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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
206/305

滅びの〝器〟







「神魔」


 最も古く、遠い記憶の中にあるその声は、間違いなく父親としてのものだった。力強く、雄々しく、それでいて優しく安心感を感じさせてくれる声音と、大きな手に頭を撫でられるが大好きだった

 見上げれば自分より高い位置から注がれる父性に満ちた瞳と、少し荒々しい手に身を任せ、幼かった神魔は父――死紅魔(シグマ)に満面の笑みを浮かべる

「あらあら、お父さんばかりずるいですよ」

 そんな二人に呼びかけるのは、神魔の母であり、死紅魔(シグマ)の妻でもある「深雪(みゆき)」。長い黒髪を風に遊ばせ、最愛の夫と息子の触れ合いに母性に満ちた優しい笑みには、溢れんばかりの幸福が宿っている

「神魔くん」

 神魔を抱き寄せ、慈しむような声で語りかける深雪は、余すことなく母としての愛情に満ちていながら、同時に一人の女としての魅力を感じさせる大人びた清楚な美しさを持っていた

「――……」

 自身の息子でもあり、愛する人との間に生まれた愛の結晶である神魔に惜しみない愛情を注ぐ深雪を見てかすかに表情を硬くした死紅魔(シグマ)は、その気持ちを満たすために自身の伴侶の華奢な肩を抱き寄せる

「あ……もう、子供相手に張り合わないでください」

 神魔を抱きすくめたまま死紅魔(シグマ)に抱きすくめられた深雪は、困ったように言いながらも、その頬を赤らめて、幸せそうに目元を綻ばせる

「困ったお父さんですね」

 優しく響くその声に、神魔は満面の笑みを浮かべて、母と父の温もりと愛情に目を細める



 ――その日(・・・)が来るまでは、普通の家族だった


 戦うことが存在意義であるということもあってか、全霊命(ファースト)は親兄弟を失うものが少なくない。そういった事情に加え、戦うことと同等以上に愛情や友情といった心情を尊ぶ全霊命(ファースト)は、肉親で争うことは滅多に無い。

 神魔が生まれたのは、世界の歴史に刻まれる三大事変や三大戦争が全て終わった後ではあって、両親ともにかなりの実力者だった神魔は、二人の愛情に包まれてさほど大きな危険に遭遇することなく健やかに育っていった


 平凡で幸せな日々。このまま大きくなって、両親と共に生きていくか、離れて生きていくか――父と母のように心から信頼できる伴侶を得て、また自分も親になっていく

 漠然とだが、そんな自分の生き方を思い描いて、疑うことは無かった。――「あの日」までは。


 そして、その日は何の前触れもなく訪れた。――否、もしかしたら、何かその予兆はあったのかもしれない。だが、少なくとも幼い神魔には分からないままに、その時は訪れた



「……っ!?」


 その時、神魔は父と母から離れていた。ある程度成長した神魔は、独り立ちの意味も兼ねて両親から離れて行動することも多くなっていた

 だが、そこには両親を二人きりにするという神魔の配慮があった。だからその日、突如父の魔力が殺意を帯び、母の魔力が消えてしまいそうなほど弱ったことに驚きを禁じえず、慌てて両親の許へと戻ったのだ




「か、母さん……!?」

 慌てて空間の門をこじ開け、二人の許へと戻った神魔が見たのは、その身体から流れ出す血炎に包まれた母と、その前に漆黒の大剣を手にして立つ父の姿だった

「父、さん……?」

 現状を見れば、何があったのかは明白。だが、父と母の仲睦まじさと、これまでの安らかな日々を思い返した神魔には、目の前の光景は到底信じられないものだった

「……っ」

 自身へと向かってゆっくり歩み寄ってくる父の冷たい視線に身を強張らせる神魔は、その視界の端でかすかに動いた母の指先に気付くことさえできないほどに動揺していた

 なぜなら、父から――自分よりもはるかに高い神格を持つ相手から注がれる殺意は、死の宣告と同義。幼く弱い神魔の存在は、自身の死を確信さえしていた


「――ッ!」


 そして次の瞬間、当時の神魔には全く見えない神速で振るわれた斬撃がその身体を袈裟懸けに斬り裂き、おびただしい量の血炎を噴出させる


(なんで――)


 なぜ、父が母を手にかけたのか、なぜ父が自分を殺そうとしたのか分からない。理解ができない。――困惑と同時に、死を確信した神魔の視界が映していた父の冷酷な表情を遮るように、一つの影がそこに割り込んでくる

「神魔、くん」

 その身体から血炎を立ち昇らせている母――深雪が愛おしむようにその手を伸ばし、神魔の身体に触れた瞬間、その視界が一瞬で暗転する

 それは、魔力によって時空間を繋げる時空転移を応用し、対象を別空間へと飛ばす力だった。同格以上の神格を持つ相手に、その意思を無視して使うことはできないが、深雪の力をもってすれば当時の神魔程度を飛ばすことは容易かった


 それが、母が自分を守るために行ったことだというのは、神魔には分かりきっていた。視界が戻ってくると同時に転移を終えた神魔がいたのは、清らかな水をたたえた泉のような場所

 そこに身を揺蕩えながら、身体から立ち昇る血炎が憎らしいほどに澄み渡った空へと溶けるように吸い込まれていく様を見ていた神魔は、まさに半死半生といった状態だった


「――なんだ、坊主」


 その時、不意に耳に届いた声に視線を向けた神魔は、泉の上に立って自分を睥睨している黒髪三角の男の姿を映す

「…………」

「大丈夫ですか?」

 腕を組んだまま、何の感慨も得ていないといった様子で自身を睥睨してくるその男に視線を向けていた神魔が口を開こうとした時、その背後から艶やかな黒髪を持つ絶世の美女が現れる

 おびただしい量の血炎を上げている神魔を見た女性は、その傍らに膝をつくと水の中に浮かんでいたその身体を優しく抱き寄せる

「ロード様、連れて行ってもよろしいでしょうか?」

「好きにしろ。どのみち、生きるか死ぬかはそいつ次第だ」


 他者に癒しをもたらすことができる天使のような光の全霊命(ファースト)とは違い、闇の全霊命(ファースト)の回復は自身の治癒能力に一存しており、そこに第三者が関与する余地はない

 その傷で命を落とすか、生き延びるかは神魔次第。傷ついた神魔を助け起こした黒髪の美女の言葉に応じたロードは、その意味を込めて静かに瞼を閉ざす



 これが、神魔とロード、撫子の出会いだった。その後、二人を振り切って父と母と別れた場所に戻った神魔だったが、そこにはすでにその存在は、影も形もなかった

 そこで神魔は確信し、決意したのだ。父は――死紅魔(シグマ)は自分の敵になった、と。そして、いつか必ず見つけ出し、自身の手で決着をつける、と。



「なんだ。もう戻ってきたのか」

 父と母を失った場所から戻った神魔は、撫子を傍らに侍らせたロードに出迎えられた

 一時間も経たずに戻ってきた神魔を一瞥したロードの口調は、全く関心がないようにも、戻ってくることが分かっていたのではないかと思えるほどの抑揚のないものだった

「――強くなりたいです」

 そんなロードへまっすぐに視線を向けた神魔は、己の気持ちを素直に言葉にして訴えかける

 その言葉を聞いたロードと撫子の視線が向けられると、固く拳を握りしめた神魔は、二人の視線に答えるように、もう一度その願いを口にする


「父を殺せるくらいに、強くなりたいです」





 金属質の音を立ててぶつかり合った二つの漆黒が、そこに宿った純然たる滅殺の意思を示して、互いに相手を滅ぼさんと荒れ狂う。天を裂き、地を砕き、光を呑み込み、世界を滅ぼす力の奔流が渦を巻き、巨大な山脈の大地を崩壊させていく

 共に純黒の刃を持つ大槍刀と片刃大剣がせめぎ合い、拮抗する神格が互いの力と意思を相殺させる中、共に黒髪金眼を持つ二人の悪魔は、純然たる殺意を宿した視線で相対する相手を射抜いていた

「――ッ!」

 軋み合う刃を弾き、距離を取った二人の悪魔――神魔と死紅魔(シグマ)は、まるで計ったかのようなタイミングで、武器を持っていない方の手から極大の魔力砲を放つ

 神魔と死紅魔(シグマ)、互いの神格が十全に発揮された極大の魔力砲は、神速で世界を穿ち、正面からぶつかり合ってその力を世界に顕現させる


 漆黒にして純黒。その力に込められた純然たる殺意と滅びの力を表したかのような力の奔流が隔離された世界に荒れ狂う

 大槍刀と片刃大剣による斬撃の応酬、そして距離を取れば放たれる魔力の波動と斬閃が神速によってもたらされた隔離世界は、その力によって一明の光さえない闇で覆いつくされる


「――っ」

 魔力に込められた神格が顕現し、戦場となった山脈が砕け散り、その岩盤の破片が瞬く間に消滅していく中、神魔と死紅魔(シグマ)は互いに相手を滅ぼすことだけを求める表情で視線を切り結ぶ

 とても実の父子とは思えないほどの殺意と敵意を露にした神魔と死紅魔(シグマ)は、相手の魔力の奔流が渦巻く領域に迷うことなく突入し、何度目になるか分からない肉薄と共に、もはや数えることさえできない回数に及ぶ斬撃を繰り出す

「はあああッ!」

「むん!」

 力任せに振るわれる破壊と滅びの力。それが互いの神速によって振るわれ、神魔と死紅魔(シグマ)の身体の周囲に二つの刃がぶつかり合うことで生まれる魔力の残滓が、さながら暗黒の星海のように出現する

 刃を交える神魔と死紅魔(シグマ)の神格はほぼ互角。互いに直撃こそまだないが、斬撃と魔力砲の応酬によって、その霊衣と身体には小さな傷が無数に刻まれていた


 しかし、その身体から血炎を零しながらも、神魔と死紅魔(シグマ)には全く怯む様子もない。むしろ、自ら望むかのように、父が、息子が作り出している生と死が混在する死線に望んでその身を投げ出していく


(強くなった)


 刃を交え、魔力を知覚しながら神魔と死紅魔(シグマ)は、共に相対する己の肉親に対して、皮肉にも全く同じ思いを抱いていた


 死紅魔(シグマ)は単純に、幼い頃から強くなった神魔の力そのものに対して。そして神魔は、幼い頃はあんなにも遠く、大きく感じられた父に肉薄している自身の力を実感して。

 二人の間にあるのは、憎悪でははない。だが互いに相手を滅ぼさずにいられない。父に、息子に、刃を向け命を奪おうとしているというのに、戦意と殺意に満ちた二人の表情は笑みの形になっていた




「――……」

 純黒の力が吹き荒れる中、漆黒の刀身を持つ武器と力をぶつけ合い、殺し合う神魔と死紅魔(シグマ)の姿を見守る桜は、胸を引き裂かれそうな思いに唇を引き結びながら、その目元を綻ばせる


「――神魔様、あなたは今、お義父(とう)様と対話なされているのですね」


 死線の最中に身を置く神魔の横顔に、遥か昔に失ってしまった父との対話の影を見た桜は、悲しさと慈しむような笑みを同居させた淑やかな笑みを浮かべる

(ならば、わたくしはあなたの戦いを最後まで見届けます)

 いかな神魔の伴侶である自分といえど、この親子の対話に割って入ることは許されない。例え神魔が敗北し、命を落とすことがあっても、その結末を見届ける覚悟をした桜は、自分の心だけを最愛の人へと傾ける

(神魔様)

 祈るように腕を組むような気持ちを抱きながらも、淑然な居住まいを崩さずに戦いを見つめる桜は、心の中でただ神魔の事だけを祈っていた





《この子の名前は、「神魔」だ》


 最上段から力任せに振り下ろされた大槍刀の斬撃を受け止めた死紅魔(シグマ)は、それを振るう神魔の姿に、生まれた頃の思い出を重ねる


 愛する妻との間に生まれた子供は、死紅魔(シグマ)にとって何を引き換えにしても惜しくないほどの宝に思えた

 生まれたばかりの、まだ不確定な魔力で構築された霊衣を産着のように纏っている子供を抱いた死紅魔(シグマ)は、軽くとも確かな重みにその存在感と命をはっきりとさせ感じ取っていた


《この子は、きっと魔()様よりも強くなる。だから、()魔だ》


 この小さな命の中に自分の欠片が埋まっているのだと強く実感し、魂――自身の存在感を満たすような幸福に突き動かされるように興奮した口調で言う死紅魔(シグマ)が子供を見る姿に、母であり妻である深雪が呆れた様な視線を向ける

《それ、馬鹿親って言うんですよ?》

 あるかどうかも分からない才能を自分の子供に見ている夫に呆れたように言う深雪だが、その目の奥にある感情は優しく綻んで、慈しむような色を生み出していた

《何を言ってるんだ、深雪。俺達の息子だぞ?》

 その言葉に、答えた死紅魔(シグマ)の表情はどこにでもいる少々子煩悩な父親のそれでしかなかった




 神速による接触と斬撃の応酬を繰り返し、一旦距離を取った神魔は、魔力を乗せた大槍刀を一閃させ、極大の魔力刃をその斬閃に合わせて解放する

 自身の全霊を込めた渾身の一撃が死紅魔(シグマ)の一撃に迎撃され、相殺されて砕け散る様を見ながら、神魔は大槍刀を握る手に力を込める



《凄ーい》

 相対した敵を圧倒し、勝利した父の背中を見る幼い日の神魔は、その大きな背中を見て目を輝かせる

《僕もお父さんみたいに強くなるよ!》

 幼い身体で倍以上もある父の背を見上げ、尊敬と憧れの眼差しを向ける神魔に、振り返った死紅魔(シグマ)は、優しく目を細めると軽く腰を曲げる

《ああ。神魔ならなれるさ。それどころか、お父さんよりも強くなれるぞ》

《本当!?》

 大きな父の手に頭を撫でられた神魔は、その言葉に興奮気味に言う

《ああ。本当だ》

 そんな神魔の様子に、死紅魔(シグマ)は優しく笑って言う。神魔に向けられたその表情は、先に敵に勝利したことよりも誇らしげだった

 幼い頃の神魔にとって、死紅魔()は尊敬し、憧れる目標だった。強くなればなるほどに遠くなっているように感じられる力の差。だが、背中を追いかけていられることがどうしようもなく嬉しかった




「オオオオオオオッ!!!」


 思い返せば、温かな思い出がとめどなく心の中から湧き上がってくる。父として、息子として――その思い出を純然たる殺意に変えて、神魔と死紅魔(シグマ)は漆黒の魔力を帯びた刃を振るう

 背に守っていたものを、見つめ続けていた背中を滅ぼすべき敵として認識した二人の力が渦を巻き、そこに込められた純然たる意思の力が、山脈を崩落させる


「ッ!」

 砕け散った地盤が、二人の意思によって天へと持ち上げられながら昇華されるように消滅していく中を神速で肉薄した死紅魔(シグマ)は、神魔の頭部を武器を持っていない手で鷲掴みにする

 大槍刀の斬撃をわずかに受け、傷口から血炎を立ち昇らせる死紅魔(シグマ)は、そのまま神魔の頭部を掴んだ手の平から魔力の波動を放出し、さらにその勢いに任せて力任せに地面に叩き付ける


 顔面を掴んだ手から魔力砲を放ちながら、神魔の身体を地面に叩き付けた死紅魔(シグマ)の一撃によって山脈が縦に我、地盤に深い亀裂が奔る

 炸裂した魔力の渦が天を衝き、空間隔離の中にある聖人界から全ての光をかき消して、一点の曇りもない純黒へと染め上げていた


「――っ、の……ッ」

 その一撃を受けながら、即座に大槍刀の一撃で反撃を試みた神魔だったが、その一撃は死紅魔(シグマ)に命中することなく虚しく空を切る

「っ」

 顔面にゼロ距離から魔力砲を撃ち込まれ、地面の奥深くへと力任せに撃ち込まれた神魔は、魔力を放出させて大地をかき消す

 先の一撃で傷を負った顔から血炎を立ち昇らせ、距離を取った神魔に不適な笑みを向けた死紅魔(シグマ)は、攻撃の手を緩めることなく即座に攻撃に移る

「――ッ!」

 神速で肉薄し、自身の魔力を纏わせた片刃大剣を最上段から袈裟懸けに振り下ろした死紅魔(シグマ)の斬撃を神魔の大槍刀が逆袈裟の斬閃で弾く

 相殺された純黒の魔力に込められた意思が大気を歪め、大地を砕く中、それぞれの武器から放たれた魔力刃がせめぎ合う

「お前は、この世界に存在してはならないものだ」

「……そういえば、そんなこと言ってたね」

 相殺され、砕け散る魔力の残滓が生み出す漆黒の星群の中、死紅魔(シグマ)の口から告げられたその言葉に、神魔は力の圧に耐えながら答える

魔力に乗って届けられた死紅魔(シグマ)の声に答えた神魔の眼前でぶつかり合っていた二人の魔力刃が砕け散り、暗黒の帳が取り去られる

「お前は、存在するだけで世界を滅ぼす」

「意味が分からないんだけど!?」

 視界を塞いでいた暗黒の力の渦が消えると同時に肉薄してきた死紅魔(シグマ)を、知覚で捉え続けていた神魔は、その斬撃を受け止めてその目を剣呑に細める

 互いの武器の刃と魔力がせめぎ合う中、死紅魔(シグマ)の口から告げられた淡泊な声に、神魔は力任せに大槍刀を振り抜きながら答える

「そのままの意味だ」

 神魔の斬撃との正面からの斬り合いを避けるように後方へ移動した死紅魔(シグマ)は、自身の周囲に無数の魔力を収束させた黒星を生み出し、そこから暗黒の力を凝縮した破壊砲を放つ

 神速で放たれた極大の魔力砲の群れを前にした神魔は、それを回避することなく、全霊の魔力を注ぎ込んだ大槍刀の一閃によって、その攻撃を真正面から力ずくでねじ伏せる


「そう。――でも、だからって殺されてあげるつもりはないよ」


 先程の言葉を否定する、そのためにそうしたかのように、魔力砲を一閃の下に相殺して見せた神魔は、その隙をついて肉薄している死紅魔(シグマ)を金色の瞳で射抜く

 死紅魔(シグマ)のその行動を知覚で――それ以上に、そうするだろうという確信をもって見据えた神魔は、一切動じることなく横薙ぎの斬撃を大槍刀の柄で受け止める

「お前がどう思おうが関係ない。このまま生き続けていれば、やがてお前は――」

 その確固たる意思が込められた魔力と瞳に同情にも似た殺意を浮かべた死紅魔(シグマ)は、今度は先ほど神魔がしたように、力任せに刃を振り抜く


「愛する女も、殺すことになる」


 力任せに振り抜いた魔力の斬撃によって、防御した大槍刀ごと神魔を吹き飛ばした死紅魔(シグマ)は、更に自身の武器に魔力を込め、それを次の言と共に最上段からの斬撃として放つ

「そしてそれを回避する手段はない。なぜならそれは、原因も因果もない事象だからだ。我々が生きているように、お前の存在がこの世界の全てを滅ぼす! ――これは、確定した未来だ」

 最上段から縦に振り下ろされた斬閃と共に放たれた魔力の波状刃は、大地を斬り裂きながら、吹き飛ばされた神魔へと向かって一直線に迸る

「……ッ」

 自身へと向かってくる連続した魔力の斬撃に歯噛みした神魔は、それが直撃する寸前で逆袈裟に斬り上げた大槍刀の斬撃によって相殺するが、殺しきれなかった力の残滓に身体を傷つけられて血炎を立ち昇らせる


「確かに、それは嫌だな」


 死紅魔(シグマ)の口から告げられた言葉に、神魔は物憂げな面差しで笑みを零すと、手にしていた大槍刀の切っ先を下げる

 神魔には、先程の死紅魔(シグマ)の言葉の真偽は分からない。だが、その可能性を考えた時、その胸中を満たすのは最低でも自分の命と等価の桜への想いだけだった


 そして、神魔がそう独白した一瞬の間に死紅魔(シグマ)は神速をもって彼我の距離を詰め、魔力を纏わせた斬撃を最上段から振り下ろす

「――っ」

 その言から間を置くことなく放たれた斬撃。純然たる殺意が籠められたそれは、紛れもなく神魔を両断し、その命を奪うものだった

 しかし、その迷いのない斬撃は、全くの等速で動いた神魔の大槍刀の刃に受け止められ、刃と魔力が相殺され軋む音がだけが二人の空間を支配する

「でも……それは僕の気持ちで、桜の気持ちじゃない」

 その静寂を破った神魔の独白と共に、その魔力が一気に吹き上がる


 神魔が桜の命を最も重んじているように、桜も神魔の命を自身と同等以上に大切にしてくれていることを知っている。

 神魔が桜を失いたくないように、桜が神魔を失いたくないように、死ぬならば共に同じ場所で死ぬことを望んでいることを、分かっている

 桜は、言葉にすることなどなかったが、長年共に生きてきた神魔は、それを確信している。――桜は、例え何を置いても自分に生きて欲しいと願っているのだ、と


「僕が勝手に死んだら、桜に怒られちゃうよ」


 相対しながら、神魔の目には眼の前で相対している死紅魔(シグマ)ではなく、自分の戦いを遠くから見守ってくれている桜が映っている

 苦笑するようにそう告げた神魔は、黒よりも黒く、闇よりも深い闇として顕現する魔力を大槍刀の刃へと凝縮し、受け止めた死紅魔(シグマ)の刃ごと力任せに斬り伏せ

「僕()自分の嫁には頭が上がらないみたいだ」

 吹き上がる暗黒の力の波動によって吹き飛ばされた死紅魔(シグマ)は、即座に体勢を整えつつ、肉薄してきている神魔を瞳に映して口端を吊り上げる

 その言に、懐かしい過去を思い返した死紅魔(シグマ)は、結局伴侶である深雪に頭が上がらなかった自分の姿を思い返して、遠く過ぎ去った日を懐かしんでわずかにその面差しを穏やかにする

「そうか。損なところが似たな」

「かもね」

 苦笑気味に答えた神魔は、満足気に目を細めている死紅魔(シグマ)と視線を交錯させると、その表情を穏やかなものに変える


「でも、悪くないよ」


「――っ!」

 振り下ろされた神魔の極大の斬撃を受け止めた死紅魔(シグマ)は、その純黒の破滅の力の奔流に存在の根幹までを打ち据えられて苦悶の表情を浮かべる

「僕が世界を滅ぼすから、僕を滅ぼしたいんでしょ?」

 自身で放った魔力を突き抜け、死紅魔(シグマ)へと肉薄した神魔は、渾身の魔力を凝縮した手の平でその頭部を鷲掴みにする

「悪いけど、僕はあなたを殺すために戦ってるんじゃない」

 静かにそう告げた神魔は、その力のまま死紅魔(シグマ)に魔力を放出しながら、その威力に任せて地面へと叩き付ける


「生きて、待っててくれる人のところに帰るために戦ってるんだ!」


「ぐ……ッ」

 天を衝く漆黒の魔力が吹き荒れる中、全身を呑み込む滅闇の波動をかいくぐった死紅魔(シグマ)は、苦痛を押し殺して、手にした大剣を振るう

 魔力を帯びて横薙ぎに振るわれた漆黒の刃の切っ先に、最上段から振り下ろされた大槍刀の一撃が叩き付けられる

「僕を殺せば終わると思ってる人が、僕を殺すことはできない!」

 噛みしめるように告げられた神魔のその一言と共に、これまで拮抗していた二人の力が崩れ、死紅魔(シグマ)の身体が吹き飛ばされる


 死紅魔(シグマ)の目的は、世界を守るために、存在するだけで世界を滅ぼす神魔を殺すこと。それは、かつて伴侶(深雪)と決別し、その手で傷つけてまで成そうとしたこと。――死紅魔(シグマ)にとては、自身の身命を賭してなさねばならないことだ

 死紅魔(シグマ)の目的は神魔を殺して成就するもの。だが神魔にとって死紅魔(シグマ)を斃すことは、も終わりではない。生きて桜と共にまだまだすべきこと、やりたいことが山のようにあるのだ


 目標の達成を目前にした者と、今が未来へ続く道途でしかない者。より遠い未来を思い描いている自身の方が、生き足掻く力が優れていると宣言する神魔の力の波動を受けながら、死紅魔(シグマ)はその姿を金色の視線で射抜く

(笑わせてくれる。そんな思い一つで強くなれるわけがない)

 先程自分が押し負けたのが偶然でも何でもないことを知っている死紅魔(シグマ)は、この領域を等しく支配していた自身の魔力が、徐々に削られていることを知覚する

(強くなっている。死線に身を晒す度、通常の全霊命(ファースト)ではありえない早さで神格が成長している)

 今の破滅を従え、未来の絶対的な滅びを約束する影を神魔の最黒の魔力に幻視し、死紅魔(シグマ)は戦慄を覚えると共に、その思考を加速させていく

(この程度の戦いでここまで力が上がったということは、「器」ができつつある……いや、もしかしたらもうできたのか!? 神魔に宿った――)


 死線に近づく度、〝全てを滅ぼすもの〟たる神魔は、その身に宿った滅びの本質へと近づいている。それが、その神格の増大という形で表れているのだ

 そして、故に神魔をこのまま生かしておくことはできない。だが、ただ滅ぼせばいいというわけでもない。

 これまで、神魔と同様の存在だった者達は、機を待たずして命を落としたことで、その身に宿っていた滅びを現代(いま)にまで延ばしてきてしまったのだから


(〝神の器〟が)


「神魔ァ!」

 高らかに掲げられた大槍刀の漆黒の刀身に最黒の魔力を凝縮して肉薄してくる神魔を見据える死紅魔(シグマ)は、自身の全身全霊を傾けた力を己の武器に注ぎ込む

 自分の戦う形そのものである武器に己の持てる全てを込めた死紅魔(シグマ)は、それをただの一振りに込めて解き放つ


 瞬間、漆黒の闇が世界を覆いつくし、そこに込められた滅殺の意思が隔離された世界を塗り潰し、舐めるように破壊をもたらす




「神魔様……」


 自身の許へと届く破滅の力の波動に身を晒し、桜色の髪をなびかせる桜は、その力の中心にいる最愛の人を案じて、そっと自身の胸に手を当てる

 契りを交わし、命を交換しあった桜の魂には神魔の命の欠片が宿っている。自身の中にあるその力を介して神魔と触れ合うように祈る桜の視線の先で、破滅の闇がゆっくりと晴れていく



「――ッ」

 戦場となっていた巨大な山脈は崩壊し、破壊によって作り変えられたその中心に立つ二つの影――神魔と死紅魔(シグマ)は、互いの身体から血炎を立ち昇らせながら視線を交わしていた

 最上段から振り下ろされた神魔の大槍刀は、死紅魔(シグマ)の肩口から胸までを深々を斬り裂き、横薙ぎに放たれた死紅魔(シグマ)の片刃大剣は、神魔の首を左側から半分まで斬り裂いている

「く……ッ」

 同時に吹き上がった真紅の血炎と共に、わずかによろめきながら後退った神魔と死紅魔(シグマ)は、手にした武器を強く握りしめると、再び刃を一閃させる

 逆袈裟に斬り上げられた神魔の最黒の斬閃が、死紅魔(シグマ)の身体を斬り裂き、死紅魔(シグマ)の刃は神魔の顔に額から口元までの切り傷を付けるに留まってた――そしてそれが、決着であることが誰に目にも明らかだった


「ぐ……ウぅッ!」


 神魔の斬撃を受け、よろめいた死紅魔(シグマ)は、その大剣を地面に突き立てて、倒れそうになる身体を支える

 歯を食いしばる口端から一筋の血炎を立ち昇らせ、肩口と胸の深い傷からは燃えているかのような大量の血炎を上げる死紅魔(シグマ)の輪郭が一瞬ぼやけるように形を失う

「……!」

 自分の身体が霞んだのを見て取った死紅魔(シグマ)が視線を前に向けると、そこには、距離にして五メートルほどの間を取って漆黒の大槍刀の切っ先を下げた神魔が佇んでいた


「僕の……勝ちだ」


 首から大量の血炎を立ち昇らせながら噛み締めるように発せられた神魔のその言葉は、どこか物悲しげな響きを帯びて死紅魔(シグマ)の耳に響いてくる

 そして、その言葉が真実であることは、己の身体が形を失おうとしているという事実が何よりも証明しているのだと、死紅魔(シグマ)は理解していた

「無念だ」

 これまでの戦いで負った傷に塗れた身体を押して、自分と同様に大小様々な傷を負っている神魔を見据えた死紅魔(シグマ)は、悔恨の念に満ちた声を発する


「お前が世界を滅ぼすのを、この手で止められなかった」


 自分の息子に向けるものとは到底思えにない敵意と殺意を帯びた視線で神魔を射抜いた死紅魔(シグマ)は、声を絞り出して自身の無力を嘆く

 その身体は徐々に輪郭を失い、身体を支えている大剣共々綻びるように形を失っていく。それは、その存在の全てを神能(ゴットクロア)によって構成される全霊命(ファースト)の死だった

「お前は、存在するだけで世界を滅ぼす。それはお前の意思に関係なく、だ。お前が言ったように、ここが終わりではない。お前が生きている限り、世界は滅びへと向かっていく――もはや〝世界の滅び〟は止められない」

 静かな声で言い放ち、父として破滅(息子)を止められなかったことを悔いる死紅魔(シグマ)に、神魔は静かに首肯する

「うん。覚えておくよ……」

 そう答えた神魔は、世界に溶けるように形を失っていく死紅魔(シグマ)を瞳い焼き付けながら、この瞬間まで口にしてこなかったその一言を餞にする


「父さん」


「――ッ!」

(そうか。お前は――)

 遥か昔、自分の手でその命を奪おうとした瞬間に失ってしまったものが、時を越えてそのたった一言で帰ってきたように響くその言葉に目を見開いた死紅魔(シグマ)は、武器を下げて戦意を収めた神魔を見据えて、静かに口端を吊り上げる

「どうだ、深雪。俺の言った通りになっただろう?」

 全てを理解すると共に、かつて深雪に告げた「自分よりも強くなる」という言葉を実現させた神魔を見て、小さく独白する

 誰にも聞こえないように声を発した死紅魔(シグマ)は、わずかに俯きがちになっていた顔をゆっくりと上げ、その金色の双眸に神魔を映す


「〝神〟に気を付けろ」


「!」

 形を失っていく中、神妙な面持ちで告げられた死紅魔(シグマ)の言葉に、神魔は息を呑む

 その理由を訊ねる言葉が喉をついて出かかったが、神魔はそれを呑み込んで、魔力の残滓となって消えて行く死紅魔()の最期をその目に焼き付ける


 言葉はいらなかった。何故なら、この瞬間までに重ねた刃の全てを通して、神魔と死紅魔(シグマ)は会話を重ねてきたのだから


 そして、神魔の見ている前で死紅魔(シグマ)は、笑みを浮かべることもなく威風堂々とした佇まいのままで生き絶え、静かに世界の風にさらわれて溶けていった――







「……いくぞ撫子」

 その様子を遠く離れた場所で見守っていたロードは、隣に佇んでいる撫子に視線を向けてその身を翻す

「はい」

 ロードの視線で次の行動を理解した撫子は、一礼を以ってそれに答えると、もう一度神魔の姿を瞳に映してからその後に続くのだった







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