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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
220/305

差し伸べたその手に告白を







 結晶質の扉を破壊し、九世界における唯一の全霊命(ファースト)専用の牢獄である聖浄匣塔(ネガトリウム)の内部に侵入した神魔と桜は、互いに視線を交わすと同時にその中へと飛び込む

 結晶質になっている外側とは打って変わり、その内側は神殿を彷彿とさせる厳かで神々しいものになっており、飛翔してその広大な内部を抜けた神魔と桜は、その中央を貫く巨大な塔の門の中へと飛び込む


「――ウルトさんの言ってた通りだ」


 破壊した扉が形を失って消失する中、重力に従って落下する神魔は、下から上へ(・・・・・)抜けるように走る風を感じて目を細める

 その視界に映るのは、遥か地下まで一直線に続いている天を繋ぐ道。そして、透明な壁で覆われたその場所からは、外に広がる青い通路の奔る広大な大地を見て取ることができた


 聖浄匣塔(ネガトリウム)は、地下に向かって伸びている構造の建造物。まるで罪人を光の届かない場所へ追いやり、刑期を終えた者を光の下へ導くとでもいいたげな構造をしている

 第一層は地下一階。そして最下層は地下百階。事前にウルトから聞いていた通りの構造であるのを確認し、神魔と桜は遥か下まで続く長い空洞の道を飛翔しながら降りていく


「封印の所為か、大分、力が知覚しづらいね」

「はい。ウルト様は瑞希さんの罪状と刑期を考えれば、重罪人が収監される九十層より前にいるはずだと仰っておられました」

 空間隔離の力まで応用されている聖浄匣塔(ネガトリウム)は、一層一層がかなり巨大で広大になっている。しかも全霊命(ファースト)を捕らえておくためにマキシムによる封印が行われているため、罪人の力が非常に知覚しづらくなっていた

「だね。一層一層しらみ潰しにしてくしかないか……」

 事前に聞いたウルトの説明を思い出して進言する桜の声に頷いた神魔が忌々しげに眼を細めると、この異常事態を察知したのか地下からおびただしい数の聖人が姿を現す

 各階層から出てきたらしい聖人達に加え、先程までターミナルエンドにいた者達が慌てて追ってきたのか、外からも数えきれないほどの聖人達が姿を見せる

「そこまでだ、止まれ!」

「悪魔が! このような邪悪な行いが許されると思うな」

 口々に怒りを露にし、法と正義の象徴でもある聖浄匣塔(ネガトリウム)に強引に侵入してきた神魔と桜へ向けてその理力を解放する

 聖浄匣塔(ネガトリウム)の看守にして、守護者、刑の執行者たる法の番人たちが各々の武器を手に迫ってくるのを睥睨した神魔と桜は、大槍刀と薙刀に魔力を纏わせてその軍勢を真正面から迎え撃つ


「邪魔!」


 淡白で冷酷な響きを帯びた神魔の一斉と共に二人は共鳴する魔力を束ね、一刀の下に放たれた純黒の魔力の波動によって聖人達の軍勢を迎撃する

「ぐあああああッ!」

 魔力を共鳴させた今の神魔と桜の神格は、原在(アンセスター)と互角に近い。いかに精鋭たる聖人達と言えど、神に最も近い全霊命(ファースト)相手に神器などの特別な力なしに対抗するのは無謀としか言えなかった

 暗黒色の斬撃に呑み込まれ、ある者は地下へ、ある者は天を貫く壁を貫いて階層へと吹き飛ばされ、監獄の大地に破壊をもたらす

「――あれは……」

 その戦いは、外界を知覚することができない聖浄匣塔(ネガトリウム)全域に視覚と知覚と戦闘音、衝撃を伴って広まり、何が起きているのかを察した罪人たちがざわめき出す

 だが、誰も率先して声を上げるようなことはない。静かに天地を貫く牢獄の中心部で行われている戦いに静かに視線を意識を傾け、事の成り行きを見守っていた


「桜!」

「はい」

 共鳴した魔力を掲げた神魔と桜は互い武器の刃を重ね、純黒の魔力を解放して聖浄匣塔(ネガトリウム)を歴史上ではじめて闇色の力で染め上げた




 偽りの青い空の下、周囲を見渡せる小高い丘の上に腰かけて偽物の風に黒髪を遊ばせていた瑞希は、おもむろに口を開く

「――どうして、来たの?」

 そう呟いた瑞希の背後には、聖人達の守りを突破してきた神魔が三歩程の距離を保って佇んでいた

 神魔の斜め左後方には、淑やかな佇まいを守った桜がそのやり取りを見守っており、その身体には激戦を潜り抜けてきた証である小さな傷が残っている

「助けに来たに決まってるじゃない」

 瑞希の問いかけに、ツェルド、ビオラと二人の天支七柱を退けてきた戦勲の傷をつけた神魔がさらりとした口調で答える

 闇の全霊命(ファースト)の持つ再生力によって血炎は止まっているが、その傷痕を残した神魔と桜を一瞥した瑞希は、その麗淡な美貌にどこか寂しげな表情を浮かべて言う

「そんなに傷だらけになって?」

「……ま、結果的はね」

 その言葉に、苦笑を浮かべながら答えた神魔の言葉は、優しい響きを帯びていた


 ずっとこの聖浄匣塔(ネガトリウム)にいた瑞希には知る由がないが、現状を鑑みればどう考えても神魔達は聖人界の許可を得てここへ来たようには見えない

 そうなれば、ここへは実力行使で強行突破をしてきたことは容易に想像がつく。そして、そのために自分には想像もつかないほどの激戦を潜り抜けてきたことも明白だった


「私のために?」

「僕が――僕達がそうしたかったんだ」

 ゆっくりと立ち上がり、傷ついたその姿を見据えて柳眉を顰めた瑞希の問いかけに、神魔は優しく微笑んで応じる

「どうして?」

 それが自分達だけではなく、大貴を含めての総意であることを伝えた神魔の言葉に、瑞希の口から思わず声が零れていた

「私には、そんな価値なんてないわ」

 そう言って自嘲混じりに言った瑞希の表情は、自罰的で自蔑的な色を帯びており、その言葉にしがたい複雑な心境を表しているかのようだった

「だって私は、裏切り続けてきた女よ。仲間と呼んでくれる人も、友と呼んでくれる人も、世界も、自分自身も――そして、あなた達も」

 まるで何かを諦めたように言う瑞希は、まるで神魔達の方から自分を見限ってくれることを望んでいるかのような口調で言う


 瑞希にとって、これまでの人生は裏切りだった。望んでもいない光の存在への復讐によって己の心を裏切り、神によって繋ぎとめられた失われているべきはずの命は生を裏切り(・・・・・)、利用されているだけであることなど分かっていながら、孤独を恐れ、その手を振り払うことができたはずの己の強さを裏切った

 愛梨が掲げる理想に賛同しかねていながらも、(あららぎ)やこれまで過ごしてきた種族の違う家族との決別を恐れて己の意志を裏切り、かつて自分がいた組織を売り、友と呼んでくれる人さえもその手で殺めた


 だが今も、魔界を裏切り、自分を信じてくれている大貴や神魔達を裏切り続けている。


「私は、何がしたかったのかしらね――もう、自分でも分からないのよ」

 自身を嘲るように言う瑞希の瞳は、成すべきことを見失って迷う弱々しい光を湛えていた


(私は、きっと嫉妬していてだけ)


 瑞希にとって、自身の人生はおそらく何もないものだった。

(兄や姫のようにしたいことがあった訳でもない。特に姫の理念には賛同していなかったのに、離反することも反対することもできず、ただ迎合していただけ――)

 (あららぎ)のように誰かを救いたいと思っていたわけではない。ただそれを(あららぎ)がしたいと願い、行っていたから妹として同伴していただけ。愛梨のように自身の譲れない信念や望む未来があったわけでもない

 強く自分を持ち、行動することができる人にただついていくことしかせず、それでいてそれが自身の望みではなくとも、孤りになるのが嫌で決別することもできず、ただ無為に時間と心を浪費してきた


(罪業神の誘いに乗ったのも、ただ自分のために命を削った兄さんへの罪の意識があったから――)


 死んだ自分を繋ぎとめるために、神と契約を交わし、その存在を食われていった兄への後ろめたさがあったから十世界を売った。

 自分には何もないというのに、誰かの願いを免罪符に最後まで自分だけを守り続けた、卑怯なだけの生き方


(本当に、罪深い)


 おそらく、自分を利用した罪業神はそれを見抜いていたのだ


 世界の在り方に反する十世界(者達)を売ることで世界の正しさを示しておきながら、自らは死者を生き返らせるという世界の理を犯す

 そして、それすらも建前でしかない。信念もない。誇りもない。世の在り方という正しさを免罪符にして自分のために他者の理念を踏み躙ったにも関わらず、それに自らの意志を示していない


「だからこれでいいのよ……これで」

 だからこそ、聖人達が自分を捕らえると言った時、これが自分の運命なのだと結論付けた。これまで多くの人を――自分さえも裏切り続けた者の末路なのだと諦め、それを享受することにしたのだ

 裏切り続けた自分が捕まるだけで、大貴達の行く先が幸いなら、そして自分を利用する〝神〟にささやかな報復ができるのなら、これでいいのだと甘んじて罰を受け入れ――罰を求めた

「瑞希さんがどう思ってても、僕には瑞希さんを助ける理由があるよ」

 そんな自己嫌悪に満ちた瑞希の声を押し殺した慟哭に耳を傾けていた神魔は、その真意がほとんど分からないまま、それでもそう優しく告げて手を差し出す

「だから、ここを出るよ」

 自分を何も知らないというのに、自分を信じて見据えてくる神魔のそのまっすぐな迷いのない視線に、瑞希はまるで心を針で刺されているような罪悪感に見舞われていた

 まるで心が悲鳴を上げているような感覚に、拘束された手を自身の胸に添えた瑞希は、まるで堰を切ったようにその想いが混じった言葉を溢れさせる

「なぜ? なんで、こんなにまでして私を助けようと……あなたにとっては、彼女が一番大切なのでしょう?」 

 全てを任せているのか、沈黙を守り続ける桜を視線で示した瑞希は、自分に手を差し伸べている神魔を問いただす


 神魔にとって誰が一番大切で、何を一番守りたいのかなど考えるまでもない。これまで共に世界を巡って戦う中でそれなりに親しくなったとは思うが、神魔の中での自分の価値が桜に匹敵するとは思うほど瑞希は思いあがっていない

 だというのに、神魔と桜は魔界王から提示された条件でもなく、世界を敵に回す可能性さえあったというのに、自分達の命を危険に晒してまでここまでやってきたのだ


「私の……私なんかのために、こんな危険を冒す必要なんて……」

 自身にそこまでの価値を見出せず、視線を伏せて困惑を隠せない声音で言う瑞希に、神魔は優しく微笑んで答える


「約束したでしょ? 瑞希さんが危険になったら助ける、って」


「――? ッ!」

 その言葉に一瞬思い当たる節がなく眉根を顰めた瑞希だったが、即座にその時のことが脳裏に甦ってくると、その目を小さく見開いて神魔を見つめる


《――ねぇ、もしも私に危険が迫ったら助けてくれるのかしら?》


 それは、妖精界でかつて十世界の前身組織での知己の仲である「ニルベス」と瑞希が決別したとき、神魔へと向けた言葉。

 裏切りなどと思われても仕方のない状況の中、神魔は瑞希を信じ、そしてその問いかけに「もちろん」と答えた


 十世界の創始者であると知っても、大貴やクロスとは違い、神魔は瑞希に対して特別な反応を見せなかった

 瑞希は、それが神魔が単純に自分の事をなんとも思っていないからだと考えていた。同行者で監視役、仲間でも友でも、ましてや恋人のようなものでもない

 興味がない。必要なら斬って捨てればいい――その程度に考えているのだろうと思っていたからこそ、瑞希はその言葉に答えた


《そう。では、期待しないで待っていることにするわ》――と。


「ばかね……あんなの、あの場の他愛もない話でしょう。そんなことで、ここまですることないじゃない。ここまでして守るほどのものじゃないでしょう」

 その事実に気付いた瑞希の声は涙をこらえているように震え、神魔を見る瞳が心なしか泣き出しそうに潤んでいた


 まさかそんなことでここに来たとは思っていなかった瑞希は、神魔のその言葉に、胸中が焦されていくのを感じていた

 歓喜、幸福――今胸を満たすその感情を何と呼ぶのかは分からない。だが、今目の前にいる神魔の視線と言葉がこれまで瑞希が懸命に覆い隠し、押し殺してきた心の奥にある凍った部分を、温かく溶かしてくれていた


「私、なんかのために……」

(私は――)

 そしてその胸の高鳴りを噛みしめる瑞希は、自分の中にあった小さな種が息吹くように自身を満たしていくのを感じながら声を絞り出す

「それに――」

 唇を震わせる瑞希のその言葉に、わずかに眉をひそめた神魔は、一瞬だけ背後にいる桜を気にしたような素振りを見せると、一拍の間を置いて優しく微笑む


「それに、瑞希さんみたいな人、結構好きだよ」


「――ッ!」

 その言葉に瑞希は思わず息を呑む

 その言葉がそんな意味ではないことくらい瑞希には分かっている。ただ神魔は、瑞希が自分で自分を卑下しているのが気に入らなかったから、そう言ってくれたのだということことは明白だ


 だが、これまで裏切りによって心を痛め続けてきた瑞希は、神魔に自身の気持ちを裏切られ(・・・・)て純情な乙女のように赤らんでしまう頬を抑えることができなかった


「もう十分。あなたの、その気持ちだけで私はもう、十分。今ならまだ謝れば許してもらえるかもしれないわ。だから――」

 眦が熱くなり、堰き止められていた感情が溢れだしていくような感覚に瞳を潤ませた瑞希は、声を震わせながら神魔に希う


 自分の全てを知った上で当たり前にかけてくれたその他愛もない言葉がどれほど自分を救ってくれたか、今自分を見つめている神魔には分からないだろう

 喜び、感謝――言葉にできない神魔への想いがあふれ出す涙となり、形を失って透明な雫となって溶けていく中、瑞希は満たされた気持ちでいっぱいになっていた


「やだよ」


 しかし、その瑞希の言葉に当の本人である神魔の淡泊な声によって即座に切って捨てられる

「っていうか、瑞希さんにそんな権利があると思ってるの? 僕達が苦労して助けに来たんだから、ここは素直に助けられてくれないと」

 その言葉に軽く目を瞠った瑞希に、神魔一向に差し伸べられる気配のない手を強引に取って、いたずらめいた笑みを浮かべて胸を張って堂々と言う

「私の意志はどうなるの?」

 自身の手を握って引く神魔の手の温もりを感じながら、瑞希は目を細めて問いかける

 

「知ったことじゃないよ」


 その言葉い、神魔は優しく力強い笑みを浮かべて言う

「……とても勝手ね」

 自分の意志を無視しした言い分だが、嫌味のない安心感のあるその笑みに、瑞希の表情は自然と和らぎ、硬質な麗貌が柔和な笑みを湛えていた

「まあね」

 その笑みを見て観念したように瞼を落とした瑞希は、自分の中にある感情に気付いてその笑みを自嘲の色をで彩る

(馬鹿ね、私は――今になってやっと気づくなんて)

 ここまでしてもらって初めて、瑞希は自分が本心ではこうしてもらいたかったのだと気付いていた

 裏切り続けてきたことで、自分が本当に望んでいることさえ見えなくなっていたことに気付いた瑞希は、同時に神魔の姿に、(あららぎ)のそれを重ねる

(私があの時あの誘いに乗ったのは、兄さんを蘇らせたいからなんかじゃない――私を、必要としてくれる人が、私が寄りかかれる人が欲しかっただけなんだわ)

 瑞希には、(あららぎ)や愛梨のように自分の意志でしたいことはなかった。だが、そうして歩く人に寄り添い、力になりたかったのだ


 あの時、すでに(あららぎ)も愛梨も自分の力など必要がなくなっていた。だが瑞希はそれを求めていたのだ――「この人のために尽くしたい。何かしてあげたい」と思わせてくれる人を。

 だから、十世界(愛梨)を切って()を選んだ。自分がいなくてもいい組織(場所)ではなく、自分が行動することで助けられるものを選んだのだと


(なんて身勝手で弱いのかしら)


 自分の愚かさに気づき、惨めさを感じる瑞希がこみあげてくる笑みにその表情を和らげると、(あららぎ)の姿が消え、そしてそこに自分の手を取ってくれている神魔の姿が映し出される

(私は――)

「だから、ここを出るよ。瑞希さんのためじゃなく、僕の――僕達のために」

 そう言って自分達の許へと促す神魔の手をほどいた瑞希は、瞼を落として思案を巡らせるとその目をゆっくり開く

「私は、もう私がどうしたらいいのかも分からないわ」

 そう言葉を紡ぐ瑞希は、その話の内容とは裏腹に憑き物が落ちた様な爽やかな笑みを浮かべており、その様子に神魔と桜はわずかに怪訝そうに眉を顰める


「だから――あなたが私の生きる理由になってくれる?」


 麗貌を綻ばせ、微笑んだ瑞希はその言葉にわずかに目を丸くしている神魔を見つめて、自身から解いた手をもう一度差し出す

 それは、先程のような強引な手段ではなく、互いの同意によって連れ出してほしいという瑞希からの契約の要求だった


「私を、あなたの二人目の伴侶にしてほしいの」


「え!?」

 突然の瑞希の告白に、神魔が驚愕に目を見開く。その背後では、同じように瑞希の告白を聞いた桜が淑然とした居住まいを崩さないながらも、小さくない驚きをその美貌に浮かべていた





「ふふ、冗談よ。何を真に受けているの?」

 さすがにそんな申し出は予想もしていなかったのだろう。困惑を隠せない神魔としばし視線を交わした後、瑞希はその凛然とした表情を綻ばせる

 差し出していた手を引き戻した瑞希は、それで可憐な花唇を隠すようにして上品に笑う。少々たちが悪いものではあるが、これまでそんな冗談を言うようには思えなかった瑞希のその様子に神魔は安堵にも似た表情で肩に入っていた力を抜く

「――」

 下手な反論は自身の首を絞めるだけだと思っているのか、その言葉に顔をしかめてばつが悪そうに視線を逸らす神魔に向き直った瑞希は、その麗悧な目を穏やかに細めて微笑む

「そうね。瑞希って呼んでくれたら、助けられてあげてもいいわ」

 そう言って自分の手を差し出した瑞希の微笑に、神魔は面差しを整えて小さく頷く

「いくよ。瑞希」

 要求に答え、差し出されたその手を取った神魔は、もう離さないと言わんばかりにその細い手を強く握りしめる

「……ええ」

 自分の手を握る神魔の手の温もりと、力強さにその氷麗な凛貌に花のような笑みを浮かべた瑞希は、頬をほんのりと朱に染めて噛みしめるように、刻み付けるように呟く

「けれど、そんなに強く手を握られるとちょっと照れしまうわ。桜さんにも怒られてしまうでしょうし」

「あ、ごめん」

 繋がれた手に視線を向けた瑞希がからかうように言うと、神魔は特に慌てた様子もなく、淡白にそう言って握っていたその手を離す

 その手を引き戻し、神魔が触れていた部分に自分の手を重ねた瑞希は、その白い頬に朱を差してそこに残る温もりを慈しむように目を細める


《申し訳ありません》


「!」

 その時、脳裏に響いてきた思念通話の声に目を瞠った瑞希は、その送り主である桜へと視線を向ける

 腰まで届く癖のない艶やかな長い桜色の髪をなびかせる桜は、器用にも淑やかな笑みを神魔へと向けながら、意識の一端を瑞希へと向けて魔力に乗せた思念による沈黙の声を届けていた

《神魔様は、そういうこと(・・・・・・)に疎いところがありまして》

 冗談で済ませた告白が本心であることを見抜いている桜の言葉に、瑞希はわずかに紅潮した表情に澄ました笑みを浮かべて応じる


 先の会話の中で、瑞希はいつの間にか自分が一人の女性として神魔に惹かれていたことに気づいてしまった

 いつの間にか心奥に芽吹き、根付いていたその想いが花開いた瑞希は、生まれて抱くその感情を少々持て余しつつもそれを愛おしく受け入れていた


《あなた一筋なんでしょう》

 神魔は騙せても、桜まで誤魔化しきることはできなかった瑞希は、観念したように自嘲めいた声を返す

 二人がいかに深い愛情と信頼で結びついているかなど瑞希にも一目瞭然。そこに突然自分が割って入れるなどとは瑞希も思っていない

《ごめんなさいね》

 自分の気持ちにも気づかず、自分の気持ちに振り回されてしまった瑞希の口からは、思わず謝罪の事が告げられる


 それが何に対して謝っているのか、瑞希にも分からない。抱いてしまう想いに罪はないであろうし、その気持ちを告げることは九世界においてもさほど咎められることでもない。

 複数の伴侶を持つことが禁じられているわけでもないこの世界の理の中で生きる瑞希が謝罪を述べたのは、強いて言えば助けに来てくれた神魔達に対してそれを提示した卑怯な自分を後ろめたく感じたからなのかもしれない


《いつから、ですか?》

 脳裏に響いた瑞希のその言葉を沈黙のまま受け入れた桜は、しばしの沈黙を破って穏やかな声音で訊ねる

 「いつから神魔に対して特別な想いを抱いていたのか?」という桜の質問に対し、瑞希は自分自身でも判然としない自身の心に尋ねながら、ゆっくりと自分なりの答えを紡ぎ出す

《そうね……きっかけは、魔界の城だったと思うわ。判決を待つ間、あなたと彼の姿を見て、私にもあんな人がいてくれたらいいのにと思ったのがきっかけと言えば、きっかけでしょうね。

 いつの間にかあなた達と彼の事を目で追って、九世界を回りながらいろいろしている内に、いつの間にかといったところかしら》

 生まれて初めてかもしれないというほど慎重に自身の気持ちを向き合う瑞希は、言葉を選びながら桜に対して最大の敬意を払って答える


 振り返ってみれば、神魔達を意識したのは確かに魔界王城でのことだっただろう。ゆりかごの世界への不法滞在の罪科を定めるため、捕らえられた二人を見張っていた時、神魔と桜は最後になるかもしれない時を使って身を寄せ合っていた

 深い愛情で結ばれたその姿を見ながら、もしもという考えから桜を自分を置き換えていた中で、瑞希は神魔を特別な相手として仮定していた

 その時にどこまでの感情があったのかは瑞希自身にも分からない。ただその場だけのものだったのか、あるいは心の奥で潜在的に惹かれていたのか――ただ、その小さなきっかけから共に過ごす中で瑞希の中で神魔の存在が大きくなっていったのだ


《まったく、馬鹿みたいよね。自分から色々な人の信頼を裏切っておきながら、本当は誰かに寄りかかりたくて――信じてもらいたくてたまらないなんて》

《そんなものですよ。わたくしだって、神魔様のためなら、なにを犠牲にしても惜しくはありません。ですが、きっとその後でそのことで多少なりとも自分を責めるでしょうから》

 自分勝手な自身の感情に自虐体に笑う瑞希の言葉に、桜はたおやかな言葉で応じる

 誰しも自分を裏切ることはできない。大切なものを選んだとしても、選ばなかった選択肢を拾えた可能性を後悔しないことなどないだろう

《……桜さんはいいの?》

 神魔の傍らに寄り添いながら瞼を落としている桜の意識に、どこか後ろめたそうな響きを帯びた瑞希の声が届いてくる

《それは、神魔様がお決めになられることです》

 こんな自分が神魔のことを想っていてもいいのかと訊ねる瑞希の言葉に、桜は変わらないたった一つの自分の意志を告げる

 もし神魔が瑞希を伴侶の一人にと望めば、桜は反対するつもりはない。ゆりかごの人間である詩織とは違い、同じ悪魔同士なのだから、そこに二人――特に神魔の意志以上の価値はないというのが桜の考えだ

《――……ッ》

《ですが、そうですね……瑞希さんは素敵な方だと思います》

 それに瑞希が息を呑むのを感じ取った桜は、神魔ではなく同じ人の伴侶である自分から見た率直な感想を正直に告げる

 それが、桜に認められ、評価しているからこその言葉であることが分かる瑞希がその目を軽く瞠ると、その意識に慎ましやかな声が春風のようにそよいでくる

《ですから――》

 決して親しくしていたわけではないが、これまで長くはなくとも短くない時間を共に過ごしてきた桜は、瑞希の人となりを自分なりに見てきたつもりだ

 特に戦いの中で詩織を結界で守ってきたのは、桜か瑞希だった。一件淡泊で人を寄せ付けないような雰囲気を纏っている瑞希が、実はとても面倒見がいい優しい性格であることを知っている


《負けませんよ》


 瑞希を認めているからこそ、桜は嫉妬ともとれるやきもちにも似た感情を込めた友好的な親愛の笑みを向ける

《私は、最初からあなたには勝てないわよ》

 一輪の花を思わせる穏やかな微笑みを浮かべる桜の宣言を受けた瑞希は、瞼を閉じると肩を竦めて苦笑を浮かべる

《そのようなことは……》

《――でも、少し頑張ってみようかしら》

 謙遜する桜の言葉を遮って顔を上げた瑞希は、これまでと変わらない麗凛とした面差しだが、どこか憑き物が落ちた様に晴れやかな印象を感じさせる表情を浮かべていた

(神魔にとって私のどの程度のものなのかは分からない――でも、この気持ちは本物。だから……私が(・・)神魔にとって桜さんと同等じゃなくても、一番でなくてにとって私の(・・)一番が神魔であればいい)

 自身に芽吹いた想いを愛おしみ、心中に湧きあがる思いを慈しむ瑞希は、誇らしげに胸を張って顔を上げて神魔を見つめる


 世界の理では、互いに想いさえ通じ合えば伴侶になることができる。だが複数の伴侶もその価値が常に等しいとは限らない

 仮に神魔の(つがい)に加われたとして、神魔にとっての桜の価値と自分の価値が等しくなる自信は瑞希にはなかった。

 だが、それでもいい――あるいは、この想いが神魔に届かなくても、想い続けるのは自由であるはず。

 今までも自分になかった本当に大切なものを手に入れた瑞希は、神魔の幸せのために自分の心と力を傾ける決意を固める


「……」

 今までと何も変わっていないというのに、纏う雰囲気が変わった瑞希を見る桜の視線の先で、束ねた黒髪を靡かせたその女性は、神魔の傍らで足を止める

「話終わった?」

 二人の間に交わされる魔力によって桜と瑞希が思念通話をしていたことを知覚していた神魔は、その様子を見て訊ねる

「えぇ、待たせてしまったわね」

 ほぼ聖浄匣塔(ネガトリウム)内の警備の聖人を倒してきたとはいえ、まだ何が起こるか分からない

 そんな状況で悠長に桜と話し込んでいた瑞希は、それを咎めもせずに待っていてくれた神魔の気遣いに感謝を述べる

 その瞳は、つい先ほど確信したばかりの瑞希の想いと決心したばかりの決意を訴えかけているのだが、そこに込められた無言の言葉は今はまだ神魔には届かない

「ねぇ、さっきから二人でなに話してたの?」

「なんでもないわ」

 簡単に自分に靡かない神魔の言葉に目を細めた瑞希は、なぜかそれを歓迎しているかのように柔らかな声で応じる

「はい。女同士の話ですから」

「なんか腑に落ちないんだけど」

 それに続いた桜が瑞希と視線を交わすのを見て、先の思念通話以降目に見えて親しくなっている二人の女性に神魔は怪訝な視線を送りながら言う

 神魔のその反応に、桜は口元を手で隠しながら淑やかに微笑み、瑞希は口端を吊り上げて微笑を浮かべるとその隣りに肩を並べるようにして立つ

「神魔」

 向き合ったままではなく、あえて横に並んでから語りかけてきた瑞希に神魔が視線を向けると、黒髪を束ねた凛麗な女悪魔は前を見つめたまま口を開く

「さっきの話、前向きに検討してもらえるかしら?」

「さっきのって……」

 あえて視線を交わさずに紡がれる瑞希の言葉を聞いた神魔の脳裏は、「二人目の伴侶にして」という声が呼び起されていた

 さすがに桜の手前、それに対する反応に困ってしまう神魔が狼狽を隠しながら言う姿を横目で一瞥した瑞希は口元を綻ばせて言う

「決まっているでしょう? 私の生きる理由になってという話よ」

「あ、ああ。そっちね」

 神魔が安堵して乾いた笑みを浮かべるのを聞いた瑞希は、その内容を見通した上で意地の悪い視線を浮かべる

「なにを思い浮かべたのかしら?」

「はは……」

 神魔が自らを少なからず女性として意識してくれているのだということを感じられる反応に瑞希は、心中で喜びに浸りながら、思わず表情を緩ませてしまう

「まあ、僕にできる範囲でよければ」

「ええ、お願いするわ」

 桜の様子を伺いながら答えた神魔の言葉に涼やかな声で応じた瑞希は、おもむろにその場で神魔へと向き直りその身体を寄り添わせる

「!」

 突然のことに桜と神魔が目を丸くする中、頬に口づけするような体勢で息がかかるほどの距離に密着した瑞希は、小さな声で囁く


「ありがとう」


 そのさりげない言葉に今の精一杯の想いを込めた瑞希は、凛涼な美貌をわずかに赤らめ、悪戯めいた笑みを浮かべながら、気恥ずかさを紛らわせるように黒髪をたなびかせて距離を取る

「……ッ」

 その様子を声を吹きかけられた耳を抑えながら見ていた神魔に、足を止めた瑞希はやや上目使いに視線を送って微笑む


「さあ。いきましょうか」





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