には、アレクも天命を感じずにはいられないほどだった


「法の正義に固執するあまり、他の世界との調和を忘れ、その上で光魔神と敵対したこの世界は九世界から孤立し、あわよくば現体制(お前達)も滅ぼすこともできるはずだった――」

 目前にして崩れた理想の砂城を思い描き、叶わなかった聖人界の破壊による再生を惜しみながら、アレクは口惜しそうに言う

 その視線が向けられているのは、現政権そのものであるシュトラウスとスレイヤ。アレクの意図に表情を強張らせたまま耳を傾ける二人からその心中を窺うことはできない


 光魔神を味方に付けるよう計らい、世界を巡らせたのは九世界の総意。そしてそこには当然例外なく聖人界も含まれている

 つまり、聖人界は、自らの正義に固執するあまり世界全体の不利益をもたらすことになる。そうなれば、現時点でもあまり良く思われていない聖人界がさらに世界から白い目で見られるのは確実だ

 そうなって、なにかが起これば当然聖人界の責任が追及され、界首(シュトラウス)をはじめ、その決定を下した議会そのものの意義が問われかねない


「ウルト様が動かないでいてくだされば、うまくいっていたんですけどね……」


「――……」

 脱力したように息をつき、顔を動かしたアレクにそう言われたウルトは自身の行いがこのせ世界を救ったと知りながらも、決して晴れやかなものではなかった


 ウルトが光魔神に助力する決断を下さなければ、聖人界と他の世界は決定的に決裂していただろう。だが、ウルトの行動によって世界は光魔神との繋がりを残し、聖人界もまたその縁糸を残すことができた

 とはいえ、自分の傍に十世界と通じていた犯人がいたのだと知ったウルトに、自身の行いが図らずもその目論見を砕いたことを誇ることなどできるはずもない


「あのまま、あなたがシュトラウスの手にかかれば、光魔神様はこの世界を敵視してくれていたかもしれなかったのに――」

 一抹の可能性に期待し、ウルトとシュトラウスの戦いに静観を貫いていたアレクだったが、ことごとく自身の目論見が覆されたことに、自嘲めいた笑みを浮かべる

「くそ……悔しいですね」

 そう言って抜けるような青い空を見上げているアレクの表情は、心なしか何かをやり遂げた様な晴れやかな感情を宿しているようにウルトには感じられた





 聖議殿(アウラポリス)聖浄匣塔(ネガトリウム)での戦いが最終局面を迎えている頃、そこから遠く離れた外縁離宮でも戦局が変化を始めていた

 先代聖人界界首「ウルト」によって作られたその街は今、監視のためにいる警軍の聖人と城内の聖人達の戦いによって破壊され、美しかった街並みも凄惨な有様を晒していた


「ぐうぅゥ……ッ!」

 街を破壊し、吹き飛ばされたのは、聖人界からこの街に押し込められた叛逆因子たる聖人達を監視するように命じられた聖人――「ラーギス」。

 かつて先代界首(ウルト)の下にあり、瑞希のことを現在の議会に報告した張本人である聖人は、その身体に無数の傷を刻みつけ、血炎を立ち昇らせながら身体を起こす

「おのれ……」

 義憤に染められた双眸で相対する相手――「シャハス」と「ナハト」の姉弟を睨み付けるラーギスは、その武器である偃月刀を構える

「もうやめておいたら? そもそも、多少腕が立つとはいってもここにいる全員をたった四、五人で制圧できると思っているの」

 自身の武器である矛の先端を向けて言うシャハスに続き、その隣で戦棍を構えているナハトが口を開く

「こちらとしては、そちらが手を出さないなら、応戦する意思はありません。そうウルト様より厳命されておりますので」

 豪気な姉と丁寧だが慇懃な物言いの男の言葉に、ラーギスは自身の身体に刻まれた血炎を立ち昇らせる大小さまざまな傷と、外縁離宮全体での戦いを知覚して苦々しく歯噛みする

 個人の上でならどうか分からないが、外縁離宮に住まう全ての聖人が一致団結した今回の戦いでは、もはや戦力が桁外れに違う


 そもそも外縁離宮(ここ)に派遣されている監視役は制圧戦(こんな戦い)など想定していない。なにかあった時、あるいはなにか異常がないかと目を光らせ、その場合には議会に報告をあげるのが役目だ

 その一報を受ければ空間を跳躍して警軍、場合によっては天支七柱を派遣すれば、容易く制圧することができる――そう、それが、平常時ならば。


「それに感じるでしょ? もう聖議殿(向こう)は完全に落ちてる――あなた達の、いえ私達聖人界の負けよ」

 その理由を凛とした表情で告げるシャハスに、ラーギスは歯を砕けんばかりに食いしばって恨めかしい視線を返す


 天支七柱ほどの全霊命(ファースト)が戦えば、その力は外縁離宮(ここ)にいても知覚できる。聖議殿(アウラポリス)の戦いでマキシムを除くすべての天支七柱が倒されたのは、ここにいる全員が知覚していることだ


「まだ、マキシム様がおられる! あのお方が光魔神を討てばいいだけのことだ!」

「馬鹿ね。そんなことになったら、それこそ聖人界は終わりよ」

 ここにいてもはっきりと知覚できる神位第六位の神格同士の戦いを意識の端で捉えながら、吠えるラーギスにシャハスが冷めた言葉を返す

 理力を纏ったラーギスの偃月刀の刃をナハトの戦棍が受け止め、その隙を衝いて放たれたシャハスの矛による突きが肩口を掠め、また一つ傷を刻む

「く……っ」

「――それに、あんた達に法の正義はあっても、世界の正義はないわ」

 新たな傷の痛みに眉を顰め、距離を取ったラーギスに肉薄したシャハスは、理力を込めた斬撃を撃ち込んで瞬時に展開された結界と拮抗して互いの力を相殺させる

「こっちにはこの一件に限り、他の光の世界の王の名代を任されたリリーナ様の御威光があるのよ! つまり――」

 ラーギスの生み出した理力の守りが砕け、金光となって世界に溶けて行く中、この世の理を超越する神速で振り掲げられた偃月刀をかいくぐったシャハスは後方に建つ屋敷を一瞥する


 瑞希が捕えられたことで、リリーナは他の光の世界――「天界」、「天上界」、「妖精界」の王に謁見し、その解放を許可する意思を代行として表することを許されている

 つまり、現状他の光の世界の王は、この戦いの発端である瑞希の投獄を不当だと判断することを容認しているということだ


「多数決は民主主義の基本でしょ?」


 ラーギスの斬撃を紙一重で回避したシャハスは、そのまま理力を纏う矛を逆袈裟に振り抜く


 四つの光の世界の内三つ、九世界の九つの世界の内八つまでが容認していているのなら、そもそも聖人界の行いに正義はない。法律の上では正しかもしれないが、九世界という世界全体の法に背いていることになる


「否! 断じて否! 多数決は法の下で正しくあることが前提だ。法に反することを容認するのに多数決など意味はない!」

 その斬閃を見切っていたラーギスは武器から手を離し、後方へ跳んでシャハスの一撃を回避すると、再び手の中に顕現させた偃月刀を振るう

「何より! 大義のためならば、些細な罪は目零せと言うのか!?」

「時と場合によりけりですよ」

 その言葉に歯軋りをしたラーギスが吠え、シャハスと斬撃を撃ち合わせて理力の衝撃波を散らすと、それをかいくぐって肉薄したナハトが戦棍の刺突を放つ

「ぐうッ!」

 理力を纏う神速の一撃に打ち据えられ、ラーギスの身体がその衝撃によって浮き上がる

 だが、理力によって自身を空に繋ぎとめている身体を遠くまで吹き飛ばすには至らず、即座に放たれた切り返しの斬撃をナハトが戦棍で受け止める

「確かに、正義に殉じるべき時があるのも事実です。ですが、正義と正しさは常に等しいものではないのも事実です」

 ラーギスを武器を合わせ、理力の火花を上げてせめぎ合うナハトは力強い声音でそう言い放つ


 正義や法は正しい。それを守るために命を懸けて戦うべき時は間違いなくある。法を守ることは、世界と間接的にその下で暮らす多くの命を守ることにも等しいのだから

 だが、正義に固執するあまり、何のために戦うのかを忘れてしまうことがある。人は法や正義のために戦うのではないのだ


「もう、この戦いに意味はないわ。あなたが命を懸けても、何も変わらないし、なにもできない――いい加減認めなさい。もう、私達の正義は負けているのよ」

「違う……違う!」

 矛の切っ先を向け、静かに言い放ったシャハスの言葉にラーギスは声を荒げて激昂する

 まるでそれを否定する声を上げ、理力を纏わせた偃月刀の刃を振り抜いたラーギスの言葉に、シャハスとナハトは冷めた視線を向ける

「馬鹿ね」

「確かに、法は弱者を守ってくれる。者ですけれど、法は弱者のためにあるのではありません――だから、弱者を守ってくれないのですよ」

 頑なに正義を貫く聖人らしい聖人さを体現したようなラーギスの斬撃をかいくぐり、シャハスとナハトはその身体に一閃を与える

「ガッ……」

 血炎を上げ、ラーギスが崩れ落ちるのを横目で見届けたシャハスとナハトは、地に倒れ伏して低く呻いているその姿を睥睨して口を開く

「命は置いておくわ」

「リリーナ様にも頼まれていますからね」

 絶命寸前の状態にまで追い込んだラーギスにそう告げたシャハスとナハトは、ウルトの屋敷の中にいるその人物へ意識を向けて軽く空を仰ぐ

「まあ、私達も似た様なものだけれどね」

 肩を竦めて苦笑したシャハスの言葉に、ナハトはここにいても知覚を灼く力の奔流を感じながら、視線をその発生源である彼方へ向ける


「そうでしょう? ――マキシム様(・・・・・)


 ナハトが呟いたその声は、隣に立っているシャハスの耳にしか届くことなく、収束しつつある外縁離宮の戦の風にさらわれて空へ吸い込まれていった





「かなり戦いが収まってきているようですね」

 地上の様子を知覚して目を開いた朱髪の天使――「リリーナ」は、その瞳に隠しきれない一抹の憂いを宿して、澄んだ美声で自罰的に独白する

「本当は、私も戦うべきだったのでしょうが……」

「断られたのなら、仕方ないですね」

 一点の穢れもない十枚の白翼を降りたたみ、結界の隣で佇んでいるリリーナの言葉に、詩織が苦笑を浮かべて言う


 聖議殿(アウラポリス)から帰還したリリーナは、瑞希を助け出すと同時にこの聖人界を離れる意思を詩織に告げ、外縁離宮での戦いに微力ながら加わろうとした

 だが、このシャハスとナハトをはじめ、この外縁離宮を守る聖人達はリリーナの助力を拒み、自分達だけで戦うと頑なに譲らなかったのだ――もちろんそこには、天界の姫としての立場への気遣いと心遣いがあったこともリリーナは分かっていたが。


「戦うことができないというのも、戦いなのですね」

 いつもこんなもどかしい思いを抱えているであろう詩織に意識を傾け、リリーナは聖議殿(アウラポリス)と外縁離宮――二つの場所で起きている戦いの最終局面へ思いを馳せる

「リリーナさんの場合は、戦う意思も力もあるから、私よりずっと歯痒いんじゃないですか? いっそなにもできないくらいの方が開き直れますよ」

 その言葉を聞いた詩織は、結界の中でほとんど何も感じられないまま、隣に立つリリーナを見て慰めるように言う


 結果に守られているからいいようなものの、この外は最弱の存在である詩織には存在することさえできない空間と化している

 もし、この結界が壊れれば、外に満ちる全霊命(ファースト)達の神格が放つ意思の圧が詩織の命を即座に奪い去り、その身体さえ形も残さず消し去ってしまうだろう

 何もできず、守られ、足手纏いになるしかない戦いをずっと潜り抜けてきた詩織は、おそらくリリーナや他の誰よりも弱く無力なことに関しては長けているという自負がある


「でも、戦って守ることはできなくても、戦いじゃないところで戦ったり、力になったりはできるかなって思います

 ――きっと、無理して同じことをしなくてもいいんですよ。だって、友達とか仲間とか、人を信じるってそういうことだと思いますから」

 結界の中から自分が混じることのできない戦いの世界を思う詩織は、無力な自身の手の平に視線を落として笑みを浮かべる


 大貴も、神魔も、クロスも、桜も、マリアも、瑞希も、これまで力も、知恵もなにもなく、なんのためにここにいるのか分からなかった詩織を仲間外れにすることはなかった

 「何ができるのか」と問いかけ、その意思を尊重してくれた。無力でなにも出きず、ただここにいるだけだったからこそ、詩織は気づくことができた。


 ――〝一緒に戦えないから仲間や友人になれないのではない〟という至極当たり前のことに。


「だから、〝私には信じることと守られることができるんだ〟って思うようにしてます。――なんて、ちょっと生意気でしたね」

 自分が弱いことを認め、その上で何ができるのか自分に正しく向き合い、自分らしくあることを胸に抱き、誇らしく語った詩織が照れくさそうに軽く舌を出すのを見てリリーナは小さく首を横に振る


「いえ。詩織さんらしい強さと優しさのある、よい言葉だったと思います」


 その言葉に、リリーナは全てを癒し、包み込むような視線を詩織に向けて微笑みかける


《――》


「――!」

 その時、リリーナの意識に神能()に乗せて送られた無音の言葉――思念通話が奔る

 遥か遠くから、自分の光力へ送り込まれて来たその思念に意識を向けたリリーナに、詩織の表情も神妙なものに変わる


「分かりました。神魔さん」


 そしてしばしの沈黙の後、リリーナは詩織にもわかるように、その思念通話の相手に厳かな声音で答えるのだった





 偽りの空間、作りものの天と地を貫く道の最も深い場所――資格ある者のみが通ることを許される頑強な扉を十枚通り抜けた先には、白亜の世界が広がっていた


 聖浄匣塔(ネガトリウム)の中で、直接的な刑罰が科せられる九十層から百層まではそれぞれが扉で隔てられている

 その壁を破壊して辿り着いたそこから、床も壁も天井も純白になっている通路と、光源がないというのに無数の小部屋が建ち並ぶその階層は薄明りに照らし出されていた


「ここが、聖浄匣塔(ネガトリウム)最下層――」

 眼前に広がる光景を見て小さく独白した侵入者――十世界盟主「奏姫・愛梨」は、まるで何かに導かれるように迷うことなく歩を進め、その中に在る一つの扉を開ける

 神器の力を借り、最強の聖人「マキシム」の理力によって封印が施された扉を破壊した愛梨は、その部屋の中へと入っていく


 その室内は、まるで雲の切れ間から差すように光が降り注いでいるかのような世界になっていた。これまで通ってきた八十九層までとは違い仮初の空や大地のない一面を白で覆われた無機質な空間は静謐で、ここがいかに神聖なのかを、この場所そのものが訴えかけてきているようだった

 部屋に入った愛梨の視線の先には、部屋の中央にそびえ立つ水晶で作られたような結晶質の氷柱が一本、天井に向かって伸びていた


「――あの方が……」

 その結晶柱にそって視線を上げた愛梨は、その先端――二つに分かれて作られた空間にあるものを見止めて独白する


 二つに分かれた結晶柱の間には、理力で構成された金色の鎖が幾重にも絡みつき、そこにいる人物――紅色の髪に、四対八枚の純白翼を持つ天使の女性が磔にされていた

 その両手両足、腹部と翼の全てに光杭を打ち込まれ、それに繋がった光鎖で結晶柱に縛りつけられている天使の女性は、愛梨が入ってくると項垂れていた頭をゆっくりともたげる


「あなたは――?」

 澄んだ鈴の音を思わせる綺麗な響きを持つ声で言葉を紡いだ紅髪の天使の女性に、愛梨はその表情を綻ばせて慈愛に満ちた花のような笑みを浮かべる

「お初にお目にかかります。私は神の巫女が一人、『奏姫・愛梨』。そして、今は不肖ながら十世界という組織の盟主を任せていただいております」

 目を開き、まるでその心の内、魂の底まで見透かすような澄んだ翡翠色の瞳で視線を向けてくる紅髪の天使に、愛梨は胸に手を当てて恭しく一礼する

「実は、私はあなたを連れ出すよう、ある人に頼まれてここまで参りました」

 十世界が生まれる前からここにいるその人物に簡潔に自らの名と存在、そして所属を名乗った愛梨は、奏姫という名に小さく目を瞠っている紅髪の天使に微笑む

「一緒にここを出ましょう――」

 そう言って軽く手を差し出した愛梨は、その手を取る意思を紅髪の天使に問い求める

 差し出されたその手は、天に縛りつけられた天使へと差し伸べられ、手を取り合うことを望み、求める意思を届ける




「十聖天がお一人、『アリシア』様」








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