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魔界闘神伝  作者: 和和和和
聖人界編
204/305

迷いと決断(クロス)






「これにて閉廷する」


 シュトラウスの言葉によって法廷が閉じられると、瑞希はこの場所――「大聖廷(レゲスキウム)」に入って来た時と同じ扉から出て行く


 背後で巨大な扉が閉じる音を聞きながら、理力による光封印を施された瑞希は、警軍の聖人達、そして天支七柱の一人でもあるツェルドに囲まれて大聖廷(レゲスキウム)を後にする

 聖なる法廷の裁きを終えた瑞希の表情には、悲壮感も絶望感もない一切浮かんではいない。自身の境遇になんの感慨も抱いていないような淡白で麗坦なその在り方は、何かの悟っているかのようでもあった


「……!」

 そうして連れられていた瑞希は、前方――大聖廷(レゲスキウム)の正門に、新たな聖人達の集団がいることを知覚して顔を上げる

(誰かいる。それも、この理力の強さは……)

 門から続く長い回廊を抜け、閉じられていた審判の門とでも呼ぶべき扉を開いて外に出ると瑞希は、聖議殿(アウラポリス)の風景と共に、そこに佇んでいた聖人達を視界に映す

 そこにいたのは、男女合わせて十人程度の聖人達だった。規律正しく横一列に並ぶ聖人達を背に従え、一人の女性が先頭に立って瑞希たちを出迎える


 陽光を受けて宝石のように煌めく紫紺色の髪。頭の後ろで束ねられたそれは、金縁の白布に包まれて膝裏にまで伸びている

 全霊命(ファースト)特有の整った顔立ちに、切れ長の凛々しい眼光。首回りを白いファーで覆い、身体のラインが窺える深いスリットの入った霊衣のドレスを身に纏ったその女性は、他者を寄せ付けない気高く凛々しい気配の中に、目を離すことのできないそこはかとない色香を滲ませていた



「失礼します。罪人を引き取りにまいりました」

「ご苦労」

 荘厳な居住まいで大聖廷(レゲスキウム)から出てきた瑞希達を出迎えた厳かな声音で言うと、それに頷いたツェルドは希を連れて前へと歩きだす

(この理力の強さ……ということは、彼女が天支七柱最後の一人、『ビオラ』)

 そのやり取りを意識の端で捉えながら、瑞希は自分を引き取りに来たと告げた紫紺色の髪の聖人を麗淡な瞳に映す


 紫紺色の髪の女性から知覚できる理力の強さは強大無比。今瑞希を連行しているツェルドや、先程まで法廷の中にいたワイザー、ミスティルと同等のものだ

 その事から、この女性が聖人界に残された五人の天支七柱の中で、未だ面識がない最後の一人――「ビオラ」であることを推察するのは容易なことだった


「――初めまして。私はあなたを連行する|聖天支七柱の一人、『ビオラ』です」

 ツェルドと軽く挨拶を交わしたビオラは、その宝石のような澄んだ瞳で瑞希を見て軽く自己紹介をする


 それが毎回の事なのか、あるいは光魔神の同行者としてやってきた元客人への挨拶なのかは瑞希には判然としない

 ただ一つ分かるのは、その視線にも言葉にも敵意や忌避感はもちろん、憐憫も同情もあらゆる感情が込められていないことだけだ


「――……」

 瑞希がそれに何の反応も示さないことなど意にも介さず、ビオラはその手の中に白い枷を出現させる

「これは、正式に私達の世界の囚人となった者につけられる正式な封印の枷です。一応念のために言っておきますが、抵抗しないでくださいね。ここで暴れた場合、少々面倒なことになりますから」

 自身の理力によって作り出していた異空間の収納次元から取り出した枷を以って瑞希に歩み寄ったビオラは、淡白な声音で事務的に告げる

 そんなことなど言われずとも抵抗するつもりがない瑞希の前で、今までその身体を封じていたツェルドの光鎖が解け、それに代わってビオラが白い枷を両腕に取り付ける

「――!」

(これは……)

 枷が嵌められた瞬間、自身の身体に奔った封印の力に瑞希は、わずかにその柳眉を顰めて唇を引き結ぶ

 まるでなにかによって、自分の表層が押さえつけられ、内側に不自然に抑え込まれる違和感。自身の力をさらに強大な力によって無理矢理抑え込まれる嫌悪感に、瑞希はこれまで不変を保っていた表情をわずかに崩す

「では、頼んだ」

「確かに」

 瑞希に枷が嵌められたのを確認したツェルドが言うと、ビオラは小さく頷いて自身の理力を練り上げて顕現させた光鎖を伸ばす

 ビオラの袖から伸びた光鎖の先端が瑞希の枷へと絡みつき、二人を結びつけると、その前に空間を超越する門が開く

「では行きましょうか」

 これまでのように街の中を移動するのではなく、空間転移を用いて直接その場所へと続く道を作り出したビオラは、鎖と枷で繋がった瑞希に声をかけてその身を翻す

 その言に従い、無言で足を踏み出した瑞希が空間の門をくぐると、周囲の景色が一変する

「――……」

(これが……)

 純白亜の街並みが一転し、一面に広がっているのは天を塞がれた空間だった。天蓋に覆われ、無数の光で照らし出されるその空間は、十分すぎるほどに広いというのに重苦しい雰囲気に満ちていた

 必ずしも呼吸を必要としない全霊命(ファースト)でさえ息苦しさを感じさせられるその異質な空間は、この場所が持つ特異性故かもしれない


「――『ターミナルエンド』。この世と罪罰の世界を隔てる中間地点。私が、管理を任されている場所です」


 その景色に周囲を見回す瑞希に、ビオラは一瞥もすることなく端的に答える


 「ターミナルエンド」と名付けられたこの空間は、聖議殿(アウラポリス)聖浄匣塔(ネガトリウム)を結ぶ中間地点にあるビオラが守護と管理を任されている空間だ

 天蓋で囲まれた無機質な鈍色の空は、逃げることを許さない絶望感を滲ませ、広くそれでいて味気のない空間は、罪に向かい合う孤独を体現しているかのようだった


「そして、あなたの前にあるのが『聖浄匣塔(ネガトリウム)』。――この世界で唯一、全霊命(ファースト)のための牢獄。その入り口よ」

 ビオラの言葉に視線を動かした瑞希は、この空間に入ったときから視界に入っていたその異質な建造物を見て、わずかに柳眉を顰める


 瑞希の前にそびえ建っているのは、まるで水晶で形作られたかのような塔。左右に広がった結晶質の壁は翼を彷彿とさせる形状をしており、その中心から伸びる白晶の塔はその先端に光を思わせる金色の十字を戴いている

 そして、瑞希の眼前には緋色、蒼色、翠色の宝珠で飾られた巨大な金門が鎮座していた。幻想的で荘厳な美しさを持ち、神々しく天蓋の下にその姿を晒す白晶の建造物――それこそ、聖人界が保有する九世界唯一の刑務施設――「聖浄匣塔(ネガトリウム)」だった


「これから、あなたが罪を償うまで過ごすことになる場所よ」

 そう言って付け加えたビオラが軽く手をかざすと、それに応えるように金色の扉が開き、聖浄匣塔(ネガトリウム)内側へと続く道を罪人(瑞希)に見せつける

 入り口から見える聖浄匣塔(ネガトリウム)の中には汚れ一つなく、建物と同じように白みがかった水晶のような床と壁に覆われ、巨大な円柱を中心にその周囲に無数の部屋が並んでいた

「行きますよ」

 静かな声で告げたビオラに無言で応じた瑞希は、その歩みに続いて歩を踏み出し、扉を開いた監獄の中へと進んでいくのだった――。





「クロス」


 外縁離宮の中に宛がわれた部屋で、ソファにもたれかかり天井を仰いでいたクロスは、少し離れた窓辺に寄りかかっていたマリアに声をかけられて視線を向ける


 クロスとマリアは、互いに想い合ってこそいるものの、神魔と桜のように深い関係にはないため、個別に部屋を借りている

 にも拘わらず、ここにマリアがいるのは、ウルトの合図で別れた後に、合流してクロスの部屋へと入ったからだ


「なんだ?」

 窓から差し込む弱光に照らされ、憂いを帯びた表情と相まって幻想的で神秘的な雰囲気を纏うマリアは、クロスの視線が自分に向けられたのを確認して口を開く

「瑞希さんのこと、どうするの……?」

「困ってる」

 躊躇いがちに向けられたマリアの問いかけに、クロスは疲れた様な声でため息をつくように答える

「同じだね」

「お前が責任を感じることじゃない。……リリーナ様も含めて、誰も悪くないさ」

 その言葉を聞いたマリアが物悲しげな笑みを浮かべて同意を示すと、クロスは慰めにもならないであろう言葉を付け足す


 本来ならば、このような事態は、同じ光の世界として防がなければならなかった。同じ光の全霊命(ファースト)として、瑞希が連れ去られるあの場で強く出るべきだった

 頑なな正義は、時に悪よりも性質が悪い。聖人という存在のことを知っているからこそ、あの場で矛を収めるべきではなかったのではないか――そんな迷いと後悔がマリアの中にあるのは一目瞭然だった


 マリアは、心優しく思いやりに溢れた人物だ。混濁者(マドラス)として不遇な人生を送ってきていても、それを誰かをいたわる優しさに変える強さを持っている

 その強さと優しさ、それに伴う弱さともろさを知っているからこそ、クロスは瑞希の事を思いやって心を痛めていることが容易に想像できる。そしてそれは、今一時的に展開に報告に戻っているリリーナも同じことだ

 なぜなら、リリーナはマリアを妹のように可愛がり、マリアはリリーナを姉のように慕って尊敬している。マリアの心の在り方は、リリーナに強く影響を受けていると言っても過言ではないのだ


「ありがとう、クロス」

 そんなクロスの言葉に込められた不器用な優しさを感じ取った、マリアは感謝の言葉を述べるも、その表情に浮かんだ不安の色を拭うことはできなかった

「でも、もし大貴さんが実力行使で瑞希さんを取り戻すと言われたら、クロスはどうするの?」

「聖人は、一応同じ光の全霊命(ファースト)だ。そうでなくても、世界とことを構える様なことは避けた方がいいだろ。

 こういう言い方は悪いかもしれないが、瑞希は別に殺されるわけじゃないし、聖人界がしていることは法的に問題があるわけじゃないんだからな」

 マリアの言葉に淡泊な声で答えたクロスだったが、その表情は自身の言葉に納得しているとは到底言えないものだった

 そして、「そういうものなのだから」と無理矢理自分を納得させているクロスの言葉は、マリアにも少なからず共感を覚えるものでもある

「それは、そうかもしれないけど……」

 二人きりの時だけにみせるマリアの崩れた口調が、承服しきれないその心中を何よりも雄弁に物語っていた


 法律的な話をするならば、聖人界を咎めることは誰にもできない。いかなる理由があろうとも、彼らは法律に従い、許された権利の中で正義を執行し、正しく罪人を取り締まっただけだ

 だが、九世界の協調という意味では、独断先行も甚だしいと咎められるべきだろう。光魔神(大貴)の九世界訪問は、十世界に対抗するために、最強の異端神を陣営に引き入れるという目的のために行われ、そのための根回しもきちんとされていたはずだ

 聖人界がそれを無視して大貴の不興を買うような行動を取っていいはずはなく、結果光魔神が十世界に靡こうものなら、九世界は対抗する手段を失ってしまう


「お前の言いたいことも分かるつもりだ。けどな……」

 そこで言葉を切って、その先を濁すクロスの渋い表情を見たマリアは、不意に意識をよぎった言葉を躊躇いがちに投げかける

「クロスは、悪魔の人達が嫌い?」

「――別にそんなことはねぇよ……」

 その言葉に、一瞬目を瞠ったクロスが目を伏せながら言った言葉に、マリアは小さな嘘を感じ取っていた


 現在、光魔神(大貴)の護衛と信頼関係の構築という意味で、神魔、桜、瑞希という闇の存在と行動を共にしている。そこにこれまでの戦いの中で培ってきた友好関係が無いとまでは言わないが、複雑な感情があるのも事実なのだろう

 光の存在と闇の存在は、九世界の創世以来からの敵対関係。その永遠の関係から、互いに好意を抱いておらず、闇の存在と一括りにして考えれば、いい感情を持っていない光の存在の方が大半だろう。そう考えれば、クロスの反応は一般的なものだと言える


 無論、クロスが瑞希を助けることに関して、乗り気ではないような反応を返すのは、同じ光の世界、そして九世界の一角である世界に敵対すること、聖人界が行ったことが決して法として間違っていないことを含めて、実力行使に出る不安や危険性を考慮してのものであることはマリアも分かっている

 だが、その判断の中に、これまで九世界の歴史が培ってきた光と闇の存在の確執が皆無かと言えば、そう言い切ることもできないだろう


「私は、瑞希さんや桜さんに、神魔さん……私は、とってもいい人達だと思う。もちろん、聖人界の人達が法に則ってしたことが間違っているとは言わないし、ここで行動に出るのは世界の法に敵対するようなものになるのかもしれないっていうクロスの心配は分かってるつもり」

 クロスの心配と迷いの理由を理解し、同意し、肯定しながらも、マリアの瞳にはそれに恭順することを良しとしない意志の光が宿っていた

「でも私は、簡単に諦めることはしたくないの」

 抑制された声音でありながら、「瑞希を諦めたくない」という意思をはっきりと感じられる言葉でその心をまっすぐに曝け出してきたマリアに、クロスは浮かない表情で言う

「……正直言って、自分でも自分がどうしたいのか分からないんだ。どっちも正しいように感じられてな」

「クロス……」

 自嘲したように言うクロスの言葉を聞いて、その心境を察したマリアは、いたわりに満ちた優しげな面差しを送る


 クロスは、今回の一件に自身の過去を重ねている。――かつて、自分が正しいと信じた法を貫いた結果、シャリオという友人と決別してしまったことを。

 法は正義であり、正義を行うことは正しいこと。だが、正義は善ではない。故にそれが必ずしも互いにとって最良の結果をもたらすわけではないことも知っている

 そして、その痛みを背負うことこそが、正しさの責任であり、そのためには時に己の意思にそぐわぬこともなさねばならない


「これから、九世界がどうなっていくのか、私には分からない」

 正義を示した結果友と敵対することになってしまったことを思い、行動を起こすべきではないという方へ考えを傾けているであろうクロスに、マリアは呼吸を整えて優しく語りかける

「でも、法律で決められていなかったこと。それに直面した私達が、意思を示す必要があると思う」

 胸に手を当て、揺るぎない決意と強い意志が込められた瞳でまっすぐにクロスを見据えたマリアは、自分の思いが届くように訴えかける


 今回の最大の問題は、瑞希を裁く法の根拠――これまで、九世界が積み重ねてきた歴史がもたらした歪みにある

 リリーナが言っていたように、九世界はこれまで最低限の交流しか持ってこなかった。そのため、他の世界で裁かれた者に対してどうするのかという取り決めがされていなかったのだ。瑞希はその犠牲になったともいえる


「裁かれた人が、二度裁かれるなんて、ダメ。だって、そうじゃなきゃ、その人が今まで償ってきたものを全て踏み躙ることになっちゃう」

 すでに魔界王に裁かれ、その罪を償ってきた瑞希が、異なる世界にやってきたからと言って、これまでの償いの全てを否定されて二度裁かれるなどあってはならない


 今の法がそうであるからと言って、その違和感を享受して入ればいいわけではないはずだ。現行の法の歪み――問題点に気付いたなら、それに直面した自分達がその見解と意思を示さなければならない。

 そうでなければ、これから起きるかもしれない類似の案件すべてが暗黙の内に同様の処理をされてしまうことになるだろう


「……マリア」

 必死にその想いを訴えるマリアの様子に、クロスは小さく目を瞠って思わず声を漏らす

「そうでしょ? 大貴さんの九世界訪問が終わったとき、世界は変わらないかもしれないけど、もしかしたら今よりも交流が盛んになるかもしれない。

 少し受け入れ難いことがあるからって、世界を否定するのは間違っているかもしれない。けど、今の世界が導き出せない道を選ぶのは、他の誰でもない私達でしょ?」

 クロスに訴えかけるマリアの声は優しく、希望に満ちた音で響いて、その心と意思にわずかながらも確かな波紋を生み出す


 大貴が世界を回ることによって、今九つの世界は新たな繋がりを持って繋がろうとしている。光と闇を内包する存在である大貴(光魔神)が触れ、関係を持った者達が世界にどのような影響を与えるかは未知だ

 今と変わらないかもしれない。だが、今よりももっと親密につながり合うかもしれない。あえて言葉にはしなかったが、愛梨率いる十世界が九世界に取って変わるかもしれない

 世界は不変のようで変わり続け、そして常に変改する可能性を孕んでいる。自身の願いのために、世界の在り方を否定するのは許されざる悪意ではあるが、世界を変えまいとし続けるだけでも意味がない

 常に今を生き、現在(いま)を見て、これから未来(さき)のことを考え続けることこそが必要なのだと、マリアはクロスに伝えたかった


「…………」

「ねぇクロス。もし私が瑞希さんと同じようなことになったらどうする?」

 その言葉に、目を伏せて思案を巡らせるクロスを見たマリアは、寂しげに微笑を浮かべて問いかける


 マリアは、九世界において禁忌とされる天使と人間――全霊命(ファースト)半霊命(ネクスト)混濁者(マドラス)

 本来ならば、滅ぼされているはずのその命が今も生き永らえているのは、マリアの母であるアリシアの尽力と天界王「ノヴァ」、王妃「アフィリア」の温情によるものだ

 それを十分に分かっているマリアにとって、瑞希のことは全くの無関係ではない。もしこの事実が聖人界に知られたならば、マリアは瑞希と同じ運命を辿り――そして、極刑を言い渡されるだろう


「そんなこと、決まってるだろ」

 自分の事を引き合いに出してきたマリアの言葉に、クロスは視線を背けながら、ぶっきらぼうに答える

 照れているであろうクロスはあえて言葉にはしていないが、その様子からは「絶対に助ける」という意思が垣間見えていた

「それって、どういうこと?」

 その反応が微笑ましく、思わず笑みを零したマリアは、ほんの少し鎌首をもたげてきた悪戯心に押されるようにその意味を問いかける

 その視線を問いかけを受けたクロスは、自分に注がれるマリアの澄んだ瞳から顔を逸らして、真っ赤に火照った顔で言う

「……わざわざ言うほどの事じゃねぇよ」

「ふふ」

 おおよそ予想していた通りの、クロスの反応に微笑ましげな苦笑を零したマリアは、現状を考えれば少々不謹慎だったかもしれないやり取りで火照った赤を冷ますように息をつく

 自分が瑞希と同じ状況に陥ったときには、きっと力を尽くして助けてくれようとしてくれるのだろうと思わせてくれるクロスの反応に、マリアは微笑みを浮かべるとその隣りに肩を並べるように移動する

「私は、言ってほしいんだけどな」

「どっちにしても、力ずくってのはよくないだろ」

 穏やかな微笑を浮かべ、隣から語りかけてくるマリアの言葉に、クロスはとぼけたように視線と話を逸らす

「ただ――」

 その声を発したクロスを見たマリアは、その真剣な面差しを見て小さく息を呑む

 視線を明後日の方向に向けながら言うクロスは、その瞳に遠い過去を幻視しながら重い口を開く


「俺は、あいつらと遠く(・・)はないつもりだ」


「……?」

 噛みしめるように発せられたクロスのその言葉の意味はマリアには分からない。だが、その言葉の発端は間違いなく、マリアのものであることをクロスだけは知っている


 それは、先日まで滞在していた冥界で、マリアに頼まれた神魔がシャリオと戦っていたクロスを助けた際に述べた言葉。――光と闇の存在である天使と悪魔は、相反する存在であっても、決して遠く(・・)はない――というもの。

 それは、心の距離の話。例え天使と悪魔のように相反する存在であっても、大切に想うものの大切さは、決して変わることのないものなのだ、というその言葉は、クロスの中に強く焼き付いていた


「だから……まあ、なんだ。ちょっとくらいなら、骨を折ってやらなくもないって話だ」

 不本意ながら感銘を受けてしまったその言葉を思い出したクロスは、自分を見つめるマリアの怪訝そうな無垢の瞳に、渋面を作りながら悔しげに言う

「!」

 その表情を見たマリアは、思わず笑みを零してしまう


 聖人が法を重んじるならば、天使は情に深い。そして、一見そうは見えないが、マリアはクロスがとても優しく、情に厚い人物であることを知っている

 決して長くはないが、短くもない時間を過ごし、共に死線を潜り抜けてきた神魔、桜、瑞希(悪魔達)個人に、情が移っているのだと察するのは難しいことではない


 不覚にも、本来敵対するべき悪魔友愛の情を抱いてしまっていることを認めるのが嫌で、照れ隠しに渋い顔を作っているのだと看破したマリアは、そんなクロスの態度に愛おしさを抱かずにはいられなかった


「何だよ?」

「うぅん。なんでもない。クロスらしいね」

 不本意そうに言うクロスの言葉に、口を元を抑えながら穏やかに微笑んだマリアは、慈愛に満ちた瞳でその姿を映す

 不満気な声で独白しながら視線を明後日の方向へ向けるクロスを見ながら、マリアは自分はクロスのこういうところが好きなのだと、改めて強く実感していた


「私も協力するから、できるだけの事をしてあげましょう」


 横顔を見ながら微笑みかけたマリアの言葉に、クロスは小さく――よく見ていなければ気付かないほど、本当に小さく首肯するのだった






 天の頂に座し、世界を等しくあまねく照らす神臓(クオソメリス)が夕刻の赤い光を世界に届ける頃、大貴達は、ウルトに呼び出されてその部屋に集められていた

 室内には、ウルトと一旦聖人界を離れていた天使の姫(リリーナ)、そして護衛のアレクを含めた数人の聖人がおり、大貴達に視線を向けている

「この度は大変ご迷惑をおかえして申し訳ありません」

 大貴、神魔、クロス、桜、マリア、詩織――他世界からの客人を前に深々と謝罪の言葉を述べたウルトは、顔を上げ、決意の色を帯びた表情で語りかける

「瑞希さんは、私が責任をもって解放してもらえるよう、交渉してまいります。ですから、どうかこの一見は私に任せていただけないでしょうか?」

 顔を上げ、大貴達を見回したウルトは胸に手を当てて、凛とした声で求める


 なにもできなかった身でこのような言葉を述べるのは憚られるが、折角これまで人間界、妖界、妖精界、冥界が築き上げてきた光魔神との関係を、聖人界(この世界)が崩すわけにはいかない

 もはやその立場にはなくとも、かつて聖人界を束ねたものとしての責任がウルトの意思を後押しし、突き動かしていた

 特にウルトが危惧しているのは、今回の件を不服とする大貴達が聖議殿(アウラポリス)へと侵攻し、聖人界と武力による正面衝突になることだ


「私も同行します。天界王様に相談し、妖精界王『アスティナ』様、天上界王『(あかり)』様の同意もいただき、瑞希さんを釈放する意思を表してまいります」

 その言葉に続くように、傍らに控えていたリリーナが口を開く


 先程まで聖人界を離れていたリリーナは天界へと戻り、天界王・ノヴァに今回の一件を報告し、先程口にしたように、聖人界を除く三つの光の世界――「天界」、「天上界」、「妖精界」から瑞希を釈放する口利きと権利を得てきたのだ

 つまり現在のリリーナは、「瑞希釈放」という一点において、天界王、天上界王、妖精界王の名代としての権限を得ていることになる。――とはいえ、それが法的拘束力を持つわけではないが。


「アレク。聖議殿(アウラポリス)に同行してください」

「はい」

 簡潔に説明を終えたウルトは、アレクに声をかけると、リリーナに目配せをして早々に部屋を――外縁離宮を出立する意志を示す

「これから私達は、聖議殿(アウラポリス)へと出向きます。その間の皆様のお世話にはこの二人……『シャハス』と『ナハト』を付けます」

 その言葉に答えるように、紅玉のような長い赤髪の女性と、紺碧を思わせる深青の髪を持つ男が前へと歩み出てくる

「シャハスと申す」

「ナハトです」

 外縁離宮にいるのは、当然ウルトとアレクだけではない。ここにいる二人――「シャハス」と名乗った女性と「ナハト」と名乗った男が答える

「では、あとは任せましたよ」

「はい」

 共に紫色の瞳を持って大貴達に二人が名乗ったのを見て取ったウルトは、澄んだ声で告げるとリリーナ、アレクと共に部屋を出て行く

「突然の事ですが、よろしくお願いいたします」

 ウルト達の力が完全に外縁離宮から消えたのを知覚したシャハスとナハトは、大貴達に向かい合って簡潔に挨拶する


 元々、外縁離宮には百人ほどの聖人がいるが、あまり多くの人が短期間に一度に関わっても大貴達に迷惑だろうと考えたウルトの配慮によって、その接触は最低限の人数に限られていた

 だが、瑞希が捉えられるという緊急事態に陥り、ウルトが聖議殿(アウラポリス)へ赴く決意を固めたため、こうして二人が呼ばれたのだ


「ま、ウルトさん達がああ言ってるんだし、今はとりあえず様子を見るしかないんじゃない?」

「神魔さん」

 部屋の主であるウルトがいなくなった静寂を破るように口を開いた神魔に詩織は視線を向け、それを見ていたクロスも、軽く息をついて目を伏せる

「まあ、そうだな。これで 話が付くならそれが一番だろ」

「そうですね」

 ウルトとリリーナ達が瑞希を解放してくれるならば、それが一番いいに決まっている。当たり前のクロスの意見に、マリアが声に出してこの場にいる全員の総意を示すと、神魔が再び口火を切って話し始める

「じゃあ、何かあるまでは自主行動ってことでいい?」

 そう言うなり桜を伴って身を翻した神魔に、大貴は何かを感じ取って怪訝な様子で問いかける

「どっか行くのか?」

「……個人的な用事だよ」

 その言葉に、一瞬答えを迷ったかのように足を止めた神魔は、背後を振り返ることなく淡泊に抑制された声で答える

「では、同行を」

「ああ、気にしないでください。二人は大貴君についていてあげてください」

 シャハスとナハトの申し出を断った神魔だが、その言い分には一定の理がある。このメンバーの中で最も重要なのは、光魔神である大貴であり、それ以外はその同行者兼護衛――極論すれば、十世界の戦闘で命を落とす可能性を考慮された人物達だ

 特に、極刑の一環として同行している神魔と桜になればそれは顕著であり、ゆりかごの世界にいた時から大貴と親しい仲にあった以上の価値はない

「しかし……」

 だが、だからと言ってウルトにここにいる仲間達のことを任されたシャハスとナハトには、それを「そうですか」と受け入れることはできなかった

「本当に大丈夫ですよ。本当に私的なことですから、公的な役目の方々についてこられると、ちょっと困ってしまいます。何かあっても自分の責任です――ここにいる全員が証人になってくれますよ」

 肩を竦め、丁寧に断りの言葉を述べた神魔に、シャハスは未だ納得がいっていない様子で難しい表情を浮かべるが、それを見ていたナハトが言葉をかける

「姉貴。お客様がこう仰っているんだから」

「……分かりました」

 確かに安全を守ることも重要だが、大貴達客人の意思を尊重するのも大切だと言うナハトの言葉に、シャハスは、しばしの思案の後に不承不承と言った様子ながらも了承して頷く

(この人達、姉弟なんだ……)

 シャハスの事を「姉」と呼んだナハトに、二人の関係を見た詩織が心中で独白する傍らで、桜の一礼を合図に神魔が部屋を出て行く

「じゃあ、俺達も解散するか」

 それを見た大貴の言葉で場が収集される中、詩織はその側へと小走りで近寄っていく

「大貴」

 神魔と桜が退出し、詩織が大貴に近寄って部屋を出て行こうとすることで自然に残されたクロスとマリアがそれに続こうとした時、不意にその傍らに巨大な人の壁が立ちはだかる

「少々よろしいでしょうか?」

「?」

 自身の倍はある二人の聖人に前に立たれ、暑苦しそうに半歩下がったクロスは、顔を上げてそこにいるシャハスとナハトを見る

「実は、お二人にとても重要なお話があります」

 そう言って話を切り出したナハトの言葉に、クロスとマリアが目配せをしていると、腰を曲げたシャハスが二人の耳元に小声で囁きかける

「これは、他の世界には秘匿されていることなのですが、あなた方のお仲間が囚われている、聖浄匣塔(ネガトリウム)最下層には――『十聖天』のお一人が囚われているのです」

「――!」

 声を殺したシャハスの言葉に、クロスとマリアは思わず目を見開いた





「ねぇ、大貴。あんた、なにかしようとしてる?」

 それとほぼ同時刻、部屋を出た詩織は、大貴が浮かべている表情を見て問いかける

 生まれてからこれまでずっと行動を共にしてきた双子の姉として、大貴の表情から只ならぬものを感じ取った詩織は、真剣な光を宿した左右非対称色の瞳を望み込む

「しようとしてるっていうか、してたってところだな」

「してた?」

 双子の姉の鋭い洞察に観念したように息をついた大貴は、その視線を向けて淡泊に自身の意思を伝える

「俺は、瑞希を助けたいと思ってるからな。さっきまでやろうとしてたことがあったんだ。まあ、ウルトとリリーナの事を信じて、それまでは待ってみるつもりだけどな」

「ふぅん……ちなみに、何しようとしてたの?」

 ウルトとリリーナを信じると言った大貴の言葉に一応納得した詩織は、その二人の決意と行動がなければしようとしていたことを訊ねる

「今は秘密だ」

 だが、その問いかけに大貴は軽く笑ってそう答えただけで、部屋へと戻っていく

「なによ、それ」

 不満気な詩織の声を背で聞きながら扉を閉めた大貴の表情は、強い決意を秘めた鋭い眼光を抱くものだった

(とはいえ、ウルトとリリーナには悪いけど、いつでも動けるようにはしておくか)

 二人の行動と決断には信頼を置いているし、感謝もしている。だが、これまで聖人界で過ごしてきた印象から考えると、二人の主張が受け入れられるかという点には疑問が残る


 以前神魔と桜が魔界に囚われ、極刑を言い渡された際、自分が何もできなかった無力感を抱き続けてきた大貴には、今回もみすみす同じ轍を踏むつもりは毛頭ない

 自分には、あの時になかったものがあり、できなかったことができる。決意と行動、そして、自分を信じて全てを委ねてくれる人――これまで出会ってきた人との繋がり、培ってきた関係、そして抱きてきた思いが大貴に、一つの決断を下させていた



(あいつらの――〝十世界〟の協力を取り付ける)



 瑞希を取り戻すために、交渉しようとして入り相手――「奏姫・愛梨」と「十世界」の事を心中に思い浮かべながら、大貴はウルト達がいる聖議殿(アウラポリス)のある方へと視線を向ける

 自身の考えが実行されることがないように祈りながら、大貴は窓の外に広がる聖人界の風景を、その左右非対称色の瞳に映していた





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