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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
205/305

戦択の果て








 激動の一日が終わりへと近づき、天の頂に座す神臓(クオソメリス)が月へと替わろうと、宵の光を世界に届けている頃、聖人界の中枢である聖議殿(アウラポリス)のさらに中心――「聖王閣(グラザナッハ)」では、その主である界首「シュトラウス」が静かな一時を過ごしていた

 聖王閣(グラザナッハ)は、聖議殿(アウラポリス)の中心に位置し、界首の居住区などを兼ねる施設。そこにある部屋から、夜の中でこそその純白が際立つ街並みを見つめていたシュトラウスの知覚が、不意に街の外に表れたものを捉える


「この理力……」


 顔を上げたシュトラウスが、街の内外を隔てる門の向こう側へと意識を向けていると、部屋の扉が数度ノックされる

 それに「入れ」とシュトラウスが簡潔に許可を出すと、扉を開けて界首の秘書を務めているスレイヤがその姿を見せる

「シュトラウス様。ウルト様とリリーナ様が面会を求めておられます。しかもリリーナ様は、天界王様、天上界王様、妖精界王様の名代としていらっしゃっていると」

 凛と澄ました秘書らしい居住まいを崩すことなく怜悧な視線をシュトラウスへと向けたスレイヤが、門番から受けた報告を正確に伝達する

 その無機質な表情からはスレイヤの個人的な心情を読み取ることはできないが、こんな時間に聖議殿(ここ)を訪れたウルトとリリーナの目的は容易く想像できた


「……ウルトはともかく、リリーナ様の方は無下にはできんな」


 ここで断っても、何ら問題はない。しかし、リリーナが聖人界を除く他の世界の王達と接触を持ってきたとなると、無下にするのも問題だろう。

 そういった状況から「いかがなされますか?」と視線で訊ねてくるスレイヤに、シュトラウスは不敵な笑みを零して答える

聖王閣(ここ)の応接室にでも通してくれ」

「かしこまりました」

 先日光魔神(大貴)達が訊ねてきた時のように、聖人――光の存在にとって不倶戴天の敵である闇の全霊命(ファースト)がいないのならば、聖王閣(グラザナッハ)へウルトとリリーナを招いてもいいと判断したシュトラウスに、スレイヤが恭しく頷く

「それと、各党主や議会のメンバー、この街にいる聖人達には普段と同じように過ごすよう伝えてくれ」

「はい」

 ウルトとリリーナの訪問は、この聖議殿(アウラポリス)の中にいる全ての聖人達が気付いているだろう。特に仰々しい出迎えなどするつもりもないシュトラウスは、淡白にそう告げて、部屋を出て行くスレイヤの後ろ姿を見送る

「やれやれ、ウルトにも困ったものだ」

 スレイヤが遠ざかっていくのを理力で確認したシュトラウスは、辟易とした様子でため息をつくと、不意にその視線に怜悧な光を灯す


「――こちらは別件(・・)で忙しいというのに」





 進行方向にあった天地を隔てる扉が開き、音もなく移動する台座が暗い空間を抜けると、そこには開けた空間が広がっていた。

(……牢獄というには、少しばかり綺麗すぎるわね)

 自身の眼下に広がっているその光景を視線だけを動かして見る瑞希は、自身が歩いている場所を思い出して内心で自嘲じみた呟きをする


 眼下――そして、周囲に広がっている、はるか遠く果てさえも見えないほどのその空間は、まさに小さな箱庭と評するのにふさわしい

 空間隔離と似た作用で作られているのだろうこの場所は、もしかしたら本当に涯など存在しないのかもしれないと思わせる解放感と同時に、この世の果てに相応しい閉塞感と息苦しい拘束感が支配していた


 天蓋型の天井には、室内だというのに青空が広がり、眼下に見える大地には、緑や水といったものは見えないが、荒涼とした荒野が広がっていた

 山や谷、そういったものを思わせる形をとった大地には、この建物の外観と同じ白晶でできた大きさも形も様々な建造物が置かれ、縦横無尽に伸びる金の縁取りが荒れた青晶の回廊が複雑に絡み合って広がっている


(これが……)

「イメージとは違いましたか?」

 眼前に広がっている青空と眼下に広がっている荒れ果てた大地を見下ろて息を呑む瑞希に、隣に立っていた案内人――聖人の原在(アンセスター)天支七柱の一人である「ビオラ」がどこか誇らしげな様子で語りかける


「ここが、あなたがこれから入ることになる聖浄匣塔(ネガトリウム)第八十八層です」

「八十八……随分と深い所ですね」

 この世界に於いてたった一つしかない全霊命(ファースト)専用の刑務施設「聖浄匣塔(ネガトリウム)」は、今瑞希がいる場所――天と地を繋ぐ白晶の塔が最上階から最下層までを繋ぐ全百階層からなっている

 全ての階層を繋ぐが唯一の入り口であり出口になっている塔を移動する瑞希は、ビオラの言葉に小さく独白する

「九十より下を除けば、何階層であっても大差はありませんよ。別に、刑期ごとに分かれているわけでもありませんし、階層ごとに囚人に様々な刑罰を科すということではないですから」

 答えを期待して呟いたものではなかったが、瑞希の言葉を聞きのがさなかったビオラは、それに対する答えを簡潔に述べる

「強いていうなれば、時間こそが刑罰ということです。ここに収監されている罪人の数は、現在三十名ほどです。仲良くしてほしいとは言いませんが、くれぐれも、暴れたりしないでくださいね。その時は、少しばかり乱暴な手段で止めることになってしまいますから」

 世間話をするように言うビオラだが、その平坦で事務的な声音からは、それが冗談ではないことが伝わってくる

 その証拠に、眼下の大地に張り巡らされている金縁の青い回廊には、警備を兼ねているらしい聖人達が所々に立っているのがみえた

「――……」

(封じられているからか、ほとんど知覚が利かない……けれど、確かに他の色々な神能()があるわね)

 この聖浄匣塔(ネガトリウム)の創造者にして、支配者である最強の聖人――「マキシム」の理力によって作られた封印の枷の所為か、同階層内にいる者達の力を知覚するのは極めて困難になっている。だが、確かに意識を集中して見れば、各所に散らばって数十人単位の多様な存在がいることが確認できた

「ここであなたは、刑期が終わるまで何事もなく(・・・・・)過ごしてもらえれば結構です。但し、一度中に入ったら、この中央塔、それと青い通路には乗らないように。分かりましたね?」

「ええ」

 暗に、何かを起こせば刑期が伸びたり、罪科が重くなる可能性があると匂わせたビオラは、最後の警告を告げる


 各階層を貫く唯一の出入り口である中央の白晶塔は、侵入禁止エリア。加えて、看守を務める聖人達の通路である青晶の回廊も同様だ

 ここで瑞希が過ごすうえで最低限にして唯一の警告をしたビオラが、最後に確認の言葉を取ると同時に、図ったかのようなタイミングでエレベーターが到着し、扉を開く


「入りなさい」

 金色の扉が開かれ、眼前に現れた荒涼とした荒野の風景と監獄特有の思い空気を吸い込んだ瑞希に、ビオラが凛とした声で言う

 その言に従って外へ出た瑞希が、これから千年余の時間を過ごす場所に視線を巡らせている背後ではビオラが中央塔の出入り口を守っている門番の聖人達に対して引き継ぎを行っていた

「では、あとはお願いしますね」

「はい。お任せください」

 速やかに引き継ぎを済ませたビオラは、外に出て佇んでいる瑞希の姿を一瞥すると、エレベーターの中で待っている随伴の聖人達の許へ歩いていく

「では、これからの時間、あなたの罪を悔い改めてください」

 去りゆき際に小さな声で語りかけてきたビオラの言葉を聞いた瑞希は、自分を運んできた中央塔のエレベーターの扉が閉じられるのを見て、小さく嘲るような笑みを浮かべる

「悔い改める……ね」

 塔の中に消えたビオラの言葉に小さく笑った瑞希に、門の守護をしている聖人の男が歩み寄り、倍以上ある身の丈から見下ろしながら、威圧するような眼光を注ぐ

「下に降りろ」

「――……」

 収監された罪人が、内外を繋ぐ唯一の出入り口であるこの場所にいつまでもとどまっていることは許されない。場合によっては実力行使も辞さないという様子で言う聖人の姿に、瑞希は涼やかな表情を崩さぬままに、そこから軽やかに身を投げ出す

 階段はあるが、それを使わずに宙を舞った瑞希は、束ねた黒髪を揺らしながら慣性を無効化して地面にゆっくりと降り立つ

(魔力は使えないというほどではないのね……けれど――)

 両腕につけられた封印の枷を一瞥した瑞希は、自分の現状を確認して柳眉を顰める


 囚人につけられる枷は、マキシムの理力によって作られた封印。強い倦怠感などはあるが、身体の機能に関して封印する力はないようだった

 封印と一口に言っても色々なものがある。一般的に封印と言えば、人格、存在事なんらかの者のなかに封じ込めるものを指すが、この封印はどちらかといえば、なんらかの制限をかける「枷」としての能力が強いと瑞希は判断する


「――……」

(やはり、魔力の放出はできないのね)

 自身につけられた枷の封印によって、魔力が身体から放出できないようになっているのを確認した瑞希は、自身の推察が間違っていなかったことを確信して、中央から離れていく

(おそらく、この枷は私がどこにいるのかを把握するような役目も持っているはず。わざわざ塔の近くにいて睨まれるのも面倒だし、中をくまなく探索する気もないから適当なところで休むことにしましょう)

 罪人がいつまでも出入り口である塔の辺りにいれば、不審がられ、不興を買う。あらぬ疑いなどかけられても堪らないと考えた瑞希は、そこから離れるように歩を進めていく


 正義を重んじることを自負し、誇りに思っているだけのことはあり、聖人は投獄はしても自分達の存在の矜持にかけて囚人を粗雑に扱うことは無い

 いかに瑞希といえど、聖人界の刑罰の形態までは把握していないが、ビオラの言葉を踏まえて考えれば

この牢獄の中で刑期が終了するまで過ごすことが求められているのだろう

 比較的自由に動き回ることは容認されているが、この階層を歩き回って交友を深めることは瑞希の選択にはないため、どこか適当にくつろげる場所を探して移動するという選択に帰結するのはある種の必然だった


「この辺りでいいかしらね」


 しばらく歩き、周囲を見回せる小高い丘の上に建つ白晶の塔の根元に腰を下ろした瑞希は、牢獄の中の青空を見てわずかにその目を細める

「作り物の風に、陽の光……思ったよりも味気ないものね」

 マキシムの神能(理力)で作られた監獄の世界の環境に、静かに独白した瑞希が白晶の塔に身を委ねて目を閉じる

「やぁ。新入りかい?」

「!」

 その時、不意に横からかけられた声に目を瞠った瑞希は、背後に委ねていた身体を弾かれたように起こして声がした方へ視線を向ける

 そこは、瑞希が座っている高台の丘の下。崖のように抉れた岩の影にできた闇に身を潜ませるようにしてそこに転がっていたのは、瑞希同様に手枷をつけられた男だった


 金髪の髪に、吸いこまれる様な紺碧色の瞳。左の耳に、胸元にまで垂れる真紅の毛皮の飾りをつけたその青年が纏っているのは、黒の縁取りがされた白いコート風の霊衣。

 左袖がなく、手甲を付けた左腕を肩から見せ、上着のコートの裾には水晶質の牙に似た装飾品がつけられている

 精悍というよりは、あどけなさを残した物静かな青年といった印象を受けるその人物を見た瑞希は、警戒心をわずかに緩めてその姿を澄んだ双眸に映す


(気付かなかった。まさかここまで知覚が弱められているなんて……)

 その青年のそれはもちろん、自身の知覚さえもが枷によってかなり封じられているのを身を以って体感した瑞希は、心中で独白しながら、未だ身体を起こす素振りさえ見せないその人物に向けて声をかける

「あなたは?」

 警戒感を隠しきれていない硬質な声を受けた青年は、それを意に介した様子もなく、身体を起こして屈託のない笑みを浮かべる

「おっと、初めまして。俺は『石動(イスルギ)』。よろしくね」

 まるで知人に話しかける様な軽い声音で石動(イスルギ)と名乗った青年の言葉に、瑞希の瞳に警戒の色を押しのけて驚愕の色が紛れ込む

石動(イスルギ)? まさか、『天使狩り』の?」

「おっと、俺も有名になったもんだ。まさか、知ってもらえてるなんてね」

 その名前で、瞬時に知識の中にある同一人物と結びつけた瑞希の言を肯定した石動(イスルギ)は、不敵な笑みを浮かべながら、わざとらしく肩を竦める


 天使狩りの「石動(イスルギ)」。その名は、九世界でもかなり広く知れ渡っている。その別称とも二つ名とも取れる呼び名が示す通り天使――光の存在に対して激しい敵意を抱き、これまでに数えきれないほどの命を奪ってきた殺戮者だ

 無論その凶刃は天使だけでなく、光の存在全てに向けられていた。ある時からその名前を聞くことは無くなり、死んだという噂もたったが、聖浄匣塔(ここ)にいたのならば合点はいく


「――あなたほどの罪人なら、九十より下にいそうだけれど……」

 石動(イスルギ)の罪ならば、大半の世界で極刑に処されるのは間違いない。にもかかわらず、この階層にいることを訝しんだ瑞希は、先程ビオラから聞いた話を思い出して眉根を寄せる


 聖浄匣塔(ネガトリウム)は全百層。囚人が服役することになる階層は、刑期の長さなどに関係はないが九十より下はそうではないらしいということだった。それを思えば石動(イスルギ)がいる階層は浅すぎるように思える


「なんだ、詳しいね」

「ここに来るまでに、少しばかり小耳に挟んだのよ」

 まるで聖浄匣塔(この場所)の常連だと勘違いされているような言われ方に、瑞希が淡泊な口調で答えると、石動(イスルギ)は納得したようなしていないような表情を浮かべて、おもむろに口を開く

「まあ、どっちでもいいけど、世間話でもどう?」

「そうね。少しくらいなら、付き合うわ」

 その言葉にしばし思案を巡らせた瑞希は、どうせここではやることもないのだと結論づ得て、石動(イスルギ)の提案に乗ることにする

 決して近寄ろうとはせずに、最初の距離を保ったままその場に再び腰を下ろした瑞希を見た石動(イスルギ)は、小さく苦笑を浮かべて話を切り出す

「ところで、君は何年?」

「……千二百」

 刑期を尋ねられているのだと察した瑞希が簡潔に応じると、それを聞いた石動(イスルギ)は、「ふぅん」と軽い口調で呟くと、不敵な笑みを浮かべて口を開く

「俺は、九十二階層で五億年、あとはもうここから出してもらえない――終身刑ってやつさ」

「!」

 あっけらかんとした口調で言う石動(イスルギ)の言葉に瑞希は小さく目を瞠る

 その様からは永遠に牢獄から出られないという悲壮感はもちろん、そのことに対する敵意や怒りといった負の感情、脱獄を試みているような気配は一切見受けられない

 まるで世間話をするかのように自身の身の上を軽い口調で話す石動(イスルギ)の姿はあまりにも自然で、天使狩りとまで呼ばれた重犯罪者だとは思えない

「この聖浄匣塔(ネガトリウム)は、九十より下の階層は、多少精神的、身体的に苦痛を与える感じの階層なんだよね。九十九層は、完全隔離された個室の中、時間も空間も停止した虚無の中で孤独に彷徨い続けるとか

 ちなみに、俺がいた九十二階層は俺達みたいな闇の存在には最悪のところで、死なない程度に加減された浄化の光が降り注ぐ世界で暮らさせられるんだぜ。今思い出しても、キツかったなぁ」

「そう。それは怖いわね」

 ここよりも深い場所の事を、自身の経験も踏まえたうえで笑いながら説明する石動(イスルギ)に、瑞希は淡泊な声音で応じる


 聖浄匣塔(ネガトリウム)は、八十九層までは罪人を刑期が終わるまで収監しておく場所でしかない。食料などは出ず、空間隔離も枷によって封じられているが、殺されない限り永遠を生きることができる全霊命(ファースト)にとっては、そこまで苦ではない。あくまでも、牢獄の中で罪を悔いることを求めるだけだ

 だが、重犯罪者が収監される九十階層より下では、様々な苦痛という形で罰科が与えられる。中でも石動(イスルギ)が入れられていた九十二階層は、天井と壁、床の一面から放たれる理力の浄化光によって常に心身に苦痛を与えられ続ける闇の全霊命(ファースト)専用の階層だ

 あくまで監獄としての本分を忘れず、間違っても死ぬことがないように加減された浄化の光で心身を照らされる苦痛は、味わった者にしか分からないだろう


「――ま、そんなわけでその世界でたっぷり苛められた俺は、永遠にここから出されることは無いってことだ」

 かつての聖光の罰科を思い返しているのか、わずかに疲れた様な翳を落とした表情と声で言った石動(イスルギ)は、その視線を瑞希へと向けて笑みを深める

「労ったり、慰めてくれてもいいんだよ?」

「なんで私が」

 石動(イスルギ)の軽口を一刀の下に切り捨てた瑞希の抑揚のない淡泊な反応に、その言葉を述べた本人は苦笑を浮かべる

「はは。そりゃそうだ」

 遠慮や配慮のない容赦のない言葉が気に入ったのか気の抜けた表情で笑う石動(イスルギ)を一瞥した瑞希は、不意に脳裏をよぎった些細な好奇心を口にする

「……でも、どんな罪を犯したら百階層にいくのか、そしてどんな人がいるのかは少し気になるわね」

 「天使狩り」という異名まで与えられ、これまで千人では利かないほどの数の光の存在を手にかけてきた石動(イスルギ)でさえ、この程度(・・・・)ならば、百層まであるという聖浄匣塔(ネガトリウム)の最下層にはどんな人物がいるのか――不謹慎かもしれないが、決して無視できない興味をそそられる事柄に、瑞希は思案気に目を伏せる

「ああ、それね。ま、百階層の事はここからじゃ分からないからなぁ。とりあえず、永遠に出られないってのは間違いないでしょ。――案外聖人の事だから、殺すなんて生温いって感じの奴を収監してるんじゃないかな?」

 口元に手を当てて思案する瑞希に対し、石動(イスルギ)はここで過ごしてきた経験則を踏まえて自らの意見を述べる


 聖人界にも極刑はある。だが、服役している者の罪が必ずしも極刑を受けた者より罪が軽いわけではない。

 正義を重んじ、それを執行することに誇りさえ抱いている聖人の在り方を考えれば、その仮説はそれなりの説得力をもってそこに存在することになる――即ち、聖浄匣塔(ネガトリウム)の最下層にある罪は、「この世で最も思い罪だ」と


「なるほど。そうなると、禁忌系の罪かしらね」

 その石動(イスルギ)の言葉に一定の理解と同意を示した瑞希は、同時に思い至ったその可能性が最も高いものを口にする


 九世界――この世界で最も重い罪は、世界の理を犯すもの。異なる存在同士の愛情、その間に生まれる許されざる歪み「混濁者(マドラス)

 それらに代表される理や存在としてのの罪こそ、法を重んじ、秩序を尊ぶ聖人達が考える最も重い罪なのかもしれない


「……かもね」

 瑞希の独り言とも取れるその小さな独白に耳を傾けていた石動(イスルギ)は、その麗凛とした横顔を見て抱いた率直な感想を口にする

「そういや、君は何の罪でここに入れられたんだい?」

 美しく整えられた宝石を思わせる透明感のある瑞希の硬質な面差しからは、聖浄匣塔(ここ)に入れられるような罪人の雰囲気を感じ取れることができなかった

 聖人界が派遣する警軍などと、世界の狭間で遭遇すれば捕らえられてしまうことがあることを知っている石動(イスルギ)は、瑞希の罪状がその辺りだろうと当たりを付けて問いかける

「……そんなことに興味があるの?」

「まあ、無理にとは言わないけど」

 顔を上げ、澄んだ瞳を向けてくる瑞希の皮肉混じりの言葉に石動(イスルギ)は、軽く肩を竦めて答える

 あまりそういうことを詮索されるのを好まないのかもしれないと考え、自身の言を収めた石動(イスルギ)だったが、瞼を下ろした瑞希は口端を吊り上げて微笑を浮かべる


「そうね。一言で説明するなら、〝裏切り〟かしら?」


 自嘲するように答え、その澄んだ瞳に憂いの色を宿して言った瑞希の言葉に、石動(イスルギ)は虚を突かれたかのような表情をみせていた





「来たか」


 天の中心に座す神臓(クオソメリス)が月の光へと変わり、世界に夜の帳が下りた頃、閉じていた瞼を開いた黒髪金眼の悪魔――「死紅魔(シグマ)」は、静かな声で独白すると来客の方へと向き直る

 その身を翻した死紅魔(シグマ)の視線の先にいるのは、漆黒の羽織を翻らせる黒髪金眼の悪魔の青年と、腰までも届く癖のない艶やかな桜色の髪を揺らめかせる白羽織を纏った着物姿の淑女――「神魔」と「桜」の姿だった


 聖議殿(アウラポリス)からも、外縁離宮からも離れた聖人界の山脈の一角で父と再会した息子(神魔)は、自身の伴侶である桜を伴ってその視線を死紅魔(シグマ)へと向ける

「待たせた?」

「……いや」

 かつて殺し損ねた息子に、不気味なほど穏やかな表情を向けられた死紅魔(シグマ)は、それに淡泊な声で応じると、その視線を神魔の傍らに淑然と控えている桜へ向ける


 長い間会っていなかった神魔(息子)は、今や自分に匹敵するほどの力を得て眼前に立っている。昨日の戦いでは、愛梨の神器による補助があったからこそ互角以上に戦えていたが、今の力を考えると、桜と魔力共鳴をされると勝算が低いのは、死紅魔(シグマ)には分かっていた


「心配しなくていいよ。桜は見届け人だから」

 その視線に気づいた神魔がそう告げると、桜は一礼をしてからゆっくりと下がって、十分な距離を取る

 草木のほとんどない山肌に、桜色の髪を花弁のように揺らめかせた桜が降り立ち、荒涼とした大地に咲く一輪の花のようにたおやかな美しさを示す

「お願い」

「はい」

 死紅魔(シグマ)から視線を離すことなく告げられた神魔の言葉に桜が一礼すると、その魔力が世界を写し取って、全く同一でありながら異なる世界を顕現させる

「空間隔離か」

「お互いに、また邪魔されるのも面倒でしょ?」

 桜によって展開された空間隔離を一瞥して独白した死紅魔(シグマ)は、神魔の言葉に視線を戻すとその手の中に自身の武器である黒刃の片刃大剣を顕現させる

「確かにな」

 武器を顕現するとともに、純然たる殺意に染められた魔力を解放した死紅魔(シグマ)に応じるように大槍刀を顕現させた神魔は、深く息をついてゆっくりと口を開く

「そういえば、なんで、僕を殺そうとしたんだっけ?」

「お前がこの世界に生きていてはならない存在だからだ」

 神魔の問いかけに、死紅魔(シグマ)は一切動じることなく、簡潔に堂々と言い放つ

 その瞳には実の息子であるはずの神魔に対する確かな殺意が存在しており、平静を装っている感情の下で、強い意志が燃えているような印象さえ受けるものだった

「それってどういう意味?」

「そのままの意味だ」

 自身の中から湧き上がってくる強い感情を冷ますように、意識的に大きな息を吐いた神魔がその言葉の真意を尋ねると、死紅魔(シグマ)は簡潔にそう言い放って黒刃の切っ先を向ける

「お前は、理由があれば殺されるのか?」

「――……」

 今にも斬りかかってくるのではないかと思える覇気を放つ死紅魔(シグマ)に眉を顰め、不快感を露にした神魔は先ほどよりも温度の冷えた極低温の視線を向ける

「じゃあ、母さんを手にかけたのは? さっきの言い方じゃ、母さんは関係ないはずだよね」

 先程の死紅魔(シグマ)の言葉を信じるならば、神魔だけが標的であり、母にまで手をかける必要はなかったはずだ

 その理由を訊ねた神魔の言葉に、死紅魔(シグマ)は一瞬だけその眉を動かしてから、隠しきれない静かな憤りを表して歯噛みする


「お前を守ろうとしたからだ」


「…………」

 その言葉に神魔が小さく反応すると、死紅魔(シグマ)が放っていた魔力に宿る純然たる殺意が更に暗く堕ちて闇を深めていくのが伝わってくる

「お前にも分かるだろう? もしお前が俺と同じ立場だったからどうする?」

 表情こそ平静だが、その語気に隠しきれない神魔への憎悪を滲ませた死紅魔(シグマ)が、大剣の柄を握る手にさらに力を込める

 柄が砕けるのではないかと思えるほどに力を込める死紅魔(シグマ)の殺意をさらに濃く、深くしていくのは愛情。自身の伴侶へ――そして神魔の母へと向ける一人の男としてのものだ

「お前とあの女の間に子供が生まれたとして、それがこの世に災いをもたらすとしたら――伴侶と子供、どちらの命を取る?」

 その視線を一瞬桜へと向けた死紅魔(シグマ)は、神魔をまっすぐに見据えて抑揚の利いた低い声で問いかける

 それは、神魔の問いかけに対する死紅魔(シグマ)の答えそのものであり、そしてこの状況そのものがその選択の結果だった

「――そう……」

 その言葉に静かに目を伏せた神魔は、手にしていた大槍刀に純黒の魔力を纏わせると、一切の迷いが消えた金色の瞳で死紅魔(シグマ)を見据える

 それは、神魔が自身の父である死紅魔(シグマ)を、完全に敵として認識し、滅殺する意思を決定づけたことを雄弁に物語るものだった

「なら、僕ももう遠慮はしない」

 静かにそう言い放った神魔の言葉と、それに答えるように解放された暗黒色の魔力に宿る純然たる殺意が、その神格の許すままに物理的に世界に干渉して隔離された空間に横たわる山脈の大地を崩壊させていく

 神魔が放つその強大な魔力の奔流を知覚で捉える死紅魔(シグマ)もまたそれに答えるように、魔力を解放する

「許せとは言わない。だが、世界のために――そして、深雪への手向けとしてお前の命を捧げる」

 神魔と死紅魔(シグマ)、ほぼ同等の神格を持つ二人の魔力が拮抗し、隔離された空間を焼き切ってしまいそうなほどにせめぎ合う


「――……」


 そしてそのまま互いに睨み合っていた次の瞬間、なんの合図もないにも関わらず寸分違わぬタイミングで地を蹴った神魔と死紅魔(シグマ)は、互いの神格が赦す限りの神速で肉薄し、互いの武器をぶつけ合った

 時間と空間を無視し、距離を否定して振るわれた二人の斬撃は真正面からぶつかり合い、相殺される魔力と意思が隔離された夜の世界を、さらに深い黒へと染め上げる







「始まりましたね」

 絡み合い、相殺し合いながら天を衝いて吹き上がる二つの漆黒の力の奔流をそこから遠く離れた場所から見た黒髪の女性――「撫子」が憂いを帯びた物悲し気な声音で言う

「ああ」

 薄い紅で彩られた花唇でその言葉を紡いだ撫子が視線を向けると、その隣りになっていたロードが淡泊な声でそれに答える

 感情の読み取れない無機質な瞳と声で撫子に答えたロードは、そちらへと視線を向けることなく腕を組んだままで、遥か遠い山脈で荒れ狂う純黒の魔力の激突に意識を注ぐ

「さて、見届けさせてもらおうか」

 遥か遠い山脈で吹き荒れる漆黒を見据えるロードの瞳には、漆黒の魔力と刃をぶつけ合う神魔と死紅魔(シグマ)の姿が映っている




「世界の滅びを決める戦いを」






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