ターミナルエンド
瑞希が蘭をはじめとするメンバー達と共に愛梨達と合流し、しばしの時間が流れていた
その間に愛梨を筆頭とする仲間達の勢力はさらに拡大し、やがて奏姫を中心とする「十世界」という組織へと変わっていた
だが人が集えば移ろうものもある。――否、人が集ったことで、十世界の中心たる愛梨の願いを行動に変えられるようになったというべきだろう
最初はただ、戦いで傷ついたものを救い、家族を失った子供達に手を差し伸べるだけの集団だった集まりは、十世界と名乗ると同時に愛梨の願い――「全ての存在が共存共栄する争いのない平和な世界の実現」を理念の旗としていた
「――……」
(争いのない世界……)
傷ついたものに手を差し伸べるよりも前に、傷つく原因をこの世から取り除く――その理念と方向性は理解できた。だが、瑞希はその考えを支持できなかった
(確かに、実現できればそれはいいことなのかもしれない……けれど、なにとも戦わなくなった世界で、私達の意思や心はなんの意味をなすというの?)
愛梨をはじめ、十世界のメンバー達から離れた場所で一人佇み、軽く天を仰ぐ瑞希はその怜悧な目を細めて自嘲するように肩を竦める
「いえ、言い訳ね」
十世界となった集まりには、瑞希よりも実力や志のある者達が多く集っていた。結果、愛梨の理念に共感し、力を尽くす蘭と過ごす時間はめっきり短くなってきていた
(私は、あの頃に戻りたいだけ。姫に――嫉妬しているのかもしれないわね)
集団が大きくなり、十世界ができてから蘭と瑞希の距離は遠くなっていく一方だった。それに比するように、瑞希の周りからは人が消え十世界の中で孤立するようになっていった
今まで自分の周りに人がいたのは兄がいたからなのだと嫌が応にも気づかされた瑞希は、自分にはない人を魅了する愛梨に対して、とても利己的な敵意を抱いていることを自覚していた
「そういうタイプじゃないつもりだったのだけれど……」
自分が自分で思っていた以上に人との繋がりを求めているのかもしれない自身を自嘲するように独白した瑞希は、抜けるような青空を見上げていた
だが、そうやって瑞希が哀愁に浸っていられたのは、今日という日に限ればこの一瞬だけだった。瞬間、瑞希の周囲を漆黒が覆いつくし、世界が切り離される感覚が伝わってくる
「!」
『瑞希』
その闇に眼を見開いた瑞希の正面に、揺らめく暗黒の影が現れ、やがてそれは見慣れた人物のものへと変わる
「兄さ――いえ、罪業神、様」
蘭と全く同じ姿と神格をしていながら、全く異なる人格。蘭の存在の内側に宿っている闇の神の一柱だった
紫紺の瞳を漆黒へと変えた蘭の姿で佇む罪業神は、息を呑む瑞希へとその視線を注ぎ、ゆっくりと口を開く
「そろそろ限界が近い」
「っ!」
その言葉の意味が分かっている瑞希は、罪業神の瞳をした蘭を見て息を詰まらせる
神位第四位「至高神」の神格を持つ罪業神の存在は、一介の全霊命では受け止めきれないほどに強大で強力。その意思と力は器である蘭を内側から侵食してしまうほどだった
蘭自身には自覚はないが、これまで瑞希の知る限り二度その存在を解放したその存在は罪業神によって時間をかけて侵食され取り込まれていた
「このままでは、遠からぬ未来に俺の存在がこいつを食い尽くし、完全に復活を遂げてしまうだろう」
これまでは罪業神が意図してそれを防いでいたが、もはやその神食は蘭の人格と神格を完全に取り込みつつあることを告げに来たのだ
そして、蘭の人格と神格が喰い尽くされるということは、その内にある罪業神が完全に復活を遂げることを意味している。
だが、罪業神にとって自身の復活というのは、現状では避けたいものだった
蘭の内側から瑞希を操って遂行していたその目的に支障をきたす上、不可神条約によってこの世界から退去しなければならなくなってしまうことがその理由だ
今は、全霊命の中に人格だけを潜ませるという形で不可神条約から逃れていたが、完全に復活してしまえばそれも叶わなくなってしまう。そしてそれは、同時に蘭の死――消滅を意味していた
「……っ」
事実上の死の宣告を受けた瑞希は、唇を引き結んで眼前に立つ蘭の姿から目を背ける
「だからその前に、お前には別の命令を告げておく」
蘭の死の事実を告げられた悲しみと絶望に浸る間もなく、瑞希を睥睨する漆黒の瞳が淡泊で無機質な声で語りかける
「即刻十世界を出て、魔界に――九世界の側に着け」
「っ!」
蘭の姿をした罪業神からの命に目を瞠った瑞希は、困惑を隠しきれない表情で言う
「そんなことをしたら、私は極刑になるわ」
「十世界の情報を売れば、魔界も恩赦をかける。魔王はそういう男だ」
現状九世界から敵対しされている十世界の所属となれば、投降しても極刑は免れ得ない。だが、「魔王」――魔界王を務める悪魔の原在の事を創世の頃から知っている罪業神は、その人格を計算に入れた上で確信をもって告げていた
「十世界にはすでに別の者を潜り込ませている。英知の樹にも手は回している。――この意味が分かるな? こちらが切れる手札は少ない。ここではお前に行ってもらうのが最良だ」
しかし瑞希の心情などを一切鑑みず、罪業神はその命令を決定事項として淡々と告げる
悪魔のような闇の全霊命に闇の神である罪業神は創造主にさえ等しい存在。その個を否定することはないが、失われるはずだった命を与え、目的を成就させることを悲願とする罪業神にとって、これは当然の態度といえるだろう
「十世界を売る理由はそれなりに説得力があれば何でもいい。お前は十世界の情報を売って魔界に――九世界に取り入って情報を得るんだ」
「そんなことをすれば、多くの仲間が死ぬわ」
確かに罪業神の言うように、魔界王ならば情報を対価に減刑を考慮するかもしれない。だが、それは即ち十世界を危険にさらし、愛梨達をはじめとする命を間接的に瑞希が奪うということを意味している
「それはそうだろうな……だが、お前に拒否する権利があると思うのか?」
「――ッ」
瑞希の裏切りによって生じだろう犠牲は、目を瞑ることができる必要なものであるという罪業神の考えがその口調から透けて見えるようだった
罪業神のその言葉に唇を噛みしめる瑞希は、しかし同時に自分が答えを迷っていることを自覚していた
十世界にはそれ以前から苦楽を共にしてきた仲間がいる。情報を売れば、間違いなく魔界は九世界に敵視されている十世界を殲滅するために戦力を投入するだろう
そうなればどれほどの犠牲が出るか想像もつかない。だが、だというのに瑞希は数多の死を予測して心を痛めながら、そうなることを拒絶しきることができなかった
「姫は俺が殺させない。あれには利用価値があるからな……そのためにも性急に事を進める必要があるわけだ」
そんな瑞希の心中を見透かしたように、口端を吊り上げた罪業神は器となっている蘭がまだこの世界にある内にその計画を実行したい意図を語る
罪業神にとって「奏姫・愛梨」という存在があるからこそ十世界には価値がある。だが、自身が復活してしまってから襲撃を受けたのでは愛梨の死というリスクが生じる。だからこそ罪業神は自分が蘭としてここにいられる間に計画を実行したいのだ
「お前が背負うのは、正しきの罪だ。いかに美しく見えたとて、奏姫の行いは世界の理に、法に反している。敵対者の手を無理矢理繋ぎ、許されざる禁忌を甘やかす堕落だ」
その距離を縮め、伸ばした手が届くほどの距離に立った罪業神は、迷っている瑞希を勧誘し、引き込むように言葉を紡ぐ
「お前の目に十世界はどう見えている? 俺の目には恐ろしく歪で汚らわしいものに見える――あれは、世界を腐らせるだけの甘い毒、世界のためには取り除かなければならないものだ」
囁かれる言葉はまるで毒のように瑞希へと吸い込まれていき、十世界を裏切ることの正当性を以って免罪符を与え、手を引き、背を押そうとする
事実、罪業神の言葉は何一つ間違っていない事実だ。愛梨が唱える恒久的世界平和は、良くは思えるが決して正しいものではないというのは瑞希も同意せざるを得ないことだ
「確かに、お前は罪の意識に苛まれ、十字架を背負うだろう。だが、罪を救いと取り換えている者達を正すこともせず、それを仲間と呼ぶのか?
だが、どれほど説得してもその言葉では十世界の心を動かすことはできない。何故なら、それは奏姫がその理想を以って立ち向かうと決めたこの世の理そのものなのだからな」
愛梨の理想が幻想と変わらないことは、十世界のメンバーの大半が感じいることだろう。だが、愛梨という存在がそれをかすかにでも信じさせ、そしてそれ以上に男女種族問わずその手を差し伸べたいと思わせる
そして愛梨達に罪業神が告げた様な正論をぶつけても、その意思と行動を微塵も揺るがすことはできないだろうことは、十世界に所属する瑞希には十分に分かっていた
なぜなら、愛梨はそれを分かった上で、それでも諦め切れずに幻想に過ぎない理想のためにもてる全てを懸けている。その正論こそ、敵を作らない愛梨が唯一敵対しているものだと言っても過言ではないのだから
「……兄さんは、もうどうにもできないの? あなたは、〝神〟なのでしょう!?」
しかし瑞希は罪業神の言葉など意にも介していないかのように、細い肩を震わせてその器となっている兄の救いを求める
罪業神によれば、このままでは蘭の存在は完全に消滅してしまうだろう。だがその存在を器にしている神位第四位の神ならば、あるいはと可能性を考えないことはできなかった
「無理だな」
だが、そんな瑞希の希望を打ち砕くように、罪業神の非情な言葉が響く
「あの時、こいつは俺に願った――〝自分の命を差し出してもいいから、お前の命を助けてほしい〟と」
「――っ!」
罪業神から語られたあの日――自身が命を落とした時のことに、瑞希は小さく目を瞠る
もちろんそれは、蘭の素直な気持ちで、そして叶うはずもない願いだと分かっていただろう。だが、現実にそれは実現している――蘭がその内に宿した「神」によって。
「俺はその願いを聞き入れ、その魂を使ってお前の魂を復元したに過ぎない。今、こいつが存在し続けていられるのは、その失った魂を俺の存在で補完しているからだ
こいつは死ぬのではなく、俺の存在の一部になる。そうやって消滅した存在を復活させるのは、俺の神格では及ばないことだ」
神位第四位の闇の神には、「死」を司る神があり、同格の罪業神も死者を蘇らせる程度のことは可能だ。だが、自身の力で起こした事象を、更に後天的に書き換えることはできない
それは、死んだ全霊命を神能で生き返らせることができないのと同じこと――罪業神よりも高位の神格が関わるこの世の理なのだ
「……ッ」
「だが、可能性もないわけじゃない」
その事実に唇を引き結んだ瑞希に、罪業神は淡泊な声で応じる
その言葉と共に、瑞希は露骨な反応を見せたのを見て取った罪業神は、愉快そうに目を細めるとゆっくりと自身が器としている蘭の身体に手を当てる
「俺達の悲願が叶った暁には、こいつの復活を頼んでやってもいい」
「っ!」
息を呑み、目を瞠った瑞希を睥睨する罪業神は、どこか憐憫にも似た色を漆黒の瞳に宿して言葉を続ける
「もちろん、確約できる話ではない。あの方がこの世の理を乱すことをしてくださるかは俺にも分からない。だが、神位第一位にあるあのお方の力を借りることができれば、この世に不可能なことはないだろうな」
その目的を口にし、それが成就した果ての確実性のない可能性を提示した罪業神は、沈黙を守り黙考する瑞希の反応に無機質な視線を向ける
様々なものを天秤にかけ、拾うべきものと捨てるべきものと振り分けて自身が選ぶ道を選択する瑞希は、しばしの沈黙の後、おもむろにその重い口を開く
「私がここにいるのは、兄がいたからよ」
戦いで身寄りを失った子供達を助けるのも、十世界に所属しているのも、そこに蘭がいるから。
瑞希自身十世界や姫にさほど思い入れがあるわけではない。冷淡な響きを帯びた声音で淡泊に語る瑞希だが、それを見る罪業神にはまるで自分に言い聞かせようとしているようにしか見えなかった
「なら、兄がいなくなるのなら、この場所に未練はないわ」
あるいはこの話を奏姫が聞いたのなら、蘭を優しく看取ったかもしれない。あるいは、両方を選ぶことを諦めなかっただろう
だが、瑞希は選んだ。もはや時間の残されていない兄と、これまで築き上げてきた空虚なものを天秤にかけ、自らの判断と責任において切り捨てるもの決めたのだ
「罪深いことだな」
瑞希のその答えに目を伏せた罪業神は、自身が進めた道を思惑通り選んだにも関わらず、どこかつまらなそうに言う
「罪の神にそう言ってもらえるなんて光栄ね」
闇の神神位第四位「至高神」が一柱「罪業神・シン」。――その名の通り、〝罪〟を司る神に精一杯に皮肉と虚勢を張った瑞希は、その身を翻す
瑞希が十世界を離れ、魔界にその情報を売ったのは、それからしばらくしてからの事だった
※
「――私には、助けられる価値なんてないのに」
その怜悧な目を閉じ、自罰的な声で独白した瑞希の声は、近くにいる石動の耳に届くことなく広い監獄の世界に溶けていった
聖人界中枢「聖議殿」の中心に建つ聖王閣の地下――九世界唯一の全霊命専用監獄「聖浄匣塔」。
その前に広がる贖罪の空間――ターミナルエンドでは、極大の黒闇と金光が互いを滅し飛ばさんと荒れ狂っていた
「く……ッ!」
その力を振り払い、後方へと飛んだターミナルエンドの守護者、天支七柱の一人である女性――「ビオラ」は、その武器である大弓の弦を引き絞って理力の矢を放つ
三メートルはある身の丈に等しい大きさを持つ弓から放たれた神速の矢は、それに等しい巨大さを持っており、力の炸裂を引き裂いて肉薄した神魔と桜の斬閃がそれを相殺して、破壊の衝撃を巻き起こす
それに身を撫でられながら肉薄した神魔と桜は、共鳴させて強化した魔力をそれぞれの武器に纏わせ、斬閃として解き放つ
純黒の魔力を帯びた斬閃をビオラは弓で受け止め紙一重で回避し、その一連の流れるような動きの中で理力の矢を神魔と桜へと撃ち込む
「――!」
ビオラが放った一撃の矢は、無数に分かれ縦横無尽に天をかけて、四方八方から神魔と桜に襲い掛かる
しかも永続発動効果を持つ理力の矢は、単純に回避をしてもまるで意志を持っているかのように動き、標的として定められた神魔と桜へ容赦なく向かっていく
「桜!」
「はい」
しかし、一撃一撃が破格の破壊力を持つビオラの理力光矢も、今まさに命中するというところで神魔と紗裏の息の合った動き、そして共鳴する魔力の斬撃と砲撃によって迎撃される
(強い……やはり、ツェルドを退けただけのことはありますね)
そのまま自分を狙うように神魔と桜が放ってきた極大の魔力砲を結界で防いだビオラは、瞳に険を帯びさせる
ここにいても、聖議殿の門での戦いは知覚できる。そのためビオラは、神魔と桜が同じ天支七柱の一角である「ツェルド」を下したことも知っていた
(凄い……)
意識外永続発動の特性を持つ理力によって展開される金色の多重結界を、共鳴した魔力を纏わせた神魔の大槍刀と桜の薙刀の刃が削っていくのを見ながら、リリーナは思わず息を呑む
自身もまた天使の原在を母に持つリリーナは、神から最初に生まれた神に最も近い全霊命の力を知っている
天使と聖人という違いはあるが、それと互角以上に戦っているということ。そしてそれ以上に互いを信頼し合い、文字通り一心同体になっているかのような神魔と桜の戦いに、理想の伴侶の姿を見ずにはいられなかった
「――あなた達は、何者ですか?」
純黒の斬閃を弓で弾き、結界で防ぎながら理力の矢を撃ち込むビオラは、一切の澱みなく、まるで一つの流れとなっているかのような動きで互いを補完し合いつつ、二人ならではの動きで間髪入れずに攻撃を撃ち込んでくる神魔と桜の攻撃を捌きながら険を帯びた声で訊ねる
「たった一番の全霊命が共鳴をしても、ここまで強大な神格になるなどありえません。ですが、現実にあなた達の力は今私に拮抗し、圧倒さえしている――それが、ただの全霊命の力であるはずがありません」
理力を纏わせた弓幹で大槍刀と薙刀の斬閃を払いながら、時折矢を放つ戦型で神魔、桜と相対するビオラは、先の言葉に怪訝な表情を浮かべた二人に、厳かな声音で訊ねる
「何を聞きたいのか知らないけど、生憎と僕達には神器とか特別な力とかは何もないよ」
その言葉と共にビオラが放った理力の矢を砕き、その光の破片の残滓が世界に溶けて行くのを視界の隅に捉えながら、神魔は純黒色の魔力を極大斬撃を放つ
「――……」
暗黒の斬撃を同規模の理力の光が相殺し、世界を軋ませるような衝撃を動かすのを間近で感じながら、その中へと身を躍らせた桜は一瞬その目に思案気な色を宿すが、それを即座に振り払って薙刀の斬撃によって追撃をかける
神魔の斬撃に合わせ、これ以上ないほど正確な間で放たれた桜の斬撃は、しかし直前で後方へ跳んだビオラの巨躯を捉えることなく空を切っていた
「桜――ッ!」
しかし、二人の攻撃は止まらない。神魔の声に答えた桜が魔力を合わせ、それを放出しようとした瞬間、二人はその場から左右へ別れて飛ぶ
瞬間、神速で飛来した一振りの両刃大剣が、今まさに二人がいた場所に寸分の狂いなく突き刺さって、ターミナルエンドの床に破壊の亀裂を生み出す
「……っ」
その大剣を見た神魔と桜、リリーナ――そして、ビオラまでもが息を呑む中、その剣の持ち主である聖人だが、ゆっくりと姿を現す
「マキシム」
その手と背に六本――先程投擲したものを含めれば、七本の剣を顕現させた最強の聖人の姿に、ビオラが小さく息を呑み、神魔と桜はその表情に一層険を増す
聖浄匣塔を作り出し、そこにいる罪人の全てを封じ込めている最重要人物が自らその姿を現したことに、リリーナと聖人達もその意識を奪われていた
「手を貸そう、ビオラ」
あまりに次元の違う戦いであるため、遠巻きに見ていることしかできずにいた聖人達を一瞥し、マキシムは神魔、桜と相対するビオラに低く良くした声で言う
瞬間、その背後に浮かんでいた五本の剣と、地面に突き刺さったままだった一本の剣が宙を舞い、縦横無尽に宙をかけて桜へと襲い掛かる
「っ!」
その神格に比例した神速で向かって来る征光を纏った剣に、桜は舞うように身を翻して、共鳴した魔力でその斬撃を受け流す
(……なんて重い)
飛来する剣流星を弾くため受け止めた薙刀から伝わってくる衝撃と清廉な光の力に、桜は柳眉を顰め、唇を引き結ぶ
その力は、今の桜であっても容易に裁けるものではない。一撃、二撃と捌いたところで、そこへ向かって別の剣が飛来する
「っ!」
その刃が桜の身体を貫こうとした瞬間、横から割り込んだ神魔は、魔力を纏わせた大槍刀の一閃によってそれを弾き飛ばす
その救援に目元を綻ばせた桜は、神魔と視線を交わすとその背後に迫っていた剣を薙刀の一閃によって打ち払う
瞬間、天を舞う剣によって生じたその隙を衝き、手元に残された一振りを以ってマキシムが肉薄し、煌めく理力を纏った斬撃が神魔と桜へ向けて放たれる
天を断つようなマキシム斬撃を受け止めた神魔だったが、その威力によって後方へと押し飛ばされ、その身体に天を舞う剣が降り注ぐ
「神魔様!」
神速で天頂から飛来した剣を知覚し、寸前で回避した神魔だったが、完全に躱しきることができずに、その背に一筋の斬り傷を刻み付けられる
その背から血炎を立ち昇らせる神魔は、自分の身を案じて声をかける桜に視線で「大丈夫」と伝えると、天を舞う剣とマキシムの斬撃を回避する
「……ッ!」
その緊迫し、拮抗した戦いを見ていたビオラは、長弓を構えると理力の矢を生み出してその鏃をマキシムと戦う二人の悪魔へと向ける
「神魔さん、桜さん!」
マキシムとの戦いに意識を奪われている神魔と桜へ向けて放たれたビオラの理力矢は、しかしそこに割り込んだ五対十枚の純白翼を持つ朱髪の天使が光力の結界でそれを阻む
「……っ」
「どういうおつもりですか?」
かろうじて防ぐことができたものの、理力の光によって自身の光力の結界を軋まされたリリーナは、その衝撃にわずかに表情を歪める
翼を広げ、神魔と桜を庇うようにその前に立ちはだかったリリーナは、ビオラの問い詰める様な視線に答えを窮する
「――……」
リリーナからすれば、反射的に神魔と桜を守ってしまったに過ぎない。だが、天界の姫であるリリーナにとって、ここでその回答は好ましいものではない
なにしろ、神魔達は今聖人界に対して九世界の敵である十世界と手を組んで攻め込んでいる状況にある。理由や立場はどうであれ、現状リリーナが大貴達に加勢するということは、公的な立場を持つ者が支持を表明したということに等しい
天界の姫、各光の世界の王の名代という立場を得ている今のリリーナがそんなことをすれば、即ち聖人界と他の光の世界の決別、法への敵対行為になりかねなかった
「リリーナ様。返答次第では、私もそれなりの行動を取らねばなりません」
「つい身体が動いてしまった」というのが真実だが、この場を収める答えとしては不適格もいいところだ。自身に向けられる理力の矢の先端を見つめながら、場を丸く収める手段に思案を巡らせていたリリーナの知覚に、強大な反応が捉えられた
「!」
リリーナがそれに反応するのと同時、ビオラはもちろん、神魔と桜、マキシムもまたそれを知覚し、そして天空から飛来した強大無比な黒白の力がターミナルエンドへと降り立つ
極限まで高められた濃密な闇と、輝く光。相反する二つを宿し、左右異なる黒白の翼を広げたその人物は、手にした太刀を軽く振り払ってその姿を晒す
「待たせたな」
その人物――「光魔神・大貴」は、この場にいる全員の力を覆いつくすほどの力を放出しながら、左右非対称色の瞳を向けて不敵な笑みを浮かべていた
その存在から生じる太極の力は、先にワイザーを退けたものと同じ。聖議殿を構築するワイザーの理力と、門に集まったミスティル、ツェルドを含む全ての聖人達、十世界、そしてクロスやマリアといった仲間達の力が共鳴した、全霊命単体として最強ともいえるほどのものだった
「なんて強大な力……」
大貴から放たれているその次元の違う太極の神能を知覚したビオラが戦慄に顔を引き攣らせ、声を詰まらせるのを横目で見たマキシムは、その間に身を挟み込む
「――ビオラ。お前達でできるだけ、他の連中の対処を頼む」
手に一振り、背に六振り――七つの大剣を従えた大きな背を向けて重低音の厳かな声音で語ったマキシムの意図を読み取ったビオラは、小さく頷くと一歩後ろに下がる
「はい」
そう言ってビオラが大貴の乱入に意識を向けていた神魔と桜に向き合うのを確認したマキシムは、正面を向いて語りかける
「その力はなんだ?」
「門の辺りにいた全員と共鳴してきた。三人も原在がいたから助かったぜ」
目の前ににいる大貴――円卓の神座最強の異端神の力を見てその目を細め、剣呑に問いかけたマキシムは、その言葉に合点がいったように声を発する
「なるほど」
(光魔神の力は〝全にして一〟。奴にとっては、全ての力が己の力に等しいということか)
その説明で正しくその力を見通して理解したマキシムは、今の大貴と戦うためにはどうするべきなのか結論を出す
(ならば――)
「『不変箴言』!」
瞬間、天空に出現した剣がマキシムの背に突き刺さり、宝玉を持つ日輪とも翼とも取れる金色の柄を光背のようにその背に纏う
(神威級神器……!)
「なら、俺も奥の手を使わせてもらうぜ」
使用者に神位第六位「神」に等しい力を与える神器――「神威級神器」の力を発現させたマキシムが臨戦態勢を取るのを見て、大貴もまた神器「界棋盤」を取り出して、その力と共鳴する
神は全ての頂点に位置する存在であり、その神能である「神力」は、神以外に害することができない絶対の力でもある
たとえ原在を何人集めようと、世界にいる全ての全霊命の力を合わせようと届きえないのが「神」という領域。――つまり神威級神器を用いてその領域へ至った今のマキシムには、これまで共鳴してきた太極の力が無力になったということだ
「リリーナ様、一つお願いがあります」
大貴とマキシム、二人から放たれる神の力の圧に戦場が委縮している中、リリーナは魔力に乗って届けられた神魔の声に視線を向ける
「詩織さんの所へ行ってください」
桜と共に立ち、ビオラを警戒しながら魔力に乗せた声だけを届けてくる神魔は、リリーナにその言葉の続きを届ける
「瑞希さんを助け出したら、そのまま聖人界を出ます。いつでも次の世界に行ける用意をしておいてください」
確かに、今大貴達がしていることは聖人界への敵対行為。この行動がどのような結果を招くとしても、少なくとも今はこれまでのように和やかに別れの挨拶を交わすようなことはできないだろう
ならば確かに事を成したと同時にこの世界を立ち去るのが最善であるのは間違いない。
おそらく神魔は、自分か桜――あるいは、ことが終わったところで動ける誰かがそれをするつもりだったのだろう
「――……」
だが、この時点であえてそれを自分に頼んできたのは、光の世界の名代であり、天界の姫という立場のある自分をこの戦いにこれ以上の巻き込まないため。
そして、今でも聖人界との戦いに躊躇いを持っている自分を気遣ってのことであることがリリーナには分かっていた
リリーナは法を守る側の人物。いかに光魔神との関係が重要だからといって、世界全体のことを鑑みれば、軽々しく今の大貴達の行いに賛同することができない
だからこそ神魔は、この戦いがあくまでも「自分達が決意した戦い」とするために、リリーナをここから離すことを決定したのだ
「……分かりました」
そして、神魔の園意図が分かっているリリーナは、漆黒の霊衣を纏わせて立つその後ろ姿に、一拍の間を置いて絞り出すような声で応じる
もはや何をしようとも現状を好転させさせられない己の無力を噛みしめながら、リリーナは空間を跳躍する門を作り出してその中へ身を躍らせる
《――御武運を》
大貴達の気持ちも分かる。聖人界の立場も分かる。――だからこそ、どちらにも肩入れしきることのできないリリーナは、ただ去り際に思念を通して、神魔、桜、大貴にその一言を送ることで無事を祈ることしかできなかった
憂いを隠せないリリーナの心優しい性格が表れている瞳で視線を送られた神魔は、小さく肩を竦めると桜に一瞥を向けて大槍刀の切っ先をビオラへと向ける
「さて。大貴君が一番厄介なのを抑えてくれてる間に、僕達は中に入らせてもらうよ」
「おいおい。俺がいつ、〝ここは俺に任せて先に行け〟なんて言ったんだよ」
神魔のその言葉に応じるように、神の力を得たマキシムと向き合う大貴が背中を向けたままで答える
自分が先にここを通り、瑞希を助ける。言葉にせずとも、互いのその意思を示した神魔と大貴は、それぞれに背を向け合ったまま口端を吊り上げて笑う
「じゃあ、どっちが先に目の前の相手を倒せるか、勝負だね?」
「巻き込まれるなよ?」
大槍刀に魔力を纏わせ、軽く振り払った神魔の言葉に、大貴は神の領域に達した黒白の太極を太刀に纏わせて答える
「なんか、楽しくなってきちゃった」
わずかに口元を緩める神魔の独白を隣で聞いた桜は、優しく目元を綻ばせると、伴侶に付き従う意思を薙刀を構えることで示す
聖人界との戦いが、ではなく、大貴と共に戦えるこの現状に対する神魔の言葉に答えるように、太極と魔力、理力が噴き上がる
「ここを通れるとは思わないことだ」
七つの剣を携えたマキシムが厳かな声で言い、ビオラもまた弓を構えて臨戦態勢に入る
今、聖人界での戦いが佳境を迎えようとしていた