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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
215/305

嘘つきの真実(後)





 縦横無尽に天を翔ける金属質の菱板が独立した意思を以って、収束した理力の砲撃を放つ。立体的に空間を支配する花弁翼の内側には、背を預けてその動きに注視する二人の悪魔――(あららぎ)と瑞希の兄妹がいる

 淡い金光を纏い、自在に天を走る花弁翼から放たれる光砲を、暗黒色の魔力を纏わせた斬閃が迎撃して相殺する


「……ッ」

 暗黒色の斬撃で向かってきた光撃を防ぎ、それを星空を思わせる理力の粒子へと変えて消失させた(あららぎ)と瑞希だが、焦燥に駆られたその表情には余裕がなく、むしろ追い詰められているかのようだった


 その理由の一つは、単純に今相対している相手の強さ。現在二人を取り囲んでいる天を舞う八つの花弁翼を武器とする聖人の女性――聖人界界首「ウルト」の実力によるもの。

 そしてもう一つは、その背後に控えている十人ほどになる護衛らしき聖人達の存在にある。ウルト一人にさえ苦戦を強いられているというのに、その数の実力者を相手にすることなど不可能に近い。そしてもう一つは――


「大丈夫か瑞希?」

「えぇ……っ」

 顔を見ることはできないが、背中越しに伝わってくる息遣いと、苦痛の色が滲む(あららぎ)の声に、瑞希はその柳眉を苦悶にひそめながら応じる

 背中合わせで、天を舞う花弁翼の攻撃に対応している(あららぎ)と瑞希だが、その身体は何かに焼かれたように至る所から煙が立ち昇り、武器を握るその手からは血炎さえもにじみ出ていた


 光と闇の力は相関関係にある。闇の力は光の力に比べて兄弟だが、光の力は闇の力に対して約十倍の優位性を誇っている

 即ち、限りなく神格が近い場合、光の力が闇の力を清め、浄化してしまうために闇の側の方が圧倒的に不利になってしまうのだ

 そして、ウルトの神格の強さは(あららぎ)にさえ迫る程に強い。結果、その聖なる光の力を持つ理力の砲撃を防ぐたび、その力の残滓が闇の力によって顕現した存在が清められて傷つけられてしまっているのだ


「まだ続けますか? 投降していただけるのなら、すぐにでも攻撃を中断しますよ」

 自身の光の力で清められ、その身体から浄化の煙を立ち昇らせている(あららぎ)と瑞希の姿を痛ましそうに見つめながら、ウルトはその身を労わって語りかける


 その瞳は先の言葉になんの含みもないことを如実に物語り、ウルトがただその心のままに正義の裁きを執行しようとしているだけであることが伝わってくる

 聖人界の代表である界首を努めているだけのことはあり、実に聖人らしい在り方を示すウルトに対し、(あららぎ)と瑞希が返した答えは、武器に込める意思を一切緩めないことだった


「――残念です」

 (あららぎ)と瑞希が示したその揺るぎない戦意と覚悟を見て取ったウルトは、沈痛な面差しで瞼を伏せる

 そして、その意思を汲んだかのように、天を舞う花弁翼が再びその輝きを増し、互いを理力で結んで多角の結界を形成する

「っ!」

 背中合わせでいたことを逆手に取られ、理力の結界に閉じ込められた(あららぎ)と瑞希は、それぞれの武器に魔力を通し、力任せに開放する

 黒片刃大剣と細身の双剣の斬撃に合わせて凝縮された暗黒色の魔力が迸り、結界の内側で炸裂して黒一色に染め上げられる

「まだまだ!」

 全霊を込めた一撃を以ってしても、破壊されるどころか亀裂一つ入ることのないウルトの結界に臆することなく、(あららぎ)と瑞希はさらにその魔力を次々に撃ち込んでいく

「……!」

 神速で放たれる魔力の斬撃が絶え間なく結果の中で炸裂し、破壊の力を解き放つのを感じ取って、ウルトはわずかにその目を細める

 瞬間、ウルトの意思に答えて結界が幾重にも重ねられて展開し、同時にそこから放たれた聖光が内側へと作用して(あららぎ)と瑞希の身体に絡みつく

「これは……」

「封印……っ!」

 自分の身体に絡みつく理力の力にその場に膝をついた(あららぎ)と瑞希は、苦悶の表情を浮かべて結界の外に佇むウルトを睨み付ける



 自身の神能(ゴットクロア)の力によって対象の神能()を束縛して閉じ込めるのが封印。大まかに分けて、封印領域内にその存在を閉じ込める「領域型封印」とその姿のままで力の放出などのみを抑え込む「束縛型封印」の二通りがある

 前者は結界という空間内に対象を閉じ込める。後者は身体の表面を膜のように力が覆い、蓋をしたように力を押し留められる状態になるといったように、その効果が異なっている


 そしてウルトが(あららぎ)と瑞希に施したのは、その両方。結界内に発動させた前者の空間封印によって二人を閉じ込め、後者の「束縛型」によって抵抗さえも封じ込める

 本来「封印」という力は、相手の力そのものを弱めるわけではないため、永続的に力を割き続ける必要性から決して実戦向きの力ではない。

 だが、聖人界には九世界唯一の全霊命(ファースト)専用の監獄――「聖浄匣塔(ネガトリウム)」があるように、神能(ゴットクロア)による力の効果を永続的に継続できる理力にとって、他の全霊命(ファースト)達が使わない「封印」という力は強力な戦力になりえるのだ



「くそ……ッ」

 二重の封印によって完全に戦う力を封じられた(あららぎ)は、身体にまとわりつく理力の光に苦しみながら、背後にいる瑞希を一瞥する

 その怜悧な視線に研ぎ澄まされた戦意を宿す瑞希は、決して現状に屈していない。だが、神格的に(あららぎ)に劣っている瑞希は、その意思に対して力と結果がついて来ていなかった

「抵抗はやめてください。あなた達を殺めるつもりはありません」

 (あららぎ)と瑞希を自身の理力の封印に捉えたウルトは、自身の勝利を確信してゆっくりと前に歩を進めながら、慈しむような口調で語りかける

(まだ――まだだ)

 まるで罪を犯した者を憐れむようなその声音と視線に歯を食いしばる(あららぎ)は、自身の存在の力を限界まで振り絞る

 二重の封印を砕き、結界を破壊するための力と意思を己に求め、もがく(あららぎ)だが、ウルトの理力はそれさえも完全に封殺していた

「――」

 その姿を見て、わずかにその双眸を細めたウルトが聖人界に連行するため、更なる封印を施そうと理力を高めた瞬間、地面に膝をついていた(あららぎ)の身体からどす黒い力が噴き上がる


「――!?」


 内側に捉えた悪魔の以上に目を瞠ったウルトが、ゆっくりと顔を上げた(あららぎ)の瞳の色が紫紺から漆黒に変わっているのを見て息を呑んだ瞬間、瑞希もまたその異変に気付いて声を上げる

「兄さん、だめ!」

 瞬間、(あららぎ)の身体から噴き出した力がその身に絡みつく理力の封印と結界を破壊し、世界を無明の闇に塗り潰す

 破壊された力と共に生じた意思の顕現が大地を薙ぎ払い、その爆風から身を守ったウルトが後方へと飛ん降り立つと、その身を守るように聖人達が立ちはだかる

「ウルト様!」

「大丈夫です」

 自分を庇うように立った聖人達に緊迫した声音で語りかけ、軽く手で下がるように促したウルトは、自身の結界があった場所を見据えて目を凝らす

(私の結界と封印は、彼らの神格では破壊できない者だったはず。知覚していた限り、神格が上がったり、特別な何かをしたようには見えなかったというのに、どうして……)

 知覚によって分かっていたその事実を目の前で打ち砕かれたウルトは、内心で混乱を極めながらも努めて平静を保つ

「一体なにが……?」

 疑問が吹き荒れるウルトのその視線の先では、先の破壊によって生じた土煙が晴れ、そこから二本足で立ち上がっている(あららぎ)の姿が映し出される

 その姿にもその存在を構築する魔力にもなんの変化もない。にも関わらず、そこに武器を持って立つ(あららぎ)は、まるで別人のような存在感を纏っていた

「――……」

「口を開くな」

 その姿を立ち上がることを忘れてしまったように地に膝をついたたまま見上げていた瑞希が口を開こうとした瞬間、それよりも早く(あららぎ)の口から発せられた(あららぎ)のものとは違う声が遮る

「っ!」

 その声が聞えた瞬間、瑞希はその言葉を止めて胸を抑えて蹲る

 まるで途中で言葉を奪われたような反応を見せた瑞希がその柳眉を苦悶にひそめているのを一瞥した(あららぎ)は、手にした黒片刃大剣の切っ先をウルトへ向けて口端を吊り上げる

「この場を切り抜けるのはお前達(・・・)の力では無理だ。だから、俺が力を貸してやる。――それが、俺とお前の契約(・・)だ」

 その吸いこまれてしまいそうな漆黒の瞳を見た瑞希の脳裏に、かつて見た悪夢が甦ってくる





《瑞希!》


 絶望に彩られた顔で声を上げる(あららぎ)を映す瑞希が視線を下へと向けると、そこには自身の胸の中心に穿たれた孔から立ち昇るおびただしい量の血炎が見えていた




 幼い頃に起きた天使との戦いの中で両親を殺された(あららぎ)と瑞希は、同じように光の存在に家族や大切なものを奪われた悪魔達の集団に拾われた

 彼らは光の存在と戦いたがっていた。闇の存在としての正しい在り方から光との戦いに生きる意味を見出した者、あるいは自分の愛するものを奪った怒りに突き動かされる者。――理由は様々なれど、共通していたのは天使をはじめとした光の存在との戦いを望んでいたということだけだった


 当時、すでに魔界として天界と行う大きな戦いはなく、膠着状態が維持されているだけだった。そのため光の存在と戦うためには、魔界から外へ――時空の狭間や、光の世界そのものへ攻め込む必要があった

 そこまでして戦おうとしたことを、愚かという一言で片づけることは難しい。それが、戦うために生まれ、愛を尊び、争いの歴史の中で培われていた闇の者達の在り方の一面で会ったのは間違いないのだから。


 (あららぎ)と瑞希は、決してそれを望んだわけではない。だが、両親を殺めた天使に全く恨みがなかったかと言えば嘘になるであろうし、何よりもその時助けてくれた一団の幹部の一人に対する恩義からその集まりに属していた



 その戦いの日々の中、その日は来たるべくして訪れたのだろう。戦いに身を置き、誰かを殺めるのなら、自分が殺される側になる可能性が高くなることもまた真理なのだから――



 ある日、時空の狭間で天使の十人からなる小隊を襲撃した一団だったが、それは囮だった。強大な力を持つ天使に囲まれ、瞬く間に仲間達は命を落としていき、そして その中で瑞希もまたその胸の中心を光の一撃で穿たれてしまったのだ

 いかに強靭な生命力を持つ全霊命(ファースト)といえど、闇の存在に対する優位性を持つ光の力に胸の中心を貫かれれば、それは死に等しい損傷となる


「……」

 まるで穿たれた孔から立ち昇る血炎と共に命が抜けて行くような感覚。死に等しい実感が瑞希を支配し、その存在を構築する魔力の消失に伴って、身体までもがその輪郭をおぼろげにしていく

 それは死体さえ残らない全霊命(ファースト)の死の形。自身の死を確信し、受け入れた瑞希が兄に伝えようとした「逃げて」という言葉も、「生きて」という思いも声にならずに失われていた



 その日、瑞希は死んだ。――否、死んでいなければ(・・・・・・・・)ならなかった(・・・・・・)のだ



「ん……っ」

 そのまま闇の存在でさえ恐怖する「死」という絶対的な概念にして事象の深淵に呑み込まれていくはずだった瑞希の意識は、突如覚醒を得て現世へと帰還する

(どうして? 私は死んだはず)

「兄さ……――ッ」

 命を呼び戻されたのか、繋ぎ止められたのか、当人である瑞希には判然としない。しかし、ただ分かっていることは自身が命を取り留めたこと。そして自身を覗き込んでいる兄の漆黒の瞳(・・・・)だった


「あなたは、誰?」


 一目見た瞬間に、瑞希には今その目が映している事実が理解できなかった。その顔も、その存在を構築する魔力も、間違いなく兄「(あららぎ)」のもの。

 だというのに、漆黒の瞳となった兄は、全くの別人となってしまったような特異な存在感を内包していたのだ

「目覚めて最初の一言がそれとは、随分と薄情だな」

「っ」

 肩を竦め、鼻で笑うように言った(あららぎ)の言葉を聞いた瞬間、瑞希は心臓が凍り付くような感覚を覚えた

(声が、違う……)

 姿も魔力も(あららぎ)のものであるはずなのに、その口から紡がれた声は全く別のもの。同一人物のはずなのに別人という理解の範疇を超えた事態に、瑞希は混乱を隠すことができない

 だが、そんな瑞希の心中を見透かしているかのように嘲笑った(あららぎ)の姿をした存在(もの)は、漆黒の瞳から視線を注ぎながら言葉を続ける

「お前の兄は、お前を生かすために、〝俺〟と契約したんだ」

「契、約……?」

 まるで視線から体内に侵入し、魂の髄まで侵食するような黒い眼差しに瑞希が息を呑むと、「ああ」と息をつくように応じて(あららぎ)の存在をしたなにかが口端を笑みを深める

「そして、お前にも俺と契約を結んでもらう」

「――っ」

 その言葉に息を詰まらせた瑞希だが、この事態に至って始めて自身の身体がまるで意識から切り離されたかのように自由が利かなくなっていることに気付く

 それは、自身が無意識にそうしているのか、あるいは(あららぎ)の存在をした眼前の相手から注がれているのかも分からないが、いずれにしても今の瑞希にできるのは、その漆黒の眼差しをただ受け止めることだけだった

「一つ、お前には俺の目的を叶えるのを手伝ってもらう。一つ、そのためにお前はこれから俺が解放するまで、俺の命令に従う。一つ、俺に関することに関して、俺の許可がない限り第三者に伝えることを禁じる」

「な……ッ!?」

 指を折り、一言一言言い聞かせるように(あららぎ)の存在をしたものが言葉を紡ぐ度、瑞希は自身の存在の中になにかが生まれ、浸透していくのを感じていた

 それはまるで、生まれた命が生きることを知っているように、「生命活動」という基本的な理念に特定の原理が後から付け足される様な異質で歪な感覚だった


「これで契約は為った。咎人よ。許されざる罪よ――我が名において、お前の存在を許す」


 契約とは言いながら、一方的に命じて了解させる命令のような言葉を注いだ(あららぎ)の存在をしたものは、そう言ってゆっくりと立ち上がるとその漆黒の瞳を空へ向ける

「煩わしい光が飛んでいるな。とりあえず、あれらからお前達を逃がしてやろう。――そうでなければ、俺達(・・)の目的にも差し障る」

 (あららぎ)の武器であるはずの黒片刃の大剣を顕現させて発せられたその言葉につられるように視線を上げると、瑞希の目に天を舞う天使達の姿が映される

「お前とこの身体の持ち主は、目的が果たされるまでは俺にとって重要なものだ。だから、どうしてもという時には守ってやる

 だが覚えておけ女。俺の存在はこの器には入りきらない。ことが終われば意識は元の持ち主に返すが、俺が表に出てくるようなことがあれば――この存在は、〝俺〟に喰われる(・・・・)ことになる」

「――ッ!」

 背を向けた(あららぎ)の存在をしたなにかの忠告に、瑞希は息を詰まらせる



「俺の名は『罪業神』。神位第四位を持つ闇の四柱の一柱だ」





「――さぁ、いくぞ」

 背を向けて佇んだ(あららぎ)――「罪業神」の姿が過去と重なり、瑞希は声を出すことができずに、ただそれを見ていることしかできなかった


《俺が表に出てくるようなことがあれば――この存在は、〝俺〟に喰われる(・・・・)ことになる》


(だめ……)

 かつて聞いたその言葉が頭の中に繰り返され、瑞希は声にならない声で切願する


 どうやったのかは分からないが、罪業神はその存在を(あららぎ)の中に封じ込めているような状態になる。だが、いかに全霊命(ファースト)といえど、神位第四位に位置する神の存在を受け入れておくことはできない

 その人格が表に出てくるたび、(あららぎ)自身がその力に呑み込まれ、やがて完全に罪業神に取り込まれてしまう――それが、あの時の言葉の意味だ

 回数を重ねる度、表に出た罪業神がその力を振るうたび、(あららぎ)の存在はその器に見合わないほどに巨大で強大な神によって取り込まれてしまう



(あららぎ)と瑞希さんから離れろ!」


 存在に刻まれた契約によって言葉すら発することもできず、でただ(あららぎ)の姿をした罪業神の姿を見ていることしかできずにいたその時、瑞希の耳朶を叩いたのは聞き慣れた声だった

 その声に瑞希と(あららぎ)の姿をした罪業神が視線を向けた時、森の中を貫いてこの世界に着いた際に分かれたはずのコミュニティの仲間達が姿を見せる

「…………」

 それを横目で一瞥した罪業神がゆっくりと瞼を閉じると、次に開かれたその目は普段の(あららぎ)のものと同じ、紫紺色のそれへと変化していた

「俺は……?」

 どういう訳が分からないが、罪業神は自身の存在を必要以上に周知させるつもりはないらしい。罪業神の器になっている(あららぎ)さえそれを知らないのがその証拠だ

 一瞬意識が抜け落ちていたために困惑する(あららぎ)を視界の端に収めながら、瑞希は状況が変わったのも手伝って、とりあえず様子を見るために裏に戻ったのだと現状を正しく理解していた

「大丈夫ですか?」

「俺達から来たからもう安心だぜ。こいつらも、一緒に戦ってくれるとさ」

 そうしている間にも、(あららぎ)と瑞希の周りには、天使の三人を筆頭としてコミュニティの中でも高い戦闘力を持っている者が集まっていていた

 そればかりではなく、戦えないとまでは言わないが、戦力としては心もとないとしか言いようのない子供達までもが、二人を庇うように寄り添っていたのだ

「ええ、ありがとう」

「ああ、助かった」

 その言葉に瑞希が立ち上がると、我に返った(あららぎ)も先に感じた一瞬の違和を心の隅に追いやって駆け付けてくれた仲間達に感謝の言葉を述べる

「今のは一体……?」

 そのやり取りを見ながらも、先の(あららぎ)の変化を感じ取っていたウルトは怪訝そうに眉を顰め、怜悧な瞳に剣呑な光を宿す

「ウルト様」

 聡明な知性が宿ったその視線で(あららぎ)を観察していたウルトは、不意に耳に届いた自分を呼ぶ声に意識を奪われる

 背後にいる護衛達からではなく、まったく別の咆哮から聞こえた声につられるように視線を移したウルトは、丁度(あららぎ)と瑞希達を挟むような位置に現れた三メートルを超える巨躯がその瞳に映されていた


「……ヴィクトルさん」


 そこに現れた聖人――「ヴィクトル」の姿を見て取ったウルトが静やかな声でその名を呼ぶと、背後にいた護衛達が戦意を鼓舞するように歓喜の声を上げる

「でかした。両側からこ奴らを取り押さえるぞ」

 その意味を考えるまでもない単純な言葉にも関わらず、ヴィクトルはしばしの逡巡を以ってゆっくりとその眼を開く

 同時に顕現したのは、その身の丈にも及ぶ棍型の武器。それを手にしたヴィクトルは、まっすぐにウルトを見据えたまま、(あららぎ)達の横を通り抜けた

「どういうつもりだ? ヴィクトル」

 自分の言葉に従わず、あまつさえ聖人界代表であるウルトの前に立ちはだかったヴィクトルの姿に護衛の聖人が眉を顰め、歯を剥き出しにして不快感をあわらにする

「ウルト様。俺は、瀕死の重傷を負っているところを彼らに助けられました。――だから、今回は彼らを見逃していただけませんか?」

「ヴィクトル。貴様何を言っているのか分かって――」

 まっすぐに前を向き、胸を張って正々堂々たる態度で進言するヴィクトルの言葉に、ウルトは声を荒げた護衛の聖人を軽く手で制する

「ラーギスさん」

 その聖人――「ラーギス」に一瞥を向けて、静かにしているようにと求めたウルトは、ヴィクトルへと視線を戻して沈黙を以って話を続けるように促す

 その意図を察したヴィクトルは、一度大きく深く呼吸をして精神を落ち着けると、強い覚悟を秘めた眼を向けて口を開く

「彼らは俺を殺すこともできた。無視して通りすぎてもよかった。ここで――いや、聖人が何をしているのかを分かっていて、救いの手を差し伸べてくれたんです

 逆の立場だったら同じことができたでしょうか? 自分達を攻撃し、敵対する可能性があると分かっていて、その相手が傷ついていた時助けようとすることが――思うことができるでしょうか?」

 背後にいる(あららぎ)達と、その周りにいる様々な種族たちの姿を一瞥したヴィクトルは、まっすぐにウルトを見据えて訴えかける


 聖人(自分達)があまりよく思われてはいないことは、聖人達自身も自覚している。無論それは法を順守し、実行することを心から誇りに思っているからこそのものだが、九世界の多くの全霊命(者達)はそれをあまり肯定的に受け取っていないのも事実だった

 今日もまたその力を振るった聖人の情報と知識を持っていて、あの場で自分を殺すのではなく助けることにどれだけの勇気が必要だったか想像もできない

 生殺与奪の権利を握り、無視をすることもできた状況で自分達に刃を向ける可能性が極めて高い者に救いの手を差し伸べるなど、早々できるものではない


「決して法を軽んじているわけではありません。ですが、彼らのそんな勇気に免じて、そして俺の命を助けてくれた感謝と対価として、ここは彼らを見逃していただけませんか?」

 自分を助けれくれたことに感謝し、心打たれたヴィクトルはその思いをウルト達へ向けて訴えかける

「ヴィクトル、お前の言い分は分からないでもない。だが罪は法が裁くものだ。善行を成したからと言ってそれを帳消しにすることなどできない――無論、減刑の一助にはなるがな」

 だが、それを受けた聖人達はそんなヴィクトルの気持ちに一定の理解を示しながらも、それを拒絶して十全にして純然な戦意に満ちた武器の切っ先を向ける


「俺は!」


 その「戦えないならどいていろ」と言わんばかりの聖人の視線と言葉の前に立ちはだかったヴィクトルは、強く語気を発して場の空気と自身を叱咤すると、背後に庇った(あららぎ)達に意識を傾けて言い放つ

「助けられた相手に刃を向けられて、『法律だから仕方がない』ですませるような生き方はしたくない。そんな奴は、法律が裁けなくても、罪人以下のクズだ」

 九世界の法の上で、(あららぎ)達は罪人であるのは間違いない。ここでヴィクトルが身を引いて、背後にいる彼らが捕えられたとしても、その行為や罪人を司法へ差し出すことをを咎める法はない

 だが今のヴィクトルはそれを良しとしていなかった。自分を助けてくれた恩人を自分可愛さに売り渡すような不誠実な行いなど、法が許してもその心と矜持が許すことはない

「貴様――!」

 その言は、単に法律を最も重要な価値の尺度としている聖人と聖人界を罵倒するようなもの。それを聞いた聖人達の顔に、わずかに険が差してヴィクトルを睨み付ける

「この世には、法で裁けない罪がある。例え罪だと分かっていても、通さなきゃいけない正義がある。――今ここで、法に従うことは俺にとっては罪だ!」

 法を犯した者は、法に裁かれる。でも、法を守るために罪を犯す者を裁く法はない。自らの心に抱く正しさを示したヴィクトルは、ウルトとその護衛の聖人達を見回す

「ここに来て、攻撃を仕掛ける前、皆幸せそうに笑っていたんだ。天使も悪魔も、光も闇も、みんなが一つの家族のように楽しそうに暮らしていた

 それがいいことではなかったとしても、悪いことだとは思えなかった。――あの時、あの場所には確かに幸せがあったんだ」

 自分の言いたいことを強い口調で言い放ったヴィクトルは固く拳を握りしめると、先程とは違うゆっくりとした口調で語り出す

 それは、この空間に来た目的――ここで暮らしていた〝罪人〟達の姿を見て感じたヴィクトルの率直で素直な気持ちだった

「でも、俺達がしていることはなんなんだ!? これが正義なのか!? 周りを見ろよ! 俺達がしたことで何を救えた!?」

 そう言って声を荒げたヴィクトルが大きく手を振るう

 この空間は聖人界の征伐によって破壊され、多くの死者と犠牲を生み出した嘆きに満ちている。ヴィクトルの言葉の通り、今この空間には平和だったはずの場所が正義によって蹂躙された無残な光景が広がっているばかりだ

「世迷言を。一見それがどれだけ美しく見えても、罪は罪。この世の正しさを踏み躙るものだ。法とは秩序だ。どれほど残酷で非道にみえても、それを蔑ろにすれば世界は混沌に堕ちる

 慣れ合うことは救いではない。手を取り合うことが許しではない――それは誤っていると毅然とした態度で正すことこそが何よりも肝要なのだ」


「それを真っ先に破ってるのが聖人(俺達)だろ!」


 まるで法律の書を読み上げているような淡々として無機質な護衛の聖人の口調に憤りを露にしたヴィクトルは、声を荒げてウルト達に言い放つ

「正義! 正義! そう言って俺達は、自分達の正当性を振り翳して、罪と罰を押し付けて自分達を守っているだけだ!

 誰にも頼まれてもないのに、正義だのなんだの振り翳して悪人を裁いて悦に浸ってる――空っぽだ! 空っぽなんだよ俺達は!」

 聖人達の言い分も心の在り方も法に則った正義であり、正しいものであるのは間違いない。だが、聖人界を出てその正義を執行するのは聖人達の判断だ

 正義のために正義を執行し、まるで今の世界が間違っているかのように自分達の正しさを誇示する。――今まで正しいと信じて疑っていなかったそれが、今のヴィクトルにはどうしようもなく滑稽なものに思えていた

「自分達の世界だけが平和ならそれでいいというのか? 世界の全てに法の秩序を。――そしてならばこそ、誰よりも我ら自身がそれを示さねばならないのだ!」

 言葉をぶつけ合いながらも決して力に訴えかけようとはしない。それは、彼我の戦力差と言う一面もあるだろうが、あくまで議会による決議によって動く聖人達らしい理知的で清廉な在り方だった


「やめましょう」


 その時、白熱してきていた議論に水をかけるように、静かに響く淡々とした声がその場を打ち鎮める

「……ウルト様」

 その声の主――聖人界代表である「ウルト」へと視線を向けたヴィクトルと護衛の聖人は、その静謐な佇まいを見て、その言が紡がれるのを待つ

「ヴィクトルさんの言い分は分かりました。しかし、思いで法を否定するのも、法で思いを否定することも正しくもあり、また間違いであるはずです」

 涼やかに紡がれるその言葉は、助けられたことに感化されたヴィクトルと、法を頑なに主張する護衛達双方に対して向けたものだった


 どちらの言い分にも一定の正当性はある。それは単純な正誤で語れるものではない

 法は人の上に作るものだが、正義は人の心の根源を流れるもの。法を正義とすることはできても、正義を法とすることはできない。

 どれほど願っても、心と正しさと法は一つにならない。その単純な事実こそが、この世に生きる命が正しく生きている証なのだろう


「正しいだけでは正しくあることはできないということですか」

 (あららぎ)と瑞希を守るように立ちはだかり、一連の流れを見守っていた天使や悪魔――様々な種族の存在達に向けて小さく自嘲するように独白したウルトは、しかしその口端をわずかに緩めていた

 誰にも聞こえないような小さな声で呟いたウルトは、その顔を上げて様々な種族の仲間達に囲まれている悪魔の男女へ視線を送る

(あららぎ)さんに、瑞希さん――でしたね」

 確認するように問いかけたウルトに、(あららぎ)と瑞希が沈黙を以って肯定する

「あなたのご家族の方に、ヴィクトルさんが助けていただいたようで、感謝を申し上げます」

 二人を見据え、軽く目礼をして感謝を伝えたウルトは、その表情を優しく綻ばせて微笑む

 しかし、その表情とは裏腹にその武器である八つの花弁翼は宙をいつでも攻撃に移ることができるように宙を舞っていることが、両者の間に緊張感をもたらしている

「ですが、その事とここであなた達を見逃すことは別の問題です。ですから――」


「あら、お取り込み中でしたか?」


 聖人界の議会の代表を務めているだけはあり、聞く者の意識に響く厳かなで澄んだ声で紡がれていたウルトの言葉は、不意に別の声に割って入られる

「――ッ」

 その声に視線を向けた(あららぎ)や瑞希達とウルト達聖人の前に、森の中から長い金糸の髪を揺らめかせた一人の女性が姿を見せる


「奏姫・愛梨……!」


 その人物の姿を映し、それが誰なのかを理解した瞬間、ウルトとその背後にいる聖人達が一斉に戦闘態勢を取る

「どうしてそのようなことをするのですか?」

 それを見た愛梨は、柳眉を顰めて悲しそうな表情を浮かべると刃を向ける聖人達の前に無防備にその身体を晒していた

 ある程度の距離があるとはいえ、純然たる殺意を帯びた理力を纏う武器の前に武器を顕現するでもなく、ただその身一つで佇むその姿は、目を離せないほどに幻想的で異質な雰囲気を感じさせる

「今日、多くの罪もない人が命を落としました」

 胸に当てた手を強く握りしめた愛梨は、ウルトや聖人達を見回して悲痛な面持ちで訴えるように語りかける

「彼らがあなた達に何をしたのですか? 例え彼らが法や世界の在り方を損なっていたとしても、その命を尊び大切に想ってくれる人がいるのですよ」

(そうか、この人が……)

 ウルト達を前に立つその姿を見た瑞希は、この人物こそが今聖人界がこの空間にいる理由――彼らがこの世界でその正義を執行する対象であると瞬時に理解していた


 聖人界の征伐は、原則罪人を捕らえて裁くのだが、抵抗が激しいなどの理由や最初から生死問わずと決められていた場合などは対象を滅殺することもある

 愛梨の言葉からは、そういった事情から多くの仲間達の命が奪われたのであろうことを容易に推察することができた


「私は、彼らのことを忘れません。彼らを殺めたあなた達のことも許せません……でも、今あなた達にその怒りをぶつけても何も変わりません。

 手が届かないところで、見えないところで、戦いで命を落とす人が救われるわけではありません。だから――」

 失われた命の思い出を胸に、悲しみを志に灯した愛梨は、自分に言い聞かせるように言葉を紡いでウルト達聖人に向かい合う

「まずは武器を下ろしてください。それから話し合いましょう? お互いに分かり合えるように」

 失われた命と痛みを乗せて手渡すように胸に当てていた手を差し出した愛梨は、寂しげな慈笑を浮かべてウルト達に握手と停戦を求める


 その笑みに、その場にいた全員が言葉を失い魅入られていた。大切な者を奪われれば、怒り駆られて好戦的になる。――それは闇の存在だけではなく、天使や聖人といった光の存在達であっても例外ではない

 だが、愛梨からはそういった感情が一切感じられなかった。無論全く感じていないというわけではないだろうが、制御しがたい嵐のような激情を自分の中で完全に押し込めていられるその姿は、異質さと共にどこか神々しさにも似た気高さを感じさせるものだったのだ


「ウルト様! 今が絶好の機会です」

 そんな中、真っ先に我に返った聖人の一人がウルトに進言する。ウルトをはじめとした聖人界の征伐軍の最大の標的が、今一人で目の前に無防備で立っているのだから、その言も至極当然のことだろう


「なにが絶好の機会だって?」


 だがその言葉は、横から割り込んできた声に遮られる

「……ッ!」

 もう何度目になるかわからない横からの声に反応したウルト達が視線を向けると、悪魔や天使といった様々な種族が敵意と戦意に爛々と光る眼差しで周囲を取り囲んでいた

「うちの姫に手ぇ出すなよ? ぶち殺すぞ」

「皆さん。そういう言い方は……」

 愛梨とは違い、仲間を手にかけられた怒りを露にしている面々は、殺気だった表情と力で取り囲んだ聖人達に敵意を叩き付ける

 そんな仲間達の気持ちが分かっているからなのか、それを窘める愛梨の口調にも同調と同情の色がこもっていた


「退きましょう」


「ウルト様」

 そんな中、緊迫した静寂を破ったウルトの一言に、背後にいた護衛の聖人達が驚愕に彩られた声を上げる

 その瞳と声には、命尽きるまで正義を貫いて戦うという揺るぎない意志と覚悟が宿っているが、ウルトはそれに小さく首を横に振って答える

「現状では多勢に無勢です。正義に殉じてくださろうとするそのお気持ちは嬉しいですが、私も皆さんも命を賭けるべき時は今ではありません」

 当たり前のことだが、命は一つしかない。時にそれをかけて戦う必要はあるだろうが、それは今ではないというのが、ウルトの判断だった

「く……ッ」

「分かり、ました」

 そしてそれは、同時に聖人界代表の権限を持つ界首としてのもの。それが分かっている護衛の聖人達は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて渋々ながらもそれを承諾する

 それと同時に自身の背後に空間の扉が開いたウルトは、護衛の聖人達に視線で促されるままにその中へ最初にその身を沈めて行く

「――……」

 その姿が空間の中へ消えて行く中、(あららぎ)と瑞希はウルトと視線が交錯したのを確信していた

 ウルトが空間に消えたのを皮切りに、護衛の聖人達全員がこの場から消失すると、場に重い沈黙と静寂が訪れる


「大丈夫ですか?」


 聖人達が消えるのを何もせず見届けた愛梨は、一度瞼を閉じてから、再び開いた瞳で(あららぎ)達に微笑みかける

「あ、あぁ……」

 優しく微笑みかける愛梨に、(あららぎ)を含めた瑞希達は困惑しながらも応じる



 愛梨と出会った(あららぎ)と瑞希は、この時を境として後に十世界となる集団と行動を共にしていくことになる。




 この先に待っている運命を知る由もなく――






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