聖浄匣塔への道
「――!」
大地が震え、窓の外に広がっている美しい純白の世界が一瞬完全なる黒に支配される。理力の力によって作られた荘厳さと神々しさを兼ね備えた街が黒に塗り潰されると同時、まるで世界が震えるように天地が軋む
しかしそれは天変地異などの類ではない。窓の外にいる者達が、その強大無比な力を振るって大地――この聖王閣が立つ大地を粉砕したことによる衝撃であることがこの場にいる者には、否応なく知覚できていた
「おのれ、汚らわしい闇の存在が……!」
儀礼のそれを思わせる金色の槍を振るい、自身へと降り注いでいた無数の理力光を打ち消した聖人界現界首――「シュトラウス」は、苛立ちに満ちた双眸を窓の外へと向け、歯を食いしばってその憤りを露にする
瞬間、天空から飛来した長菱形の結晶板が理力を纏って飛来し、シュトラウスの槍と真正面からぶつかり合って極大の力の波動をまき散らす
「驚きましたね。まさか、ツェルドが負けるなんて」
天空に舞う長菱板を制御し、理力を纏わせる美女――聖人界先代界首「ウルト」は、まるで花弁を思わせる自身の武器を舞うように従えてシュトラウスに語りかける
門のところで起きていた戦いは、この聖王閣の一室で相対するウルトとシュトラウスにも戦況が知覚で伝わっている
最強の全霊命の一角である原在を擁する聖人界と、不完全な覚醒とは最強の異端神と神の巫女が率いる同盟が起こす最高の神格を用いた戦いが、これほどの距離で知覚できないはずなどない
だからこそ、ウルトもシュトラウスも聖人の原在である天支七柱の一角――「ツェルド」がしばらく戦線を離れなければならないであろう程の負傷を負わさた事実を正しく認識し理解していた
「随分と嬉しそうに聞こえるぞ?」
抑制された静か声で言いながらも、まるで光魔神たちが一歩ずつ確実にこの場所へ――そして、聖浄匣塔に収監された瑞希へと近づいていることを喜んでいるかのような響きを帯びたウルトの言葉に、シュトラウスは皮肉めいたものを覚えずにはいられなかった
「気のせいでしょう」
しかし、そんなシュトラウスの言葉を受け流したウルトの声に答え、その周囲に舞う八枚の花弁翼が理力を帯びて天を奔る
ウルトの武器である長菱形の八枚の花弁翼は、それぞれが独立した行動を取ることができる遠隔操作武器だ
多方面からの同時、あるいは時間差の攻撃。理力の波動を放ち、時には槍も剣にも盾にもなる攻防移動一体の武器がその形を成す神格に許された神速で時間と空間を置き去りにしてシュトラウスへと迫る
「貴様、法を踏み躙り、あまつさえ闇の力を持つ者と手を組むなど、先代の界首としてあるまじきことだ! 聖人としての誇りも恥も捨てたのか!?」
天を自在に翔ける花弁翼の砲撃を槍と結界で防ぎ、光の剣となって飛来するそれを斬閃で打ち払って神格の火花を巻き起こしながら、シュトラウスはウルトを鋭い視線で射抜いて声を荒げる
今回の聖人達の行いには、法に裏打ちされた正義と大義があり、いかな理由であろうとそれを否定する大貴達の行いこそが悪であり罪。
自らが清く正しくあることに至上の価値を見出す聖人にとって、法を蔑ろにし、敵対であるはずの闇の存在とまで手を結ぶことに対し、シュトラウスの口から失望に満ちた声が呪詛のように発せられる
「この状況を生んだのはあなたでしょう?」
しかし、その言葉に何ら揺らぐことなく応じたウルトの声に応じ、突き出されたシュトラウスの槍を花弁翼が弾く
一枚一枚が鏡面のように磨き上げられた天翔ける八枚の花弁翼は、シュトラウスの攻撃をことごとく弾く盾となり、自立する刃となってその巨体を斬りつける
「――ッ!」
それそのものが剣となり、槍のごとく奔る刃に傷つけられた肌から血炎を立ち昇らせ、シュトラウスはウルトの冷淡な視線を真正面から受け止める
しかし、それに怯むことなく振るわれたシュトラウスの斬閃がそのいくつかを返り討ちにして弾き、吹き上がる理力の氷柱がウルトへ向かって地を奔る
触れるもの全てを貫き、跡形もなく消し飛ばしてしまわんばかりの威力を感じさせる理力の光氷柱がウルトを捉えたと思った瞬間、それは弾けるように砕け散って消失する
その場から一歩も動くことなく佇むウルトの前には、いつの間にか飛来した花弁翼が二枚浮遊しており、それが発生させた理力の結界がシュトラウスの攻撃を完全に阻んで沈黙させていた
「法は確かに尊いものです。決して軽んじていいものではない。ですが、法では及ばない――法を守るだけでは守れないものもあるのです
この世界が――九世界全体が今、その在り方を損なわないためには光魔神様のお力が必要なのです。それが分からないのですか?」
天に浮いている二枚の翼が剣のように切っ先を向け、厳かな声音で語かけたウルトの言葉に、シュトラウスは眦を吊り上げて端正な顔に怒りの表情を浮かべる
「自分達が正しく在るために、正義を曲げろというのか? 己が身を可愛がるあまりに妥協する程度の正しさで、なにが〝正しさ〟だ!」
「見解の相違ですね」
共に正しさを守る意思を持ちながらも、決して相容れることのない正義の形を示すウルトとシュトラウスが静かに言葉を交わす
抑制された静かな響きを持つウルトの声にはその内側に強い意志が宿り、昂ぶる意思が込められたシュトラウスの声音と相反する響きを伴って正義を謳う
「それ以上に、正しさとは強さではなく己が心で定めるもの。力が及ばないとしても、敗れたとしても正しさは弱い者の心の中に正しくあるはずだ
負けた者には、正しさを謳う価値も資格もないというのか? 否。正しさが真に失われるときは、力に――抗いようのないなにかに、それを曲げた時だ」
固く拳を握りしめ、その意思を映したかのように鋭く光る刃を持つ槍を振るったシュトラウスは、強い語気をウルトに叩き付ける
「私は、例え力に法が滅ぼされるのだとしても、己が信じる正しさを失うつもりはない!」
確かにこの世界は力ある強者の意思によって形作られている。強大な力を持つ「個」はそれを以って己があり方を世界に通し、世界や国家で作られた「法」はその強さで全てのものを縛りつけている
法がなくとも世界が滅びることはないが、世界が滅びれば法は失われる。――あるいは、十世界が世界の覇権を手にすれば今の法は失われ、新たな法が支配することになるだろう
ウルトもシュトラウスも現行の法を守ることを最も重んじている。だが、現在の覇権を失わないために正義を曲げるなどできないシュトラウスにウルトの言葉を受け入れることなど到底できるはずはなかった
正義を司る者として、その正しさを一片たりとも譲る意思のないシュトラウスの言葉に、ウルトは静かに瞼を伏せて微笑む
「――それでは、光魔神様達と同じですね」
「違う。奴らのあれは、ただの力あるものの在り方に過ぎない。強さと正しさは広義の意味で同じものだが、決して等しいものではない」
どこか皮肉めいたウルトの言葉に、シュトラウスは眉を吊り上げて憤りを露にする
法を守るために、力に媚びることをせず己が正しさに殉じる意思を示したシュトラウス。そして、法という力に首を垂れることを良しとせず、己が正しさのために共に手を取って聖人界に相対する決意をした大貴達と十世界
抗っているものこそ違うが、共に「力」に対して屈することを良しとせず、己が信念を譲ることのない在り方に共通点を見い出したウルトに、シュトラウスは不服の意を示す
「そういうことにしておきましょうか……ですが、私が世界のために戦っているのは本当ですよ」
「世迷言を」
自身の言をまるであしらうように軽く流され、不満気に眉をしかめたシュトラウスは、ウルトの言葉を唾棄するように言い放つ
「今のままでは、聖人界は九世界から孤立してしまいます。それは、決して聖人界に――そして、この世界に生きる者にとって決して有益にはなりえません」
「その話には結論が出ているはずだ」
聖人界の行いは法を順守しているが、そのやり方までが正しいわけではない。それが、他の九世界にわずかに不満を抱かせていることを知っているウルトの言に、それも十分理解したうえでシュトラウスが応じる
それは、かつてウルトが界首を務めていた時に彼女自身がこの世界――聖人界とそこに生きる聖人達に求め、訴えかけたことそのものだった
理力は聖人だけの力。そしてその力があるからこその聖浄匣塔。――だが、正しいことをしても、その行いまでもが正しいとは限らない
法を順守し、刑を執行する聖人のやり方に他の九世界は決して好意的ではない。だが、頑なで潔癖で高潔な聖人に、己たちの正しさを譲ることなどできるはずもなかった
「そうですね。その討論に負けたからこそ、私は今こうしているのですから。――ですが、あなたが言ったのですよ? 勝った方が正しさを示すのだとしても、負けたものに正しさがないというわけではないのだと」
界首の座を失った時の事を思い返し、届くことなく心の奥に眠っていた思いに訴えかけるように言葉を紡いだウルトは、それを再び呼び起してあの時勝てなかったものに向かい合う
自身に向けられたウルトの目に宿る澄んだ穢れのない視線を受けたシュトラウスは、その姿にかつて遠い昔に見上げていたそれを重ねて小さく息を呑む
「――!」
「もう一度――かつて、界首を務めた者として。そしてこの世界に生きる一人の聖人として、私は今のあなた達のやり方を正すことにいたします」
先代界主として、そして一人の聖人として今の世界の進む道の前に立ちはだかることを宣言したウルトの言葉に、シュトラウスは槍を握る手に力を込める
この世界の代表である界首は議会によって先決される。当然シュトラウスもその道を辿ってきているが、ウルトが纏う凛然として雰囲気には、議会の承認などなくとも誰もが認めざるを得ないような上に立つ者としての気品にも似た風格が漂っていた
この世界に於いて、強さは必ずしも上に立つ者の資質ではない。故に、例え単純な強さでウルトに劣っていたとしてもシュトラウスは悔しさこそ覚えるだろうが、それ以上の感情を抱くことはない
現に、かつてこの世界の方針を巡って対立した際にはシュトラウスが勝利している。勝者が自分で敗者がウルト――認められたのはシュトラウスの正義と主張だ
だが、ウルトと相対したシュトラウスの脳裏にはそれとは異なる考えが去来していた。
議会に認められた調停役に過ぎない「界首」ではなく、その存在の在り方を以って他を率いる「王」の在り方――そう。今のシュトラウスには、界首の席を失ったウルトが王の冠を戴いて戻ってきたように思えてならなかった
元界首らしく議会の決定を受け入れていたからなのか、今まで感じれらなかった覇気を纏ったウルトは、今度は議会の一員としてではなく、ただその存在――抜身の己自身を以って、ここに改めて佇んでいた
一瞬頭をよぎった自分とは形と質の違う〝器〟。――そんな考えを振り払うように小さく頭を振ったシュトラウスは、槍を強く握りしめるとその理力を解放して咆哮を上げる
「そうか。ならば、何度でも打ち負かしてやろう。我らの正義によって!」
※
「はぁっ!」
輝く聖伐の金光を宿した蛮刀が振るわれると、その斬閃の軌道を理力の斬撃として解き放たれ、最高位の神格に比例した神速を以って世界を翔ける
最強の聖人の一人――「ワイザー」が放った触れるもの全てを切り裂き破壊する意思を込められた理力の斬波動が渦を巻いて迸る先にいるのは、黒白が入りまじった左右非対称の双翼を羽ばたかせる光魔神だった
黒と白、光と闇、相反する力を等しく併せ持つ唯一の全霊命である光魔神の力――太極を纏わせた太刀の一閃が閃き、ワイザーの理力の斬波動を受け止める
だが、ワイザーの攻撃はそれだけにとどまらない。放たれた斬閃が大貴に炸裂すると同時、柄を持ち替えた蛮刀の切っ先を地面に突き立てると、地中を迸った光を合図に地面から無数の光剣が生じる
「――!」
発動された意思を永続的に留め、その力を発動する理力によって形作られた光の剣が先の斬波動によって動きを封じられていた大貴へと遅いかかり、その姿を刃の咢の奥へと呑み込む
戦闘の最中に仕込まれていた理力によって構築された光の刃による追撃。斬波動の威力を微塵も損なうことなく、それに等しい力を以って放たれる聖人だからこそ可能となる一撃は、ワイザーに確かな手応えを感じさせるものだった
「ちっ」
しかし、その光景を見るワイザーの口から零れたのは、小さな舌打ちの声。そして、その意味を理解させるように、地面から生えた理力の光剣は何かに呑み込まれるように形を失い、その内側から噴き出した黒白の太極の力へと呑み込まれる
その中から姿を見せたのは、太極の力を纏う光魔神――大貴の姿。その武器である太刀を手に佇む大貴は、小さな傷こそ追っているものの、致命的な傷は一切見られなかった
(厄介な能力だ。こちらの優位性を潰してくる)
その姿を見るワイザーは、わずかに眉をひそめた顔の下で忌々しげに吐き捨てる
聖人の神能である理力の最大の優位性は、言うまでもなく永続発動効果にある。九世界を総べる八種の全霊命の中で聖人だけが持つその力は、多重の効果を発動させて手の戦闘、あるいは罠のような利用と多様な使い方によって敵を圧倒することができる
だが、他者の力を自身の力に統合して無力化してしまう光魔神の力――「太極」の前ではその特性も優位性も失われてしまう。
(さすがは光魔神と言ったところか。だが、全く効果がないというわけでもない。このまま押し切れば勝てる)
原在である自分の力さえ取り込んでくる神格の強さは厄介だが、その身体の傷とそこから立ち昇る血炎を見れば、光魔神が完全にワイザーの力を無力化できていないのは一目瞭然。
異端とはいえ神の名を冠し、そして最強の異端神である光魔神の力は確かに脅威だ。だが、覚醒していない今の状態なれば、十分に勝機があるとワイザーは確信していた
「――ようやくだ」
「?」
蛮刀を構え、再び攻撃を仕掛けようとしたワイザーだったが、それを大貴の口から零れた静かな声が打ち消す
それに思わず訝しげな表情を浮かべてしまったワイザーに対し、顔を上げた大貴はその左右非対称色の瞳を向けて口を開く
「俺は、自分の力をまだ完全に使いこなせない。俺が未熟なのか、今の神格じゃそこまでの事ができないのかは分からないが、とにかく俺の太極はまだその本質には程遠い」
以前妖精界で夢想神の力を借りて見た異端神の戦いを思い返しながら言う大貴は、神格の強さはもちろんのこと、太極という力を十分に使いこなせていないことを確信している
手のひらから立ち昇る黒白の力。そしてそれが絡みつく達へと一瞥を向けた大貴は、自身の至らなさを自嘲混じりに言うと、わずかに口端を吊り上げてその力を解き放つ
「全員と繋がるのに、時間がかかり過ぎた」
「――!」
瞬間、吹き上がった大貴の太極の圧倒的な力を知覚し、ワイザーは驚愕を露にして目を見開く
この瞬間太極の神格は、最も神に近く、全霊命として最高位に位置するはずの原在のそれすら凌ぐ絶大なものへと変わっていた――それは即ち、全霊命が持ち得る力の限界を超えて、限りなく神に近しい領域へとその神格が至ったことの証明に他ならない
大貴の身体から噴き上がる混じり合うことのない純黒と純白の力が戦場を呑み込み、一つのうねりとなって再びその中心である光魔神へと回帰し還元される
相対するワイザーも、聖人達も、クロスやマリア、そして愛梨をはじめとする十世界のメンバーかも黒白の力が溢れだし、大貴の太極へとそれが収束されていく
「これは……力の共鳴!?」
自身の身体からあふれ出す太極の力に伴い、大貴の太極がより神格を高めていくのを知覚したワイザーが戦慄にも似た表情で自身と周りにいる者達を見回す
(まさか、この場にいる全員と力を共鳴させたのか!? いや、違う。共鳴ではない――神格を取り込んだのか!)
大貴の力の本質を見極めたワイザーは、心の中で声を上げる
大貴が行ったのは、全霊命以上の存在が伴侶との間でのみ行うことができる神格と神能の共鳴による強化の応用
全を一に、一を全に――全ての力を取り込む太極の力を以って、大貴はこの戦場にいる全員の神格を共鳴させ自分の力として取り込んだのだ
この力が通常の共鳴と違うのは、神格を共鳴させた者が強化されるのではなく、一方的に大貴のみが神格を高めていることにある。それは、太極という全一の力へ全ての神格が一方的に取り込まれたことの証左でもあった
「あぁ。そうだ」
そしてそんなワイザーの心中を見透かしたかのように声を発した大貴は、その極限を越えて高められた神格によって構築された太極の力を自身の武器である太刀へと注ぎ込んでいく
知覚を灼き、世界を軋ませる全霊命を越えた神格を使役する大貴は、左右非対称色の双眸でワイザーを見据えると黒白色の翼を羽ばたかせ、一瞬にしてその距離を縮める
「!?」
時間と空間の介在しえない神速を以って肉薄した大貴は、今は天支七柱の神格さえ上回る存在。故にその早さは、ワイザーでさえかろうじて肉薄されたことに反応できた程のものだった
「敵の力も、味方の力も、あんたの力も――全部俺の力だ」
そしてその刹那、大貴の宣告と共に、極限の神格を得た太極の力を纏わせた太刀が黒白色の軌跡を残して神速で振るわれる
太極が取り込んだ力が一つなら、これほどの神格を得ることは無かっただろう。あるいは単純に複数の神格を得ても原在のそれを上回ることはできなかった
だが大貴は、この場にいる全ての存在の神格と繋がり、その力を共鳴させた。この場には天支七柱が三人。そしてそれに匹敵する神格を持つ奏姫・愛梨がいる。それに加えてクロスとマリア、シャリオ、紅蓮、ラグナの十世界メンバーに、聖人達――その全ての神格を共鳴させ強化すれば、ワイザーのそれを上回るのは必然の結果といえるだろう
全ての力を取り込むその力は、敵も味方も含め、自分以外の全ての力を自分のものとすることができる
それは即ち、強力な個を揃えれば揃えるほど、太極の力はそのすべてを取り込んで強化されることを意味していた。
「――ッ!」
(ぐぅ……っ、なんという強力な力だ)
この場にいる全員の神格によって共鳴強化され、限りなく神のそれに近い神格を得た太極の斬撃を蛮刀の刃で受け止めるワイザーは、その圧に歯を食いしばる
今の大貴が纏う力は、聖人の原在にして天支七柱の一角――間違いなく最強の全霊命の一人であるワイザーをしてさえ脅威を覚えずにはいられないほど強大なものとなっていた
だが、自身のそれを越える力を前にしても尚、ワイザーの意思と刃はそれに臆することも怯むこともなく、大貴に立ち向かっていた
何故なら世界創世の頃から存在する原在は、間近で「神」を知覚してきた。自分よりも強い――隔絶した高みにある神格に晒されて来たからこそ、ワイザーは自身を上回る神格を得た太極の力を前にしても臆して強張ることなく、その存在が可能とする動きを滞りなく再現できるのだ
「!」
その反応によってかろうじて大貴の斬撃を防いだワイザーだったが、その武器である蛮刀の刃は、太極の力に取り込まれていた
これまでもそうだったように、太極の力は神格も魂も取り込む。神能そのもので構築された全霊命の武器がその力に取り込まれるのも当然のことだ
これまでとは比較にならないほどに高まった神格によって取り込まれる蛮刀はその刃を失い、それによって阻んでいた大貴の太刀がその身体へと届く
その身体には、永続発動効果を持つ理力が鎧のように纏われており、ある程度の攻撃ならば防ぐことができる。だが、その守りの力でさえ、今の太極の前ではその力を半分も発揮することができなかった
(そうか。奴の力は全てを取り込む。それはつまり、こちらの攻撃は全て無力化され、奴の攻撃は防ぐことができないということ……)
存在そのものである武器を取り込まれ、魂に損傷を負ったワイザーは、口端から血炎を零しながら大貴の刃が自身を切り裂くのを見届ける
最強の異端神、円卓の神座№1「光魔神・エンドレス」の神能――「太極」。その力の神髄は、共鳴による強化ではなく全一の力によって〝全てを取り込む〟こと。
この世に存在するもの全てであり、唯一無二であるその力の前では、防御も攻撃も全て無意味なのだ
(これが、〝光魔神〟か)
身体を深々と斬り裂かれながら、光魔神の力の片鱗を見て取ったワイザーの視線の先では黒白の力を纏わせた太刀を振り抜いた大貴が静かに視線を注いでいた
「タイミングが悪かったな。――一対一なら、勝負は分からなかったと思うぜ」
地響きを立てて倒れ伏したワイザーへ敬意の籠った視線と言葉を送った大貴は、刀を振るって太極の力を払う
ワイザーの敗因はたった一つ。ツェルド、ミスティル擁するこの軍勢で光魔神と戦ったことだった
神格が近ければ、多対一は当然事象を支配する全霊命においても有効な戦術だ。だが、太極の力はその優位性を無力化する特性を持っている
数も質も高いほど、単純にその力の分光魔神は強化される。いかにワイザーであろうとも自分と同等の力を持つ者を一度に数人相手にして勝利できるはずはない
「通してもらうぞ」
「――……」
おびただしい量の血炎を傷口から立ち昇らせるワイザーは、その大貴の独白に瞼を閉じ、聖王閣――その地下にある聖浄匣塔へと向かうのを知覚していた
※
聖人界中枢「聖議殿」の中心「聖王閣」。その地下にあるのが、九世界で唯一の全霊命の牢獄――「聖浄匣塔」だ
「――なにか、変な空気だね」
その青い空――理力によって投影された仮初の天を見上げていた瑞希は、ふと横から聞こえてきた声に一瞥を向ける
聖浄匣塔第八十八階層――。聖人界に罰せられ、収監されたその監獄で静かに時を過ごしていた瑞希の先には一人の温厚そうな悪魔の青年がいる
その悪魔の名は「石動」。――「天使狩り」と呼ばれ、その名の通り天使、そして光に属する者達を好んで屠っていた罪人だ
「そうかしら?」
この階層に収監された際に知り合い、軽く言葉を交わすと気に入られたのか、あるいは物珍しかったのか、つかず離れずの距離を取って近くにいる石動の言葉に、瑞希は怪訝そうな視線を向ける
仮初の空と海や河川、仮初の大地が広がり、聖人達が使う青い通路以外は外の世界とほとんど変わらない景観を持つ階層の様子を伺い、瑞希は関心の無さそうな口調で言う
「俺が何年ここにいると思ってるのさ。看守の聖人共の空気が違う。なんていうか、張りつめてるみたいな……こんなことは今までなかった」
瑞希の淡泊な言葉が、自分を疎んじての無関心から出たものであることを分かっていながらも、石動はそれに引くことなく不敵な笑みを浮かべて周囲を見回す
聖浄匣塔の階層には、巡回や監視を行う看守の聖人達がいる。この階層でも、そのための回廊が設置され、この場からでもまばらにその存在を確認することができる。
そして、これまで長きにわたってその姿を見続けてきた石動には、普段と様子が違っていることを見て取れることができていた
「そう? 私には同じにしか見えないけれど」
それに無関心を示し、視線すら合わせることのない瑞希の様子を横目で確認した石動は、苦笑を浮かべながらも話を続ける
「もしかしたら、どこかの誰かが聖浄匣塔に掴まってる誰かを助けるために乗り込んできたのかもね」
「――っ」
軽い口調で呟かれた石動のその言葉に、瑞希は小さく肩を震わせる
「ありゃ? 冗談のつもりだったのに、心当たりがありそうだね」
瑞希がその言葉に小さな反応を示してしまったのは本当に一瞬だけ。だが、石動はそれを見逃すことなく、意味深な視線を送ってくる
こちらの心中を見透かしているようなその観察眼と的確な言葉は、見慣れていないというのもあるのかもしれないが、瑞希には特に異常を感じられない聖人達に違和を覚えるという石動の言葉の信憑性を高めているようだった
「……気のせいよ」
自身に注がれる石動の視線から逃れるように、あえて怜悧な声音で冷ややかに応じた瑞希だったが、その心中では穏やかならざる感情が渦巻いていた
(そんなことあるはずがないわ。そうでなければ、私がここに来た意味がないもの)
石動が言うように、このタイミングで何者かが聖浄匣塔に攻撃を仕掛けてきたというのならば、確かに瑞希には心当たりがある
だがそれは、九世界との敵対行為にもなりかねず、その事態を避けたいと思ったからこそ瑞希はこの連行に素直に応じたという背景もある。彼らがその意を組んでくれていないとは思わないが、それを踏まえた上で行動を起こす可能性も否定しきれなかった
(どうして……私には助けてもらう価値なんてないのに)
知覚さえ封じてしまう聖浄匣塔の中、外で起きているかもしれない異変に不安を抱えた瑞希は、仮初の空を見上げて沈痛な面差しで俯くのだった